- Jealousy In Love.(1) -



ひやりとした手が額に当てられる。
そっと開けようとした瞼は思いのほか重く、睫毛を震わせただけで諦めてしまう。
「目が覚めたのか?」
心配げな声に、小さく頷く。どうやら、声を出すのも簡単ではなさそうだった。
とりあえず起こそうとした体を、少しきつい口調で止められる。
「熱が出てるから起きなくていい。知り合いの医者に来てくれるように頼んであるから、もう少し我慢してくれ」
何が何だかさっぱりわからなかったが、とにかく自分の体調がひどく悪そうなことと、そのせいで淳史が心配してくれているらしいことはわかった。
「……ごめん、なさい、お仕事……」
言いかけた優生の口元がそっと遮られる。氷を触っていたらしい冷たい指がひどく気持ち良かった。
「遅れるか休むかすると言ってあるからな」
「だめ、だよ……また」
言葉を塞いだのは、今度は指ではなかった。
「もう、おまえの“だめ”は聞かないことにした」
声音も、髪を撫でる手もやさしくて、優生はそれ以上何も言えなくなってしまう。
だるい腕を上げて淳史の手に触れる。抱きしめるように体を寄せられると、それだけで涙腺が緩んでくるのは熱のせいばかりではなさそうだった。
「悪かった、無理をさせ過ぎたな」
低い声に籠る悔やむような響きに小さく首を振る。今の優生には、誰が悪いのか、誰が一番傷付いたのかわかっている。
「ごめん、なさい」
あと5分、そのままでいられたら簡単に和解できただろうと思うのに、甘い空気を壊すようにインターフォンが鳴った。
「往診に来てくれたんだと思うから、ちょっと待っててくれ」
何より効きそうな精神安定剤が優生の手から離れてゆく。泣きそうに目を上げたことに淳史は気付いてくれなかった。

ロビーまで迎えに出たのか、淳史はなかなか戻って来なかった。
枕元に置かれた、氷を包んだタオルにそっと頬を当てる。体中が熱いのに、寒気がするのは何故なのだろう。
寝乱れたパジャマを直す気力もなく、横になったままでぼんやりと待っているうちに、また眠気が襲ってきた。ずいぶん眠ったような気がするのに、体はやけに睡眠を要求しているようだった。
沈みかけた意識が、話し声とドアの開閉する音を拾う。そのまま落ちてしまいたいのに、ささやかな理性がそれを引きとめた。
「優生?」
淳史の声に、重い体を何とか起こそうと思った。
今は自分の体を支えることさえ困難な細い腕を、駆け寄ってきた淳史が背後から支える。ホッとして力の抜けた体を強く抱かれ、来客者の方へ向くよう促された。
「義貴先生っていう外科の先生だ、診療が始まるまでということで来てくれたから手短にな」
変わった名字なのか、名前で呼んでいるのかわからないが、義貴という医師が優生の傍に立つ。ずいぶん背が高いようだ。おざなりに羽織っただけの白衣が優生を落ち着かなくさせていることに自分でも気付かないまま、ゆっくりと顔を上げた。
義貴は身を屈めて、優生の顔を観察するようにじっと見つめている。
「顔色が悪いね。それに痩せ過ぎだよ。体調が悪いと気付いたのはいつ?」
柔らかなトーンで話す、ずいぶん綺麗な顔をした年配の紳士だった。外科というより小児科とか婦人科の方が似合いそうな風貌だ。
「痩せてるのは体質らしいんですが。熱が上がってきたのは明け方近かったと思います」
「熱は何度くらい?」
「一番高い時で8度5分、さっき計った時は8度ちょうどでしたが」
「水分は摂ってる?」
「今朝はまだ」
「じゃ、ちょっと診ておこうか。脱いで?」
ぼんやりと、淳史と義貴の会話を聞き流していた優生は、不意にパジャマに手をかけられて身を引いた。
「優生?」
驚いたのは淳史も同様だったらしく、逃れられなくさせるように抱き止められた。
「いや」
なぜ、見ず知らずの男にいきなり服を脱がされようとしているのか、咄嗟に理解できなかった。
「おとなしくしていてくれないと診れないよ?」
背中から淳史に羽交い絞めにされたような格好になり、抵抗を封じられて軽いパニックを起こす。自分へと伸びてくる、指の長い大きな手にギュッと目を瞑った。
なぜだかわからないが、ひどく嫌な感じがした。義貴の纏う紳士然とした態度とうらはらに、そこはかとなく危険な匂いが漂っているような気がして優生を落ち着かなくさせる。
「やっ……」
身に覚えのない指が触れた瞬間、体に震えが走った。淳史の胸元に身を押し付けたまま、また目元が潤んでくる。
「……なんて声を出すんだろうね」
驚いたのか呆れたのか、義貴が小さく息を吐く。
「医者にイタイことをされた経験でもあるのかな」
「すみません……優生、診察してもらうだけだ、ちょっとおとなしくできないか?」
「相手が医者ならいいの?」
もう誰にも触れさせるなと言ったくせに、この男なら構わないのだろうか。
「また思わせぶりなことを言うね」
大きな手が優生の頬に伸びてきた。両側から包むようにして顔を上げさせる少し骨ばった長い指が怖い。
一見優しげな双眸に覗き込まれると目を逸らせなくなってしまう。視線を外した途端に喉元へ噛み付かれそうな気がして、睨み合いは暫く続いた。
「口を開けて」
顎へ触れた手にハッとして顔を引く。淳史の背に阻まれて後退さることはできなかった。せめて、出来得る限り顔を背けようと努める。
「見た目に似合わない頑固な子だね」
呆れたような義貴の言い方に、淳史も困惑しているようだった。
「すみません、医者嫌いだとは知らなかったんですよ」
「押さえつけてでも診ておこうか?」
「いえ、興奮させると余計に熱が上がりそうな気がするんですが?」
「そうかもしれないね。一応、化膿止めと痛み止めを出して様子を見ようか?」
「お願いします」
ホッとした一瞬を、義貴は見逃してくれなかった。
「や、だっ……」
パジャマの上衣を捲り上げる手に肌が粟立つ。抗おうにも、淳史に縛められたままの腕を上げることは叶わない。
「胸の音くらいは聞いておかないと、往診に来た意味がないからね」
屈辱的だったが、それでも聴診器の無機質な感触の方が義貴の手よりよほどマシだった。
「はい、後ろ向いて」
淳史の胸に抱かれるような格好になり、優生はその背に腕を回してギュッとしがみついた。
「心配ないと思うけど、もし熱が上がったり、ひどくなるようだったら連絡して」
「はい、朝早くからご面倒をおかけしました」
帰り支度を始める義貴に、診察が終わったことを知ってホッとした。本来なら優生も挨拶をするべきだったのだろうが、そっとベッドへ戻されるのに任せて目を閉じた。
淳史が義貴を送って玄関を出る音を聞いて、少し休もうと思った。そうでなくても眠くて仕方がなかったが、どっと疲れが出てしまったようだ。また熱が上がってきたのか、少し朦朧としているような気がする。
熱い体を自ら抱いて丸くなる。毛布にくるまると、もう睡魔に逆らうのはやめた。


眠りかけたところで、またドアの開閉する音にジャマをされた。
「優生?寝たのか?」
答えるのは億劫で、小さく首を振る。
「氷、挟むか?」
もう一度首を振ったが、淳史は脇の下へと氷を当てようとする。
「いや、寒い」
いっそう身を縮める優生に、淳史は冷やすことは諦めたようだ。
「寝るのは薬を飲んでからにしないか?」
「うん」
答えたものの、起きるのを億劫がる優生の背に回された淳史の腕に抱き寄せられ、ベッドの縁へと座らせられる。
差し出された薬の包みを受けるように手のひらを開く。2錠とも素直に口に含むと、淳史は水の入ったグラスを唇まで持っていって傾けた。少し大きめの薬がなかなか喉を通らず、用意された水を空にしてしまう。
なんとか薬を飲み終えると、淳史の胸元へ凭れかかって目を閉じた。やはり、淳史に包まれていると安心する。
「少し寝た方がいいな」
「うん」
頷く優生の体がベッドへと倒されてゆく。背に回されていた腕が外されて、淳史の体が離れてゆくのを感じて、思わず袖を掴んでしまった。
「傍についてるから心配するな」
「いや」
引き止めるように、淳史の胸元に顔を押しつける。少し苦しい姿勢を気遣うように、淳史が背を抱き直す。
「添い寝がいるのか?」
可笑しげに笑われても、違うとは言えなかった。いつものように腕枕をしてくれるまで、しがみつく手を緩めることもできない。
やさしく髪を撫でられると、また眠気が襲ってきた。
今なら、眠っても大丈夫だろうか。
不安は拭い切れなかったが、瞼が塞がってくるのに任せて、意識を手放すことにした。



- Jealousy In Love.(1) - Fin

【 Love And Chain 】     Novel       【 Jealosy In Love.(2) 】


今回の悪役は義貴ですvv
といっても、最後の方に少し出てくるだけなんですが。