- Jealousy In Love.(3) -



「疲れた……」
家へ帰るなり、二人してソファに崩れるように座り込んだ。思わず優生が洩らした言葉に、淳史はすぐに反論してくる。
「それはこっちの台詞だろうが。人一人くれって言うのが、こんなに大変で気を遣うことだとは思ってなかったぞ」
先延ばしになっていた優生の実家に行く話がやっと現実となり、昼食をとりながら挨拶を交わすという計画が一応滞りなく完了した。おかげで病み上がりの優生は疲労困憊してしまった気がする。
「淳史さんがどうしても会いたいって言ったんでしょ。俺だって好きで行ったわけじゃないんだからね」
優生と、両親や弟との複雑な関係を知っているはずの淳史は、今更のように同情的な顔を向けた。
「そうは言ってもケジメだからな。籍を抜いてもらうのに挨拶も無しというわけにはいかないだろうが」
「それは、そうだけど……も、二度と嫌だ」
「二度目はないぞ、離してやる気はないからな」
「……うん」
素直に嬉しいと思う自分に驚きながら、そっと淳史の肩へ頭を凭れ掛けさせる。抱き寄せられるまま、胸元へ身を預けた。
「その前に、まだ俺の親に会ってないのはわかってるよな?」
気を抜くと嫌な顔をしてしまいそうだった。本音を言えば、会わずに済ませられるものならそうしたい。
「……やっぱ、会わなきゃダメ?」
「そりゃ、挨拶くらいは行かないといけないだろうが。親同士で会うのをやめただけでも有難いと思えよ?」
本来なら親同士の挨拶もするべきだろうと言われていたが、双方の予定が合わずに先延ばしにされることになっていた。密かに、そのままうやむやになって欲しいと思っている。
「今度は俺が挨拶するんだよね……?」
優生の両親とは殆ど淳史が話し合ってくれたが、単なる養子縁組として紹介されるのではないのなら、優生が挨拶しないわけにはいかないのだろう。考えただけで憂鬱な気分になった。
「まだ未成年だからな、おまえはそう畏まらなくてもいいだろう。普通に顔見せしてくれるだけでいいと思ってるんだが」
もしも優生が女の子で、一般的な結婚をするというのならそれでもいいかもしれない。でも、優生とでは婚姻届を出すことも出来ず、子供を望むことも出来ないのに、認めてくれるとは到底思えなかった。優生の両親のように負い目でもあるのならともかく、大事な息子のパートナーとして歓迎することはできないだろう。
ふと、大切なことを忘れていたことを思い出す。
「そういえば、淳史さんって兄弟とかいるの?お母さんが再婚したとか言ってたけど、お父さんは?」
ずっと尋ねるのは憚られていたことを、思い切って聞いてみた。
「弟がいたんだが、事故で父親と一緒に亡くなってるんだ。母親の再婚相手との間にもいないな。そもそも一緒に住んだこともないし、親しくしてるわけでもないから、これからもつき合う必要はないと思うが」
「ふうん」
優生とは少し違うが、肉親との情が薄いというところは似ているかもしれない。
「ふつうの親なら反対するよね……?」
「歓迎はできなくても反対はしないと言ってたからな、そう心配することはないだろう」
確か、母親が再婚する時に反対しなかったから、淳史のことも黙認するように話してあると言っていた。歓迎できないということは、祝福されるはずもない。
「もし俺が女の子でも賛成してくれないかもしれないんだよね、年も離れてるし」
「まあ、おまえが俺の親ほどの年なら考え直せと言うかもしれないが、逆だから心配ないだろう。とりあえず、初対面の時くらいは優等生にしててくれ」
「わかった」
優等生を装うのは苦手ではない。騙すと思えば気も引けるが、処世術だと割り切ればいいのだろう。それで淳史と一緒にいられるのなら、罪悪感など爪の先ほども感じない。
「コーヒー淹れてくるね」
「そうだな」
あと少し、と自分を励ましながら立ち上がる。コーヒーを用意したら、少し淳史に寄りかかりたいと思った。


淡いチャコールグレーのマグカップを持ってリビングに戻る。淳史の前に置いて、隣に腰掛けた。
本当はすぐにも肩を貸してもらいたかったが、淳史が一服するのを待つ。その思いを察したかのように肩を引き寄せられて、淳史の胸元へ顔を伏せた。
安心すると張り詰めていた気が緩んでゆく。それと同時に睡魔が襲ってきた。疲れと心地良さで瞼が塞がってくる。
淳史が黙ったままなのを了解と取って眠気に身を任せることにした。
「優生?」
淳史の胸に凭れたままで微睡みかけた意識が呼び戻される。頬を包む手は、そのまま眠りに落ちてしまうことを許してくれなかった。
「……ん」
かろうじて答える唇を覆われる。すぐに中へ入ってくる舌に少し強引に探られても、夢見心地を妨げられることはなかった。
「寝るな」
低い声は聞こえているのに、脳には届かなかった。命令口調だということさえ、その心地の良さに聞き逃してしまいそうになる。
「あっ……」
肩を掴む強い手が、優生の体をソファへと押し倒した。重い瞼を上げると、思いのほか強い眼差しと合う。
「寝るのは後にしろ」
「いや……眠い」
「だめだ、起きてろ」
その強い口調のせいで、体を求められていることにすぐには気が付かなかった。
シャツの中に入ってきた手が肌に触れて、露にしようとする。眠気で体温の上がってきていた体を庇うように身を丸くしようとしたが、淳史にジャマをされてままならなかった。
「あっ、や」
捩る体を掌と唇に辿られて震えた。眠りかけていた体が覚醒し始める。
「また足りなくなったら困るからな」
それが、優生がすぐにサカリのついた雌猫のようになってしまうと言われているのだとは気付かずに、ただ、求められるままに肌を揺らして応える。
「優生」
ぼんやりと目を上げると瞳の奥まで覗き込むような視線に射抜かれて逸らせなくなってしまう。
「俺の、だよな?」
いつになく淳史の声が弱気に響いた気がして、その言葉を強めに肯定する。
「淳史さんのものになりたいって言ったでしょ」
優生の両親に淳史を会わせた時の、困惑と否定的な空気に思わず優生は“俺、この人のものになりたいんです”と言ってしまっていた。泣き出しそうな母親と言葉を失くした父親から、もう反対の言葉は出てこなかった。
「その場を納めるためじゃなく、ちゃんと本気で言ったか?」
「それは、お互いさまでしょ」
思い出すと顔から火が吹きそうで何とか言い逃れしたかったのに、淳史は真剣な顔で追求してくる。
「俺はおまえの親に引かれない程度に控えめに言ったんだ。そんな生易しい思い入れだと思うなよ? 俺と一緒じゃなけりゃ外にも出さないし誰にも会わせないと言っただろう? もう自由にしてやる余裕もないくらいおまえに惚れてる。だからおまえも諦めて俺のことだけ思って待ってろ」
「……うん」
過剰な束縛をすると言われたにも係わらず、寧ろ喜んで頷いてしまっていた。
淳史のことだけを想って待っているのは、もしかしたら究極の幸せなのかもしれない。






やっと体調が戻ってきた頃、淳史の友人とその恋人が訪れた。
一目見ただけで、あの端正で不穏な医師の息子だとわかる風貌の義之(よしゆき)と、その恋人だという、女の子と見紛うばかりに可愛い里桜(りおう)と過ごした一時は、楽しかったというよりはひどく疲れてしまった。特に、義之は苦手なタイプのような気がする。義貴ほどではないが、見た目ほど優しくも穏やかでもなさそうだと直感的に感じた。
そして、ずいぶん淳史と親しげな里桜の態度は優生を不安にさせていた。義之や優生の前でも、平然と淳史の首に抱きついたりする所は見ていて気持ちの良いものではなく、何度顔が引きつりそうになったかしれない。その行為に深い意味がないからこそできることなのかもしれなかったが、少なくとも、優生はあんな風に馴れ馴れしく淳史に接することは一生ないだろうと思うと、余計に穏やかではいられなかった。
淳史の方も、言葉遣いこそきつかったが、里桜に対してやけに甘いように感じた。それは決して優生が卑屈になってしまっているからではなく、嘗て淳史が言っていた、子供には興味がないというような言葉を全て覆してしまいそうなくらいに里桜が幼くて可愛らしかったからだ。
良くも悪くも、里桜からセクシャルなものは感じられなかったが、だからといって安心することはできなかった。
突然の来訪は、ずいぶん頭が弱いらしい里桜の家庭教師を優生に依頼するのが目的だったらしいが、淳史の思惑にも適っていたらしかった。優生の外出を禁止したぶん、里桜と接触することで多少なりとも退屈しのぎになると思ったらしい。それが波乱を起こす要因にならないことを祈りながら、優生は二人を見送った。


やっと嵐が去ったことに、優生は無意識にホッと大きな息を吐いていた。
「悪かった、急なことで驚かしたな」
「ううん、ちょっと緊張したみたいで……続けて知らない人に会ったからかな」
尤もらしい言い訳を、無難な言葉を選んで口にする。
本当は、里桜が懐っこく淳史にまとわりつくのも、満更でもなさそうな表情で淳史が構うのも見ていたくなかった。この数日間で、やっと淳史と親密になれたような気がしていただけに、仲の良さそうな二人を目の当たりにして受けたダメージは大きい。
「なんて言うか、すごく懐っこい感じだよね」
なるべく嫌味に聞こえないように慎重なニュアンスで言ったが、無用の気遣いだったようだ。
「今でこそ懐いてくるようになったんだが、最初は凄かったんだぞ。特に俺みたいなゴツイのがダメだったらしくてな。わざわざ時間を作って会いに行ってやってるってのに、すぐに義之の影に隠れるし、目が合っただけでビクつかれるし、まともに話もできなかったんだ。気は悪いし慣れさせてやらなけりゃならないしでずいぶん骨が折れたな」
「ふうん」
どんな事情があったのかは知らないが、淳史は随分と世話を焼いていたのだろう。優生も面倒を見てもらったことがあるだけに、その甲斐甲斐しいまでの優しさを想像するのは難しくなかった。淳史は意外と面倒見が良いタイプだったのだと、割り切るしかないのだろう。優生だけが特別ではなかったのだと知ってしまった今となっては。
「面倒見れそうか?」
「引き受けた以上、見ないわけにはいかないでしょ。そんな無責任なことはしないから心配しないで」
「そう堅苦しく考えなくても、ムリだと思ったら断ってもいいぞ? 直接言いにくかったら俺に言えばいいからな」
「うん」
苦手意識はともかくとして、優生には持ち得ないその人懐こさには興味がある。それなりに優生が譲歩すれば、フレンドリーそうな里桜と仲良くなれるだろうと思った。






「気が散ってしまいそうなんで、場所変えていいですか?」
里桜を送ってきた義之と、興味津々といった表情の淳史を従えていては、とてもではないが勉強に集中させることなどできないと思った。
土曜だから仕事は休みなのだろうが(もしくは休みを勝ち取ったのだろうが)、父兄同伴での勉強会など聞いたことがない。
「初日くらいは見学したかったんだけどな」
義之の未練たらしい抗議に、里桜は素っ気ないほど冷たく返していた。
「参観日じゃないんだから、あっくんと一緒に出掛けてきたら? ゆいさん人見知りしそうだし、そんな囲まれたら、教えてもらうどころじゃなくなっちゃいそうだよ」
まさか、人見知りだと見抜かれているとは思っていなかったから驚いた。
「優生は人見知りじゃない、控えめなだけだ」
フォローとも抗議ともつかない淳史の言葉に、優生は首を振る。
「どっちでもいいから席外してくれない? それか、俺らが出た方がいいの?」
「それこそ保護者同伴になってしまうんじゃないのかな」
意味ありげな義之の言葉は、優生が軟禁状態だと知っているからなのだろうか。確かに、淳史が優生と里桜だけで外に出してくれるとは思えなかったが。
「しょうがないな、一時間くらい出てくるか?」
義之と相談し始めた淳史に、すかさず里桜が声を掛ける。
「俺、バウムクーヘンが食べたい」
「おまえ、何しに来たんだ?」
「大キライな勉強するんだもん、そのくらいのご褒美あるでしょ」
「いいよ、それで里桜がやる気になるんなら」
優生には身勝手な言い分のように思えたが、義之の対応は途轍もなく優しかった。まるで包み込むように穏やかに笑いかける姿は、恋人というより過保護な保護者のように見える。
淳史も似たようなことを感じたのか、呆れたような表情で二人を見ていた。
「甘やかし過ぎだ」
「甘やかしたのは淳史にも責任があるだろう?」
二人のやり取りを聞いていると、優生には貢ぎ甲斐がないと言われたことを思い出した。話から察するに、里桜は素直に喜んでいたのだろう。
「ゆいは?」
不意に名前を呼ばれて驚いた。そう言えば、初対面の時から義之は優生のことを呼び捨てにしていた。
「俺はいいです、甘いものは苦手なので」
「別に甘いものじゃなくてもいいぞ」
淳史の気遣いにも首を振る。
「ううん、俺はホントに何も」
だから、優生は可愛げが無いのだとわかっていても、特別な理由もなく何かをもらうのには抵抗があった。
「しょうがないな、適当に選んでくるか。ちゃんと勉強しておけよ?」
「は−い」
大げさなくらい良い子の返事を返す里桜を、淳史から引き離すように義之が腕に抱く。見ている方がテレてしまいそうなくらい激しい抱擁が始まった。
「優生」
他人事ではなかったらしく、呼ばれて何気なく顔を上げると淳史に唇を塞がれた。こちらは“いってきます”のキスらしい。大人なはずの二人の人目を憚らぬ行為に面食らってしまった。
まるで遠距離恋愛中の恋人同士のように派手に名残を惜しんだあと、余計なギャラリーは出掛けていった。

勉強に入るために里桜に声をかけようとして、少し悩んでしまう。
「えっと、何て呼んだらいいかな?」
「里桜で構わないけど……俺、年下だし呼び捨てで」
「わかった。じゃ、里桜? そろそろ本題に入ろうか? 早く始めないと追い出した意味が無くなってしまいそうだし」
心配性な二人の保護者は、予定の時間より早く帰ってきそうな気がする。
「え、もう今日から勉強するの?」
「勉強するから、邪魔な二人に出て行って貰ったんだろう?」
「ううん。ゆいさん、義くんのこと苦手そうだし、ギャラリーが居たら緊張するのかなと思ったから」
「……ごめん、気を遣わせたんだ?」
「ううん。俺も他人と接するのが嫌になったことあるから、慣れるまでしんどいのわかるし」
優生が思っていたほど、里桜は幼くなかったようだ。可愛いだけの愛玩動物のような印象を持っていたことを申し訳なく思った。



- Jealousy In Love.(3) - Fin

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里桜とのエピソードはブログ用のSSに書いたものだったのですが、
いろいろ差し支えるので(次回分ですが)、本編に入れることになりました。
次回、また品が悪くなりそうです、ごめんなさい(先に謝っておきます)。