- Do Me More(4) -



「……ねえ、ゆいさん? 昼間とか、義くんがこっちに来ることある?」
遠慮がちな問いかけに、里桜が来ていたことも忘れて集中していたポータブルゲーム機から顔を上げる。
ダイニングテーブルで課題と格闘する里桜と、ソファに浅く腰掛けて画面の中でモンスターと格闘する優生との間はそう遠くはないが、自分の世界に没頭するには十分な距離があった。
だから、話すタイミングを窺う里桜の手元が一向に捗っていないとは気付く余裕もなく。
「義之さんなら里桜と一緒の時しか来てないけど? 何かあった?」
「ううん、何かあったとかいうんじゃないんだけど……そんな忙しい時期でもないのに帰るのが遅いことが多いから、昼間サボってんのかと思ったんだけど……やっぱり、ただ忙しいだけなのかな」
優生が臥せっていた間、毎日のように訪れていたのが嘘のように、義之が昼間のうちに様子を伺いに来ることはなくなっている。
淳史が快く思っていないと知ってから、優生の方から連絡を取ることも控えていた。
「ああいう職業って、業務だけじゃなくて、接待とか呼び出しとか、時間外のつき合いがいろいろあるんだろ? 前の奥さんとはそれで擦れ違って離婚したって言ってなかったっけ?」
「そうだけど……ゆいさん、よく知ってるね?」
安心させてやるつもりが、余計なことを言ってしまったかもしれない。
「よくは知らないよ、淳史さんがそういうようなことを言ってたから……だから、遅くなっても日付が変わる前には帰るし、休出も土曜か日曜の片方だけにしてるっていう風に聞いたけど?」
「それはそうなんだけど、でも12時近くなることなんて今まで滅多になかったのに、この頃よくあるし、俺、夜が弱いから先に寝ちゃってて顔も見えない日もあるし……そうかと思えば、平日はヤだって言ってるのに、たまに早く帰った日は凄くしつこくセマってきたりして、訳わかんないよ」
顔を伏せる里桜が泣き出しそうに思えて、手にしたゲーム機を前のテーブルに置いて立ち上がる。
里桜の傍に移動して、覗き込むように顔を近付けた。
「一緒に居られる時間が短いぶん、焦ってるんじゃないかな? 義之さんて、元々激しい方なんだろ? 淳史さんだって、俺が毎日でもして欲しいの知ってるから、俺が物欲しそうな顔してたら絶対つき合ってくれるよ」
「そうなんだ……でも、あっくんは体力ありそうだからいいけど、ゆいさんは次の日大丈夫なの?」
「うん。淳史さん、すごく優しいから大丈夫。それに、俺はずっと家に居るから、少々ダルくても問題ないし。里桜も義之さんとは長いんだし、いい加減、義之さんのペースに慣れてあげたらいいのに」
具体的な何かを想像したのか、みるみる頬を赤く染める里桜は、時として見た目に違わぬ初心な少女のようなリアクションをとる。中身が外見を裏切っていることなど、疾うに知っているのに。
返事もできないらしい里桜の肘を取って、ソファへ誘う。
先に腰を下ろす優生に続いて、里桜も隣へと並んだ。
「一緒にいられる時間が減って淋しい? それより、浮気でもしてるんじゃないかって心配?」
意地悪な問いに、里桜は小首を傾げた。
純粋に、自分の気持ちがわからない、といったように考え込む。
少し強めに里桜の腕を引っ張り、バランスを崩した体を引き寄せ、ぎゅっと腕に抱きしめる。
くっついた胸から伝わる鼓動が里桜の動揺を伝え、あからさまな抵抗は見せなかったものの、身を固くしたのがわかった。
「俺は、淋しいと猜疑心が強くなっちゃうんだ。だから、とりあえず他の人に甘やかして貰うのが一番かなって思うんだけど?」
一応、他意も悪戯心もないことをアピールしておく。今の優生は、不謹慎な衝動で里桜を誘惑しようと考えているわけではなかった。
「……そうかも」
それまで強張っていた体が、短く吐かれる息とともに脱力する。
優生が義之の腕に癒されたように、少しでも里桜を慰められたらと思った。


指にかからずサラサラと流れ落ちてゆく黒い髪を、何度も撫でる。
里桜は髪に触れられるのは嫌ではないようで、気持ち良さげにされるがままになっていた。
「……何かね、義くん、この頃ちょっとヘンなんだ。考え事とかしてるんだろうけど、話しかけてるのに気付かないことがよくあるし、何か悩みでもあるのかな?」
「仕事が忙しいんなら、ただ疲れてるだけだろ?」
敢えて素っ気無く、無難な言葉で流す。
気のせいだと思いたいが、どうにも嫌な予感のようなものが胸に湧き、それに自分が無関係ではないような感じが何とはなしに不安だった。
たとえ優生の預かり知らぬところで起きていることだとしても、傷付ける側には回りたくない。ましてや、それが近しい人なら尚のこと。
「ゆいさんにも迷惑かけてごめんね? なんか、二人のジャマしてばっかで申し訳ないなあって思ってるんだけど……」
項垂れた、と言うと大げさかもしれないが、小柄な里桜が萎縮するような姿勢を取ると、ひどく頼りなく感じて対応に困る。
初対面の頃の慣れ慣れしさが嘘のように、親しくなるほどに里桜は気遣いをするようになったと思う。
「お互いさまって思うことにしようって決めただろ? “旦那”が二人して超心配性なんだから、俺らが大人になって合わせるしかないんだから」
こうなる前に話し合ってあったにも拘らず、里桜は自分が世話になる機会の方が多いことを気にしている。
過保護な保護者二人の勝手な取り決めで(少なくとも優生や里桜には事後承諾で)、泊まりの仕事や夜10時までに帰れない時には隣家に預けるということになっていた。但し、淳史と里桜もしくは義之と優生の二人きりにはならないという注釈つきだ。
おそらく、それは昼間の義之と優生の関係にも準じることになったのだと思う。そう考えれば、いくら優生の体調が良くなったといっても、毎日のようにバイタルチェックに訪れていた義之がぱったり現れなくなったことにも納得がいく。
「もし、義くんが続けて遅くなるようだったら、俺は実家に行くようにするから……」
「こっちこそ、見苦しいっていうか、居づらくさせてたらごめん」
里桜に最後まで言わせないように言葉を被せる。
もしかしたら、淳史と優生が里桜の目の前でも構わずハグしたりするから気まずいのかもしれないと思ったのだった。
「それは全然……っていうか、眼福って言うんだっけ? なかなか他の人のラブラブなところなんて見る機会なんてないし、あっくんとゆいさんってどんな感じなのかなあとか、ちょっと興味あったし」
薄っすら頬を染める里桜は本気でそう思っているようで、嫌な思いをさせていなかったことには安堵したが、淳史と優生が傍目にはどう見えているのかを思うと今更のように恥ずかしくなる。
「それなら、実家行くとか言うなよ? 俺には帰るところはないんだから」
「うん……じゃ、甘えさせてもらうね」
納得したのか、気持ちを切り替えたのか、里桜は前言を撤回すると、似つかわしくないほど神妙な顔をして課題に戻った。


いつになく遅く保護者が迎えに来たときには里桜はとっくに夢の中で、連れ帰るために義之に抱き上げられても目を覚ますことはなかった。






深く、沈み込むようにソファへと凭れかかった淳史は、ひどく疲れているように見える。
淳史を気疲れさせるような事態を想定してみれば、優生が思い付く原因はひとつしかなく、尋ねたくないというのが本音だった。
かといって、見て見ぬふりなどできるはずもなく。
「淳史さん、何かあったの……?」
淳史の隣へ腰掛けるつもりが腕を引かれ、優生の体はすっかり定位置となった膝の上へと乗せられた。
目を合わせる間もなく淳史の胸に押し付けるように抱き寄せられ、低い声が思いもかけない人の名前を呟く。
「後藤がな……」
言いかけたものの、淳史は続ける言葉を迷っているのか、なかなか本題に入ろうとしない。
そっと淳史の胸を押し、腕が緩められるのを待って頭を上げる。
「紫さんがどうかしたの? そういえば、しばらくメールも電話も来てないけど」
急かすつもりはなかったが、先を促す言い方をした優生に、淳史の表情が険しくなる。
「おまえは後藤の相手を知っていたのか?」
心なしか責めるような響きに、優生が心配していたのとは別の意味で最悪の事態かもしれないことに気が付いた。
優生が淳史の元を離れていた時に身を寄せていた相手のことは一切がっさい禁句だと心得ている。たとえ世間話程度であっても、迂闊に口にすれば淳史の逆鱗に触れるとわかっていたから、紫が黒田とつき合うことになったと聞いたときにも敢えて話さずにいたのだった。
それを、淳史が後から知れば気を悪くするだろうと思わなかったわけではなかったが。
「……一応」
「それは後藤から聞いたのか?」
「うん」
「後藤は、おまえの代わりにあの男とつき合うことになったというような言い方をしていたんだが……それは、おまえに手出しさせないために犠牲になっているということか?」
淳史が不機嫌になっていた理由がわかると、優生は少なからず安堵した。
「そういうんじゃないと思うよ。たぶん、きっかけは俺を心配してくれたからだったんだろうけど……その後もつき合ってるのは俺のせいじゃないはずだよ? 紫さん、自分が受身になったことを認めたくないみたいっていうか、テレてるだけっていうか……態とそういう言い方をしてるだけなんじゃないのかな?」
紫とは暫く疎遠になっているから確認はできていないが、おそらく優生の想像は外れていないはずだ。未だに、紫は現状を素直に受け入れていないのだろう。


優生の返事に納得がいかないのか、偏に相手が気に入らないせいか、淳史はいっそう渋い表情になる。
「ずいぶん詳しいんだな? おまえが知っていることを、俺にも最初から全部話せ」
低められた声に潜む怒りが優生に向いているような気がして、知らずに腰が引けてしまう。それが優生のネガティブな思考に拍車をかける。
「……俺が聖人(まさと)さんのところにいたときに、プラトニックな恋愛をする人が理解できないって話になったことがあって、俺が紫さんを引き合いに出して話したから、興味を持ってたみたいだよ。それから淳史さんが迎えに来てくれて俺が戻ったから、たぶん腹いせみたいなのもあって、紫さんに白羽の矢が立ったんだと思う」
今にして思えば、淳史と近しい人間だったというのも、黒田が紫に目を付けた原因のひとつだったのだろう。
「あれが後藤の趣味のわけがないし、こうなった責任は俺にもあるということだな」
忌々しげに呟く淳史の心中を思うと複雑な気持ちになる。淳史の関心が優生にだけ向けられているわけではないと、気付きたくはなかったのに。
「淳史さんは関係ないよ。それに、何だかんだ言ってるけど、紫さんも満更でもないみたいだし」
あれ以来一度も連絡を取っていない黒田の本心はわからないが、少なくとも紫の方は憎からず思っているように感じた。だから、優生とは恋愛関係ではなかったと強調しておくとともに、黒田が前に思い入れていた相手のことも伝えておいたのだった。
「どっちにしても、後藤はあの男に気に入られて別れられなくなっているということだろう?」
「……ごめんなさい、俺が余計なことを言ったせいで、紫さんと聖人さんがくっつくことになってしまって」
「いつまでも他所の男の名前を呼ぶな」
不意に凄んだ淳史の剣幕に驚いて、優生は堪らず項垂れた。
今まで優生が慎重に避けてきていた話題を、先に振ってきたのは淳史の方だったのに。
伏せた頭を包み込むように、淳史の腕が回される。そのまま胸元へと押し付けられ、強く抱きしめられた。
「あの男が誰とつき合おうと、相手がおまえでなければ俺には関係ない。ただ、後藤の様子がおかしいから気になっただけだ」
「……うまくいってないってこと?」
「おまえも知らないのか?」
「この頃メールも来ないし、てっきり順調にいってるって思い込んでたから」
何かあれば紫の方から電話かメールが入りそうなものだが、しばらく連絡は途絶えている。わざわざ優生からコンタクトを取るのは淳史の気に障りそうで、あまり新しい情報は知らないのだった。


「普通、つき合っている相手がいれば枕営業のようなことはしないだろう?」
「淳史さんの職場でも、そんなのあるの?」
「ないとは言い切れないだろうが。俺はそれで結婚させられそうになったんだからな」
すっかり忘れていたが、その話から逃れるために淳史は優生に結婚を迫り、“愛妻弁当”を用意させ、順調な結婚生活をアピールしていた時期もあったのだった。
「淳史さんのときは社命みたいな感じだったんでしょう? そういう体質の会社なら、紫さんも断りにくかったんじゃないの?」
「俺とは契約の規模が違うし、後藤の相手は男なんだ。それも、自分の顧客だけじゃなく、自分には直接関係ない相手にまで“接待”していたようだからな」
「どうして?」
「それがわからないから、おまえに聞いてるんだろうが。後藤はああ見えて意外と真面目なんだ。そんな表沙汰にできないようなことをしてまで契約を取ろうとするタイプじゃないし、そもそも成績には拘ってないからな。だから、あの男のことで自棄になっているくらいしか考えられないんだが」
「じゃ、また明日にでも紫さんにメールしてみるね。愚痴くらいは話してくれるかもしれないし」
さりげなく、淳史の反応を窺ってみる。
かつて優生を口説くような言動を取っていた男が子猫同然だと知って、対象外だと安心しただろうか。それとも、たとえ本人には害がなくても、最も憎悪する相手に繋がっていると知って、ますます警戒を深めただろうか。
「……そうだな、おまえになら話すかもしれないな」
拍子抜けするほどあっさりと頷かれ、会話が途切れる。
ふと、当時は気にもしなかったことを尋ねてみたくなった。
「枕営業って、淳史さんもしたの?」
瞬間、また空気が緊迫を帯びる。
「するわけないだろうが。俺はこういうことには慎重なんだ。もし“既成事実”があったら逃げ切れてないと思うぞ」
優生の肩に手をかけ、見つめ合う距離を取る淳史は、本気で焦っているように見える。
「じゃ、俺はあの人に感謝しないといけないのかな」
「まだ疑ってるのか? 俺は偽装のためにおまえに結婚してくれと言ったんじゃないからな?」
淳史が優生を好いてくれていたのは真実でも、“結婚”を急いだ理由を考えれば、その一件が無関係なはずはなかった。
だからこそ、優生は感謝しないといけないと言ったのだったが。
「疑うも何も、俺は淳史さんの傍に置いて貰えて本当に感謝してるもの。これ以上望んだら罰が当たっちゃうよ」
誇張ではなく、本心からそう思っている。経緯がどうあれ、傍に居られる現状を恨むべくもなかった。
その思いは正しく淳史に伝わったようで、愛おしげに頬を撫でられ、優しい唇が触れてくる。
もう人ごとにかまけている余裕はなく、その愛情が一身に注がれるのを待ちわびるばかりだった。



- Do Me More(4) - Fin

【 Do Me More(3) 】     Novel       【 Do Me More(5) 】


ぶっちゃけ、『どめ』との時間軸は合わせていないので、深く考えないでください……。
軽く『どめ』に浮気しつつ、こちらを書いていたのと、今話で収集つけたいなと思っていたので。