- Love And Chain -



・出掛ける時には行き先と帰宅時間、人に会うならその相手も知らせてから行くこと。
・遅くなりそうな時には連絡を取って了承を得ること。
・無断外出及び外泊をした場合は理由の如何に係わらず、それ以降の外出を禁止する。
そんな風に、コピー用紙に箇条書きにされていく項目に眩暈がした。
優生の立場の弱さにつけこんだ淳史に、まるで小学生のようなルールを作られたのは自分が悪いのだという自覚はあった。あったが、素直に聞き入れられるほど優生はまだ大人にはなっていない。
「淳史さん、俺をいくつだと思ってるの?」
「黙って出て行くような奴にそんなことを言う資格はないだろう?」
どうやら、まだ仲直りはできていないらしい。もしくは、淳史の気は済んでいないのだろう。
「でも、淳史さんが仕事に行ってる間に出掛ける時もあるでしょう」
「メールでも入れておけばいいだろう」
事も無げに淳史は言うが、いつもすぐに連絡がつくとは限らないのに、何とも不便なことだ。
「大学に行き始めたらそうもいかないと思うんだけど」
日によって時間も違うし、サークルに入れば付き合いも広がるはずだ。
「守れないんなら行くな」
「な……淳史さん、横暴過ぎるよ」
「何回も同じことを言わすな」
歩み寄ってくれる気になったのかと思ったのは気のせいだったらしい。とことん、淳史は自分の考えを貫く気らしかった。
「とりあえず飯食いに行くぞ」
「あ、うん」
黒田の所から戻ってからの話し合いはなかなか纏まらず、とっくに昼を回っていた。元からそう食欲旺盛なわけではない優生はともかく、淳史はさぞ空腹だろう。
「続きは帰ってからな」
「え、まだあるの?」
「まだも何もこれからだろうが。肝心なことは何も聞いてないんだからな」
その内容が何となく想像できるせいで、優生はますます憂鬱な気分になった。




「あ」
聞き覚えのある声に振り向いた。
「紫(ゆかり)さん」
数日前に教えられた呼び名を、優生は思わず口にした。
「おまえ、何でこいつの名前を知ってるんだ?」
訝しげな淳史に何と言おうか迷った優生の代わりに、紫が答える。
「この間、駅前で会ってお昼一緒したんだよ。ゆいちゃん、ボディーガードのお兄さんには会えたの?」
「ええ、まあ……」
何とも最悪な展開になってしまったことに、優生は思わず天を仰いだ。
「おまえが優生をあの男に会わせたのか?」
殺気立つ淳史に驚く紫を気の毒だと思ったが、追い討ちをかけた責任は取ってもらうべきかもしれない。
「会わせたわけじゃないよ、心当たりを尋ねられたからちょっと調べてあげたけど」
「余計なことをするな」
「随分待っていたみたいだったしね、困ってるのかなと思って」
「気安く声をかけるなと言わなかったか?」
「そこまで指図される筋合いじゃないだろう。工藤、この子とどういう関係?」
慌てたのは優生だけで、淳史はいたって平然と答えてしまう。
「お嬢の件で俺は既婚だと聞かなかったか?」
「……え、ゆいちゃん、男の子だって言ってなかった?」
紫の視線に、優生は曖昧に肩を竦めてみせた。ついこの間、あんなにはっきりと認めておいて、今更言い逃れのしようがない。
「そんなに驚くようなことか? おまえだって同類なのに」
「でも、工藤はそうじゃなかったよな?」
やっぱり、と思いながら二人の会話を聞く。紫と初めて会った時にも、淳史は含みのある言い方をしていた。
「宗旨変えしたわけじゃないが、こいつは特別なんだ」
「ふうん」
意味有りげに眺められるのは居心地が悪い。淳史もそう思ったのか、紫から庇うように優生を脇へやった。
「ともかく、おまえは今後一切優生に係わるな」
「そんなに心配なら、家に閉じ込めておけば?」
「おまえもそう思うか?」
また、その話になってしまったことに、優生は小さくため息を吐いた。
「まさか、本気でそんなことしようと思ってるわけ?」
「おまえみたいなのがいると思うと気の休まる暇がないからな」
「下心はないよ。何となく、ゆいちゃんは放っておけない気がして声をかけてしまうだけだから」
「わからんでもないが、こいつは俺のだからな」
言い切る淳史に驚いたのは紫も同様らしかった。
「てっきり女王様撃退の言い訳だと思ってたよ。あんなことするってことは、もしかして仕事も辞める気なのか?」
「喧嘩を売ってきたのは向こうだ。俺は一生分の忍耐力を使って譲歩したんだからな。会社には、休暇願いが通らないならそれでいいと言ってある」
「淳史さん」
今更のように、優生は自分の取った行動のあさはかさに気付いた。決して、淳史の気持ちを試そうと思ったわけではなかったが、結果的にそう取られてしまったことが悔やまれる。
「おまえも、こいつとは二度と口をきくな」
紫に視線をやると、軽く肩を竦めて笑った。優生より、淳史の性格を把握しているのかもしれない。
「工藤は女王様の件では被害者かもしれないけど、仕事はちゃんとしろよな。こんな急に休まなくても、有給も全然使ってないんだし、仕事の調整をしてからでいいんじゃないのか?」
「今休まなけりゃ意味がないんだ。あの女のせいで、結婚もしないうちに逃げられる所だったんだからな」
「結婚て……養子縁組でもするつもりか?」
「優生が海外に行くのは嫌だと言うからな」
「……免疫がない奴ほど怖いってホントだなあ」
からかうような紫の言葉に、淳史の顔色が変わる。
「大体、優生の様子が変だと思ったんなら、俺に連絡を入れてくれればよかったんじゃないのか?」
「おまえが午後からサボらなかったら、ゆいちゃんに会ったって教えてやってたよ」
「……結果的に遠回りになったってことか」
淳史が仕事を休んで優生を捜してくれていたために、見つけるまでに時間がかかったようだ。
「で、いつから出て来る予定?」
「今週はムリだな」
当たり前のように返す淳史に、黙って聞いていることができなくなった。
「すみません、明日は行きます」
「優生」
淳史に軽く睨まれても、気付かない振りで紫の方を見る。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「俺には迷惑なんてかかってないよ。工藤はまた当分忙しくなるだろうけど」
「それじゃ意味がないだろうが」
淳史がいちいち言葉を荒げるのを、事情を詳しく知らない紫は訝しく思っているようだった。
「いきなり何日も休んだんだから当たり前だろう。早く帰りたかったら死ぬ気で働けば?」
また反論しそうな淳史を、何とか優生の方に向かせる。
「迷惑かけたのは事実でしょ。お仕事はちゃんと行かなきゃダメだよ。そのために箇条書きしたんでしょ?」
「じゃ、守れるんだな?」
「守らなくてもいいの?」
決定事項だと思っていたが、交渉中だったのかもしれない。

「何かジャマそうだし、戻るな」
気を遣う紫に、慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい、明日はお仕事に行きますから」
「じゃ、ゆいちゃん、またね」
軽く片手を挙げた紫を、無言で睨み付ける淳史に身震いしたのは優生だけではなかったようだ。
急ぎ足で去ってゆく紫を見送る優生の腕が掴まれる。
「わざわざ会いに行ったのか?」
低められた声に、優生は小さくため息を吐いた。拉致られたと言った覚えもなければ、監禁されていたと言った覚えもなかったが。
「会えたのは偶然だけどね」
「優生、おまえな……」
言いかけて、淳史が言葉を切る。今更のように、往来だということに気が付いたようだ。
「帰るぞ」
家を出る前以上に険しくなった淳史の顔に、優生は盛大なため息を吐いた。


家に戻るとすぐに、淳史はソファに深く腰掛けて、両手で頭を抱えた。
そっと近付くと、不意に抱きよせられる。崩れそうな体を立て直そうと思ったが、膝へと座らされた。
向かい合って座らせられているせいで顔がひどく近い。恥ずかし過ぎる体勢に、距離を取ろうとする優生の頬を大きな手が包む。
「俺はおまえのことを何も知らなかったんだな」
重々しく吐き出されたのは、つい最近、勇士に言われたのと同じ言葉だ。淳史は出掛ける前に言っていた話の続きを始める気らしかった。
「何もって、別に隠し事をしてるつもりはないけど」
単に、聞かれないから伝えていないことが山ほどあるのも事実だったが。
「おまえが後藤と会ってたことも気が付かなかったよ。まさか、おまえがそんなにいろんな男に目を向けるとも思ってなかったしな」
よもや、優生が紫に色目を使ったとでも言うつもりだろうか。
「淳史さんが俺を誤解してただけだよ、俺はそんなに純粋じゃない」
また、淳史が瞠目する。そんな、耐え難いようなことを言ったつもりではなかったが。俊明と深いつき合いをしていたことも、簡単に淳史に乗り換えたことも知っているはずなのに。
「おまえに必要なのは、住む所と体の合う相手だけなのか?」
「な……」
否定しようとして、それが必ずしも間違ってはいないことに気付いて言葉に詰まった。
「その相手は俺じゃなくてもいいということか?」
「……淳史さんと別れたらそうなると思うけど」
また、優生に興味を持ってくれる誰かを見つけられたら、の話だが。
「別れる気でいるのか?」
「俺じゃなくて、淳史さんが」
「そんな生半可な気持ちで結婚してくれなんて言うわけないだろうが」
今にも30歳に手が届きそうな大人の男にしては随分甘いことを言うと思う。今まで優生に執着を見せた相手から、あまりにもあっけなく切り捨てられてきた身としては、とてもそんな楽観的にはなれそうになかった。
「自分の言葉にそこまで責任感じなくていいよ? 少なくともその時は本気で言ってくれたんだと思ってるし」
淳史は怒る代わりのように、大きなため息を吐いた。
「……おまえがそんな疑り深い性格になった理由に心当たりはあるか?」
「疑り深いって……普通だよ。俺、小さい時からずっと素直ないい子だって言われてきたし」
「そりゃ異常だろう?」
「異常って、そんなこと初めて言われたよ」
「おまえは素直だったわけじゃなく、ただ相手に逆らわないようにしていただけなんじゃないのか?」
そうなのかもしれない。おとなしく従っていれば、本心かどうかは求められなかった。優生の意思に拘らず受け入れるしかないとしたら、逆らうことに意味があるとは思えなかった。
「おまえの人間不信は相当に根が深そうだな」
「そう思うんなら、これ以上悪化させるようなことを言わないでくれる?」
「俺の何を疑わしいと思うんだ?」
「別に、疑ってるわけじゃないけど」
もし、根拠の無いその愛情だと言えば、淳史も冷めるのだろうか。
いつも、優生が手に入れたと思った途端に、幸せはすり抜けていく。それなら、安心しなければいくらかは引き延ばせるかもしれない。
「おまえの育ての親はずいぶん厳しかったんだろう?」
「うん? 昔気質な人だったし」
「可愛がられなかったのか?」
「……意味がよくわからないんだけど?」
突然そんなことを言い出す理由も。
「おまえの人格形成に大きく影響してるだろうと思ったからな」
「だろうね」
「わざわざ養子に貰ったからこそ厳しく育てたんだろうが、おまえに伝わってないんじゃ意味がないな」
「大事に育て過ぎて一人息子が駆け落ちなんてしたから、俺には厳しくしたんじゃない?」
「武道をやらされてたと言ってたな。それも躾のためか?」
「そういうんじゃなくて、おじいさんも骨細な人だったから、俺には男らしく育って欲しかったみたいだよ。遺伝的にムリだとは気が付かなかったんだろうね」
「強く育って欲しいっていうのは、親としては当たり前のことなんじゃないのか?」
「育つ前に殺されかけたことあるんだけど」
「祖父さんにか?」
忘れかけていたことの、本当は何一つ忘れていなかったことに気付かされるこの瞬間が嫌だった。だから、昔のことはなるべく話さないようにしているのに。
「俺、小さい時は喘息が結構ひどかったから、体を鍛えなきゃいけないって思い込んでたみたいなんだ。少々体調が悪いくらいじゃ稽古も休ませてもらえなくて、ムリした挙句に肺炎を拗らせて1ヶ月くらい入院したこともあるよ」
いっそ、手遅れになっていればよかったのにと何度思ったか知れない。
「虐待と紙一重だな」
命に係わるかどうかは別にして、自分もそれに近いことを優生に強いていることに淳史は気付かないのだろうか。そこにある感情が愛情だとしても、優生の全てを把握して束縛しようとしていることに大差はないと思うのだが。
ただ、そこに優生の意思が存在するかしないかにどれほどの違いがあるのか、優生にはまだわかっていなかった。


「……俺、お祖父さんの話とかしたことなかったよね?」
淳史と初めて出逢った日に、駆け落ちをした父親の結婚を許す代わりに養子に出されたと言った程度で、空手を習わされていたことはその時に話したが、上辺だけの話しかしなかったはずだった。
「おまえの友達に聞いた」
「……勇士?」
「そうだ。おまえを捜そうにも、心当たりも誰に聞いたらいいのかもわからなかったからな」
「携帯?」
勝手に人の携帯を見るなんて、と責められる立場ではないが。
「見られたくないなら置いていかないだろうと思ったからな」
言い訳がましく聞こえるのは、淳史に疚しい思いがあるからなのかもしれない。
「勇士に何を聞いたの?」
淳史に知られて困るようなことは、勇士も知らないはずだったが、あまりいい気はしなかった。
「おまえが祖父母や親族の前では優等生を演じていたとか、そうそう簡単には懐かないとかって話だな」
「演じてたわけじゃないよ、本当に優等生だったんだ」
優生の反論など聞いていないかのように唐突に、淳史はとんでもないことを言い出した。
「おまえ、あいつに惚れてたんじゃないのか?」
びくりとしてしまったのは、見透かされたのかと思ったからだ。
「なんなの、急に」
「俺みたいなのがタイプなんだろう?」
「え」
「おまえがそう言っていたと聞いたが?」
真っ赤になるのが、自分でもわかった。
こんなに素っ気ない態度を取っていたのに、実は淳史がストライクゾーンど真ん中で、俊明とつき合っていなければとっくに好きになっていたはずだなんて知られたくなかったのに。
ただ、もっと自惚れてもいいはずの淳史は、神妙は面持ちで優生を見つめていた。どうやら、淳史が言いたかったのはそういうことではなかったらしい。
「ということは、そいつもタイプだってことだろう? 見た目は俺と似たようなもんだよな?」
確かにそれは真実だったが。
だからといって、それを肯定するわけにはいかない。
「勇士は友達だよ、彼女がいたことも何度もあったし」
「今度のことでずいぶん世話をかけたが、もうあいつの所へは行くなよ?」
「何で」
「一人暮らしをしているんだろう? 噂になったことがあるということは、周りにもそういう風に見えていたということだからな。会うなとまでは言わないが、他の男の部屋に行くのを認めるわけがないだろう?」
「……淳史さん、勇士と何の話をしたの?」
或いは、勇士の方を問い詰める方が早いのかもしれなかったが。
「俺の知りたいことを聞くためには、先におまえとのことを話せ、というようなことを言われたんだ。おまえといつからつき合ってるのかに始まって、授業に出られないようなことをした犯人じゃないのかとか、携帯を変えさせて連絡を取らせないようにしたんじゃないかとか、登校日にも学校に行かせなかったんじゃないかとか、尋問というか取り調べを受けているような感じだったな」
淡々としているようでいて、言葉の端々に嫌味が窺える。
「ちゃんと説明してあったと思うんだけど……」
「俊明なら、授業も受けられなくなるようなことをするとは思えないし、仮にそうなったとしたら学校に行かせるはずもないだろうからな。時期も合わないし、俊明の前にもいたってことだろう?」
そこまで答える必要はないと思って返事はしなかった。
額に伸びた手が、優生の顔を上向かせる。否応なしに視線を合わせられて、嘘のつけない体質が肯定してしまう。
「……俺の男遍歴を聞きたいの?」
「そうじゃない。疑り深い訳じゃないなら臆病なのかもしれないが、もう少し自惚れてもいいんじゃないのか? 俊明の時にも、最初から諦めたような顔をしていただろう?あの時は、おまえが俊明のことをそれほど好きじゃなかったのかと思ったんだが……そういう問題じゃないんだろう?」
「淳史さんだって、子供の話をしてる時の俊明さんの嬉しそうな顔を見たでしょう? あんなの見せられて、まだ自惚れられるほど鈍くなれないよ」
本当は、できるならすぐにも逃げ出してしまいたかった。決められないと言われて、行き先もない優生には諦めながら待つ以外に方法がなかっただけだ。
「でも、おまえは俊明を責めるとか引き止めるとか一切しなかっただろう? 普通ならキレて泣き喚いたっておかしくないところだと思うんだが」
「俺と知り合う前のことまで責める権利はないでしょ。引き止めたってムダだってわかってたし、泣き喚く男なんて聞いたこともないけど?」
「別れてもいいと思ったから、黙って消えたのか?」
「え……」
その意味がすぐにはわからなくて、思わず淳史をまじまじと見つめてしまう。
「俺の言うことも信じられないんだろう?」
「……先のことはわからないんだからしょうがないでしょう? 何が起こるかわからないし、もっと良い人に出会うかもしれないし」
「それも俺のことを言ってるのか?」
まさか、というような顔を見せられると、言うつもりのなかったことまで口をついて出てしまう。
「淳史さん、もし彩華さんに子供の父親になってくれって言われたらどうする? 俺がそんなしつこい奴だったら面倒くさいでしょ」
「おまえな……言っていいことと悪いことがあるだろうが」
「でも、あり得ない話じゃないよね? 淳史さんの一番好きな人なんだし」
「どこをどうやったら、そんな結論になるんだ?」
「初めて会った時からずっと言われてたけど?」
優生のような色気のない子供は対象外だと、もっと大人で女らしい人がタイプだと何度聞かされたかしれない。だから、万が一にも自分が淳史の気を引くかもしれないと考えたことさえなかったのだから。おそらく、俊明が淳史を警戒しなかったのも同じ理由だったのだろうと思う。
「そういう意味で言ったんじゃない。殆ど俊明に対する嫌がらせみたいなものだ。大体、彩華が俺に子供の父親になってくれなんて言うはずがないし、俺がそうするはずもないだろうが」
そうするはずがない、という根拠もわからないのに納得できるわけがなかった。
「子供は好きじゃないの?」
「そういう次元の問題じゃない。おまえは父親が誰か知らないからそんなことが言えるんだ」
「そういえば、淳史さんはいろいろ知ってるって言ってたよね。教えてくれるんじゃなかったの?」
特に知りたかったわけではないが、話の流れで尋ねることになってしまった。
少しは嫌がらせになるかと思ったのに、淳史は勿体をつける風さえない。
「彩華がつき合ってたのは俊明の父親だ。外科医をやってるんだが、勤務先の院長の一人娘に気に入られて婿養子に入ったような人だから、離婚させるのはムリだったんだろうな。それで、父親がダメならせめて息子とでもと思って俊明と結婚したんだ。俊明も、まさか彩華の相手が自分の父親だとは知らなかったはずだからな。離婚したのは父親を思い切れてなかったからだ。戻ってきたのは、手切れ金代わりに子供が欲しいと言って叶ったからだそうだ」
そんな重大な秘密をさらりと言ってしまう淳史が怖くなる。俊明とは親しい友人のはずなのに。
「どうして、俊明さんに教えてあげないの?」
「結婚する前に彩華がどんな女なのか話してあるからな。俺が彩華に惚れていたことも、強かな女だということも知っていて、それでも構わないと言い切って結婚したんだ。今更何を言う必要がある?」
「それは、相手が自分のお父さんだって知らなかったからでしょう?……そういえば、検査したって言ってたのにわからなかったのかな」
「自分の病院で検査してるんだからバレるわけがないだろう。検査後のデータを変えることはできなくても、検査前のサンプルをすり変えることは出来るからな。書面さえクリアすれば、後は何の問題もないだろう? 同じDNAが流れているんだから、父親より祖父に似ていたって誰も疑いもしないからな」
「……そんなの、俊明さんが可哀そうだよ」
「父親の方とは今度こそ切れたようだから、そう心配するな。次に出来るのは俊明の子供だ」
「他人事だからそんなに簡単に言うんだよ。淳史さんだったら許せるの?」
「俺はとっくに降りてるからな」
では、さんざん俊明を責めるような言葉を投げていたのは何故なのか。仕返しにしては大人げなさ過ぎる。
「……淳史さん、何でそんなに詳しく知ってるの?」
「彩華が報告してくるんだ」
「何で……」
「いくら気が強くても、自分の中にだけ収めておけないこともあるんじゃないのか?」
人生のパートナーにはなれなくても、共犯者にはなったということなのだろうか。優生が思っていた以上に、淳史と彩華の関係は深いものなのかもしれない。
「まだ疑うか?」
やましことなど一つもないとでも言いたげな、淳史の揺るぎなさが羨ましくなる。相手の出方を窺うばかりの優生には持ち得ない強さだ。
「疑うとかじゃなくて、俺は“永遠”なんて信じてないんだ」
真実なのはそう言った瞬間だけで、先のことはその時になってみなければ誰にもわからない。後から言質(げんち)を取って恨んだり責めたりするつもりもないが、その言葉に溺れることもできそうになかった。
「……仮にも結婚相手にそんなことを言うのはおまえぐらいだろうな」
「淳史さんのことを信じてないって言ってるんじゃないよ?この先何が起こるかわからないんだから、そこまで責任感じなくてもいいって言ってるだけだよ」
淳史の腕が背を抱きよせる。肩越しに聞いたため息が少しせつない。
「おまえ、あの男の所に行ってから変わったな」
「そうかな?」
「前はそんなにハッキリとは、ものを言わなかっただろう?」
そう言われてみればそうかもしれない。リベンジが玉砕して、いっそ開き直ったような気はする。
「淳史さんが俺のことを誤解してるから……」
それも、淳史に都合の良いように。
「気を遣わなくなったのならいいが」
一度は諦めた恋人の元へ戻っても、何事もなかったかのように過ごすことはできないのだと淳史は気付かないのだろうか。
淳史はなかったことにしたいのだろうが、黒田との間に起こったことは事実で、少なくとも2度目のそれは優生が望んだことだった。いくら許すと言われたからといって、平気な顔をしていられるほど優生はふてぶてしくはないつもりだ。
その思いがつい、反抗的な言葉を選んでしまうのだと思う。
「俺も、自分がこんなにいい加減だとは知らなかったんだ」
「優生?」
「黒田さんの所に行ったのは、ちょっとでも仕返ししたいと思ってたからだよ。そこで自殺を図るとか、ちょっとハードめに抱かれて警察を呼ぶとか考えてたんだけど、黒田さん、全部見抜いてたみたいで」
「そんなことをしたらおまえにも傷が付くんだぞ」
「別に、俺は構わないし……」
死んでもいいと思っていたのに、そんなことを気にする余裕などあるわけがなかった。
「俺が構うとは思わなかったのか?」
怒りとも失望ともつかない表情に、改めて優生は自分のことしか考えていなかったことに気が付いた。
「ごめんなさい、淳史さんの所じゃなかったら迷惑にならないかと思ったんだ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
淳史の胸に凭れかかっていた体を引き離すように両側から腕が掴まれる。しっかりと見つめ合うための距離を取られたらしい。
「……何ともなかったんだろうな?」
意味を測りかねて、窺うように淳史を見上げる。
未遂だったと言われた、と言っていたが、その信憑性が薄いと思っているのだろうか。未遂か完遂かは問題ではないというような言い方だったと思ったが、本心は別なのかもしれない。
「好きな人がいるから俺とはしないって言われたよ。好きじゃなくても、俺は気持ち良かったのに」
「優生?」
「俺みたいなのは好みじゃないんだって。頑張って誘ったんだけど……」
乱暴な仕草で、体がソファへと押え込まれた。肩に埋まる淳史の指に、痛いほどの力が籠められる。
「淳史さん?」
「おまえが誘ったのか?」
「……うん?」
淳史が怒りを抑える時には拳を握って瞑目するのだと知っていたが。
「淳史さん?」
「……それも、俺が抱かなかったからか?」
「え?」
「どれくらい抱けば足りる?」
「ちょ、待って、そういう意味じゃないんだ」
「毎日か?」
「ちが……」
乱暴に服に手をかけられて、優生は何度も首を振った。
「いや」
優生の抵抗などものともせずに、容易く肌が晒されてゆく。腕を滑って床へと落とされたシャツに重なるように落とされてゆくデニムを目で追いながら、肌寒さに身を竦めた。
「あっ……」
萎縮した優生自身に指を絡められると不安の方が先立った。結局、相手が誰でも、優生は体に触れられると受け入れるしかなくなってしまうのだと思う。
「足りないなら俺に言え」
振り仰いで淳史を見ると、苦しげに眉を顰めて何かに耐えるような顔をする。
「今度他の男を誘ったら何をするかわからないからな?」
低められた声につられるように頷く。優生は、やっと自分の間違いに気が付いた。淳史を怒らせたのは優生が黒田に感じたことではなかった。優生は、黒田に感じた自分を恥じて自棄になっていたのに。
「ごめんなさい」
素直に謝ったが、淳史は優生を離す気はないらしかった。
「いや」
腿の裏をつかむ手に押し上げられて体を二つに折り曲げられるような格好になる。柔軟な優生には無理な姿勢ではなくても、真昼間の明るい部屋ではやはり抵抗があった。行為には慣れても、羞恥心が無くなることなどないのだといつも思う。
「ひゃ、ん」
濡れた舌の感触に閉じようとした膝が強い力に阻まれる。後ろを舌で探られると体中から力が抜けていく。そこに指も入ってくると、もう抗うことはできなかった。
「あ……んっ、んん」
馴染ませるように出入りする指を追おうと腰が揺らめく。
「俺にも言えよ?」
低められた声の意味が理解できない。
「……なに?」
「言葉じゃなかったのか?」
「や……」
優生をかき乱す指が不意に抜かれる。理由を問うように淳史を見上げて、何を望まれているのかを察した。
「入れて?」
ストレートに告げた言葉に、また膝が押し上げられる。
「あいつにもそう言ったのか?」
「え……ううん」
慌てて首を振った。黒田に言った言葉を尋ねられたのだとは思いもしなかった。
「じゃ、何て言ったんだ?」
すぐには思い出せなくて記憶を辿ってみる。
確か、最初は“する?”と尋ねて断られ、“おやすみ”のキスをねだってベッドへ誘い、添い寝をしてくれと言ったのだったと思う。
黒田が恋人の話をしながら、優生の中へと潜らせてきた指がどんな風に蠢いたのかを考えただけで体の奥から欲情してくる気がした。
浅い所で緩く出入りをくり返す指が少しずつ奥へ進み、馴染むのを待ってもう一本増やされる。ゆっくりと内側を擦りながら回される指が深く沈んでいくのを待ち切れずに腰を揺すって急かした。
「あ、ぁん……」
軽く曲げられた指先に突かれる度に体の奥から果てしない欲望がこみあげてくる。その先を何と言ってねだったのか記憶を辿ろうとしても、思い出すのはその感覚ばかりだった。
「あ……んっ」
リアルに甦る指が穿つせつなさに、小さく喘いだ。
「優生」
「だめ」
また、あの指にいいようにされてしまいそうな錯覚に首を振る。
「は……ぁん」
体の中にあるのは淳史のものだと認識するまでに、ずいぶんかかってしまった。
ソファに倒されていた体が腰をつかまれて起こされる。
「いや」
指の代わりに押し当てられた固いものに一瞬腰が引けた。よほど慣らされるまでは、いつもその圧倒的な質量に怖気づいてしまう。一旦中へ入ってしまえば苦痛は消えてしまうが、ともかく、納まるまでが難儀だった。そもそも、そんなことに使う器官ではないというのは尤もな言い分だと思う。
「ああっ……あ、んっ……」
生理的な涙が浮かぶ目元を、淳史の唇が触れる。少し苦しそうに眉根を寄せているのは、淳史も窮屈だと感じているからなのだろう。
ゆっくりと腰を揺すり上げられて、より深い所まで入ってくる。けれども、先の怒りを感じさせないくらい、淳史はやさしかった。




「で、どうやって誘ったんだ?」
ぼんやりと余韻に浸っていた優生の脳には、すぐにはその言葉が届かず、淳史の顔を見つめてしまった。
「俺にはできないのか?」
黒田にしたことを再現しろと言われているのだと気付いて困惑した。深く繋がり合って満たされたのは優生だけだったのかもしれない。
「え、と、おやすみのキスをしてくれないと寝付かないって言った」
「そんなことを言ったのか?」
「うん……」
そんな大したことだとは思わなかったが、淳史はひどく不機嫌な顔になった。
「それだけか?」
「添い寝もしてくれないと眠れないって言ったかな……」
言い終わらないうちに淳史の目つきが変わった。
「したのか?」
「ううん、添い寝はしないって」
途端に淳史がホッとしたように息を吐く。そんな重大なことを言ったのだろうか。
「言うまでもないことだと思ってたんだが。俺以外の誰にも、挨拶のキスもさせるな。ねだるなんて以ての外だ。もちろん、添い寝も腕枕もダメだからな?」
「うん……?」
理由を問うように淳史の瞳を覗き込む。優生の顔を呆れ果てたよう見下ろす淳史の唇がまたため息を吐く。
「あのな、そういうのは誰とでもすることじゃないだろう?他の男にさせたくないとか、俺に悪いとか思わなかったのか?」
「……ごめんなさい」
「思わなかったんだな」
念を押されて項垂れた。肯定する所ではないことはわかったが、淳史の言う通りだったことはもろバレだ。
優生の肩を抱きよせて、唇で髪や頬に触れる。いつも以上に優しい仕草に思えた。
「こういうのは、恋人にしかしないものだ」
「……わかった」
優生は、どうやら自分の情緒が欠落しているらしいことを初めて知った。




「今後のためにある程度の目安を聞いておきたいんだが」
簡単に身支度を整え、淳史の肩に凭れた優生へ、あまり甘くない声が尋ねた。
淳史の切り出した言葉が何を指すのかもわからず、首を傾げる。
「おまえの年齢ならいくらでもやりたいところだろうが、現実には毎日は難しいからな」
ようやく、それがいわゆる夫婦生活の頻度だと気付いて、今更のように頬を熱くした。
「……そういうこと、聞く?」
「浮気されたらかなわないからな」
至って真面目に返されて、迷った挙句、淳史に質問を戻すことにした。
「淳史さんは?」
「たぶん、おまえが思うほど強くないだろうと思うが」
淳史の言い方は抽象的過ぎて判断できないが、控えめに申告しろと言うことだろうか。といっても、優生も一般的な数字など知るはずがなく、答えるのは難しかった。
「……どうなのかな。比較対象が少な過ぎてわからないんだけど」
「少なくとも俊明を基準にするのは止めろよ? あの一族は皆強いらしいからな」
他の親族や一般論がどうなのかは知らないが、たぶん俊明が強い方だろうというのは頷ける。
思えば、俊明は優生に行為の気持ち良さを教えてくれたが、同時に過剰なほど淫らに育てたのではなかったろうか。未熟なままなら、或いは黒田に良いようにあしらわれることもなかったかもしれないのに。
「俺も、そんなには」
「本当か? 足りないと思ったら俺に言えよ?」
曖昧に頷きながら、淳史がそんな状態にならないように接してくれることを祈るしかなかった。求められるということ自体が、一種の尺度になっていたことに自分でも気付かないまま。
結局、目安となる具体的な数字を導き出すことはなく、結論を曖昧にしたままで中断されることになった。音を消していてもしつこく震え続ける携帯を、淳史が取ったせいで。

優生を腕に抱いたまま、淳史が応対する。固い表情と言葉遣いで会社からだというのは察しがついた。紫に明日から出社すると言ったことが上司にも伝わっているようだ。
「おまえが余計なことを言うから、明日から行く破目になっただろうが」
通話を終えた淳史に、責めるような目を向けられた。
「特に理由もないのに休んでちゃダメだよ」
「仕事に行ったら遅くなるぞ? こんな状態でおまえを一人にして大丈夫なのか?」
「小学生でも一人で留守番くらいできると思うけど」
「じゃ、おまえは小学生以下だな」
「なっ……」
反論しようとした優生と淳史の間で、また携帯が震え出した。サブディスプレイに表示される名前を見て、淳史が小さく舌打ちする。
「明日から行くと言ってるのにな」
一旦応対したために、淳史を携帯に取られてしまったような気さえした。
その後、淳史の方から何本か電話を掛けて一段落したかに思えたのに、携帯を置いた途端にまた震え出した。見るつもりではなかったが、つい視線がその文字を追ってしまう。今度は俊明からだった。
短い言葉で戻ったと言った淳史は、俊明にも優生がいなくなっていたことを知らせていたらしい。もしかしたら、俊明に連絡をしているかもしれない可能性を無視しきれなかったのだろう。優生からすれば、絶対にあり得ないことだったが。
「優生」
携帯を耳元へやられて戸惑った。今更、俊明と話すことなどない。ややこしい説明や言い訳をするのも面倒だった。
「優生」
有無を言わせぬ声に小さく息を吐く。仕方なく淳史の携帯を受け取った。
「はい」
意識して素っ気無く出た優生に、俊明はずいぶん心配そうな声でいろいろと尋ねてきた。淳史が自分勝手だったのだろうとか、優生を大切にしていなかったのだろうとか、殆どが非難するような内容だった。優生が家出したせいで、著しく淳史の評価を落としてしまったらしい。苦笑まじりに、ひとつずつを否定して、俊明の考え過ぎなのだと擁護した。
上辺だけの会話に疲れて、淳史に代わるように要求する。
「ピアノ、どうするか聞いてくれてるんだけど?」
できるなら、淳史の所に置かせてもらえれば一番有難いのだったが。淳史が俊明と交わす短いやりとりを聞いただけで、それが叶いそうなことが窺えた。
電話を終えると、淳史は優生の肩を抱き直し、思いがけないことを言い出した。
「俊明は何と言っておまえの親を説得したんだ?」
「え?」
唐突な話題の転換に、すぐに思考がついていかない。
「それによって俺も出方を考えないといけないだろうが」
「え、と、本当は知り会ったばかりだったんだけど、長くつき合ってるみたいな言い方をしてたかな。高校を出るまで待とうと思ってたけど、おじいさんが亡くなったのを機に、少し早いけど独立させてほしいっていうような感じで言ってくれたんだったと思う」
「認められていたと言っていたな?」
「まあ、一応は」
認められたというよりは、両親ともあまりにも突然のことに驚き過ぎていただけだったのだろう。やっと手元に戻ったばかりの優生をまた取られてしまうようだと言った母親にも、やさしい言葉をかけることもしないまま出てきてしまった。心配げにかけてくる電話にもなるべく素っ気無く対応してきたのは、もう優生のことなど初めからいなかったと思って欲しかったからだ。
「俺が強引に口説いたとでも言うか」
俊明がバツイチだったことも知らない両親は、前妻と元の鞘に納まったことを聞けば卒倒してしまうかもしれない。誠実そうな俊明が、まるで正式に結婚の申し込みに来たような挨拶をしたからこそ、許す気になったのだろうから。
にもかかわらず、どれほども経たないうちに別の男の籍に入りたいなどと言うのはさすがに気が引けた。
そんな優生の都合など知らない淳史は、携帯で六曜をチェックし始めた。
「日曜なら日がいいな。都合を聞いておいてくれ」
「うん……」
久しく会っていない親にそんな話をするのは気が進まず、返事だけで濁そうと思っていたが、淳史には見抜かれていたらしかった。
「嫌なら拘束するか?」
「嫌だとは言ってないでしょ。聞いてはみるけど、都合がつくかどうかはわからないからね?」
「今週が都合が悪いなら、いつならいいのか聞いておいてくれ」
「うん」
そこまで言われると、連絡しないわけにはいかなくなってしまう。
「やっぱり結納とか、した方がいいんだろうな」
優生に尋ねているというより独り言に近い言葉だったが、聞き捨てならないと思った。
「淳史さん、普通の親は引くと思うから、そういうのはやめといて?」
「嫁に貰うのに結納も交わさないのか?」
交わす、という言葉にふと疑問が湧いた。
「そういえば、淳史さんの親にはどう言うの? まさか、親同士にも挨拶させようとか思ってないよね?」
「するに決まってるだろうが。俺の親にはもう話してあるから心配するな。相当ショックを受けてたが、自分の再婚の時にも快く承諾してやったんだから息子にも反対するなと言ったら納得してたぞ」
「そういうの、納得って言わないでしょ。なんでそんなに横暴なのかな」
「何とでも言え。俺はもう待たないからな」
言い合う気力も失せて、優生はため息を吐いた。少しの沈黙を待っていたかのように優生の携帯が鳴り出す。ディスプレイには勇士の名前が表示されていた。
「はい」
なるべく気負わずに出た優生を、低い声が一喝する。思わず携帯を取り落としてしまいそうになるくらい驚いた。
「……ごめん、また迷惑かけて」
まずは下手に出て様子を見る。
『迷惑じゃない、心配だろ?』
「ごめん」
優しい声にホッとした。本当に心配をしてくれていたらしかった。
『工藤さんの所に戻ったんだろう?』
「うん」
『俺にも弁解したいよな?』
「う、ん……」
会うこと自体を禁止されたわけではないが、何となく、淳史の前で約束をするのはためらわれた。
『じゃ、落ち着いてからでいいから連絡入れろよ?』
「うん」
傍に淳史がいるからと言うわけにもいかず、微妙な応答をする優生の気持ちはわかってくれていたようだ。
短い通話を終えて携帯を閉じると、淳史が顔を覗き込んできた。
「もういいのか?」
「うん、また落ち着いたら連絡することにしたから」
「あいつの部屋に行くのはダメだからな?」
「うん」
頷く優生の頬にかけられた掌が淳史の方に向かせる。とりあえず、会うことの了承はもらったと取っていいのだろう。
目が合うと、自然に瞼が落ちてゆく。ほどなく触れる唇に意識を集中させてキスを始める。開いた唇から入ってくる舌にそっと触れた。優しく絡んで緩く吸い合って、長く気持ちの良いキスに満たされていく。強く求められたい思いとうらはらに、穏やかで優しいキスの方が優生を幸せにしてくれる理由に気付かないまま、ようやく平穏な生活が戻って来たことにホッとした。






翌日、今日は休憩も取れそうにないとぼやく淳史を宥めながら送り出すと、留守にしていた2日分の家事に取り掛かることにした。
洗濯と掃除だけでもかなりの時間がかかり、一段落したのは10時を過ぎていた。それから勇士に連絡を入れて、午後から会うことと、冷蔵庫の整理を兼ねて弁当を用意していくことを決めた。
ちょっと怪しげなきのこを処分するか使うか迷ったり、やや萎びてきたレタスを使うのをためらったり、いつも以上に時間がかかってしまった。たった2日留守にしただけなのに、家事とは何ともシビアなものらしい。

何とか折り合いをつけて弁当が出来上がった頃には昼近くなっていた。急いで勇士の所に向かい、駅からも連絡を入れないまま部屋を訪ねる。
快く出迎えてくれるはずの勇士は、渋い顔をしていた。
「工藤さんが心配するわけだよな」
「……何が?」
「おまえ、俺の部屋に来ても大丈夫なのか?」
「都合が悪いんなら出直そうか?」
勇士の言いたいことが理解できず、優生がいたら具合の悪いことでもあるのかと思った。もしかしたら、もう次の彼女ができたのだろうかと見当違いのことを考える優生に、勇士が小さく首を振る。
「いや。おまえが構わないなら上がれよ?」
「じゃ、上がる」
深く考えずに勇士の部屋へと入った。
いつものように、ラグを敷いたフローリングの壁際にクッションを引っ張っていって勝手に座り込む。小さなテーブルの上で、さっさと弁当を広げ始めた優生の手を止めさせるように、勇士の口調がきつくなる。
「おまえ、工藤さんに俺の部屋に来るなって言われてるんじゃないのか?」
「もしかして、勇士にも何か言った? 淳史さん、横暴なところがあって」
「おまえがそうさせてるんだろう?」
まるで、優生が悪いと言わんばかりの口調に、まじまじと勇士の顔を見つめてしまった。
「……勇士、俺を押し倒しそうになったりする?」
「なるわけないだろう」
「だったら関係ないと思うけど」
なぜか、勇士がため息を吐く。
「ちょっと工藤さんに同情するよ、俺は」
「何で?」
「もし、俺の彼女がおまえの友達だったとしても、二人きりで会われたらいい気がしないだろうと思うからな」
「ふうん」
相手が女性なら、まかり間違うということさえあり得ないのに、勇士が何を心配するのかがわからなかった。もちろん、勇士の部屋へ来るのが気に入らないと淳史に思われる理由も理解できないままだ。
「とりあえず、食べないかな?」
話題を変えるために、用意してきた弁当を広げる。
生姜焼きに温野菜、きんぴらごぼうにだし巻き卵、鮭とおかかのおにぎりに、りんごのうさぎ。何だかんだと言いながらも箸を伸ばす勇士の満足そうな顔に安堵した。
「俺、お茶淹れてくるから食べてて」
声をかけてから立ち上がる。
「おまえって、ほんと母親か嫁みたいだよな」
「そう?」
生憎、身近にどちらもいなかったから実感は薄いのだったが。
少し距離のあるコンロの前に立つ優生の方へ、勇士が顔を向ける。
「女だったら惚れてるかもな」
そうしたら、勇士と幸せになれたのだろうか。
ふと掠めた感傷的な思いに自嘲する。もしも女性に生まれていたら、祖父の会社を欲しがっていた従弟か親族と結婚させられていただろう。男の優生にさえ、関係を強要していたくらいだったのだから。
「俺、そしたらもっと早く結婚してたかも」
「……俺とか?」
「ううん。山倉の親戚の誰かと。俺が男だったから、相続を放棄して自由になれたんだと思うよ」
両親の元へ戻るまで17年も名乗っていたのに、その名字には何の愛着もなかった。
「そうなのか?」
「うん」
何かに気付いたらしく、勇士の視線が優生を真っ直ぐに捕らえる。見透かされたのかとドキリとする優生の心配には気付かないらしい。
「おまえ、名字変わったんだよな?」
「うん。そうみたいだよ」
「みたいって何だ、一緒に提出しに行ったんじゃないのか?」
「そうだけど、名前を名乗ったり使ったりする機会がなかったから実感がないんだ。学校にも、まだ変更届けみたいなのも出してないし」
急須と湯飲みを持って、勇士の所へ戻る。優生も少し遅い昼食を摂ることにした。
「そういや、水野に変わってからでも、あまり経ってないんだよな」
「うん。自分の名前って感じはしないかな」
「ずっと山倉だったんだからしょうがないよな」
「なのに、また変わったんだよ。俺が養子縁組なんてしたくないって、わかってくれなくて」
もし、淳史と別れてしまったら、優生の名字はどうなってしまうのだろう。何度も書き変えられる戸籍が汚れているとまでは思わないが、綺麗だとは言えないことも優生が快諾できなかった理由のひとつだった。
「したくなかったのか?」
勇士の向ける鋭い視線に、言葉を誤ったことに気付いた。
「そういう意味じゃなくて、短期間に何度も名前が変わるのが嫌だったんだ。それに、淳史さんとは一緒に住み始めて1ヶ月かそこらだし、気が早過ぎるだろ?」
「名前よりも、おまえが相手を変えるのが早過ぎるんだ。だから、工藤さんも焦ってるんじゃないのか?」
「どういう意味?」
「籍を入れておけば別れにくくなるってことだろ?」
「振られてるの、いつも俺の方なんだけど?」
優生の方から別れたいと言ったことなど一度もない。
「いつもって、そんな何人もいたのか?そりゃ工藤さんだって心配するだろ」
「そんなことないって」
淳史が優生を束縛したがる理由を、勇士にどう説明したらいいのかわからなかった。
「コーヒー、淹れていいかな?」
話を逸らしたくて、優生は食後のコーヒーを言い訳に立ち上がりかける。
「俺が淹れるよ。飯食わせてもらったんだしな」
「じゃ、待ってる」
上げかけた腰を下ろして、勇士に任せることにした。
「カフェオレにするんだったか?」
「そのままでいいよ」
勇士がブラックしか飲まないことを思うと、手間をかけさせたくなかった。
揃いではないマグを2つ持って勇士が傍へ戻ってくる。優生の隣へ腰掛けると、すぐに煙草に手を伸ばした。
自分で吸おうとは思わないが、勇士の煙草の匂いは嫌いではない。むしろ、その匂いに惹かれるように勇士の肩に凭れかかった。
「ゆい」
やや低められた勇士の声が、優生を不安にさせる。
「工藤さんと上手くいってたんじゃなかったのか?」
「……どうなのかな」
「結婚するなんて俺らの年じゃまだ誰も言わないのに、ゆいは大人だなと思ったけど」
「俺じゃなくて、相手がそういうことをしたい年齢なんじゃないかな」
「だから逃げ出したくなったのか?」
「そういうんじゃなくて……」
梨花とそのボディーガードだった男のことを、勇士に言うかどうか迷った。聞いた後でも、反対しないでいてくれるだろうか。
「ちょっと嫌がらせみたいなのがあって」
「工藤さんも同じようなことを言ってたけど、何されたんだ?」
「それは……ちょっと」
「言いたくないことをムリに聞こうとは思ってないけど、何か疎外感を感じるよな」
おそらく、勇士の優生を見る目が変わらないよう配慮してくれたのだろうと思った。優生が、淳史の評価を下げてしまわないよう話すのをためらうのと同じように。
「ごめん、そういうんじゃなくて、二人だけの問題じゃないようなことになってて。どこまで話していいのかわからないんだ」
「誰かに反対されたのか?」
「反対っていうか、結婚したかったんだって」
「誰か他の奴が工藤さんと、ってことか?」
「うん。その人、淳史さんが俺とのことを話したのを断る口実だと思ったみたいで……俺みたいな子供と恋愛するわけないって言われた時、俺もそうかもって思っちゃって……」
「それで黙って出て行ったのか?」
頷く優生に、勇士はひどく冷たい顔を向けた。
「別れるつもりだったのか?」
「そんな深く考えてたわけじゃなくて……なんか、投げ遣りになってしまってたっていうか」
「あれだけ惚れられてて、まだ疑う余地があるのか?」
「え……」
どこか淳史に似た物言いに驚かされる。
「本人に言われたんならともかく、何でそんな訳のわからない奴の言うことを間に受けてんだ?」
いつの間にか、勇士は優生の味方ではなくなっていたのかもしれない。
「だって、俺は使用人みたいなもんだったし……」
「使用人としか思ってないんなら、結婚してくれなんて言うわけないだろう」
「それは……偽装かもと思ったし」
真っ赤になる優生をからかうでもなく、勇士は額の辺りを軽く小突く。きっと、半年前の優生なら鼓動を暴走させてしまっていただろう。
「もっと自信持てよ」
「だって」
「なんとも思ってない相手のために何日も仕事休んだり、小姑みたいな友達にまで頭下げたりするわけないと思うぞ?」
取調べのようだった、と言った淳史の言葉を思い出す。勇士がどんな風に聞いたのかはわからないが、おそらく淳史にとってはいたたまれない時間だったのだろう。
「……俺が軽率なことをしたせいで、迷惑をかけてしまったのはわかってる」
「そんなことを言ってるんじゃない。それとも、おまえの方は別れてもいいと思ってたのか?」
「そうじゃなくて……別れると言われても仕方ないとは思ってたけど、俺から別れるなんて、できるわけない」
「工藤さんを好きなんじゃなかったのか?」
「正直に言うと、自分でもわからないんだ。最初は住む所を提供してもらえるだけで有難いと思ってたのに、どんどん欲張りになって……家に帰ってくるのが遅くなって一緒にいる時間が減ってくると凄く不安になって」
「恋愛してるんだから、欲張りになるのも不安になるのも当たり前だろう?」
「そうなのかな……最初は挨拶のキスをしてくれたり腕枕してくれたりするだけで嬉しかったのに、それが当たり前になって、してくれないと不安になって……お仕事が忙しくなって構ってくれなくなったのは、もう俺に興味なくなったんじゃないかって思えてきて」
「……おまえ、本当に工藤さんのこと好きなんだな」
「え……」
思いがけないことを言われてうろたえた。自分では、もしかしたら逆なのではないかと思っていたのだったが。
「そういうの、ちゃんと言ったか?」
「ううん、だってそんなの鬱陶しいだろ?」
「惚れてる相手に淋しいって言われて鬱陶しがる奴なんていないだろ?」
「だって」
確か、勇士もつき合ってる女にしつこく詮索されて疎ましがっていたはずだったが。
「だから、何とも思ってない相手にしつこくされたら鬱陶しいだろうけどな、おまえを煩わしいと思うわけないだろ?」
「そう、なのかな?」
「ちゃんと言わないとわからないんじゃないか?おまえ、工藤さんとつき合い始めてまだ1ヶ月やそこらなんだろう?」
「うん」
「いい子過ぎると損するぜ?」
頭を撫でられて、もうその手にときめかなくなっている自分に安心した。淳史に見透かされたようなことを言われた時にはドキリとしたが、いつの間にか、勇士のことはちゃんと過去になっていたようだった。






「ん……」
玄関先で交わす“ただいま”のキスにしてはずいぶんと長かった。
愛おしいというより、苛立たしいと言わんばかりの攻撃的なキスだ。執拗に舌ばかり求めてくるのは、淳史のストレス解消の一種なのだと思う。
息苦しさに胸元を押し返すことさえ気に入らないらしく、一層きつく抱きしめられて何度も舌を絡め取られる。せめてリビングで、と促すことは諦めた。覆い被さるような抱擁からそっと腕を抜いて、淳史の首へと回す。殆どしがみつくように背を反らせて、淳史の腕に身を任せた。昂ぶってくる体を意図的に押し付ける。
キスだけじゃ、足りない。
それに気付いたように、ようやく淳史が少しだけ抱きしめる腕を緩めた。
「ソファでもいいか?」
舐めるように耳元で囁かれて、そっと頷く。
「あっ……」
不意に脇と膝を掬われて体が宙へ浮く。軽々と抱き上げられたのが恥ずかしくて、思わず淳史の胸へと顔を押し付けた。淳史の腕に抱かれたまま、ソファへと辿り着く。
淳史の首筋へと抱きついたままの優生の唇を探るように、またキスが始まる。体を捻ったまま、今度はやさしいキスを受け入れた。啄むようなキスを何度かくり返してから、ゆっくりと唇を深く合わせる。誘うように開いた唇から入ってきた舌に舌を擦らせるように重ねて、ゆっくり絡ませる。やさしく触れ合うキスの方が気持ちがいいことを、つい最近知った。
「や……ん……」
いつの間にか胸元へ忍んでいた手が、過敏な突起を撫でる。身を捩る優生の体が、後ろから抱くような姿勢に引きよせられた。
「あ、ん」
痺れるような刺激から逃れようと腰を捩る。して欲しいのか、止めて欲しいのか自分でもわからなくて、ただ淳史の胸に頭を擦りつけた。
確かめるようにデニムの上から辿る掌に、優生の下半身が跳ねた。ひとつずつボタンを外して前を緩めてゆく手に応えるように成長してゆく。
「腰、あげろよ」
囁かれるままに腰を浮かせてデニムを下ろすのに協力する。膝の辺りで引っかかった生地を抜いてしまう気はないらしい。
「や……」
勃ち上がりかけた所を淳史の掌に包まれただけで震えてきそうなのに、敏感な先端を指先で擦られると気が遠くなりそうだった。大きな掌が上下する度に優生の息が乱される。
力の抜けていく膝に力を籠めようとするのを、淳史の脚がジャマする。開かされた内腿の生白さが目にも恥ずかしい。
「いや」
背後から優生の肩に乗せられた淳史の顔から庇うように首を振った。
「暴れるな」
囁くような声が首筋に触れる。そのまま肌を吸われて喉を仰け反らせた。淳史に触れられる場所が悉く敏感になっていくようで優生を戸惑わせる。
瞳と唇を閉ざして耐えようと思うのに、堪え切れずに目尻に涙が滲んでゆく。
「ん、あ、ああ……」
「ほんと、おまえは弱すぎるな」
からかうような言葉と指で優生を追い詰めてゆく。何とか淳史の言葉に態度で反抗したかったが、自分の体のくせに、いつも優生の思い通りにはなってくれなかった。
無骨な指をしているのに、どうして淳史はそんなにも繊細に優生を扱うのだろう。
「あっ……んっ」
抵抗は虚しく、淳史の手の中であっけなく弾けた。絡む指が、ゆっくりと優生に全てを吐き出させる。
「は……あ」
肩で息をしながら、脈を打つ音が耳の奥まで聞こえてきそうな錯覚に一人頬を熱くした。
淳史が濡れた手を拭うのをぼんやりと見ながら、その違和感に不安を覚える。なぜ、淳史はこんなにも落ち着いて見えてるのだろう。後ろへは触れもせず、欲望を感じている風もなく。
「剥けてないから早いんじゃないのか」
「え……」
聞き流してしまえるほど小さな声だったが、淳史の一言は耳に痛かった。聞き返さなければ傷付くこともないのに、意識せず声は洩れてしまっていた。
「被ったままだと生育も悪いし、もたないらしいな」
確かに、過敏で堪え性のない不肖の息子かもしれないが、そこまで言わなくても、と思った。
「まあ、他所で使わせるわけじゃないからどうでもいいが」
さんざん勝手な言葉を吐きながら、淳史は優生の服を直し始めた。どうやら、気持ち良くてもそれだけでは満足しないことを淳史は知らないらしい。
確かめるように、淳史の表情を窺った。
「淳史さんは……?」
「俺はおまえのように若くないからな」
それは、今日はできないという意味なのだろうか。以前にも一度、そういうようなことを言われたことがあったことを思い出して、入れてほしいと言ってしまいそうになる口元を掌で覆った。
「優生?」
「……ごめんなさい」
「疲れてるんだ、気にするな」
淳史を気遣ったわけではなく、自分のことしか考えていなかったのだったが、優生の言いたいことは伝わらなかったらしい。
「おまえが仕事に行かせるからだぞ? 頭を下げるようなことばかりだったから、疲れてそんな気にならないんだ」
何気なく言われた一言が優生を傷付けることに気付かないらしかった。束縛は人一倍でも、愛情をかけるのは気まぐれだということだろうか。
そのくせ、淳史の腕は窮屈なくらいに優生を抱きしめた。
愛しそうに髪を撫で、何度もキスを振り撒いて、愛されているのは本当かもしれないと思えるくらい優しかった。
優生がもっと慎ましかったら、幸せな気分に満足したに違いないのに。






「何から話せばいいのかな」
逡巡する俊明に焦れることもなく、優生は黙って待つ。
突然の俊明の訪問にも、優生の家出騒ぎで心配をかけたこととピアノの件で特に疑問に思うことはなかった。
淳史に連絡をするべきかどうかは迷ったが、出掛けるわけでないのだから約束を違えるわけでもない。今日も忙しく、休憩はおろか帰宅も遅くなりそうだという淳史を煩わせるまでもないことのように思えた。

まだ俊明とつき合っていた時に、前妻の妊娠が発覚して俊明の子供かもしれないと告げられた日もこんな雰囲気だった。
言い出す言葉をためらい、嫌な沈黙が続く。俊明は優柔不断ではないと思うが、相手を思いやり過ぎるのかもしれない。どんな言葉で包もうとも事実が変わるわけではないのに、少しでも傷付けずにすむ言葉を探して、逆に追い込んでしまうような気がする。
尤も、恋愛関係の終わった相手から何を言われようとも優生がダメージを受けることなどないはずだった。少し息苦しく感じるのは、俊明との別れにきちんと向き合わないまま淳史との関係を始めてしまったせいだということにはまだ気付いていない。

湯気の上がらなくなったコーヒーに視線をやる。淹れ直すために席を立てば、この緊迫した空気から逃れられるだろうかと考えた。
「ゆい」
優生が逃げ出したいと思っていることに気付いたのか、俊明は身を乗り出してきた。
「僕には母親の違う義弟がいる」
つき合っている時でさえ、殆ど俊明の身内の話など聞いたことがなかったから、突然の告白には驚かされた。淳史から聞いた話の中にも、義弟がいることには触れられていなかった。
「僕の母は、当時祖父の病院で勤務医をしていた父に一目惚れして、恋人と別れさせて結婚したんだよ。相手の女性も祖父の病院に勤務するナースで、おとなしく身を引いたそうだけど、父の方が諦めきれなかったらしくてね。しばらくは関係を続けていたようだけど……ある日突然失踪してしまったんだよ。ずいぶん捜したようだけど、元々身寄りもない彼女を見つけられないまま15年余りが経って……もう忘れた頃になって突然戻ってきたんだよ。僕より3ヶ月ほど後に生まれた義弟をつれて」
苦しげな顔を見せる俊明に同情するのは難しい。どちらかといえば、優生はその義弟の方に感情移入してしまいそうだった。
「病気で先が長くないことを悟って、子供を託すために現れたんだよ。かといって認知をさせる気はなかったそうだけどね。鑑定なんてするまでもなく、父の遺伝子を受け継いでいるのは一目瞭然だったよ。両親の良い所だけを選んで生まれたような綺麗で聡明な義弟でね。父には後見になること以外には望んでいなかったけど、僕とは年齢が同じだったこともあってわりと親しくしていたんだ」
今頃になって、俊明がそんな話をする理由がわからなかった。
「その人と何かあったの?」
「そうじゃないよ、ちょっと話が逸れてしまったかな。ともかく父はその女性がずっと忘れられないらしくてね、母とは書類上でしか夫婦とはいえないような状態なんだよ、ずっと」
「相手の人はもう亡くなってるんでしょう?」
「そうだよ。いっそ、現れないでいてくれたら、忘れたままだったかもしれないと思ったこともあるよ」
「その人が戻ってくるまでは上手くいってたの?」
「まあ、それなりにはね。でも、父はその人と再会してからは関連の病院に入院させて、ずっと詰めていたよ。亡くなっても長い間家には帰らなくてね、それほど好きだったんなら最初から母と結婚しなければ良かったのにと思ったよ」
「でも、お母さんは他に好きな人がいるのを承知で結婚したんでしょう?」
「確かに母が強引だったんだろうけど、父にも打算があったんだと思うよ。自分で開業するには元手もリスクもハンパじゃないからね。野心があるなら母はかなり魅力的に見えたはずだよ」
会ったことはないが、おそらく俊明の母親なら美人だろうと想像できた。美人で、後ろ盾もある女性に是非にと望まれたら、愛情以外何も持たない恋人を捨てても婿養子に入る価値があると思ったのかもしれない。
「お父さん、後悔してたのかな」
「再会したからそう思ったのかもしれないけどね。傍にいれば、そんな若くに死なせずにすんだかもしれないし」
「思い切るのに時間がかかるのは仕方ないよね」
愛してもらうことばかり考えているような優生には想像もつかないほど。
「だからかな、そのうち父に女性の影が見えるようになってね。それまでにもあったのかもしれないけど、その頃から隠すとかいうような気遣いをしなくなってしまったんだろうと思うよ。まあ、外科医は特にもてるからね」
俊明の憂鬱そうな顔は、てっきり父親に対する憤りや母親を気遣うものだと思っていた。
「特定の人と続いてたの?」
「最初はそうじゃなかったようだけど、少なくとも5年以上続いてる相手がいるよ」
「お母さん、大丈夫なの?」
或いは、そのくらいの覚悟をして結婚していたのかもしれないが。
「今更なんじゃないかな。今は、母より僕の方を気遣ってくれないかな?」
俊明の、いつになく弱気な口調にドキリとする。
「ゆい」
声に潜む切なげな響きに一瞬怯んだ。
「淳史はあんなに彩華に執着していたのに、どうして僕が離婚しても放っておいたのかな」
その話になった時に聞きそびれてしまい、明確な答えは導き出せなかった。ただ、俊明の想像とそう離れてはいないだろう。
「淳史から何も聞いてない?」
「……聞きそびれてたかも」
「淳史は知ってて黙ってたのかな」
何を、と問うのを躊躇ったのは嫌な予感がしたからだ。それを優生も知っていると言うのはもっと残酷な気がした。
「最近の出生前診断は5ヶ月までも待つ必要はないそうだよ」
その意味もわからず曖昧に頷く。
「産むしかない時期になるのを待っていたようだよ。尤も僕は彩華の相手を調べようとも思わなかったから、検査に何の意味もないことも知らなかったんだけど」
淳史に何も聞いていなければよかったと後悔してももう遅過ぎた。優生はあまり隠し事をするのには向いていない。
少し離れて隣に座っていたはずの俊明が、優生の前に回り込むように体をずらした。
「ゆい」
頬を掠めるように伸びてきた腕が、優生の後ろの壁に手をついた。ごく近い距離で見つめられる。
「君も知ってたのかな」
「……推論でしかない、という程度の話だけど」
きっと見抜かれていると思い、誤魔化すことは諦めた。
「淳史はいつも僕の好きになる人に興味を持つみたいなんだ」
苦しげに落とす視線が感情を抑えようとしているのが見てとれる。淳史が言うほど、俊明は鈍くないのかもしれない。
「一度くらい、仕返ししてもいいだろう?」
思わず頷きそうになってしまうくらい、せつなげな響きに引き摺られそうになる。見つめ合う目を先に伏せたのは優生の方だった。
唇に近付く気配にハッとした。
「だめ」
腕を突っ張って止める優生を、俊明はムリに引きよせようとはしなかった。俊明の言い分を否定したわけではなかったが、拒絶に取られたに違いない。
「他の人とキスしちゃダメって言われてるんだ」
言い訳のように口にした言葉に、俊明は小さく吹き出した。
「キスだけ? 他のことはしてもいいの?」
「え……と、腕枕もダメ」
「じゃ、その間は?」
「え……」
キスと腕枕の間といえば、やはり行為のことを指しているのだろうか。
迷う優生を急かすように、俊明の指が首筋を撫で上げた。耳の後ろから髪を梳く指に体がびくりとした。
「唇じゃなければいいのかな?」
首筋を掠める吐息に怖気づいた。その指が、唇が優生にどんな風に触れるか知っている体が過敏に反応する。
「ゆい」
耳元で囁かれる声が否応なしに思い出させる。一方的に受け入れさせられることしか知らなかった優生に快楽を教えてくれた俊明の、見た目より全然タフでくどいほどの愛情表現を。
否定しなければと思うのに、高揚した体は優生の思うようにはならなかった。脇腹からTシャツの中へ入ってきた掌が背中を伝い上がって衿を抜く。満たされていない体は、目の前にある快楽に容易く落ちそうだった。
指の腹が緩く撫でる胸元がもどかしく張り詰めていく。小さな突起を弄ぶ指が、じれったいほどやさしく爪先を立てた。
「……俊明さん」
請うように名前を呼んでしまうのは、もっと強い刺激が欲しいからで。頼りなく伸ばした手を取られて、俊明の首の後ろへと促される。胸元へと抱きよせてしまったのは無意識だった。
「ん……あ、んっ」
唇に含まれて舌で転がされると甘い痺れが全身に走る。薄い胸を反らせて俊明の髪に指を埋めた。柔らかく吸われて尖ってゆく先端に緩く歯を立てられる。執拗なくらいにそこばかりを弄られて体が小刻みに跳ねた。
「ゆい?」
そっと俊明の胸を押すようにして、二人の間に手を入れた。器用な指先で俊明のカッターシャツのボタンを外してゆく。できれば裸で抱き合いたかった。
露になる胸が触れ合うと、我慢できずに俊明のベルトにも手を伸ばす。もう、快楽のジャマになることを考えるのは止めて、行為に没頭することにした。
体の位置を入れ替えて、俊明をソファへと座らせる。優生はその前に膝をついて、俊明の股間へと顔を伏せた。そのままでは優生の中へ導くのはまだ無理な俊明の分身へとキスをする。舌を出して、濡れ始めた先端を舐めると、自分のものまで濡れてきそうな錯覚を覚えた。舌を絡ませて丹念に舐め上げてゆく。口の中で質量を増してゆくそれに貫かれることを思うと眩暈がした。早く欲しくて、夢中で唇と舌を動かした。
「……ゆい、離して」
少し掠れた声が、優生の顔を上げさせる。
「あんまり可愛い顔をすると、我慢できなくなるよ?」
両手で頬を包まれて、鼻先へとキスされる。俊明の前で跪いていた優生の腰が引き寄せられて、大事そうに膝へと抱き上げられた。髪をかき上げるようにして、耳の後ろから喉元へとキスをくれる。優生のして欲しいことを知っているかのように、俊明は先回りして叶えてくれた。
「もてあましてたのかな」
腰を支えていた掌に、背中から続く丸いラインを撫でられて、びくんと腰が跳ねた。窪みを辿る長い指が深く沈み込んでゆく。
「ひ、ぁっ……んっ」
満足させられていなかった体はあっけないほど簡単に侵入を許し、もっと欲しいと言わんばかりに奥へと誘い始める。
「淳史は意外と淡白だろう?」
驚いて目を上げた優生に、珍しく不謹慎な笑いを洩らした。
「もしかしたら、ゆいには物足りないのかな?」
「ん、ふ……あぁんっ」
優生の体を知り尽くしたかのような指に逆らう術もなく昂ぶってゆく。ねだるように腰を押し付けて、早く入れて欲しいと目で訴えた。
「ゆいは意外と貪欲だしね」
意地悪な言葉を紡ぐ唇を塞いでしまいたいのに、キスを封じられてしまうとそれも叶わなかった。
殆ど免疫のなかった優生を淫らに育てた張本人は、涼しい顔をしてゆっくりと優生の中へと入ってきた。
「あ……ぁん……」
思わず俊明の首へ縋りついた。焦らすように弱い刺激しかくれない俊明に、ついねだってしまいそうになる。つき合っている時から、俊明は優生の方から求めさせるようなところがあった。不慣れだった優生を気遣い確かめるやりとりが、慣れてからも残っていたのかもしれない。
「ゆい?」
合意を求めるような問いかけに、思わず頷いた。
「……もっと」
淳史に言われた言葉が脳裏を掠めたが、優生はすぐ間近にある誘惑に逆らうことができなかった。
「じゃ、キスしてもいいかな?」
「だめ……意地悪、しないで」
泣き出しそうな優生に、俊明はやさしく笑って目元へ口付けた。
そっと、優生の頭と腰を包むように抱いて、ソファへと上体を倒す。一旦深く優生の中へ押し入ると、早いストロークで追い上げていく。
「は、あんっ……あっ、あん」
腰を浮かせて俊明を深く迎え入れる度に、体中に痺れるような快楽が走る。優生の体を抱き慣れた俊明は、一途に優生を追い詰めて欲望を吐き出した。それに刺激されるように優生の緊張も解けてゆく。生だったと気付いたのは、まだ体の中で息衝く熱い塊が最後の一滴まで注ごうとするように蠢いていたからだった。つき合っている時でさえ、俊明はただの一度もコンドームを使わなかったことはなかったのだったが。
「ごめん、一度くらい君を直接感じたかった」
「……ちょっと、びっくりした」
戸惑う優生の髪がやさしく撫でられて、触れ合いそうな近くに吐息を感じた。思わず唇の前に手を上げる。
「キスしていい?」
何度目かの問いに首を横に振ると、俊明は残念そうに唇の端に口付けた。まるで、別れてしまったことを忘れてしまいそうになる一瞬だった。
欲しかったものを与えられたはずなのに、満足していない自分の貪欲さに呆れる。気持ちの良さと裏腹に、何かが足りないと思うの何故なのだろう。
優生の髪を梳いていた手が、頭を抱くように回されそうになるのを慌てて外した。
「ダメ」
「ゆいは頑固だね」
可笑しそうに笑って、俊明が体を起こす。あまりにあっさりとした仕草に肩透かしを食らったようで、責めるように見上げてしまった。
「淳史と上手くいってないの?」
「そんなこと、ないけど……あんまり、してくれないんだ」
「もったいないな、僕なら放っておかないのに」
それが真実だと知っている。少なくとも、彩華が現れるまでの俊明はそうだった。過剰なほどに優生を愛してくれた。今こうして足りないと思ってしまう元凶を作ってくれたと恨んでしまうほどに。
「仕事が忙しかったって聞いたけど?」
「うん……俺とタイミングが違うみたいで」
足りなかったら言えと言われていても、また拒否されてしまいそうで言い出すのは怖かった。相手の方から求められたいと思うのは優生の我儘が過ぎるのだろうか。
「ちゃんと話し合った方がいいよ?ゆいは大事なことも何も言ってくれないからね?」
「ごめんなさい……」
なぜか、その言葉は素直に出た。
「僕の手元にいなくても、幸せでいてくれればいいよ。困ったことがあったら何でも相談に乗るからね?」
何でも、と言われてすぐに頭を過ることがあった。
「あの、ね、聞いていいかな?」
迷ったが、他にこんな話をできる相手がいなかった。俊明は真摯な顔で優生を見つめてくる。そんな風にされると言いにくくなってしまうのだったが。
「この間、淳史さんに俺が早いのは被ってるからだって言われたんだけど……」
驚いたように目を丸くした俊明が小さく笑いを洩らした。こんなことを聞く優生も悪いのかもしれないが、ちょっと傷付いた。
「確かに、被ってると生育が悪いとか過敏過ぎてもたないとか言うけどね」
笑いを堪えながら真面目な顔を作ろうとされると、余計にいたたまれなくなる。やはり、人に聞くようなことではなかったのかもしれない。
「ゆい程度なら特に問題ないと思うけど……治したいの?」
「わかんないけど、その方がいいんだよね?」
「まあ、感染症にかかりやすいとか、人によってはコンプレックスを感じるとかあるようだけど」
今まであまり気にしたことのない自分が変わっているのかもしれない。友達ともそんな話をしたことはなく、比べようとも思わなかった。たぶん、淳史に指摘されなければ、気にならないままだっただろうと思う。
「や、ん」
いきなり俊明の手が触れてきた。
「被ったままだと圧迫されて、ここの発達が妨げられるとか、ここが未発達だと相手を満足させられないとか」
説明するために露出させる手にも過敏に反応してしまう。
「そういう風に刺激に敏感になり過ぎると言って気にする人もいるようだけど」
意地悪をするつもりだったわけではないらしく、そっと指が解かれた。
「僕は単なる個人差に過ぎないと思うよ」
「直さなくていいの?」
「そうだね、僕はいいと思うけど」
でも、淳史の評価はそうではなさそうなのだったが。
答えられない優生に、俊明が真剣な顔つきになる。
「思い詰めて手術なんてしたらダメだよ?傷が残るだけで何もいいことないからね」
「うん」
そこまで深く考えてはいなかったので逆に驚いた。
「自分で治すんなら、ここに輪ゴムを巻くとか、コンドームの先を切って被せるとか、ムキ癖をつけるといいって言うけど……試してみたい?」
「もしかして、俊明さん、おもしろがってない?」
「なくもないけど、優生がそこまで悩んでるんなら協力しないでもないよ?」
「悩んでるってほどじゃ……ちょっとは気にしてるけど」
「それならいいけど、絶対に手術はしちゃダメだからね?」
「わかった」
しつこいほどに念を押す言葉に頷く。
「じゃ、名残惜しいけど、そろそろ服を着てくれるかな?さすがにこの状況で淳史にバッタリ、なんてシャレにならないからね」
「たぶん、そんな心配はいらないと思うけど」
忙しい時期に休んだぶん、遅くなるのはもちろん休憩に帰るなど以ての外だと言っていた。
それでも、二人とも身支度をしておくことにした。さすがに、シャワーを勧めたりはできなかったが。
「ゆい」
また、触れそうな距離に俊明の顔が近付いた。なんとなく、口元を庇うように手を上げてしまう。
「なに?」
「僕らも秘密を共有しようか」
一瞬、継続的なことを求められたのかと思ったが、俊明の表情はそんな色っぽいものではなかった。
「子供が生まれたらすぐに母に預けようと思ってるんだ」
「え……」
「母とは血の繋がりはないけれど、父の子だから親子関係を築くのはおかしなことじゃないからね。まだ僕と母だけしか知らないことだから、誰にも内緒だよ?」
「……でも、お母さんだって、他所の女の人が産んだ子供なんて嫌なんじゃないの?」
その子も、優生のような思いをするのかもしれないと思うと俊明の味方をする気にはなれなかった。
「僕が父の子供を育てる方が不憫だと、母が言ったんだ。それに、彩華の手元に父の子供がいることの方が許せないようだよ。父は、僕が跡を継がなかったから、跡取りがいると思ったのかもしれないけど」
確かに、どちらで育てるにせよ、本当の親は片親でしかないのだった。
彩華から子供を取り上げることで少しでも気が晴れるのなら、それを望む気持ちもわからないでもない。ただ、そんな理由で育つ場所を決められる子供が可哀そうだ。
「他の人が産んだ子供でも可愛がってくれるのかな……」
「自分が産んだ子供にでもひどいことをする親がいるくらいだからね。でも、母は大丈夫だと思うよ。僕は愛されて育てられたと思うし、もしムリだと思ったら相談してくれるだろうしね」
確かに、血の繋がりだけで無条件に愛せるとは限らないと思う。
「……もう少し早く気付いていれば、君を手放さずにすんだのにな」
惜しむような口ぶりを嬉しいと思う自分を身勝手だと思うが、やっと蟠りが消えていくような気がした。優生のことを惜しむくらい愛してくれていたのだと、今なら信じられる。
「もし淳史と上手くいってなくて迷ってるんなら協力するよ?」
その協力の内容が必ずしも浮気とは限らないのに、優生は首を振って否定した。
「上手くいってないわけじゃないよ」
「それなら僕が付け入るスキはなかったんじゃないのかな?」
今更のように、浮気してしまった事実を認識して青褪めた。言葉を何と変えても、これが浮気だったことは間違いない。
「悪いのは君じゃないよ。もしも淳史にバレたら、僕に脅されたって言えばいい」
やさしい声が優生の耳元をくすぐる。その優しい人がもう自分のものではないことを少し淋しく思いながら、やっと俊明とのことが過去になったのを感じた。






ぎこちなく、淳史の上着を掴んで押し返してしまう。
玄関先で交わす挨拶のキスにさえビクついている優生に、騙すなどということができるわけがなかった。
「優生?」
訝しげに優生の顔を覗き込む淳史の顔がまともに見られない。疑われているような思い込みで息が苦しくなる。
「……うん」
無骨な指が優生の小さな顎にかけられた。
「こっちへ向けよ?」
どうしても目を見つめるのが怖くて、つい視線を落としてしまった。
「何かあったのか?」
「……ううん」
「優生」
脅されているわけでもないのに、いつも耐え切れずにあっさりと降参してしまう自分の弱さに唇を噛んだ。
「……ごめんなさい」
「まさか、また襲われたなんて言わないでくれよ?」
そう言いながら、否定するような響きの籠った言葉に、曖昧に首を振る。
「……襲われたわけじゃないんだけど、でも」
「どういうことだ?」
おそらく、容易に思い浮かんだはずの事態を否定したがっているような淳史に、何と言えばいいのかわからない。
「優生?」
壁へと押し付けられた体が痛む。浮気をしたと告白するべきなのか、俊明の仕返しにつき合ったと言葉をすり変えるべきなのか、いっそ何でもないとしらばっくれてしまうべきなのか迷った。
「言えないようなことか?」
暖房の効いていない玄関先でシャツをはだけられて小さく震えた。見てわかるような跡は付けられていなかったはずだったが、肌寒さと疚しさが身を竦ませる。
「誰に触れられた?」
見ただけでわかるはずがないと思うのに、淳史の断定的な言い方に何も返せなくなってしまう。
「ぁん……」
指先で軽く触れられただけで、全身がビクビクと震えてしまうほど感じてしまう。固く尖っていく先端が不自然に充血していたことに自分では気付いてなかった。
「ん、ああっ」
温かな粘膜に包まれると痛いほどに感じた。緩く吸われただけで脳まで快感が走る。
立っていられなくて淳史の腕にしがみついた。潤んでくる視界には怖い顔を捕らえているというのに、体を駆ける甘い感覚から逃れることができない。
「相手は誰だ?」
冷たい声が優生の耳朶を打つ。小さく首を振る優生の着ているものが一枚ずつ奪われてゆく。
「あっ……」
中心をキュッと握られて、痛みのためではない声が洩れた。いつの間にか、寒さを感じないほど体は昂ぶっていて、少しくらい手荒に扱われても、いっそ気持ち良くなってしまうほどだった。
「は、ぁんっ……ああっ……」
いきなり後ろへ入ってこようとした指を反射的に押し返したが、探るように奥へ進んでくると、次第に体は甘く蕩け始めた。
「誰が、おまえをこんなにしたんだ?」
低い声に、耐え切れずに小さく呟いた。今だけでなく、こんな風に淫らに育ててくれたかつての恋人の名前を。
「……どうして、俊明が」
優生を抱く腕から力が抜けてゆく。不意に投げ出された体が淳史に縋る。
「心配してくれて……ピアノのことも、あったし……」
「何の心配だ?」
怒りに目元を染める淳史が何かをしでかしそうで、思わず庇う言葉を口にしてしまった。
「淳史さんがしてくれないって言ったから……上手くいってないんじゃないか、って……」
「どうしてそんなことを俊明に話すんだ?足りなかったら俺に言えと言っただろうが」
目元を眇める淳史に怯えて、反論する声が掠れる。
「だって……そんな気にならないって、言ってたから……」
淳史が訝しげな顔でその記憶を辿っているのが見てとれた。
「……まさか、俺はいいと言ったことか?」
頷く優生の肩が乱暴に掴まれる。信じられないものを見るような眼差しが、憤りに塗り替えられてゆく。
「そんな理由で浮気したのか?おまえ、俺の言ってることをちゃんと理解してるのか?」
「じゃ、淳史さんは俺の言ったこと、ちゃんと聞いてくれてた?」
そんな口の利き方をしていいはずがないとわかっていたが、自分を抑えることができなかった。
「優生」
「俺は、入れられるのが好きだって言ったよ?そうじゃなきゃ、自分で抜けば済むんだから」
逆ギレしてしまったのは、自分の台詞があまりにも情けなかったからかもしれない。驚きで言葉を失くす淳史の表情が苦しげに歪んでゆく。
「……俺が悪かったって言うのか? して欲しかったんなら、もっとわかりやすく言えよ。あれで分かれっていう方がムリだろう?」
「だって、疲れてるって言ってたし……」
「それが浮気をしていい理由になるとでも思ってるのか?」
「そういうわけじゃ、ないけど」
掴まれていた肩を引きよせられて胸元に抱きしめられる。覆い被さるように高い位置から声が響いてきた。
「前にも言ったと思うんだが、おまえは他の男に抱かれても何とも思わないのか?それとも、まだ俊明に気持ちを残しているということなのか?」
「……サカってただけだよ」
「相手が好きでもない男でも平気なのか? 少しは俺に悪いと思わなかったのか?」
その時は、目の前にある快楽を追うのに必死で、それほど強い罪悪感はなかったと思う。苛まれたのは手遅れになってしまってからだった。
「……ごめんなさい」
「俺はおまえに惚れてから、他の誰かでもいいと思ったことはないのにな」
嘆息するように囁かれた言葉に、急速に罪の意識が膨れ上がってゆく。少し前まで、優生はそんな風に考えたことがなかった。ただ淋しさを埋めてくれさえすれば、その最もわかりやすい手段が体を繋げることだと思い込んでいた。それができるのがただ一人なのだとは知らなかったから。
「おまえの“好き”と、俺のは違うんだな」
以前、淳史のそれは錯覚だと言ったが、はき違えていたのは優生の方だと言いたげな口ぶりだった。今なら、淳史の言うことがわかるような気がしたが、今更そんなことは言えずに、淳史の背に回した腕に力を籠めた。
「好きじゃなくてもできると、おまえが言ったんだろうが。そのくせ、しないのは愛してないからなのか?」
その矛盾に反論する言葉が出てこない。
「抱いた回数が多い奴ほど、おまえを一番愛してるとでも思ってるのか?」
「そういうわけじゃ、ないけど……」
淳史の言い分は尤もだと、今なら優生もそう思うと素直に告げることができなくて。
「それで安心するんだな?」
違うと言えない優生の、首筋へと滑ってゆく唇が肌に痛いほどの跡を残してゆく。今まで、淳史はそんな風に所有を主張することはなかったのだったが。
「そんなところに、跡を付けないで」
「もう誰かに見られる心配もないのに、か?」
その意味がすぐには掴めず、淳史の目を見つめ返す。
「え……」
「俺がそんなに寛大だとでも思っていたのか? おまえを逃がさないためなら監禁でも拘束でもすると言っただろうが」
「俺、どこにも出掛けてないし、約束も破ってないよね?」
「浮気しない約束はしていないと言うつもりか? そんなことまでルールを作らないとわからないのか?」
「でも」
「無理矢理襲われたと言うんならともかく」
そう言われても、全ての責任を俊明に被らせることはできなかった。誘惑に負けて、殆ど抵抗することなく受け入れたのは事実だ。ただ、一度くらい仕返しをしたいと言った俊明を拒否してしまうことができなかったのも真実だったのだが。
「ごめんなさい」
謝ることで余計に淳史を怒らせることになるとわかっているのに、考えるより先に口にしてしまっていた。
「覚悟してるんだろうな? お前にも部屋にも鍵をかけると、言ってあったな?」
「そんな……だって、淳史さんは俺としたいわけじゃないんでしょ?」
ペナルティを課される前に、どうしても聞いておきたかった。なぜ、こうまで淳史が優生を束縛したがるのかを。
「したくないわけがないだろう」
「じゃ、釣った魚に餌はいらないってこと? 自分のものになったから興味が無くなったの?」
「そうじゃない、おまえより少しサイクルが長いだけだ」
「そうかな? ふつう、最初は珍しくて、凄く短いスパンでしたがるものだよね?」
「おまえの今までの男はみんなそうだったのか?」
そうだと言ってしまえず、言葉に詰まってしまう。
「俺は、おまえほど抱いたかどうかに拘る奴を知らなかったからな。それほど重要なことだとは思わなかったんだ」
「だって……淳史さん、いつも手加減してるっていうか、余裕のある所でしかしないし……」
「手を抜いてるとでも言いたいのか?」
「そんなんじゃなくて、上手く言えないけど淳史さんは全然がっついたりしないし、いつもゴム使うし、なんか余裕があるっていうか」
少なくとも、衝動的に突っ走ってしまうようなことはないと思う。
「大人になれと言ったり、10代のようにサカってろと言ったり、おまえの言うことには一貫性がないな。これからはゴムを使わないで外に出せばいいのか?」
「そんなこと言ってるんじゃなくて……淳史さんは、ナマでしたいと思わないの? 俺の中に出したいと思うことはないの?」
そんな風に、制御できない感情で優生に自分の印を刻みたいと思うことなどないのだろうか。何時間か前の俊明のように、優生を直接感じたいとは思わないのだろうか。
「……最初の時に、途中で外に出されたくないようなことを言ってただろう? でも中で出すと困るんだよな? おまえは俺にどうして欲しいんだ?」
「そんなの、その時の気分で変わるものでしょ? 淳史さんは我慢できなくなることはないの? どうして何日もしなくても平気なの?」
驚いたように目を瞠られて、優生の心配が杞憂だったことを知った。
「我慢がきかずに負担をかけたことがあるからな、抑えないと傷付けるかもしれないと肝に銘じてるんだ。それに、今はそんな無理をさせなくても、腕に抱いているだけで満足できないこともないしな」
「傍にいるだけでいいんなら、体まで束縛しないで? 俺はそれだけじゃ足りないんだ」
「逆か……おまえを手放さないでおくためには体を縛った方がいいんだな?」
「いや」
もしかしたら、本当に縛られるのかと身構えてしまった。
頬を撫でた手が顎を上向かせてキスを誘う。怖々と上げた目が合った途端に、反射的に閉じてしまった。見透かされるのは怖い。
怒っているのだと思っていたが、淳史のキスはやさしかった。長いキスのあと、静かに抱き上げられて、寝室へと運ばれてゆく。
優生を抱いたままでベッドの縁に腰を下ろす淳史が、無骨な手で頬を包んだ。
「俺の勝手に抱いていいんだな?」
確かめるように瞳を覗き込まれて、せいいっぱいの強がりで頷いた。淳史がそんな乱暴なことをするはずがないと思うのに、その捕食者然とした雰囲気のせいか体が勝手に震えてくる。自分から、衝動のままに抱いて欲しいと言ったも同然だというのに。
淳史の膝に座らせられた姿勢から、うつ伏せになるようにベッドへ倒される。淳史が服を脱ぐ音を背後に聞きながら待つ時間がひどく長く感じた。
「ひゃんっ……」
不意に尾骨の辺りに触れた濡れた感触に飛び上がりそうになった。腿の内側から両手で押し開くように力を入れられると腰が浮いてくる。唇が入り口をやわらかく吸う。
「っふ……や、んっ」
身を捩ると、その中へと厚みのある舌が入ってきた。なぞるように舐める舌が奥へと進んで中を濡らしていく。
膝を立てさせられた姿勢で腰を高く掲げられると、深くまで貫かれそうな予感に不安が入り混じった。欲しい気持ちに相反して、入ってくる時の衝撃だけはいつまで経っても慣れない気がする。まして、淳史のように半端でない質量で一息に押し入って来られたらと思うと身構えずにはいられなかった。
「力を抜いてろ」
「ん……」
意識して息を吐きながら、受け入れる時の不安より、その後の快楽を思おうとした。
「入れる時にはいつも泣きそうな顔をしてるのにな」
「え……あっ……くっ……やぁっ……んっ」
いつものように優しかったのは最初に入ってきた時だけだった。
狭い粘膜を無理に押し広げる硬く滾ったものは、深々と押し入っては引き出され、戻ってくる度に質量が増していくようだった。速過ぎるペースで息もできないほどに強く突き上げられて、焼け付くような痛みが全身に広がる。
「いっ……や、ん……淳史さ、ん……待って、お願い」
必死に言葉を紡ぐ間にも、淳史はとんでもない重量感で腰を打ち付けてくる。せめて浅い所で、と思うのに、優生の腰を掴む手がそれさえも許してくれなかった。
「いた、い……いや……お願い」
生理的な涙が止まらず涙声になる。
「酷く抱かれたかったんじゃないのか?」
「いや……こんなのはいや」
「我が儘だな」
動くのは止めてくれたが、熱く固い凶器のような塊りはまだ優生の中に深く納まったままだった。
「ごめん、なさい……痛くしないで」
耳元を噛むように低い声が囁く。
「じゃ、どうして欲しいんだ?」
「後ろからは、いや……そんなに深く入れないで。そんなに強くしないで」
「本当に我が儘だな、俺の勝手にしていいんじゃなかったのか?」
口論でさえ、淳史には敵わないらしかった。
「お願い……やさしく、して」
涙声で訴えると、ようやく淳史が体を退いた。そっと優生の体を仰向けに返して、涙の跡を拭うように目尻を唇で辿る。そのまま顎のラインをなぞって喉へとキスが続く。
「あ、ぁん……」
胸を弄る指に吐息が洩れる。痛いほどに張り詰めた小さな先端を口に含まれて舌で弄られると、だんだん体が昂ぶってゆく。
優生の中を確かめるように指が探ってくる。沁みるような痛みと背筋を駆け上がる別な感覚に仰け反った。
「は……んっ」
小さく息をついて、指の侵入を助ける。また欲しいと思えるくらい、やさしく擦ってほしかった。
そっと膝を立てて腰を浮かせる。触れて欲しい所へ当たるように微妙に位置を変えながら、腰を揺らした。
「ああっ……あ、あん……」
節の高い長い指を瞼に思い描くと、その力強くて繊細な指のくれる刺激を一層強く感じる。それだけでいってしまいそうになるほども。
「優生」
「……いや」
抜き取られてしまいそうな予感に追い縋る。
「指じゃ俺はいけないだろうが」
笑いを含んだ意地悪な声に、優生はもう一度“お願い”した。
「やさしくして?」
答える代わりのように、淳史はそっとキスをくれた。もう、怒っていないのだと思ってホッとした。
膝を大きく割られて、ゆっくりと優生の中へ淳史が入って来る。今度は全てが納まってからも慎重に動いてくれていた。
「は……ぁん……んん」
「大丈夫か?」
やさしい声に頷いて、淳史の首へとしがみつく。
痛みはまだ引いていなかったが、気遣うように緩やかなリズムで擦られる粘膜が淳史の行為に馴染んでゆく。
「は……ん……ああ」
時折、中をかき回しながら、少しずつ優生の深い所へと沈んでゆく淳史のものを無意識に締め付けた。
「淳史さん……」
痛みを上回る感覚に溺れそうで、淳史に縋ろうと腕を伸ばす。届く前に、深々と貫かれて泣き声を上げた。
「やっ……もう、ぁあんっ」
強く腰を打ち付けられても、もう感じるのは過剰な快楽ばかりで、淳史に操られるままに体を揺らした。
「は、ん……ぁん……」
我慢できないほど張り詰めて濡れた優生の前を、不意に強い力が掴んだ。
「勝手にいくなよ?」
「えっ……な、に?」
突然、淳史の手に握られて堰き止められた奔流が出口を求めて暴走しそうになる。
「や……いや、離して」
「じゃ、自分で握ってろ」
低められた声に戸惑った。今まで一度としてそんなことを言われたことはなかったのに。
淳史に言われた通りに自分の掌で包むと、その上から手を重ねられて、根元を強く握るように直された。
「俺をいかせてから、な」
「ひあっ、や……あ、んっ……」
頷く間もなく深く貫かれて手を離しそうになる。
「勝手にいったら縛るからな?」
見透かしたように囁かれて、慌てて指に力を籠めた。
「っふ……ああ、ぁん……っあ」
激しく突き上げられる度に体が二つに引き裂かれてしまいそうな衝撃が走った。痛みと快楽が交錯して、シーツに押し付けた頬へと涙が伝ってゆく。
「いや……あ、淳史さ、ん……おねが、い」
「やさしいだけじゃ物足りないんだろう?」
「ごめ、ん、なさい……も、ゆるして」
前言を撤回するように首を振った。たぶん、今なら何を求められても了承するだろう。
「もう少し我慢しろ」
「ひ……ぁあっ……」
体の奥に飛沫を打ち付けられるのを感じて、自ら縛めていた指から力が抜けた。ヤバいと思った時にはもう優生の手のひらへ吐精した後だった。
叱られると思ったが、何も言わずに淳史は名残を惜しむように何度か突き上げてからゆっくりと優生の中から身を引いた。そのまま、骨太な腕を優生の頭の下に回して抱きよせると、乱れた髪に唇を寄せた。
「大丈夫か?」
小さく頷く優生はまだ息も整えられないまま、そっと涙の跡を拭った。ぴったりとくっついた体から伝わる鼓動に、また心拍数が上がりそうになる。

満たされる理由が、少しだけわかったような気がした。
相性が合うと感じたのは体の都合だけではないらしい。足りない部分を補おうとしても、他の誰も代わりにならないことを知った。
優生を腕に閉じ込めた淳史の声が、低く響く。
「もう他の男に指一本触れさせるなよ?」
「うん」
「学校へ行くのもやめるな?」
「うん」
何を言われても頷くことしかできなかった。気遣いなどいらないと言ったせいでわざと酷く扱われた体がだるくて、寝返りを打つのも骨が折れそうだ。
「そのままでいいのか?」
「起きる」
ベッドから片足をずらして床へと投げ出す。もう片方の足も下ろして上半身を起こそうと思ったが、腕にも満足に力が入らなかった。
「大丈夫か?」
淳史の腕に支えられるようにベッドへ座ったが、立ち上がれる自信はなかった。かといって、トイレに付き添ってもらうのは嫌だった。
「……平気」
「筋金入りだな」
呆れたように呟かれても、踏み出す足に集中していたせいで答えることはできなかった。
個室のドアを閉めて座り込むとホッと息を吐いた。
「ん……」
そっと指で開いて、体の奥へと注がれた愛情の証明をかき出す。指を伝う生暖かな感触に、自分の欲しかったものがただの性欲でしかなかったかもしれないと思った。
後の面倒がないようにゴムを使って、傷付けないように優しく抱いてもらった方がどれだけ楽かわかっていたのに。
優生は自分の望みがないものねだりではなく、ただの我儘だったと認めるしかなかった。
よろめきそうになりながら、なんとか寝室へ戻る。
ベッドの縁に座った淳史に促されるまま膝へと腰掛けた。片手で肩を抱かれてキスが始まる。
「んっ……」
そのままベッドへと倒されていく体が怯えた。
「淳史さん、俺、もうダメ」
そうでなくても、俊明と一戦交えた後だったというのに。
「サカった方がいいんじゃなかったのか?」
「ごめんなさい」
素直に敗北を認めて頭を下げた。
「足りないってことはないんだろうな?」
念を押す言葉に大きく頷いた。
「足り過ぎだから」
弱音を吐く優生を可笑しそうに見下ろす。もう、反論する言葉は一言だって出てこない。
「愛していると認める気になったか?」
「うん」
欲しかったのは本当はフィジカルなものではなかったのだと認めないわけにはいかなかった。けれども、ささやかな反抗として、優生もきっと愛していると言うのはもう少し先にしようと思った。



- Love And Chain - Fin

【 Stay With Me 】     Novel       【 Jealousy In Love 】


2007.2.18.update

B'z の歌のタイトルをお借りしています。
内容は全く関係ないというか、むしろ逆ですが。

このまま甘い感じに進んでいくといいなと思いつつ。
まだしばらくはムリかもしれません。

追記.
俊明に“(包茎切除)手術はしてはいけない”と言わせましたが、
HIV感染予防には有効らしいです(他の性感染症についてはその限りではないようですが)。
ただ、専門的に訓練を受けたお医者様以外に手術してもらってはいけないそうです。