- Jealousy In Love.(5) -



「大丈夫か?」
口をきかない優生を、淳史は心配げに覗き込んできた。頬に伸びてくる手に上向かされて、目を逸らすのを躊躇う。
「ちょっと……疲れたかも」
「無理をさせたからな、もう少し薬をもらっておくか?」
「いや」
あの不遜な医師のことなど、思い出したくもなかった。もう一度診察を受けるくらいなら体が辛いままの方がよっぽどマシだ。
「優生?」
「大丈夫だから誰も呼ばないで」
優生の言いたかったことは、正しく伝わらなかったらしい。
「里桜とは合わないか?」
「そっちじゃなくて……断っていいの?」
「じゃ、義之か?」
「そのお父さんの方」
「ああ、医者の話か。診察が嫌なら処方箋だけ書いてもらえばいいだろうが。でも、具合が悪いんなら診てもらわないとな?」
「ううん、大丈夫だから診察は嫌だ」
「……おまえ、医者になんかされたことでもあるのか?」
「ううん。お医者さんじゃなくて、あの人が嫌」
「初対面じゃなかったのか?」
訝しげな淳史に、どう説明したらいいのかわからなかった。
強いて言うなら本能的な問題で、生理的に逃げ出したくなるというか、嫌な予感がするというか、ともかく係わり合わないようにしなければという強迫観念のようなものだしか言いようがないのだった。
「……第一印象が悪かったのかな、俺は二度と会いたくない」
「そうは言っても俺は世話になってるからな……まあ、おまえには関係ないことかもしれないが」
「お仕事?」
「それもあるが」
旧友の俊明の父親で、時間外に往診に来てくれるということは、個人的なつき合いがあるということなのだろう。
「もし会うことがあったら気を付けるけど、もう俺のためには呼ばないで?」
「おまえにそこまで嫌う相手がいるとは驚きだな」
「そうかな」
確かに、人に対してあまり強い感情を抱かないようにしてきた優生には珍しいことだったかもしれない。
ただ、自分でも理解しきれない感情を尋ねられたら面倒だと思い敢えて言い直さなかったが、嫌いというのとも少し違うような気がする。

「優生」
呼ばれるのと同時に、強い力で手を引き寄せられた。掌を開かせるように絡んだ指が、人差し指を押し上げる。
「切れてるぞ」
見ると、第二関節から甲にかけてところどころ皮がめくれて、滲んだ血が乾いてこびりついたようになっていた。
「あ、うん」
声を殺そうとして噛んだ時の傷だとわかっている優生は驚きもしなかったが、淳史には自分のせいだということは理解できないらしい。
「暢気な顔をして……痛まないのか?」
「うん。一応、洗ってくるね」
立ち上がろうとした体が抱き止められて、掴まれた手を淳史の口元へ持っていかれる。
「やっ……」
傷口を舐めた舌の感覚がひどくいやらしい気がして、思わず声を上げてしまった。
優生の声など気にも止めてくれず、淳史は指を唇に挟んだままで何度も傷に舌先を這わせた。
「や……いや」
縛られたように身動きできなくなる優生の意識が遠くなりかけた頃、漸く淳史は唇を離してくれた。
「指を舐めただけで感じるのか?」
意地悪というよりは、驚いたような言い方だった。
「だって……」
「そういや、M体質なんだったな」
「なっ……何で? そんなことない」
「自覚はないのか」
優生の否定を軽く却下して、淳史は勝手に納得してしまったようだった。少し意地悪げな笑い方が気に障る。
「そういう要求に応えられる自信はないが」
「そんな欲求ないから」
「おまえに合わせるのは大変だな」
「だから、そんなの求めてないから!」
「しなくていいのか?」
一瞬、何を尋ねられたのかわからなかった。
「え……なっ、何言ってるの、さっき、したばっかでしょ」
真っ赤になって否定する優生に、淳史が苦笑する。
足りないと言って以来、淳史の心配は過剰になってしまったと思う。確かに、他の男と絡む度にサカっていたと言われたら、確かめずにはいられないのかもしれなかったが。
「それなら、次は腹を満足させないといけないな」
この所ずっと、優生の体調を気遣ってくれていたために家事は免除されていたが、そろそろ復帰しないといけない頃だった。
「ごめんなさい、最近サボってばっかりで」
「体調が戻ってからでいい。外に出るか?」
暫く家に籠りっきりだったせいか、出掛けるのはひどく億劫に思えた。それに、まだ空腹感もあまり感じない。
「ごめんなさい、俺は欲しくないから淳史さんだけで行ってきて?」
「食えないんなら病院だな」
にべもなく言い切られて慌てた。
「大げさだよ、俺は元々あんまり食欲旺盛な方じゃないんだ」
「だからすぐに体調を崩すんだ。病院で食欲の出る薬でも出してもらえ」
有無を言わさない口調に、大きく息を吐いて体を起こした。
「……何か作るから買い出しに行っていい?」
「優生?」
「どっちみち外に出るんなら、買い出ししてご飯作ればいいんでしょ」
「そんな無理しなくていい」
「じゃ、食べろとか病院行くとか言わないで? その方がよっぽどムリしないといけないから」
「おまえ、本当に元からそんなに食わなかったのか? じいさんに何も言われなかったのか?」
「小さい頃はムリに食べさせられて、よく戻したり胃を壊したりしたよ。そのうち、おじいさんの方が根負けしてあまり言われなくなったけど、精神的な後遺症なのかな、食べろって言われると余計にダメみたい」
ショックを受けたような顔をしている淳史に、少し言い過ぎたかと思ったが、嘘ではなかった。
「……わかった、じゃ薬をもらってくるからおまえは休んでろ」
「本当に大丈夫だから気にしないで」
「だめだ。連れて行かれるのが嫌ならおとなしく寝てろ」
そっと腕を外されて、ソファへと押さえ込まれる。
優生の傍を離れた淳史は、わざわざ寝室から毛布を持ってきてくれた。どうやら、寝室ではなくソファで待っていろということらしい。
顔にかかった髪を大きな手が払って、そのまま頬を包む。瞼を閉じるのを待っていたように唇が触れた。
「ゆっくりしてればいいからな?」
念を押すように囁かれて、優生は見送りに出ることもせず淳史が掛けてくれた毛布にくるまった。




頬を撫でる手の優しさに意識が引き寄せられた。部屋が薄暗いのは夕方近くなっているのだろうか。
「……おかえり」
優生の顔に触れたままの手に、そっと指を伸ばす。近付く顔が短く唇を啄んだ。
「ただいま」
「俺、寝過ぎた?」
「いや、疲れてたんだろう。無理に起きなくていいからな?」
「うん」
ゆっくりと体の向きを変えて、体を起こしてみる。もう頭痛も熱っぽさも感じなかった。
「ごはん、食べたの?」
「ああ、おまえは? 何か食べられそうか?」
「そんな気はするけど」
「気分の問題なのか?」
不思議そうに見つめられて、優生は変わっているのは自分の方だったことを思い出した。
「なんか、食べれそうにないと思うと受け付けなくなるみたいなんだ」
「それなら、いつも食べれると暗示でもかけておかないとな」
それが効いたのかどうかはわからないが、淳史に見守られながらの食事は無事に完食することができた。
片付けもさせてもらえないまま、優生はまたソファに深く身を預けるように凭れかけさせられた。このところの優生は一日の大半をソファかベッドのどちらかで過ごしているような気がする。
「眠かったら寝てろよ? 薬に眠くなる成分が入ってるようだからな」
「うん」
さっき飲んだばかりの薬はまだ効き始めていなかった。それに、何もせずに寝てばかりいる優生の体が睡眠を要求しているとは思えない。それでも、これ以上淳史の手を煩わせるのは躊躇われて、ソファでおとなしくしていることにした。
ぼんやりと毛布にくるまったまま、淳史の方を窺う。少し離れたパソコンの前に座った淳史は、何やら難しい顔をしてブラウザを睨んでいた。尋ねるまでもなく、仕事のことなのだろう。
ジャマにならないように、優生は音を消してメールを打つことにした。まだ、軟禁状態になっていることを勇士に知らせていなかった。
『当分会えそうにないかも』
簡潔な一言に、勇士から返信があったのは10分ほど経ってからだった。
『工藤さんに止められてるのか? バイト中だから続きは9時以降な』
時計を見ると、あと半時間以上あった。とりあえず、その返信だけして待つことにした。
『一時的なものだと思うけど、一人では外出禁止だって。学校にも行ってないよ』
こういうのは告げ口になるのだろうか。辟易するほど優生とのことを聞かれたらしい淳史は、おそらく勇士に対して好意的な感情は持っていないはずだった。

ぼんやりと思考を巡らせているうちに、時間が経っていたらしい。
音もバイブも止めた携帯のサブディスプレイが光ったことに気付いて目をやると、勇士のアドレスが表示されていた。
『また何かやらかしたのか?』
『約束破ったかも』
『まさか、俺のことじゃないよな?』
『勇士のことじゃなくて、なんか、俺は人間として情緒に欠陥があるみたいで』
『意味不明なことを言うな。喜怒哀楽が乏しいってことか?』
『モラルがないっていうか、節操が無いっていうか』
『浮気でもしたのか?』
強い動揺に思わず手が止まった。軽く返せばいいのに、上手く言葉が見つけられず、何度も打ち直す。
『すると思われてるかも。気が済むまで籠ってることにした』
何とか返信して携帯を閉じた手元に、大きな影が落ちた。
「優生?」
メールを打つのに集中していたせいで、すぐ傍に来られるまで淳史の存在に気が付かなかった。
「あ、うん?」
ディスプレイを開いたままで淳史を見上げる。
「ずいぶん熱心だな」
「ううん、勇士に暫く会えないって話してただけだよ」
「理由を聞かれただろう?」
迷ったが、無難な言葉で濁しておくことにした。
「外出禁止だからって打ったけど」
受信を知らせるライトが点いたことに、先に気付いたのは淳史だった。
「返事、きたんじゃないのか?」
「うん」
まるでこちらの気配を察したように、勇士の返信は“了解”の一言だった。ひとまず、メールを中断しても問題はなさそうだった。
「俺がいなくても守れるんだろうな?」
淳史には言っていないが、以前にも勇士の家に行ってはいけないという約束を破ってしまったことがある。それも一度や二度ではなかった。そう考えると、確かに優生のモラルは著しく欠けていたのかもしれない。
「淳史さんと一緒の時以外、一歩も外に出てないでしょ?」
「本当に信じていいんだな?」
念を押す淳史の疑り深さにちょっと困ってしまう。そんな風にさせてしまったのは優生のせいだとわかっていても。
「信じるも何も、出られないでしょ? 俺、縛られるのもヘンなプレイされるのも嫌だから」
「縛るはともかく、変なプレイって何だ?」
「ベッドに縛り付けられたらトイレにも行けないでしょ」
「そんな心配しなくても、俺にはそんな知識も技術もないぞ」
「……じゃ、しない?」
「しないと言ったら安心して抜け出すつもりか?」
「そんなことないけど……脅迫だよ、淳史さんがやってるのは」
「おまえを他の男に取られたくないからな」
「誰も取らないよ、淳史さんは俺を過大評価し過ぎてる」
「おまえの危機意識が薄過ぎるんだ」
それは、簡単に他の男に許してしまうということだろうか。
「ごめんなさい、もうそんなことはないから」
「最初の男にはなれないんだからな、最後の男でいさせろよ?」
「……“さら”が良かったの?」
「そういうわけじゃないが……俺以上におまえのことを知っている奴がいるというのはいい気がしないからな」
そういうのも独占欲なのだろうか。そう思うと、言葉は自然と出てきた。
「ごめんなさい」
「悪いと思ったら、もう誰にも触らせるな。見せるのも駄目だ」
だから、他の男の気配の残る優生を必ず抱いたのかもしれない。
「……俺だけなの?」
思わず尋ねてしまった言葉に、驚いたように見つめられて、失言だったことに気が付いた。
「ごめんなさい、今の聞かなかったことにして」
「そうだな、今更そんなことを言われるとは思ってなかったな」
優生を抱きよせようと伸ばされた腕に体が震えた。厚かましいことを言ってしまった自覚が体を熱くさせる。
「おまえが他の男に会いに行ったり浮気したりしていた間も、俺はおまえ以外の誰にも触れたことさえないんだからな」
冷たいほどに嫌味な言葉に胸が痛くなる。短い期間に淳史を裏切るような行為を何度もしてしまったことを責められたのだと思った。
すっかり腕に抱き取られた体を強く抱きしめられて、優生は自分の思い違いを知らされた。
「言われるまでもなく、俺はおまえのものだろうが」
「……ウソ」
あまりにも突拍子もない言葉は、俄かには信じられなかった。
「嘘じゃない、俺の方がよっぽど一途だと思うぞ」
一途という言葉がこれほど似合わない人物もいないのではないかと思ってしまったが、結果的にその言葉は真実だった。
「ごめんなさい、そうだよね」
「だから、おまえも勝手に他の男に触らせるな」
「うん」
それでも、まだ優生は素直に信じ切ってしまうことは出来ずにいた。優生は誰かの所有物になったことしかなく、逆は初めてだったからだ。
慣れない言葉はいっそ不安で、それを隠すように淳史の背をギュッと抱きしめた。



- Jealousy In Love.(5) - Fin

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すみません、ムダに長引いております。
義之も里桜も出ていないというのに困ったものです……。
個人的な萌えv(傷口舐めるのとかね)を満喫し過ぎてしまいました。
あと2回くらいで終われるかな、と思っているのですが、
簡潔にまとめるのが苦手なので些か不安です。