- Jealousy In Love.(6) -



そっと、抜け出そうとした体に回された腕に力が籠められる。
こわごわ淳史の顔を窺うと、いつから起きていたのか、きつい双眸は優生を捕らえていた。
「まだ早いだろう?」
「……朝ごはん、作ろうかと思ったんだけど」
「無理しなくていい」
心配というより怒ったような淳史の表情に怯んでしまう。なんとか、もう元気になっていることをアピールしようと思った。
「もう大丈夫だから心配しないで。ずっとゆっくりさせてもらってたし、そろそろ動かないと」
大きな掌が、優生の視界を遮って額を確かめる。淳史の手の方が熱いくらいだ。
「それなら少しずつにしろよ? 急に動いたらぶり返すかもしれないからな」
「うん、ありがとう」
今度こそ腕から出ようとした体が引き止められる。“おはよう”の挨拶がまだだったことに気付いたのは、一頻り甘いキスを交わした後だった。

まともにキッチンに立つのは数日ぶりで、まずは何があるのかを確かめることから始めた。
元からたいして買い置きをしていなかったぶん、使えなくなっているものは殆どなかったが、食材も乏しかった。冷凍ものと乾物で簡単な朝食メニューを考える。
先に米を研いで仕掛けてから、出汁を取っている間に乾物を戻す。生野菜も果物もないと彩りに欠けてしまうが仕方なかった。どうあっても、今日は買い出しに行かないわけにはいかないようだ。
「まだ大分かかるんだろう? 先にコーヒーでも入れるか?」
朝食が出来上がるのを待ちかねたのか、淳史がキッチンに顔を覗かせた。
「あ、ごめんなさい、俺が」
コーヒーの用意をしかけた淳史と代わろうと思ったが、軽く遮られる。
「間ができたんなら座ってろ」
「……うん」
少し躊躇ったが、淳史に任せてカウンターに着くことにした。
「そろそろ買い出しに行かないと、お昼作れそうにないんだけど」
「出歩いても大丈夫そうか?」
「うん。少しは動かないとかえって体に悪そうだし」
「そうかもしれないな。飯食ったら出掛けるか?」
「うん」
珍しく円満に、何日ぶりかの外出をすることになった。






週が明けて3日目、里桜は今夜も保護者付きでやってきた。
義之が送ってきたからか、或いは淳史の都合なのか、二人がやってきたのは9時近かった。
「遅くなってごめんなさい」
ちょこんと頭を下げる仕草も女の子と見紛うほどで、おとなしくしていれば里桜は可愛い中学生のようだ。でも、その外見から受ける印象と中身が著しく異なっていることは嫌というほど思い知らされていた。
「すぐにかかる?」
聞いた優生が悪かったのかもしれないが、里桜は待ってましたと言わんばかりに洋菓子の袋を差し出した。
「プリン買ってもらったから先に食べようよ?」
「……食べながらにしようか?」
優生なりに譲歩したつもりだったのだが、途端に里桜は不満げな顔を見せた。
「えー勉強しながらなんてプリンが不味くなっちゃうよ」
何をしに来たんだ、と言いそうになるのを寸での所で堪えた。前回、迷惑をかけたことを思えば、そのくらいの譲歩はしなくてはいけないのかもしれない。
「じゃ、少しだけだよ? コーヒーでいい?」
やんわりと断りながらキッチンへ行こうとした所で、淳史に止められた。いつの間にか、コーヒーを淹れるのは淳史の担当になってしまったらしい。
「ゆいさん、甘いの苦手だって言ってたから、フローズンヨーグルトも買ってもらったよ?」
「ありがとう。でも、そんな気を遣わないで? 俺、甘いものに限らずあまり食べないんだ」
「だから、ゆいさん、そんなに細いんだ」
「あまり胃が丈夫じゃなくて。気にしないで食べてて」
「じゃ、いただきます」
両手を合わせて頭を下げる里桜は、真剣にプリンに向き合っているようで微笑ましい。
淳史が淹れたコーヒーを受け取って、テーブルに並べる。大人二人も里桜につき合う気はないらしかった。
「3人とも甘党じゃないなんてつまんないな」
「酒を飲むようになったら、いくらでもつき合ってやるぞ」
「俺、チューハイしか飲めないもん。それにすぐ酔っちゃうし。ゆいさんもお酒は飲むの?」
「飲めないってことはないけど」
祖父が亡くなって以来、飲む機会は殆どなくなってしまっていた。特にアルコールが好きというほどでもない優生は、おそらくこれからも付き合い以外で飲みたいと思うことはないような気がする。
「じゃ、俺も大人になるまでに飲めるようになってないと困るよね」
「大人になってからでいいんだよ、里桜はまだアルコールは禁止」
すかさず義之が牽制した。どうやら里桜の保護者は甘いだけではないらしい。
「なんか、俺だけのけ者みたいな気がするんだけど」
「そんなことないよ、俺も未成年だし飲まないよ?」
思わず里桜の味方をするような言い方をしてしまったのは、その言葉に共感するものがあったからだ。
「ありがとう、やっぱ年が近いといいよね。若いもの同士仲良くしてね」
先日、誕生日を迎えたばかりの淳史は年齢に敏感になっているのか、あからさまに眉を顰めた。
「今、聞き捨てならないことを言わなかったか?」
「一回り以上違うんだもん、仕方ないでしょ。悔しかったらあっくんもケーキ食べれるように努力すれば?」
「おまえも一人前に扱って欲しいんなら、いい加減その子供っぽい喋り方を何とかしろ」
「俺は可愛いからいいの。言葉遣いが悪いと義くんがヤな顔するし」
いくら事実とはいえ、自ら可愛いと言う男子高校生を初めて目の当たりにして驚いた。可愛いと言われたら普通は怒るような気がしたが。
放っておくと延々と続きそうな小競り合いに、義之が水を差す。
「里桜、寝てしまうといけないから、先に歯磨きしておいで」
「はーい。あっくん、洗面所借りるねー」
迷わず洗面所に向かう背中を見ていると、このまま泊まってしまう気なのではないかとさえ思えた。
その間にコーヒーカップを片付けて、テーブルをソファから少し離しておいた。なるべく、大人たちの干渉を受けたくない。
戻った里桜は、テーブルの上に置かれた英語のテキストに露骨に嫌そうな顔を見せた。本当に、何をしに来ているつもりなのか理解不能だ。
里桜と向かい合ってラグに腰を下ろすと、まず挨拶だけはしておこうと思った。
「……この間はごめん。もうあんなことないようにするから、里桜もケジメは付けて欲しいんだけど」
保護者たちに聞かせたくないから小さく言ったつもりだったのに、里桜には通じなかったようだ。むしろ、藪をつついて蛇を出す、とはこういうことなのだと実感することになりそうだった。
「ううん、俺の方こそ、いきなりいっぱい聞いてごめんなさい。あれって、見学に行っても良かったの?」
“あれ”と“見学”の組み合わせに、優生は瞬時にフリーズしてしまった。
「義くんが、実践して見せてくれる気かな、って言ってたんだけど」
「そ、そんなわけ、ないだろ……聞こえてたんなら止めてくれたら良かったのに」
もし、踏み込まれたりしていたら、優生の繊細な神経が切れて気を失ってしまっていたかもしれない。
「やっぱ、あっくんにムリヤリ襲われてたの? 俺、AVも見たことないのに、刺激強過ぎだよ。義くんがヘンな気分になったら困るから、さっさと帰ったけど」
「だから、そういうのは俺じゃなくて淳史さんに言って?」
その場しのぎの一言が、ますます優生をいたたまれなくさせることに気付かなかった。
「無理に襲うわけないだろうが。優生は最初は必ず嫌だと言うんだ」
「なっ……淳史さんまで、何言ってるの」
声を荒げる優生に、淳史は涼しげな顔を向ける。
「おまえが俺に答えろって言ったんだろうが」
「違うから、そうじゃなくて、そういう話しないでって……」
「いつそんなことを言ったんだ? おまえに振るなとしか聞いてないぞ」
泣きそうになる優生を助けてくれたのは、ずっと静観を決め込んでいた義之だった。
「里桜、あまり下品なことばかり言ってると出入り禁止になっても知らないよ? それに、早くしないと今度は睡魔に負けてしまうんじゃないのかな?」
「はーい。じゃ、ゆいさん、今度二人だけの時に教えてね」
おそらく、二人きりになどなることはないだろうと思い、曖昧に頷いて急場を逃れることにした。
やっと平穏になったと思ったが、今度は大人たちが物騒な話を始めてしまった。
「僕が口出しすることじゃないんだろうけど、いつまで閉じ込めておくつもりなんだ?」
「そうだな、このままというわけにはいかないんだろうな」
「家の中に置いておけば安全だとは限らないよ? ここに来られる相手が全て無害だとは思えないしね」
「それはわかっているんだが」
結果論から言えば、優生が外で被害に遭ったことはなかった。黒田の所には優生が自分から行ったのだから、むしろ家の中の方が危険度が高いといえるかもしれない。
「……引っ越すか」
短絡的な思考に突っ込む間もなく、義之が同意する。
「どうせなら一緒の所に越さないかな? 知り合いが近くにいた方が安心だし」
「え、義くん、引っ越すの?」
「前々から考えていたんだよ。里桜が気にしていないようだったから言わずにいたけど、いわくつきの場所だからね」
表情を無くしてゆく里桜は、急に借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。里桜の傍へ移って来た義之に引きよせられるまま、身を任せて胸元へと顔を伏せる。
「この近くにマンションが建っただろう? ファミリー向きだからゆったりしてるし、セキュリティもしっかりしててペットも飼えるんだよ。どうかな?」
「あそこは分譲だろう? 何かあっても気軽に引っ越せなくなるんじゃないのか?」
「一戸建てほどじゃないよ。自治会のような面倒な役もないらしいしね」
「よく調べてるな」
「真剣に考えてたからね。淳史も本気で考えてくれないかな?」
「そうだな、いつまでも閉じ込めておくわけにはいかないしな」
淳史の言葉に、拍子抜けしている自分に驚いた。もしかしたら、優生は不自由だと感じていなかったような気がする。
義之の膝に乗ったままの里桜に声を掛ける。
「里桜? 引越しの話は任せておいて、少しでも勉強にかかろうか?」
「うん」
里桜は意外なほど素直に答えて、義之の膝から滑り降りた。
「じゃ、お互いジャマしないってことで?」
更にテーブルを奥へやって、保護者たちから距離を取る。不満げな顔の淳史を軽く無視して、優生は英語の教科書をめくった。
今度こそ勉強にかかろうと思ったとき、里桜が声を潜めて優生を見た。
「ごめんなさい、俺があっくんにベタベタすると気分悪いよね。わかってないわけじゃなかったんだけど……時々確かめないと不安になるんだ」
そんな風に真面目な顔をした里桜を見るのは初めてかもしれない。視線だけで理由を尋ねる優生に、里桜はためらいがちに話し始めた。
「俺、あっくんみたいな体格の人が苦手で……あっくんにくっついて大丈夫だって確認しないと安心できなくて」
「大丈夫って……」
突っ込んで聞いていいのかどうかを躊躇う。知ってしまうと妬くことさえ出来なくなってしまいそうな気がした。
「……俺、あっくんみたいな体格のいい奴に襲われたことがあって……後遺症っていうのかな、精神的に参っちゃって、義くん以外の男の人に触られるのダメになってて。それで、あっくんにリハビリに協力してもらって治ったんだけど、時々思い出しそうになることがあって……そしたら、あっくんに触らないと落ち着かなくて」
「……ごめん、したくない話をさせて」
「ううん、いつまでもあっくんに甘えてちゃダメだってわかってるし、もう少し待って?」
里桜の顔を見ているとそれが切実な事実だとわかる。少なくとも優生が心配するような意味ではなかったのだと思った。
「なんか、ホッとしたら眠くなってきた」
口元を覆う掌から洩れる欠伸が途切れるのとほぼ同時に、里桜の頭がテーブルに落ちた。
「里桜?」
まさか、と思いながら肩を揺すってみたが、反応は鈍い。疲れていたのかもしれないが、こんな瞬間的に眠りに落ちてしまう人間は見たことがなかった。里桜にはいろいろと驚かされてばかりだ。
結局、今日も里桜は勉強を始める前に、睡魔に負けて寝てしまった。この少し頭の弱い仔猫を勉強する気にさせるのはかなり困難そうだ。
気持ち良さそうに寝息を立てる里桜を、苦笑まじりに背負って帰る義之を見送ってから、今更な言葉で淳史の表情を窺う。
「泊まるように言ってあげれば良かったのに?」
「明日も仕事だからな。あいつは朝も弱そうだし、出勤前にイライラしたくないからな」
「冷たいんじゃない?」
「ペースを乱されるのは我慢できないからな」
そういえば、出逢った頃の淳史はよくそういうようなことを言っていたと思い出した。
他人が踏み込んでくるのを嫌い、テリトリーの中には誰も入れないと言って憚らなかった。ずいぶんと甘やかされているうちに、淳史の本来の性質がどうだったかなどすっかり忘れてしまっていたようだ。
優生がその中にいる意味に、もう少し自惚れてもいいのかもしれないと、窮屈なほどに抱きしめてくれる腕の中で思った。



- Jealousy In Love.(6) - Fin

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萌えどころがなかったせいか、書くのにめっちゃ時間がかかってしまいました……。
今回短かったぶん、次は長いです。やっと、義貴が出てきますvv
とことん趣味に走ってるというか、自分ばっかり楽しんでごめんなさい。