- Do Me More(2) -



平穏な時間は、淳史の携帯にかかってきた一本の電話に中断された。
優生の肩を抱く腕を解き、険しい顔をしてソファを離れていったのは、淳史が快く思っていない相手からということなのだろう。
最初は低めた声で応対していたから何を話しているのかわからなかったが、次第に荒げられてゆく声音と会話の端々から、相手が淳史の母親だということと、かなり緊迫した状態だということが伝わってきた。
「諄いな、優生に俺が必要なんじゃない。俺が、優生がいいんだ。一時の気の迷いで籍まで入れるわけがないだろう? そうやって妨害されたり誰かに奪われないよう“入籍”しておいたんだからな」
淳史が何か話すたびに部屋には怒気が満ちて、優生の息を詰まらせる。許されることなら耳を塞いでしまいたかったが、知らないフリをするわけにはいかなかった。
「……絶縁してもらいたいくらいだと言っただろう?」
不意にトーンを落とす淳史の心情を思うと胸が痛くなる。まるで穏やかな日々がずっと続いていたような錯覚を起こしてしまっていたが、それは淳史の忍耐と配慮の賜物で、本来ならもっと殺伐としていても不思議はなかったのだった。
「今は放っといてくれないか。電話で話してるだけでも、はらわたが煮えくり返りそうなんだ。前にも言ったが、俺に断り無く優生には近付かないでくれ。もしまた勝手なことをされたら、何をするか俺にもわからないからな」
痛烈な口調で一方的に通話を終了させると、淳史は眉間に深い皺を刻んだまま優生の傍に戻ってきた。
投げるように携帯をテーブルに置き、優生の隣へ勢い良く腰を下ろす。口をきかないのは感情を抑えているからなのだろうと思うと、尚更いたたまれなかった。
「……ごめんなさい、俺のことで揉めてるんでしょう?」
「おまえが謝る必要はない」
「でも、俺のせいでお母さんとおかしくなってしまって……」
その話をすれば淳史の気を逆撫でしてしまうとわかっていても、結果的に淳史と母親を仲違いさせてしまったことは優生を心苦しくさせていた。
「おまえのせいじゃない。俺の母親が、おまえを出て行かせるよう仕向けたんだろうが」
「そういうわけじゃ……俺が、弱かっただけで」
たった一人の息子が、一回り近く年下のニートの男に誑かされていると知れば、強硬に反対するのは親として当然のことだと思う。そんな相手に現を抜かさなくても身近に理想的な女性がいるのにとか、自分の余命が短いかもしれないということが発覚したばかりで、早急に優生を排除しなければと考えたのもやむを得ないことだったのだと理解している。
「今にも死にそうだと脅迫紛いの言い方をされて気にしない奴はいないだろう? 相手が親だけに、俺は許す気にはなれないんだ」
「でも、お母さんと絶縁してもいいみたいに言うのはやめて?」
「おまえは俺より母親の方が大事なのか?」
当初は優生に淳史の母親と上手くやって欲しいというような言い方をしていたはずなのに、優生との嫁姑的関係だけでなく淳史との親子関係までおかしくさせてしまったことも、優生には負担になっていた。
「そうじゃないけど……こんな喧嘩別れみたいなのは……」
ふいに、覆い被さるように抱きしめられ、言葉を遮られる。
「あの男の気が変わらなければ、まだおまえを見つけられていなかったかもしれないんだぞ? 俺を犯罪者にしたくなかったら、もうこの話はするな」
「俺のことで腹を立ててるんだから、俺を怒ればいいでしょう? 俺のせいで淳史さんとお母さんがおかしくなるのはイヤだ」
優生を抱く腕に、息苦しいほどに力が籠められる。
「……おまえに負い目を感じさせたくないと思ってる。過ぎたことだと割り切っているつもりだ。でも、母親と話すたびに、おまえがあの男の所にいたと思い知らされるんだ。なかったことにすると言っただろう? もう蒸し返さないでくれ」
「ごめんなさい……でも、お母さんにも言い分があるでしょう? それを聞くくらいはしてあげないといけないと思うんだけど」
「話し合えば解決すると、本気で思ってるのか?」
「え?」
「少しは反省しているようだが、本質は何も変わってないんだ。まだ、他の女と結婚させたいとか孫を見たいとか言ってるんだぞ? いくらおまえに頼まれても、それだけは聞けないからな?」
もしかしたら、優生に悪いことをしたと思ってくれているのではないかと考えていた自分の甘さに嫌気がさす。それどころか、淳史の母親はまだ何も諦めていなかったらしい。

「俺はおまえが居ればいいんだ。邪魔をするなら、親だろうが友人だろうが切り捨てて構わない」
きっぱりと言い切る淳史の真意は優生には理解できていなかったが、身に余る幸福だと思う。だからこそ、親子断絶なんて事態は避けたかった。
「俺を取るって言ってくれるのはすごく嬉しいけど、お母さんのことをそんな風に言わないで。俺には無理でも、淳史さんはお母さんと上手くつき合っていけるでしょう?」
少し無理をして告げた優生の背が撓るほどに、回された腕が力を籠める。
「おまえは懲りてないんだな……俺は、おまえをまた他の男の所へやるようなことになるぐらいなら、心中でもした方がマシだ」
頭上から降ってくる声は低く、ただのたとえにしては真に迫っているような気がして戸惑った。
“殺してやる”と言われた時には至福の極みで、本気でそうして欲しいと思ったのに、“一緒に死んでやる”と言われるのは恐ろしかった。
「俺はもうどこにも行かないから……もし出歩くなって言うんならずっと籠もってるし、それでも心配なら軟禁でも監禁でもしておいて?」
「そうすれば、誰にも惑わされないのか? もし再発したとか、余命何ヶ月だとか言われても無視できるのか?」
極論すぎる問いに、咄嗟に答えることができない。淳史がそこまで気を回さなければならないほども、事態は深刻だということなのだろうか。
「わかってると思うが、たとえ相手が親だろうと俺に黙ってここへ通すなよ? 買ったばかりのマンションを手放させたいとは思ってないだろう?」
「でも……」
もしマンションの前で待たれたり、或いは呼び出されたりしたら、優生に断れるとは思えなかった。上手く立ち回れるほど器用なら、そもそも失踪騒ぎなど起こしていない。
だからこそ、噛んで含めるような言い方をされているのだということに、漸く気が付いた。
「俺が禁止していることを、誰に何と言われようと押し切られるなよ? おまえの携帯にしても名義は俺になってるんだからな、誰に聞かれたところで俺の許可なしに教える必要はない」
事も無げに言い切る淳史には一切の迷いもなく、優生を取ると言った言葉は誇張ではなかったらしい。
思えば、淳史はいつも辛抱強く優生を愛そうとしてくれていた。
親にも昔の恋人にも、誰にも憚ることなく紹介してくれたのに、優生の方から歩み寄ることも、認められるよう努力することもしないで逃げ出して、淳史に報いるどころか迷惑をかけただけだった。
相手が友好的ではなかったからと理由をつけて、勝手にいじけて諦めてしまったことが今更ながら悔やまれる。
「俺、初めて淳史さんのお母さんに会ったとき、ものすごく緊張してて……反対されると思ってたから上手く接することができなくて、反感を買うような態度になってしまって……気に入られなかったの、当然だと思う。ほんとに、ごめんなさい」
「おまえの態度がどうだったなんていうのは、こじつけだ。結局はおまえの性別が気に入らないだけなんだからな」
いくら優生が改めようと思っても、今の淳史には“嫁姑”の間に入って仲を取り持つ気はないらしかった。或いは、もう優生の評価を覆すのは無理だということなのだろう。
「もし、俺に愛想を尽かして離れるんなら諦めもつくかもしれないが、俺のためだと思って離れようとするのだけはやめてくれ。本気で立ち直れなくなるからな」
優生の背に回されていた腕が緩み、代わりに髪を撫でる手が顔を上げさせるように促す。
見上げると、穏やかな表情の中に普段の淳史からは想像もつかない弱気が垣間見えて、優生の胸を締め付ける。
優生はいつも愛されることを望み過ぎて、与えられてもなお貪欲に欲しがってばかりだった。望む以上に与えられていたと、満たされるということを覚えた今ならわかるのに。
「……俺、本当に淳史さんが好きだよ。ずっと傍に居させて欲しいと思ってる。この先ほかの誰にも会えなくなっても、淳史さんが居てくれたらいい」
さすがに見つめ合いながら話す勇気はなかったが、思っていることを素直に口にした。
「幻聴じゃないだろうな……」
優生が珍しく殊勝なことを言ったせいか、淳史は自分の耳が信じられなかったらしい。
「淳史さんがお母さんに言ってたの、訂正しとくね。俺には淳史さんが必要だよ」
重ねた言葉はある意味ダメ押しで、強い腕に、加減を忘れたようにきつく抱きしめられる。
叶うなら、ずっとこうして淳史の腕の中に閉じ込めていて欲しいと思いながら、優生は頼りない腕で抱きしめ返した。



- Do Me More(2) - Fin

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'09.9.12.update