- ドメスティック.Y(2) -

☆やや暴力的な表現があります。
  苦手な方はご注意ください。



「少しは懲りましたか?」
心なしか嬉しげに響く黒田の声が、紫の疲労に拍車をかける。
長い一日を終え、出勤前に約束させられていた通り、紫は自宅には帰らず黒田の部屋へ戻ってきていた。
できることなら、このまま睡魔に身を任せてしまいたいのに、紫をソファに座らせ、まるで侍従か嫁のように手際よく上着を脱がせていく黒田は、とてもではないがそれを許してくれそうにはなかった。
「一睡もしてないのはあんたも一緒だろ? 仕事に差し支えなかったのか?」
「一日くらいなら問題ありませんよ。逆に気が昂ぶって、テンションが上がり過ぎたくらいです」
仕事の話を振ったつもりなのに、答えと同時に紫の体は黒田の下に敷き込まれていた。ネクタイを解き、襟元を緩めてゆく指先は、それを証明しようとしているかのように淀みない。
つくづく、手際の良い男だと感心させられるとともに、昨夜あれほどヤリ尽くしておいてまだ余力があるという並大抵ではない体力(もしくは精力)に呆れる。
「抑えてくれよ、俺は身も心も疲れ果ててるんだからな」
「それなら、マッサージでも?」
言いながら、黒田は紫の体を軽く反転させ、肩に手をかけた。適度な力を籠めた指先が絶妙な位置を押さえ、ゆっくりと解してゆく。
「うわ……ヤバい、気持ち良すぎて寝そう」
そうでなくても、眠気はとっくにピークを超えてしまっているというのに。
僅かに力を強めた指先が、紫の入眠を妨げる。
「その前に、少し話を聞かせていただきたいんですが。昨夜は頭に血が上って、話どころではなくなってしまいましたので」
「も、俺、ほんと限界なんだけど?」
切実な訴えを軽く無視して、黒田はもう一度紫の体を反転させると、真上から瞳を覗き込んできた。
「紫さんの言う“接待”の話ですが、今までにもそういったようなことがあったんですか?」
「全然。このところ急にだよ。なんか、俺を試してみたい奴が増えてるらしいけど」
「紫さんの可愛さに気付き始めたんですね。そこはかとなく色気も出てきたようですし、目に付くようになったのかもしれませんね」
「そんなこと……」
否定しかけた言葉を止め、紫は黒田に責任転嫁してみることにした。
「俺が色気づいてきたとしたら、それってあんたのせいなんじゃないの? この頃、“フェロモン垂れ流し”とか言われてんだけど?」
実際のところは当の紫にはわからないが、そう言われたことがあるのは事実だ。
「私のせいで余計なフェロモンが出るようになったということですか?」
「なんじゃないの?」
その根源は黒田なのだから、反論のしようがないだろうと踏んでの言いがかりだった。

紫の肩の辺りで吐かれる、大げさなため息には覚えがある。紫の言動は、また黒田を呆れさせたのだろう。
「我慢のきかない人ですね。まあ、あなたのことですから無自覚なんでしょうが……もう他では色気付かないようにしてください。私ならいくらでもお付き合いしますので」
「俺が職場で色目を使ってるとでも思ってるのか?」
「違いますよ、あなたはすぐに曲解するから困りますね。フェロモンを撒き散らすのも色気を出すのも私の前だけにしておいてくださいと“お願い”しているんです」
黒田の言いたいことはやっぱりわからず、紫を見下ろす瞳を見つめ返しながら考えを巡らせた。
紫の体を腕と脚の檻で閉じ込めた黒田は、それ以上の解説をする気はないらしく、勝手に話を変えてしまう。
「それより、昨日と、その前の相手のことを聞かせて貰えますか?」
自分は守秘義務だ何だと言い訳をつけて話そうとしなかったくせに、紫には無遠慮に聞いてくる無神経さに腹が立つ。
詳しく知ったところで何か行動を起こすということはないだろうが、一応、差し障りのない程度の情報を頭の中で整理してから口を開く。
「……前のは俺の担当先の顧客で、起業したばっかのソフトウェア開発会社の社長。この頃、IT関係は多いよ。開発したソフトが不具合起こして損害賠償を求められたりってケースが増えてるから」
「その人が“体を張った接待”をしろと言ったんですか?」
口論の中で投げやりに言った一言まで、いちいち突き詰めようとする黒田のしつこさが面倒くさい。大きな図体をしているくせに黒田は意外と細かく、さんざん爛れたつき合い方をしてきたと言うわりには紫に対して制限が厳し過ぎる。
「言われてはないよ、俺がそういうニュアンスに受け取ったっていうだけで。俺と二人で会ったのは表向きプライベートってことになってるし」
「それでは、昨日の人も紫さんの勝手な判断で“おつき合い”しようとしていたということですか?」
まるで紫が好きで接待をしていたような言い方にカチンときたが、いつも熱くなっては失敗していることを思い出し、グッと堪えた。
「昨日のは同僚の担当のお客さんで、その人がどうしてもって言うから俺が同行することになったの。旅館の跡取り息子っていうか専務で、まだ代がわりはしてないけど、経営の方を任されることになって、保険の見直しをするために何社かに見積もりを出させてたらしいよ。先代は金額とか保証内容よりもそれまでのつき合いを重視してたようだけど、若さまはリアリストらしくて」
「それなら、接待なんて必要ないんじゃないんですか? しかも、紫さんの担当ではないんでしょう?」
「俺が“見初められ”なかったら、そうだったのかもな。ほぼ、うちに決まってたみたいだから。だからこそ、機嫌損ねて乗り合いの会社に取られたら勿体無いだろ」
「何ですか、乗り合いというのは」
「代理店がうちの専属じゃなくて、他の保険会社とも提携してるってこと」
「代理店?」
「俺らは営業って言っても“間接営業”だから、契約取ってくるのは本来は代理店の営業なの。けど、うちは同行することが多いんだよな」
いちいち説明するのも面倒くさく、一秒でも早く眠らせて欲しいと思っている紫は、極力短い言葉で答えた。こんな話なら、無理に今しなくてもいいのではないだろうか。

「そういえば、工藤さんの時もそうでしたね。どうでもいいことですから、 すっかり忘れていました。紫さんの会社は代理店任せにすることはないようですね」
紫も忘れていたが、かつて工藤の担当先の老舗ホテルの令嬢のボディーガードをしていた黒田は、損保の内情もある程度知っているはずだった。
「この頃の損害保険って複雑だから、代理店任せだと知識があやふやで説明不足があったり、顧客の勘違いで想定外のクレームが来たりとかってケースが多いんだよ。だから、うちでは新規とか大口の契約の場合は同行するようにっていう、すごく慎重なスタイルを取ってんの」
結果的に、その方が負担が小さいというのが実情で、少なくとも紫の会社ではその方針を貫いている。
「それで、枕営業までやらされているんですか?」
「いや、それはうちの営業が勝手に気を回して仕組んだというか……あ、オッケーしたの俺だし、そいつを恨むなよな?」
何気に庇ったことが気に入らなかったようで、黒田は紫の顔の横に置いた手を頬へと伸ばしてきた。
「思い出したら、また腹が立ってきました」
「いや、だから昨夜、あんたの言うこと全部きいてやっただろ? しつこく言うのナシな?」
先手を打ったつもりが、黒田はますます表情を険しくするばかりで、どうやら紫はまた余計なことを言ってしまったらしかった。
「……誰が、気が済んだと言いました?」
幾分トーンを落とした声に、予感というにはあまりに確信的な、逼迫した身の危険を 感じる。
「人に完徹させといて、まだとか言う?」
「全然足りませんよ。昨日にしても、私が行かなかったら抱かせるつもりだったんじゃないでしょうね?」
「や、それはないから。予め挿れんのはダメって言っとくつもりだったし」
慌てて否定した言葉は、自ら墓穴を掘る結果にしかならなかったらしい。
表情を消した黒田から立ち上るオーラは、産毛が逆立つほどにおそろしかった。
「……抱かせないなら、どうするつもりだったんです? 口を使うつもりだったということですか?」
どうしてこの男はこうも紫に対して高圧的なのだろうか。わざわざ威嚇しなくても、その強靭な体躯に逆らいたいと思うほど紫は勇敢ではないのに。


どう言えば黒田の怒りを和らげられるだろうかと、考えても詮無いことをつらつらと思い悩んだ。
時間をかけるほどに黒田の怒りが増すとは気付かないままに。
「確か、私のために経験を積もうとしていたと言っていましたね。それなら、他所の男ではなく、私で“練習”してください」
唇に伸ばされた手から、逃れようもないと知りながら腰が引ける。
紫の躊躇いを見越したように中まで入ってくる指を噛んでしまいそうで、唇を閉じられなくなってしまう。
長い指は更に口を開かせ、舌を撫でながら奥へ進んでゆく。思いのほか深く差し込まれ、嘔吐感と共に湧き上がってくる唾液を上手く飲み込めず、噎せそうになった。
「唾液は飲み込まないで、流れるままにしておいた方がいいですよ」
心持ち顔を傾けさせようとする手を、首を振って外させる。
「も、今日は勘弁してくれよ、俺はあんたみたいに体力ないんだ。早退しなかったのが奇跡って感じで……ほんと、ムリだって」
紫の哀願など耳に入らないように、黒田は紫の胴を跨いだまま、チノパンツの前を寛げてゆく。
昨夜から今朝の間に絞り尽くしたと思っていたが、露になってゆく黒田のものは既に勃ち上がりかけていて、その底なしの回復力に眩暈がした。
「それだけ喋る元気があるんですから大丈夫でしょう?」
慰めにもならないことを言いながら、黒田は躊躇いもなく紫の唇に腰を近づけてくる。拒否権がないなら受け入れるより他になく、紫は強引に押し入られる前に体を起こそうと思った。
「え」
紫の肩を押し、起き上がることを阻む手に驚いて、抗議するように睨み上げる。
「……やりにくいんだけど?」
「お疲れのようですから、紫さんは何もしていただかなくて構いませんよ?」
意味がわからず見つめ返すと、紫の前髪を掴むように伸ばされた手が、ソファの縁から落ちそうなほどに頭を端に寄せさせる。
額を押され、喉を晒すような体勢はそれだけで苦しいほどなのに、反るほどに充血したものは緩く開いた唇を割り、上顎を擦りながら中まで入り込んできた。
催促するように力を籠める手に応えようと舌を動かしてみるが、呼吸を妨げるほどに深く銜え込まされ、反射的に押し戻してしまいそうになる。
「息は鼻で吸って口から吐くんですよ」
黒田は簡単げに言うが、そうしている間にもいっそう容積を増してゆくものに塞き止められ、悪態を吐くこともできない。
視線を上げて息苦しさを訴えると少し引き出されるが、またゆっくり奥まで入ってくる。
えづきが絶え間なく襲い、大量の唾液が溢れても、黒田は緩やかに腰を使うことをやめてくれなかった。
次第に息が吸えなくなり、焦点がぼやけ、気が遠くなってくる。
なんとか唇を外そうと首を振り、手の届く範囲をタップしてみても、黒田の膝に挟み込まれた肩は自由にならず、解放されることはない。
強く奥を突かれ、窒息させられてしまいそうな恐怖に止めを刺したのは咽を打つ迸りで、その熱さを感じたところで意識が途切れた。




背を叩かれ、気付けば黒田の胸に凭れかかるように腕に抱かれていた。
何か言おうと思うのに、痛む喉から洩れるのは掠れた喘ぎだけで、声にならない。視界がぼやけている理由もわからず、答えを求めて黒田を見上げた。
「大丈夫ですか?」
心配げな声色に、曖昧に首を傾げる。
おそらく一瞬落ちただけだろうと思うが、実際のところはわからない。
「すみません、あまりに気持ちが良かったので途中で加減ができなくなってしまいました」
強く抱きしめられ、素直に頭を下げられても、息苦しさと強引な行為の身勝手さを思うと怒りがこみあげてきた。
責めるつもりが、やはり声は上手く出ない。
「水を取ってきます」
言いながら、黒田はそっと紫の体をソファに預けて立ち上がった。
不快さに手をやった口元や顎はベタベタしていて、襟元を開かれたシャツまで濡れている。唾液と、おそらくは黒田の放ったもののせいだと気付いても、どうにかする元気はない。
紫が眉を顰める理由を察してか、ペットボトルと濡らしたタオルを持って戻ってきた黒田は、ぐったりとソファに凭れたままの体を再び腕に抱きよせた。
「先に拭いておきましょう」
頬の辺りへ触れたタオルは、唇を撫で、顎を拭って首筋へと降りてゆく。
「美人は泣き顔まで綺麗ですね」
ペットボトルの水を紫の手に持たせながら、ささやくような黒田の声は満足げで、まさかと思いながら自分の目元に手をやって、濡れていることに気付いて愕然とした。
いい年をして人前で涙するなど、いくらそれが生理的なものであったとしてもショックだった。
それに、黒田は寧ろ普通顔のほうが好みだと聞かされているのだから、褒め言葉と受け取ることはできない。

黒田の手に助けられながら水を一口含んだが、飲み込むのは困難だった。先の行為で傷付いたのか、咽喉が引き攣れるように痛む。
時間をかけて嚥下したあとも違和感は消えなかったが、何とか声を出す努力をしてみた。
「……帰る」
頭を上げようとしたつもりが、くらりと揺れて、また黒田の胸に戻る。
黒田の片腕は紫の首の後ろを支えるように回されたまま、もう片方の手は半ば開いた胸元を撫で上げた。
濡れた顎を舐め、ゾッとするほど静かな声が、紫を追い詰める。
「まだそんな元気があるんですか……それなら、足腰が立たなくなるまで抱いてあげますよ」
ただの脅しではなく、この男なら本気でやりかねないと知っている体が震え出す。
「イヤだ、も、何にも、ムリ」
小さく首を振りながら、切れ切れの言葉で拒否を伝えると、強靭な腕が紫の体をきつく抱き寄せた。
「それなら、おとなしく私の腕の中でいてください」
「ヤだ……ディープ・スロートなんてさせるような奴の傍にはいたくない」
これ以上何かを求められたら、体より精神がもたなくなってしまう。
好きな男の望むことなら何でも叶えてやりたいと思ってはいても、黒田の要求は紫のキャパを超えてしまっている。近いうちに、紫の手に負えなくなることは明らかだった。
宥めるように、大きな手のひらが髪を撫で、背をあやす。
「もうしませんよ、泣き顔まで見られるとは思いませんでしたし、満足しました。今晩も泊まってゆくなら、今日のところは許してあげます」
黒田の欲求は満たせたのかもしれないが、紫にとっては昨夜以上に苦しく屈辱的な夜だった。
本気で身の振り方を考えさせられるほども。


シャワーを済ませてベッドに潜り込んだあとは、目覚まし代わりの携帯のアラームが鳴るまで、夢も見ない深い眠りを貪った。
どうあっても逃がす気はないと言いたげな、息苦しいほどに強い腕の中で。



- ドメスティック.Y(2) - Fin

【 Y (1) 】     Novel     【 Y (3) 】


2009.12.16.update

いつになくシリアスな(?)展開でちょっと疲れました……。
今話は最後までこういうテンションで行くことになると思います。