- Love or Lust -

〔ご注意〕
微妙に妊娠ネタを含みます。苦手な方はご注意ください。
☆『CHINA ROSE』を読んでくださっている方へ
時系列ではこちらが半年ほど古いお話になっています。



「優生」
呼ばれて、水仕事で濡れた手を急いで拭う。
食事の後片付けを済ませたら何をしようかと迷っていたくらいだったのに、淳史の傍に侍るよう言いつかると、自分でも理解できないほどの緊張で体が強張った。
待ちかねたように見上げる目が、淳史の膝へ座るよう促しているとわかっていても、自分からそうするのは未だに抵抗感があった。義之の言うように、もっと優生が素直になればいいのだろうと思う反面、物欲しげに映らないかと心配になってしまう。
結局、焦れたように腕を引かれて少し強引に膝へ乗せられるまで、優生からは行動を起こせなかった。“お姫さま抱っこ”に近い体勢の不安定さに、淳史の首へと腕を回す。今更だと言われようとも、こんな至近距離で見つめ合うのは恥ずかしくて、淳史の肩へと顔を埋めた。
頭上で、微かに笑いが洩れるのを感じる。決して不快ではなかったが、いつまで経っても慣れられない自分がもどかしい。
体勢に納得したのか、淳史はそれ以上優生を追い詰めようとはせず、テーブルに置いた厚い書類を再び手に取った。
淳史の目は表に記された数字に戻り、斜め読みをするような速さで追っている。その視線の間に優生がいる意味がわからず、視界の妨げにならないようにそっと体を抜こうと思った。
「動くな」
「でも……俺がいるとジャマでしょ?」
「いいから、じっとしていろ」
気を遣うほど邪魔になるだけだと気付いて、淳史の膝から下りることは諦めた。
持ち帰った仕事をしている淳史と違って、ただ膝に乗っているだけの優生は間が持たないのだとは察してくれないらしい。優生の目の前で広げているのだから見えても問題のない内容なのだろうが、何となく気が引けて、顔は背けておいた。
こんな風に胸に凭れていると、肩を貸してくれる隣人を思い出す。優生を人肌の枕がないと眠れない性質だとか依存症だとか言ったり、自分の母親に似ているからという理由で過剰なくらいに甘やかしてみたり、知らぬ間に危なげな雰囲気に陥れる美貌の看護師。
心配性なのか、単に病人を放っておけない性分なのか、義之はかいがいしいほど優生の面倒をみてくれていた。
そんな甘い人ではないと気付いていながら、居心地の良さについ寄りかかり過ぎてしまったと思う。優生の気のせいでなければ、いつからか義之の眼差しや指先には、余計なものが含まれるようになっていた。
「……優生? 寝たのか?」
低められた声に、かろうじて目を開ける。あと5分放っておかれていたら眠っていたかもしれないが、まだ意識は確りとしていた。
「どうかしたの?」
「もう少し待てないか?」
「うん?」
「確認だけだからな、すぐに済む」
だから眠らずに待っていろと告げる瞳に頷く。
優生が黒田の所から戻って一悶着あったあと、淳史はあまり煩いことを言わなくなった。それまでは優生の交友関係や行動範囲を制限するような横暴な言い方をすることがよくあったのに、今はほぼ無くなっている。“なかったことにする”と言った言葉を守り、淳史はもう優生が他の男の所に居たことを忘れたかのように接してくれているようだった。
対照的に、優生は淳史ときちんと向かい合おうと思えば思うほど緊張してしまい、失笑されるような事態をしばしば発生させてしまっている。叶うことなら、優生も全てなかったことにして真っ白になって淳史とやり直したかった。人間も初期化できればいいのにと、真剣に思ってしまうほどに。


息を吐く音に、淳史の仕事が終わったようだと知る。
揃えた書類をテーブルに置くと、淳史は優生の肩を抱きよせるようにして顔を近付けてきた。それに応えるために、軽く上向いて目を閉じる。
離れていた二ヶ月足らずを取り返そうとするように無理をして優生を連日抱いていた時期は過ぎても、淳史の気遣いは変わっていない。常に主導権は淳史にあるのに、優生が足りないと感じていないか注意深く観察されているような気がした。
優生のTシャツの上から胸元を辿る手が、生地の上からではわからないほど小さな突起を探り当てる。
「あっ……」
待ち詫びていたわけではないのに、淳史に触れられたところから火種が燻り出す。
「優生?」
囁くような声は優生の意向を尋ねているというよりは確認をしただけのようで、淳史の指は敏感な場所への刺激を止めようとはしなかった。
「ん」
やがてTシャツを捲って直に肌に触れた掌は下肢へと伸びてゆき、辛抱の足りない体を容易く昂らせてゆく。
「ん、ぁん……」
「おまえは本当に弱いな」
しょうがない奴だと言いたげでいて、愛おしげに細められた目元はひどく優しかった。
堪らず浮かせる腰から身を包むものが下ろされて、踝の辺りで留まった生地が全て抜き取られる。
触れて欲しくて緩む膝が、待ちきれずに開いてゆく。もう足りないとは思わないのに、触れられるほどに、もっと深く繋がりたいという思いが募るようだった。
催促するような仕草は控えようと思うのに、すぐに焦れて先をねだってしまう。他の誰の名残りも全て消し去ってしまえるくらい、何度でも淳史に塗り変えて欲しい。
ふと、包材の立てる微かな音が耳に付いて、確かめるように目で追った。
「いや」
淳史がコンドームを使おうとしていると知って、開封される前に止める。たとえどんなに薄いものであっても、淳史との繋がりを隔てられたくなかった。
「あとが面倒だろう?」
「ううん、そんなことないから、つけないで?」
和解してからというもの、毎回のようにこういうやり取りをくり返している。もう納得しているのか先の言葉のせいかはわからなかったが、淳史は中で出すことを躊躇うようになった。
優生は体の芯から淳史に染め直されたいと、切実に願っているのに。






「ゆいは元から体温も血圧も低い方なの?」
少し固い膝を枕にすると、条件反射で眠気に襲われそうになる。安眠してしまうには、その看護師は些か危険かもしれないと気付いていながら。
「うん。朝弱いし、ちゃんと目が覚めるまで小一時間かかるかも」
「里桜と逆だね。里桜は体温も血圧も高くて、寝起きもいい方だよ」
「そういえば、里桜って10時間くらい寝るって、ほんと?」
「そんなには寝させないよ、長い時でも9時間くらいかな? 平日で8時間に少し足りないくらいだね」
「俺もこの頃はそのくらい寝てるのに、まだ足りないみたいで欠伸ばっかしてるよ。元々6時間くらい寝れば足りてたのに、この頃は昼寝までしてるのに、まだ眠くて」
そもそも義之が週に3日も4日も訪れるようになったのは、体調管理のためだけではなく、人肌がないと安眠できない優生の睡眠を確保するためでもあった。日によって訪れる時間は違うが、大体、午後から里桜が戻る夕方までの間の1〜2時間を提供してくれている。


「……っ」
微睡みかけた意識が、不意にこみあげてきた吐き気に引き戻された。咄嗟に口元を押さえ、上体を起こす。
「ゆい?」
訝しげに名を呼ぶ義之を残して、洗面所に走った。胃がせり上がってくるような感覚に、身を折って洗面台へ凭れかかる。
「調子が悪かったの? 今日は少し熱が高めだとは思ってたけど」
背中をさする手の優しさに、急速に苦しさが和らいでゆく。義之の手にはヒーリング効果でもあるみたいだ。
「ごめんなさい、なんか、ご飯の炊ける匂いがしてきたら急に気持ち悪くなって」
「まるで悪阻(つわり)みたいだね」
義之が笑いながら言った一言が胸に刺さる。そんなわけがないのに、血の気が引いてゆくのを感じた。
「中りそうな心当たりはない?」
「え……あ、ううん。変なものは食べてないと思う」
義之の心配の方が尤もなのに、全然違ったことを考えていた優生は、意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。

「顔色も悪いし、きちんとベッドに入って眠った方がいいよ?」
「でも、もう夕方だし、ご飯の用意しないと」
「それなら、里桜に夕飯は4人分作ってくれるように頼んでおくよ。僕も一度会社に戻らないといけないし、また夜に里桜と一緒に来るから、ゆっくり休んでおいで」
そこまで甘えるのはどうかと思ったが、気力だけでは勝てそうにない体のだるさに、意地を通すのは諦めた。
「……ありがとう。じゃ、そうさせてもらっていい?」
「もちろんだよ。遠慮しないで、僕にも里桜にも甘えればいい」
優生の腰を抱くようにして支える義之は、当然のように寝室まで付き添ってきた。もういいと言うのも憚られ、促されるままベッドに腰掛けたところで、ゆっくり腕が解かれる。
「さすがに、ここで添い寝というわけにはいかないね」
優生の髪を撫でて、名残り惜しげに離れてゆく指を危うく引き止めてしまいそうで、慌てて視線を逸らせた。愛している男は一人だけのはずなのに、不埒な誘惑を期待しているかのような自分に戸惑う。
「そんな顔をしなくても、きみが眠るまで傍について居るよ。手くらい繋いでいようか?」
義之は時として、優生自身も気付いていなかった胸の内を見透かすようなことを言う。
そうして欲しいと言うことはできなかったが、義之は優生が眠りに落ちるまで手を包んでくれていた。


優生が目を覚ました時には義之の姿はなかったが、眠る前の優しさの名残りか、不安は和らいでいた。
少し体の揺れるような感覚に逆らって、ゆっくりと上体を起こす。立ち上がろうとすると軽い眩暈に襲われて、ベッドへ戻りたくなってしまう。
それでも、少しでも気がかりを解消させたくて、パソコンを起動させるためにベッドを抜け出した。






夜になると、昼間の約束通り、義之は里桜を伴って夕食と“お見舞い”を持って再び訪れた。
優生の体調は昼より悪化してしまったようで、ぐったりとソファに凭れかかったまま、客人たちを出迎える気力もない。
「義くん、早く敷いてー」
義之がキルトの鍋敷をテーブルに置くのを待ちかねたように、里桜は大きな鍋をその上に乗せた。
「良かった、落とさなくて。思ったより距離あるよね」
「だから僕が運ぶって言ったんだよ、里桜には重かっただろう?」
「うん。隣だし大丈夫だと思ったんだけど、シチューって重過ぎだよね」
淡いグリーンのミトンを外しながら、里桜が義之を見上げて同意を求める。寄り添う二人には、一分の隙もなさそうに見えるのに。
「面倒を掛けて悪いな。こっちから行けば良かったのかもしれないが」
淳史が気を遣っていることに驚いたのか、里桜は手にしたミトンを大きく左右に振った。
「ううん。ゆいさん、具合悪いんでしょ? あんまり動かない方がいいだろうし」
里桜の言葉で、皆の視線が一斉に優生の方に集まる。
「そのようだね。ゆいは無理して起きているより横になっていた方がいいんじゃないかな?」
心配げな義之の言葉に後押しされるように、淳史を窺う。
食欲もなく、匂いにも嘔気を誘発されてしまいそうになる優生は、できることなら寝室へ引き上げたいと思っていた。
「ゆいさん、果物なら食べられる? メロン持ってきたんだけど」
優生が食事を摂りそうにないことは見抜かれているらしく、里桜は先回りの気遣いをしてくれる。それがリンゴやミカンなら良かったのだったが。
「ごめん、せっかくだけど、メロンはちょっと……アレルギーがあってダメなんだ」
「え、メロンのアレルギーなんてあるの?!」
「そんな大したことはないんだけど……口のまわりがかぶれるとか喉が痒くなる程度なんだけど、体調が悪い時は酷くなるかもしれないから……ごめん」
優生が果物なら何でも食べるだろうと考えて選んでくれたのだとわかっているだけに申し訳ない気持ちになる。
「ごめんなさい、何がいいか聞いてから用意すればよかった」
「俺こそ、いろいろダメダメでごめん。でも、メロンなら淳史さんも食べられるだろうし、みんなで食べて?」

「ただ嫌いなだけじゃなかったのか?」
優生の隣へ戻ってきた淳史は、僅かに眦を上げて責めるような表情を優生に向けた。
「ごめんなさい、説明するの面倒だったから……」
以前、“甘いものは苦手だと言いながらチーズケーキは例外で、淳史に黙って他の男に奢って貰っていた”という一件が発覚したあと、優生の好きなものと嫌いなものを申告させられていた。その時にメロンが食べられないことは伝えてあったが、好みの問題ではなく体に合わないからだとは説明していなかった。
また淳史の追及が始まりそうだと察してか、ソファの傍まで近付いてきた義之が会話に割って入る。
「そういえば、ゆいはアレルギー体質だと言っていたね。年齢と共に良くなっていると聞いていたけど、元はだいぶひどかったの?」
「うん、子供の時は喘息がきつくて死にかけたこともあるから、重い方だったんじゃないかな?」
尤も、命に関わるほど重症化したのは祖父が厳しくて無理をさせられたからで、喘息のせいではなかったのかもしれなかったが。
「聞いていたよりも症状は重かったようだね。口腔アレルギーまで持っているということは花粉症も?」
「ううん、花粉症はそうでもないよ。その時期に少し涙目になるとか鼻水が止まらなくなることがあるとかいうくらいで」
「それは立派に花粉症だよ、ちゃんと診察を受けて薬を飲んでる?」
「俺、病院は嫌いだし、薬も面倒臭いし」
我慢できないほど酷くないから、敢えて受診する気にはなれないままでいる。
「ということは、ゆいの医者嫌いは父のせいではなかったのかな?」
「うん。俺、別に義貴先生のことは嫌いじゃないよ? 病院は嫌いだけど、それは入院した時に怖い思いをしたからだし」
「怖い先生か看護師さんでもいた?」
「ううん。夜中、眠ってる時に突然胸の上にドンって何かが乗ってきて、目を開けたら黒いモヤモヤが天井の所にあって……声も出ないし、体も動かなくなっちゃうし、怖くて朝まで眠れなかったことがあって」
「金縛り?」
「だと思うけど……やっぱり病院にはいろいろいるみたいだよね」
それ以来、優生は診察はもちろん、見舞いに行くのも昼間に限定しているのだった。


「聞けば聞くほど、ゆいはいろいろ出てくるね。道理で一筋縄じゃいかないわけだよ」
それで合点がいったというような言い方をされてしまうほども、優生は面倒な性格をしているということらしい。
「そんな大したことだとは思ってないんだけど……」
世の中にはもっと悲劇的な生い立ちをしていたり、不幸を一身に背負っているような人もいて、決して優生が特別不遇だとは思わない。ただ、優生がそういう風に自分の境遇に甘んじるしかないと諦めがつくまでに随分時間がかかってしまい、人格形成に歪みが生じてしまったようだとは思う。
だから、実の両親に愛されて真っ直ぐに育ち、恋愛も順風満帆に進んでいる里桜を羨まずにはいられないのかもしれない。
“もしも”などと言い出したらキリがないが、優生の相手が義之だったら上手くいっていたのではないかと考えてしまうことがある。義之なら、優生が口に出せない本心まで見抜いて叶えてくれるだろう。愛されたいと思う以上に、真綿で首を絞めるような優しさで、貪欲に愛してくれるだろう。

「ゆい? 他にアレルゲンだとわかっているものはある?」
考えに沈んでしまっていた優生は、突然の問いに慌てた。
「えっと……山芋とか里芋とか、卵の白身の生がダメみたいだけど」
やんわりと見つめられると、深く考えずに答えてしまった。淳史に申告していないものを挙げれば、また機嫌を損ねてしまうのに。
「だから、どうしてそういう大事なことを言っておかないんだ?」
予想に違わず、淳史の表情は忌々しげで、感情を抑えていると見てとれるぶん余計に気まずい。
「でも、食事の用意は俺がするんだし……火を通して食べるのは大丈夫だから」
「料理するのは大丈夫じゃないんだろうが」
「ううん、山芋とか触る時は手袋してるから大丈夫」
「それだけわかっていて気をつけてるなら、心配ないと思うよ?」
まだ何か言いたげだった淳史も、義之の口添えにひとまず納得したようだった。


「ねえ、あっくんが生魚ダメなのって、アレルギーとかあるからなの?」
里桜の問いは優生も知らずにいたことで、興味を引かれて淳史の横顔を窺う。
「いや、優生のように体に合わないというわけじゃない。ただ、前に中華の前菜で酷い目に遭って以来、見たくもないんだ」
どうやら、あまり触れられたくない話題だったようで、淳史は口にするのもおぞましいと言いたげに眉間に皺を寄せた。
「お刺身を使ったやつに中ったの?」
「思い出させるなよ」
「ごめんなさい、でも、そんな大変だったの?」
謝りつつも突っ込んで尋ねる里桜に、自分では聞けない優生は、ある種の尊敬のようなものさえ覚えてしまう。
「血を吐いたのは、後にも先にもあれ一回きりだ。痛みもハンパじゃなかったな」
「血を吐いたって……中っただけじゃないの……?」
「アニサキスっていう寄生虫がついてたんだ。魚介類を生で食って、激しい腹痛や嘔吐がある場合は大抵それらしいな」
「えっ……あっくん、寄生されちゃったの……?」
驚きのあまり、大きな瞳を更に見開いて問う里桜に、義之は笑いながら説明を始めた。
「違うよ、本来はクジラとかイルカに寄生してるものなんだけど、魚介類の生食で人体に入ることがあるんだよ。人は宿主じゃないから成虫になることはないけど、胃の粘膜を破ったり炎症を起こしたりするみたいだね。症状が酷い時には、内視鏡を使って鉗子で摘出するんだよ」
「うわ……あっくん、大変な目に遭ったんだね」
痛々しげな顔をする里桜に、淳史の表情が少し和らいだ。
「わかったら、俺の前で刺身も寿司も食うなよ?」
「うん」
里桜は(もちろん優生も)、嫌いだとわかっているものをテーブルに並べたりしたことはなかったが、つられるように頷いていた。

昔のことだとわかっていても、淳史が吐血する光景を思い描いてみると背筋が寒くなってくる。タフで頑健なはずの淳史が、大病をするとか、万が一にも優生より先に天命が尽きるとかいうようなことはないと思っていたいのに。
「そんなに心配しなくても、淳史は頑丈だから大丈夫だよ?」
会話に加わることもなく、顔を強張らせる優生に、義之が声をかけてきた。
過日、淳史の方が長生きするとは限らないと優生を脅かした時と同じ強い口調で、真逆のことを言う義之の慰めでは安心できそうにない。
「なにしろ、一週間入院と言われていたのに一晩で帰ってきてしまうような男だからね」
「すご……。あ、もしかして、あっくん、勝手に帰ってきちゃったんでしょ?」
「いや。義貴先生に無理を言って搬送先まで来て貰って、強引に自宅療養にして貰ったからな。そのあとも、うちに点滴に通って来てくれたから入院は免れられたんだ」
「父が都合がつかないときは僕が代わりに点滴してあげたんだよ」
医者や看護師が身内か知り合いにいると便利だという結論に至るのを聞いて、今更ながら、かつて淳史が言っていた言葉に得心がいった。
「……もしかして、前に先生にはお世話になってるからって言ってたの、それ?」
「そうだな。それ以降も休日や時間外に往診に来て貰ったりしているからな」
以前、義貴が早朝から優生の診察に訪れた時もその流れだったのだろう。寝起きの悪い優生には突然の事態が呑み込めず、パニックを起こして反抗的な態度を取ってしまったのだったが、今になって自分の迂闊さが悔やまれた。
「どうしよう……淳史さんがそんなお世話になってた人に、俺、ものすごく失礼なことしちゃったんだよね……」
「ゆいが気にする必要はないよ。ゆいはそれ以上のことをされてるんだしね」
淳史を差し置いて優生を庇う義之は、義貴のことなど気にかけてやる価値もないと言いたげだ。それでも、拉致された一因が優生の態度にあったことは間違いなく、居直ることはできそうになかった。

「あれは先生が悪い。いくら誤解があったといっても、俺が優生を籍に入れたことは話してあったんだからな」
大きな手が、優生の頭を抱き寄せる。
優生が気にしているのは悪戯されそうになった時のことではなく、初対面の日の自分の言動が、わざわざ往診に来てくれた相手に対してあまりにも無作法だったと気付いたからだ。
ただ、この状況でそんな説明をするのはどうかと迷い、かといって他に気の利いたことも言えずに黙り込んでしまう。
「優生? 疲れてるんなら、このまま寝ていいからな?」
優しい声に寝室へ行くことを禁じられる。
淳史が優生の隣へ陣取ったときから、こういう展開になりそうな気はしていた。淳史はいつも、隣人に対してそういう意味での気遣いをしない。もしかしたら態となのではないかと勘繰ってしまいたくなるくらいに。
それでも、今の優生は反抗するような立場にはなく、おとなしく淳史の胸に身を預けて目を閉じた。


「半分こにしといたからねー」
微睡みかけた意識が、里桜の声に呼び戻される。
淳史の胸に凭れたまま覚束ない視線を上げて声の方を見ると、持参してきた鍋を手に、里桜と義之が帰ろうとしているところだった。
「悪かったな、わざわざ用意してもらっておいて」
淳史の声が低められているのは、優生を起こさないようにという配慮なのだろう。
「ううん。ついでだし、いつでも言って?」
「また明日にでも、ゆいの様子を見に来るよ。淳史はゆいにあまり無理させないようにね?」
「ああ、わかってる」
一瞬、優生の肩に回されていた腕に、痛いほどの力が籠もる。
淳史は客人の見送りもせず、並んで腰掛ける優生の脚を掬い上げて、自分の膝へと乗せた。肩を滑り落ちたハーフケットを引き上げて、包み込むように優生の体を抱き直す。
息苦しいほどの抱擁に、眠り損ねたとは言い出せず、もう一度眠る努力をすることにした。






頬に触れる優しい感触に、知らずに笑みが零れる。確かめるように唇をなぞってゆく指先に、キスをしたいと思うのに、眠りに捕らわれた体は上手く動かせなかった。
「優生」
覚醒しきらない意識が、それでも声を追おうと重い瞼を瞬かせる。
いつの間にベッドへ連れて来られたのか全く記憶がなく、何時頃なのか見当もつかない。ただ、覆い被さってくる裸の肌の、乾き切らない感じは風呂上りなのだろうと思った。
「……も、寝るの?」
何気なく尋ねてから、組み敷かれたような体勢が就寝のはずがないことに気付く。
「あとで、な」
低い声は甘く、宥めるように唇に触れた。心地良さと安心感が、また優生の瞼を閉じさせる。このまま腕に包まれて眠りに戻りたくなる思いを、シャツの裾を乱す手が阻む。
起こしてまで仕掛けてくるのは、まだ優生が毎日でも抱かれたがっていると思われているからなのだろう。
痩せた腹を伝い、平らな胸を撫でる掌の熱さに、もし、ささやかであっても柔らかな膨らみがあれば、もう少し淳史の気に入っただろうかと、考えても詮無いことが頭を過った。
「ん……っ」
つい沈みがちになる思いを置き去りに、体は淳史のくれる刺激に従順に高揚してゆく。きついくらいに肌を吸われ、尖ってゆく胸の先を擦られると、甘く痺れるような感覚が全身に拡散する。強く求められれば、つまらない感傷もどこかへ飛ぶ。
少し乱暴にスウェットと下着を抜かれ、腿を撫で上げる手が後ろを探ってくる。
「は……っん……」
慣らそうとする指についてゆこうと、体は急速に緩んでゆく。膝を大きく割られ、指が深く入り込んでくると、早く繋がりたいということしか考えられなくなってしまう。
吐息は期待に震えて、体はいつでも淳史のものが欲しくて、そうと言葉にできない代わりに擦りつけるように腰を揺する。

微かに笑うような気配がして、硬く張り詰めたものが指に沿うようにゆっくりと優生の中を押し開いてゆく。迎え入れる悦びに跳ねる腰が強い力で掴まれ、深々と貫かれると堪らず高い声を上げた。
濡れた音を立てて奥まで抉られるたび、体の芯から蕩け落ちてしまいそうで、縋るように淳史の首へとしがみついた。
「ああっ……あっ、ぁん」
眩暈のような熱に浮かされながら、ふと、昼間ネットで見た“激しい性交は避けること”という一文を思い出す。それを自分に適用する無意味さを知っていながら、考えるより先に体が反応してしまう。
「待って、そんなに……だめ……っ」
優生が急に抗うような素振りを取ったことに驚いたのか、淳史は訝しげに動きを止めた。
「やめた方がいいのか?」
硬い声で問われて我に返る。やめて欲しいはずがなく、ただもう少し穏やかな行為にしなければ体に障るのではないかと不安になっただけだった。
「ううん……あんまり激しいのは良くないと思っただけで……ごめんなさい」
「……そうだな。調子が悪いとわかっているのに、起こしてまで抱きたいと思う方がおかしいんだろうな」
中途でも止めた方がいいと言いたげな雰囲気に、慌てて離されないように追い縋る。
「ううん、そんなことないから……少しだけ加減して?」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん」
このままにされる方が優生にとっては余程辛いと、さんざん裏切られてきた淳史が知らないはずもなく、緩やかに律動が再開される。
どんな状態であっても、淳史に望まれるなら、いつでも、何度でも抱いて欲しいと思う。他の男の名残がまだ消えきらない引け目を忘れられるくらい、愛でも執着でも、いっそただの性欲でも構わないから優生の中をいっぱいに満たしていて欲しい。
「優生」
強い意思を伴った声が、優生を淳史の方へ向けさせる。
優しく口付けられて目を閉じると、もう余計なことは考えないですみそうだった。






「ゆい?」
やわらかなトーンで名前を呼ばれて、重い瞼を開ける。
身を屈めて優生を覗き込んでいるのは秀麗な隣人で、心配げな表情に、他人事のように自分の体調の悪さを実感した。
ぼんやりと、義之がベッドルームにいる理由を考える。
血縁者との関係が稀薄な淳史と優生は、何かあっても気軽に頼れる相手が身内にはおらず、ここに引っ越した時から、万一の場合のために義之に鍵を預けている。このところ毎日のように訪れている義之が、ほぼ引き籠り状態の優生の応答がなければ異常があったのかもしれないと心配して、部屋の中まで入ってきていても不思議なことではなかった。
「昨日より具合が悪くなっているようだね」
指の長い、骨ばった手が優生の前髪を払い、額を覆う。
「熱は高くないようだけど……どこか痛む?」
少し考えてから首を振る。
強いて言えば、昨夜の情交の跡が疼くくらいで、痛むというほどではなかった。ただ、全身のだるさが優生を無気力にさせているようで、体を起こすことさえ億劫になっていた。
「手を出して」
面倒がる優生の腕を、義之の手がフェザーケットの中まで迎えに来る。ベッドに腰掛けて、優生の視線を捕らえるように顔を覗き込む。
「吐き気は治まった?」
「……ううん」
横になって安静にしていればそうでもないが、無理に起きて動こうとすると酷い吐き気に襲われたり、眩暈を起こしたりして、今日は家事をするのもままならないような状態だった。
いつものように脈を取ったあとも、暫く優生の手首を戻さない義之に、自分の中だけに留めておけない思いを小さく洩らす。
「……俺、妊娠しちゃったのかな」
一瞬固まった空気が、義之の笑い声で再び動き出した。

「思いつめた顔をして何を言うのかと思えば、ゆいは想像もつかないことを言うね」
意を決した告白を、義之は軽く笑い飛ばした。
そもそも、義之の一言から生じた不安が、鬱々と優生を悩ませているというのに。
「だって……全身がだるくて、匂いに敏感になってて、頻繁に吐き気がするんだよ?」
呆れられるのを承知で言い募る。こんな相談をできる相手は義之以外にはいないと思う。
「ゆいは体調を崩すと、いつもそういう状態になっているんじゃなかったかな?」
「でも、ご飯の炊ける匂いがしただけで吐き気がするなんてヘンでしょう? 服が擦れるだけで乳首が痛いし、お腹も腰も痛だるいし、症状がみんな当て嵌まってるみたいなんだけど」
自分の体に起きている異変の原因を考えれば考えるほど、ただの杞憂とは思えなくなってしまい、不安は募るばかりだった。
義之にも優生が真面目に悩んでいることが伝わったようで、軽いため息と共に手を放される。
「品の悪いことを言うようだけど、吐き気以外は単なる“やり過ぎ”じゃないのかな? 体がだるいのは血圧が下がっているからだろうし、無理に起きようとすると吐き気がするのもそのせいだと思うよ」
「でも……」
「想像妊娠っていうのは男でもなるのかな……奥さんの悪阻がうつったりするというのは偶に聞くけど、ゆいの身近に妊婦はいないはずだけど」
「想像じゃなくて」
まだ食い下がろうとする優生を、義之は困ったように遮った。
「僕の見た限りでは、ゆいは普通に男の体だったようだけど、症状以外に何か気になることでもあるの?」
「そうじゃないけど……でも、未発達の子宮がお腹にあった人がいるとか聞いたことあるし、もし俺が知らなかっただけでそんな体だったら……」
そんなはずがないと、確証が欲しくて調べるほどに不安は深まってしまい、もしもそうだった場合を思っては途方に暮れそうになる。

「ゆいは病的なくらい心配性だね。万が一、子宮があったところで排卵がなければ受精しようがないし、そもそも女性器がない以上、関係ないと思うよ? どうしても心配なら超音波検査でも受けてみる?」
「でも……もし妊娠してて……淳史さんじゃ、なかったら……」
優生を思い悩ませているのは妊娠しているかもしれないということではなく、その原因がどちらなのかわからないということだった。セーファーセックスなど眼中になかったような男と暮らしていたことを、今更悔やんでみても遅過ぎる。
「ゆいのお腹に前の男の子供がいるんじゃないかってことを心配してるの? ゆいがそんなに気にしてるとは思わなかったよ。でも、ゆいは女の子じゃないんだから、たとえ欲しくても子供は出来ないんだよ?」
当たり前のことを真面目に諭されても、納得することは出来ない。何と言われようとも、優生の中に別の男の名残があるような不安は依然として消えていなかった。
「でも……俺、その人に何度も……中で……」
淳史に中で出される度にその名残が薄れてゆくような気がして、毎回、そうして欲しいと望んでしまう。だから、優生が戻ってから一度も、淳史はコンドームを使ったことがなかった。
「百歩譲って、仮にゆいが妊娠しているとしても、相手がその男とは限らないだろう? 淳史ともナマですると聞いてるけど?」
でも、淳史ではないかもしれない。
確率の問題ではなく、それがどれほど優生を絶望的な気分にさせるか、義之にはわからないのだろう。
答える代わりに問い返す。
「……義之さんは、もし里桜に同じようなことが起きても、そういう風に思えるの?」
「僕なら、どんな手を使ってでも相手の男を殺すよ」
直接自分の手を汚すことはないだろうけど。
囁くような声が優生の耳を滑る。一瞬、背筋が凍るような殺気に身が竦んだ。
すぐに表情を戻す義之は、いつもの温厚そうな仮面で、何もなかったように話を戻す。
「心配しなくても、淳史は僕とは違うよ。何が起きても、結局は君を許すだろうからね」
含みがあると思っても、その意味を尋ねられるような雰囲気ではなかった。






いつもは諄いくらいに長い、ただいまのキスもそこそこに、腰を抱かれてリビングへと促される。
ソファへと腰を下ろそうとする淳史に引き寄せられるまま、向かい合わせに膝に乗せられて、息がかかるほど近くで目線を合わせられると、やっぱり恥ずかしくなってしまう。
けれども、淳史の方はそんな甘い雰囲気にする気は微塵もなさそうだった。
「おまえは大事な話を、何で先に義之に話すんだ?」
「え、と……何のこと?」
大事な話などした覚えはなく、淳史を不機嫌にさせる理由がすぐには思い当たらない。
首を傾げる優生に、淳史はわざとらしいため息を吐いた。
「仮に、おまえが孕んでいたとして、どうして俺の子供だとは思わないんだ?」
「えっ……あ……義之さん、そんなことまで淳史さんに話しちゃったの?」
そもそも義之は淳史の友人なのだということを、優生はいつの間にか忘れてしまっていたようだ。まるで優生の方を大切にしてくれているみたいな錯覚をして、話が筒抜けになっていることに落胆してしまう。
「おまえこそ、“そんなこと”を何で義之には話すんだ?」
「だって、義之さんは看護師さんだし……淳史さんはそんなこと言われても困るでしょう?」
「何で俺が困るんだ? 俺は結婚している気でいるんだからな、子供ができて困る理由はないだろうが」
優生が女性ならそうなのだろうが、現実問題としてそうではないのだから、困るのが当然のはずだ。しかも、父親がどちらなのか優生にもわからないというのに。
「……淳史さんの子供とは限らないから」
淳史があまりにも当然の顔をするから、知らずに優生は自虐的な言い方をしてしまっていた。できるなら、淳史には隠しておきたいと思っていたのに。
優生の心情など想像することも出来ないのか、淳史は事も無げに答える。
「もしおまえに妊娠する可能性があるなら、父親は俺だろうが。ずっとナマでしかやってないんだからな」
「でも」
それは淳史だけではなかったと、言ってしまうにはあまりに生々しくて、いくら自棄になっていても、やっぱり口にすることはできなかった。

「義之に聞いたんだが、普通、悪阻が始まるのは妊娠4週目頃から8週目頃らしいぞ。おまえが戻って二ヶ月以上経つのに、前の男のってことはないだろう?」
「……二ヶ月じゃ、どっちかわからないでしょ」
淳史が迎えに来る前日まで関係していたのだから、むしろ黒田の可能性の方が高いはずだ。
「妊娠の週数は数え方が独特だって知ってるか? 着床した時点で3週目に入ってるから、仮に今8週目としても、できたのは5週前ってことになるらしいぞ」
「うそ……」
「看護師資格を持ってる奴が言うんだから、間違いないんじゃないのか?」
義之と話している時には何を言われても不安で仕方なかったのに、淳史に疑われていないと知った途端に、不思議なくらい安堵する。
「……よかった」
「それにな、仮に子宮があったところで、おまえにはそこに至る道がないんだから、どう考えても妊娠するはずがないって言ってたぞ」
「そうだよね」
元より妊娠するはずがないことなどわかりきっていたのに、そんな心配をしてしまった自分が、急に愚かしく思えてくる。しかも、それを淳史に知られてしまって、今更ながら恥ずかしさがこみ上げてきた。
「それより、胃に穴でも開いてないか、そっちの方が心配だ。一度きちんと検査でも受けた方がいいんじゃないか?」
「ううん、妊娠じゃないんなら、薬飲むから大丈夫」
「本気で妊娠したと思ってたのか?」
「そうじゃないけど……もしかしたらって思ってしまって……」
万に一つ以下の可能性でも、淳史の子供かもしれないと思わなかったわけではなかったから、頭痛薬も風邪薬も、胃薬さえも服用できなかった。だから余計に痛みがきつく感じていたのだと思う。
「そんなに子供が欲しいんなら養子でも貰うか?」
「ううん」
強いて言えば、欲しいのは愛し合った証で、親になりたいわけではない。
「とりあえず、子作りに励んでみるか?」
「えっ……」
誘われているのだと、すぐには気付かずに間の抜けた声を上げてしまった。
呆気に取られている間に、背を抱かれてソファへと倒される。そっと、淳史の頬が腹の上に乗ってきた。まるで、子供がいないことを確かめているかのように耳を押し当てる。
「でも、もし子供がいたら、こんなにベタベタしてばかりというわけにはいかないんだろうな」
まるで二人の時間を邪魔されたくないと言われたようで、思わず笑ってしまった。
まだ優生の罪悪感が全て解消されたわけではなかったが、ずいぶん救われたような気がした。





久しぶりに熟睡したからか、優生の体調はいつになく良く、午後遅く訪れた義之を玄関まで出迎えた。
「今日は顔色がいいようだけど、心配事は解決したのかな?」
一目でわかってしまうくらい、今の優生は顔つきまで違って見えるのだろうか。
「うん、ありがとう。義之さんのおかげかも」
今日は睡眠の補給は必要なさそうだったが、とりあえずリビングへと通す。
勧めるまでもなく義之は先にソファに座り、優生を隣へと促した。なぜか、その流れに違和感はなく、一瞬、誰の家にいるのかわからなくなってしまいそうになる。
「妊娠騒ぎは治まったようだね?」
「うん……突っ走ってしまってごめんなさい。なんか、ヘンに調べ過ぎて思い込んでしまって」
「ゆいの不調は心因性のものだったようだね。そんなに思い詰めなくても、淳史はきみに何があっても許すしかないんだから、ゆったり構えていればいいんだよ?」
なかったことにすると言ってからの淳史は不自然なほどに優し過ぎて、それが余計に優生の罪悪感を煽ることになっていた。自分のしてしまったことの重さに耐え切れなくなって、暴走してしまうほどに。
だからこそ、淳史が優生を許すしかないというのが理解できない。
「……淳史さんには、俺を怒るとか捨てるとか、自由にする権利があるのに?」
「怒ったり責めたりすれば、きみはまた淳史から離れようとするだろう? 許す以外に、淳史には選択肢はないんだよ。きみを繋いでおくにはどうすればいいか学んだということじゃないのかな?」
いつまで経っても自惚れることなど出来そうにないが、過剰なくらいに甘やかされているという認識はあった。抱くことを優先してくれるようになったのも、時間の許す限り優生を離さず傍についていてくれるのも、愛されているからだと今は素直に信じられる。
「淳史さんから別れたいって言われないかぎり、もう俺から離れるなんてできないよ」
「別れたいって言われたら、そうするつもりなの?」
「え……」
問われた意味を考えようとしただけで息が止まりそうになる。
見限られると思って他の男の元へ行ったくせに、今の優生は淳史から別れを切り出される光景を想像しただけで胸が千切れそうだった。

「ゆいは淳史の強引さに引き摺られて付き合ってるの? 迷惑をかけたから一緒に居るしかないとでも思ってる? なんだか、いつ別れてもいいと思っているみたいに聞こえるよ」
少し厳しい声色に、知らずに優生が淳史を苛立たせる理由が垣間見えたような気がする。思えば、いつも気を遣うほどに淳史の不興を買ってしまっていたのだった。
「別れてもいいなんて、思うわけないでしょう? ずっと傍に居させて欲しいけど、もし淳史さんに別れたいって言われたら俺は嫌だって言える立場じゃないから……なるべく長く置いてもらえるよう気を付けておかなきゃっていうだけで精一杯だよ」
別れる覚悟など到底できそうにないが、自分の立場は弁えておかなければいけないという思いは常にある。最後通牒を突きつける権利は淳史だけが持っているものだ。
「……ゆいがそんなに淳史のことを思っているとは知らなかったよ」
心なしか、義之が落胆したような顔をする理由がわからず、読み取ろうとじっと横顔を見つめた。
「淳史が一方的に入れ上げてるみたいな印象が強かったからね、きみは淳史じゃなくてもいいのかと思っていたよ」
「そんなこと……」
否定しかけて、簡単に流されたり、他の男の元へ行ったりをくり返してきた優生が、何を言っても説得力がないことに気付く。
「ホッとしたような、がっかりしたような複雑な心境だよ」
優生の方へ顔を向けて、まともに見つめてくる義之の視線に思わず身が引けた。逃れ切れずに、手首が捕まる。
「そんなに緊張すると脈が上がるよ?」
「え……あ、うん」
腕時計へと視線を落とす義之の慣れた仕草に、今日はまだバイタルを取っていなかったことに気付く。
そもそも義之は優生の体調管理が目的で来ているのに、少々スキンシップが過ぎるようだということも知っているのに、今更こんなリアクションを取ってしまった自分が恥ずかしくなる。
安心した途端に、もう義之に来て貰わなくてもいいのではないかと思う自分の身勝手さに呆れながら、淡々と一通りの作業が進められるのを眺めた。


「面倒みてもらいついでに、ちょっと下品なこと聞いてもいい?」
今日は添い寝をして貰う必要もなく、だからといってすぐに帰るよう言うわけにもいかず、優生は何となくその話を義之に振ってみる気になった。
「僕に答えられることだといいけど」
謙遜するところが逆に厚かましいと思いながら、そこを指摘するのはやめておく。
「前に、淳史さんは大人としか恋愛しないって言ってるのを聞いたことがあるんだけど、それって経験豊富な人の方がいいっていうこと? それとも、年齢だけのことで、やっぱり“さら”の方がいいの?」
「難しいことを言うね……“さら”がいいということはないだろうけど、遊んでる方がいいという意味ではないと思うよ? でも、淳史はきみが俊明と同棲していたことを承知で口説いたんだし、気にしなくていいんじゃないかな?」
先回りして結論付けられてしまうと、本当に知りたいことをどう尋ねたものか悩んでしまう。
「そういう意味じゃなくて……たとえば、義之さんは里桜に押し倒されたりすることある?」
「里桜の方から誘われるかということ?」
「ちょっと違うけど……ある?」
「残念ながら殆どないよ。里桜がそんな風に思う間もないくらい僕から求めているらしくてね。ひどい時には、“キスとハグ以外禁止”と言われることもあるくらいだよ」
前に里桜が言った、淳史は優生の傍に居るだけで満足しているみたいだったというのは、自分もそうだったからなのかもしれない。でも、それは多過ぎるほどに愛されているから言えることで、足りないと思う必要がないからなのではないのだろうか。
「……里桜は贅沢だよね。断るなんて勿体無いこと、俺には怖くて出来ないよ。たとえ高熱があったって、して貰いたいけどな」
それで体に支障を来たすようなことがあったとしても本望だ。
取りようによっては里桜を非難するようなことを言ってしまったせいか、ほど近い位置で義之がため息をつく。
「きみがそんなだから、この頃の淳史は度を越してしまうんじゃないのかな?」
適度が掴めないからか、淳史が時として無理を押しても体を繋げることに拘っているのは事実だった。

「俺だって、淳史さんが体を壊さないか心配だけど……でも、抱きたいと思ってくれたら、絶対して貰いたいもの」
「僕は淳史の心配をしているんじゃないよ? ただでさえ、きみは体が弱くて体力もないんだから、せめてもう少し体調が戻るまでは、淳史にも自重させた方がいいと言ってるんだよ」
看護師の立場から戒められたのかもしれないが、素直に頷く気にはならなかった。
「俺なら大丈夫だよ。淳史さん、すごく優しくしてくれるし。いつも、俺が焦れるくらい時間をかけて、気持ちいいことしかしないし」
「だから、体温計を挟む時に目のやり場に困るくらい、きみの肌は濃い執着の跡でいっぱいなのかな?」
まるで、自分のものだと牽制しているみたいに。
追い打ちをかけるような義之の言葉に、優生は耳まで熱くした。殆ど引き籠り状態でいたせいか、キスマークが服に納まりきらないような位置に無数にあっても、全くといってもいいほど気に留めなくなっていた。
「義之さんだって、キスマークくらいつけるでしょう?」
「まさか。里桜は高校生だよ? 跡をつけないのはもちろん、平日は挿れるのもダメって言われることがあるくらいだからね」
思いがけず生々しいことを言われると、もう少し踏み込んで尋ねても許されそうな気になる。
「……義之さん、そういう時は我慢してるの? 義之さんの家系って“強い”んでしょう?」
「我慢というのではないよ。里桜の年齢を考えれば当然のことだし、里桜は協力的だからね」
相手とのペースの違いに上手く折り合いをつける方法は、そう多くは思いつかない。義之に限って、他で補おうとは思わないだろうということもわかっている。
ただ、それを優生に当てはめることは現状では難しく、それでもセーブしろと言うのなら、義之はその手段も知っているのだろうか。
「俺は、自分でするのも抜いてもらうのもダメなんだ。中途半端に火が点いちゃって、余計にして欲しくなっちゃうだけっていうか」
曖昧な表現では伝わらないのではないかと思ったが、義之は訳知り顔で相槌を打つ。
「きみは挿れないと満足しないらしいね」
「うん……淳史さんに聞いたの?」
確認するまでもなく、淳史は優生の担当看護師に相当深い話までしているようだった。

「足りないと思ったら、きちんと伝えた方がいいよ。きみが待っているだけだから、淳史も気を回して毎日でも抱かないといけないみたいに思うんじゃないのかな?」
それが出来ればこんな事態にはなっていないはずで、その打開策こそが優生が義之に尋ねたかったことだ。
「でも、淳史さんって、セマられたりするの嫌いでしょう?」
「そんなことはないと思うよ。どちらかというと、積極的な相手の方を好むなんじゃないかな? あまり自分から口説くタイプではないしね」
予想していなかったわけではないが、本来の淳史の反応と、優生に対するものには対極ほどに隔たりがあるということになる。
「でも……俺、淳史さんのを舐めたくて、止められたんだけど我慢できなくて勝手にやっちゃって機嫌損ねたことあるんだけど……淳史さん、口は嫌いってことないでしょう?」
結果的には達したのだから体の都合ではないはずで、感情の問題だけなのだろうと思う。
「嫌いな男なんていないよ。ゆいはその時が初めてだったの?」
「うん。って言っても、淳史さんにはってことだけど……いつも俺ばっか気持ち良くして貰ってるみたいな感じだし、俺も触りたいっていうか舐めたいっていうか、記憶を塗り変えたかったっていうか……ともかく、淳史さんの感触が知りたくてがっついちゃったんだけど」
「それまでしたことがなかったんなら、ゆいをそういう風に変えた相手に対する憤りとか嫉妬で、淳史は不機嫌になったのかもしれないね。淳史がさせたことがないことを、他の男がきみに教えたということだろう?」
優生にではなく、優生と住んでいた男に対するものだったようだと聞いて、納得したのと同時にホッとした。
「でも、俺にそういうことを教えてくれたのは俊明さんだよ。よく淳史さんにそういう話をしてたみたいだったから、知ってると思ってたけど」
優生の最初の男には、抱かれていたというより使われていたというような感じで、キスひとつされたこともなければ優しく扱われたこともなかった。だから、体を繋げることに無意識に怯える優生に、俊明はこの上なく優しく、気持ちのいいことだとくり返し教えてくれた。やがて、抱き合うことに溺れて、愛情だけでは足りないと思ってしまうほどに。

「どちらにしても、他の男を連想させるのは拙いよ。許しているといっても、淳史はきみに触れた相手は悉く殺したいくらいに思っているはずだからね」
「それなら、やっぱり俺からセマったりしない方がいいんじゃないのかな?」
「もし淳史が拘ってるなら、逆撫でしない方がいいかもしれないけど……たぶん一時的なものだったんだと思うよ。試しに、今夜にでもリトライしてみれば?」
義之は簡単に言うが、それでまた同じ結果になったら、優生はどうすればいいのだろうか。
「そんなことして淳史さんの機嫌を損ねちゃったら、俺は再起不能だよ?」
多少の無理を強いているとはいえ、やっと平穏な生活が戻ってきたというのに、わざわざ波風を立てるようなことはしたくない。
「もし淳史に愛想をつかされたら、僕が面倒見てあげるよ」
何の面倒を見てくれるつもりなのか、或いは本気ではないのか、涼しげな義之の表情からは真意は読み取れない。
意味がわからず見つめ返す優生に、義之は満更冗談でもなさそうな顔をする。
「きみと僕がつき合ったら、ちょうどいいんじゃないかと思うことがあるよ」
確かに、フィジカルな面だけを取ればそうなのかもしれない。ただ、もしそうなったら、足りないと思わないですむ代わりに、ひどく爛れた生活になってしまいそうな気がする。
「義之さんは俺に押し倒されたいと思う?」
「そうだね。僕なら歓迎するよ」
悪意を隠した笑顔の、どこまでが例え話なのか境がわからなくなりそうで、優生はひとまず話を戻すことにした。
「淳史さんは、俺が何度も他の人に襲われそうになったり関係しちゃったりしたから、俺から誘うみたいなのは我慢できないのかな」
まがりなりにも配偶者に選ばれた優生が、色欲に滅法弱く、男を誑し込みかねないように見えるのだとしたら、気が気でないのも頷ける。
「結論から言えば、ゆいが貞淑だろうが淫乱だろうが、大した問題じゃないと思うよ。浮気はされたくないだろうけど、結局は許すんだしね」
まるで、優生がまた他の男と関係すると思われているように聞こえて驚いた。疑われるのは仕方のないことでも、義之は優生に同情的だと思い込んでいた。
「どうしたら、俺は全部、淳史さんのものになれるのかな?」
優生はもう他の誰かに満たされたいとは思っていない。もしくは、他の誰にも満たすことは出来ないと知っている。
「もう全部、淳史のものだろう? 今のきみには、正攻法では付け入る隙はないようだしね」
「ほんとに?」
残念ながら、と付け加えて頷く義之に、問題が解決したみたいに安堵する優生は、案外単純なのかもしれなかった。






「優生」
苛立ちを含んだ声が、食事の用意をしようとキッチンへ入った優生を呼ぶ。どうやら、戻ってすぐに届いたメールが、淳史の機嫌を損ねてしまったようだった。
「ご飯、いらなくなったの?」
とりあえずIHの電源を落としてからと思う優生に焦れたのか、淳史の声が荒くなる。
「いいから先に来い」
ソファで待つ淳史に、急かすように膝を叩かれると、そこに座らないわけにはいかなくなってしまう。
なるべく端っこに、と思う心理は読まれていたようで、強い腕が優生の腰を抱き寄せた。
「俺はおまえから誘われたくないというようなことを言ったか?」
「え……あ、メール、義之さんからだったの?」
看護師のくせに義之には守秘義務というような概念はないのか、内緒のつもりの相談事まで淳史に筒抜けにしてしまったようだ。
「俺には思い当たることがないんだが、どういう意味なんだ?」
「あの、義之さんは何て?」
「俺がおまえに聞いてるんだ」
有無を言わせぬ口調と心の中まで見透かすような眼差しに沈黙を貫けるほど、優生は胆が据わっていない。義之がどう言ったのかわからない以上、ヘタに隠して火に油を注ぐより、観念して白状する方がマシだろうと思った。
「……淳史さん、俺にフェラが好きなのか聞いたことあったでしょう? 俺、そんなことないって言ったけど、本当は触りたいし舐めたいし、口にも入れて欲しい。でも、また淫乱だって思われたくないし……淳史さん、そういうの嫌いなんでしょう?」
言ってる途中でどうにも恥ずかしくなって、淳史の肩へと顔を伏せた。今は顔を見られたくないし、淳史の反応も知りたくない。肯定されてしまったら、きっと優生の鼓動は止まってしまうだろう。

「嫌いじゃないし、おまえを淫乱だと思ってもいないんだが……そう思わせるような態度を取ったんなら悪かった」
拍子抜けするくらいにあっさりと淳史は自分の非を認めて、宥めるように優生の髪を撫でた。
「ほんとに、嫌いじゃない?」
おそるおそる顔を上げて、淳史を窺う。
試してみれば、と言った義之の言葉をすぐに実行するつもりはないが、いつ気が緩んで誘惑に負けてしまわないとも限らず、確認せずにはいられなかった。
「ああ。おまえがいつもと違うことをした時には、他の男を連想して大人げないことを言ったかもしれないが」
「よかった……」
ホッと息を吐いたのも束の間、淳史は少し意地の悪い声で続けた。
「でも、そんなことを気にしてるわりには、おまえ、結構大胆なことをやってるとは思ってないのか?」
「え……」
「こっちは傷付けないように慣らしてからと思ってるのに、おまえはすぐに焦れて入れさせようとするし、先に動くし、ゴムを使うなとか挙句は中で出せとか言ってるだろうが。自覚はないのか?」
頭で思うより先に羞恥を感じた顔を、再び淳史の肩へと押し付ける。
指摘されるまで気付かなかったと言えば嘘になるが、これでも自分では我慢しているつもりでいた。けれども、言葉にしなくても、逸る体は抑えきれずに催促したり、もっと奥まで欲しくて自ら引き込んだり、とても慎ましいとは言えなかったかもしれない。
「……ごめんなさい。そうかも」
「いや、俺にもそのくらいの見返りがないと、抱くことを優先している甲斐がないからな。もっと素直になって貰いたいくらいだ」
淳史の言うことはよく理解できず、大きな手が背中をあやしてくれるのに任せて次の言葉を待つ。
「おまえは言葉では何も言わないだろう? 俺も、少しは好かれていると思いたいからな」
「少しはって、俺、淳史さんのことすごく好きなのに」
驚きのあまり、反射的に訂正した優生の体がギュッと抱きしめられる。
「前は“思う”がついていたからな。昇格していたとは知らなかったよ」
つい先日、自発的とは認め難いにしても、愛していると言ったはずなのに、それはカウントして貰えていないらしかった。


居心地の良い腕に包まれて耳障りの良い声を聞いていると、ぐるぐると悩んでいたことが嘘みたいに安らかな気持ちになる。
「男の性欲のピークは19歳だと言うから、おまえが特別サカってるということはないんじゃないか? 俺のピークもその辺りだったから、おまえを口説く頃には落ち着いていたのも仕方ないだろう?」
優生がいつも欲しがられていたいと望んでしまったことを庇う代わりに、淳史は弁解とも釈明とも取れる言葉を続けた。深読みすれば、下降線を辿っているはずの淳史に、体の都合に逆行して毎日つき合わせてしまっているということなのだろう。
「ごめんなさい。無理してくれてるんだよね」
「いや。毎日は厳しいと思ってたんだが、意外と慣れるもんだな。代謝と回復力の問題だから、しないと衰えてしまうと言われたんだが、その通りだったようだな」
「……それも、義之さん?」
「ああ。やまいもを食えとか貝類や豚肉がいいとか、いろいろ言うから面白がっているのかとも思ったんだが、効果はあったようだし、聞いておいて良かったんだろうだな」
雑学に長けているのか単なるお節介なのか、義之は大抵の問題に簡単に答えてしまう。優生も、もっと早く相談していれば思い悩まずにすんだのかもしれない。
「優生?」
頬に触れる手に、顔を上げるように促されて、何気なく従う。
「俺は今まで一方的過ぎたかもしれないな。たまにはおまえの好きなようにしてみるか?」
耳を疑うようなことを言われて、目の前の顔をまじまじと見つめてしまった。
いざ好きにしていいと言われると固まってしまうのは、その誘惑が優生の身に余るからだ。
「……そういうのは、ムリだから」
「ムリってことはないだろう?」
怪訝な顔をする淳史には、優生が今、どれほど心臓をバクバク言わせているのかわからないのだろうか。
「恐れ多くて、俺にはできないよ……」
「おかしな奴だな、今更何を遠慮する必要があるんだ?」
何と言われようとも、優生を自在に翻弄する相手に自分から仕掛けるなんて大それたことは出来そうになかった。


「しょうがないな」
このままでは進展しそうにないと思ったのか、淳史は自分でシャツのボタンを外し始めた。
胸元から肌が覗くと、見慣れていないわけでもないのに何故だか気恥ずかしくて、直視できずに視線が泳いでしまう。
「脱いでいいのか?」
確かめるように優生を見るのは、脱がせたいか、という意味なのだろうか。
優生が答えられずに黙ると、淳史は苦笑しながらシャツを脱ぎ、ベルトに手をかけた。下を脱ぐには膝に乗っている優生が邪魔になっているとわかっていても、避けるタイミングが上手く掴めない。
「おまえは? 自分で脱ぐのか?」
色気のない言い草なのに、それでも優生には耐え難いほど恥ずかしくて、また淳史の肩へと顔を伏せて首を横に振った。
「これくらいで恥じらってるようじゃ、何もして貰えそうにないな」
さも可笑しげに笑われても、意識するほどに体は強張って、思うように動かせなくなってしまう。
「……意地悪、しないで」
「そんなつもりはないんだが」
心外だと言いたげな唇が髪を揺らす。優しい指が顎に伸びて、俯きがちな顔を上げさせる。
軽く触れただけのキスは深まりそうになく、したければ優生から仕掛けて来いということのようだった。夢中になっていれば自分から求めることに躊躇いはないのに、意識すると何もかもが覚束ない。
「んっ……」
Tシャツ越しに胸へと触れてくる指に、緊張した体が小さく跳ねた。生地の上からでも、慣れた指は微かな隆起を正確に探し当て、強い刺激を与えようとする。
「や、ん」
皮膚を伝う快感に堪らず腰を押し付けると、熱くなっているのは優生だけではないことに気付く。
「窮屈だな」
そっと、撫でるように触れる手が優生のデニムのボタンを外す。
「俺にはしてくれないのか?」
そこまで言われては、いつまでも任せきりというわけにはいかず、なんとか指を伸ばして、淳史が優生にするように前を緩める努力を試みた。

「……舐めたいんじゃなかったのか?」
意地悪な問いに、それでも誘惑に逆らい切れずに頷いた。
膝から下りてラグに座り、怖々指を伸ばす。怯みそうになりながら、そっと唇を近付けた。軽くキスをして、舌を這わせながら唇で覆う。
「ん、あっ……」
顎に伸ばされた無骨な手が頬を撫で、髪を梳くように差し入れられる。心持ち上向けさせようとする指にひどく感じて、まるで優生の方がされているような気分になってしまう。口腔にも性感帯があるというが、優生はどこもかしこも敏感過ぎて、その指が優生に触れる度に体の芯から蕩けてしまいそうな気がする。
「っは……う」
淳史を高めることに集中しようと思うのに、次第に硬度と質量を増してゆくものの、喉を突きそうな勢いに上手く対応できずに咽せ込んだ。
「……そうやって無理をするとわかっているから、させたくなかったんだ」
ふいに優生の両脇へ通された手が体を引き上げる。淳史の胸元へと抱き寄せ、宥めるように軽く背を叩く。優生はまだ続けたいと思っていたが、淳史の欲求は次に向かっているようだった。
「あっ……」
予め緩められていた優生のデニムと下着が下ろされ、手早く抜き取られる。
「ぁんっ」
疾うに限界寸前になっていた優生のものに触れられるのはいっそ辛く、それより別な所を何とかして欲しくて腰を浮かせた。
「いや……そっちじゃ、なくて」
喘ぐように呟いたときにはもう恥ずかしいと思う余裕もなく、早く優生の中に触れて欲しい一心だった。
「ああ……っん……」
物欲しげに綻ばせた入り口は太い指を待ちきれないように締め付けながら、奥へと誘おうとする。馴染ませようと、ゆっくり撫でるような動きをする指に焦れて、腰を揺すった。
躊躇うように小さく吐く息が、優生の髪にかかる。
「自分で挿れられるか?」
問われて、改めて手に触れたもののサイズに戸惑った。
本当にいつも、こんな規格外なものが全部自分の中に入っているのだとは信じ難い。しかも、痛みではなく快楽ばかりを与えてくれているのだとは。
「……おっきくなり過ぎだよ」
弱音を吐きながらも、傷付けられることなどないと知っている。初めての時から、単に優生が男を受け入れることに慣れていたからか、淳史が慎重に扱ってくれたおかげか、傷付けられるというようなことはなかった。ただ、その重量感のせいか、ひどく感じ入ってしまったせいか、腰が立たなくなってしまったのだったが。
「んぁっ……」
そっと、淳史の指に開かれた場所に押し付けられたものへと腰を沈めてゆく。ゆっくり息を吐きながら、硬く張り詰めたもので傷をつけないよう慎重に動かす。
「っ」
短く息を詰めたのは淳史で、優生の好きなようにと言っていたはずなのに、優生の腰を掴んで強く突き上げた。
「あぁっ……ん、ぁんっ……」
思わずしがみついた上体が倒され、膝を押し上げられて激しく穿たれる。結局、淳史はそういうスタイルの方が好きなのかもしれないと、甘く霞む頭でぼんやりと考えた。




「……おまえ、俺じゃなくて、俺のが好きなんてことはないだろうな?」
ぐったりと身を預けていた淳史の胸元から、そっと頭を上げる。
淳史の口調は冗談ともつかなくて、優生もつい真面目に答えてしまう。
「どっちも、好きだよ?」
思えば、好きだと認めた途端に、まともに向き合うのも恥ずかしくなってしまっていたというのに、今日は“好き”を連発しているような気がする。もしかしたら、一度口にしたことで気負いが取れてしまったのだろうか。
「喜んでいいのか微妙なところだが……いい気になっておくことにするか」
「そうして」
淳史の肩へ頭を戻して目を閉じる。少し眠りたいと思ったが、優生の髪を撫でる淳史の指は、そうさせてくれるつもりはなさそうだった。
「優生……義之は毎日来てるのか?」
「うん? 平日は殆ど毎日かな?」
「どのくらい居る?」
「一時間か二時間くらい? あ、でもすぐ帰る時もあるし」
深く考えずに答えてしまってから、拙かったようだと気付いて言葉を足した。
「おまえにばかり時間を使っていれば、里桜にまで回らないだろうな」
「でも、義之さんが来るのは日中だけだから里桜は学校だし、関係ないでしょう?」
「おまえに気を取られて、仕事から帰るのも遅くなってるんじゃないのか?」
淳史の言いたいことは理解できず、確かめるように顔を見つめた。里桜に迷惑をかけているから、もう来てもらうのをやめた方がいい、ということなのだろうか。
「もう義之が来るのは歓迎できないと言ったら、また具合が悪くなるのか?」
「……どういう意味?」
「義之とおまえを二人きりにさせるのは本意じゃない」
注意深く、淳史の表情を窺う。
妬いている、というような直情的なものではなく、もっと深刻な雰囲気に 戸惑った。
「……浮気するとか、思われてる?」
「おまえは気を許すと無防備だからな。いくら義之が里桜に夢中だからといって、間違いが起きないとは言い切れないだろう?」
疑われても仕方のない身だとわかっていても、傷付くことは止められない。
それを察した淳史が、優生の頬を大きな掌で包み、俯かせなくさせる。
「おまえを疑ってるわけじゃない。“はずみ”とか“事故”を回避させたいだけだ」
その言葉を返せば、疑われているのは義之ということになってしまう。確かに、危うげな気配を感じたことは幾度となくあったが、優生の自意識過剰だったかもしれず、今のところ実害も出ていない。ましてや、淳史公認で二人になっていたのだから、そんな事態になるとは考え難かった。
「あまり煩く言わないつもりでいたんだが……逆の想像をしてみろよ? もし里桜が病気になって、義之がおまえにするように俺が世話を焼いたらどうする?」
淳史が誰かを眠らせるために腕や胸を貸すとか、優しく髪を撫でるとか、手を繋ぐとか、想像しただけで涙がこみあげてきそうだ。
「……やだ」
「そんな悲壮な顔をするようなことを義之はしてるのか?」
苦笑する淳史は本当の所を知っているわけではないのだろうが、深く考えもせず義之に甘えていた自分が、ひどく愚かに思えた。
「俺、自分でちゃんと体調管理するから、淳史さんも他の人の面倒みたりしないで?」
「当たり前だろうが」
普段は少しきつく見える目元が、優しく細められる。
「おまえだけで手一杯だ」
安堵のあまり、淳史の首へと抱きついた。
自分勝手だとわかっているのに、優生は今まで代替の優しさを享受してきたのに、それを淳史が僅かでも他の誰かに与えるなんて耐えられない。
「……俺も、おまえを孕ませることができれば、少しは安心するのかもしれないな」
独り言のような言葉を聞いて、不安に思っているのは優生だけではないことに気付く。
「安心しないで? ずっと、心配していて?」
信用されて放っておかれるくらいなら、疑われても縛っていて欲しい。自由なんて、優生には何の価値もないものだ。
「これ以上心配できないくらい、おまえのことばかり思っているだろうが」
強い腕が、優生の背を抱き直す。
呆れたような言葉とうらはらに、優生の言いたいことをわかってくれているように、淳史の返事はひどく甘く響いた。



- Love or Lust - Fin

【 Not Still Over 】     Novel       【 Do Me More 】


2009.3.3.update

タイトルは平井堅さんの歌からお借りしています。

“らぶ”は淳史、“らすと”は義之とか言ったら顰蹙でしょうか……。