- ドメスティック.Z (4) -



闖入者とレスキュアが帰ると、思わず安堵のため息が零れた。力の抜けた体を、ベッドヘッドに凭れかけさせるように腰を下ろす。
紫の前に立つ黒田が身を屈め、腕に閉じ込めようとするように覆い被さってくる。
経緯はともかく漸く二人きりになったというのに、黒田の纏う空気は決して甘いものではなかった。
それでも、恨みごとを言う権利があるのは紫の方だという思いに変わりはない。先手必勝というわけではないが、また黒田に言いくるめられないうちに、先に切り出す。
「……あんたは誰にでも鍵をやるのか?」
「そんなわけがないでしょう? まじめにおつき合いしている人にだけですよ。もちろん、気まぐれに遊ぶ程度の相手に家を教えることもありません」
「そうか」
言葉を返せば、この部屋を知っていたと思しき二人とは、黒田が言うほど浅いつき合いではなかったということだ。しかも、直接教えられないまでも交友関係を辿って押し掛けてくるほどに黒田に執着している相手までいる。

紫の首の辺りへ顔を埋めながら、尚も抱きよせようとする黒田の腕を、肘を上げて押し返す。息が詰まるほどに狭いこの腕の中では、今の紫は安らげそうになかった。
「紫さん?」
「あんたに見限られたくない奴はいっぱいいるってことだよな? 合鍵持ってんのが何人いるのか知らないけど、そんだけモテてたら、わざわざ俺に拘る必要はないだろ?」
出逢ってからもう何度目になるかわからない紫からの決別の言葉に、黒田の腕はいっそう強く抱き止めようとする。こんな見え透いた挑発をまともに取られるほど、紫の信用は失墜してしまっているということらしい。
「相手がどう思っているかまでは責任持てませんよ。ただ、それで私を疑うのはやめてください。今、ここの鍵を持っているのは紫さんだけです。マナと呼ばれていた人がいたでしょう? あの人の特技はピッキングで、シリンダー錠でも数秒で開けてしまうんです。私が合鍵を渡していたわけではありません」
流暢に言い訳を紡ぐ黒田の声は、疾しいところなどひとつもないと言いたげな落ち着き払ったトーンだった。その真偽を確かめてみたくても、きつ過ぎる抱擁のせいで顔を上げることもままならない。
こうやって、言われるままに深く追及することなく流されてしまうから、つけ込まれ、捕われてしまうのだろう。
微かに首筋にかかる吐息にも反応してしまいそうだったのに、耳の後ろへと移ってきた黒田の唇が、紫の鼓動を逸らせる。ほんの少し前に不感症よばわりされたことが嘘のように、甘い衝動が背を走った。


「……弄り回されたと言っていましたが、何をされたんですか?」
その仕草から、睦言かと思っていた自分の甘さに腹が立つ。
「大体わかるだろ、そういうことを聞くなよ」
「隠されると、物凄い想像をしてしまいますが」
それは体も同じだと言わんばかりに、工藤が肩にかけ直した毛布を、遠慮のない手が左右に開かせる。手首を拘束されたままの紫には止めようもなかった。
「あんたには大したことじゃないだろ、俺には耐えらないようなことでも」
「挿れられたんですか?」
「あんたにはデリカシーとか思いやりってもんがないのか」
自分で言っておいて、この男にそんなものを求める方が間違っていると気付く。
それどころか、しげしげと紫の体を眺める黒田から伝わる気配は更に険悪さを増したようだった。もしかしたら、最悪な事態に至ったと勘違いしているのかもしれない。
「挿れられたって言っても、指がちょっとだけだからな? 俺はあんたと違ってナイーヴなんだから、大げさな想像をするなよ?」
慌てて言い繕ってみても、黒田はいっそう怪訝な顔をして、有無を言わせぬ力強さで紫の膝に手をかけた。
「見せてください」
「バカか、もっと俺を気遣えよ、ちょっとだけって言ってるだろ」
「あなたの“ちょっと”は信用できませんので」
開かされた腿へと顔を寄せてくる黒田の後頭部に、指を組んだ両手を振り下ろさずにはいられないくらい頭に血が上っている。
「いい加減にしろよ、あんたがこんなものをかけるから、まともに抵抗できなかったんだろ」
我知らず涙声になる自分が情けなくて、なのに、紫の一撃は黒田にさほどダメージを与えることもできず、更に距離を縮めさせただけだった。
「気持ち良くなりすぎたとか、指で達ってしまったとか、そういう類ですか?」
見当違いの憶測とはいえ、“そういう”想像をされたと思っただけで羞恥は極まりなくなる。
「……逆だよ、不感症って言われた」
「まさか」
日ごろの紫の反応から信じ難いと思われるのも無理はないのかもしれないが、一片の気持ち良さもなかったことは事実だ。
「いっ……つ」
敦也のせいではなく、昨夜の情交のせいで腫れたままの入り口を不意にこじ開けられ、鋭い痛みに息が詰まった。

「それなら、どこを弄り回されたんです?」
紫の中を穿つ指の狭間から吹きかけられる息に、強張った体が震える。感じているのは嫌悪ではなく期待だと、もう熱を帯び始めた体は気付いていた。
「だから……ちょっと触られただけって言ってるだろ? あいつら腹立つし、大げさに言ったんだ」
「本当に?」
喋りかけられるたびに肌を掠める吐息に頭がくらくらする。今日は勘弁してもらいたいと思っていたはずなのに、黒田の唇が直接触れてこないことがもどかしい。
「……確かめてみれば?」
自分でも、白々しい挑発だと思う。
小さく笑われたような気がしたが、言い直す間もなく甘い感覚に襲われ、思考が遮られる。
「あ……っ」
指と入れ替わりに入ってきた濡れた感触は、生々しい音を立てて閉じかけた入り口を開かせ、腫れた粘膜を優しく擦り、ゆっくりと緩ませてゆく。
それが黒田の舌だと気付いて焦り、離させようと手を伸ばしてみても、蕩け出した体は思うように動かなかった。
「う……んっ」
もう一度指が入ってくるころには紫の頭の中は白く霞んでいて、擦られ、かき回されるのを待ちわびることしかできない。
「……他の男はどうでしたか?」
上体を起こして近付く黒田の息が項にかかると、条件反射のように黒田の首の後ろへ腕を回していた。考えるより先に、答えが口をついて出る。
「嫌だ……あんたじゃないとムリ」
「あなたにそんなことを言わせるなんて、私はあの人たちに感謝しないといけないかもしれませんね」
不謹慎な言いように、すっかり懐柔されていた気持ちが萎え、忘れかけていた怒りがこみ上げてくる。
「ふざけんな、何が感謝だ」
「少しは愛されていると実感させていただいただけでも、私には貴重ですよ。もし紫さんが私の体だけが目当てというなら話は別ですが」
「あっ」
不意に紫の中で指が蠢き、強く擦りつけられると、悪態を吐く余裕など無くなってしまう。
「でも、もう二度とあなたに近付かせないよう、きちんと対応しておきますから心配しないでください。あの人たちだけでなく、他の誰にも触らせる気はありません」
首筋を舐める吐息に、体の芯が疼く。あの男たちの評価はやはり間違いだったと、黒田はいともあっさり証明してしまった。


「も……早く、挿れろよ……っ」
黒田の落ち着き払った態度が、いっそう紫を冷静でいられなくさせる。
「こんなに腫れているのに大丈夫ですか?」
余計なお喋りをする前に早く紫を宥めればいいのに、気遣うような言葉とはうらはらに黒田の声はひどく意地悪く響いた。
「イヤだって言っても聞かないくせに、こんなときだけ……も、しないんなら触るな……っ」
身を返そうとしても、覆い被さった黒田の体を押し退けることはできず、割られた膝を裏から掬われる。
「ああっ……」
余裕ぶった口調に反して、指の隙間から分け入ってくるものは硬く張りつめていて、癒えていない体は反射的に自衛を働かせ、力を籠めてしまう。
「っ……く」
「紫さん、それでは入れられません……少し緩めてください」
心なしか苦しげに響く声に、詰めた息を細く吐く。
慎重に腰を進めてくる黒田に、気を抜いた途端に深く穿たれ、堪らず背を仰け反らせた。膝を掴む手に引きよせられ、更に奥を擦られ、意識が飛びそうになる。
黒田が相手なら、こんなにも感じ入ってしまうのに。
「……そんなに悦いんですか?」
抑えた声が上ずって聞こえるのは、紫が思うほどには黒田にも余裕がないせいなのかもしれない。
「悦くなかったら、挿れろとは言わないだろ……っ」
そっけなく返したつもりが、黒田はひどく満足そうに紫を抱きしめた。






「結局、工藤さんは私に喧嘩を売りに来ていたということなんでしょうね」
やや張りのない声が、沈みそうになっていた意識を止める。紫の反応に気を良くしたのだとばかり思っていたが、黒田の表情には覇気がない。
内心面倒くさいと思いつつ、紫はすぐに眠りに落ちることは諦めて、黒田の腕に伏せていた顔を上げた。
「どこをどう取ればそうなるんだよ? あんた、工藤に敵愾心を燃やし過ぎ」
「どこって、紫さんは本当に鈍いですね。まるで保護者みたいな口出しをしたり、これ見よがしに紫さんに触ったり、いちいち人の気を逆撫でるようなことばかりしていたじゃないですか」
そう言われてみれば、工藤は黒田の気に障るような言動を取っていたかもしれず、一概に曲解とはいえないのかもしれない。
だとしても、たまには黒田も悩んだりダメージを喰らったりすればいいのだと思う。
「そういや、俺、ちょっと工藤にときめいたかも」
「えっ……?」
大仰に驚く黒田に、もう少しわかりやすい言葉を付け足す。
「あんたのせいで好みが変わったのかもな」
紫にとっては最大限の愛情表現だったというのに、その真意は黒田には全く伝わらなかったらしい。
「工藤さんも紫さんのことを気にかけているようですし、望みがないということもないでしょうね」
「あんたも疑り深いなあ……ないって言ってるだろ、工藤はゆいちゃん以外の男はムリだから。いや、今ならどんなグラマーな美女に口説かれたって靡くわけがないし」
「一度ボーダーを超えた以上、ないとは言い切れませんよ。そうでなくても、紫さんは美人ですから、充分に有り得ると思いますが」
いつもの、紫を見下したような態度とは違って、憮然とした黒田の表情はまるで拗ねているみたいに見える。
「……あんたって、ハンパなく独占欲が強いよな?」
「そうですよ、今更改めて確認するまでもないでしょう?」
臆面もなく肯定する黒田が、初めて年相応に思えた。
「そんな心配しなくても、俺が工藤を口説こうなんて思うわけがないだろ?俺は工藤が好きなんじゃないんだ。あんたのせいで、工藤みたいなのもいいかもって思っただけなんだからな」
そこまで言ってやって漸く、黒田にも紫の言いたいことが理解できたようだった。


「いい加減、外せよ」
うやむやにされてしまいそうな不安に、紫は未だ繋がれたままの両手を上げて抗議した。
「そのままの方が素直で可愛いのに、もったいないですね」
全く懲りた風のない黒田を、あまり効力はないと知りながら睨み付ける。
「本気で訴えるからな?」
「……しょうがないですね」
そういう自分こそがどうしようもないという自覚はないのか、黒田はまるで紫の我儘をきいてやっているとでも言いたげな態度で、手錠の鍵を外した。



- ドメスティック.Z (4) - Fin

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2010.4.23.update