- Someone else like me(6) -



そっと、南央の頭を抱くように回されていた腕が抜かれたことで、俊明が目を覚ましたことを知る。
腕枕をされている間ずっと体は向き合っていたのだったが、南央が顔を伏せていたからか、二人が接近し過ぎていたからか、南央が起きていることには気付かないようだった。
優しい指が髪を梳き、頬を撫でる。
これでキスでもされれば飛び起きてしまうところだが、いつものことながら、俊明の指からセクシャルなものは感じられなかった。
「ナナ」
そのくせ、抑えめの声は甘く耳朶をくすぐり、南央の鼓動を不自然に逸らせる。確か、目が覚めるまで寝ていて構わないと言っていたはずなのに、俊明は、自分が目を覚ますと早々に南央を起こそうとしているようだった。
少し迷ったが、いつまでも寝たフリを決めこむのは無理だと悟り、ゆっくりと瞼を開いて、声の方を向く。
「おはよう、ナナ」
「……おはよ」
実際には南央は疾うに気が付いていたのだったが、さっきまで眠っていたような顔をして、ごく近い位置にある俊明の顔を見つめた。
「起こさない方が良かったかな?」
眠そうな素振りを見せるまでもなく南央はぼんやりとして見えるようで、まだ寝惚けていると思われているようだった。
「……もう起きるの?」
「そうだね、僕は起きようと思うけど、ナナはどうする?」
睡眠は足りていなかったが、寝直すわけにはいかなかった。うっかり眠ってしまえば、早起きし過ぎた南央が次に目を覚ますのは夕方かもしれない。
「俺も、起きる」
南央の返事に、俊明は満足そうに笑って体を起こした。



「やっぱりサポだったりする?」
出掛けた先で、南央が目に留めた靴を買ってくれようとした俊明は、その一言にひどく衝撃を受けたようだった。
そんな深い意味で言ったわけではなく、まだ最初の5万も返していない南央としては、これ以上は俊明に払わせたくないと思っただけだったのだが。
真面目な俊明は、援交紛いだと思われるのは心外なようで、その後もしばらく気にしているように見えた。
「……次は木曜?」
別れの時間が近づくにつれて南央は焦り始め、またしても自分から次の約束を催促してしまっていた。
いくら突然来てもいいと言われてはいても、タイミングが合わなければ会えないわけで、そうこうするうちに疎遠になってしまうのではないかと、つい悪い方へ悪い方へと考えが向かってしまう。
「決めておいた方がいいかな?」
「うん」
俊明は約束を反故にするようなタイプではないから、明確な予定を入れておけば会えなくなるということはないような気がした。
「僕の都合に合わせてくれるんなら、木曜と日曜がいいかな。他の日は終わる時間が一定していないから遅くなることもあるし、土曜は出勤になることが多いからね」
その自由になる日を南央のために空けておいてくれるのは嬉しいが、週に二日では足りないと思うのは我がままだろうか。
「それまでに会いたくなったら、連絡していいの?」
「いいよ」
優しげな笑顔で頷きながら、俊明は南央に釘を差しておくことを忘れなかった。
「毎日というわけにはいかないけどね」
「……うん」
あからさまに落胆する南央に、あまり頻繁だと勉強に差し支えるといけないからと、大人らしい言い訳を続けた。
急いてはいけないと自分に言い聞かせながら、そのためにも南央が安心できそうな言葉をねだってみる。
「……また泊まってもいい?」
「僕は構わないけど、そう頻繁に外泊というのはどうなのかな?」
「うちは大丈夫だから。ちゃんと親の了承もらってるし」
「だとしても、休日の前だけにしておこうか。お互い、ケジメが大切だからね」
“お互い”というところに少しだけ救われたような思いで、南央は俊明の提案に同意しておいた。





落ち着いて考えてみれば、二度の離婚暦があり、グレードの高そうな3LDKのマンションに住むような男が、二十代前半ということはまずないだろうということに気付く。
腕枕にしても、俊明に触れられることはないと思い込んでいただけに驚かされたが、二度も結婚していた大人の男からすればごく自然な流れだったのかもしれない。眠りの中で俊明が腕に抱いていたのは南央ではなかったのだろうし、少なくとも、あと1年10ヶ月の間はその人の代わりにもなれないのだから。
携帯電話を開いたままそんなことを思い、操作しかけた指を止める。やっぱり、南央の方から会いたいとは言いたくなかった。
「芝?彼女とあんまり上手くいってないのか?」
先日のような揶揄まじりではなく、心配げに声をかけてくるのは隣席の長沢で、そんな気を遣わせてしまうほど深刻な顔をしていたのかと思うとまたヘコみそうになる。
「そうじゃないんだけど……俺じゃ“食われそう”にないなあって思うとつい」
学食から戻ったばかりで“食う”という喩えもどうかと思いながら、先日の話をなぞるために敢えてその表現を選んだ。
「なんだ、そんなぐらいでヘコむなよな。俺ら相手もいないのに、芝は彼女がいるだけでも有難いって思え」
「そうなんだけど……なんか、俺は対象外みたいでちょっと」
「芝の彼女って何歳?ちょっと年上くらいで対象外ってことはないだろ?」
いつものように、後ろの席から身を乗り出して庄野が話に入ってくる。その鋭い読みに、南央は投げやりに答えた。
「……俺の倍くらい?」
「倍って……ウソだろ、そんなオバサンなのか?」
異常なほどに驚いたのは長沢で、ありえない、と言いたげな顔をする。
「オバサンじゃないけど……」
見た目若いしカッコイイし、と胸の中だけで続けた。
「それなら対象外なのも仕方ないよな……ていうか、相手より俺のが微妙」
長沢の否定的な態度に、庄野は普段は穏やかな目元を眇めた。
「見てから言えよ、すごい美女かもしれないんだし。それに、その人は芝が育つの待ってるんだろ?」
「たぶん」
後半の、気遣わしげな言葉を一応肯定しておく。2年後もつき合っていたらという前提での話でしかなくても。
「あれだよな、なまじ相手がいるだけにキツイんだよな。芝、思い切って“お預け”無視して襲いかかってみれば?案外、何とかなるかもしれないぜ?」
何とかどころか、一瞬で破局してしまいそうだ。
苦笑する南央の頭に、庄野の手のひらが置かれる。俊明のように骨ばってはいない、洋輔のようにごつくもない、成長途中の曖昧な手だ。
「芝は可愛いから、泣き落とすとか?」
南央の戸惑いを置き去りに、無責任な言葉が羅列されてゆく。
いつの間にやら、どうやって“落とす”かという話にすり替わってしまったようだ。
あまり参考にはならない空論に適当に相槌を打ちながら、平和な昼休みを過ごす。
本当は洋輔に相談したいと思いながら、また“試そう”と言われたらどうしようと迷っていたのだったが、身近な友人たちのおかげで南央の気は十分に紛れたようだった。





「まさか、ナナが払うとか言わないだろうね?」
テーブルの端に置かれた伝票に伸ばしかけた手を、長い腕に止められた。
会う度にお金を使わせていることは、少なからず南央を心苦しくさせている。未だに最初に出してもらった授業料を返していないことも、その一因となっていた。かといって、返す理由をどう説明すればいいのか思いつかず、常に財布に入れて持ってはいるものの、きっかけが掴めないまま日にちばかりが過ぎている。
「……たまには、俺が払ってもいいと思うんだけど」
せめて、こうして会うときの食事や買い物に費やす金額の幾らかでも南央に払わせてくれたらと思うが、俊明に困った顔をさせてしまうことにしかならなかった。
「僕は大人で社会人だからね、僕が出すのは当たりまえなんじゃないかな?」
「それってサポじゃないの?」
そういう言い方を俊明が嫌悪しているとわかっていても、言わずにはいられない。違うと言うなら、南央をもう少し一人前に扱ってくれてもいいと思う。
「おかしな意味じゃなく、大人とつき合う以上、こういうものだと思ってくれないと困るよ」
途方に暮れている、と言っても過言ではないくらい俊明は戸惑っているようで、もし南央が反論を続ければ、それならもうつき合えないと言われてしまいそうな気がして、言葉を飲んだ。
「……ごめんなさい」
「きみも男の子だしね、気にする気持ちもわからないわけじゃないよ。でも、これだけ年が開いてるんだし、僕に花を持たせてくれないかな?」
どう言えば南央を傷付けないか思案してくれているのだろうということはわかる。それだけに、釈然としない気持ちを訴えることはできなかった。
いっそ、5万円分の品物を買って渡すということも考えたが、俊明が喜ぶものがわからなかった。仮に、何がいいか尋ねたとところで、南央が義母から授業料を貰ったことを知らない俊明は、きっと安価なものしか答えてくれないに決まっている。
ふと、俊明が金銭面でやや世間ずれしているようなところがあるのは、もしかしたら資産家の息子だからなのではないかという疑念が過った。
両親が離婚して、その原因を作った父がそれなりの慰謝料と養育費を母と姉妹たちに支払うために、今の南央の家はあまり余裕がある状態だとは言えない。自ら進んで入りたかったというわけではない私立の学校は、成績が優秀というよりは経済的に恵まれた生徒が多く、南央が馴染みきれないのはそのせいでもあった。
「ナナ?」
軽く肩を押す手に我に返る。
俊明が会計を済ませたことに気付いて、慌てて“ごちそうさまでした”と頭を下げて出口へと向かう。
いつまでも物思いに耽っているわけにもいかず、俊明の年齢的にはそんなものなのだろうと、先の思考を結論づける。
「わ……っ」
意識が散漫になっていたせいか南央の足元は疎かで、店の前から伸びたアプローチと歩道との僅かな段差に気付かず、躓き転びそうになった。
それを回避させてくれた腕は、しっかりと南央の腰の辺りを抱き止めてくれたが、体制を立て直させるとすぐに離れてしまった。
はずみでもいいから抱きしめられたいと、一瞬でも望んでしまったことを咎められたような気がして、失望が胸に広がる。南央では駄目なのだと、少なくとも今は身代わりにもなれないと、わかっているつもりだったのに。



帰る、と言いかけた南央より一瞬早く、俊明が口を開く。
「ナナは思っていた以上に細くてびっくりしたよ。思わず力が籠もってしまったけど、大丈夫だったかな?」
「え……あ、うん」
「肩幅も狭いし体も薄いし、強く抱いたら折れてしまいそうな気がするよ。こんなに華奢な男の子はそういないだろうね」
そっと、大きな手のひらで包むように肩を促され、どうやらそれは俊明の好みに添っているという意味らしいと気付く。このまま成長が止まれば俊明のタイプでいられるのなら、もう背も伸びなくていいと思ってしまうほど。
並んで歩き始めると俊明の手は離れ、二人の体はまた触れ合わない程度の距離を保つようになってしまったが、先の不安は解消されていた。
「ごめん、ナナ、ちょっと待ってくれるかな?」
不意に、俊明が足を止め、歩道の端へと避けた。
携帯電話を耳元に持ってゆく仕草で電話がかかっていることを知り、その応対で俊明の母親からのようだとわかる。
さりげなく距離を取る間にも、特に声を潜めるでもない俊明の話は南央の耳に入ってくる。
「日曜はだめなんだよ。土曜なら……そうだね、休出がかからなければ」
日曜はだめだと言う理由が南央のためかもしれないと思うと、勝手に頬が緩む。
聞くともなしに耳が拾う会話の、“タカアキ”という名前は俊明の弟のことらしく、最近まで同居同然で面倒を見ていたと言っていたことを思い出して、俊明の年齢的に弟というより子供みたいな感じなのかもしれないと思った。
「ナナ?ごめん、待たせたね。この後はどうしようか?うちに来るにはちょっと遅いかな?」
長い脚は、ほんの数歩で南央の隣へと追いついてくる。
会ったのが7時で、食事に1時間ほど費やし、一緒に居られるのはあと1時間といったところだろうか。できれば9時か、遅くとも10時には家に帰したいと考えているらしい俊明が、今日に限って融通をきかせてくれるとは考えられない。
「俺はどこでも……でも、あまり駅から離れると面倒でしょう?」
店を出たときにも行き先は確認していなかったが、駅の方へ向かっているのだと思っていた。
通勤に車を使っていない俊明と会うのはいつも、南央の利用する路線への乗り換えの駅の傍で、だから食事や買い物もその近辺を利用することが多い。南央としても、一人で電車で帰すのは心配だという俊明の手を煩わせないためにも、あまり遠くへ行かない方がいいように思えた。


「何だか、ナナは今日は素っ気無いね」
ため息のように吐き出された言葉からは、俊明の言いたいことは掴めない。ケジメを推奨しているのは俊明で、従うしかない南央が何を言っても無駄だというのに。
「でも、今から俊さんの所に行ってもすぐに帰らないといけないし」
自然には触れ合わない距離を縮めて、俊明の手が南央の肩に伸ばされる。立ち止まって向き合う二人は、周囲からはラブシーンでも始めそうに見えるのではないかと落ち着かなくなってしまう。
「ナナは帰りたいの?」
「え……だって、明日は平日だし……」
ついこの間、休日の前の日しか泊めないと言われたばかりで、俊明が南央に何を言わせたいのかわからない。
「ナナは真面目だね。それとも、恋愛にのめり込むタイプじゃないのかな?」
「真面目ってほどじゃないかもしれないけど、決められたことは守るよ?別れるって言われたくないし」
「きみがドライだっていうことを忘れていたよ。もう少し我儘を言ってくれたらいいのに」
俊明の要求は矛盾していて、南央には意味不明だった。南央の望みはキスひとつ許されないのに、叶えられないと知っている願いを口に出す意義が見出せない。
「言っても、俊さんを困らせるだけでしょう?」
「……確かに、僕は少し自分をセーブしていたよ。きみのような若い男の子とつき合うのは初めてじゃないからね」
その相手とは制限をつけない恋愛をしていたのだろうし、当面は南央をその後任に据えるつもりはないのなら、一線を引かれるのは仕方のないことだと思う。
「気にしないで。待つって言ったの俺だし、急かそうと思ってないし」
「そうじゃないよ、ケジメをつけられないのは僕の方なんだ」
「……え?」
「ナナからは電話もくれないし、うちに来たいとも言わないし、会って1時間でもう帰ることを考えているようだし……僕は大人じゃいられないよ」
思いもかけない言葉はすぐには理解できず、南央は呆然と俊明を見上げた。
その胸元へ、もっと近づいてもいいのか迷う南央を引き寄せようとするみたいに、肩を包む手のひらに力が籠もる。
「まだ帰したくないけど、だめかな?」
囁くような甘い声に抗えるはずもなく、南央は今日も俊明の家に泊まることになった。



- Someone else like me(6) - Fin

【 Someone else like me(5) 】     Novel       【 Someone else like me(7) 】  


どうでもいいことなのですが、俊明の弟は貴明(たかあき)と命名されました。
他のお話を読んでくださっている方にはバレバレかと思いますが、親から一文字ずつもらっています。