- 幸せの後遺症 (4) -



「僕がきみにムリをさせていることは何?毎日抱くこと?隣の彼と会わせたくないと言うこと?それとも、ヒマさえあればきみにベタベタすることかな?」
矢継ぎ早の問いかけに、全てそうだと言うのは憚られ、返事に悩む。
ベッドの端に腰掛けた里桜の横に膝をつき、今にも押し倒しそうな体勢を保ったままの義之は、本当はすぐにでも行為になだれ込みたいと思っているのだろう。
「里桜?言ってくれないとわからないよ?」
そうやって急かすから里桜が追いつめられるのだとまだわからないのか、義之は焦れたように顔を近付けてくる。
「ま、って」
受け入れるためにもう少し“間”が欲しいと、伝えているつもりが聞き入れられたことはなく。
義之の強引さに気持ちはついていっていないのに、体はいつもその甘く優しいキスに簡単に籠絡されて、知らぬ間に全て許してしまっている。
「ん、や……」
今も、胸元を探ってくる手を止めなければと思っているのに、義之に触れられた体は全くといっていいほど里桜のいうことを聞いてくれず、痺れたように動けなくなってしまう。
「本気で嫌がられているようには見えないんだけど、それも僕の都合のいいように解釈しているだけなのかな?」
目を閉じていても、見つめられているとわかるほどの強い眼差しに、抗い切れずに瞼を上げる。
「里桜?」
「イヤなんじゃなくて……もうちょっとゆっくり、俺の都合っていうか、気持ちの準備みたいのを待ってほしいっていうか……」
義之は一瞬、虚をつかれたような表情を見せると、里桜の肩へ額を押し付けるようにして被さってきた。
「そうだね、確かに僕は焦っているよ。新しく思い出すことは何もないのに、日毎にきみへの思いは募るばかりで、僕の中だけに留めておけなくなってる。ちょっと油断すれば逃げられてしまいそうな、でなければ誰かに取られるんじゃないかっていう強迫観念に駆られてしまってね。離れていると不安で、きみと居ても、僕のものだと思えるまで抱いていないと気が済まないんだ」
あまり目にしたことのない義之の弱気に戸惑い、思わず眼下の髪に手を伸ばした。そっと撫でると、ゆっくりと顔を上げる義之の瞳に捕まる。
見つめ合ってしまえば視線を外すことはできず、その感情に引き摺られてしまうのに。

「もっと待った方がいい?」
きっと気付いているくせに尋ねるのは狡いのではないかと思いながら、言葉にできずに目を閉じる。
義之の首へと腕を回す里桜の、耳の後ろに触れかけた唇が、軽い笑いを含んで離れてゆく。
「隠れるところじゃないといけないんだったね」
シャツの裾を引き上げるように入ってきた手のひらは、肌を撫でるようにして首元まで上がり、衿を頭からするりと抜き取った。
「腕、上げて」
言われるままに伸ばした腕から袖も抜かれ、露わになった鎖骨の端へと唇が降りてくる。
義之に触れられたら、里桜の負けは確定してしまうのに。

「あ……ん」
その長い指と甘い唇に弱いところを悉く暴かれ、仰け反る背中は自分では支え切れないほど傾いでいる。
今にも崩れそうな背を支えるように回された手のひらは、衝撃を和らげながらも、ベッドへと倒れてゆく体を引き止めてはくれなかった。それどころか、もう片方の手はハーフパンツのボタンを外し、緩んだウェストから下着の中まで入り、あっという間に里桜の身ぐるみを剥いでしまった。
「ひ、や……っあ」
里桜と過ごした記憶はないくせに、義之はいつも手慣れた風に里桜に触れる。里桜の肌が予測する以上に大胆に、女の子のような外見を裏切る性を目の当たりにしてもまるで抵抗感がないような触れ方で、里桜の体を煽り立ててゆく。
今も、大きく割られた膝の内側から付け根に移っていく濃いキスが、義之の片手に包まれたそこへ辿りつきそうで里桜の方が焦ってしまった。
「や、いや」
自分でも驚くほど怯えたような声を上げてしまったせいか、義之の吐息が少しだけ肌から距離を取る。
「ごめん、里桜はすごく感度がいいから、初心者だってことをすぐに忘れてしまうよ。もう少し時間をかけた方がいいかな?」
「え……と、ううん、そんなこと、ない」
咄嗟に上手い言葉が出てこず、曖昧な返事しかできない。
今まで否定せずにいた“誤解”を、今更どうやって解けばいいのか。
もうずっと、義之を欺いていることに罪悪感を覚えている。
けれども、ひとつ話せば全て明かさなければならなくなるような気がして、言い出すことはできなかった。
せっかく失くした記憶の、里桜が一番取り戻して欲しくない場所に辿り着かれたらと思うと、また体が震えてきそうになる。




「ひゃぁん」
知らぬ間に考えごとの方に没頭してしまっていたようで、愛撫が再開されたことに気付くのが遅れた。
後孔を円く撫でていた指が、とろりとした感触と共に里桜の中に入ってくる。咄嗟に押し返そうと反発する内壁を宥めるように擦りながら、繊細な指は時間をかけて柔らかく解してゆく。
狭い粘膜を広げるように曲げた指を回され、緩く突かれるたびに跳ねる腰を引き戻され、より奥まで埋められる。
「は、ん、ん……っ」
泣きたくなるような感覚を、息を逃がしてやり過ごそうと思うのに、弛めれば指を増やされ、敏感になった内襞が我慢しきれずに痙攣する。
優しい、というより焦らすような指の動きが堪らなくて、いっそ早く止めを刺して欲しいと思ってしまう。
勢いに流されて抱かれた方が気が楽なのに。

「いや……も」
感じ過ぎるのが嫌で、里桜は腕を伸ばして義之の肩を押した。
「里桜、こういう時は“いや”じゃなくて“いい”って言うんだよ?」
甘く囁く声が、ひどく官能的に響く。
「ひ、んっ」
「里桜?」
中で蠢く指は決定的な刺激をくれず、ただ煽るように緩く抜き差しをくり返すばかりだ。
「やぁん……んっ」
「ちゃんと言わないとこのままだよ?」
そんな意地悪なことを言う義之は知らず、焦って腕に縋った。
「や、いや」
「じゃ、言って?」
甘い声に唆され、体の望むままを口にする。
「も、挿れて……」
ねだる言葉と一緒に、涙がこぼれた。体の都合に、理性はついていってくれない。
「ごめん、欲しがっているのはいつも僕ばかりだから、少しはきみにも求められたかったんだ」
そっと目じりに触れる唇は途方もなく優しくて、恨みごとひとつ返すこともできない。
義之はすっかり忘れてしまっているようだが、事故のあとからずっと求めるばかりだったのは里桜の方なのに。

「ひっ、んっ」
先までの涼しげな顔からは想像できないくらい、義之にも余裕はなかったようで、指の抜けきらないうちに押し入ってくるものは硬く、里桜の腰が引けてしまうほど張り詰めていた。
それでも、義之は一息に突き入れるようなことはせず、里桜の呼吸に合わせて少しずつ腰を進めてくる。
早く、と言いたくなるほど慎重に、指とは比べ物にならない質量が里桜の中に馴染むまで、時間をかけて満たしてゆく。
「や、義くん、も、あ、ぁんっ」
たまらず腰を押し付けてしまうくらい、焦れた内壁は激しく収縮しながらもっと奥へ引き込もうと躍起になっている。 抱え上げられた脚のつま先まで震えが走り、感じ過ぎた体は制御が効かなくなっていた。
「里桜……少し、弛めてくれないか?」
息を詰め、苦笑する義之の声も上手く脳に届かない。
今はただ、余計なことを考える余裕もないほど激しく抱いて欲しいとしか思えなくなっていた。






「きみは、僕の他にも知っているの?」
情事の後に相応しい優しい声に、気が緩んでしまっていたのだと思う。
大事そうに抱きしめられて微睡みたくなる意識を、億劫がらずに覚まし、落ち着いて考えてみれば、何を問われているのかすぐにわかることだったのに。
「ほか、って……?」
「きみの最初の相手は僕だったのかな?」
瞬時に強張る体が、言葉を発する前に雄弁に答えてしまった。
「何で、そんなこと……」
異常なほどにうろたえ、言葉に詰まる里桜の不審さは、勘の鋭い義之でなくても疑惑を抱くに充分だっただろう。
あからさまに表情を変えてゆく義之の顔を見つめ続けることができずに、目を伏せた。
“責任”は、“初めて”でなければ有効ではなかったのかもしれない。
「僕ではなかった、ということのようだね?」
首の後ろに回された腕に引き寄せられ、問い詰めるような眼差しを向けられてもなお答えられない里桜に、義之は確信したようだった。
「最初のときに、きみがあまりにも怖がっていたから、他に経験はないんだと思い込んでいたよ。でも、僕が一度や二度抱いただけにしてはきみはすごく感度がいいし、受け入れるのも上手いからね、もしかしたらと思うようになってはいたけど……いざ、そうと認められてしまうとショックだな」
ごめん、と言いかけて、声にならずに俯いた。
黙っているのは里桜の都合で、知れば義之が自分を責めることになるからというのはたてまえでしかなく、結果として義之を庇うことになっているとしても、それが言い訳になるとも思っていない。

「前の僕は知っていたのかな?」
独り言のような小さな声が、里桜の息を止める。
里桜自身朧げだったあの日の記憶が、ふいに蘇ってきた。

腕を組み、壁に凭れたまま微動だにしない義之は傍観の姿勢を決め込んで、言葉ひとつ掛けてくれる気配もなく。
振り返る里桜と視線が合わないよう微妙に背けられた端正な横顔は、馴染みのある優しげな面差ではなく、どこか冷たさを孕んだ見知らぬ他人のようだった。
今思えば、それが義之の本質だったのかもしれない。

「もしかして、僕の知っている人だった?」
何も覚えていないくせに、義之の問いは核心を突きすぎていて、平静を装う隙もくれずに里桜を追いつめる。
身を捩ろうにも、義之の胸との間に挟まれた手は震えて力が入らない。
バクバクと走り出す鼓動は、触れあった肌に伝うだけでなく耳にまで聞こえてきそうなほど高鳴って乱れ、いっそう里桜を焦らせる。
何と言えば、義之の気を静めることができるのか。




「言えないような相手なのかな?隠されると、どうしても悪い方に想像してしまうものだけど」
里桜の隠し通したい事実以上に悪いことなど、里桜には想像もつかないのに。
「ひゃ……っ」
強く腰を抱き寄せられ、ついさっきまで義之を受け入れていた場所を指でなぞられる。咄嗟に力を籠めて拒んでみても、そこはまだ指くらい簡単に飲み込んでしまいそうなほど熱く潤んでいて、侵入を阻むことなど不可能に思えた。
そうと知ってか、内腿を掠めて近付いてくるものはすっかり回復し終えているようで、その硬い感触に腰が引ける。
「正直に言いたくなるまで、僕の好きにするというのはどうかな?」
とんでもない提案を、ぞっとするような甘い声で囁く義之は、自分がどれほど残酷なことを強いているのか気付きもせず、答えられない里桜を追いつめるべく選択肢を挙げてゆく。
「朝までに何回できるか試してみようか?それとも、挿れたままで何時間いられるか挑戦してみる?」
押し当てられた先端が、言葉が終わりきらないうちに里桜の中に入ってくる。熱く漲り、持久力にも回復力にも満ち溢れたそれは、義之の言葉を本気で実行してしまいそうで怖い。
「や……ま、って……」
口では嫌がってみせても、充分に解され濡らされた体は止める術を持たない。容易く奥まで貫かれ、義之の思うままに翻弄されるのを甘んじて受け入れるほかにできることは何もなかった。

もう、どうすればいいのかわからない。
義之の言う通りだと認めれば、この場は治まるのだろうか。けれども、相手の名まで問われれば何と答えればいいのか。更にそれ以上のことを尋ねられたとしたら、里桜には答えようがないのに。

言葉の代わりに溢れ出した涙が、堰を切ったように頬を零れ落ちてゆく。
次から次へと湧き出す涙は止まりそうになく、しゃくり上げるほどになると、さすがに義之も強気を押し通すことはできなくなったようだった。
「里桜、ごめん、僕が悪かったよ。そんなに泣かないで」
涙を拭い、あやすように髪を梳く手は、先の怒りは嘘だったのかと思えるほどに優しい。
目元に触れる唇が瞼を閉じさせ、里桜の気持ちを和らげる。息が整うのを待って、涙の跡を伝い、やがて唇に辿りつく。
「ん……っ」
酷い言葉はただの脅しだったとでもいうように、義之は甘やかなキスをくり返しながら、殊更優しく里桜を抱きしめた。




「……俺の最初の人は義くんじゃないよ」
絶対に知られたくないと思っていたはずなのに、言葉は勝手に口をついて出ていた。
背後から里桜を窮屈なほどに抱きしめている腕から、そっと脱けだそうと試みて失敗に終わる。その腕は優しげでいて、決して緩くはないのだった。
「そういえば、僕の前にも誰かとつき合ったことがあると言っていたんだったね。きみは幼げで何も知らなさそうに見えたから、勝手な思い込みをしていたよ」
肩越しに見る義之は、眉を顰め、堪えるような苦しげな顔をしている。
曖昧に首を傾げ、どちらとも取れるような態度を取ってしまったのは、もうこの話は終わりにして欲しかったからだ。違うと言えば、また相手や程度を問い詰められるかもしれず、今の里桜にはこれ以上耐えられそうになかった。
「僕以外に、きみの全てを知っている男がいると思うと殺意が湧いてくるよ」
里桜を抱く腕に、また力が籠められる。
確かに、初めては他の男だったかもしれないが、全てどころか里桜のことなど何ひとつ知るはずがなく、ましてや気持ちを許したことも一度もないのに、義之はまた新たな誤解をしたようだった。



- 幸せの後遺症 (4) - Fin

(3)     Novel     (5)


2010.12.12.update