- Hide And Seek(2) -



「黒田さん?」
確かめる声が震える。自分から言い出した愛人の意味をわかっていなかったわけでもないのに、鼓動はバクバクとあり得ないほどのスピードで走り出す。
「あなたが思っているほど、私は気が長い方ではないんですよ」
唇を拒むように背けた顔が、大きな掌に戻される。その気になれば、簡単に優生を縊り殺せそうな強さを秘めた鍛えられた手だ。
「や……」
唇へのキスは、もう他の誰にもさせないと決めていたのに。
重ねられた唇を振り解くどころか、簡単に開かされて滑り込んでくる舌を押し出すこともできない。絡めるように捕らわれて優しく吸われると、ぞくりと痺れるような感覚が腰の辺りを襲った。
まるで恋人にするような優しいキスに戸惑って、黒田の胸元へ預けた手に力が籠もる。生理的な気持ちよさに反して、他の男からのキスは苦かった。
優生を引き寄せる腕の強引さに背が震える。似ているようでいて、まるっきり違うことなど知っていたのに。
「もっと従順になれないと愛人にはできませんよ?」
あまり感情を面に出すタイプではないと思っていたが、黒田はあからさまに不機嫌そうに優生を見下ろした。
「……すみません」
せめて口先だけでも黒田に合わせなくては、すぐにも契約は破棄されてしまうかもしれない。自分で望んでここへ来たのに、頼りない覚悟は今にも挫けそうで、油断したら黒田を突き飛ばしてしまいそうだった。
「ベッドへ行きましょうか?」
みっともないくらいに怖気づいているのに、優生には頷く以外の選択肢はなかった。
腕を引かれるように立ち上がり、奥の部屋へとついてゆく。
寝室も、黒田に抱いていたイメージとはおおよそ逆の、白が基調の優しげな色合いで纏められていた。もしかしたら、恋人の好みなのかもしれない。ふいに、以前鉢合わせた気の短い男を思い出して、新たな罪悪感が胸に湧いた。
先にベッドへ腰掛けた優生の傍へ膝をついた大きな体が、ゆっくりと覆い被さってくる。背を抱くようにして倒されてゆく体にかかる重さを、今の優生には跳ね除ける力はなかった。
諦めに目を伏せた優生に近付く黒田の声は冷たい。
「そろそろ覚悟はできましたか?」
まだだと言うわけにはいかず、小さく頷く。
唇を塞がれて、触れ合いたくはない舌を絡め取られると、思わず黒田の胸を押し返してしまった。
そのまま突っ張ろうとした手を取られてシーツへと押し付けられる。たいして力を籠められていないようでも、優生が黒田に敵うはずがなかった。
重ね着をしたシャツを器用に脱がせた指先が、優生の弱いところばかりを辿ってゆく。目を閉じていると、慣れた風に肌を這ってゆく厚みのある掌に勘違いしてしまいたくなる。
そうでなくても、優生の体は刺激に弱く、重ねられた唇を外すようにして息を吐いた。すぐに追いかけてくる唇に捕らわれて、貪るように舌を吸われる。その強引さは優生の好きな男に似て、思い出しただけで目元が潤んできた。
「あっ……いや」
いつの間にか緩められたデニムの前から入ってきた手が下着の中まで伸ばされる。思わず腰を引いたが、黒田の指は優生を包み込んでそのまま外へ引き出してしまった。
「や、あっ……ん、ぁん」
掌で何度か擦られただけで熱が一ヶ所に集まってゆく。露にされた先端へ優しく爪を立てられると、欲望に流されてしまいたくなる。
堪え切れずに腰を揺すると、別な手が後ろへと触れてきた。
太い指は何かを纏っているようで、狭い入り口をたいした抵抗もなく進んでくる。中を濡らすように蠢く指に触れられた所から、焼けるような熱が生まれてゆく。
「ん、ふ……ぁん」
知らずに唇から零れる吐息に情欲の色が滲む。もう少し拒むかと思っていた体が簡単に開いてゆくのが自分でも信じ難く情けなかった。
「あっ……んっ」
緩くかき回されているだけなのに、体は勝手に熱を上げ、もっと奥へ誘おうと腰をくねらせた。喘ぐように洩れる声も、染まってゆく肌も、簡単に優生を裏切る。抗おうとするほどに、容易く落ちてしまう。
熱くて、どうにかなってしまいそうな体が黒田の指を銜え込んで、もっと強い刺激を欲しがる。長い指に擦りつけるように腰を揺らすと、もう止まらなくなった。
「はっ、あ……だめ、おねが、い……ああっ……んっ」
満たされるほどに湧き出す浅ましい欲望に、逆らうことが出来ずに涙が溢れた。どうして、優生の体はいつも流されてしまうのだろう。淳史にだけ感じていればいいのに、相手が誰でも楽しみたがる。
「だめじゃないでしょう?」
「いや、あ……なん、で……」
「どうせなら楽しんだ方がいいでしょう? お互いに」
漸く、何か怪しげな薬でも使われたのではないかと気が付いた。
「……いや、ヘン、な……薬か、なんかっ……」
「ごくごく軽い媚薬ですよ? 今のあなたなら、工藤さん以外には感じないとか言いそうな気がしましたので」
言葉にされると、それが優生の願望だったのだと気付く。ただ体を好きにされるだけなら救われたのに。
「や……いや」
この期に及んで、罪悪感とか拒否感を覚える自分が哀れだった。あの頃は知らずにいたのに。そんな余計なことを教えられたおかげで、今の優生は胸の痛みに苛まれてしまっている。快楽に溺れてしまえれば、束の間であっても何もかもを忘れられたかもしれないのに。
涙が伝うこめかみに、驚くほど優しいキスが降ってくる。
「ちゃんと愛してあげますよ」
膝を押し上げられて我に返った。
「え……あ、いや」
指で蕩かされた場所へと触れる固い感触に腰が引ける。逃がれさせないように腰を掴む手の強さに怯えた。
「ん、ぁんっ……」
優生の思いより快楽に素直な体は、待ち焦がれていたように受け入れてしまう。全てが納まり切らないうちにきつく力を籠めてしまうのは、締め出そうとしているというより離すまいとしているからだった。
「まさか、挿れないと思っていたわけではないでしょう?」
意地の悪い問いに、小さく首を振る。
思っていなかったと言えば嘘になるかもしれない。黒田が相手なら、ギリギリの一線を越えないかもしれないという気持ちが確かにあった。
「あっ……ん、んっ……」
優生の浅はかさを戒めるように深く穿たれる。抗おうにも、充分に馴染ませられて熱を帯びた襞は疼くような感覚に逆らえなかった。荒々しいほどに擦られるたびに体が蕩けてゆく。
「や……んっ……」
一番感じる所を抉られると、堪えようと思う間もなく優生の前が弾けた。微かな吐息を洩らした黒田が、優生の奥を突き上げる。
「……あっ……いや……何で、ナマで」
身に覚えのある感触に背が震えた。てっきりコンドームを使っていると思っていたのに。体の奥に浴びせられる熱い飛沫が我慢できず、黒田の体を離そうともがいた。
「病気は持っていないと思っていたんですが……まさかキャリアでしたか? それとも、私の心配をしているんでしたら、定期的に検査を受けていますから大丈夫ですよ」
「そうじゃなくて……」
せめて薄いゴムに隔てられていたかった。それに何の意味もなかったとしても。
「まさか妊娠するとでも思ってるんですか?」
揶揄するような口ぶりにも、軽く否定することなど出来なかった。優生にとっては、それくらいショックだった。
まだ繋がったままでいることを忘れているような黒田の体を、解こうとした優生を制する腕は、信じられないほどに強かった。
優生の中から出てゆく気配がないばかりか、心なしか体積を増したような不安に身を捩る。
「あの……始末、してきたいんですけど?」
「まだダメですよ」
優生の腰をグッと引きよせる黒田に、必死で首を振った。
「いや、ナマは嫌……中で出すのも」
「一度が百度でも同じことですよ。まだ操立てしたいとでも思っているんですか?」
優生の本音をあっさり見抜いて、黒田が止めを刺す。
わかっているのに。優生の意思で裏切ったことも、許されるはずがないことも。
「あ……ん」
快楽に弱い体は感傷さえ無視して熱を上げてゆく。形ばかりの抵抗を鼻で笑うように黒田が囁いた。
「そろそろ素直になりませんか?」
いっそ、行為に没頭してしまえれば楽になれるのだろうか。
何事においても抵抗し続けるということが苦手な優生は、追い上げるように突かれるたびに流されてしまいそうになる。
「何があったんです?」
「だから……別れて、くれって……言われたって……ん、あっ」
喋らせるためか、黒田の動きは殊更ゆっくりになる。もどかしさに揺らめく腰がはしたないと、思っても止められなかった。
「誰に、です?」
「淳史さん、の……お母さんと……」
「他にもいるんですか?」
「……昔の、恋人に」
あっさりと白状してしまう優生に、黒田は呆れ顔で動きを止めた。情事の最中とは思えないくらい、真面目な顔つきになる。
「工藤さんに言われたわけではないんですね?」
「でも、淳史さん、その人と結婚の約束をしてたらしくて……俺、人のものを取ってたみたいで」
「きちんと終わっていなかったとしても、そちらを切ってあなたを選ぶんじゃないんですか?」
「だめなんです……俺には、子供は作れないから」
「子供を欲しがるようなタイプには見えませんでしたが……まあ、案外ああいう人が子煩悩になったりするのかもしれませんが」
里桜との関わりを見ていても、きっと黒田の想像は外れていないだろう。優生がジャマをしなければ、淳史がそうなるのはそれほど先のことではないはずだ。
「それで尻尾を巻いて逃げてきたんですか? 相変わらず馬鹿なことをしていますね。だからといって、今度は逃がすつもりはありませんでしたが」
「え……あ、んっ」
優生にそれ以上考えさせまいとするように深く埋められると、早く擦って欲しくて襞が震える。
知っていたのに。愛情がなくても体は満足するのだと。
「一度は情けを掛けてあげたんですから。もう、わざわざ飛び込んできた迷い猫を飼い主の元に戻してやるほど親切ではありませんよ?」
「やっ……あっ、あんっ……」
大きく割られた膝を、押え込む手に力が籠められる。より深く、強くグラインドされるとどうしようもなく昂ぶってゆく。
好みから外れていても、少しは黒田の気を引いていたのだろうか。だとしたら、今日だけでなく、もう少し長く黒田の許に置いてもらえるかもしれない。
「種付けしておきましょうか」
からかうような囁きに本気で怯えてしまった。そもそも、優生が孕むはずがないのに。
力では敵うはずがなく、掴まれた脚を外すことも、繋がりを解くことも出来なかった。潤む目で必死に訴えかける。
「いや、お願い、中には出さないで」
不意に引き出されたのは聞き入れてくれたからだと思った。
「あっ、やっ……」
気が緩んだ瞬間、仰け反らせた喉から頬の辺りへ熱い飛沫を感じて咄嗟に目を閉じた。
「中で出さなくても妊娠することがあるのと同じで、あまり意味のないことだと思いますが?」
冷ややかな声が、優生のささやかな拘りは無意味だと言った。そうでなくても先に一度出されているのに、顔にかけられる方がマシだとは思えない、ということなのだろう。
黒田は汚れたシーツを引き寄せて、優生の体を覆うように羽織らせた。
「バスルームは出て左ですよ」
「あ……はい」
体を洗ってくるように言われたのだと気付いて立ち上がる。シーツの端で頬を拭いながら、バスルームへと向かった。




着替えを持たずに風呂へ行っていた優生は、とりあえずバスタオルを腰に巻いて寝室へ急いだ。
「お先でした……って、いないし」
黒田は新しいシーツに張り変えられたベッドの上にはいなかった。
自分の格好に不安を覚えつつ、リビングの方を覗いてみる。ソファに浅く腰掛けた黒田は、すっかり身支度を整えていた。
「いつまでもそんな格好をしていたら風邪をひきますよ? 着替えは持ってますね?」
「ごめんなさい、かばんをこっちに置いたままで行ってしまったので……」
無造作に床に放り出したままのディパックを拾って、寝室へ行くつもりが引き止められる。
「もう少ししたら出掛けますから、鍵を預けておきます」
「え」
差し出された鍵を受け取ってもいいものかどうか迷った。まだ留守を任されるほど親しいわけではないのに、もしかしたら優生に悪意があるかもしれないとは思わないのだろうか。
それに、今日くらいは優生の傍にいてくれるのだと思い込んでいた。
「仕事ですよ、平日の昼間から自由な時間があったからといって失業中とは限らないでしょう」
言いきかせるような口調は、優生の疑問に気が付いているからなのだろう。今度はどういった相手の元で働いているのかは想像もつかないが、連絡がついたのは幸運だったのかもしれない。
ただ、留守を任されるのには一抹の不安があった。
「俺、ここにいても大丈夫なんですか?」
「構いませんよ。稲葉さんは海外へ赴任しましたし、あなたを置いていると知れて困る相手はいませんから」
「海外って……出張か何かですか? やっぱり稲葉さんが帰ってくるまでっていうことなんですよね?」
「そんなに心配しなくても、会いにも来ませんよ。帰るのは最短でも半年だそうですから」
それは、半年は大丈夫だという意味だろうか。
「今はゆっくり話している時間はないので、また帰ってからにしてもらえますか? 何もなければ明日の朝、10時には戻りますから」
夜通しの仕事というのに違和感を感じたが、追及するような立場ではなく、興味もない。
「あの、食事の用意とか、しておいた方がいいですか?」
「していただけると有難いですが、出歩いても大丈夫ですか?」
優生の体を気遣ってくれたわけではなく、ここにいることを黙っていて欲しいと言ったことを指しているのだろう。
「少しは近所に何があるのか見ておかないと困るし……それより、夜勤のあとって、朝ごはんみたいなものでいいんですか? それとも晩ご飯になるのかな?」
「難しいところですが……その後で眠るつもりなので軽いものにしていただけますか?」
「じゃ、朝ごはんに近い感じなのかな……好き嫌いはなかったんですよね?」
「よっぽど変わったものを出されない限り、食べられないものはないですよ」
今度こそ寝室へ行こうとした優生の腕が引き止められる。
「見送りはしてくれないんですか?」
「え……あ、ごめんなさい」
黒田について玄関へ向かう。
お見送りには“ごあいさつ”も含まれるのだろうか。
口に出さなかった問いに答えるように、黒田は優生の唇へとキスを残して出掛けて行った。



- Hide And Seek(2) - Fin

【 Hide And Seek(1) 】     Novel       【 Hide And Seek(3) 】  


チキンなんでクレームが怖かったり……。
そのわりに微妙だったり……。
とりあえず、11話はこういう感じで進んでいきます。