- Love or Lust(4) -



久しぶりに熟睡したからか、優生の体調はいつになく良く、午後遅く訪れた義之を玄関まで出迎えた。
「今日は顔色がいいようだけど、心配事は解決したのかな?」
一目でわかってしまうくらい、今の優生は顔つきまで違って見えるのだろうか。
「うん、ありがとう。義之さんのおかげかも」
今日は睡眠の補給は必要なさそうだったが、とりあえずリビングへと通す。
勧めるまでもなく義之は先にソファに座り、優生を隣へと促した。なぜか、その流れに違和感はなく、一瞬、誰の家にいるのかわからなくなってしまいそうになる。
「妊娠騒ぎは治まったようだね?」
「うん……突っ走ってしまってごめんなさい。なんか、ヘンに調べ過ぎて思い込んでしまって」
「ゆいの不調は心因性のものだったようだね。そんなに思い詰めなくても、淳史はきみに何があっても許すしかないんだから、ゆったり構えていればいいんだよ?」
なかったことにすると言ってからの淳史は不自然なほどに優し過ぎて、それが余計に優生の罪悪感を煽ることになっていた。自分のしてしまったことの重さに耐え切れなくなって、暴走してしまうほどに。
だからこそ、淳史が優生を許すしかないというのが理解できない。
「……淳史さんには、俺を怒るとか捨てるとか、自由にする権利があるのに?」
「怒ったり責めたりすれば、きみはまた淳史から離れようとするだろう? 許す以外に、淳史には選択肢はないんだよ。きみを繋いでおくにはどうすればいいか学んだということじゃないのかな?」
いつまで経っても自惚れることなど出来そうにないが、過剰なくらいに甘やかされているという認識はあった。抱くことを優先してくれるようになったのも、時間の許す限り優生を離さず傍についていてくれるのも、愛されているからだと今は素直に信じられる。
「淳史さんから別れたいって言われないかぎり、もう俺から離れるなんてできないよ」
「別れたいって言われたら、そうするつもりなの?」
「え……」
問われた意味を考えようとしただけで息が止まりそうになる。
見限られると思って他の男の元へ行ったくせに、今の優生は淳史から別れを切り出される光景を想像しただけで胸が千切れそうだった。

「ゆいは淳史の強引さに引き摺られて付き合ってるの? 迷惑をかけたから一緒に居るしかないとでも思ってる? なんだか、いつ別れてもいいと思っているみたいに聞こえるよ」
少し厳しい声色に、知らずに優生が淳史を苛立たせる理由が垣間見えたような気がする。思えば、いつも気を遣うほどに淳史の不興を買ってしまっていたのだった。
「別れてもいいなんて、思うわけないでしょう? ずっと傍に居させて欲しいけど、もし淳史さんに別れたいって言われたら俺は嫌だって言える立場じゃないから……なるべく長く置いてもらえるよう気を付けておかなきゃっていうだけで精一杯だよ」
別れる覚悟など到底できそうにないが、自分の立場は弁えておかなければいけないという思いは常にある。最後通牒を突きつける権利は淳史だけが持っているものだ。
「……ゆいがそんなに淳史のことを思っているとは知らなかったよ」
心なしか、義之が落胆したような顔をする理由がわからず、読み取ろうとじっと横顔を見つめた。
「淳史が一方的に入れ上げてるみたいな印象が強かったからね、きみは淳史じゃなくてもいいのかと思っていたよ」
「そんなこと……」
否定しかけて、簡単に流されたり、他の男の元へ行ったりをくり返してきた優生が、何を言っても説得力がないことに気付く。
「ホッとしたような、がっかりしたような複雑な心境だよ」
優生の方へ顔を向けて、まともに見つめてくる義之の視線に思わず身が引けた。逃れ切れずに、手首が捕まる。
「そんなに緊張すると脈が上がるよ?」
「え……あ、うん」
腕時計へと視線を落とす義之の慣れた仕草に、今日はまだバイタルを取っていなかったことに気付く。
そもそも義之は優生の体調管理が目的で来ているのに、少々スキンシップが過ぎるようだということも知っているのに、今更こんなリアクションを取ってしまった自分が恥ずかしくなる。
安心した途端に、もう義之に来て貰わなくてもいいのではないかと思う自分の身勝手さに呆れながら、淡々と一通りの作業が進められるのを眺めた。


「面倒みてもらいついでに、ちょっと下品なこと聞いてもいい?」
今日は添い寝をして貰う必要もなく、だからといってすぐに帰るよう言うわけにもいかず、優生は何となくその話を義之に振ってみる気になった。
「僕に答えられることだといいけど」
謙遜するところが逆に厚かましいと思いながら、そこを指摘するのはやめておく。
「前に、淳史さんは大人としか恋愛しないって言ってるのを聞いたことがあるんだけど、それって経験豊富な人の方がいいっていうこと? それとも、年齢だけのことで、やっぱり“さら”の方がいいの?」
「難しいことを言うね……“さら”がいいということはないだろうけど、遊んでる方がいいという意味ではないと思うよ? でも、淳史はきみが俊明と同棲していたことを承知で口説いたんだし、気にしなくていいんじゃないかな?」
先回りして結論付けられてしまうと、本当に知りたいことをどう尋ねたものか悩んでしまう。
「そういう意味じゃなくて……たとえば、義之さんは里桜に押し倒されたりすることある?」
「里桜の方から誘われるかということ?」
「ちょっと違うけど……ある?」
「残念ながら殆どないよ。里桜がそんな風に思う間もないくらい僕から求めているらしくてね。ひどい時には、“キスとハグ以外禁止”と言われることもあるくらいだよ」
前に里桜が言った、淳史は優生の傍に居るだけで満足しているみたいだったというのは、自分もそうだったからなのかもしれない。でも、それは多過ぎるほどに愛されているから言えることで、足りないと思う必要がないからなのではないのだろうか。
「……里桜は贅沢だよね。断るなんて勿体無いこと、俺には怖くて出来ないよ。たとえ高熱があったって、して貰いたいけどな」
それで体に支障を来たすようなことがあったとしても本望だ。
取りようによっては里桜を非難するようなことを言ってしまったせいか、ほど近い位置で義之がため息をつく。
「きみがそんなだから、この頃の淳史は度を越してしまうんじゃないのかな?」
適度が掴めないからか、淳史が時として無理を押しても体を繋げることに拘っているのは事実だった。

「俺だって、淳史さんが体を壊さないか心配だけど……でも、抱きたいと思ってくれたら、絶対して貰いたいもの」
「僕は淳史の心配をしているんじゃないよ? ただでさえ、きみは体が弱くて体力もないんだから、せめてもう少し体調が戻るまでは、淳史にも自重させた方がいいと言ってるんだよ」
看護師の立場から戒められたのかもしれないが、素直に頷く気にはならなかった。
「俺なら大丈夫だよ。淳史さん、すごく優しくしてくれるし。いつも、俺が焦れるくらい時間をかけて、気持ちいいことしかしないし」
「だから、体温計を挟む時に目のやり場に困るくらい、きみの肌は濃い執着の跡でいっぱいなのかな?」
まるで、自分のものだと牽制しているみたいに。
追い打ちをかけるような義之の言葉に、優生は耳まで熱くした。殆ど引き籠り状態でいたせいか、キスマークが服に納まりきらないような位置に無数にあっても、全くといってもいいほど気に留めなくなっていた。
「義之さんだって、キスマークくらいつけるでしょう?」
「まさか。里桜は高校生だよ? 跡をつけないのはもちろん、平日は挿れるのもダメって言われることがあるくらいだからね」
思いがけず生々しいことを言われると、もう少し踏み込んで尋ねても許されそうな気になる。
「……義之さん、そういう時は我慢してるの? 義之さんの家系って“強い”んでしょう?」
「我慢というのではないよ。里桜の年齢を考えれば当然のことだし、里桜は協力的だからね」
相手とのペースの違いに上手く折り合いをつける方法は、そう多くは思いつかない。義之に限って、他で補おうとは思わないだろうということもわかっている。
ただ、それを優生に当てはめることは現状では難しく、それでもセーブしろと言うのなら、義之はその手段も知っているのだろうか。
「俺は、自分でするのも抜いてもらうのもダメなんだ。中途半端に火が点いちゃって、余計にして欲しくなっちゃうだけっていうか」
曖昧な表現では伝わらないのではないかと思ったが、義之は訳知り顔で相槌を打つ。
「きみは挿れないと満足しないらしいね」
「うん……淳史さんに聞いたの?」
確認するまでもなく、淳史は優生の担当看護師に相当深い話までしているようだった。

「足りないと思ったら、きちんと伝えた方がいいよ。きみが待っているだけだから、淳史も気を回して毎日でも抱かないといけないみたいに思うんじゃないのかな?」
それが出来ればこんな事態にはなっていないはずで、その打開策こそが優生が義之に尋ねたかったことだ。
「でも、淳史さんって、セマられたりするの嫌いでしょう?」
「そんなことはないと思うよ。どちらかというと、積極的な相手の方を好むなんじゃないかな? あまり自分から口説くタイプではないしね」
予想していなかったわけではないが、本来の淳史の反応と、優生に対するものには対極ほどに隔たりがあるということになる。
「でも……俺、淳史さんのを舐めたくて、止められたんだけど我慢できなくて勝手にやっちゃって機嫌損ねたことあるんだけど……淳史さん、口は嫌いってことないでしょう?」
結果的には達したのだから体の都合ではないはずで、感情の問題だけなのだろうと思う。
「嫌いな男なんていないよ。ゆいはその時が初めてだったの?」
「うん。って言っても、淳史さんにはってことだけど……いつも俺ばっか気持ち良くして貰ってるみたいな感じだし、俺も触りたいっていうか舐めたいっていうか、記憶を塗り変えたかったっていうか……ともかく、淳史さんの感触が知りたくてがっついちゃったんだけど」
「それまでしたことがなかったんなら、ゆいをそういう風に変えた相手に対する憤りとか嫉妬で、淳史は不機嫌になったのかもしれないね。淳史がさせたことがないことを、他の男がきみに教えたということだろう?」
優生にではなく、優生と住んでいた男に対するものだったようだと聞いて、納得したのと同時にホッとした。
「でも、俺にそういうことを教えてくれたのは俊明さんだよ。よく淳史さんにそういう話をしてたみたいだったから、知ってると思ってたけど」
優生の最初の男には、抱かれていたというより使われていたというような感じで、キスひとつされたこともなければ優しく扱われたこともなかった。だから、体を繋げることに無意識に怯える優生に、俊明はこの上なく優しく、気持ちのいいことだとくり返し教えてくれた。やがて、抱き合うことに溺れて、愛情だけでは足りないと思ってしまうほどに。

「どちらにしても、他の男を連想させるのは拙いよ。許しているといっても、淳史はきみに触れた相手は悉く殺したいくらいに思っているはずだからね」
「それなら、やっぱり俺からセマったりしない方がいいんじゃないのかな?」
「もし淳史が拘ってるなら、逆撫でしない方がいいかもしれないけど……たぶん一時的なものだったんだと思うよ。試しに、今夜にでもリトライしてみれば?」
義之は簡単に言うが、それでまた同じ結果になったら、優生はどうすればいいのだろうか。
「そんなことして淳史さんの機嫌を損ねちゃったら、俺は再起不能だよ?」
多少の無理を強いているとはいえ、やっと平穏な生活が戻ってきたというのに、わざわざ波風を立てるようなことはしたくない。
「もし淳史に愛想をつかされたら、僕が面倒見てあげるよ」
何の面倒を見てくれるつもりなのか、或いは本気ではないのか、涼しげな義之の表情からは真意は読み取れない。
意味がわからず見つめ返す優生に、義之は満更冗談でもなさそうな顔をする。
「きみと僕がつき合ったら、ちょうどいいんじゃないかと思うことがあるよ」
確かに、フィジカルな面だけを取ればそうなのかもしれない。ただ、もしそうなったら、足りないと思わないですむ代わりに、ひどく爛れた生活になってしまいそうな気がする。
「義之さんは俺に押し倒されたいと思う?」
「そうだね。僕なら歓迎するよ」
悪意を隠した笑顔の、どこまでが例え話なのか境がわからなくなりそうで、優生はひとまず話を戻すことにした。
「淳史さんは、俺が何度も他の人に襲われそうになったり関係しちゃったりしたから、俺から誘うみたいなのは我慢できないのかな」
まがりなりにも配偶者に選ばれた優生が、色欲に滅法弱く、男を誑し込みかねないように見えるのだとしたら、気が気でないのも頷ける。
「結論から言えば、ゆいが貞淑だろうが淫乱だろうが、大した問題じゃないと思うよ。浮気はされたくないだろうけど、結局は許すんだしね」
まるで、優生がまた他の男と関係すると思われているように聞こえて驚いた。疑われるのは仕方のないことでも、義之は優生に同情的だと思い込んでいた。
「どうしたら、俺は全部、淳史さんのものになれるのかな?」
優生はもう他の誰かに満たされたいとは思っていない。もしくは、他の誰にも満たすことは出来ないと知っている。
「もう全部、淳史のものだろう? 今のきみには、正攻法では付け入る隙はないようだしね」
「ほんとに?」
残念ながら、と付け加えて頷く義之に、問題が解決したみたいに安堵する優生は、案外単純なのかもしれなかった。



- Love or Lust(4) - Fin

【 Love or Lust(3) 】     Novel       【 Love or Lust(5) 】  


クドイようですが、本編で義之×優生にはなることはありませんー。