- Someone else like me(4) -



俊明には言い出せずにいたが、南央の授業料の行方は家に帰ってから判明していた。
失くしたと思い込んだ南央が自力で何とかしようと画策し、外泊すると連絡していたために真相を知るのが遅れてしまったが、いわゆる封筒分けという家計管理をしている義母が、間違えて予備の空封筒を渡していたというのが騒動の真相だった。
自分のミスをひどく気にする義母に、もう払い込んで貰うよう頼んでしまったと言うわけにもいかず、まだATMに行っていなかったような顔をして授業料を受け取った。
もちろん、そのお金は俊明に返すつもりでいたが、完済してしまえば関係が終わってしまうと思い、俊明と約束した回数分会ってからにしようと考えていた。
まさか、つき合ってくれることになるとは思ってもみなかったから、事の顛末を話すタイミングを迷っている。
「……眠いの?」
かろうじて耳が拾った問いに、ハッとして顔を上げる。
親睦を深めようと思いつくままに互いのことを話していたはずが、いつの間にか南央は自分の思いに没頭してしまっていたらしかった。
「寝てしまう前にお風呂に入っておいで」
初めての日と同じ台詞だと思いながら、南央は広い胸に凭れかかったまま、億劫な体を起こす努力をする。
「ナナ、今日は一緒に寝ようか?」
低めた声に囁かれ、悩みは一瞬で吹き飛んだ。
「ほんとに?」
驚いて身を起こした南央に、俊明はさも可笑しそうな顔をする。
「目が覚めた?」
「……嘘?」
南央があからさまに落胆したからか、俊明は急いでそれを否定した。
「嘘じゃないよ。でも、僕の寝込みを襲ったらベッドから追い出すからね?」
到底、南央の手に負えるとも思えない大人の大柄な男に悪戯っぽく釘を刺されて、リアクションに困ってしまう。
早く、襲うとか誘うとか出来るようになりたいと思いながら、今度こそ立ち上がる。
「俺、先にお風呂借りますね。なんか、頭が上手く働かなくなってるみたいだから、ちょっと覚ましてきます」
「ナナ、もう堅苦しい話し方はしないで欲しいんだけど?」
「あ、ごめんなさい。気を付けます」
それがもう違っていると、指摘されなくても俊明の顔に書いてある。
これ以上失敗を繰り返してしまわないうちに、南央は風呂場へと急いだ。




南央と入れ違いで風呂に向かった俊明に、先に寝室に行っているように言われて、躊躇いながらドアを開けた。
入って正面には天井まである大きな窓、側面の壁には作り付けのキャビネットに間接照明、そちらにヘッドボードを向けて置かれた、おそらくは規格外の大きなベッド。枕はひとつしかなかったが、淡い茶系のベッドスプレッドに覆われたそこは僅かも乱れていない。
まるで普段は使っていないみたいに整えられた部屋はホテルかモデルルームのようで、手入れをする誰かがいるのではないかと疑いたくなるほど。
気後れしながら上掛けを捲り、ベッドに浅く腰掛ける。何もしないという前提があっても、俊明の傍で一夜を過ごすことになるのだと思うと、鼓動は自然と高鳴ってゆく。
物心ついてからの南央は親とも姉妹とも一緒に眠った記憶がなく、誰かと同じベッドに入るということ自体に不慣れで、考えるほどに落ち着かなくなった。
手持ち無沙汰と好奇心から、ベッドの上部にある引き出しを開けてみる。
何ヶ所か覗いてみたが、特に俊明を困らせられるような楽しげな収穫はなく、寧ろ南央のテンションを落としてしまいそうな、薄いアルバムを数冊、見つけてしまった。
一番上の一冊を、躊躇いながら手に取り、おそるおそる捲ってみる。
最初のページに貼られているのは、中性的で線の細い、二十歳ぐらいと思しき人だった。写真が苦手なのか、やや硬い表情で儚げな笑顔を向けている。おそらく、俊明の好みのタイプというのはその人のことだったのだと、微かな胸の痛みと共に得心がいった。
外見だけなら南央も写真の人に近い優しげな面差しで、俊明がその相手に今も気持ちを残しているのなら、あまり喜ばしいことではないような気がする。そうでなくても、南央が許容範囲に入っているのは発展途上の今だけ限定かもしれないのだから。
その写真を暫く眺めてから、そっと閉じた。後ろのページも、他の数冊も、もう見てみる気にはならなかった。
慎重に元に戻し、そっと引き出しを押し込む。
今は誰とも深くつき合う気はないと言っていたのは、こういう理由だったのだろう。それを承知でゴリ押ししたのは南央で、ショックを受ける方が間違っているのだと、自分に言い聞かせる。



ドアの開く音に、反射的に腰が浮いた。
「ナナ、待っていてくれたの?」
眠たがっていた南央が疾うに睡魔に負けていると思っていたのか、枕を片手に部屋に入って来た俊明は少し驚いたような顔をしている。
言いようのない不安が、考えるより先に言葉になった。
「あ、あの……次は、いつ会えるの?」
傍まで近付いて来た俊明に促され、ベッドに並んで腰掛ける。俊明の口元に浮かぶ笑みの意味が読めず、確かめるようにじっと見つめてしまう。
「日曜はどうかな?ナナが泊まれるなら、土曜の夜からでも構わないよ」
「俺は大丈夫。じゃ、また土曜に来ていい?」
「いいよ。でも、今週は出勤になりそうだから、時間は金曜までにメールか電話で決めるということにしてもらっても構わないかな?」
「うん。連絡くれるの待ってる」
次の約束を取り付けたことで、ほんの少し気持ちが和らいだ。
「ナナは明日の朝も僕の時間でいいのかな?」
「うん」
「他に話しておきたいことはない?」
「……うん」
本心では“清いおつき合い”の基準を確認しておきたいと思いながら、この状況で尋ねる勇気はなかった。
「じゃ、そろそろ寝ようか。ナナ、奥に行ってもらっていいかな?」
腹立たしいほどに、俊明の声にも態度にも、恋人と一緒のベッドに入るといったような甘いものは含まれていなかった。
南央がベッドに上がり、奥に詰めるのを待ってから、俊明が隣に並ぶ。ベッドが広いせいか、俊明の基準が厳しいのか、体が触れ合うほどに近付くことはなかった。
こんなに気が昂っていては寝付けないのではないかと思っていたが、ほどよくスプリングの効いたマットは心地良く、穏やかな眠気に誘われる。
今は余計なことを考えるのはやめて、黙って目を閉じた。






まがりなりにも俊明とつき合えるようになったことを単純に喜べばいいと思うのに、時間が経つほどに不安は増してゆくばかりだった。
そもそも、頑なだった俊明がどういう心境の変化で南央とつき合う気になったのかわからない。拙い口説き文句に絆されたとも思えず、リスクを冒してまで南央とつき合うメリットは何なのか、考えるほどに謎は深まるばかりだった。
次の約束にしても、本当に連絡をくれるのか、南央の方から取りとめのないメールでも打っておくべきなのか、携帯を眺めては溜め息をつく。
「芝って、彼女いたんだな」
突然、隣席からかけられた声にドキリとして顔を上げる。
冷やかすような笑みを浮かべて、南央を覗き込むように見ているのは、昨年から同じクラスの長沢だった。
「え?」
「休憩の度に携帯見てそわそわしてるし、ため息ばっか吐いてるし」
「……うそ」
「嘘じゃないって」
少し離れた位置からも、長沢を擁護する声が飛ぶ。同じく昨年に引き続き同じクラスになった庄野で、斜め前の席から身を乗り出すようにして話題に乗ってくる。 南央には、放課後までベッタリ一緒というほど親しい友人はこの学校にはいないが、休憩や移動など学校内では大体この二人と行動を共にしていた。
「な、白状しろよ?そんだけ携帯見てるってことは、この学校の子じゃないんだろ?」
「……まあ」
この学校どころか、“子”でもなければ学生ですらないが、南央の返事は嘘ではない。
「まさか芝に先越されるとはなあ……芝みたいに可愛い系は女子に敬遠されると思って油断してた」
「だよな。芝の彼女、よっぽどの美人?それとも美形好き?」
「美人ていうか、すごく整った顔してる。俺の顔は嫌いじゃないみたいだけど」
まともに答えなくてもいいのかもしれないが、その場凌ぎの嘘を吐くとやがて辻褄が合わなくなってしまいそうで、事実だけを淡々と告げた。



「じゃ、何でため息?上手くいってないってわけじゃないんだろ?」
「上手くいくも何も、まだつき合い始めたとこ。どうなるのか、想像もつかないよ」
やっぱり無理だと言い出すのはきっと相手の方で、そうならないように南央は具体的にどう努力すればいいのかわからず悩んでばかりいる。
「芝って、つき合うの初めて?」
「うん」
「告ったの、どっちから?」
「俺だけど」
「うわ、意外……おまえ、何て言って口説いたんだよ?」
いつの間にやら、問いは尋問に変わってしまったような気がする。そこまで明かす必要はないと思いながら、隠しても追及されるだけだと思い直して簡単に答えておく。
「口説いたってほどじゃないよ。もし特定の相手がいなくて、俺が好みから外れてないんなら、つき合って欲しいっていうようなことを言っただけだし」
「それでオッケーもらえたのか?」
「まあ」
「やっぱ顔か……なあ、おまえの彼女の友達で彼氏欲しがってる子とか、いないのか?」
肩を落としたのはほんの一瞬で、長沢はすぐに気を取り直したように南央に詰め寄った。
「聞いたことないけど……それに、だいぶ年上だし」
「だいぶって、おまえ、年上シュミだったのか?」
「趣味っていうか、俺、年上の優しそうな人がいいなあと思ってたから」
喋りすぎたかと思ったが、二人とも南央の言葉の深いところにまでは気付いていないようだった。
「年上ってことは、俺、そっちまで先越されるのか」
「いいなあ、芝。俺も食われたい」
逆の意味だとわかっていても、“食われる”という言葉にドキリとしてしまう。
「なんか、ホントになりそうでムカツク」
「芝、どんな風だったか教えろよな」
好き勝手なことを言う友人たちに苦笑いしながら、そんなことにならないから、と返す。
せめて、“淫行をはたらくわけにはいかない”という基準が、在学中ではなく年齢ならば、誕生日が5月と早めな南央には幸いだと思えたのに。それでも、あと1年近く先の話なのだったが。




「……というわけなんだけど、洋ちゃん、どう思う?」
迷った挙句、南央は一番信頼のおける友人を訪ねて、俊明との経緯をかいつまんで話した。
南央が私立の学校に進まなければ今も毎日一緒に通学していたはずの、斜め向かいの家に住む幼なじみ、神山洋輔(こうやま ようすけ)。
日に焼けて少し赤みがかった髪に大人びた表情、男っぽく成長し続けている筋肉質な体躯。誕生月では南央の方が半年も早いのに、外見は洋輔の方が幾つか年上に見える。
「ナナが女に囲まれて苦労して育ったから女に興味を持てないっていうところまでは、わからんでもないけど」
そこまで黙って聞いていた洋輔は、複雑な面持ちで言葉を選びながら、南央のカミングアウトの前半部分には理解を示した。
「でも、ウリはダメだ」
短い言葉ながら、籠められた感情の強さは半端なく。
切れ長の目元は普段は穏やかだが、こんな風に間近で凄まれると少し怖い。思わず、並んで座っている洋輔のベッドから腰を浮かせたくなるくらいには。
「わかってるよ。でも、あの時は何とかしなきゃって、それしかなくて。だから、助けてくれたのが俊さんで良かったと思ってるし、感謝もしてるんだけど……してみたいっていうのも本音なんだ」
「それで、“優しそうな大人の男”なのか?」
「うん……俺が本当に“そう”なのか確かめたいっていうのもあるけど、好奇心みたいのもあるし、もし違ってたとしても、酷いことはされなさそうだし」
「それは甘いだろう?所詮、相手はカラダ目当てなんだろうし」
「俊さんは違うよ。卒業するまではしないって言うくらいだし、最初の日もこの間も、その気だったらいくらでも“する”機会はあったんだから」
「だとしても、もしおまえがやっぱり違うと思ったときに止めてくれるとは思えないけどな」
「止めてくれなくていいんだ。一度はちゃんと経験してみたいし。俺が心配してるのは逆の方だよ、本当に俺とやる気あるのかなって」
もう自分の性癖に逆らう気はないし、女性を試してみようとも思わない。それより、もし俊明がただのいい人で、南央に道を踏み外させないためにつき合うことにしたとかいうようなオチだったらどうしようと危惧しているのだった。



「やってみたいだけなら、俺で試せば?」
「え……っ?」
洋輔が何を言ったのか理解できないうちに、肩を掴まれて引き寄せられる。頭の中も、体操服の胸元に押し付けられた視界も真っ白だ。
「俺なら、ナナが嫌がったら途中で止められると思うし、お互い経験値が低いぶん、上手くできなくても気まずくならないだろうし」
「よ、洋ちゃん、俺の頭が理解を拒んでるんだけど……?」
「そんなオヤジに拘らんでも、俺でいいだろ?」
「でも、どうせなら俺を好きな人の方が……洋ちゃん、俺が好きってわけじゃないよな?」
「そのオヤジだって、まだナナを好きなわけじゃないだろ?ただの好奇心なら俺の方がいいと思うぞ?」
「や、それはちょっと違うんじゃないかと……ていうか、洋ちゃん、こういうことには興味ないのかと思ってた」
野球一筋のストイックな男という人物像は、学校が離れて以来せいぜい週に一、二度しか会わない南央の思い込みだったのだろうか。
「興味ないわけないだろ?そりゃ、どっちが好きかって聞かれたらやっぱ女子だけど、俺、たぶん男でも大丈夫だと思う。やることには大差ないんだし。まあ、胸はあった方がいいけど、貧乳の子もいるんだし、大した問題じゃないだろ?」
「それは違うような気がするけど……」
よもや洋輔と試してみようなどとは爪の先ほども考えたことはなく、今にもベッドへ押し倒されようとしている体を必死に堪えた。
それとも、俊明に出逢う前に洋輔に相談していたら、こんな突拍子もない展開も受け入れてしまっていたのだろうか。
「俺には余分なのがついてて、入れるトコも違うってわかってる?」
「……もし無理だったらごめんな?」
微妙に逡巡しながらも、まだ楽天的な態度を崩さない洋輔に、少しきつめに返す。
「そうなったら嫌だって言ってんの。洋ちゃん、男を相手にしたことなんてないだろ?」
「一緒にAV見て擦り合ったことくらいならあるけどな」
「それとは根本的に違うと思うから。勃たないとか言われたら本気でヘコむし、やめといて」
「そこまで言われると自信ないけど」
洋輔が迷っている隙に、腕をほどいてベッドの端まで逃げる。一時的な気の迷いだったのだろうが、今はリーチの届かない距離を保たずにはいられなかった。
「それに、俺、彼氏もちになったって言っただろ?他の奴とすんのはダメだと思う」
「じゃ、あと二年待つのか?」
「しょうがないだろ。まだつき合うことになったばっかだし、そうすぐに結論出すわけにもいかないし」
結局、南央の悩みは、他の誰に相談しても解消することはないということのようだった。



- Someone else like me(4) - Fin

【 Someone else like me(3) 】     Novel     【 Someone else like me(5) 】


☆ちなみに他のアルバムは(前妻の)子供の写真なのですが、
南央は中を見ていないので知らないのです。