- Jealousy In Love(8) -



「真打ち登場ですよ、お父さん」
しっかりと止めを刺してから、義之は出迎えに走って行った。間もなく現れた大きな人影を、縋るような思いで見つめる。それが待ち人だと確認しても、すぐには声にならなかった。
「優生」
淳史の声に思わず立ち上がった。優生が足を踏み出すより先に、駆けてきた淳史に抱きしめられる。やっと、震えが納まったことに気付かないまま、淳史の腕に縋った。
「何があったんだ? 急に連絡がつかなくなったから驚いただろうが」
「ごめんなさい……なんか、俺にもよくわからないうちに」
「顔色も悪いな、もしかして倒れたのか?」
「ううん、そうじゃなくて……」
答えに迷う優生の代わりに、義之が簡潔な事実を告げる。
「父が拉致したようだよ」
「拉致なんて人聞きの悪い言い方をしなくてもいいじゃないか」
「相手の了承を得ずに連れ去ることを拉致と言うんですよ、しかも縛って服を脱がせておいて」
「……本当ですか?」
義貴を見据える淳史の声が低められる。優生に向けられたものでなくても、また震えてしまいそうなほど怖かった。
「お義姉さんに余計なことを吹き込まれたらしくてね。ゆいが俊明を誘惑したと誤解したそうだよ」
「それと優生を脱がせることに何の関係があるんです? 優生は俺のですから、思う所があるんなら俺を通していただけませんか」
「工藤くんも、裏切られたんじゃないのか?」
言い募る義貴に、身を竦ませる優生の背を抱く腕に力が籠められる。
「それは俊明と俺の問題で、先生が優生に危害を加える理由にはならないでしょう」
「ずいぶん、その子を甘やかしているようだけど」
「俊明が迷っている時に、不安がっていた優生を掠め取ったようなものですから、恨まれるのは覚悟の上です。だからといって返す気はありませんが」
「その子の方にも未練があるようだと聞いているけどね」
「何と言われても返しませんよ。もちろん、先生にだって渡しません」
どちらにも欲しいと言われてもいないのに、一方的に啖呵を切られてしまうと、嬉しいというより少し恥ずかしい。
肩をすくめる義貴に、義之が追い討ちをかける。
「もし、ゆいが俊明の所へ戻ったら、またお義姉さんに付き纏われますよ? それとも、別れてしまうと惜しくなりましたか?」
「参ったな、義之もこの子の味方なんだね」
「お父さんがゆいに危害を加えようとするからですよ。少しは罪悪感があるんなら、淳史に殴られておきますか?」
「優生? どうする?」
優生に振られても、ぜひ殴ってくれとも、殴らせてくれとも言い難い。そうでなくても、結果的に淳史の仕事の邪魔ばかりしているというのに、これ以上の迷惑はかけたくなかった。
「ううん」
「そうか。じゃ、帰るか」
頷く優生に、麗しい親子の方が驚いたようだった。
「この人を殴れる機会なんてそうそうないと思うけど、いいのかな?」
義之に念を押されても、そんな気にはならなかった。大事に至る前に助けられて、淳史が気を悪くしていないのなら、優生が腹を立てる理由はない。
「……先生、無用な心配だと思いますが、今後一切、優生には関わらないでいただけますね?」
口調は穏やかなのに、義貴を見据える淳史の双眸は険しかった。
「わかってるよ、工藤くんを困らせる気はないからね」
ため息混じりに吐き出される言葉に、優生は心底ホッとした。
「じゃ、失礼します」
軽く頭を下げると、淳史は徐に優生を引き寄せた。
「あっ……」
慣れた動作で優生を抱き上げると、淳史はさっさと玄関に向かう。
「あ、淳史さん、俺、自分で歩けるから……」
「ダメだ」
義貴にはあんなに低姿勢だったくせに、優生に対しては命令口調だ。
姫抱っこをされたままで外に出るのは死ぬほど恥ずかしかったが、デニムの切られた場所を考えると、肩に担がれることも背負ってもらうことも出来なかった。
幸い、通路でもエレベーターでも誰にも会わずに外に出られた。マンションの前に止まっているタクシーは、どうやら淳史が待たせていたものらしい。
優生を抱いたままでタクシーに乗り込むと、淳史は自宅の住所を告げた。仕事を抜けて来たに違いないのに、これ以上時間を取らせるのは気が引けた。
「ごめんなさい、先に会社に戻ってもらって大丈夫だから」
「いや、あまり時間は取れないが、おまえを一人で帰すわけにはいかないからな」
肩を抱いたままの淳史が、言い難そうに声を低めた。
「……いつも、仕事のジャマをしてごめんなさい」
決して、優生が望んだことではなかったが、淳史の仕事に差し支えるような結果にばかりなっていることは気になっていた。
「そんなことより、手荒なことはされなかったか?」
「うん……大丈夫」
優生の基準では手荒な方に分類されると思ったが、余計な心配はかけたくなかった。怖い思いはしたが、実質的な被害は殆どないと言えなくもない。
そっと、胸元へと引き寄せられるまま、頭を預けて目を閉じる。義之のことも苦手だと思っていたせいか、助けられた礼さえ言わずに来てしまったことに漸く気が付いた。
「どうしよう、緒方さんにお礼言うの忘れてた」
「また会った時でいいんじゃないのか? どうせ毎回付き添ってくるだろうしな」
マンションに着いてタクシーを降りる時には、淳史を煩わせないように先に外に出た。これ以上恥ずかしい思いをしたくないというのが本音だったかもしれなかったが。
淳史が優生を庇うように斜め後方を歩くのは、その辺りにデニムの裂け目があるということなのかもしれない。余計なことは言わずに早足にエレベーターに乗り、二人とも無言で部屋へと急いだ。
玄関に入った途端に息を吐く淳史に、すぐに風呂に入りたいとは言い出せずにリビングについて行く。先にソファへと腰掛けた淳史の膝へ引き寄せられるまま、身を預けた。
「自由にさせた途端にこんなことがあると、一人にしておくこともできない気がするな」
苦々しく呟かれると、優生の方が罪悪感に苛まれてしまう。あの身勝手な医師のせいだと開き直ることは出来そうになかった。
「ごめんなさい、本当に、もう大丈夫だから」
「俺の方が大丈夫じゃないんだ。おまえに何かあるんじゃないかと思うと仕事にも身が入らないしな」
項垂れる優生を、強い腕が抱きしめる。
「……何も、されてないから」
思わずそう言ってしまったのは、淳史に誤解されているかもしれないと思ったからだ。
「おまえを拉致して襲おうとした男まで庇うのか?」
「ちが……本当に、俺……」
何も、と言うと嘘になってしまうが、決して淳史を裏切ったわけではないと言いたかっただけだった。
泣きそうになって俯く優生の頬を、淳史の手が包む。
「何もされなかったんだな」
「うん」
後頭部へと回された手に抱き寄せられる。やさしい抱擁に、怒ってはいないのだとわかってホッとした。
「お前が悪いわけじゃない、気にするな」
「……うん」
そっと、淳史の背を掴む。まだ仕事には戻らずに優生の傍に居て欲しいと言う勇気がなくて、その胸元へ顔を伏せた。言えば、きっと淳史に無理をさせてしまう。
「会社に戻りたくないな」
まるで優生の本音を見抜いたような言葉に焦った。
「ダメだよ、淳史さんはすぐに子供みたいなことを言って」
「おまえが聞き分けが良過ぎるんだ。こんな時くらい仕事に行くなと言えばいいだろうが」
優生にも我儘だという自覚があるのに、淳史はそうは思っていないのだろうか。甘やかし過ぎだという周りの評価は妥当かもしれないと、優生も思った。
「じゃ、早く帰ってきて? 今ムリを言って、またずっと仕事になったら、その方がやだ」
優生の顔を覗き込む瞳を見つめ返す。疚しい所のない今日は、瞳を反らすことも、淳史の胸を押し返す必要もなかった。
「……そうだな、却っておまえを一人にしてしまうことになりかねないな」
「うん。迎えに来てくれてありがとう。もう大丈夫だから仕事に戻って?」
さっきまでの不安が嘘のように、それは本心だった。淳史がちゃんと仕事を終えて帰って来るまで、体を綺麗にしたり、食事の用意をしたりしながら待てると思った。
優生の頬を包む手の理由に気付いて目を閉じる。ゆっくりと触れてくる唇に、深く唇を重ねながら、互いの舌を探り合う。緩く絡んで優しく吸われると頭の芯が霞んでくる。顎を伝って喉へ伸びた手の平が、愛撫するように肌を撫でて襟元を開いてゆく。今にも優生の理性を奪ってしまいそうな所へ届きそうな手をそっと押えた。
「ダメ、だよ……帰ってから」
触れられたら、きっと我慢できなくなってしまう。不思議なくらい、今は抱かれなくても大丈夫な気がしているというのに。
「優生」
少し強引に喉へ口付けられても、優生は淳史の胸を押し返した。あまり時間がないと言っていたのに、優生につき合わせるのは気が引ける。
「待ってるから、ちゃんとお仕事して来て?」
「……本当に待てるんだな?」
疑惑と心配を向けられる理由がわかっているだけに、しっかりと頷いた。
「本当に大丈夫だから、なるべく早く帰ってきて?」
少しの我儘を混ぜた言葉を、淳史は信用してくれたらしかった。
「しょうがないな。おまえがもうちょっと我儘を言えば、親を危篤にしてでも残るんだが」
「そういう嘘はバレるから吐いちゃダメだよ。それに、もし本当に何かあった時に困るでしょ」
「どちらか片方しか取れないんなら、俺はおまえを選ぶぞ」
急にそんなことを言い出した淳史の真意がわからず、湧き上がった疑問を口にした。
「……どうして俺なの? ずっと、俺みたいなのは好みじゃないって言ってたのに」
「おまえは? 誰でも良かったから俺について来たのか?」
逆に返されて、理由を探す。明確な答えなど、見つけようがないというのに。
「そんなこと、ないと思う。何度も助けてくれたし……」
孤独からも不安からも、救い出してくれたのは淳史だけだった。どこにもないと思っていた居場所をくれたのも、ないものねだりのような我儘な望みを叶えてくれたのも。
「助かったと思うか? 俺に捕まったとは思わないのか?」
「……そうかもしれないけど……俺は寧ろ捕まってたいし」
「やっぱりマゾだな」
決死の覚悟で告げた言葉を、淳史は意地悪く笑った。
「俺には心理学なんてわからないからな、惚れてしまったものは理屈じゃ説明できないんだ」
やや乱暴な言い分は、どんなロジカルな言葉より真実味を伴って響いた。同感だと言う代わりに、優生の方からキスを誘う。早く仕事に戻らせなければと思うのに、離れ難くてなかなか送り出せない。
「やっぱり戻るのはやめておくか?」
甘い甘い誘惑を、優生は筋金入りだと言われる強がりで否定することにした。少しは大人になったと証明するために。



- Jealousy In Love(8) - Fin

【 Jealousy In Love(7) 】     Novel       【 Whatever You Say 】  


(番外掌編) 【 Extra Episode1. 2. 3. 4 】

ちょっと暴走&不完全燃焼って感じですが……。
書きたかったことはほぼ書いたので、
当分、“れすきゅー・ぷりーず”は凍結します。