- Someone else like me(5) -



うだうだと南央が迷って行動を起こせないでいるうちに、俊明の方から会う場所と時間を知らせるメールがあった。
文面は決して硬くなかったが、恋人へのメールというよりは友達か身内に宛てたような飾り気のないもので、南央の疑惑を更に深めることになっている。
まだつき合い始めたばかりだというのに、先走る不安と特別扱いをしてくれない物足りなさで、土曜の夕方までを鬱々と過ごすことになった。
それでも、俊明に会って顔を見るとモヤモヤは嘘のように飛んだ。穏やかで優しい表情を、今は南央にだけ向ける大人の恋人。視線を交わして優しく微笑まれれば、つき合うと言った言葉は嘘ではなかったと思えてくる。
気持ちが落ち着いたからか、夕食がコース料理だったせいか、取りとめのない会話をしながらの食事は思いのほか時間がかかり、俊明のマンションに着いたのは8時を大分回っていた。
日中閉め切っていたらしい部屋は蒸し暑く、先に入った俊明がすぐに窓を開けて空気を入れ替える。
「俊さんて家事が好きなの?ていうか、得意?いつも部屋がキレイだよね」
今日は南央が来ることが予めわかっていたというのもあるのかもしれないが、俊明の家はいつ来ても片付いている。土曜まで出勤になるほど忙しい独身男性が、そこまで手が回るのだろうかと訝しんでしまうほども。
俊明はスーツの上着だけを脱ぐと、南央をソファに促し、並んで腰掛けた。僅かな間と、読み取れない表情に迷いを孕んでいるような気がするのは南央の思い過ごしだろうか。
「家事は嫌いじゃないけど、そんなに手を入れていないよ。たぶん、あまりこっちにいなかったから汚れてなかったんじゃないかな」
家に帰らない理由を不躾に尋ねそうになるのを堪えて、無難な言葉に変える。
「仕事、そんなに忙しいの?」
「そうでもないよ。仕事とは関係なく、実家の方に居ることが多くてね」
「えっと……ここで暮らしてるわけじゃなくて、普段は実家に住んでるとか、そういうこと?」
男の一人住いにしては広すぎるここは、もしかしたら結婚生活を送っていた場所で、近いうちに解約する予定だとか、逆に解約できない事情があってそのままにしているとか、想像は際限なく暴走してしまう。
「つい最近まで、それに近い感じだったかな。僕には年の離れた弟がいるんだけど、まだ1歳にもなってなくてね。母も若くないし、できるだけ手伝おうと思って、しょっちゅう実家の方に行ってたんだよ」
若くないといっても子供を産めるくらいの年齢の親なのだから、俊明も南央が思っているほどの年齢ではないのかもしれない。相手の方から言わないことを聞くのは躊躇われ控えていたが、やはり確かめておきたいと思った。



「俊さんて、何歳か聞いていい?」
「ひと月前に30歳になったところだよ」
構えるでもなく答える顔を、ついまじまじと見つめてしまう。
「……ウソ」
「本当だよ。ナナは僕をいくつだと思ってたの?」
「25、6歳くらいかなって」
それさえも、さっきの話を聞いてもっと若かったのだろうかと考えたほどなのに。
「おじさん過ぎて引いた?」
「それはないけど、ちょっとびっくりした」
俊明の母親の年齢も気になったが、俊明の弟をかなり高齢で産んだとか、或いは俊明を産んだのが相当若い時だったとかだとしたら、そう珍しいことではないのだろう。
「最初にきちんと言っておくべきだったかな?僕は年齢より若く見られる方だから、ナナにもそう見られているかもしれないと思ってはいたんだけど」
「ううん、俺は俊さんがいくつでも気にしないし……それより、俊さん、ここにはもう住まないの?」
だから初対面の南央を部屋に上げてくれたのだとしたら凄くショックだ。親しさの度合いは一気にダウンしてしまう。
「そんなことはないよ。これからは実家に行くのを控えようと思っているからね」
どうして、と尋ねてもいいのかわからず、首を傾げるようにして俊明を見る。
目が合うと、俊明の手が南央の頬に伸びてきた。
「向こうに居ると、もしナナが急に来てくれたとき困るからね」
それは、突然来てもいいということだろうか。
「約束してなくても来ていいの?」
「いいよ。でも僕は帰るのが遅くなる日もあるし、待たせたくないから先に電話を入れてくれるかな?」
それでは“急に来た”とは言わないのではないかと思ったが、余計なことは言わずに頷いた。
南央はまだ俊明が普段何時に帰っているのかも知らないし、こちらには帰らない日もあるのなら、いきなり来るのは無謀だということなのだろう。帰って来るにしても、もし俊明の帰宅が初めて会った日のような時間になったら、待つには長過ぎる。
頬の手が首筋を撫で、後頭部へと回ってゆく。軽く力を込められて、俊明の肩の方へと引き寄せられる。
戯れるように南央の髪に触れる指先は優しく、先日の洋輔みたいにがっついた感じはなかった。それが大人の余裕なのか、そもそも南央では欲情させることもできないのか、どちらにしても歯痒い。
されるがままに預けていた体を、もっと俊明の方へ寄せようとしたとき、髪に絡んでいた指が解かれた。
「ナナはお風呂に入ってきてるようだし、僕も行ってきて構わないかな?」
「あ、うん」
そんなことまで気付かれていることに驚きながら、立ち上がる俊明を見上げる。
「退屈なら先に見ていて構わないよ?」
テーブルに置かれた、帰りに借りたレンタルのDVDのタイトルを思い返す。時間をつぶすためではなく、後で俊明と見るために、より効果的な一枚を選んでおこうと思った。




俊明の肩に凭れるようにして、ぼんやりと画面を眺める。
興味のないものを選んだわけではなかったが、今は映画の筋より、俊明の横顔を盗み見たり体温を感じたりしている方がよほど有意義に思えた。
目で追っていただけの画面の中はいつしか色っぽい雰囲気に満ちて、今にも女優の白い背中が露になろうとしている。女性に感じるところのない南央には不都合はないが、俊明はおかしな気分になったりしないのだろうか。
それとも、大人の俊明はこんなものを見たくらいで触発されることはないのかもしれない。
落ち着き払った俊明とは違い、男優の目線がこちらに向けられると、南央はまるで自分が欲しがられているみたいな錯覚を起こしそうになった。熱っぽく見つめられたまま押し倒されたら、何も考えられずに全て許してしまいそうだ。
こんな風に性欲を刺激するには何が必要なのだろう。今の南央には色気の欠片もなく、小細工を弄するような経験値もない。
ちらりと俊明を窺ってみたが、映画に没頭している風ではなく、南央に気を取られるでもない、少し引いたような感じはいつもと変わらなかった。
「……キスするのも、だめなの?」
口をついた問いは、自分でも思いがけなく。
至近距離で見つめる南央に、俊明は小さく笑った。
「こういうのを見ると、そういう気分になる?」
「見なくてもなるけど……“清い”って、どこまでならいいの?」
つい問い詰めるような口調になってしまう南央に、俊明は真面目に答えを考えてくれたようだった。
「そうだね。どこかにラインを引いておかないと、気が緩んで箍が外れてしまうといけないかな」
「……外れた方がいいのに」
「ナナ?」
窘めるような声音が、南央にはもどかしく腹立たしかった。
「俊さんてすごくきちんとしてるみたいだけど、俺くらいの頃もそんなに真面目だったの?」
「僕がナナくらいの頃は今みたいに厳しくなかったからね。それに、お互い未成年なら罪に問われるということもないだろうけど、僕は大人だからね」
「そっか……年上でも、もっと年が近い人なら問題ないんだ」
何気なく呟いた言葉に、俊明の表情が厳しくなる。
「冗談でもそういうことを言わないでくれないかな?他の人もだめだよ、きみはもう僕とつき合ってるんだからね」
「でも、俺、この間も友達にセマられたし、そのうち好奇心に負けてしまうかも」
わざと煽るような言い方をしてみても俊明は困ったような顔をするだけで、それは、取られるとか先を越されるとかいったような危機感とは違ったもののように思えた。
「ナナが自分で断れないなら、僕が出向くよ?」
まるで保護者のような、 心配げで生真面目な態度も、とことん融通がきかない性格のようだと諦めるしかないのかもしれない。できれば最初に恋愛する相手は俊明がいいと、選んだのは南央の方だったのだから。
「そんな大げさな話じゃないから。ノンケの奴だし、ちょっとふざけてただけだし」
「本当に?」
「うん。俺がしっかりしてれば大丈夫」
「それなら信用しても大丈夫かな?ナナはしっかりしているから」
南央にとっては褒め言葉ではなかったが、反論して気まずくなるよりは笑って流す方を選んだ。



最初にかけた映画が終わり、次を尋ねられると、南央は少し考えてしまった。
「……俺、途中で寝てしまうかもしれないけど、いい?」
本音を言えば、南央の瞼は既に怪しくなってきていて、多少の無理をしても俊明につき合ってDVDを見た方がいいのか、明日に備えて早く眠れるようにした方がいいのか、判断に迷っている。
「眠いんなら、やめておこうか?」
「眠いってほどじゃないけど……明日は何時に起きたらいいの?俺、寝るのが遅くなると、朝起きれないかも」
「出掛けるなら、あまり遅くならない方がいいかな……ナナ、どこか行きたいところはある?」
「特にないけど……」
二人で出掛けるということは“デート”にあたるのではないかと思うと、急に恥ずかしさを覚えた。つき合うという経験のなかった南央には思い至らなかったが、よくよく考えてみれば、二人で会っている今も“おうちデート”とかいうやつのはずだ。
「ナナくらいの年齢ならテーマパークとかの方がいいのかな?」
「え、と……俺、人が多いところはちょっと……絶叫系とかも苦手だし」
未成年の南央とつき合うことに、俊明が用心深くなっているとわかっているのに、あまり目立つ場所には行きたくなかった。そうでなくても、いかにもデートというような展開になったら、南央は緊張して変な態度を取ってしまいそうだ。
「出掛けるのは気が進まないかな?」
「そんなことはないけど……前に、買い物につき合うとかいう話が出たよね?俺、そういうのの方がいいかも」
それは南央に援交を迫られた際の、俊明の苦し紛れの提案だったのだが。
「じゃ、そうしようか。遠出をするわけじゃないなら、ゆっくりしても大丈夫だね。ナナはいつもは何時くらいに寝てるの?」
「大体11時くらい?でも、10時前に寝ちゃうこともあるし、12時回るときもあるし、日によって違うけど」
「起きるのは何時?」
「学校の日は7時前だけど、アラームをかけてないと目が覚めないかも」
「じゃ、目が覚めるまで寝ていようか」
つまりは、やっぱりDVDを見ることにするという意味らしく、俊明は次のディスクをセットするために、一旦南央の傍を離れた。
こんなことなら昼寝でもしておけばよかったと悔やみながら、なんとか欠伸をかみ殺す。
あとは海外ドラマのシリーズが3枚残っているはずだったが、俊明は全て今晩見るつもりなのだろうか。
南央の傍に戻ってきた俊明に、また頭を抱くように引きよせられる。
程度はともかく、俊明はスキンシップは嫌いではないようで、つき合うことになってすぐから、南央の頭や肩に触れることに躊躇いはなかったように思う。
起きていようと決めたばかりなのに、心地よい胸に凭れていると眠気は増すばかりで、自然と目が瞑ってくる。
本編が始まらないうちにもう、南央の瞼は開くことを諦めてしまった。


目が覚めたとき、南央は俊明の腕の中にいた。
いつの間にかベッドに移っていることに気付いて、離れようとした体が思いがけず強い力で引き止められる。
この間はベッドから追い出すと言っていたくらいなのに、この密着ぶりはどういうことだろうか。
「……ゆい」
ささやくような微かな声が、誰かの名前を呼ぶ。
女性名のような響きだったが、写真の人のことだと直感的に思った。
おそらく、眠りの中で俊明がその人と南央を混同しているのだろうということは、経験値が浅くてもわかる。あの写真の人と南央は、細身なところや抱き心地が似ているのかもしれない。
ただ、肩や頭でなく体を抱きしめられるのは初めてで、それが俊明の未練のせいだとしたら複雑だった。
息苦しいのは抱擁のせいだけではなく、抜け出すことの無意味さはついさっき体感したばかりだ。
最初から、俊明の胸には他の誰かが住んでいるとわかっていて口説いたのだから、こんな気持ちになる方が間違っているのだろう。
夜明けまではもう少し間がありそうだったが、もう一度眠れそうな気はしなかった。



- Someone else like me(5) - Fin

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