- Do Me More(1) -



まだ夜明け前だというのに、目が冴えて眠りに戻れない。
硬い胸に乗せた頭をそっと上げ、淳史の寝顔を窺う。
意図せず寝息を掠めた唇が、キスしたい誘惑に負けそうになる。

それでも、疾うに許されていることとはいえ未だ自分から淳史に触れるのは抵抗があり、ましてや寝入っている隙に密かに愉しむなど恐れ多かった。
それなら腕枕だけで満足していればいいものを、触れたい欲求はどうにも抑え難く、行動を起こしかけては躊躇するという堂々巡りが延々と続いている。

おそるおそる、裸の胸元へと手を伸ばす。できるなら触れているだけの下肢を絡めたいと思いながら、背を押す何かが足りなかった。
今日は休出は入っていないから睡眠の邪魔をしてもさほど迷惑にはならないはずだとか、昨夜は淳史が風呂を上がるのを待っている間に寝入ってしまったからスキンシップが足りていないとか、それなりの言い訳は頭の中をぐるぐる回るばかりで、いずれも決定打にはなり得ず。

「……やるのかやらないのか、さっさと決めろ」
突然かけられた低い声に、文字通り飛び上がりそうになった。
「ご、ごめんなさい」
驚いて引っ込めようとした腕を取られ、強い力で淳史の胸元へと抱き寄せられる。
顔を伏せることは許されず、頬にかけられた手に促され、あんなに遠いと思った唇に、いとも容易く辿り付いた。
どこか楽しげな淳史と違って、優生は寝込みを襲おうとしていたことを知られたショックと恥ずかしさで消えてしまいたいくらいなのに。

優生の心情など淳史にとっては取るに足らないことのようで、頬を包む手のひらに力を籠められ、キスが深められてゆく。
上半身を乗り上げたような態勢になっているからといって優生が能動的になれるはずもなく、ただ淳史のくれる甘い感覚に身を任せるばかりだ。
「……遠慮しなくていいと言っただろうが」
合間に囁かれる言葉がどんなに優しく響いても、小さく首を振ることしかできず、大それたことを思わなければよかったと、触れ合った満足感と同じくらいの後悔が優生を苛む。

微かな嘆息のあと、徐に手首を掴まれ、下方へ引かれた。
「えっ……」
思いがけない場所へと導かれ、生地越しに伝わる硬い感触に驚く。モヤモヤしているのは優生だけだと思っていたのに。
「恥らってる暇があったら早く抱かせろ。俺はおまえみたいに気が長くないんだ」
焦れたように見つめられ、腰を抱く手の力強さに促され、優生は漸く身構えていた体から力を抜くことができた。
腕に抱き寄せられたまま軽く反転させられ、二人の体勢が入れ替わる。
ほどなく体をまさぐってくる手に応え、淳史の首へと腕を回した。肌を吸い、キスを振り撒く唇を、喉を反らして受け止める。
やはり、優生は淳史の下へ納まっている方が居心地が良く、求めるより求められる方が合っているようだと、甘い感覚の中で思った。




以前にも増して、依存し過ぎだと自分でもわかっている。
凡そ甘ったるい恋愛とは無縁そうな厳つい外見からは想像できないくらい、淳史はいつも優生を大切に扱う。仕事から戻ればすぐに優生を膝に乗せ、眠るときには腕に抱き、片時も離したくないと言わんばかりに密着して過ごす。
淳史の言うところの“新婚”で“蜜月中”だと思えばそれほど特異なことではないのかもしれないが、過剰に摂取し過ぎた愛情で優生はすっかり中毒患者になってしまっている。

19年あまり無害を装いながら流されるままに生きてきたのに、淳史のことは諦め切れないと自覚させられた瞬間、それまでの投げやりな人生観は覆されてしまった。叶うものなら、幼い子供のようにずっと胸に包まれていたいと本気で考えてしまうほど。
家事をこなす以外に課せられた務めはなく、ただ淳史のことを思っているだけの毎日は幸せ過ぎて、まるで現実逃避の果ての夢の中にいるような錯覚を起こすこともあった。
それほども今の優生の生活は平穏で、買い物に出る程度の必要最小限の外出と、時々訪れる可愛い隣人と接する以外には、友人とメールや電話をするだけの引きこもりのような状態が依然として続いている。
淳史が甘やかすから(或いは許可しないから)、アルバイトひとつせずに過ごす優生は、すっかりニートが板についてしまった。いつか、自立しなければならない事態に陥ったとしても、もう一人で生きてゆくことはできないような気がする。

そんな生活で唯一の気掛かりは淳史の母親との関係で、元から優生の存在は認められていなかったのに、家出騒ぎ以降すっかり疎遠になってしまっていることだった。
優生が思う以上に、淳史の母親に対する蟠りは根深く、話題に上ることにも気を悪くさせてしまうことがあり、ひどく神経を遣う。このままではいけないと思ってはいるが、とてつもなく淳史は頑固で、どうあっても連絡を取ろうとはしなかった。
仲を取り持とうにも、淳史の母親からすれば諸悪の根源とも言うべき優生が間に入れるはずもなく、かといって何の気遣いもしないほど厚顔だと思われるのも辛い。
通常の嫁姑に準えるなら、淳史が上手く立ち回ってくれればいいようなものだが、絶縁しても構わないとまで思い詰めさせてしまった経緯はそう簡単に流せるものではないらしく、歩み寄る気配もなかった。

その一点を除けば、怖いほどに幸せな日々を過ごしている。
長く続いた優生の体調不良は義之の推察通り心因性のものだったようで、臥せってばかりいたのが嘘のように全快していた。
だからなのか、淳史が規制をかけたのか、優生が一人でいる時に義之が部屋を訪れることがなくなって久しい。その代わりというわけでもないのだろうが、どちらかの、或いは両方の世帯主の帰りが遅い夜には里桜がこちらへ来るようになった。
元からそういう目的で隣合わせて住むことにしたのだったが、淳史は誰が来て居ようとも行き過ぎたスキンシップを控えようとはせず、時として里桜にまで茶化されるのは居た堪れなかった。
それでも、順風満帆を絵に描いたような隣のカップルは人目も憚らずベタベタする二人をやっかむ必要はないようで、からかわれはしても迷惑がられないことだけが救いだった。






「……今頃言う?」
責めるような言い方をしてしまったのは、優生が淳史の許へ戻ってほどなく、勇士に彼女ができていたことを今になって報告されたからだ。
『おまえだって、俺に黙って男作ったり失踪したりしただろう?』
優生のリアクションに、電話の向こうでほくそ笑む姿が見えるような気がする。これは“仕返し”というやつだろうか。
「だって、俺は相手が男の人だから言い出しにくかったし……家出みたいになったのだって、すぐには連絡できない事情があったの知ってるだろ」
『俺も、ある程度メドが立ってからじゃないと、話してもムダになるかもしれなかったからな』
つまりは、明かしても差し支えないくらい本気になっているということなのだろう。
最近では頻繁に会っていたわけではなかったし、これで優生との関係が変わってしまうということはないだろうが、勇士の優しさが全て彼女のものになったのだと思うと内心では複雑だった。
「今度は、しつこくされてもいいって思えるような人?」
かつての会話を思い出し、知らずに追及するようなことを言ってしまう。
『いや、頼りないというか、放っておけないような感じかな。気になって、ついつい構い過ぎてる』
「そっか……勇士は世話焼きだもんな」
高校時代は、大事にされ過ぎて憧れを通り越して恋に発展してしまうほども優生の面倒を見てくれた。もし、優生が勇士の恋愛対象になれるものなら、とっくに幸せになっていたと思う。
『おまえの世話を焼けなくなったからかもな』
優生の心情を知ってか知らずかそんな風に言われ、嬉しいと思う反面、ふと、こういう処が淳史の気を逆撫でしているのかもしれないと気付く。
もう淳史以外の誰にも気持ちが揺らぐことはないと、やっと思えるようになったのに。
『工藤さんにもそう言っといてくれ。喜ばしてやるのは癪だけど、安心すれば少しは束縛も緩むだろう?』
前から淳史は勇士を敵視するようなところがあったが、もう優生に構う余裕はなくなったと知れば、安全圏になったと認識を改めてくれるだろうか。
元より勇士が危険なはずがないのに、過剰な警戒をする心理は今もなお理解不能なままだったが。


少し遅く帰宅した淳史を出迎えると、すぐに勇士に聞いたままを話してみた。
「それは目出度いな」
目元を細める淳史は、心の底からそう思っているように見える。勿論、祝福するというような類のものではなく、邪魔者がいなくなって清々したと言わんばかりの晴れがましさだった。
「やっと任せる気になったか」
促されるままに淳史の膝に座ったものの、早く食事の用意をしなければと腰を浮かす優生の、背に腕が回される。
「あの、先にご飯の用意してくるね?」
「後でいい」
多忙な淳史がなるべく早く休めるように段取りしたいと思っているが、当の淳史は優生を膝から下ろしてくれないばかりか、背を抱く腕に力を籠めて引き止めた。
今日に限らず、ソファに座る淳史の膝に乗せられてしまえば、簡単に解放されることはない。先に食事と入浴を済ませて貰わなければ、また淳史の眠るのが遅くなってしまうのに。
思案に暮れる優生を覗き込むように、淳史が唇を寄せてくる。
寧ろこういうことを後にするべきだと頭では思っていても、キスが始まると体は勝手に熱を上げ、理性など跡形もなく溶けてしまう。与えられるものならいくらでも欲しいと望む気持ちは依然根強く優生の中にあり、その誘惑に逆らうことなどできるわけがない。
それでも、時に息苦しく感じてしまうほど惜しみなく愛情を傾けられ、満足するということも覚え始めていた。






淳史の肩を枕に眠ったはずが、目覚めたときには優生の頭はシーツの上に落ちていて、伸ばされた腕から離れてしまっていた。
窓の外はまだ暗く、時計を確認するまでもなく寝直す時間はありそうだった。
寝入っているらしい淳史を起こさないよう静かに身を引き上げて、腕を跨ぐように頭を乗せる。なるべく重さをかけないように首を触れたつもりが、すぐに強い腕に肩を抱き寄せられた。
「……どうかしたか?」
状況を理解していないらしい淳史に、身を離そうとしていたと誤解されたのかと思い、焦った。
「抱いて」
優生の下敷きになっていない方の手に頬を撫でられ、乱れた髪をかき上げられる。
「え」
言葉足らずだったと気付いたときにはもう遅かった。
腕に“抱いて”いて欲しいと言ったつもりだったのに。
いきなり深く唇を重ねられ、差し入れられた舌が戯れる間もなく優生に絡む。引き込まれるように吸い上げられ、食われそうな錯覚を覚えて縋るように淳史の首へと腕を回す。
まるで急かされているみたいにシャツをくぐり優生の肌を辿る手のひらも、絡みつく舌も熱っぽく、淳史がもうその気になっていることを知る。
「んっ」
既に硬く凝った胸の先を指の腹で擦られ、体の芯が甘く疼く。
堪らず胸を仰け反らせた姿勢は、もっと強い刺激を欲しがっているように見えたらしい。
「あっ……ん」
突き出した胸の先を濡れた唇に含まれ、舌を絡めて吸われ、痺れるような疼痛に腰が跳ねた。その気になっているのも、余裕が無いのも優生の方なのかもしれない。
腹を撫で下りる手は優生の下着ごとパジャマを脱がせ、ささやかに自己主張するものに触れた。
「や、そっちじゃなくて……っ」
身を捩って逃れようとする腰を両手で掴まれ、淳史の膝へ引き上げられる。
思わず腰を浮かせた優生を引き止めるように背に回された手が、背骨を辿るように下ってゆく。
「あっ、んっ」
自分で望んでおきながら、太い指に粘膜を押し開かれると、無意識に力が入ってしまう。
「優生」
囁かれる声が、心なしか上ずって響く。
前へと伸びてきた手に自身を握られ、脱力した隙に後ろを弄られる。反射的に引きそうになる腰を強い力で引き寄せられ、硬く勃ち上がったものが押し当てられた。
「あぁっ……っ」
きつく締め付けてしまう襞を宥めるように浅いところを掻き回され、馴染むほどに質量を増してゆくものが深く潜り込んでくる。
中を擦られるたびに官能が背を走り、根元まで受け入れさせられた頃には優生の体は快楽に酔い痴れていた。
腿を掴む手に引き寄せられ、より奥まで突き上げられる。
「あっ、あ、あっ……ん……っん」
優生の中に埋められたものに擦りつけるように前後に揺すぶられ、充足感で真っ白に塗り潰された思考がそのままフェイドアウトしたがる。
「……満足したか?」
耳朶をくすぐる甘く掠れた声に、頷いて笑みを返したつもりだったが、眠りに引き込まれそうな意識が間に合ったかどうかは自分ではわからなかった。


きっと、体を繋げている刹那よりも、抱きしめられて過ごす時間の方が優生を安らかな気持ちにさせていると思えるようになったのに。
淳史に抱かれるのは麻薬にも似て、“素面”の時には自重しようと思っているのに、いざ行為が始まれば陶然と流されてしまう。優生がこんなだから、淳史に気を遣わせてしまうのだとわかっているのに。
愛されるというのは優生が思う以上に抗いがたいものらしかった。



- Do Me More(1) - Fin

【 love or Lust(5) 】     Novel       【 Do Me More(2) 】  


タイトルは、言わずもがな安室ちゃんの曲からお借りしました。

ともかく、らぶ甘が書きたかっただけというのがもろわかりな感じですが……。
次からは繋いだり纏めたりしていきたいと思います。