- Difference In Time(3) -



「いつもキレイにしてくれてありがとう。助かってるよ」
玄関にあった見覚えのある靴に、そうだろうと思ってはいたが、優生の後ろから里桜を迎えに出てきた義之の姿にため息が出てきそうだった。なぜ土曜毎に、義之が淳史の所に来ているのか。
てっきり出勤だと思い込んでいたのに、先週に続いて今日も義之は仕事ではなかったらしい。今更ながら、来る前に優生に確認しておかなかったことが悔やまれた。
「ううん……いない間にどうかなあって思ったんだけど、俺、夜は出られないから」
「きみの家でもあるんだし、そんなに気を遣わないで、いつでも都合のいい時に来てくれて構わないよ。それに、夜でも僕に合わせてもらうと遅くなってしまうから、昼間の方がいいだろうね」
もう、子供扱いされて悲しくなるというようなことはない。それより、義之が居るとわかっていれば来なかったのに、という思いが顔に出ないよう神経を遣った。
いつものように、少し疲れた顔でソファに凭れかかる淳史の方に近付いて、一升瓶の入った袋を手前のテーブルに乗せる。
「あっくん、これ、お母さんからなんだけど」
「気を遣うなって言ってるだろうが」
ともすれば気を悪くさせてしまったのかと思うくらい、淳史の声は低い。
「でも、いつもお世話になってるし、いろいろ買ってもらってばっかりだから、たまには持っていきなさいって」
「優生の時にはこっちが世話になっただろう?お互いさまだ」
「そうかもしれないけど、これ、結構重いし持って帰らさないで?」
何とか受け取ってもらおうと、押し付けがましい口調になってしまう里桜に、淳史は言葉が過ぎたようだと思ったらしかった。
「そういうつもりじゃなかったんだが……悪かったな」
「ううん。却って気を遣わせてたらごめんね。でも、この頃ほんとに貰うばっかりだったから」
なんとか受け取って貰えたことにホッとしながら、淳史の向かいへと腰掛けた。



「何か淹れてこようか?」
テーブルの上には既にマグカップが3つ置かれていて、里桜の来るタイミングが少し悪かったのかもしれないと気付く。
土曜の早朝から押しかけては淳史もゆっくり出来ないだろうと思ってのことだったが、結果的に義之も来ているということは、あまり意味のない気遣いだったようだ。
「ううん、俺はいい。出がけにカフェオレ飲んできたし」
里桜が断ると、優生はすぐ隣へと腰を下ろした。少し近過ぎる距離感をどうしたものかと淳史を窺ったが、疲れの滲む目元はもう伏せられてしまっていた。
「今日は宿題持ってきてないの?」
里桜の肩に凭れかかるように、優生が顔を寄せてくる。まるで見せつけようとしているかのような、何か意図的なものを感じてしまう。
「うん。ゆいさんのおかげで今年は余裕だもん。課題が終わったら、数学と英語と、あとピアノも教えてね?」
保育士になるために進学すると決めた里桜は、遅まきながら真面目に勉強に取り組み始めた。幸い、そのために必要な教科もピアノも、優生に見てもらえるという有難い環境にいる。
「里桜はピアノは全然やったことないんだっけ?」
「全然に近いかなあ。バイエルの2冊目で挫折しちゃったから」
「それって、いくつくらいの話?」
「確か小2の時にやめたんだったと思うけど」
「じゃ、初心者同然ってことだよな?」
「うん。ごめんね。でも、試験には関係ないから、入ってから習う人もいるくらいだし、焦ってはないんだけど」
寄り添ったままで話を続ける里桜と優生に、堪りかねたように義之が割って入る。
「くっつき過ぎだよ。そういうところは見たくないと、前にも言わなかったかな?」
驚いたのは義之の口調が厳しかったことではなく、その言葉が以前とは違って優生に向けられていたからだ。



「悔しかったら、義之さんもすればいいでしょう?俺は里桜にも淳史さんにも止められてないから」
これ見よがしに、優生が里桜の肩を抱きよせた。相変わらずの優生の好戦的な態度に、義之が眉を顰める。
「僕には所有権を主張する権利がないとでも?」
「放棄したんじゃなかったの?」
「どうして?彼を手放す気はないよ。そんなに無責任じゃないつもりだしね」
これ以上気持ちを乱されたくなかったから別れることを選んだのに、義之は里桜を自分のものだと思っているような言い方をする。
「里桜」
見かねて呼ぶ淳史の方へ行くために、優生の腕を抜け出す。今は険悪な二人を見たくなくて、淳史の影に隠れるようにひっそりと隣に座った。
「記憶が無くても、義之は相変わらずだな」
好きでもないのに、里桜に執着するような言動を取る義之が理解できない。責任というなら、もっと別な形でもいいはずなのに。
気を抜くと泣いてしまいそうで、相槌を打つこともできずに項垂れた。
そっと、大きな手に頭を撫でられて、ますます涙腺が緩んでしまいそうになる。あんなに怖いと感じたことがあったのが嘘のように、今は里桜を安心させてくれていた。
「優生が義之に喧嘩を売るのは日課みたいなものだ。おまえが気にすることはないからな?」
まともに話すことも出来ない里桜の代わりに、優生が義之に腹を立ててくれていることはわかっている。だから余計に、里桜は義之に近付くことは避けたいと思っているのだったが。
「淳史まで参戦する気なのか?」
尖った声にハッとして、慌てて身を離す。優生が何も言わなくても、淳史の至近距離には近付かないと決めていたのに、うっかり越えてしまっていた。



「俺、やっぱり今日は帰るね」
こんな自分は弱過ぎるとわかっていても、普通の顔をして傍に居られるようになるにはまだまだ時間が必要だった。
「里桜」
優生の心配げな声に、決して嘘ではない言い訳を返す。
「ゆいさん、ごめんね。今日はあっくんにお酒持って来るだけのつもりだったし、帰ってくーちゃんのお世話しないといけないんだ。夏休み中は俺が面倒見る約束でシッター代も貰ってるのに、この頃サボリ過ぎだったから」
来望の面倒を見ると約束してからも、優生と会うために日中の半分以上を母親が担当している。夕方早めに家に戻っていれば里桜が風呂に入れて一緒に寝るが、遅くまで優生の所に居る日は、それも身重の母親任せになっていた。
「それなら、今度から連れてくれば?俺も、里桜のミニチュア見てみたいし」
優生は事も無げに言うが、おそらく小さい子供と接したことなど殆どないはずで、戸惑う姿が想像できてしまう。
「ありがとう。でも、騒いだり部屋を汚したりするだろうし、ここに連れて来るのはムリかも。良かったら、ゆいさんがうちに見に来て?」
「いいの?」
優生の反応は思いのほか嬉しげで、ただの思いつきで言ったことは近いうちに現実になりそうだった。
「うん。お母さんも一緒でよければ、いつでも遊びに来て?」
「じゃ、週が明けたら行ってもいい?」
淳史へと視線を移して、ねだるような口調で問う優生に、甘い恋人が否と言うはずがない。
「もう何も言ってないだろうが。遅くならなければいい」
優生が引き籠り気味なのは自主的なもので、淳史が制限しているわけではないと知っていても、言葉の端々から束縛したがる心理が垣間見えるようだ。


「ちょっと待って。きみはずっと向こうにいるつもりなの?」
また、義之が纏まりかけた話に水を差す。“ずっと”が夏休みの間中という意味だとすぐには気付かず、答えるのに時間がかかってしまった。
「……そのつもりだけど」
「少しは僕の所にも居てくれないかな?」
「でも……」
里桜が義之の所に住んでいても接点は殆どなく気を遣い合うばかりなのに、“ひとつ屋根の下”に居る意味は感じられない。溝を深めるだけなら傍にいない方がいいと思う。
「きみが朝からしっかり食事を食べさせてくれていたからかな、簡単なものでは物足りなくなってしまってね」
「あ……それなら、そっちへ寄った時に作り置きしておくようにすればいい?」
一般的な男性に比べて家事に慣れている方だとはいっても、働いている義之に朝食の用意は面倒なものなのだろうということはわかる。むしろ、掃除と洗濯を里桜がしているぶん余計に負担に感じているのかもしれなかった。
「僕は出来たての方がいいな」
まるでダダをこねるような、義之には不似合いな口調に、どうすればいいのかわからなくなってしまう。
「でも……まさか早朝に通ってくるっていうわけにもいかないでしょう?」
「僕の所にも泊まればいいだろう?大体、そんなにずっと僕をほったらかしというのはおかしいと思うよ。仮にも僕はきみの恋人以上の存在のはずなのに、きみからはメールひとつくれないし、隣にまで来ているのに僕には挨拶もなしっていうのはひどいんじゃないかな?」
恨み言まで言われて漸く、義之の態度の明らかな変化の意味を考えなくてはいけないようだと気付いた。それもこれも、里桜は別れた気でいるのを隠して、義之にはただの里帰りだと思い込ませているせいなのだろう。
「ごめんなさい」
それでも、今の里桜にはそれ以外の言葉は言えなかった。



「本当に夏休み中ずっと里帰りしているつもりなの?」
「……うん」
夏休みが終わっても義之の所へ戻るつもりはないと、はっきり伝えるべきなのはわかっている。ただ、今の義之には到底太刀打ちできそうになく、強硬に反対されるのは必至で、それを覆すだけの話し合いをする気力が今の里桜にはなかった。
「それなら、僕がきみの実家に伺おうかな」
「それは、ちょっと……」
「どうして?ここに越してくるまでは、そちらでお世話になっていたと聞いたけど?」
「……まだ、お父さんに話してないし」
母の判断で、義之が記憶を失くして里桜のことも忘れているということは、未だに父親には話さないままでいた。元から義之とのことに賛成していたわけではなかった父が今の状況を知れば、即刻別れさせようとするだろうと母は考えているらしく、里桜が別れることを決意して帰った後も、夏休みが終わるまで保留にするよう言われていた。
「それはどういう意味なの?」
里桜はもう別れているつもりなのだと言えば、もう一度別れ話をすることになってしまうとわかっているだけに、言葉に悩んでしまう。
「……お父さんは賛成ってわけじゃなかったから……今は通いでこっち来てることになってて……」
「僕の記憶がないってわかったら、別れさせられるとか、そういうこと?」
「たぶん」
「それで、僕は“責任”という名目を作って、きみとの交際を認めてもらっていたのかな?」
「そうじゃなくて……もう俺のことは気にしないでって言ったでしょう?」
「そこまでして手に入れた人を、みすみす手放すわけにはいかないよ」
まるで言葉が通じない相手になってしまったみたいに、義之と話がかみ合わない。
もう里桜に責任を感じる必要はないと何度も言っているのに、もしかしたらそれこそが逆効果になっているのか、義之は関係を継続させることに固執しているようだった。



- Defference In Time(3) - Fin

【 Defference In Time(2) 】       Novel       【 Defference In Time(4) 】