- Love And Chain (1)-
・出掛ける時には行き先と帰宅時間、人に会うならその相手も知らせてから行くこと。
・遅くなりそうな時には連絡を取って了承を得ること。
・無断外出及び外泊をした場合は理由の如何に係わらず、それ以降の外出を禁止する。
そんな風に、コピー用紙に箇条書きにされていく項目に眩暈がした。
優生の立場の弱さにつけこんだ淳史に、まるで小学生のようなルールを作られたのは自分が悪いのだという自覚はあった。あったが、素直に聞き入れられるほど優生はまだ大人にはなっていない。
「淳史さん、俺をいくつだと思ってるの?」
「黙って出て行くような奴にそんなことを言う資格はないだろう?」
どうやら、まだ仲直りはできていないらしい。もしくは、淳史の気は済んでいないのだろう。
「でも、淳史さんが仕事に行ってる間に出掛ける時もあるでしょう」
「メールでも入れておけばいいだろう」
事も無げに淳史は言うが、いつもすぐに連絡がつくとは限らないのに、何とも不便なことだ。
「大学に行き始めたらそうもいかないと思うんだけど」
日によって時間も違うし、サークルに入れば付き合いも広がるはずだ。
「守れないんなら行くな」
「な……淳史さん、横暴過ぎるよ」
「何回も同じことを言わすな」
歩み寄ってくれる気になったのかと思ったのは気のせいだったらしい。とことん、淳史は自分の考えを貫く気らしかった。
「とりあえず飯食いに行くぞ」
「あ、うん」
黒田の所から戻ってからの話し合いはなかなか纏まらず、とっくに昼を回っていた。元からそう食欲旺盛なわけではない優生はともかく、淳史はさぞ空腹だろう。
「続きは帰ってからな」
「え、まだあるの?」
「まだも何もこれからだろうが。肝心なことは何も聞いてないんだからな」
その内容が何となく想像できるせいで、優生はますます憂鬱な気分になった。
「あ」
聞き覚えのある声に振り向いた。
「紫(ゆかり)さん」
数日前に教えられた呼び名を、優生は思わず口にした。
「おまえ、何でこいつの名前を知ってるんだ?」
訝しげな淳史に何と言おうか迷った優生の代わりに、紫が答える。
「この間、駅前で会ってお昼一緒したんだよ。ゆいちゃん、ボディーガードのお兄さんには会えたの?」
「ええ、まあ……」
何とも最悪な展開になってしまったことに、優生は思わず天を仰いだ。
「おまえが優生をあの男に会わせたのか?」
殺気立つ淳史に驚く紫を気の毒だと思ったが、追い討ちをかけた責任は取ってもらうべきかもしれない。
「会わせたわけじゃないよ、心当たりを尋ねられたからちょっと調べてあげたけど」
「余計なことをするな」
「随分待っていたみたいだったしね、困ってるのかなと思って」
「気安く声をかけるなと言わなかったか?」
「そこまで指図される筋合いじゃないだろう。工藤、この子とどういう関係?」
慌てたのは優生だけで、淳史はいたって平然と答えてしまう。
「お嬢の件で俺は既婚だと聞かなかったか?」
「……え、ゆいちゃん、男の子だって言ってなかった?」
紫の視線に、優生は曖昧に肩を竦めてみせた。ついこの間、あんなにはっきりと認めておいて、今更言い逃れのしようがない。
「そんなに驚くようなことか? おまえだって同類なのに」
「でも、工藤はそうじゃなかったよな?」
やっぱり、と思いながら二人の会話を聞く。紫と初めて会った時にも、淳史は含みのある言い方をしていた。
「宗旨変えしたわけじゃないが、こいつは特別なんだ」
「ふうん」
意味有りげに眺められるのは居心地が悪い。淳史もそう思ったのか、紫から庇うように優生を脇へやった。
「ともかく、おまえは今後一切優生に係わるな」
「そんなに心配なら、家に閉じ込めておけば?」
「おまえもそう思うか?」
また、その話になってしまったことに、優生は小さくため息を吐いた。
「まさか、本気でそんなことしようと思ってるわけ?」
「おまえみたいなのがいると思うと気の休まる暇がないからな」
「下心はないよ。何となく、ゆいちゃんは放っておけない気がして声をかけてしまうだけだから」
「わからんでもないが、こいつは俺のだからな」
言い切る淳史に驚いたのは紫も同様らしかった。
「てっきり女王様撃退の言い訳だと思ってたよ。あんなことするってことは、もしかして仕事も辞める気なのか?」
「喧嘩を売ってきたのは向こうだ。俺は一生分の忍耐力を使って譲歩したんだからな。会社には、休暇願いが通らないならそれでいいと言ってある」
「淳史さん」
今更のように、優生は自分の取った行動のあさはかさに気付いた。決して、淳史の気持ちを試そうと思ったわけではなかったが、結果的にそう取られてしまったことが悔やまれる。
「おまえも、こいつとは二度と口をきくな」
紫に視線をやると、軽く肩を竦めて笑った。優生より、淳史の性格を把握しているのかもしれない。
「工藤は女王様の件では被害者かもしれないけど、仕事はちゃんとしろよな。こんな急に休まなくても、有給も全然使ってないんだし、仕事の調整をしてからでいいんじゃないのか?」
「今休まなけりゃ意味がないんだ。あの女のせいで、結婚もしないうちに逃げられる所だったんだからな」
「結婚て……養子縁組でもするつもりか?」
「優生が海外に行くのは嫌だと言うからな」
「……免疫がない奴ほど怖いってホントだなあ」
からかうような紫の言葉に、淳史の顔色が変わる。
「大体、優生の様子が変だと思ったんなら、俺に連絡を入れてくれればよかったんじゃないのか?」
「おまえが午後からサボらなかったら、ゆいちゃんに会ったって教えてやってたよ」
「……結果的に遠回りになったってことか」
淳史が仕事を休んで優生を捜してくれていたために、見つけるまでに時間がかかったようだ。
「で、いつから出て来る予定?」
「今週はムリだな」
当たり前のように返す淳史に、黙って聞いていることができなくなった。
「すみません、明日は行きます」
「優生」
淳史に軽く睨まれても、気付かない振りで紫の方を見る。
「ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「俺には迷惑なんてかかってないよ。工藤はまた当分忙しくなるだろうけど」
「それじゃ意味がないだろうが」
淳史がいちいち言葉を荒げるのを、事情を詳しく知らない紫は訝しく思っているようだった。
「いきなり何日も休んだんだから当たり前だろう。早く帰りたかったら死ぬ気で働けば?」
また反論しそうな淳史を、何とか優生の方に向かせる。
「迷惑かけたのは事実でしょ。お仕事はちゃんと行かなきゃダメだよ。そのために箇条書きしたんでしょ?」
「じゃ、守れるんだな?」
「守らなくてもいいの?」
決定事項だと思っていたが、交渉中だったのかもしれない。
「何かジャマそうだし、戻るな」
気を遣う紫に、慌てて頭を下げる。
「ごめんなさい、明日はお仕事に行きますから」
「じゃ、ゆいちゃん、またね」
軽く片手を挙げた紫を、無言で睨み付ける淳史に身震いしたのは優生だけではなかったようだ。
急ぎ足で去ってゆく紫を見送る優生の腕が掴まれる。
「わざわざ会いに行ったのか?」
低められた声に、優生は小さくため息を吐いた。拉致られたと言った覚えもなければ、監禁されていたと言った覚えもなかったが。
「会えたのは偶然だけどね」
「優生、おまえな……」
言いかけて、淳史が言葉を切る。今更のように、往来だということに気が付いたようだ。
「帰るぞ」
家を出る前以上に険しくなった淳史の顔に、優生は盛大なため息を吐いた。
家に戻るとすぐに、淳史はソファに深く腰掛けて、両手で頭を抱えた。
そっと近付くと、不意に抱きよせられる。崩れそうな体を立て直そうと思ったが、膝へと座らされた。
向かい合って座らせられているせいで顔がひどく近い。恥ずかし過ぎる体勢に、距離を取ろうとする優生の頬を大きな手が包む。
「俺はおまえのことを何も知らなかったんだな」
重々しく吐き出されたのは、つい最近、勇士に言われたのと同じ言葉だ。淳史は出掛ける前に言っていた話の続きを始める気らしかった。
「何もって、別に隠し事をしてるつもりはないけど」
単に、聞かれないから伝えていないことが山ほどあるのも事実だったが。
「おまえが後藤と会ってたことも気が付かなかったよ。まさか、おまえがそんなにいろんな男に目を向けるとも思ってなかったしな」
よもや、優生が紫に色目を使ったとでも言うつもりだろうか。
「淳史さんが俺を誤解してただけだよ、俺はそんなに純粋じゃない」
また、淳史が瞑目する。そんな、耐え難いようなことを言ったつもりではなかったが。俊明と深いつき合いをしていたことも、簡単に淳史に乗り換えたことも知っているはずなのに。
「おまえに必要なのは、住む所と体の合う相手だけなのか?」
「な……」
否定しようとして、それが必ずしも間違ってはいないことに気付いて言葉に詰まった。
「その相手は俺じゃなくてもいいということか?」
「……淳史さんと別れたらそうなると思うけど」
また、優生に興味を持ってくれる誰かを見つけられたら、の話だが。
「別れる気でいるのか?」
「俺じゃなくて、淳史さんが」
「そんな生半可な気持ちで結婚してくれなんて言うわけないだろうが」
今にも30歳に手が届きそうな大人の男にしては随分甘いことを言うと思う。今まで優生に執着を見せた相手から、あまりにもあっけなく切り捨てられてきた身としては、とてもそんな楽観的にはなれそうになかった。
「自分の言葉にそこまで責任感じなくていいよ? 少なくともその時は本気で言ってくれたんだと思ってるし」
淳史は怒る代わりのように、大きなため息を吐いた。
「……おまえがそんな疑り深い性格になった理由に心当たりはあるか?」
「疑り深いって……普通だよ。俺、小さい時からずっと素直ないい子だって言われてきたし」
「そりゃ異常だろう?」
「異常って、そんなこと初めて言われたよ」
「おまえは素直だったわけじゃなく、ただ相手に逆らわないようにしていただけなんじゃないのか?」
そうなのかもしれない。おとなしく従っていれば、本心かどうかは求められなかった。優生の意思に係わらず受け入れるしかないとしたら、逆らうことに意味があるとは思えなかった。
「おまえの人間不信は相当に根が深そうだな」
「そう思うんなら、これ以上悪化させるようなこと言わないでくれる?」
「俺の何を疑わしいと思うんだ?」
「別に、疑ってるわけじゃないけど」
もし、根拠の無いその愛情だと言えば、淳史も冷めるのだろうか。
いつも、優生が手に入れたと思った途端に、幸せはすり抜けていく。それなら、安心しなければいくらかは引き延ばせるかもしれない。
「おまえの育ての親はずいぶん厳しかったんだろう?」
「うん? 昔気質な人だったし」
「可愛がられなかったのか?」
「……意味がよくわからないんだけど?」
突然そんなことを言い出す理由も。
「おまえの人格形成に大きく影響してるだろうと思ったからな」
「だろうね」
「わざわざ養子に貰ったからこそ厳しく育てたんだろうが、おまえに伝わってないんじゃ意味がないな」
「大事に育て過ぎて一人息子が駆け落ちなんてしたから、俺には厳しくしたんじゃない?」
「武道をやらされてたと言ってたな。それも躾のためか?」
「そういうんじゃなくて、おじいさんも骨細な人だったから、俺には男らしく育って欲しかったみたいだよ。遺伝子的にムリだとは気が付かなかったんだろうね」
「強く育って欲しいっていうのは、親としては当たり前のことなんじゃないのか?」
「育つ前に殺されかけたことあるんだけど」
「祖父さんにか?」
忘れかけていたことの、何一つ本当は忘れていなかったことに気付かされるこの瞬間が嫌だった。だから、昔のことはなるべく話さないようにしているのに。
「俺、小さい時は喘息が結構ひどかったから、体を鍛えなきゃいけないって思い込んでたみたいなんだ。少々体調が悪いくらいじゃ稽古も休ませてもらえなくて、ムリした挙句に肺炎を拗らせて1ヶ月くらい入院したこともあるよ」
いっそ、手遅れになっていればよかったのにと何度思ったか知れない。
「虐待と紙一重だな」
命に係わるかどうかは別にして、自分もそれに近いことを優生に強いていることに淳史は気付かないのだろうか。そこにある感情が愛情だとしても、優生の全てを把握して束縛しようとしていることに大差はないと思うのだが。
ただ、そこに優生の意思が存在するかしないかにどれほどの違いがあるのか、優生にはまだわかっていなかった。
言わずもがな、って感じのタイトルです。
リアルでそこまで愛されると、引きますが、
優生には本望でしょう。
色気も何もなく、中途半端に続いてごめんなさい。