- Love And Chain.(2) -



「……俺、お祖父さんの話とかしたことなかったよね?」
淳史と初めて出逢った日に、駆け落ちをした父親の結婚を許す代わりに養子に出されたと言った程度で、空手を習わされていたことはその時に話したが、上辺だけの話しかしなかったはずだった。
「おまえの友達に聞いた」
「……勇士?」
「そうだ。おまえを捜そうにも、心当たりも誰に聞いたらいいのかもわからなかったからな」
「……携帯?」
勝手に人の携帯を見るなんて、と責められる立場ではないが。
「見られたくないなら置いていかないだろうと思ったからな」
言い訳がましく聞こえるのは、淳史に疚しい思いがあるからなのかもしれない。
「勇士に何を聞いたの?」
淳史に知られて困るようなことは、勇士も知らないはずだったが、あまりいい気はしなかった。
「おまえが祖父母や親族の前では優等生を演じていたとか、そうそう簡単には懐かないとかって話だな」
「演じてたわけじゃないよ、本当に優等生だったんだ」
優生の反論など聞いていないかのように唐突に、淳史はとんでもないことを言い出した。
「おまえ、あいつに惚れてたんじゃないのか?」
びくりとしてしまったのは、見透かされたのかと思ったからだ。
「なんなの、急に」
「俺みたいなのがタイプなんだろう?」
「え」
「おまえがそう言っていたと聞いたが?」
真っ赤になるのが、自分でもわかった。
こんなに素っ気ない態度を取っていたのに、実は淳史がストライクゾーンど真ん中で、俊明とつき合っていなければとっくに好きになっていたはずだなんて知られたくなかったのに。
ただ、もっと自惚れてもいいはずの淳史は、神妙は面持ちで優生を見つめていた。どうやら、淳史が言いたかったのはそういうことではなかったらしい。
「ということは、そいつもタイプだってことだろう? 見た目は俺と似たようなもんだよな?」
確かにそれは真実だったが。
だからといって、それを肯定するわけにはいかない。
「勇士は友達だよ、彼女がいたことも何度もあったし」
「今度のことでずいぶん世話をかけたが、もうあいつの所へは行くなよ?」
「何で」
「一人暮らしをしているんだろう? 噂になったことがあるということは、周りにもそういう風に見えていたということだからな。会うなとまでは言わないが、他の男の部屋に行くのを認めるわけがないだろう?」
「……淳史さん、勇士と何の話をしたの?」
或いは、勇士の方を問い詰める方が早いのかもしれなかったが。
「俺の知りたいことを聞くためには、先におまえとのことを話せ、というようなことを言われたんだ。おまえといつからつき合ってるのかに始まって、授業に出られないようなことをした犯人じゃないのかとか、携帯を変えさせて連絡を取らせないようにしたんじゃないかとか、登校日にも学校に行かせなかったんじゃないかとか、尋問というか取り調べを受けているような感じだったな」
淡々としているようでいて、言葉の端々に嫌味が窺える。
「ちゃんと説明してあったと思うんだけど……」
「俊明なら、授業も受けられなくなるようなことをするとは思えないし、仮にそうなったとしたら学校に行かせるはずもないだろうからな。時期も合わないし、俊明の前にもいたってことだろう?」
そこまで答える必要はないと思って返事はしなかった。
額に伸びた手が、優生の顔を上向かせる。否応なしに視線を合わせられて、嘘のつけない体質が肯定してしまう。
「……俺の男遍歴を聞きたいの?」
「そうじゃない。疑り深い訳じゃないなら臆病なのかもしれないが、もう少し自惚れてもいいんじゃないのか? 俊明の時にも、最初から諦めたような顔をしていただろう?あの時は、おまえが俊明のことをそれほど好きじゃなかったのかと思ったんだが……そういう問題じゃないんだろう?」
「淳史さんだって、子供の話をしてる時の俊明さんの嬉しそうな顔を見たでしょう? あんなの見せられて、まだ自惚れられるほど鈍くなれないよ」
本当は、できるならすぐにも逃げ出してしまいたかった。決められないと言われて、行き先もない優生には諦めながら待つ以外に方法がなかっただけだ。
「でも、おまえは俊明を責めるとか引き止めるとか一切しなかっただろう? 普通ならキレて泣き喚いたっておかしくないところだと思うんだが」
「俺と知り合う前のことまで責める権利はないでしょ。引き止めたってムダだってわかってたし、泣き喚く男なんて聞いたこともないけど?」
「別れてもいいと思ったから、黙って消えたのか?」
「え……」
その意味がすぐにはわからなくて、思わず淳史をまじまじと見つめてしまう。
「俺の言うことも信じられないんだろう?」
「……先のことはわからないんだからしょうがないでしょう? 何が起こるかわからないし、もっと良い人に出会うかもしれないし」
「それも俺のことを言ってるのか?」
まさか、というような顔を見せられると、言うつもりのなかったことまで口をついて出てしまう。
「淳史さん、もし彩華さんに子供の父親になってくれって言われたらどうする? 俺がそんなしつこい奴だったら面倒くさいでしょ」
「おまえな……言っていいことと悪いことがあるだろうが」
「でも、あり得ない話じゃないよね? 淳史さんの一番好きな人なんだし」
「どこをどうやったら、そんな結論になるんだ?」
「初めて会った時からずっと言われてたけど?」
優生のような色気のない子供は対象外だと、もっと大人で女らしい人がタイプだと何度聞かされたかしれない。だから、万が一にも自分が淳史の気を引くかもしれないと考えたことさえなかったのだから。おそらく、俊明が淳史を警戒しなかったのも同じ理由だったのだろうと思う。
「そういう意味で言ったんじゃない。殆ど俊明に対する嫌がらせみたいなものだ。大体、彩華が俺に子供の父親になってくれなんて言うはずがないし、俺がそうするはずもないだろうが」
そうするはずがない、という根拠もわからないのに納得できるわけがなかった。
「子供は好きじゃないの?」
「そういう次元の問題じゃない。おまえは父親が誰か知らないからそんなことが言えるんだ」
「そういえば、淳史さんはいろいろ知ってるって言ってたよね。教えてくれるんじゃなかったの?」
特に知りたかったわけではないが、話の流れで尋ねることになってしまった。
少しは嫌がらせになるかと思ったのに、淳史は勿体をつける風さえない。
「彩華がつき合ってたのは俊明の父親だ。外科医をやってるんだが、勤務先の院長の一人娘に気に入られて婿養子に入ったような人だから、離婚させるのはムリだったんだろうな。それで、父親がダメならせめて息子とでもと思って俊明と結婚したんだ。俊明も、まさか彩華の相手が自分の父親だとは知らなかったはずだからな。離婚したのは父親を思い切れてなかったからだ。戻ってきたのは、手切れ金代わりに子供が欲しいと言って叶ったからだそうだ」
そんな重大な秘密をさらりと言ってしまう淳史が怖くなる。俊明とは親しい友人のはずなのに。
「どうして、俊明さんに教えてあげないの?」
「結婚する前に彩華がどんな女なのか話してあるからな。俺が彩華に惚れていたことも、強かな女だということも知っていて、それでも構わないと言い切って結婚したんだ。今更何を言う必要がある?」
「それは、相手が自分のお父さんだって知らなかったからでしょう?……そういえば、検査したって言ってたのにわからなかったのかな」
「自分の病院で検査してるんだからバレるわけがないだろう。検査後のデータを変えることはできなくても、検査前のサンプルをすり変えることは出来るからな。書面さえクリアすれば、後は何の問題もないだろう? 同じDNAが流れているんだから、父親より祖父に似ていたって誰も疑いもしないからな」
「……そんなの、俊明さんが可哀そうだよ」
「父親の方とは今度こそ切れたようだから、そう心配するな。次に出来るのは俊明の子供だ」
「他人事だからそんなに簡単に言うんだよ。淳史さんだったら許せるの?」
「俺はとっくに降りてるからな」
では、さんざん俊明を責めるような言葉を投げていたのは何故なのか。仕返しにしては大人げなさ過ぎる。
「……淳史さん、何でそんなに詳しく知ってるの?」
「彩華が報告してくるんだ」
「何で……」
「いくら気が強くても、自分の中にだけ収めておけないこともあるんじゃないのか?」
人生のパートナーにはなれなくても、共犯者にはなったということなのだろうか。優生が思っていた以上に、淳史と彩華の関係は深いものなのかもしれない。
「まだ疑うか?」
やましことなど一つもないとでも言いたげな、淳史の揺るぎなさが羨ましくなる。相手の出方を窺うばかりの優生には持ち得ない強さだ。
「疑うとかじゃなくて、俺は“永遠”なんて信じてないんだ」
真実なのはそう言った瞬間だけで、先のことはその時になってみなければ誰にもわからない。後から言質(げんち)を取って恨んだり責めたりするつもりもないが、その言葉に溺れることもできそうになかった。
「……仮にも結婚相手にそんなことを言うのはおまえぐらいだろうな」
「淳史さんのことを信じてないって言ってるんじゃないよ?この先何が起こるかわからないんだから、そこまで責任感じなくてもいいって言ってるだけだよ」
淳史の腕が背を抱きよせる。肩越しに聞いたため息が少しせつない。
「おまえ、あの男の所に行ってから変わったな」
「そうかな?」
「前はそんなにハッキリとは、ものを言わなかっただろう?」
そう言われてみればそうかもしれない。リベンジが玉砕して、いっそ開き直ったような気はする。
「淳史さんが俺のことを誤解してるから……」
それも、淳史に都合の良いように。
「気を遣わなくなったのならいいが」
一度は諦めた恋人の元へ戻っても、何事もなかったかのように過ごすことはできないのだと淳史は気付かないのだろうか。
淳史はなかったことにしたいのだろうが、黒田との間に起こったことは事実で、少なくとも2度目のそれは優生が望んだことだった。いくら許すと言われたからといって、平気な顔をしていられるほど優生はふてぶてしくはないつもりだ。
その思いがつい、反抗的な言葉を選んでしまうのだと思う。
「俺も、自分がこんなにいい加減だとは知らなかったんだ」
「優生?」
「黒田さんの所に行ったのは、ちょっとでも仕返ししたいと思ってたからだよ。そこで自殺を図るとか、ちょっとハードめに抱かれて警察を呼ぶとか考えてたんだけど、黒田さん、全部見抜いてたみたいで」
「そんなことをしたらおまえにも傷が付くんだぞ」
「別に、俺は構わないし……」
死んでもいいと思っていたのに、そんなことを気にするゆとりなどあるわけがなかった。
「俺が構うとは思わなかったのか?」
怒りとも失望ともつかない表情に、改めて優生は自分のことしか考えていなかったことに気が付いた。
「ごめんなさい、淳史さんの所じゃなかったら迷惑にならないかと思ったんだ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
淳史の胸に凭れかかっていた体を引き離すように両側から腕が掴まれる。しっかりと見つめ合うための距離を取られたらしい。
「……何ともなかったんだろうな?」
意味を測りかねて、窺うように淳史を見上げる。
未遂だったと言われた、と言っていたが、その信憑性が薄いと思っているのだろうか。未遂か完遂かは問題ではないというような言い方だったと思ったが、本心は別なのかもしれない。
「好きな人がいるから俺とはしないって言われたよ。好きじゃなくても、俺は気持ち良かったのに」
「優生?」
「俺みたいなのは好みじゃないんだって。頑張って誘ったんだけど……」
乱暴な仕草で、体がソファへと押え込まれた。肩に埋まる淳史の指に、痛いほどの力が籠められる。
「淳史さん?」
「おまえが誘ったのか?」
「……うん?」
淳史が怒りを抑える時には拳を握って瞑目するのだと知っていたが。
「淳史さん?」
「……それも、俺が抱かなかったからか?」
「え?」
「どれくらい抱けば足りる?」
「ちょ、待って、そういう意味じゃないんだ」
「毎日か?」
「ちが……」
乱暴に服に手をかけられて、優生は何度も首を振った。
「いや」
優生の抵抗などものともせずに、容易く肌が晒されてゆく。腕を滑って床へと落とされたシャツに重なるように落とされてゆくデニムを目で追いながら、肌寒さに身を竦めた。
「あっ……」
萎縮した優生自身に指を絡められると不安の方が先立った。結局、相手が誰でも、優生は体に触れられると受け入れるしかなくなってしまうのだと思う。
「足りないなら俺に言え」
振り仰いで淳史を見ると、苦しげに眉を顰めて何かに耐えるような顔をする。
「今度他の男を誘ったら何をするかわからないからな?」
低められた声につられるように頷く。優生は、やっと自分の間違いに気が付いた。淳史を怒らせたのは優生が黒田に感じたことではなかった。優生は、黒田に感じた自分を恥じて自棄になっていたのに。
「ごめんなさい」
素直に謝ったが、淳史は優生を離す気はないらしかった。
「いや」
腿の裏をつかむ手に押し上げられて体を二つに折り曲げられるような格好になる。柔軟な優生には無理な姿勢ではなくても、真昼間の明るい部屋ではやはり抵抗があった。行為には慣れても、羞恥心が無くなることなどないのだといつも思う。
「ひゃ、ん」
濡れた舌の感触に閉じようとした膝が強い力に阻まれる。後ろを舌で探られると体中から力が抜けていく。そこに指も入ってくると、もう抗うことはできなかった。
「あ……んっ、んん」
馴染ませるように出入りする指を追おうと腰が揺らめく。
「俺にも言えよ?」
低められた声の意味が理解できない。
「……なに?」
「言葉じゃなかったのか?」
「や……」
優生をかき乱す指が不意に抜かれる。理由を問うように淳史を見上げて、何を望まれているのかを察した。
「入れて?」
ストレートに告げた言葉に、また膝が押し上げられる。
「あいつにもそう言ったのか?」
「え……ううん」
慌てて首を振った。黒田に言った言葉を尋ねられたのだとは思いもしなかった。
「じゃ、何て言ったんだ?」
すぐには思い出せなくて記憶を辿ってみる。
確か、最初は“する?”と尋ねて断られ、“おやすみ”のキスをねだってベッドへ誘い、添い寝をしてくれと言ったのだったと思う。
黒田が恋人の話をしながら、優生の中へと潜らせてきた指がどんな風に蠢いたのかを考えただけで体の奥から欲情してくる気がした。
浅い所で緩く出入りをくり返す指が少しずつ奥へ進み、馴染むのを待ってもう一本増やされる。ゆっくりと内側を擦りながら回される指が深く沈んでいくのを待ち切れずに腰を揺すって急かした。
「あ、ぁん……」
軽く曲げられた指先に突かれる度に体の奥から果てしない欲望がこみあげてくる。その先を何と言ってねだったのか記憶を辿ろうとしても、思い出すのはその感覚ばかりだった。
「あ……んっ」
リアルに甦る指が穿つせつなさに、小さく喘いだ。
「優生」
「だめ」
また、あの指にいいようにされてしまいそうな錯覚に首を振る。
「は……ぁん」
体の中にあるのは淳史のものだと認識するまでに、ずいぶんかかってしまった。
ソファに倒されていた体が腰をつかまれて起こされる。
「いや」
指の代わりに押し当てられた固いものに一瞬腰が引けた。よほど慣らされるまでは、いつもその圧倒的な質量に怖気づいてしまう。一旦中へ入ってしまえば苦痛は消えてしまうが、ともかく、納まるまでが難儀だった。そもそも、そんなことに使う器官ではないというのは尤もな言い分だと思う。
「ああっ……あ、んっ……」
生理的な涙が浮かぶ目元を、淳史の唇が触れる。少し苦しそうに眉根を寄せているのは、淳史も窮屈だと感じているからなのだろう。
ゆっくりと腰を揺すり上げられて、より深い所まで入ってくる。けれども、先の怒りを感じさせないくらい、淳史はやさしかった。




「で、どうやって誘ったんだ?」
ぼんやりと余韻に浸っていた優生の脳には、すぐにはその言葉が届かず、淳史の顔を見つめてしまった。
「俺にはできないのか?」
黒田にしたことを再現しろと言われているのだと気付いて困惑した。深く繋がり合って満たされたのは優生だけだったのかもしれない。
「え、と、おやすみのキスをしてくれないと寝付かないって言った」
「そんなことを言ったのか?」
「うん……」
そんな大したことだとは思わなかったが、淳史はひどく不機嫌な顔になった。
「それだけか?」
「添い寝もしてくれないと眠れないって言ったかな……」
言い終わらないうちに淳史の目つきが変わった。
「したのか?」
「ううん、添い寝はしないって」
途端に淳史がホッとしたように息を吐く。そんな重大なことを言ったのだろうか。
「言うまでもないことだと思ってたんだが。俺以外の誰にも、挨拶のキスもさせるな。ねだるなんて以ての外だ。もちろん、添い寝も腕枕もダメだからな?」
「うん……?」
理由を問うように淳史の瞳を覗き込む。優生の顔を呆れ果てたよう見下ろす淳史の唇がまたため息を吐く。
「あのな、そういうのは誰とでもすることじゃないだろう?他の男にさせたくないとか、俺に悪いとか思わなかったのか?」
「……ごめんなさい」
「思わなかったんだな」
念を押されて項垂れた。肯定する所ではないことはわかったが、淳史の言う通りだったことはもろバレだ。
優生の肩を抱きよせて、唇で髪や頬に触れる。いつも以上に優しい仕草に思えた。
「こういうのは、恋人にしかしないものだ」
「……わかった」
優生は、どうやら自分の情緒が欠落しているらしいことを初めて知った。



- Love And Chain.(2) - Fin

【 Love And Chain.(1) 】     Novel       【 Love And Chain.(3) 】


どうやらソファでえっちというシチュエーション(で書くの)が好きらしいです。
床が傷みそうとか、淳史は体格がいいから大変そうとか思いつつ。