- Difference In Time(4) -



「僕より先に、彼がきみの実家へ行くというのは許せないしね」
義之が車中で洩らしたその一言に、突然の同行の理由は要約されているようだった。
結局、前回と同様、強引に押し切られた形で里桜は義之と一緒に実家に戻って来た。先週と違うのは、義之の電話が鳴らなかったことと、だから帰らずに里桜と一緒に車を降りたことだ。
「おかえり、というか、いらっしゃい?」
玄関まで迎えに出て来た母が、満面の笑顔でちくりと嫌味を言った。車の中で母にメールを打っておいたから、心の準備は整っていたのだろう。
母の後ろから、危なげな足取りで走ってきた来望が、来客の確認をしようと顔を覗かせる。
「っし、んー」
義之が覚えていないことなど知らない来望は、両手を上げて、期待に満ちた瞳で見上げた。もしかしたら抱き上げてもらえないかもしれないとは思いもしない、幼いひたむきさが羨ましい。
「人見知りとか、大丈夫なのかな」
怖々と手を伸ばす義之に、来望は飛びかかるようにして抱きついた。面喰らいながらも、義之は条件反射のように来望の脇へ両手を差し入れて胸へと抱き上げた。
「人見知りも何も、義之さんにはすごく懐いていたわよ?義之さんも養子に欲しいっていうくらい、来望のことを可愛がってくれていたし」
来望を義之に任せたまま、里桜の母は先にリビングへと向かった。後をついてゆく義之は、落ち着きのない来望を落とさないよう、確りと腕に閉じ込めている。
「僕は彼と養子縁組していただけじゃなかったんですか?」
「あら。里桜のことだって、まだあげたわけじゃないのよ?予約というか、婚約と言うべきなのかしら?結婚相手として、“ください”と言われたけど、籍は入れていないもの。来望のことは、子供として養子に欲しいって言っていたのよ」
考え込むように押し黙った義之の表情はますます厳しいものになる。
抱っこに飽きた来望が、降りようと上半身を捩ると、義之は慌てて腰を落として床へ膝をついた。来望が落ちないよう咄嗟にそうしたのだろうが、時を戻したような錯覚に陥りそうになる。
「それでは、僕は二人も欲しいって言ってたってことですか?我ながら厚かましいですね」
「そうよー。来望のことは冗談半分っていうか、あわよくば程度だったんでしょうけど、もし本当に取られてしまったらどうしようと思って、もう一人作っちゃったんだから」
母はあっけらかんと、里桜が義之に話しておくべきかどうか躊躇っていたことを次々に言ってしまった。里桜が思い悩んでいたことも、妊婦らしい“案ずるより産むが安し”的思考で片付けてしまう気のようだ。



「ということは、今お腹に?」
「そうなのよ。だから、里桜に子守りを手伝ってもらっているの。こちらにばかり居るけれど、気を悪くしないで?」
さりげなく、里桜が実家に居つく必要性を説く母に、義之の疑惑も解消したようだった。
「そういうことだったんですか。事情を聞いていなかったので、少し心配してしまいました」
「不便でしょうけど、我慢してやってね」
「わかりました。その代わりといっては何ですが、僕も時々こちらに寄せていただいても構いませんか?」
「それは構わないけど……ただ、義之さんが記憶を失くしてること、ちーくんに話してないんけど大丈夫かしら……?」
「ちーくんって、お父さんのことだから」
不思議そうな顔をしている義之に、こそっと父の名前を教える。
「お父さんには反対されていたというようなことを聞いたんですが、僕の記憶がないと知れると、引き離されるということでしょうか?」
あまりにも真面目な顔をする義之に、母は我慢しきれなかったのか、声を立てて笑った。
「そうね。あんまり里桜とよそよそしくしてると、別れさせるチャンスだと思って張り切るかもしれないわよ?」
「でも、彼は未成年ですし、ましてご両親の前で親密な態度を取るというわけにはいかないと思うんですが」
母の言葉をやや曲解して惑う義之は、里桜から見ても可笑しすぎる。けれども、それだけ真剣に向き合ってくれているのだと素直に受け止めるには、里桜は臆病になり過ぎていた。
「本当に忘れちゃったのねえ。里桜と別れる気がないんなら、ちーくんにもそう言えばいいのよ。責任とかいうんじゃなくて、今の義之さんも里桜と一緒になりたいんだってわかれば、ちーくんも諦めると思うわ」
里桜はもう別れた気でいるということをすっかり忘れてしまったみたいに、母は義之に対処法を教えてしまった。





思い返すほど、信じ難い展開に気が滅入ってくる。
里桜の母の助言に従って、義之は里桜の父親に“同棲を解消しない宣言”をしてしまった。
とても完全アウェイとは思えない落ち着き払った態度で、義之は里桜の父と 晩酌を交わしながら、事故で3年ほどの記憶を失くしたことを話し、真顔でこんな可愛い恋人が傍にいてくれたことに感謝していると言い、これからも里桜との生活を続けるつもりだと言い切った。里桜がもう別れた気でいると知らない父は、義之の勢いに諦め顔でため息を吐いただけだった。
保留にしておくはずだったことに先手を打たれても、義之の言い分をその場で却下する勇気はなく、里桜は来望とミニカーを積むのに夢中で聞こえていないフリを装っていた。それでも、このまま有耶無耶のうちに元の鞘に戻されてしまわないよう、いつ、どのタイミングで、何と言って訂正するかを考えるだけで気が重い。
結局、飲酒を理由に義之は泊まっていくことになり、父と母は気を利かせたつもりか、早々に寝室に引き上げていった。唯一の救いは、来望を残していってくれたことだけだ。
時折、同意を求めるように傍らの里桜を見上げたり、少し離れた義之を振り向いたりする以外、来望は機嫌よく一人遊びを続けている。気まずい空気にならないのは、偏に来望のおかげだった。
「いー」
ラグの上で足を投げ出して座る里桜の膝へとよじ登ってくる来望の体は熱く、辿り着いた途端に行き倒れたように眠りに落ちていった。
子供特有の、限界まで遊び、エネルギー切れと同時に補給に入るというあまりにも効率的過ぎるスタイルを目の当たりにして、義之はひどく驚いたようだ。
「もう眠ったの?」
「うん。くーちゃん、寝付きがいいから。寝起きはちょっとぐずったりすることあるけど」
そっと、来望の頬にかかるまだ柔らかな髪を払ってやりながら、寝入ったことを確かめる。幼い弟は、里桜を母の代わりとして認めてくれていた。
「それにしても、本当によく似ているね。そんな風にしていると、きみが産んだみたいだよ」
この間は1歳児の来望と同列の扱いだったのに、今日は母親に進歩したらしい。しかも、思い出したわけでもないだろうに、以前の義之が何度も言っていた言葉で里桜を戸惑わせる。
「……兄弟だもん、似てて当たり前でしょう?」
「そうだろうけど、きみの仕草のせいかな?何だか、きみの子みたいに思えて仕方がないよ」
産めるものなら、疾うに母親になっていたと思う。里桜を縛り付けるためにそうするというような言い方をしていた義之は、卒業を待たずにフライング婚を狙ったに違いなかった。



「あの……くーちゃん寝ちゃったし、少し早いけど俺もそろそろ上がるね?」
義之を一人残しておいていいものだろうかという迷いはあったが、普段の里桜の生活スタイルから考えても、9時過ぎに自室に引き上げるのはおかしなことではなかった。
「僕も一緒に行っても構わないかな?」
「えっ……でも」
すぐにも眠るつもりでいた里桜にとっては、あまり歓迎できない話だった。ほぼ一日中緊張していた状態から、やっと解放されると思っていたのに。
「やっぱり、同じ部屋で眠るというのはまずいかな?」
義之は、里桜が快く承諾しなかった理由を取り違えているようだった。どうやら、もう少し一緒に居たいということではなく、そのまま同じ部屋に泊まる気でいるらしい。
前に、ケジメだからと線を引いたのは義之の方だったが、今それを言うのは揚げ足を取ることになってしまいそうで、微妙な言葉で答えを濁す。
「俺の部屋はシングルベッドがひとつあるだけだし、狭いから床に布団を敷いてもらうことになるんだけど」
「構わないよ、僕はどこででも眠れる体質だから。用意してくれた布団を持って上がったらいいかな?」
「ううん、布団は俺の部屋にも置いてあるから、そっち使って?」
初めて義之が里桜の部屋に泊まった日からずっと、一つのシングルベッドでくっついて眠る二人に使われることのなかった寝具は、クローゼットに置いたままにされていた。
そっと、膝を枕に眠る来望を胸元に抱こうとした時、義之に遮られた。
「僕が連れていくよ」
「あ……じゃ、お願い」
ついこの間、おっかなびっくり眺めていたのが嘘のように、義之は軽く来望を抱き上げた。その違和感のなさが、逆に里桜を不安にさせる。
それでも、この家には不慣れなはずの義之を待たせないよう急いで電気類を消すと、二階の里桜の部屋へと案内した。



「先に布団を敷いてもらっても構わないかな?」
来望を腕に抱いたままの義之がそう言うのを不思議だと思いながら、大急ぎでクローゼットから布団を出す。
「もうちょっと待ってね」
そう広くはないベッドと机の間の空きスペースに、布団を敷いてシーツをかける。フローリングに厚手のカーペット敷きとはいえ、ベッドとの段差に少し気を遣わないでもない。
「もう寝かせてもいいかな?」
「うん。くーちゃんは眠りが深い方だから、そんなに気を遣わなくても大丈夫だと思う」
静かに、今敷いたばかりの布団の上へ来望を下ろすと、義之はベッドの縁へと腰掛けた。ベッドは里桜と来望で使うつもりでいたのだったが、義之は逆にするつもりのようだ。
「あの……ベッドの方、使う?」
「落ちるといけないと思って下に寝かせたけど、ベッドの方が良かったかな?」
「あ、そっか……くーちゃん、あんまり寝相良くないし、下の方が安心だよね」
いつもは二人なので気にしていなかったが、来望が里桜のガードを乗り越えて、ベッドの下へ落ちてしまうこともあるかもしれないのだった。
「かなり活発なタイプのようだから、その方がいいんじゃないかな」
義之の気遣いに納得して、里桜は来望の隣に横になった。今はあまりいろいろと考え過ぎないためにも、早く眠ってしまうに限る。
「あの、俺も明るいのとか物音とか全然気にならないから、何かすることあったら気を遣わないでね?それじゃ、おやすみなさい」
「え、もう寝るの?」
「うん、そのつもりで上がって来たから」
里桜が小学生なみに早く眠り、睡眠時間が長く要るということを信用していなかったのか、義之はひどく驚いたようだった。義之と住んでいる時にも一緒の部屋で寝ていたわけではなかったから、強引に引き止められなければ里桜が10時に就寝してしまうということは知らなかったのだろう。



「少し話をしたかったんだけど」
義之はまだ里桜を眠らせたくないのだとわかっても、“おやすみ”を撤回するつもりはなかった。
「ごめんなさい、俺、ロングスリーパー傾向なの。睡眠時間が足りないと具合悪くなっちゃうから」
引き止められないよう、簡潔な事実を告げて背を向ける。対照的にショートスリーパータイプの義之が一人で起きているのは退屈かもしれないが、今の里桜はそれにつき合えるような余裕は持ち合わせていなかった。
「……しょうがないな」
声音に言葉とうらはらな感情が滲んでいたが、気付かぬ素振りでスルーしておく。
「里桜?」
怪訝な声が、里桜の鼓動を逸らせる。記憶を失くした義之に名前を呼ばれるのは初めてだった。
「里桜?もう少し起きていられないかな?」
眠ったフリをしたつもりはなく、“おやすみ”を言ったのにいつまでも答えていたのではキリがないと思っただけだったのだが。
「……なに?」
「うちにベッドがひとつしかないのは、一緒に眠っていたということなんだろうね?」
振り向いた里桜のすぐ傍まで義之が身を乗り出していたとは知らず、驚いて飛び退ってしまった。
「……そういうの、あんまり気にしないで。もし俺と一緒の部屋だと落ち着かないんなら、和室かリビングを使ってもらって構わないから」
「そうじゃないよ。ただ、きみと一緒に眠るのはやっぱり無理そうだと思ってね」
軽く息を吐いた義之が、抑えた声で呟く言葉の意味を正しく理解することは出来ず、里桜はまた居た堪れない気持ちになる。一緒に寝て欲しいなんて、一言だって言っていないのに。
気を静めようと、眠る来望に身を寄せた。
愛らしい寝顔に、ささくれ立った気持ちが和らいでゆく。頼りないほど柔らかく小さな体を抱きしめていると、面倒を見ているようでいて、里桜はいつも癒されていたことに気付いた。
規則正しい寝息にシンクロすれば、深い眠りに引き摺りこまれそうになる。もう、黙り込んだ里桜を呼ぶ声に答えられるところに意識はなく、睡魔の誘惑に逆らうことは出来なくなってしまっていた。



- Defference In Time(4) - Fin

【 Defference In Time(3) 】     Novel     【 Defference In Time(5) 】


一般的に、睡眠時間が一日9時間以上の人をロングスリーパー、6時間未満の人をショートスリーパーといいます。
(説によって、時間が若干異なります。)