- ゆびわのきもち(3) -



レナードが一緒でなければ迷ってしまいそうなほど長い通路を、手を引かれるままについてゆく。
執務室と思しき場所に辿り着くまでに何度か目にした衛兵たちは、二人が通り過ぎるまでは低頭しているが、その後に背に感じる視線は少々不躾で、和巳を居た堪れなくさせた。

重厚な扉の向こうで待機していた側近たちは皆、見目麗しく、恵まれた体格をした壮年期の男ばかりで、もしかしたら全員が武官なのではないかと思ってしまうほど。
その雰囲気に気圧され、レナードの陰に隠れるように身を縮めているのに、期待と好奇に満ちた視線は和巳を捕えようと躍起になっているようで怖い。
決して和巳が望んだわけではないのに、一国の王の伴侶になろうとしていると思われるのは、あまりにも不本意だった。


「既に聞いていると思うが、一刻ほど前に庭園の向こうで異界人を保護した。名は和巳、16歳の男子で、俺と対の指環を嵌めている。通例どおり、当面は俺の伴侶候補として傍に置くつもりだ」
淡々と報告をするレナードの意向は既に行き渡っていたようで、殆どの者は頷いたり、手を叩いたり、理解を示すような反応を返している。

「やはり、黒髪に黒瞳でいらっしゃるんですね。それに、成人男子とは思えないくらい小さく華奢で、お可愛らしい」
「カレンさまも小柄で愛らしい方ですから、異界人とはそういうものなのかもしれませんね」
とても褒められているとは受け取れない言葉から、どうやらこちらの世界の人間はかなり大きめなようだと気付く。
そうでなければ、元の世界では少々細めで平均身長に少し足りないという程度の和巳が、規格外に小さいかのような言われ方をされるはずがない。しかも、揃いも揃って美形ばかりの面々に可愛いなどと言われても喜べるわけがなかった。

「早速、伴侶修行に入られますか?」
まるで花嫁修業のような響きを持つその単語に腰が退ける。せめて、宮廷作法や上流階級のマナー講習とか、この国の歴史教育といったような表現にして欲しい。
「いや。和巳は異界から来たばかりだから、まずはこちらに慣れて貰わないとな。当面は親睦を深めることに専念しよう」
「では、講師の紹介は日を改めることに致しますが、採寸だけは本日のうちに済ませていただいてよろしいでしょうか?」
「そうだな。至急、何着か作らせないことには、和巳に合いそうな既成のものはなさそうだ」
和巳の意向を聞こうともせず、レナードは勝手に決めてしまったが、現に今も体に合わない衣服を纏っている身としては、反論のしようもなかったのだった。



「……伴侶にされるのですか?」
採寸を終え、扉の外に侍従を置いてレナードの部屋に戻った和巳の耳が、思いがけない言葉を拾った。
落ち着いた声ながら、その問いかけに何やら含みを感じて、この場に居合わせても良いものか迷う。
一旦、部屋を出て誰かを伴って入り直すべきなのか、聞こえていなかったふりをして、部屋の奥にいる二人に向かって和巳の方から声をかけるべきなのか。
決めかねている間に、レナードの答えも聞こえてくる。
「指環が嵌っている以上、そうなるだろうな」
どこか面白がっているような声音は駆け引きめいていて、つまりはその男がレナードの思い人なのではないかと思い当たった。
そうと察してしまうと気まずくて、とにかく部屋を出なくてはと焦る足元が、毛足の長い絨毯に蹴躓く。

「もう来たのか?」
和巳の立てた物音に、レナードともう一人が扉の方へ近付いてきた。
レナードの言草には明らかに棘があり、先の想定が確信に変わる。やはり、和巳はレナードの逢瀬を邪魔してしまったようだった。
「申し訳ありません、他の方がいらっしゃるかもしれないとは気が付かなくて……出直してきます」
「いや、丁度いいから紹介しておこう。俺が最も信頼している側近のフレデリック・カーディフだ。公私ともに俺の専属だから、馴れ馴れしくするなよ?」
冗談に思えないのは、和巳が実情を知っているからか、レナードの本気度が高いせいか。
そうとは知らないはずのフレデリックは、レナードの横柄ぶりに苦笑している。
「仮にも伴侶候補の方に何てことを仰るんですか……お邪魔しているのは私の方ですから、お気になさらないでください。私はすぐに退出致しますので」
フレデリックは温和で優しげな風貌をしていて、和巳が漠然と想像していた“フレッド”像とはかけ離れていた。
少なくとも、プロポーズしようとしている相手から指環を奪い取って投げ捨てるような短気なタイプには見えず、年齢にしても、おそらくレナードより一回りくらい年上なのではないかと思う。
加えて、充分に整ったフレデリックの顔立ちも、ひときわ目を惹く美貌のレナードには遠く及ばず、似合いの二人とまでは言えない。
にも拘わらず、今日会ったばかりの和巳にも、レナードがフレデリックに惚れ込んでいるようだと見てとれたのだった。







和巳に用意された部屋は、レナードの居室の隣に位置している。
いかにも一国の王らしく華美で贅沢だったレナードの部屋と比べても、全く遜色がないくらい豪奢な内装は、正妃の居室になっているかららしい。
構造上、お互いの寝室の奥の扉で繋がっているというものの、今は施錠されていて、行き来はできなくなっていた。
伴侶候補というのはカムフラージュだと念を押しておきながら、しかも名目上でさえ“候補”でしかない和巳にその部屋を使わせるレナードの心理は不可解だったが、翌朝、レナードの部屋を挟んで反対側にフレデリックを住まわせているという事実が発覚してしまえば、大したことではなかったのだと気付かされる。
しかも、昨夜はレナードの部屋にフレデリックを泊めたようだと知っては、内心穏やかではいられなかった。
“当て馬”効果は、レナードの期待通りに作用したのだろうか。


「すみません、僕、余計なことを言ってしまいました」
昨日から和巳付きとなった侍従のマシューが、綺麗な弧を描いた眉尻を下げる。
何気なく、朝食はレナードと一緒ではないのか尋ねた和巳に、『陛下はお部屋でカーディフさまと召し上がられるそうです』と答えられ、凡その顛末を悟ってしまった。
「気にしなくていいよ。たまたま指環が嵌って抜けなくなってしまったから伴侶候補になったっていうだけで、僕は陛下と恋愛してるわけじゃないんだし。一人で食事するのも慣れてるし。あ、でも、せっかくだからマシューと一緒に食べるとかいうのは……やっぱダメ?」
「和巳さまのご要望ということでしたら、特に問題ないと思うのですが……」
「じゃ、一緒に食べよう? とても一人じゃ食べられないくらいいっぱいあるんだし」
一人で食事することに慣れてはいても、せっかく傍に誰かがいるのだから、つき合って貰った方がいいに決まっている。この際、マシューが既に朝食を終えている可能性は考えないことにしておく。
「では失礼いたします」
離れた席に座ろうとするマシューに、慌てて手のひらで前の席を示す。
「そんな遠くに座られたら、一緒に食べる意味がないよ。僕の前に来て。それか隣でもいいから」
マシューが困った顔をしているとわかっていながら、少し強引に近くに来るように促した。

どのみち、和巳が王宮に住まうのは短期間だけだろうから、王宮作法などどうでもいい。今はこうして仕える立場のマシューも、おそらくは良い出自のはずで、和巳がレナードの伴侶になることはないと公言されれば、近付くことも難しくなるかもしれなかった。
できることなら、和巳が王宮を出てからも交流を持ちたいと思って貰えるくらい親しくなっておきたい。この世界で会った人の中では年齢も近く、気立ての良さそうなマシューは、ぜひとも友達になりたいタイプだった。

困ったような顔をしながらも、マシューが前の席に座ったのを確認してから、料理に手を伸ばす。
籠に盛られた数種類のパンも、卵やハムやチーズと思われる食材も、食べやすい大きさに切られた果物のようなものも、一見する限りでは、和巳の生まれ育った世界にあるものと大差ないように見える。
実際に口にしてみても、少々味気ないように感じる以外には、特に違和感はなかった。

「食事中に申し訳ないのですが、先に和巳さまの今日の予定を伝えさせていただきます」
一緒に、と言ったはずなのに、マシューはまだ食事を始めていない。食べながら話せばいいようなものだが、そうはいかない面倒くさい事情があるのだろう。
そうでなくても窮屈に思っていたのに、せめてレナードや側近たちのいない時くらい、肩の力を抜いていたかった。
「言いそびれてたけど、“さま”っていうの、やめてくれないかな? 僕は陛下の伴侶にはならないし、敬語だって使う必要ないから」
「滅相もありません。陛下は和巳さまのことを伴侶候補だと公言なさいましたし、この国では、異界の方は丁重におもてなしするきまりです」
力強く言い切られ挫けそうになったが、考えようによっては和巳に有利かもしれないと思い直す。
「じゃ、命令とか? タメ口とまでは言わないけど、もうちょっとくだけた話し方、できるよね?」
本来の穏やかな性質の自分らしくないと自覚しながら、和巳は少し横柄に言ってみた。




ふわふわの金茶色のくせ毛は束ねていても広がりがちで、それが却ってマシューの可愛らしさを引き立てている。
同じ色の睫毛に縁取られた大きな瞳は今は困惑の色を浮かべて、和巳の意思を尊重するべきか、職務規定を優先するべきか迷っているようだった。

「和巳さまって、もっと優柔不断な感じの方かと思ってました。結構はっきりと仰られるんですね」
「うん、自分でも流されやすいっていうか、周りに合わせる方だと思うよ。でも、僕は本当に庶民なのに、いきなり国王の伴侶候補にされたり、大臣とか神官とか立て続けに偉い人に会わされたりして緊張しっぱなしだったんだ。だから、ちょっと息を抜ける相手にいて欲しいなと思って。きっと、マシューだって良い家柄なんだろうけど、年も近そうだし、優しそうだし、主従関係っていうんじゃなくて、仲良くして貰えないかな?」
「僕でよろしかったら、喜んでそうさせていただきますけど……ただ、敬称や敬語については、僕の立場も考えてくださると助かるのですが」
「陛下とか、他の人に叱られるっていうことなら、僕からも話してみるよ? 僕はマシューとは友だちのように接したいし、たぶん、僕がここにいるのってそう長い期間じゃないはずだから、すぐに敬語は必要なくなると思うよ」
それなりに食事を進めつつ、要望を伝える。マシューも、遠慮がちながら料理の皿に手を伸ばしていた。

「あの、和巳さまはどうして陛下の伴侶になられないとか、短い期間しか滞在されないとか仰るんでしょうか?」
ためらいがちな問いかけに、和巳は努めて平静を装う。
レナードの考えは想像もつかないが、昨夜も恋人(或いは愛人と呼ぶべきなのかもしれない相手)を部屋に泊めているような状態では、自戒しておかないわけにはいかなかった。
「陛下にはカーディフさんがいらっしゃるから。僕も陛下と結婚したいなんて思ってないし、ほとぼりが冷めたら、どこか田舎の方でひっそり暮らしたいなあっていうのが本音だよ」
「でも、対の指環が嵌っているのは陛下と和巳さまでしょう? 和巳さまも聞かれたと思いますけど、指環の意思に逆らっても幸せにはなれないんです。まだ出逢ったばかりで実感が湧かないのかもしれませんけど、次第に惹かれていくと思いますから、もう少し時間をかけて考えられた方がいいですよ」
「もし本当にそうなるんなら、余計に早くお別れしておきたいなあ」
既に相手のいるレナードと恋愛関係になるなど絶対に避けたかった。レナードの相手の本心はわからないが、こうして伴侶候補が現れた当日でさえ同じ部屋に泊るような人物が和巳に良い感情を持っているはずがなく、正直なところ、これ以上面倒な事態になるのだけは勘弁して欲しいと思う。

「あの、カーディフさまのことで遠慮していらっしゃるんでしたら、気になさらなくても大丈夫ですよ。陛下の片思いだと、皆存じておりますから」
「えっ……そうなの? っていうか、そんなこと、言っていいの?」
マシューは平然としているが、もし事実なら尚更レナードに対して無礼すぎるのではないか。
「この件に関しては今更なので。陛下が成人されてから10年あまり経ちますが、一向にご結婚される気配もなく、大臣たちも皆困り果てていたんです。別に政略結婚を勧めていたわけではなく、陛下のお好きなようにと申し上げていたんですけれど、肝心なカーディフさまが頑として首を縦に振られないんですよね。ですから、和巳さまが指環を嵌めて現れてくださって、皆大歓迎していますよ」
「……まいったなあ」
当のレナードは爪の先ほども和巳と(或いはカーディフ以外の誰とも)結婚する気はないのに、周囲の方がそんなに盛り上がっていたとは。
思っていた以上に面倒くさい立場に置かれているようだと知って、ますます気が滅入る。




和巳が沈黙したのを、ついに観念したと取ったようで、マシューは可愛らしい顔を引き締めて和巳に向き直った。
「お話はこのくらいにさせていただいて、とりあえず今日の予定をお伝えしておきますね。午前中は国務諮問会議の見学をしていただくことになっております。その後は陛下と一緒に昼食を取っていただいて、午後からはカレンさまを迎えてお茶会を開く予定です」
「それは陛下も一緒?」
「はい。ざっくり申し上げますと、いずれの予定も陛下と親睦を深めていただくことが目的ですので、今後も和巳さまは日中はほぼ陛下と行動を共にしていただくことになります」
「親睦を深めるって言ってもなぁ……」
小さく呟いて、あとは食事に集中するフリをする。
当人から伴侶にはしないと断言されているのに、そんなに長く一緒に過ごして、本当に好きになってしまったらどうすればいいのか。
結婚を切望している相手が他にいる状態でさえ、尋常ならざる指環の力に負けてしまいそうだと言っていたくらいなのに、うっかり魔が差したりするようなことがないと言い切れるのか、甚だ疑問だった。
レナードが本命と上手くいくように協力するのはいいが、ただ利用されるだけの存在にはなりたくない。

「大丈夫ですよ。そもそも、和巳さまと親睦を深めることに専念すると仰ったのは陛下ですから」
励ますようなマシューのフォローは寧ろ逆効果でしかないと、指摘するのは今はまだやめておいた。


朝食を終えると、マシューに教わりながら身支度を整え、最初の予定の会議の見学をするために執務室へと向かう。
あまり気が進まないのは、暫定的に伴侶候補という名目を与えられただけの和巳が、国家機密を耳にしてしまうような事態は避けるべきだと思ったからだ。
けれども、そう告げるべき相手と顔を合わせたのは正にその会議の場に連れて来られてからで、衆目の中レナードに意見する勇気もなく、今日のところは辞退することは諦め、円卓から離れた席で進行を眺める程度に留めておく。
やがて、会議が進むうちにわかったのは、どちらかといえば平凡な一高校生でしかない和巳には、異世界の国政など殆ど理解できないということだった。
或いは、意図的に無難な議題のみしか扱われなかったのかもしれないが、特に差障りのあるような内容に触れる機会はないままに会議は終了し、その後の予定も滞りなく進んでいった。




「ホントに日本人だわ……!」
驚嘆の声を上げて和巳を見つめるのは黒目がちの大きな瞳で、まだお互いの紹介も殆どしていないというのに自然と親近感が湧いてくる。
シンプルなドレスに身を包み、艶やかな黒髪を高い位置で纏めてはいるものの、カレンは童顔なのか可愛らしい顔立ちと小柄で華奢な体型のせいで、せいぜい15才くらいにしか見えなかった。
「カレンさんも、そうなんですよね?」
そうとわかっていながら、確認せずにはいられない。
「もちろんです。おそらく、過去に来た異界人も皆、日本人だったのではないでしょうか。“黒い髪に黒い瞳”の、“小柄で細身”な可愛らしい人ばかりだったそうですから」
和巳が知りたいと思っていたことを、聞かれる前に雄弁に語るカレンに、教えて貰いたいことはまだまだ山ほどある。
カレンと面会という予定こそが、和巳にとって一番重要事項だったのだから。




美しい庭園に設えられたテーブルセットに着いていても、花を眺めるような気持ちの余裕はない。
ボーンチャイナのように繊細で優雅なティーセットに用意された紅茶も、香ばしく甘い香りを立てるパイやクッキーにも目もくれず、和巳はカレンに話を聞くことに夢中になっていた。
「カレンさんがこっちに来たのは5年くらい前って聞いたんですけど、いくつくらいの時だったんですか?」
女性に年齢を尋ねるのはどうかと思いつつ、見た目年齢で考えればカレンが10歳くらいの時だったはずで、そんな幼い時に伴侶だなどと言われても、すんなり応じられなかったのではないかと思われる。
「15歳の時です。高校に入学する直前のことでした。実は、その時から外見的には全く成長していないんです。おそらく、異界人はこちらへ来た時点で体の成長が止まってしまうのではないでしょうか」
「じゃ、僕もこのままってことですか?」
「私が知る限りの前例から推測するには、その可能性が高いと思います」
せめてもう少し身長が伸びるまで待って欲しかったと、緊張感を忘れて切実に思った。

「あの、見た目はともかく、実年齢は僕の方が年下なので、普通に喋って貰っていいですか?」
今更のようにその違和感に気付いて、カレンに提案してみる。
「ありがとう。それでは、同郷のよしみで失礼させていただきます」
そっと視線を外して、カレンがレナードに伺いを立てるまで、その存在をすっかり忘れて果てていた。
どこか不貞腐れたかのように見えるのは、疎外されていると思っているからか。
そうだとしても、今の和巳にはレナードと親交を深めるよりカレンと親しくなる方がよほど有意義で、できることなら今後とも相談に乗ってもらったり、あわよくば友人関係を築いたりしたいところだった。

「カレンさん、指環の相手と会ったときって、どうだったんですか? やっぱ、運命の相手っていう感じがしました?」
気の逸る和巳に、カレンは躊躇うような表情を見せながらも、きっぱりと指摘する。
「立場としては和巳さんの方がずっと上だから、あなたも敬語はやめてね?」
「あ、じゃ、僕もタメ語でいいかな? ここ来てからずっと敬語だったから、ちょっと疲れてたんだ」
「そうね、周りは大人ばっかだし、いかにも貴族みたいな人ばかりだものね。私も最初は肩が凝ったわー」
「カレンさんの相手の人は騎士さんだっけ?」
「そうなの。突然こちらの世界に来て途方に暮れている私を最初に見つけてくれたのも彼で、出逢った瞬間、この人なんだってわかったの。指環の嵌っている指と胸が熱くなって、彼に触れると安心できて、だから、彼と結婚するんだって言われた時も、驚くより嬉しかったわ」
未だその感動の中にいるようにカレンは幸せそうに微笑んだ。


「喋るのはほどほどにしないか。マシューがせっかく淹れてくれたお茶が冷めてしまう」
すっかり存在を無視されたようなレナードは、いい加減痺れを切らしたようで、際限なく続きそうな二人の会話に水をさした。
「申し訳ありません。久しぶりに元の世界の人に会えて、すっかり興奮してしまいました。マシューさんもごめんなさい」
しおらしく頭を下げるカレンに倣って、和巳も慌てて頭を下げる。

「それでは、パイをカットさせていただきますね」
同じく待たされていたはずのマシューは不満げな素振りは露ほども見せず、場を和ませるような笑顔を浮かべた。

「これって、りんご?」
隣席のカレンに小声で尋ねてみると、心得たような答えが返ってくる。
「そうね、品種が違うのかなっていう程度の違いかしら。他の食べ物も、私たちが知っているものと大差ないわ」
こうして、こそこそとカレンと喋っていること自体が、レナードの気に障っているようだと、気付いたのはずっと後になってからだった。




「ほんと、カレンさんに会えてよかった……やっと普通の人に会えたっていうか……」
別れ際、思わずそう言ってしまった和巳に、カレンも身に覚えがあるのか、深く頷いて強い眼差しで見つめてくる。
「育った環境が違うだけよ、そんなに心配しないで。この世界はまるで中世ヨーロッパみたいで、最初は抵抗があるかもしれないけど、意外と不便はないから安心して?」
「でも、電気も水道もないし、他にもいろいろレトロな感じだし、そのくせ豪華で落ち着かないよ」
「そうね、特に王宮は何かと豪華で贅沢だから、和巳くんがよほどのセレブのご子息でないかぎり、腰が引けるでしょうね。私も相手が貴族だから戸惑うことばかりだったもの。でも、そのうち慣れるから大丈夫よ」
いつの間にか、その両手に包まれていた手が、ギュッと握られる。

カレンに会うまでは、和巳はいきなり異界に連れて来られてしまった不安と戸惑いでどこか投げやりな気持ちになっていた。
けれども、年齢も近く、優しい先駆者に出会えて、思いのほか和巳は恵まれているのかもしれないと思えるようになった。



- ゆびわのきもち(3話) - Fin

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2011.11.5.update