- ドメスティック.Z (3) -



「あ」
時間を確かめるまでもなく、玄関先から聞こえた物音に、自然と体が反応する。
それが黒田のものだと、なまじ通い同棲を続けているわけではない紫にはすぐにわかった。
「紫さん……?」
やや緊迫した声とともに寝室に入ってきた黒田は、入り口付近にいたマナを軽くスルーして紫を視界に収めた瞬間、安堵ではなく、あからさまな不快感を面に浮かべた。
「……どうして、工藤さんがうちに?」
未だ床に倒れたままの大男と毛布に包まった紫を見れば、それなりの想像がつきそうなものだが、黒田にとっては工藤が家にいることの方が重大事らしい。
その身持ちの悪さが招いた結果だとは思いもしないのか、黒田の表情は苦り切っていて、工藤に負けず劣らず物騒な雰囲気を放っている。
責めるような視線は、むしろ紫が黒田に向けていいはずなのに。
「同僚が監禁されていると聞けば心配くらいするだろう? しかも相手の人間性に重大な欠陥があるとわかっているのに、放っておけるわけないだろうが」
「ただの同僚にそこまでするとは思えませんが」
含みのある言葉と眼差しで工藤を否定する黒田にいつもの余裕はないようで、完全に喧嘩腰だった。
「どう思おうと勝手だが、そうそう仕事に差し支えるようなことを見過ごすわけにはいかないからな」
工藤は他意はないという口ぶりだったが、実際のところは紫のためではなく、最愛の人と暮らしていたことのある黒田に対する蟠りが未だ抜けないからなのだろう。
工藤の前を横切り、ベッドの縁に膝をつくと、黒田は紫の拘束された手首に触れた。身を屈め、紫の背を抱くように身を寄せてくる。
「余計なことをすれば、辛い目に遭うのは紫さんですよ。私は工藤さんのように甘くありませんので」
「そういう扱いをするつもりなら、後藤は俺が連れて帰るからな? 別に後藤に固執しなくても、それなりの手合いがいるんだろうが?」
嫌味のこもった言葉の真意がわからないのか、黒田はまるで工藤と紫の他にはいないかのような態度を崩さないままだ。
「今更、報復ですか? ゆいのことは、感謝されても恨まれる筋合いではないと思いますが?」
俄かに殺気立つ工藤が、今にも乱闘でも起こしそうな気がして、紫は慌てて立ち上がり、二人の間に割って入った。
「いい加減にしろよ、工藤よりあんたのツレの方がよっぽど危険だってわからないのか? 俺、もうちょっとでマワされるとこだったんだからな?」
かなり誇張した言葉に、黒田の顔色が変わる。
「本当ですか?」
恐ろしい形相で見据えられたのはもちろん紫ではなく、未だ意識の戻らない敦也でもなく、かなり後方で佇んだままのマナだった。
「や、だから、陽希が、マサトの入れ上げてる奴に引導渡さないと気が済まないって話になって……でも、俺も敦也も本気じゃなかったし、全然未遂だし」
「人の体弄り回しておいて、未遂ってことないだろ」
それが後々自分の首を絞めることになると思い至らず、紫は感情のままにマナの言葉を訂正してしまった。


「いつまで寝ているつもりです? 一言くらい申し開きしておこうとは思わないんですか?」
冷やかな声をかけながら、俯せに転がったままの敦也の腹を、黒田が足蹴にする。
まだ気を失っているのだと思い込んでいたが、敦也は緩慢な動作で上半身を起こした。
「……マサトが躍起になって隠すから、却って興味が湧くんだろう? 詮索されたくないなら、陽希のこともほどほどに構ってやれよ?」
「本気の人をほどほどに構えるほど器用ではありませんので」
「それなら、最初から手を出すなよ、ヘタに期待させるから付き纏われるんだ」
「あの時は相手を選んでいる余裕がなかったんですよ。弱っているところに付け込んできたのは向こうですから、私が気に病む必要はないと思いますが」
黒田の浮ついた話は出逢ってすぐに耳にしていたが、それでもその身勝手な言い方に、他人ごとながら腹が立つ。
工藤も聞くに堪えないと思っているようで、視線を外して会話が一段落するのを待っている。
「ともかく、陽希が納得するよう話してやれよ? このままだと、もっと物騒な奴を連れて来かねないぜ?」
「話して納得するなら、とっくに諦めているはずですよ。まあ、何とかしないわけにはいかないようですし、努力はしますが。それより、あなた方はどうしてこんなことに加担したんです? わざわざ私のおつき合いしている人を紹介しなければならないほど親しくしていた覚えはありませんが?」
「ひどいよ、マサト、いいことも悪いことも一緒にヤった仲だろ?」
それまで遠巻きに見ていたマナが、わざとらしいほど嘆きながら近付いてくる。
黒田は大きくため息を吐いて、心底うんざりしたような顔を見せた。
「……だから、余計に紫さんのことを話すのは嫌だったんですよ、私は大切な人を誰とも共有するつもりはありませんので」
「それなら、そう言っておけよ。わかっていれば、わざわざ喧嘩を売るような真似はしない」
「言えば余計に興味を持つんじゃないですか? できれば、あなた方には知られたくなかったんですよ」
「そりゃ、本命には何もできない代わりに、別の男をとっかえひっかえヤリまくってた男が突然マジメになったら変だと思うだろう? しかも、しょっちゅう家に連れ込んでるくせに、本命は前の奴だと言い張るし」
「そうだよ、マサトの好みでもないのに何ヶ月もハマり続けてる相手なら、どんな奴なのか見てみたいに決まってるだろ」
もしもそれが真実なら、紫に誤解させてまで庇おうとした黒田の行動は、完全に逆効果だったということになる。
かといって、この二人と陽希に、紫が本命だと紹介して欲しかったかといえば微妙なのだったが。
「人の恋愛事情は放っておいてください。稲葉さんは元々ノンケで、たとえプラトニックであってもつき合ってもらえるだけで満足しなければいけないと思っていたんです。でも、紫さんは私を全て受け入れてくれて、本気でおつき合いしているんです。軽々しく接触しないでください」
「うわ……マサトの言葉とは思えない……」
驚き呆れるマナの反応を見れば、いかに黒田がロクでもない男だったのかが知れる。


「紫さん、殴るなり蹴るなり、好きにしていいですよ」
ホールドアップ同然の状態の二人を、黒田が顎で指し示す。
どちらかといえば、紫が恨みがましく思っているのは当の黒田なのだったのだが。
「俺はいいよ、工藤が殴ってくれたし。今後一切こういうのはナシってことにしてくれたらそれで」
あっさりと流す紫の答えは、あまり黒田の気には入らなかったようだったが、それ以上言及することはなかった。
暫く考え込むようにしたあと、黒田は気分を切り替えたように、紫以外の三人を見回した。
「では、招かれざる客人たちにはお帰りいただきましょう」
気の変わらないうちに、とでも思っているのか、敦也は名残り惜しげなマナの腕を掴み、有無を言わせず連れて出てゆく。
一方、帰る気配を見せない工藤に、黒田は催促するような視線を向ける。
「俺は後藤に呼ばれて来たようなものだからな」
態と黒田の気を逆撫でているみたいに余計なひと言を吐く工藤は、穿った見方をすれば、まるで紫の身の振り方に口を出す権利があると主張しているようにも見える。
「今朝のうちに約束でもしましたか? そんな間はなかったと思っていたんですが、油断も隙もない人ですね。ともかく、誰であろうと邪魔をさせるつもりはありませんから、さっさと帰ってください」
それには答えず、工藤は紫の方に視線を向けて念を押した。
「この男と二人にしても大丈夫なのか?」
「だと思うけど……それより、工藤は今日は仕事入ってたんだっけ?」
「一件だけな。もっと早く来れると思ってたんだが、予定より時間を食って来るのが遅くなったんだ。まあ、なんとか間に合ったようだが」
おそらく工藤が心配していたのとは別の展開だったのだろうが、救けられたのは事実で、紫は改めて感謝の気持ちでいっぱいになった。
「工藤が来てくれなかったら、俺、どうなってたかわからないよな。ほんと、ありがとう」
露骨に顔を顰める黒田の方はこの際見ないことにして、改まって工藤に頭を下げた。
それは、工藤が帰りやすくなるように、という意図も籠めてのものだったのだが。
「これに懲りたら、つき合う相手は慎重に選べよ?」
さりげなく、工藤の手が紫の肩を滑り落ちていた毛布を直す。これまでの工藤なら、紫相手には絶対にしない類の行為だった。
それが黒田に対する嫌味だったのだと気付くのは少し後のことになる。



- ドメスティック.Z (3) - Fin

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2010.4.5.update