- Not Still Over(3) -



「なんていうか……もったいない感じ」
肩を越えるほど長く伸びていた髪を、首筋が露になるほど短く切ってしまった優生に、里桜は掛ける言葉に迷ってしまったようだ。
あまり短くすると似合わないとわかっていても、女っぽく見せてしまう髪を何とかしたくて、つい切り過ぎてしまったかもしれない。
「すぐ伸びるし」
尤も、髪を切ったからといって、すぐに切り換えられるわけではないことは優生が一番わかっているつもりだったが。
まるで、痛々しいと言いたげな里桜の視線を振り切るように先を行く。淳史が帰るまでにはまだ時間はあるが、無駄に外出していたとは思われたくなかった。いつ、どこで誰の目に触れないとも限らず、いつまでも外にいるのは怖かった。
「ゆいさん、すぐに帰るの?」
「ごめん、つまらないことにつき合わせて……でも、早く帰っておきたいから」
髪を切るためだけに里桜を呼び出したことは悪いと思っている。それでも、一人で出掛けることを自粛している優生が、今頼れる相手は里桜しかいないのだった。
「そんなのは構わないよ、でも、ゆいさんも少しは息抜きした方がいいよ?」
「……もしかして、俺、切羽詰ってるみたいに見える?」
「ていうか、なんか、見てて辛い感じがして……ゆいさん、俺じゃ役者不足だろうけど、愚痴でも何でも言って?」
里桜にまで心配されてしまうほど、優生は脆くなってしまったのかもしれない。けれども、その申し出は今の優生にはかなり有難いものだった。
「じゃ、帰ったら聞いて欲しいことあるんだけど、いい?」
「うん。俺でよかったら何でも話して?」
気負うように力強く頷く里桜に、優生は迷っていたことを話してみる気になった。


ほんの1時間ほど出掛けていただけで、優生はひどく消耗してしまっていた。
黒田の所にいる時にはそうでもなかったのに、淳史の許に戻った途端にダウンしてしまうというのは皮肉だと思う。
「ゆいさん、大丈夫? 俺のことは気にしないで休んでて?」
寝室へ行くように勧める里桜の、腕を引っ張って、ソファに座るように促す。
「ごめん……大丈夫だから、ちょっと肩貸して?」
返事を待たずに、里桜の肩口へ頭を乗せるようにして凭れかかった。里桜が困ったような顔をするのは、優生に触らないよう、淳史にきつく言われているからなのだろう。
「……ゆいさん、どうかしたの?」
一度は話すと決めたものの、いざとなると言っていいものかどうか迷ってしまう。里桜の肩に顔を伏せたまま、優生は小さな声で尋ねた。
「……里桜は……緒方さんの、したことある?」
「え? 何? どういうこと?」
「だから……里桜は緒方さんの、口でしたことある?」
「口でって……エッチの話? やだ、ゆいさんてば、どうしちゃったの?」
みるみるうちに顔を赤くする里桜に、優生は尋ねてはいけないことを聞いてしまったような気にさせられる。見た目ほど純情ではないと思っていたのに。
「……里桜だって、そういう話、俺に振るだろ」
自分でも逆ギレだとわかっているのに、つい強気な態度を取ってしまう。勢いでもつけなければ、とても話を進められそうになかった。
「だって、ゆいさんは、そういう話は嫌いなんじゃなかったの?」
「それは、里桜が淳史さんや緒方さんの前で話すから……里桜だって、他に話せる人がいないって言ってただろ?」
「でも、俺、ゆいさんが嫌がるような話は禁止って言われてるんだけど……」
「こっちから振ってるのに、嫌なわけないだろ」
今は優生の方が話したい気分なのだとわかってもらいたくて、知らずに口調がきつくなる。


「それならいいのかな……えっと、ないってこともないっていうか」
煮え切らない返事を、“ある”と受け取って、その先を尋ねる。
「それって、里桜からするの? 緒方さんがして欲しいからなの?」
朱に染まった頬を両手で覆って、里桜が俯く。なまじ恥らうから、いやらしさが増してしまうのだとは気が付かないようだ。
「……なんか、セクハラされてるみたいな気分になっちゃうんだけど……?」
「ひどいな、俺、本気で悩んでるから聞いてるのに」
「え、悩んでって……ゆいさん、何でか聞いていい?」
途端に、里桜の表情が心配げに変わる。優生にとっては、真剣に話す方がよっぽど恥ずかしいというのに。
「俺、淳史さんには口でしたことなくて……この間、初めてしたんだけど、何か機嫌を損ねたみたいだったから……ヘタだったのかと思って」
「……ヘタかどうかはわからないけど……でも、あっくんがそんなことで機嫌を悪くするとは思えないよ?」
「やっぱ、そうかな……」
優生も、漠然とそういう風に思っていた。けれども、淳史の不機嫌さに何某かの理由が欲しくて、尋ねてみたくなったのだった。
「それより、ゆいさん、したことなかったって、つき合ってからずっと? 1年近く?」
「うん。でも、間が2ヶ月近く抜けてるから正味8ヶ月くらいかな?」
黒田の所にいた期間を含んでも、つき合い始めて10ヶ月に満たないくらいだ。
「えっと……したことなかったっていうのは、ゆいさんがしたくなかったからなの?」
「俺がしたくなかったわけじゃなくて……そういう感じにならなかったんだ」
「うーん……フェラが嫌いな男はいないって聞いたことあるんだけど、あっくんは違うのかなあ?」
いつの間にやら気恥ずかしさは忘れたらしく、普段の里桜に戻ったようでホッとする。やはり、こんな話は気負わずサラッと進めたかった。

「……で、里桜のとこはどうなの?」
「え、と……どっちかっていうと、俺からっていうか……義くんは気にしなくていいよって言ってくれるんだけど、俺が入れられるの困る時は、口で我慢してってお願いしてる感じかなあ」
また頬を赤く染めながらも懸命に話す里桜に、悪いと思いつつ、更に突っ込んだ問いをしてしまう。
「緒方さんは満足してると思う?」
「うん。最初の時は、俺がムリしてるんじゃないかって心配してくれてたみたいだったけど、一生懸命頑張ったら、すごい感動してくれて……ヘタとか、関係ないと思うけど」
おそらく里桜の言う通り、義之は幼げな恋人の精一杯に充分満足しているのだろう。
「そういえば、前の人がそうだったかも……褒め上手っていうのかな。料理とかもその人が教えてくれたんだけど、何でも上手いって言って褒めてくれるから、出来てるんだって思い込んでて……」
「義くんもそういう感じかなあ。でも、嘘吐いてるわけじゃなくて、本当にそう思ってくれてて、少し大げさ目に褒めてくれてるんだと思うけど」
「……里桜って、ちゃんとわかってるんだ」
自分より相当に幼いと思っていた里桜の方が、よほど確り把握できていることに少しショックを受けた。きちんと恋愛をしてこなかった優生と違って、いろいろなことにまともに向き合ってきたのだろう。
里桜の肩に凭れかけさせていた体をずらして、前から抱きつくような体勢に変える。抗うような素振りを見せた里桜を刺激しないよう、身を預けるだけに留めた。
「……里桜?」
「うん?」
「俺がヘタなのかどうか判断してくれないかな?」
「そんなこと言われても……見たこともされたこともないのに、わかんないよ」
「だから、試さして?」
優生の意図がわからないのか、里桜はきょとんとした表情で首を傾げた。

「え……っ」
里桜のデニムの前へと触れると、この期に及んで、まさかというような顔で優生を見る。
「だめ……ゆいさん、そういうの、叱られるよ?」
「叱られなかったら、いい?」
「そうじゃなくて……あっ、ん」
本気で抵抗するのは悪いとでも思っているのか、里桜を押し倒すのも、脱がせるのも、あっけないほど簡単だった。
「もう……ゆいさん、どうしちゃったの……?」
外見と同じく未成熟な、肌の色とほぼ同じ可愛らしいものは、優生が触れるとぴくんと反応を返した。人に言えた義理ではないが、これなら苦もなく全て含んでしまえそうだ。
「やだ、ふざけるのはやめて」
何とか隠そうと体を折る里桜はひどく扇情的で、当初の目的とは別の好奇心を誘う。
「俺、真面目にお願いしてるんだけど?」
少し強引に膝を割って、まだ何の反応も見せてはいないものの下の膨らみへと指を伸ばす。軽く撫で上げただけで里桜の体が跳ねた。
「や」
いやいやをするように頭を振る里桜の、こめかみの辺りへキスをする。泣き出しそうに優生を見る里桜に、もう一度“お願い”した。
「暴れないで? 俺の“感想”、後で聞かして?」
困り果てた表情をしながらも、否と言い切れない里桜の躊躇いにつけ込んで、体を開かせる。
立ち上がりかけた根元から掌で優しく包んで上下させると、里桜の体から力が抜けてゆく。乱れてゆく吐息がひどく甘くて、優生をおかしな気分にさせる。
「やっぱ、だめ……っ」
優生の手を止めようと伸ばされる手が届く前に、身を屈めて、里桜のものに唇を近付けた。

「いや」
優生の髪に絡んだ里桜の指が、何とか離させようと力を籠める。優生が思うより、里桜は頑固らしかった。
「里桜……」
「義くん以外の人はヤだ」
半泣きになりながらも、優生を睨む瞳の強さと声の頑なさに驚く。優生には稀薄な、意思の固さが羨ましい。
「何で、そんなに嫌なの?」
「何でって……何で? 好きな人にしか触られたくないでしょ? ゆいさんは違うの?」
優生の問いの方が不思議だと、素直に思える里桜は純粋で、それこそが優生に足りないものなのだろう。そうとわかっているからこそ、少し意地悪く尋ねた。
「だって、好きな相手じゃなくても感じるだろ?」
「敏感なトコだもん、誰が触ったって感じるのは当たりまえでしょ。でも、俺は義くんが一番気持ちいいの」
割り切っているかのような言葉が里桜から出て来るのが意外だった。もしかしたら、優生の方がよっぽど子供じみているのだろうか。
「それって、緒方さんが上手だからだろ?」
「そういうんじゃなくて……義くんだって、意地悪なときも、強引なときもあるし。でも、やっぱ好きだから流されちゃう。キスするのも抱き合うのも、一緒にいるだけでも、義くんだから気持ちいいんだよ? ゆいさんはそうじゃないの?」
里桜の言葉に目が覚めた気がした。淳史の家に連れ帰られて、互いの体の境界もわからなくなるほど深く繋がり合って、満たされる理由を実感したのに。愛おしげにくり返されるキスや腕枕がくれる充足感の中で幸せな眠りに落ちていったのに。

もう一度、里桜の肩に抱きつくように顔を伏せる。
里桜の鼓動は音が聞こえてきそうなほど荒れているのに、やはり優生を突き飛ばすようなことはしなかった。
「……俺だって淳史さんがいいけど……でも、淳史さんは俺じゃ満足してないみたいだから」
「そんなわけないでしょ? ゆいさんは、あっくんにどれだけ愛されてるのか知らないの?」
「そういうわけでもないんだけど……」
疑ってばかりいた頃と違って、今は愛されていると思うことができる。けれども、愛されているのと許されているのとは別物だということがわかってしまった。
「本当は、淳史さんが機嫌悪いのは、俺が慣れてたからだと思う」
「えっ……」
「そもそも、他の男の所に行ってた俺を許せないのは当然だし」
ずっとポジティブな答えをくれていた里桜も、さすがにすぐには庇う言葉が出て来ないようだ。
躊躇いがちに優生の髪に触れた指が、そっと頭を撫でた。優しい指に、その胸元へと抱きよせられる。
「……ゆいさん、もう少し待ってあげたら? あっくん、頭ではわかってても、気持ちがついてきてないのかもしれないし……」
「うん。なるべく逆撫でしないように、おとなしくしておこうと思ってる」
「……ところで、ゆいさん? 俺、そろそろ服着てもいいかな?」
まだ里桜の下半身が剥き出しになっていたことに、言われるまで気付きもしなかった。
「ごめん、早く着て? 風邪ひかせちゃったら大変だし」
「うん。もし義くんが来たら、ゆいさんも俺も大変なことになっちゃうよ」
その可能性を今まで考慮しなかったことも冷や汗ものだった。もし義之が突然訪れたら、どんな仕返しをされるかわかったものではない。以前にも、里桜に手を出したら何をするかわからないと釘を刺されていたというのに。


「里桜も晩ご飯食べてってもらって大丈夫なんだよな?」
「いいの?」
「うん。たいしたものは出来ないけど」
優生の都合に合わせて、学校帰りにそのまま来てもらった里桜に、これ以上負担をかけたくなかった。
「俺も手伝うね。何作るの?」
「まだ決めてないんだけど、何か食べたいものある? ……って言っても、冷蔵庫にあるもので考えてもらいたいんだけど」
「グラタンとかは? 具は何でもいいし、いつ帰ってきても焼くだけでいいし。あっくんがご飯の方がいいんならドリアにしてもいいし」
「じゃ、そうしよう。里桜は好き嫌いはないんだっけ?」
「うん。でも、いっぱい食べるから、たくさん作ろうね?」
「そういえば、緒方さんは食事どうするの?」
「なるべく早く帰るって言ってたから要るのかな……この頃いつも遅くて食べて帰るから、聞くの忘れてた」
「とりあえず用意だけしとこうか? 別に残ってもいいし」
「ありがと。じゃ、めっちゃいっぱい作らないといけないね」
並んでキッチンに立ってほどなく、里桜の携帯電話が鳴った。パタパタと走ってゆく後姿が心なしか嬉しそうで、見ているだけで微笑ましくなる。
けれども、通話を終えた里桜は複雑な表情で戻ってきた。
「義くん、もうすぐ来るって」
「どうかした?」
「……義くん、ずっと遅かったのに、あっくんとかゆいさんのことになったら早く帰れるんだなって思ったらちょっと」
「ごめん、また時間もらってしまって」
「ううん。ゆいさんの所に来るんじゃなかったら、どうせ今日も遅く帰るつもりだったんだよ。12月は特に忙しいらしいから」
どうやら、里桜も少し不安定になっているらしい。この間、赤ちゃんの話になった時にも浮かない顔をしていた。傍から見ていれば平和そうに見えても、当人たちにはいろいろあるのかもしれない。



- Not Still Over(3) - Fin

【 Not Still Over(2) 】       Novel       【 Not Still Over(4) 】     


義之にバレたらいいのにー、と思いつつ、話がややこしくなるのでやめておきます(笑)