- ドメスティック.Z-(1) -

☆少々痛い展開があるかもしれません。
苦手な方はご注意ください。



「そういや、今日、職場の奴と会うことになってたんだけど……行けないなら連絡しとかないと、面倒なことになるかもしれないんだけど?」
いつの間にかスーツの上着のポケットから消えていた携帯電話を、返して欲しいことを婉曲に黒田に訴えてみる。
会社に於いても紫の立場は弱くなっているのに、約束を反故にすればまた無理難題を押し付けられかねない。
まだ紫の隣りに、つまりはベッドの縁に腰かけたままの黒田は微妙な表情をしながら、自分の上着に手を入れた。
「例の営業の人が相手じゃないでしょうね?」
黒田の鋭い読みに、紫は咄嗟に上手く躱すことができず、やむなく恨み事を洩らしてしまう。
「……あんたが失礼なことするから、フォローが大変なんだろ」
「失礼なのは先方とあなたの同僚の方ですよ。休日までそんな相手に会う必要はありません。断るにしても、工藤さんにでも言伝てて貰えばいいでしょう? もちろん、あなたの携帯は私が預かりますから、手短にお願いしておいてください」
依然として横暴な言いようにムッとしたが、両手を拘束され、真っ裸の状態の紫に反撃する勇気はない。
フラップを開いた状態で差し出された携帯電話を受け取り、指定された相手のナンバーを呼び出す。
早朝だというのに、2コールで出る相手は起き抜けといった風ではなさそうで、可愛い恋人との幸せそうな光景が目に浮かぶ。
「後藤だけど、朝からゴメンな? 今日、笹原と志野家の件で会う予定だったんだけど行けなくなって……悪いけど、伝えてくれないかな? ちょっと、連絡できない事情ができて」
『監禁でもされてるのか?』
“事情”と言っただけなのに、さらりと続けられた言葉の的確さに冷や汗が出る。まんざら冗談でもなさそうなトーンに聞こえるのは紫の被害妄想だろうか。
「そういうこと聞くなよな、シャレになんないから。ともかく、頼むな?」
工藤の声が黒田の耳にも入っているかもしれないと思うと、正直に答えるわけにもいかず、触れられたくないというような態度を取ってしまった。
あっさり、そうか、と流す工藤は紫の居場所を察しているようで、さっさと通話を終わらせてしまう。もう少し心配してくれてもよさそうなものだと思うのだが、二人の世界を邪魔されたくないのか、単に紫の相手が気に入らないのか、ひどく冷たいような気がした。


「そのまま、おとなしく待っていてください」
出掛けに黒田が言い置いた言葉の真意は服を着るなということなのだろうが、いない間まで守る意義は感じられない。
「一日裸で過ごすってのはちょっとなあ……」
裸族でもない紫には、一日ずっと服を着ずに過ごすことには抵抗があり、黒田が帰るまでに脱いでおけば構わないだろうという安易な考えに傾く。
ここで生活することになっても差し支えない程度に増えていった紫の私物の大半を占める洋服を、取りに行こうとして、ふと嫌な可能性に思い至った。
「まさか、隠しカメラを仕込んでたりとか、ないよな……?」
考え過ぎだろうと思いつつ、決してないとは言い切れない。
なにしろ黒田は、紫が眠っている間に人には見せられないような恥ずかしい写真を撮るような男なのだから。(尤も、紫は現物を見たわけではないから実際どんな写真なのかは知り得ないのだが。)
迷った結果、バスタオルを腰に巻いて凌ぐことに決めた。
とりあえずは腹ごしらえを済ませておこうと、キッチンに場所を移す。出勤前に黒田が用意しておいてくれたらしい紫のぶんの朝食に向かいながら、今後の対策を練らなくてはと思った。






結局、いくら考えてみたところで取り立てて良策を思いつくこともなく、つらつらと過ごしているうちに訪れた睡魔に身を任せることにしたのは午後を回ってからだった。
念のため、紫が目を覚まさないうちに黒田が戻って来たとしても気を悪くされないよう、バスタオルを外してからベッドに入る。
短い鎖で繋がった両手では、バスタオルを巻くのも至難の業だったのだが、毛布を被るのも簡単ではなかった。
いつものように右肩を下にして身を丸め、また堂々巡りの思考に戻る。
紫が親離れできていないという以上に子離れできていない母親と、同じく兄離れしようとしない妹をどう説得するか、いや、それ以前に自分は本当に黒田と生活を共にするなどということができるのか、考えれば考えるほどに答えは遠ざかっていくような気がする。
紫には家事の類は全くといっていいほど何もできないし、正直なところしたいとも思えない。黒田が全て担当するから紫は身一つで来てくれればいいというならまだしも、公平に分担なんてことになれば、気持ちの問題は別にしても能力的に不可能だろう。
とはいえ、働いているのはお互いさまでも、夜勤があるぶん黒田の方が大変そうだと思うと、紫にはムリだとは言い難い。
何より、紫の気が進まない一番の理由は、今は黒田にひどく執着されているとしても、それがいつまで続くとも限らないということで、本音を言えば一緒に暮らしたいとは思えなかった。
そんなにも深く関わってしまったら、いつか相手の興味が失せてしまっても、離れられなくなってしまいそうで恐ろしい。できれば、これまで通り、ほどほどの距離を保ちながらつき合っていくのが理想だった。どう考えても、入り浸っているのと同居するのとでは、別れるときの面倒さやダメージは雲泥の差だろう。
そういった戸惑いを、黒田の気を悪くさせないようにどう伝えればいいのか、説得が可能なのか、想像するだけで頭が痛い。
うだうだと思い悩むうちに、また押し寄せてきた眠気に、ひとまず結論は先送りすることにして目を閉じた。




「……こいつかな?」
聞き覚えのない声に、微睡みが妨げられる。
少し離れたところに複数の人の気配を感じて、夢や空耳ではないことに気付く。
「ベッドに入ってんだからそうだろ? ヤり疲れてんのかな、マサトは底なしだから」
寝惚けた頭で考えてみても、なぜ家主の留守中に寝室の中まで人が入って来ているのかわからない。これまで、黒田が以前つき合っていたという男以外の人物にここで会ったことはなく、声にも聞き覚えはなかった。
そればかりか、紫が起きていると知ってか知らずか、ふざけた調子で交わされる会話は何やら物騒げな内容を含み、目を開けるのを躊躇わせる。せめて入口側に背を向けて横になっていればよかったと思ってみても遅すぎた。
「へえ……マサトが入れ上げてるっていうから全然期待してなかったけど、美人だな」
声と共に近付く気配が、紫の肩から毛布を一気に剥がし取る。咄嗟に身を庇おうにも腕は自由にならず、身を丸めるほかに為す術はなかった。
「わ、まっぱに手錠なんて調教中? もしかしてバイブとか仕込まれてんの?」
理解不能の、もしくは頭が理解を拒否する言葉を浴びせられ、驚きのあまり声も出ない紫に、まだ未成年と思しき幼げな声が、止めを刺す。
「このごろマサトがつき合い悪いの、あんたのせいなんだろ?」
いかにも不機嫌そうに告げられた“つき合い”の意味を考える余裕は今はない。
少なくとも三人の男の不躾な視線に晒され、背中を冷たいものが走る。こんな状況下での相手の目的は、想像に難くなかった。


一人は黒田ほどではないにしても大柄で筋肉質な男で、紫より幾つか年上に見える。高い位置から紫を見下ろし、“お預け”が解除されるのを待っているかのような好戦的な雰囲気が恐ろしい。
もう一人は紫と大差ないくらい痩せ気味の若い男で、金茶色の髪と耳に幾つもつけたピアスが軽薄そうな顔立ちを際立たせている。興味津々といった表情で紫を見る視線は、襲いかかるタイミングを計っているというよりは、単に面白がっているようにも見える。
そして、少し退いた位置で腕を組んで紫を睨みつけているのは、未成年としか思えない小柄で生意気そうな男子で、どうやらこの襲撃団のリーダーらしかった。
「何とか言えよ、口がきけないってことはないんだろ?」
黙ったままの紫に苛立ったのか、早口に吐き捨てながら、ベッドの際に立つ他の二人の傍へ近付いてくる。
僅かに切れ上がった瞳で睨みつけられても、何を言うべきなのかわからない。
この、黒田の好みから著しく外れているとしか思えない子供の言う“つき合い”がカラダの関係を指しているとしたら、おそらく“悪い”原因は紫なのだろう。

――誘拐犯が出るかもしれないってのは大げさじゃなかったんだな。

今更のように、黒田の深刻さが杞憂ではなかったことを知る。
納得している場合ではないが、だんだんと紫にも事態が呑み込めてきた。
いくら黒田の精力が旺盛だといっても、紫は求められるほぼ全てを受け入れ続けている。普通に考えれば能動的な黒田の方が余計に消耗しているはずで、他で解消しなければならないほどあり余っているとは思えない。
もし、紫とつき合う前に“遊んで”いた相手が黒田を気に入っていたとしたら、突然構われなくなったことに不満を抱くようになっても不思議ではなかった。
「何とか言えって言ってるだろ」
物思いに耽る紫に苛立ったのか、ヒステリックな声で詰め寄られ、乱暴な仕草で前髪を掴まれる。
ふと、黒田ならこの短気さが可愛いと言うかもしれないと、状況も忘れて呑気なことを考えた。
「マサトがあんたみたいなのを本気で相手するわけないだろ? あんた、ウザいんだよ。独り占めすんなよな」
そこまで言われて、どうやらこの子供は黒田に特別な感情を持っているようだと気付く。
だから、恋路の邪魔をする紫に引導を渡しに来たということだろうか。
それとも、独り占めするなと言うくらいだから、共有しろということなのかもしれないが。
どちらにしても、紫の恋愛観では受け入れられるはずがなかった。
かろうじて首を振ってその手から逃れ、身を起こす。
相手の性癖が想像できるだけに、裸身を晒し続けることには抵抗があり、とりあえず手近な枕を膝に乗せることで、少しでも露出を抑えようと思った。


「陽希(はるき)」
待ちきれないという風に呼びかける声に、紫を睨む視線がその軽薄そうな男の方に向けられる。
一番年少の男は陽希という名前らしい。
「どうする?」
意向を聞いているというよりは確認するような問いは、早く次の行動に移りたいということなのだろう。
どこか他人事のように眺めていた紫は、それが自分の身の危険に直結した話だと認識した途端、ぼんやりしている場合ではないことに気が付いた。
「でも、こいつってマサトの趣味じゃないよな?」
他の二人に向けられた陽希の言葉は、さっき紫が思っていたこととほぼ同じで、状況も忘れ苦笑してしまいそうになる。
たぶん、その問いに対する答えを一番知りたいと思っているのは紫だったが、大柄な方が口にしたのは、あまり耳にしたくない類の言葉だった。
「見た目はともかく、繋いでおくほど入れ上げてるってことは、よっぽどイイんじゃないのか?」
「だよな、こんだけマーキングしまくってるくらいだし、ハマってんだろうな」
含みのある笑いを浮かべながら、もう一人の男が同意を求めるように紫を見下ろす。
舐めるような視線が這う胸元や腿に集中したキスマークは、黒田が付けたものではなかったが。
「ハマッてるのはマサトじゃなくて、こいつの方だろ」
年長の二人の推測が気に入らなかったようで、陽希は不満げに眉を吊り上げた。
その気の短さが、また紫に誰かの面影を思い出させる。
「それなら、手錠をかけておく必要はないんじゃないか?」
「ドМなんだろ、繋いでくれとか言って居座ってるんだよ」
陽希の、あまりにも自分勝手な解釈に眩暈がする。そんなものは黒田に思いを寄せている陽希の願望にしか過ぎない。
「マサトが家に連れ込む時点で特別だろ?」
「陽希はここも教えられてなかったくらいだしな?」
紫が訂正するまでもなく、二人の大人はどちらの味方なのか疑いたくなるくらい、陽希の不利を指摘し始めた。
もしくは、陽希をからかうのを楽しんでいるようにも見える。
「……もう、何でもいいから、マサトが相手しなくてもいいようにしといてやって?」
「って言っても、もう十分満足させてもらってるみたいだけど?」
値踏みするような眼差しで見下ろされるのはひどく不快で、紫は堪らず顔を背けた。
それを追うように伸びてきた手に触れられることは我慢ならない。
「触るな」
咄嗟に撥ねつけたのが気に障ったのか、それまでずっとふざけた調子だった男の表情が険しくなる。
「おとなしくしてないと、手荒なことやっちゃうよ?」
紫と似たような体型だと思っていた男の、手錠で繋がれた両手首を引きよせる力は想像以上に強かった。



- ドメスティック.Z-(1) - Fin

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2010.3.15.update