- 半月の猫 (はにわりのねこ) (2) -



猫型を取ったときの初芳は、淡い金茶色の虎縞の毛並みに金色の瞳をしている。
だから、非常時以外は人型で過ごす通例に倣っている初芳の、シーツに広がる長い髪は緩い波を打つ金茶色だ。
まだ深い眠りの中にいるらしい颯士を、いつからか定番となった台詞で起こしにかかる。

「おはよう、颯士。いい加減に起きないと襲うよ?」
寝息が感じられるほどに近付いて囁けば、大柄な体は、飛び上がらんばかりのリアクションで跳ね起きた。
「初芳……おまえこそ、いい加減覚えろよ、俺の部屋には勝手に入るなと言ってるだろう」

なぜか、この頃の颯士は些細なことで不機嫌になり、その度に新たなルールを作っては初芳の行動を制限しようとするようになった。
多少の不満を口にしつつも、なるべく颯士に従うようにしているが、部屋に入るなという言いつけだけは守っていない。
これまで颯士は自室に女を連れ込んだことはないし、片付けや掃除をしているのは初芳なのだから、入るなと言われる正当な理由が思い当たらないからだ。

「だって、颯士が起きてくるの待ってたら朝ごはん冷めちゃうだろ? 大体、そんなに精根尽き果てるほど誰と遊んできたんだよ?」
妬ける気持ちを抑え切れずに言葉にすれば、颯士はあっさりと昨夜の相手を白状する。
「朱美」
初芳も知るその雌猫が、匂い立つような色気を纏った豊満なボディをしていて、いかにも颯士が好みそうなタイプだというのは認めざるを得ないが、見た目はともかく実年齢は颯士の倍ほども年を食っているはずだった。
いくら繁殖に協力するのが雄の義務とはいえ、万年モテ期の颯士に言い寄るとは少々厚かまし過ぎる気がするし、颯士の方も上手く躱せばいいのにと思わずにはいられない。

「……颯士って、ほんとストライクゾーン広いよな。そんなに精力余ってんなら、俺に注いでくれたらいいのに」
上から覗き込むような体勢の初芳を、颯士は重力をものともしない体格の違いで軽く引き剥がし、半裸の体を起こして上着を羽織った。
「おまえにもうちょっと色気があったらな」
颯士は、もう決まり文句のようになってしまった返事で、初芳を残して部屋を出ようとする。
「しょうがないだろ、俺はまだ誰ともヤったことないんだから。颯士がさっさと女にしてくれたら、色気くらいいくらでも振り撒いてやるのに」
慌てて後を追いながら反論する初芳を、観念したように振り向く颯士は、まるで幼い子供を諭すみたいに、もう聞き飽きた台詞をくり返す。
「そんなに焦らなくても、時期が来たら嫌でも色気づいてくるんだ。成熟するまでおとなしく待ってろ」
「そんなこと言って、少しでもたくさんの女と遊んでおこうって魂胆だろ、ほんと、やらしいんだから」
婚姻を結んだら他の雌の相手はしないで欲しいという初芳の希望は、幼い頃からくり返し伝えてある。だから、颯士はそれまでの間に遊び尽くしておくつもりではないかと思う。
けれども、もしその想像が当たっていたとしても、まだ颯士の相手を務められない(とみなされている)初芳には、現状を責める権利はないのだった。




通常、猫族は雄も雌も両性も15歳で成人とみなされるが、成熟度は生まれた季節によって前後する場合が多い。
それは春と秋にピークを迎える発情期に合うよう体が調整するからで、早ければ15歳の誕生日を迎える前に親になる者もいる。
ただ、両性は成人を迎える第二次性徴期までは男性よりな体つきで、発情期に入って男性を受け入れることで卵巣や子宮など女性特有の部分が内側から発達してゆくため、最初の発情期から外見的な女性らしさを望むことはできない。
やがて受精すれば胸や腰の肉付きは良くなるが、それでも元からの女性とは比べるべくもないほどにささやかな膨らみや丸みしかなく、颯士のような根っからの女好きには物足りないだろうということは容易に想像できる。
しかも、両性は産後の授乳期を過ぎれば元の薄い体に戻ってしまうのだから、女性らしい時期はないに等しく、颯士に言い寄る雌が後を絶たないことを思えば、仮に婚姻を結んだ後であっても初芳の立場は不利なままかもしれないのだった。


雌や両性は発情期に入ると体の欲求が抑えられなくなるため、それまでに伴侶を決めておく者が多い。そうしておかなければ、意に染まない相手と子を為さざるを得なくなったり、愛人や浮気相手に甘んじるしかなくなってしまうからだ。
そういった面倒を避けるために、成人になる前に婚姻を結んでおいたり、敢えて性交渉を経験しておく者もいる。
ただ、両性が第二次性徴期前に性交を経験すると、外見的な体の成長がそこで止まってしまうという弊害があり、本人が正常な判断ができないほど幼いうちに関係してはならないというのが暗黙の了解とされていた。
といっても、子宮など内側の器官は行為を重ねるうちに成熟してゆくものだから子作りという意味では問題はなく、あくまで外見的な、背が伸びないとか、幾つになっても童顔だといったような症状は、相手がそういった好みの男なら寧ろ好都合だと言える。
だから、本人にとっては、いつまでも子供と間違われるとか、体格的に些か不便になるという程度の支障でしかないと割り切るカップルも存在する。
叶うことなら、初芳もそういう夫婦になりたいと、もう何年も思い続けていたのだったが、成人間際になってもまだ、颯士は初芳と大人の関係になろうとはしないのだった。




「猫は多情な生きものなんだよ。モラルなんてないし、快楽や誘惑に弱くて当たり前」
大きな手が、伸びかけた白金の前髪をかき上げる。
ところどころ黒っぽいメッシュの入った髪と濃い翠玉の瞳の颯士は、猫型を取った時にはまるで豹のような姿になる。
毛皮に豹柄が入っているのは長の血族というしるしで、颯士が次代の長候補の一人という意味だ。
尤も、十年前には既に成人していたはずなのに未だに伴侶を娶らず、いろんな雌とその場限りのつき合いをくり返す颯士は、あちこちにそのしるしを撒き散らしているはずで、今は見た目でそうと知れる者はいないようだが、隔世遺伝を含めれば、候補は今も増え続けているのかもしれなかった。

そうやって颯士が誰か一人に絞らず遊び呆けているからこそ、初芳が大人になるのを待ってくれているのだと勘違いしてしまっていたのだけれども。



- 半月の猫 - <はにわりのねこ> (2) - Fin

(1話)     Novel     (3話)


2012.10.29.update