- Love or Lust(3) -



頬に触れる優しい感触に、知らずに笑みが零れる。確かめるように唇をなぞってゆく指先に、キスをしたいと思うのに、眠りに捕らわれた体は上手く動かせなかった。
「優生」
覚醒しきらない意識が、それでも声を追おうと重い瞼を瞬かせる。
いつの間にベッドへ連れて来られたのか全く記憶がなく、何時頃なのか見当もつかない。ただ、覆い被さってくる裸の肌の、乾き切らない感じは風呂上りなのだろうと思った。
「……も、寝るの?」
何気なく尋ねてから、組み敷かれたような体勢が就寝のはずがないことに気付く。
「あとで、な」
低い声は甘く、宥めるように唇に触れた。心地良さと安心感が、また優生の瞼を閉じさせる。このまま腕に包まれて眠りに戻りたくなる思いを、シャツの裾を乱す手が阻む。
起こしてまで仕掛けてくるのは、まだ優生が毎日でも抱かれたがっていると思われているからなのだろう。
痩せた腹を伝い、平らな胸を撫でる掌の熱さに、もし、ささやかであっても柔らかな膨らみがあれば、もう少し淳史の気に入っただろうかと、考えても詮無いことが頭を過った。
「ん……っ」
つい沈みがちになる思いを置き去りに、体は淳史のくれる刺激に従順に高揚してゆく。きついくらいに肌を吸われ、尖ってゆく胸の先を擦られると、甘く痺れるような感覚が全身に拡散する。強く求められれば、つまらない感傷もどこかへ飛ぶ。
少し乱暴にスウェットと下着を抜かれ、腿を撫で上げる手が後ろを探ってくる。
「は……っん……」
慣らそうとする指についてゆこうと、体は急速に緩んでゆく。膝を大きく割られ、指が深く入り込んでくると、早く繋がりたいということしか考えられなくなってしまう。
吐息は期待に震えて、体はいつでも淳史のものが欲しくて、そうと言葉にできない代わりに擦りつけるように腰を揺する。

微かに笑うような気配がして、硬く張り詰めたものが指に沿うようにゆっくりと優生の中を押し開いてゆく。迎え入れる悦びに跳ねる腰が強い力で掴まれ、深々と貫かれると堪らず高い声を上げた。
濡れた音を立てて奥まで抉られるたび、体の芯から蕩け落ちてしまいそうで、縋るように淳史の首へとしがみついた。
「ああっ……あっ、ぁん」
眩暈のような熱に浮かされながら、ふと、昼間ネットで見た“激しい性交は避けること”という一文を思い出す。それを自分に適用する無意味さを知っていながら、考えるより先に体が反応してしまう。
「待って、そんなに……だめ……っ」
優生が急に抗うような素振りを取ったことに驚いたのか、淳史は訝しげに動きを止めた。
「やめた方がいいのか?」
硬い声で問われて我に返る。やめて欲しいはずがなく、ただもう少し穏やかな行為にしなければ体に障るのではないかと不安になっただけだった。
「ううん……あんまり激しいのは良くないと思っただけで……ごめんなさい」
「……そうだな。調子が悪いとわかっているのに、起こしてまで抱きたいと思う方がおかしいんだろうな」
中途でも止めた方がいいと言いたげな雰囲気に、慌てて離されないように追い縋る。
「ううん、そんなことないから……少しだけ加減して?」
「本当に大丈夫なのか?」
「うん」
このままにされる方が優生にとっては余程辛いと、さんざん裏切られてきた淳史が知らないはずもなく、緩やかに律動が再開される。
どんな状態であっても、淳史に望まれるなら、いつでも、何度でも抱いて欲しいと思う。他の男の名残がまだ消えきらない引け目を忘れられるくらい、愛でも執着でも、いっそただの性欲でも構わないから優生の中をいっぱいに満たしていて欲しい。
「優生」
強い意思を伴った声が、優生を淳史の方へ向けさせる。
優しく口付けられて目を閉じると、もう余計なことは考えないですみそうだった。






「ゆい?」
やわらかなトーンで名前を呼ばれて、重い瞼を開ける。
身を屈めて優生を覗き込んでいるのは秀麗な隣人で、心配げな表情に、他人事のように自分の体調の悪さを実感した。
ぼんやりと、義之がベッドルームにいる理由を考える。
血縁者との関係が稀薄な淳史と優生は、何かあっても気軽に頼れる相手が身内にはおらず、ここに引っ越した時から、万一の場合のために義之に鍵を預けている。このところ毎日のように訪れている義之が、ほぼ引き籠り状態の優生の応答がなければ異常があったのかもしれないと心配して、部屋の中まで入ってきていても不思議なことではなかった。
「昨日より具合が悪くなっているようだね」
指の長い、骨ばった手が優生の前髪を払い、額を覆う。
「熱は高くないようだけど……どこか痛む?」
少し考えてから首を振る。
強いて言えば、昨夜の情交の跡が疼くくらいで、痛むというほどではなかった。ただ、全身のだるさが優生を無気力にさせているようで、体を起こすことさえ億劫になっていた。
「手を出して」
面倒がる優生の腕を、義之の手がフェザーケットの中まで迎えに来る。ベッドに腰掛けて、優生の視線を捕らえるように顔を覗き込む。
「吐き気は治まった?」
「……ううん」
横になって安静にしていればそうでもないが、無理に起きて動こうとすると酷い吐き気に襲われたり、眩暈を起こしたりして、今日は家事をするのもままならないような状態だった。
いつものように脈を取ったあとも、暫く優生の手首を戻さない義之に、自分の中だけに留めておけない思いを小さく洩らす。
「……俺、妊娠しちゃったのかな」
一瞬固まった空気が、義之の笑い声で再び動き出した。

「思いつめた顔をして何を言うのかと思えば、ゆいは想像もつかないことを言うね」
意を決した告白を、義之は軽く笑い飛ばした。
そもそも、義之の一言から生じた不安が、鬱々と優生を悩ませているというのに。
「だって……全身がだるくて、匂いに敏感になってて、頻繁に吐き気がするんだよ?」
呆れられるのを承知で言い募る。こんな相談をできる相手は義之以外にはいないと思う。
「ゆいは体調を崩すと、いつもそういう状態になっているんじゃなかったかな?」
「でも、ご飯の炊ける匂いがしただけで吐き気がするなんてヘンでしょう? 服が擦れるだけで乳首が痛いし、お腹も腰も痛だるいし、症状がみんな当て嵌まってるみたいなんだけど」
自分の体に起きている異変の原因を考えれば考えるほど、ただの杞憂とは思えなくなってしまい、不安は募るばかりだった。
義之にも優生が真面目に悩んでいることが伝わったようで、軽いため息と共に手を放される。
「品の悪いことを言うようだけど、吐き気以外は単なる“やり過ぎ”じゃないのかな? 体がだるいのは血圧が下がっているからだろうし、無理に起きようとすると吐き気がするのもそのせいだと思うよ」
「でも……」
「想像妊娠っていうのは男でもなるのかな……奥さんの悪阻がうつったりするというのは偶に聞くけど、ゆいの身近に妊婦はいないはずだけど」
「想像じゃなくて」
まだ食い下がろうとする優生を、義之は困ったように遮った。
「僕の見た限りでは、ゆいは普通に男の体だったようだけど、症状以外に何か気になることでもあるの?」
「そうじゃないけど……でも、未発達の子宮がお腹にあった人がいるとか聞いたことあるし、もし俺が知らなかっただけでそんな体だったら……」
そんなはずがないと、確証が欲しくて調べるほどに不安は深まってしまい、もしもそうだった場合を思っては途方に暮れそうになる。

「ゆいは病的なくらい心配性だね。万が一、子宮があったところで排卵がなければ受精しようがないし、そもそも女性器がない以上、関係ないと思うよ? どうしても心配なら超音波検査でも受けてみる?」
「でも……もし妊娠してて……淳史さんじゃ、なかったら……」
優生を思い悩ませているのは妊娠しているかもしれないということではなく、その原因がどちらなのかわからないということだった。セーファーセックスなど眼中になかったような男と暮らしていたことを、今更悔やんでみても遅過ぎる。
「ゆいのお腹に前の男の子供がいるんじゃないかってことを心配してるの? ゆいがそんなに気にしてるとは思わなかったよ。でも、ゆいは女の子じゃないんだから、たとえ欲しくても子供は出来ないんだよ?」
当たり前のことを真面目に諭されても、納得することは出来ない。何と言われようとも、優生の中に別の男の名残があるような不安は依然として消えていなかった。
「でも……俺、その人に何度も……中で……」
淳史に中で出される度にその名残が薄れてゆくような気がして、毎回、そうして欲しいと望んでしまう。だから、優生が戻ってから一度も、淳史はコンドームを使ったことがなかった。
「百歩譲って、仮にゆいが妊娠しているとしても、相手がその男とは限らないだろう? 淳史ともナマですると聞いてるけど?」
でも、淳史ではないかもしれない。
確率の問題ではなく、それがどれほど優生を絶望的な気分にさせるか、義之にはわからないのだろう。
答える代わりに問い返す。
「……義之さんは、もし里桜に同じようなことが起きても、そういう風に思えるの?」
「僕なら、どんな手を使ってでも相手の男を殺すよ」
直接自分の手を汚すことはないだろうけど。
囁くような声が優生の耳を滑る。一瞬、背筋が凍るような殺気に身が竦んだ。
すぐに表情を戻す義之は、いつもの温厚そうな仮面で、何もなかったように話を戻す。
「心配しなくても、淳史は僕とは違うよ。何が起きても、結局は君を許すだろうからね」
含みがあると思っても、その意味を尋ねられるような雰囲気ではなかった。






いつもは諄いくらいに長い、ただいまのキスもそこそこに、腰を抱かれてリビングへと促される。
ソファへと腰を下ろそうとする淳史に引き寄せられるまま、向かい合わせに膝に乗せられて、息がかかるほど近くで目線を合わせられると、やっぱり恥ずかしくなってしまう。
けれども、淳史の方はそんな甘い雰囲気にする気は微塵もなさそうだった。
「おまえは大事な話を、何で先に義之に話すんだ?」
「え、と……何のこと?」
大事な話などした覚えはなく、淳史を不機嫌にさせる理由がすぐには思い当たらない。
首を傾げる優生に、淳史はわざとらしいため息を吐いた。
「仮に、おまえが孕んでいたとして、どうして俺の子供だとは思わないんだ?」
「えっ……あ……義之さん、そんなことまで淳史さんに話しちゃったの?」
そもそも義之は淳史の友人なのだということを、優生はいつの間にか忘れてしまっていたようだ。まるで優生の方を大切にしてくれているみたいな錯覚をして、話が筒抜けになっていることに落胆してしまう。
「おまえこそ、“そんなこと”を何で義之には話すんだ?」
「だって、義之さんは看護師さんだし……淳史さんはそんなこと言われても困るでしょう?」
「何で俺が困るんだ? 俺は結婚している気でいるんだからな、子供ができて困る理由はないだろうが」
優生が女性ならそうなのだろうが、現実問題としてそうではないのだから、困るのが当然のはずだ。しかも、父親がどちらなのか優生にもわからないというのに。
「……淳史さんの子供とは限らないから」
淳史があまりにも当然の顔をするから、知らずに優生は自虐的な言い方をしてしまっていた。できるなら、淳史には隠しておきたいと思っていたのに。
優生の心情など想像することも出来ないのか、淳史は事も無げに答える。
「もしおまえに妊娠する可能性があるなら、父親は俺だろうが。ずっとナマでしかやってないんだからな」
「でも」
それは淳史だけではなかったと、言ってしまうにはあまりに生々しくて、いくら自棄になっていても、やっぱり口にすることはできなかった。

「義之に聞いたんだが、普通、悪阻が始まるのは妊娠4週目頃から8週目らしいぞ。おまえが戻って二ヶ月以上経つのに、前の男のってことはないだろう?」
「……二ヶ月じゃ、どっちかわからないでしょ」
淳史が迎えに来る前日まで関係していたのだから、むしろ黒田の可能性の方が高いはずだ。
「妊娠の週数は数え方が独特だって知ってるか? 着床した時点で3週目に入ってるから、仮に今8週目としても、できたのは5週前ってことになるらしいぞ」
「うそ……」
「看護師資格を持ってる奴が言うんだから、間違いないんじゃないのか?」
義之と話している時には何を言われても不安で仕方なかったのに、淳史に疑われていないと知った途端に、不思議なくらい安堵する。
「……よかった」
「それにな、仮に子宮があったところで、おまえにはそこに至る道がないんだから、どう考えても妊娠するはずがないって言ってたぞ」
「そうだよね」
元より妊娠するはずがないことなどわかりきっていたのに、そんな心配をしてしまった自分が、急に愚かしく思えてくる。しかも、それを淳史に知られてしまって、今更ながら恥ずかしさがこみ上げてきた。
「それより、胃に穴でも開いてないか、そっちの方が心配だ。一度きちんと検査でも受けた方がいいんじゃないか?」
「ううん、妊娠じゃないんなら、薬飲むから大丈夫」
「本気で妊娠したと思ってたのか?」
「そうじゃないけど……もしかしたらって思ってしまって……」
万に一つ以下の可能性でも、淳史の子供かもしれないと思わなかったわけではなかったから、頭痛薬も風邪薬も、胃薬さえも服用できなかった。だから余計に痛みがきつく感じていたのだと思う。
「そんなに子供が欲しいんなら養子でも貰うか?」
「ううん」
強いて言えば、欲しいのは愛し合った証で、親になりたいわけではない。
「とりあえず、子作りに励んでみるか?」
「えっ……」
誘われているのだと、すぐには気付かずに間の抜けた声を上げてしまった。
呆気に取られている間に、背を抱かれてソファへと倒される。そっと、淳史の頬が腹の上に乗ってきた。まるで、子供がいないことを確かめているかのように耳を押し当てる。
「でも、もし子供がいたら、こんなにベタベタしてばかりというわけにはいかないんだろうな」
まるで二人の時間を邪魔されたくないと言われたようで、思わず笑ってしまった。
まだ優生の罪悪感が全て解消されたわけではなかったが、ずいぶん救われたような気がした。



- Love or Lust(3) - Fin

【 Love or Lust(2) 】     Novel     【 Love or Lust(4) 】  


妊娠の週の計算の仕方は一般に思われているのと違っていて、妊娠前から数えます。
最終月経の第一日目を妊娠0日とするので、月経周期が28日で一定している人の場合、
排卵日を妊娠2週目、0〜3週目までを一ヶ月と数えます。
(つまり2週目までは実際には妊娠していない状態ということです。)
なので、早い人でも4週目(生理予定日)ころまでは気が付かないのが普通です。
悪阻は人によって時期が異なりますが、4週目ころから8週目ころまでには始まり、
重い人では産む間際まで続く場合もあるようです。