- Not Still Over(4) -



「ずいぶん思い切ったね」
優生に目を止めた義之の感想も、あまり芳しいものではなさそうだった。やはり、優生には短髪は似合わないということらしい。
「前のは気に入ってなかったので……」
言い訳を探す優生に向ける、義之の視線が同情的な気がするのは、被害妄想ではないと思う。
「……痛々しいな」
やや抑えた声は、責めるような響きを伴っているように聞こえる。
「短めにしたかったんですけど、ちょっと切り過ぎたみたいで」
「淳史の機嫌を損ねるだろうから、今のうちに対策を考えておいた方がいいよ?」
「やっぱり、そうかな……」
前に髪を短く切った時に、長い方がいいと言われたことがあった。その時以上に短くしてしまった優生は、また淳史の言いつけを破ったことになるのだろうか。
結局、どうやっても淳史の気を悪くさせてしまうだけなのかもしれない。優生が気を回すほど、事態は悪化の一途を辿ってしまうようだった。
「義くん、そんなに脅かさないで。ゆいさんには、ゆいさんの考えがあるんだから。それより、ご飯は? 義くんの分も用意してくれてるけど?」
「ご馳走になって構わないのかな?」
迷うような顔をする理由がわからず、里桜の言葉を後押しする。
「よかったら食べていってください。里桜と一緒に作ったので」
「ありがとう。それなら大丈夫かな……。とりあえず淳史が戻るのを待ってからだね」
里桜が来ることは事前に淳史に伝えてあり、義之が迎えに来ることは必然だった。その流れで食事を一緒することも、ごく自然なことに思える。義之がそれほど気を遣う理由が、優生にはまだわからなかった。

「でも、淳史さんは9時回ると思うから……緒方さんと里桜は明日に差し支えるといけないし、先に用意しましょうか?」
里桜が夜弱いことや、いつもは帰りが遅いという義之が仕事を持ち帰っているかもしれないことを思うと、あまり先延ばしにするのは気が引ける。
「あっくんと一緒でいいよね? 義くん」
「僕は急がないよ、里桜が大丈夫なら」
ソファに並んで腰掛ける仲睦まじい二人を見ていると、そもそも夕飯に誘わなかった方が良かったかもしれないことに気が付いた。この頃ずっと帰りが遅いという義之と二人になれる時間は貴重なはずで、引き止めずにいた方が里桜のためだったかもしれない。
「義くん、今日は鮭とほうれん草のグラタンにオニオンスープだよ。晩ご飯食べずに帰ってきて良かったねー」
「ほんと、早く帰って来られて良かったよ。里桜にも淋しい思いをさせてるけど、仕事納めまでもう少し我慢して?」
そんな会話を聞いてしまうと、優生のことは気にせず帰るようにと言うわけにもいかなくなってしまった。せめて、淳史が少しでも早く帰るよう祈るしかなさそうだ。
「緒方さん、コーヒーでも淹れましょうか?」
「そうしてもらおうかな」
「あ、俺が用意してくるね」
言葉と同時に立ち上がる里桜に任せて、優生は少し離れたダイニングチェアーに座った。自然と、義之の視線が優生の方へと移る。
「引越しの準備は進んでる?」
「はい、日曜のうちに何とか。淳史さん、どうしても年内に引越しを終わらせたいみたいで、何もかも強引に決めてしまいました」
カーテンの仕上がりに合わせて引っ越す日も決めてしまった淳史は、以前の独裁者に戻ったかのようでいて、行動の端々に余裕のなさを覗かせていた。それが、余計に優生を不安にさせている。
「ほんと、早く越しておいで。そうしたら僕も少し気が楽になるしね」
「すみません、迷惑かけてばっかりで……緒方さんにも里桜にも」
淳史の元に戻ると決めた以上、この二人とつき合うのは必須で、もう子供じみた我儘を言うつもりはなかった。それどころか、勝手に出て行っていた優生を責めることもなく親身になって心配してくれている二人と親しくなることが、淳史との関係を良好にする一番の近道なのかもしれない。

「ゆいはいつまで経っても他人行儀だね」
「え……と?」
「もし僕が里桜の家へ養子に行ったら、“鈴木さん”とでも呼ぶつもりなのかな?」
回りくどい表現ながら、名前で呼ぶように催促されているらしいことがわかった。どうも、優生の周りの大人の男たちは皆、揃いも揃って名前で呼ばれたがる奴ばかりのような気がする。
「……義之さん、と呼んだらいいですか?」
「少し硬いような気もするけど、現状よりはいいかな」
「ゆいさんも、義くんとか、よっくんとか呼べばいいのにー」
カウンターから顔を覗かせる里桜は単純で明快だ。
だからといって、優生が“義くん”と呼ぶわけにはいかなかった。いくら気にしなさそうに見えていても、それは里桜だけの特別な呼び方なのだと思う。
それに、最初に呼び捨てでいいと言われている淳史のことさえ、いまだに“さん”付けだというのに、他所の“ご主人”を親しげに呼べるはずがなかった。
「年上の人をそういう風に呼ぶのは苦手だから……」
「でも、もう少し打ち解けてくれてもいいんじゃないかな? 君の手に余ることがあるなら、話してくれれば力になれると思うよ?」
「そうそう。ゆいさんは遠慮しないで、俺や義くんに、あっくんの悪口でも何でも言っちゃえばいいんだよー」
冗談めかした里桜の口調に、気負う思いが和らぐ。
今まで、義之に相談してみることなど考えもしなかったが、言われてみれば確かに、淳史のことなら義之に頼るのが一番なのかもしれない。淳史が不機嫌な理由も、優生がどうするべきなのかも、義之なら答えを持っているような気がする。
けれども、優生が何と言って切り出そうかと迷っているうちに、一触即発状態の主はもう戻ってきたらしかった。


「何だ、その頭は」
優生を見た瞬間、淳史は眉を顰めて忌々しげに声を低めた。義之の想像通り、相当に機嫌を損ねたようだ。
「ごめんなさい、長過ぎると思って……」
出迎えた玄関で淳史に見据えられると、優生は顔を上げられなくなってしまった。“ただいま”の一言もなければハグもなく、客人が来ていることを知っているはずなのに、それを気にする風もない。
「俺が長い方がいいとわかっていて切ったのか?」
詰問口調に、用意しておいたはずの言い訳が飛んでしまった。唯一長い、目を覆うほどに残した前髪を、かき上げるようにして瞳を覗き込まれると、見つめ返すことが出来ずに視線を落とす。
他の男の所で過ごした時間や印象を戻したいと思ったことが、そんなにも淳史を怒らせることになるとは想像もしなかった。
「優生」
淳史が不満げなのは、今の優生の容姿が淳史の好みに合わないということなのだろう。淳史の母親に初めて会った日に、“いかにも男を襲っているみたいだ”と言われたことを思い出す。また、同じような気分にさせてしまっているのだろうか。
「……ごめんなさい、その話は後にしてもらっていい? 二人とも、ご飯食べないで待ってくれて……っ」
優生が問いに答えられないことも気に入らなかったのか、言いかけた言葉は途中で遮られた。頭の後ろから引き寄せられて塞がれた唇を、拒むことは許されそうにない。
せめて、逆らうつもりはないと伝えるために、背伸びをして淳史の首へと腕を回す。せいいっぱい反らした優生の腰が痛いほどに抱かれて、キスは深まるばかりだった。
後で、と言いたいのに言葉にならない。リビングで待たせている二人のことを思うと、ゆっくり再会に浸っている場合ではなかったが、淳史は気にも留めていないらしかった。

「や」
カットソーをたくし上げるようにして入ってきた掌が、肌を這い上がる。
まさか、来客中に、しかも玄関でこれ以上の事態になるとは思わなかったが、今の淳史は予想外のことをしそうで怖い。
「あ、ん……」
淳史の許へ戻ってからというもの、すっかり過敏になってしまった胸の尖りは撫でられただけでも体中が痺れそうになる。
崩れるように、淳史の腕へと身を預けると、きつく抱きしめられた。
「……ジャマ者はさっさと帰すとするか」
辛抱が足りないのはどちらなのか定かではなかったが、扉を一枚隔てただけの行為は一先中断することにしたようだ。
淳史は優生の肩を抱いてリビングに移ると、ソファで待つ二人に、にべもなく言い放った。
「世話になったな。悪いが奥に行くから飯を食うなり帰るなり好きにしてくれ」
「つくづく自分勝手な男だね。好きにしろというなら、寝室の見学にでも行こうかな?」
さすがの義之も、淳史のあまりの失礼さに腹を立てたらしかった。にもかかわらず、勝手にしろ、と言わんばかりの淳史の態度には優生の方がハラハラしてしまう。
「ねえ、義くん? 俺も一緒に行っていいんだよね?」
ただ一人緊張感のない里桜が、不謹慎なくらいに期待に満ちた瞳を義之に向ける。
「里桜はダメだよ。大体、本当に見に行くわけがないだろう? ただの嫌味だよ?」
「えー」
不満げな声を上げる里桜に、義之が脅かすような顔を作る。
「明日、学校に行けないような事態になっても知らないよ?」
「どうして? あ、見てたら、したくなっちゃうってこと?」
「そういうことだよ。この頃ちっとも里桜と時間が合わないからね、触発されて自制が効かなくなってもいいの?」
「義くん、ズルイ。平日は一回だけって約束でしょ? 日付けが変わるような時間になるのもダメだからね?」
どうやら、緒方家ではそういった細かな取り決めがなされているらしい。義之は僅かに眉を潜めたが、里桜は自分がとんでもないことを暴露してしまったとは気が付いていないようだった。
「じゃ、変な気を起こさないうちに引き上げるとしようか?」
「うん」
帰ることが決まるや否や席を立つ二人に、慌てて頭を下げる。
「勝手ばかり言ってごめんなさい。よかったら、グラタン持って帰って? 里桜も何回も用意するの大変だろうし、時間も勿体無いし」
「ありがとう。じゃ、遠慮なくお皿ごと貰って帰るね。ゆいさん、またいつでも呼んで?」
優生が思うほど気にした風もなく、二人は手を繋いで帰っていった。




淳史の言うところの“ジャマ者”がいなくなると、すぐにその胸元へと抱きよせられた。
何かを堪えるように、短くなった優生の髪の中へと鼻先を埋めて、抱きしめる腕に力を籠める。何がそれほどに淳史の気を逸らせるのか、優生は腕の中に閉じ込められているのに、なおも捕らえようとするかのように力は増すばかりだった。
「優生」
焦れたような声とほぼ同時に、抱きしめられた体がふっと浮くような感覚を覚える。
「あ」
ソファへと倒された優生にかかる、淳史の重さに身が竦む。切迫したような雰囲気が怖くて、目を閉じた。
顎を掴むように指をかけられて、噛みつかれそうに始まったキスはすぐに深まり、優生の吐息まで貪るように執拗に舌を追う。気を取られているうちに、乱れたカットソーの裾から肌を辿る掌が胸元まで露にさせた。
「……っん、う……」
息苦しさに、小さく首を振って息を継いだ。衿を抜くために一旦離れた唇は首筋を這い、あからさまな跡を残しながら胸元に移ってゆく。どこもかしこも、全てが淳史のものだと主張するかのような、ともすれば子供じみた行為も、所有を強調されているようで、嬉しいと思わずにはいられなかった。
「……っは……ん……ぁん」
赤く熟れた胸の先を吸われて、背が撓った。舐められて転がされるうちに、体の奥がどうしようもなく疼き出す。連日抱かれ続けている体はだるく、回復する間もないのに、淳史に触れられるとまた欲しくなってしまう。
デニムのボタンが外されて、下着をずらすように差し入れられた手が、すっかり上向いた優生のものを握る。先端を露出させた指先になぞられて、昂ぶる体は熱く、溶けてしまいそうだった。
「あっ、あ、あっ……んっ……」
淳史の状態を確かめて、すぐにも同じ所まで高めてしまいたい衝動に懸命に逆らう。触れたがっていると知れると嫌われそうで、淳史が我慢できなくなるのをただ待ちわびた。


「は……ん、ん……」
あてがわれた硬い切っ先を受け入れようと吐く息が、期待に震えて甘く掠れた。
中を満たしてゆくものが滾るように熱いのは、淳史がまだ優生に欲情している証だと思うとホッとする。
浅く出入りをくり返しながら馴染ませられてゆくのに焦れて、もっと奥まで銜え込もうと動きを追った。慎ましくしていようとしていたはずなのに、せっつく体が止められない。
「っあ、んっ……ああ……っ」
蕩けるような快楽に溺れそうな優生には、淳史が苦しげに眉を顰めたままだったことに気付くことが出来なかった。
「……ぁんっ」
少しでも深く淳史を感じていたいと絡み付く優生の体が、不意にソファへと押し付けられる。腰が浮くほど強く膝を押し上げられて、激しく奥を突かれると、淳史が言葉にしない苛立ちや、独占欲のようなものが伝わってくるようだった。
「は、あっ……あっ、ああ」
閉じた瞼の端へ溜まる涙が、揺さぶられて流れ落ちる。体の中から湧き出す情欲に連動しているかのように後から後から零れて止まらない。
「……も……いって、も、いい……?」
解放を請う優生の喉元を、大きな掌が覆う。圧迫するように力を籠められて、息苦しさと同時に突き抜けるような感覚に襲われた。
「あ……っん」
堰を切って溢れ出すものを受け止めようと伸ばした手は間に合わず、淳史の腹を汚した。少し遅れて、優生の中でも、熱いものが迸る。
この頃の淳史は、外で出すとかゴムを使うとかいう気は毛頭ないらしく、いつも優生の中を濡らした。それが必ずしも愛情ゆえではなさそうだということは、何となくわかっていた。


優生に覆い被さったまま、何も言わない淳史の機嫌はまだ直っていないようだった。そうとわかっていても、掛ける言葉が見つけられずに唇を噛む。
おそらく、理由は優生の危惧していた通りなのだろう。いくら淳史が何度も優生の不義に目をつぶってきたといっても、これまでとは訳が違っていた。同じ相手と回数を重ねて淫らさを増した優生を許せないのは当然のことで、どんな結論を突き付けられることになっても、甘んじて受け入れなければならないのだと思う。
優生の耳の後ろへと伸ばされた指先が、髪の中へと埋められる。絡めるように動く指に、短い髪はかからず滑り落ちてゆく。
「……大分かかりそうだな」
それが髪が伸びるまでのことだと咄嗟にはわからず、答えることは出来なかった。
それでも、髪を梳く指は優しくて、気持ち良さに瞼が閉じたがる。疲労が溜まってゆくばかりの体は、睡眠を要求しているようだった。
「優生?」
「……うん」
眠らせてやると言った淳史の言葉は真実で、確かにその腕は睡眠導入剤で安定剤だった。
「おまえも飯食ってないんじゃないのか?」
曖昧に首を振りながら、起きて食事の用意をしなくてはいけないと思うのに、なぜか体はいうことをきかなかった。
「あ……ん……」
さっきまで淳史に穿たれていた場所はまだ熱く息づいていて、不意に探ってくる指を締め付ける。そのまま眠ってしまうと、淳史の手を煩わせるとわかっているのに、どうしても睡魔に勝てそうになかった。



- Not Still Over(4) - Fin

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本当言うと、淳史の視点でもどかしーく書きたいところなのですが。
淳史のヘタレ度を上げてしまうだけになりそうなので。

☆首を絞められて落ちる瞬間は凄く気持ちがいいそうですが、危険なのでしてはいけませんー。