- Nowhere To Go(1) -



時間の折り合いがついたのか、単に浮気疑惑を払うためか定かではなかったが、淳史は先延ばしにしてきた両親に会うという話を遂に実現させてしまった。
渋る優生を半ば脅かしながら設けた席は、表面上は和やかに過ぎていった。
そこはかとなく漂う不穏な空気に気が付いていないのか、この場限りを収めればいいと思っているのか、淳史は辛抱強く会話を繋いでいく。おそらく、これが優生を引き離すきっかけになるとは想像もしないのだろう。
反対はしないが歓迎は出来ないと聞いていた通り、淳史の母親は優生に好意的ではなかった。
あからさまに態度に表すようなことはなかったが、悪意にそう鈍くなれない優生は、受け入れることは出来ないという頑なな意思を痛いほどに感じていた。淳史と血の繋がりがないからか、連れ合いの方がよほど友好的に思えるほど。
「具合が悪いんじゃないの?」
「いえ、大丈夫です」
そう聞かずにはいられないほど、優生は頭のてっぺんから爪先まで緊張でガチガチになっていたのだろう。尋ねられることに失礼のないようにと思うだけで神経をすり減らしてしまい、元から食の細い優生の箸は一向に進んでいなかった。
「やっぱり、若い方に和食なんて良くなかったかしら」
「そんなことないです」
言葉を返しながらも、その人に視線を向けられただけで体中が硬直してしまいそうになる。
「でも、殆どお箸を付けていないようだし」
「優生は元から少食なんだ。あまり丈夫な方じゃないしな」
「そのようね」
不満げな態度を見せないよう気遣われていることはわかっていたが、同時に相手の失望が痛いほどに伝わってくる。今すぐ逃げ出したい思いを必死に抑えて、ただ時間が過ぎるのを待った。
「また近いうちに訪ねます」
短い会食を終えて、別れ間際に優生にだけ聞こえるように掛けられた一言に更に心拍数が上がる。優生とほぼ同じ高さにある相手の、強い意思を孕んだ視線をまともに見つめ返すことは遂に出来なかった。
いつまで経っても強くなれない自分の弱さを思い知る。視線を逸らした方の負けだと知っているのに。
でも、言いたいことがあるのなら、先延ばしにしないで淳史の前で言ってもらいたかった。もしも、それが優生を貶めるような言葉であったとしても。


「悪かったな、気を遣わせて」
「ううん」
淳史の両親を見送って二人きりになると、漸く優生の緊張が解けた。
普段の優生なら、いくら暗い駐車場であったとしても寄り添ったりできないのに、今日は自分から凭れかかってしまっていた。
軽く頭を抱きよせられるまま、鼓動が落ち着くのを待つ。くっついている間だけは優生のものだと錯覚することが出来る。
「滅多に会うこともないだろうから、そう固く考えるなよ?」
「うん」
車に乗るためだとわかっていても、今は離れたくなかった。咄嗟に上着を掴んで引き止めてしまう優生の髪を、気遣わしげな指が撫でる。
「優生?」
「……うん」
「疲れたのか?」
「そうかも」
「それなら急いで帰らないとな?」
振り解くべきではないとわかっているらしく、淳史は助手席まで付き添って、先に優生を車に乗せた。
すぐに淳史も車に乗り込むと、先の言葉通り帰路を急ぐ。優生がしょっちゅう体調を崩すせいで、また熱を出しそうなのかと危惧したのかもしれない。
「あまり似てなかっただろう?俺は父親似だからな」
「そうなんだ……」
ついさっきのことなのに、淳史の母親の容姿を鮮明に思い出すことは出来なかった。極度の緊張の中で印象に残っているのは、何か言いたげな眼差しだけだ。
「おまえは母親似だな」
「うん」
といっても、優生の父親もどちらかといえば細身で顔立ちも優しい方だった。おそらく、どちらに似ていても優生の外見に大差はなかっただろう。

口数の減った優生に、頻りに淳史の方から話を振ってくるのにも、つい生返事を返してしまう。淳史の言葉は耳を滑り、ほかに気を取られたままの優生の脳には伝わらない。
漠然と、というにはあまりにも確信めいた嫌な予感に、優生は足元が脆くなるのを感じていた。相手の胸先三寸に身の振り方を委ねてきたこれまでの不安とは違う、いわゆる婚姻は当人同士だけの問題ではないという意味を、痛いほどの実感を伴って理解した。
きっと、淳史の傍にはいられなくなる。それは被害妄想などではなく差し迫った現実だと、直感的にわかっていた。
「優生?」
「え……あ、ごめんなさい」
声をかけられて初めて、車が停められていることに気が付いた。
シートベルトを外してロックを解除しようとした時、ふいに後ろから伸びてきた腕に引き寄せられる。
「……淳史さん?」
「何か気に障るようなことを言われたか?」
「え……?」
低い声で尋ねられた言葉の意味を頭の中で反芻する。形ばかりの引き合わせを終えてからも、ずっと動揺し続けている優生を、淳史が放っておくはずがないのだった。
「ごめんなさい、すごく緊張してたから気が抜けちゃっただけなんだ」
「本当か?」
疑り深い声色を、素直に嬉しいと思った。
「うん。最初から、できれば会いたくないって言ってたでしょ? ほんと、緊張しちゃって何話したか全然覚えてないよ」
それは満更言い訳でもなく、この時はまだ、淳史の母親は単に優生を気に入らなかっただけなのだと思い込んでいた。



疲れているだろうからと寝室に直行する淳史は、だからといって、優生をそのまま休ませてやろうという気ではないらしかった。
着替えないままベッドへと倒されると、着ているものが気になってしまう。シャツはともかく、スラックスに皺が寄るのは避けたかった。
「嫌か?」
抗うような素振りを見せた優生に、気遣わしげな声がかけられる。
「ううん……服が気になって」
「先に脱ぐか」
言いながら、優生のベルトへと手をかける淳史が少し躊躇う。
「いかにも男を襲ってるって感じがするな……」
優生と出逢うまで、男相手に恋愛など出来るわけがないと思っていたような淳史には、認識したくない事実だったのかもしれない。
淳史の両親に会うことが決まった時、スーツを着て行った方がいいか尋ねた優生に、淳史は少し迷ったようだった。そんなに堅苦しく考えなくてもいいと言いつつ、淳史は優生がスーツなど持っていないと思っていたのだろう。
聞かれたこともないので話したことはなかったが、優生は祖父の意向で子供の頃から冠婚葬祭などの改まった席にしょっちゅう連れて行かれていた。それは身内に限ったことではなく会社関連の場合もあり、数だけを比べるなら、おそらく淳史より多く結婚式や葬式に出席しているだろう。制服がフォーマルの代わりだったのは幼い頃だけで、高校生になってからは大人と同等の扱いを受けてスーツも誂えられていた。似合うとは言い難いかもしれないが、着慣れていないわけではない。
そんなことを知らない淳史は、ジャケットもネクタイもいらないと言っていた。肩幅も厚みもない優生には似合わないという意味だろうと思ったが、日頃Tシャツにデニムといったような格好ばかりをしているせいか、ドレスシャツにスラックスだけでも随分と改まった雰囲気になったようだ。
「いや、男装の麗人とでも言った方がいいのかもしれないな」
用法を間違えていると言いたかったが、どうやらそれが褒め言葉らしいと気付いてやめておいた。
優生の着ていたものをサイドテーブルに放ると、淳史は自分の服も脱いだ。いつもはキスの合間に愛撫されながら着ているものを落とされて、淳史もその流れの中で知らぬ間に脱いでいるような感じであまり気にしたことはなかったが、こういう風に待つのは何となく間が持たない。
見つめているのもテレくさく、つい手近なフェザーケットにくるまって、頭を伏せるようにして視線を外した。
「優生?」
低い声に、慌てて顔を上げる。決して拒否のつもりではなかったが、淳史は少し乱暴に、優生の身を隠すものを剥ぎ取ってしまう。
「あ、んっ」
晒された胸へと伸びてきた手に喘いだ。指先に潰される小さな突起から湧き起こる官能が体中に広がってゆく。
薄く開いた唇を覆われて、舌で優しくなぞられると早く触れ合いたくて優生も舌をのばす。自然と絡む相手の舌と吸い合いながら、次第に貪られるようなキスに変わってゆく。
溺れるように淳史の項へ腕を回してしがみついた。キスだけでこんなにも優生を蕩かせる人はきっと他にはいない。それが引き返せない所までいってしまっているせいだと、優生はまだ知らなかった。
「……ん」
感じるままに腰を押し付けてしまうのを、優生が切羽詰っているせいだとわかっているのか、淳史は下着をずらして濡れたものに指を絡めてきた。露にされた先端に指の先が触れると反射的に腰が引ける。逃がさないように包む掌に軽く上下されただけで堪らなくなって嗚咽を洩らした。
いつも淳史に触れられる度に体は甘く溶けてしまいそうになるが、今日は輪をかけて感じ過ぎてしまう。
「も……入れて」
小さく囁く優生の、片膝が抱き上げられて、腿の裏を伝った指が後ろの入り口を撫でた。ゆっくりと、湿った指先を埋めて中を探るように少しずつ進んでゆく。
「ん、ぁんっ……」
優生がどこが感じるのか知っている指は優しく、そうかと思えば強く、擦りつけるように沈められる度に泣きそうな声が洩れる。馴染ませながら奥へ進んでゆく指だけで優生を高みへ押し上げられてしまいそうで焦った。
「や……お願い、淳史さんの……」
堪え切れずに伸ばした指に、あからさまなほど熱く滾った塊が触れる。充分に硬く反り返ったものに手を添えようとしたが叶わず、膝を押し上げられた。
「今日はやけにせっかちだな」
笑いを含んだ声が少し掠れて響く。余裕がないのは優生だけではなさそうだった。
「あぁっ……ん」
まるで焦らしているかのように慎重に優生の中を満たしてゆく、ともすれば凶器になりかねない物騒なものが早く全部欲しくて腰を浮かす。馴染ませるように擦りつけながら奥へ進んでくるのが待てなくて、自分から迎えにいってしまう。
欲しくてたまらないものが、本当は体ではないと薄々わかっていた。ただ、その最もわかりやすい手段が体を繋げることで、それが手に入ったかのように錯覚できる行為なのだと思う。深く迎え入れるほどに、強く突き上げられるほどに優生を安心させてくれることだけは間違いなかった。
「いや」
その時を察して、淳史の腰へと脚を絡ませた。離されないように強く力を籠めて、今にも弾けそうに熱く膨らんだものを引き止める。それを全て優生の奥に浴びるまで、離したくなかった。
「……おまえな」
苦笑する淳史が何を思ったのか、この時の優生には想像もつかなかった。まるで妊娠を狙う女のようだと、そんなことをしなくても婚姻関係はとうに成就されているのにと、必死な優生をいっそ微笑ましく思われていたとは知らなかった。
「孕ませてしまったのかと錯覚しそうだな」
妙に真剣な顔をした淳史が、子供を欲しがっているのかと思ってしまった。一度として、子供好きだとか跡取りが必要だとか言っているのを聞いたこともなかったのに。
「……ごめん、なさい」
謝ったのは驚かせたことではなく、それを叶えることが出来ない自分に引け目を感じずにはいられなかったからだった。もしも淳史の家族を増やすことが優生に出来たら、少しは自分に自信が持てたのかもしれない。



- Nowhere To Go(1) - Fin

【 Whatever You Say 】     Novel     【 Nowhere To Go.(2) 】  


10話はシビアでイタイお話になりそうです。
たぶん、12話くらいまで、かなりせつないんじゃないかと……。
らぶ甘派の方は気長に待っててくださいー。