- Difference In Time(7) -



「ゆいさん、パンツ貸して」
開口一番に言うべき台詞ではなかったかもしれないが、里桜の口をついたのはそんな緊張感のない言葉だった。
身ひとつで攫っていかれた里桜が着替えを持っているはずもなく、かといって寝室の奥に置いたままの衣類を取りに行く気にもなれず、入れ違いに義之がバスルームに向かったあと暫く待ってから、物音を立てないよう細心の注意を払って優生の所へ来たのだった。
「……とりあえず、上がって?」
上半身にタンクトップと下半身にバスタオルを巻いただけという、いくら隣とはいえ問題大有りの格好で現れた里桜を、優生はため息混じりに部屋へと通した。
「そのカッコ見て聞くのも何だけど……大丈夫?」
「うん、大丈夫じゃなさそうだったから避難してきた」
下着の替えがないなどというのは言い訳で、頭と気持ちを整理する時間が欲しかったのかもしれない。
里桜の荷物を置いたままのソファに戻り、隣に優生が並んで座るとホッとする。ここの方が安心すると言ったら、今の義之なら怒って出入り禁止にしてしまいそうだ。
「義之さんは里桜が出て来たって知ってるの?」
「ううん、お風呂に行ってる間に抜け出してきた」
「それじゃ、すぐ迎えに来るだろ?」
「うん。ちょっと癒されたかっただけだから……ね、ゆいさん、凭れてもいい?」
優しい手が里桜の肩を抱きよせて、そっと髪を撫でる。その優しさはどこか義之に似て、泣きたくなってしまう。
「いいよ、迎えが来るまで寝てれば?」
それほどの時間がないだろうということはわかっていたが、素直に優生の腕に甘えることにした。
「……今は濡れおかきかなあ」
「用意しておくから、明日まで待って」
脈絡のない呟きでも、優生にはそれがクッキーか煎餅かの返事だとすぐにわかったようだった。



「なんか……優柔不断で自分でイヤになっちゃうよ」
思わず口をついた泣き言に、里桜の髪を撫でる手が止まる。
「義之さんと別れたくなくなったってこと?」
「だって、別人だって思ってたつもりなのに、触れられるとダメなんだ。外側は本物なんだもん」
記憶を失くした義之ではイヤだと言いながら、体は義之だと言い訳をして、充分過ぎるほどに満たされた自分が一番狡いのではないかと思う。
「里桜は頭が固過ぎるんだよ。記憶がないっていうだけで本人に違いないんだし、浮気とか思わないでつき合ばいいだろ?」
「……そうなのかな?」
優生に言われると、不思議とそうかもしれないという気がする。里桜が頭の中でぐるぐる考えているときには、迂闊に気を許してまた傷付けられたらどうしようと思っていたのに。
「あんまり考え過ぎないで、流されてみれば?」
「うん……」
安心したからなのか、久しぶりの疲労のせいなのかはわからなかったが、急速に眠気が押し寄せてくる。
「着るもの、取ってこようか?」
思い出したように尋ねられても、里桜はもう優生の肩から離れるのは嫌で、引き止めることを優先させた。
「後にする」
面倒くさがっていると思われたのか、微かに笑う気配が里桜の髪を揺らす。
「何ていうか……こういうの初めてで、ちょっと目のやり場に困るんだけど」
「……うん?」
優生の言いたいことがわからず、里桜は曖昧な相槌を打った。
「義之さん、やっぱり強引だった?」
「うん。でも、俺が殆ど経験ないって思ってたみたいで、すごく優しくしてくれた」
里桜の決心をあっさり覆してしまいそうになるほども。
「よかった。里桜を連れて行くときの義之さん、怖い顔をしてたから、ちょっと心配してたんだ」
「俺も」
穏やかに続いていくかに思えた会話は、二度目のチャイムの音に遮られた。



「返してくれないか」
里桜を迎えに訪れた義之の抑えた声には、言葉より横暴な本音が隠れているような気がする。優生に迷惑をかけないために、里桜は荷物を手に玄関へと急いだ。
「着替えを貸して欲しいって言いに来ただけだよ、怒らないでやって?」
そんな大層なことではないと言う優生の気遣いを軽く無視して、義之は視線を後方の里桜に向けた。その瞳に潜む、怒りか苛立ちか、或いはそれ以外の、読み取ることのできない物騒な色に足が竦む。
「里桜、帰るよ」
焦れたように、義之は突っ立ったまま躊躇う里桜の腕を取った。自分の方へ引き寄せようとする手の力強さに、頭の中が真っ白になる。
「……や」
怯む里桜の態度が誤解させたのか、義之は眉を顰め、長身を屈ませて里桜の顔を覗き込んできた。
「彼に何かされたの?」
「ちが……お願い、ちょっと待って」
頬へと伸ばされる手が怖くて思わず目を瞑る。触れたのは手ではなく、厚い胸だったと気付いた一瞬後にはもう抱き上げられていた。
その強引さが独占欲の為せる業だと、体が知っているのと同じ感覚に眩暈がする。
「返してもらうよ」
優生を威圧するように見るのは、義之が見当違いの誤解で気を悪くしているのだと思い込んでいた。
「そんなに心配なら目を離さなきゃいいのに」
優生の小声の抗議が義之を挑発する。それとも、臆病な里桜の背を押すつもりでわざと言ったのだろうか。
「どうやら、きみを一人にしてはいけないようだね」
甘く、里桜の骨の髄まで染み入る声に身じろぎまで封じられる。義之から逃れられるとは、もう思っていないのに。
玄関のドアを開ける義之に、里桜は急いで優生に声をかける。
「ごめんね、ゆいさん、また……」
別れの挨拶もさせたくないらしく、義之はほんの数秒も待たずに扉の外へ出てしまった。



里桜を抱いたままリビングに戻ってきた義之は、一旦ソファへ膝をついて体勢を立て直してから腰を下ろした。
まるで赤ちゃんを抱くように里桜を横向きに膝に乗せ、片腕を背に回して引き寄せる。
「こんな格好で他の男の所へ行っちゃダメだよ」
その根拠だという意味なのか、義之は巻いただけのバスタオルの裾を乱して、里桜の内腿を撫で上げた。
「や、ん」
「これじゃ、何をされても文句は言えないよ?」
内側からタオルを外させる手が腹を伝い、タンクトップを引き上げる。素肌に吐息がかかり、鎮まっていた熱をまた呼び覚ましてゆく。怒っていると感じたのは思い違いだったのか、里桜に触れる手はひどく優しかった。
「きみは彼が好きなの?」
「え、と、ゆいさんのこと?もちろん好きだけど……?」
肯定してから、恋愛感情ではないけど、と付け加えるべきだったかもしれないと思ったが間に合わなかった。
「どうして?」
「どうして、って……優しいし……」
好きに理由を付けて説明するのは難しい。合うとか、癒されるとか、考えればそれなりに思い当たるが、どれも決定打とは言えなかった。
「きみは優しい男が好きなの?」
「うん……?」
「僕は優しい恋人だった?」
「うん」
義之の問いはどれも漠然としていて、何を聞きたがっているのかわからない。でも、横暴で独占欲の塊で束縛がきつくても、義之が優しい恋人だったことは事実だ。
「急いで追いつくから、もう少し待ってくれないかな」
漸く、義之の言おうとしていることに気が付いた。曖昧なままになっていた別れ話を、このままにしておくことが出来そうにないことにも。



「……違うから……いくら待っても、俺の義くんにはならないから」
里桜の肌に留まる手をそっと外して、勇気を振り絞る。
「どうして?全て思い出すのはムリでも、何年後かには愛していた相手なんだから、そのうちに追いつくはずだよ」
自然に恋愛関係に発展していっていたのならともかく、以前の義之が意図的に里桜に仕掛けた恋を、そのいきさつも忘れた今、再構築させられるとは思えない。
「一緒に居るうちにまた俺を好きになるはずだって思ってるんだったら違うから……義くんは最初から俺のことを好きだったわけじゃなくて、俺に負い目を感じて愛そうとしてくれてただけなんだ。だから、時間が経ったら俺を好きになるってことはないから」
義之が記憶を失くすずっと前から、心の奥に根付く猜疑心には目を瞑っていた。里桜を愛してくれていたのは真実でも、自発的に愛されていたというのとは少しニュアンスが違うと気付いていた。強迫観念といえば言い過ぎかもしれないが、義之は償う手段として里桜を愛そうと努めていたのだと思う。
「僕もきみを愛したいと思ってるよ。その覚悟ができたから、きみを抱いたんだよ」
迷いのない声が、里桜の疑惑を事も無げに否定する。俯こうとする里桜の頬へと手を伸ばし、里桜の不安の正体を探ろうと瞳を覗き込む。唇を撫で、開かせようとする指に流されてキスしたら、里桜がなし崩しになってしまうのは目に見えていた。
「……愛さなきゃいけないって思わないで?義くんには充分過ぎるくらい愛してもらったから、もういいんだ」
「良くないよ、きみはどうしてそう否定的なことばかり言うのかな。僕は毎日きみのことでいっぱいなのに。夢に見るのも、不意に甦ってくるビジョンも、すべてきみなのに」
義之と同じ表情で、同じトーンで口説かれると、抗い続けることができなくなってしまいそうで、流されたくなる自分を叱咤するために、わざときつい言葉を選ぶ。
「都合のいいところだけ思い出して俺を好きだったのと勘違いしてるだけだよ、全部思い出したら後悔するかもしれないのに」
俄かに、義之が顔色を変え、苛立たしげに眉を顰める。肩を抱く手に力が籠もり、里桜が何か言わなければと思った瞬間、強い力でソファへと押え込まれた。
「いや」
優しく接してくれていたことが嘘だったみたいに、義之は乱暴な仕草で里桜の抵抗を封じた。



「きみはどこまで僕を否定するつもりなんだろうね」
抑え切れない怒りが滲み出す声に、 体が震える。義之がそんな風に攻撃的な一面を里桜に向けたことがショックだった。
「僕を別人だと言い、元の僕の愛情も偽物だったと言う。きみは僕が騙していたとでも思っているの?」
「騙してたっていうんじゃなくて……合わせてくれてたんだよね?甘いものなんて好きじゃないのに一緒にケーキ食べたり、カフェオレにしたり……俺、舞い上がっちゃってたから、そういうの全然気が付かなくて」
あの頃はただ幸せで、義之が傍に置いてくれたことが嬉しくて、無理を強いているかもしれないとは疑いもしなかった。
「覚えてないから確信はないけど、きみに気に入られようとしていたということだろう?恋愛の初めは、多少なりとも自分を良く見せようとするものだし、少しでもきみの好みに添うよう振舞っていたんだと思うけど」
相変わらず、口では義之に太刀打ちできそうになく、里桜は小さくため息を洩らした。せっかく忘れたのだから、もう過去に縛られることも、里桜に拘る必要もないと言っているのに。
「……もう、ムリしないで?」
「今の僕も無理してると思ってるの?」
「だって……急に俺と関わろうとしたり、ハグもしないって言ってたのに、こんな……」
義之の倫理観に悖るからという理由で里桜に限定して欲情するようになったことも、無理をしていないはずがないと思う。
逃げ道を塞ぐように里桜の肩に置かれたままだった手が喉元へ滑ってゆく。大きな掌が里桜の顎を掴み、上向かせる。
「きみを手に入れられるなら、何度でも、力ずくでも抱くよ。他にきみを僕のものにする方法はなさそうだしね」
「ちが……そういうことじゃなくて……いや」
近付く唇を避けることは許されず、深く重ねられた。すぐに押し入ってきた舌が、里桜の舌を探して絡め取る。
脅しではなく本気だと、そんなところは元の義之と同じかもしれないと、ふと思った。
「……責任を取るのはきみの方だよ?この先ずっと、きみと一緒にいる覚悟を決めたのに、今更なかったことにしたいなんて許さないよ」
「いや……お願い、もうしないで」
性急な指に怯えて涙声になる里桜の気持ちなど僅かも考慮する気にはなれないらしく、義之はすぐにも体を繋げようと里桜の膝を押し上げた。今の義之にとってはまだ二度目のはずなのに、硬く勃ち上がったものは迷いもなく里桜の体を開かせようとする。
「ひ、っあ……ああっ」
先の交わりからあまり時間が経っていないせいか、里桜の体はそれほどの抵抗もなく義之を受け入れていた。
「いや……ん、あっ……ぁんっ……」
中を激しく擦られるのは今の里桜には負担なはずなのに、体は歓喜に打ち震えて、瞬く間に昇り詰めてゆく。
「……僕から逃げられると思わないで」
囁かれる声は恐ろしいほどに甘く、捕らえられているのは里桜の方だということを思い知らされた。





簡単に後始末されただけの体を義之の膝に乗せられ、胸元へと抱き寄せられる。閉じ込めるように里桜を抱く腕を解く気力はもうなく、おとなしく身を預けた。
あやすように髪を撫でられても止まらない涙が、義之の胸を濡らす。
「そんなに泣かないで」
「やっ……」
義之の掌に緩く擦られた背がびくりと震える。また求められるのかと危惧した体が強張った。
「里桜」
不満げな声が、里桜の耳元へ口付けるように呟く。
「きみは、本当に僕を好きでいてくれたの?」
何を言われているのかわからず、おそるおそる顔を上げる。ごく近くから里桜を見つめる義之は、少し厳しい顔をしていた。
「僕の一部分だけを好きで、きみの理想とか都合に合わない部分は好きじゃないのかな?」
「え……」
「仮に、僕がきみの好みに合うよう装っていたとしても、それも全部僕なのに、そういう部分は受け入れられないということ?」
今までそういう風に考えたことはなく、まるで騙されていたみたいな気持ちになっていた里桜には、すぐに答えることが出来なかった。
「最初から相思相愛なんてケースの方が珍しいんだよ?きみは知らない相手に申し込まれてつき合ったことはないの?」
「あ……ある、けど」
里桜が義之と知り合う前につき合っていた相手の時がそのパターンに近い。当時まだ誰ともつき合ったことのなかった里桜は、遊び慣れているらしい相手に辛抱強く口説かれるうちに、根負けしたようなかたちでつき合うことになったのだった。
「その人はきみに合わせるようなタイプじゃなかった?」
「ううん……いつも俺のペースに合わせてくれてた」
「じゃ、その人と恋愛しようとは思わなかったの?」
「してたつもりだったけど……」
幼い里桜が大人になるのを待ってくれていたその人を、いつか好きになるのだと思っていた。あの日、義之に出逢うまでは。
「それなら好きになろうと思ってたんじゃないの?」
「そうかもしれないけど……好きになろうとして好きになるっていうのは、ちょっと違うっていうか……」
「きみはお見合いとか紹介は否定派なんだね。別に無理に好きになるわけじゃないよ。というか、無理をしても好きになれない場合だってあると思うしね。ただ、歩み寄る努力をするのは悪いことじゃないと僕は思うんだけど?」
ゆっくりと、諭すように話されているうちに、義之の言い分は間違ってはいないようだと思った。



「僕はそんなにきみの好みから外れてるの?」
「え……ううん……どっちかっていうと、まんまっていうか……」
理想を具現化すれば義之になる、と言っても過言ではないくらいに。
「それなら、どうして僕と別れようとするのかな?」
自分でも解析不能な部分が多くて、上手く説明することはできそうにない。ただ、前の義之への拘りと、もう傷付けられたくないと警戒する気持ちが強くて、安易に信じられなくなっているのだと思う。
答えに迷って、まだ乾き切らない瞳を上げて義之を見る。驚いたことに、義之は困ったように視線を外した。
「……きみは、僕の忍耐力を試してたの?」
「なんで、そんなこと……」
「病院から戻ったあと、何度も僕の寝込みを襲おうとしただろう?キスされそうになったこともあったね」
「ちが……それは、いつも義くんが……」
ことある毎に大げさなほどにハグやキスを交わしたがったり、毎晩一緒に寝ていたからだと言いかけて、プラトニックな関係だったと誤解されていたことを思い出して止める。
それでも、義之には里桜の言い分がわかったようだった。
「以前の僕は相当きみとベタベタしていたようだけど、よく我慢が利いていたね。僕はそんなに忍耐力がある方だったかな?」
心の奥まで覗き込もうとするように見つめられると、何もかもを白状してしまいそうになる。辛うじて視線を落として、どちらとも取れる言葉を探す。
「……だから、責任を感じてたんでしょう?」
「何年後かの僕は随分忍耐強くなっていたのかもしれないけど、今の僕には無理だよ?きみは、僕をこんな気持ちにさせた責任を取らなくちゃいけないね?」
それは、“大人になるまで待つ”という口約の破棄宣言らしかった。
「……待つって言ってたのに」
わざと責めるような言い方をしてみても、義之は自分に非はないという表情を崩さない。
「きみの方に待つ気がないのに?もう僕のものだと思ってるのに、今更離せないよ」
言葉に連動して力を籠める腕が、里桜をきつく抱きしめる。
記憶を失くした義之と早く親しくなりたいと里桜が焦っていた時には、義之は3年のブランクを埋めることを優先させていた。里桜が義之を諦めた頃になって惜しまれるようになったことを、絶妙なタイミングでのタイムラグだと思うには、まだ勇気が足りない。



「でも……また、忘れちゃうかもしれないでしょう?」
退院以降に新たな記憶障害は起きていないが、いつかまた里桜のことを忘れて他人のようになってしまわないという保障はない。
「きみをそんなに臆病にさせてしまったことは悪かったと思ってるよ。でも、もしまた忘れてしまったとしても、今度は記録を付けてるから大丈夫だよ。それに、また淳史や美咲が黙ってないだろうしね」
「記録って……?」
「きみのことだけじゃないけど、覚え直したことや思い出したことを書き留めてるんだよ。日記のような感じかな」
また里桜に対しての記憶がまっさらになっても、自分で書いたものなら信用できるのだろうか。
「そういうのがあったら認められるの?」
「そうだね。もし万が一また同じようなことが起きても、遠回りしないで済むと思うよ」
自信に満ちた眼差しが、里桜の不安を拭い去ろうとする。見つめ合えば、たとえ嘘でも信じずにはいられなくなってしまう。
「だから、諦めて僕のものになりなさい」
里桜を子供扱いする口調は別人のようで、けれども不快だとは思わなかった。逃げ道を塞がれれば、もう逃げずに済む。
義之の肩に凭れていると、知らずに笑みが零れた。もう二度と、こんな風に義之に抱きしめられることはないのかもしれないと思ったこともあったのに、いつの間に里桜はこんなに贅沢になってしまっていたのだろう。
「つい急いてしまったけど、きみの気持ちまで僕のものにするのはもう少し待つことにするよ」
優しい声に緊張が緩んでゆく。今度こそ、取り戻すことができたのだろうか。
求められて応じるキスは了解のしるしで、何より里桜を幸せにする手段だった。そうと知っている義之は、惜しみなく里桜を満たそうと甘いキスをくり返す。
まるで酩酊状態に陥ってしまったような里桜は、義之の言葉をはき違えていたことを、どれほども経たないうちに嫌というほど思い知ることになる。


「そういえば、僕の指輪を持って行っただろう?返してくれないか」
髪を梳く指が気持ち良くて、今にも眠りに落ちそうな里桜は、深く考えずに思っていたままを答える。
「要らないんじゃなかったの……?」
「ひどいな、置いたままにしてしまっていたけど、要らないと思っていたわけじゃないよ」
おそらくは里桜の想像していた通りの理由で置き去りにされていたのだろう。
「それとも、新しいのを買おうか?」
「え……」
「今の僕が嵌めるのが嫌なら、買い直してもいいよ?」
どうやら、義之は里桜の態度から返すのを嫌がっていると判断したようだった。
「ううん、新しいのはいらない。ちゃんと返すから」
新しい指輪を嵌めることは前の義之を否定することになってしまいそうで、慌てて申し出を却下した。叶うなら、何も知らなくても前の義之のように愛して欲しいと思いながら。



- Defference In Time(7) - Fin

【 Defference In Time(6) 】     Novel     【 幸せの後遺症 (1) 】


崎谷健次郎さんの古い歌のタイトルをお借りしています。
こちらはハッピーエンドで。(ハッピーになってますよね??)