- Difference In Time(2) -



目だけでなく心まで奪われてしまいそうなほど秀逸な顔立ちに柔らかな物腰。義貴の方が少し逞しいという違いはあっても、よく似た印象は二十数年後の義之を想像させる。こんな風に年を重ねていくのだろうかという期待も相まって、里桜は義貴に憧れを抱いていた。
そういった感情を上手く伝えることができず、単に義貴をカッコイイと言った部分だけが義之の印象に残っていたのかもしれない。
「里桜は先生に憧れてるみたいだからガッカリさせてしまうかもしれないけど……先生と俊明さんの奥さんが何年も不倫してて、子供までいるの知ってる?」
「え……ええ??」
里桜の理解の範疇を超えるあまりにも思いがけない内容に、素っ頓狂な声を上げてしまった。聞き間違いかと優生を見返してみても、話は覆りそうにない。
「ごめん、余計なこと言って。でも、そこから話さないと説明できないし、とりあえず聞いて?」
「なんか、あんまり聞きたくない話のような気がするんだけど……」
義之が少し大げさに義貴のことを悪い人だと言ったときも、たった2度会っただけで殆ど言葉も交わしたことのない里桜にはそうは思えなかった。だからこそ、悪い話なら耳に入れないで欲しいと思ってしまう。
「中途半端に知っちゃうと却って気になるだろ?なるべく簡単に話すから、諦めて聞いて?」
そこまで言われては聞かないと言うわけにもいかず、里桜は嫌々ながら頷いた。
「俊明さんの奥さんは彩華さんていう凄く綺麗な人なんだけど、性格に難があるっていうか、俺が言うのも何だけど男グセが悪い人なんだ。淳史さんとつき合ってるときに義貴先生と出逢って好きになって、でも先生が相手にしてくれないから息子の俊明さんを口説いてつき合うことにしたり、俊明さんと結婚が決まってからも義之さんのこと口説いたりしてたんだって」
彩華という名前は、前に義之と淳史の会話の中で何度か聞いたことがあったことに気付く。確か淳史は褒めるような言い方をしていて、対照的に義之は酷く辛辣な評価をしていたようだった。
「えっと……俊明さんって、あっくんの友達なのに、あっくんの彼女さんとつき合ってたの?」
「ていうか、淳史さんは昔から俊明さんと好きな人がよく被ってたから、彩華さんとつき合ってることを内緒にしてたんだって。だから、俊明さんはそうとは知らずに彩華さんとつき合うことになって、知ったときにはもう別れられないくらい好きになってて……何で黙ってたんだ、みたいな感じで一悶着あったらしいよ」
揉めたようだと言いながら、優生はその内容を語る気はないらしかったが。


「友達でフタマタってきついよね」
「二股って言っても、淳史さんは気が付いてたわけだし、そんなに長い期間じゃなかったみたいだよ。それに、彩華さんがあんまりにも先生のことを好き過ぎて、自分じゃ無理だって思ったから引いたって話だし」
淳史では太刀打ちできないと思うほど彩華が義貴を好きだったのなら尚更、俊明や義之まで口説いたという理由がわからない。
「そんなに先生を好きなのに、どうして先生の子供とつき合ったりしたのかな?」
「先生は最初から淳史さんのつき合ってる人だって知ってたから、相手にしてなかったんだって。それで彩華さん、焦れて俊明さんにいっちゃったみたいだよ」
「だから、それでどうして先生の子供にいくの?好きなのは先生なんでしょ?」
それほど好きな相手でも、振り向いてくれなければ諦めて他の人とつき合ってしまうというのはわかるような気がする。でも、そのとき淳史とつき合っていたのなら新たに口説く必要はないはずで、聞けば聞くほど、里桜には彩華という人が理解不能に思えてくる。
「見た目が似てるとか、遺伝子を引き継いでるとか、そういう理由みたいだよ。先生がダメならせめて息子とでもって思ったんだろ?」
「だから義くんのことも口説いたの?」
「そうみたいだよ。俊明さんより義之さんの方が先生に似てるし。でも、その時は義之さんにも他に相手がいたし、そうじゃなくても彩華さんだけはどうしてもムリって言ってたから、俊明さんとつき合うしかなかったんだと思うけど」
里桜なら、義之がダメなら義貴で妥協しようという風には思いつきもしないだろう。それどころか、同じはずの義之でさえ、記憶を失くす前と後では別人のように思えて仕方ないくらいなのに。
「彩華さんって、すごく失礼な人だよね。話聞いてるだけでムカついちゃう」
「そう言うけど、里桜だって本人に会ったら圧倒されてしまうと思うよ?美人っていうだけじゃなくて、凄い存在感みたいなのがあって、俺なんて消えてしまいたくなるくらいだったから」
その姿を思い浮かべているみたいに、優生が視線を伏せる。里桜から見れば、優生も充分に美人だと思うのに。


「じゃ、結局、先生もその魅力に負けちゃったってこと?」
「っていうよりは、彩華さんの執念に根負けしてつき合うことになったんだと思うけど」
「ふうん……諦めなきゃ何とかなるってことなのかな」
ある意味、その挫けない意思の強さには感心してしまう。里桜が初めてつき合った相手の時がそうだったように、辛抱強く口説かれ続ければ、よっぽど確固たる信念でも持っていない限り、断り抜くのは難しい。
「先生は、淳史さんが彩華さんと別れたから気が緩んじゃってたんだよ。彩華さんが俊明さんともつき合ってるってことは知らなかったから絆されただけなのに、彩華さんの方は先生を離す気なんてないから泥沼になっちゃって、別れるなら俊明さんに話すって脅されて、仕方なくズルズル続けてたみたいだよ」
「それなら、どうして子供作っちゃうのかな?ますます別れにくくなっちゃうでしょ?」
世間一般的に、子供というのは女性の側の切り札のようなもので、時として相手の人生を縛る鎖になりかねない。縛られる覚悟がないなら、絶対に回避するべきだと思う。
「彩華さんに、別れる代わりに子供が欲しいって言われたんだって。でも、俊明さんにバレて、子供は取られたっていうか、義貴先生の所で育てることになったんだけど」
「え、でも、先生には子育てなんて出来ないでしょ?」
「俊明さんのお母さんが育ててるみたいだよ。他の女のところに先生の子供がいるのは許せないって」
「だからって、自分が育てるのもイヤじゃないのかなあ……先生だけじゃなくて彩華さんの子供でもあるわけでしょ」
「その辺は複雑だよな……でも、先生の奥さんは子供には罪はないって考え方らしくて、ちゃんと育ててるみたいだよ」
或いは、そのくらいの気概が無くては義貴と婚姻関係を続けてくることは無理だったということなのかもしれない。
「先生と義くんのお義兄さんは険悪になったりしてないの?そんなことがあったら顔も見たくないよね」
「俊明さんは穏やかな人だし、今は事情もわかってるから大丈夫なんじゃないかな?先生より彩華さんには腹を立ててるだろうけど……俺も、彩華さんにはまだちょっと恨みみたいなのがあるし」
「ゆいさんも何かされたの?」
「俺、別れた奥さんのお腹に子供がいることがわかったから復縁するかもって言われて、俊明さんと別れたから。それで淳史さんが拾ってくれて今に至るわけだけど、やっぱり彩華さんに対しては蟠りがあるかなあ。それがトラウマになって、淳史さんのことも信じられなくなっちゃたりしたし」
優生の身に起きたいろいろなことに比べたら、里桜の悩みが小さなものに思えてくる。里桜とつき合っていた義之は今は居なくなってしまったが、“一生かけても”という約束通り、里桜を幸せにしてくれた。





「そんなに急いで帰らなくてもいいだろうが」
“おかえり”の次に掛けた言葉が“じゃあね”だった里桜に、淳史は驚いたというより気を悪くしたような顔をする。
淳史と義之が出掛けているうちに帰るつもりでいたのに、優生と一緒に昼食を摂って後片付けをし終わったところで、二人は戻ってきてしまった。
「ごめんね、早く帰るって言ってきてるから。それに、あっくんだって、ゆいさんと二人きりになりたいでしょ?」
「おまえが帰っても義之が居るから一緒だ」
淳史がまだ引き止めるような言い方をすることを不思議に思いながら、帰る理由をくり返す。
「でも、くーちゃんも待ってるし、今日は帰るね」
「……しょうがないな」
何が“しょうがない”のかわからないまま、差し出される薄い箱の入った紙袋に手を伸ばした。
「おみやげ?」
「きんつば、食いたいって言ってだろう?」
「ありがとー。俺がもらっていいの?」
「おまえ以外の誰が食うんだ?」
里桜につき合ってスイーツを一緒に食べてくれていた義之はもういないことを思い出す。里桜以外の三人は、甘いものは好まないのだった。
「じゃ、遠慮なくもらって帰るね」
今度こそ帰ろうとした里桜の傍へ、義之が近付いてくる。
「送るよ」
当然のような口調に戸惑ってしまう。
「え……でも……俺、寄るところあるし」
「どこでも送るよ。遠慮しないで」
なぜか食い下がる義之に戸惑いながら、それでも送ってもらう気などなかった。
「俺、女の子じゃないし、そんな気にしなくていいから」
「僕には言えないようなところ?」
少し怖い表情に驚いて、答えられずに俯いてしまう。
「僕は保護者も兼ねているんだろう?行き先と相手くらいは言っておくべきなんじゃないのかな?」
今朝もそうだったが、義之は急に里桜の所有権を主張するようになったような気がする。
「……送ってもらう時間が勿体無いと思っただけなんだ。まっすぐ家に帰るから心配しないで」
「きみを送る時間を勿体無いとは思わないよ。この間のこともあるし、僕も一緒に行って挨拶しておきたいしね」
どうあっても引く気のなさそうな義之に負けて、里桜は久しぶりに義之の車に乗ることになった。





「ただいまー」
実家のリビングに辿りついた途端、里桜は崩れるように床に座り込んでしまった。ドアの傍の壁に凭れて、足を投げ出して息をつく。
ベビー布団で昼寝中の来望に添い寝をしていた母が、そっと体を起こしてソファへと移動してくる。
「おかえりなさい。どうしたの?そんな疲れた顔をして」
「ホッとしたら気が抜けちゃって……あのね、義くんが送ってきてくれて、お母さんに挨拶したいって言ってたんだけど、途中で会社の人から電話がかかってきて、仕事に行かないといけなくなっちゃったんだって。お母さんによろしくだって」
緊張から解放されて思考力の低下した里桜は、まとまりのない説明を母に返した。正直なところ、里桜としては義之が帰ってくれて安堵している。
「そう。何か用があったの?」
「ううん。この間、お母さん急に帰っちゃったでしょ?だから気を悪くしたんじゃないかって心配してるみたいだよ」
「今度の義之さんはずいぶん気を遣うのねえ。里桜とも、送ってくれるくらい仲良くなったの?」
「ううん……なんか、いろいろ叱られちゃった。ゆいさんの所に行く前に義くんの所に挨拶に行くものだとか、出かける時には行き先と相手を言っておかないといけないとか」
「なんだかんだ言って、やっぱり義之さんは里桜を束縛しておきたいのね」
「そういうんじゃなくて……俺の保護者だっていう意識が強くなったみたいで、俺に常識がないと思ったんじゃないのかな?」
里桜にはいつも優しかった義之に、怖い顔を向けられた時には本当に驚いてしまった。別人になったのだと自分に言い聞かせていたつもりでも、攻撃的な面を見せられると戸惑ってしまう。
「里桜に常識がないっていうのは反論できないわね。旦那さんをほったらかしにして、主婦業をサボっているのは事実なんだもの」
「でも、俺は別れたつもりだし……ほんと言うと、もう顔を合わせるのもイヤなんだ」
「でも、義之さんは別れたとは思ってないんでしょう?里桜はちょっと勝手過ぎるんじゃない?」
母に指摘されなくても、里桜の我儘なのはわかっている。それでも、義之に接していると、いつまで経っても思い切ることが出来なくなってしまいそうで、つい避けることばかり考えてしまう。



「そうだ、きんつば貰ったから一緒に食べよ?」
淳史に貰った包みを解きながら母を誘う。
「またお隣さんから?いつも悪いわね。たまには何かお返しした方がいいかしら?」
お茶を淹れるためにキッチンへと向かう母の言葉に、今更ながら、してもらってばかりだということに気が付いた。
「えっと、確か地酒とか好きみたいだよ?前に、“何とか一番酒”っていうのを持ってったことがあるんだけど……お母さんわかる?」
「そうね、酒屋さんで聞いてみれば何とかなるでしょ。また月曜にも遊びに行くの?」
毎日でも来て、と言われた通り、平日の昼間はほぼ皆勤賞だ。行かないつもりでいても、午後までには優生から催促のメールが届いて、結局は通い詰めているような状態だった。
「たぶん。でも、日曜以外は殆ど毎日行ってるから急がないよ。あっくんには土曜しか会えないし」
「そういえば、毎日出掛けてるわね。そろそろ里桜にもおこづかいあげないと困るんじゃない?電車代もばかにならないでしょう?」
「ほんと?良かったー。俺、アルバイトでもしないといけないかなあと思ってたんだ」
「じゃ、来望の面倒を見てくれているぶんを払うわね。そうしたら他のアルバイトなんてしなくていいでしょう?」
「ありがとー、ほんと助かるなあ」
「お母さんこそ、里桜が手伝ってくれて助かってるわよ。でもね、義之さんのことをほったらかしっていうのはやっぱり良くないと思うの。隣まで行ってるんだから、義之さんの所にも寄って、お掃除と洗濯だけでもしてこれない?いつも帰りが遅いんなら、顔を合わさずにすむでしょう?」
「そうだけど……留守中に入るのはどうなのかな?」
一緒に住んでいる時でも寝室を分けていたくらいなのに、留守とわかっていて室内に入るのには少し抵抗を感じる。
「向こうは、まだ里桜と一緒に住んでるつもりなんでしょう?鍵を貰ってるんだから、入るのは当たり前と思ってていいんじゃないの?」
「かな?」
「食事は外で摂ってくることが多いんでしょうけど、夜遅く帰って掃除や洗濯をするのは大変よ。感謝されても叱られるってことはないと思うから、少しは主婦業もしてきなさい」
「じゃ、今度からそうするね」
母の言う通りかもしれないと思い直し、週が明けたら実行してみようという気になれた。



「ねえ、里桜は別れたつもりだって言ってたけど、義之さんの記憶が戻ったらどうするの?そのとき他の人とつき合ってたりしたら、義之さん、どう思うかしら?」
一段落したかに思えた話題を蒸し返されて、お茶とお菓子で解れた気分がまた現実に戻される。
「でも、義くんは一生記憶が戻らない可能性の方が高いって言ってたでしょ?それに、俺じゃなくて、義くんの方に好きな人ができる可能性の方が高いと思うけど」
「どうして?義之さんは誠実に、里桜と向き合おうとしてくれているでしょう?」
「でも、俺と恋愛するのが義務みたいに思われるのはイヤなんだ」
「義務だなんて、そんな言い方しないで。義之さんが記憶を失くす前に里桜と恋愛していたのは事実なんだから、できれば元のような関係に戻れるようにって思ってくれているんでしょう?」
「ううん……義くんは、最初から責任感とか義務感で俺の相手をしてくれてただけだから……またそんな風にはなって欲しくないんだ」
初めて明かした事実に、母は心底驚いたようだった。
けれども、それは知らずにいた事実にではなく、里桜の卑屈さに対して、らしかったが。
「なんだか里桜の方が重症みたいね。そういえば、前にも家出してきたことがあったけど、結局は里桜の勘違いだったでしょう?」
「あの時はそう思ってたけど……やっぱり義くんは前の奥さんのことが好きだったんだよ」
「そんなことないでしょう?里桜は疑り深いわね。傍から見てても、義之さんは里桜のこと、すごーく愛してくれてたと思うんだけど」
「ううん、義くんはウソつきだもん。ほんとは甘いものなんて好きじゃないのに、俺が甘党だからって合わせちゃうし、大人の女らしい人の方が好きなのに、大人にならなくてもいいって言うんだから」
「合わせてくれたらいけないの?どちらかが我慢したり無理したりし過ぎるのは良くないけど、誰だって多少は譲り合うものよ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
隠し事ばかりの里桜は、誰に対しても納得させられるような説明は出来そうになかった。
「それとも、他にも何か事情があるの?里桜は義之さんのことをちっとも信用していないみたいに思えて仕方ないんだけど」
「だって……お母さんだって、あんな男前で一流企業に勤めてて相手に不自由しそうにない人が、俺なんかを相手にするの、変だと思うでしょう?」
「そうねえ。それは一理あるかもしれないけど……でも、里桜は可愛いし、家事だって出来るし、望まれても不思議じゃないと思うわよ?親からすれば、一回りも年上のくせに若い子に手を出すなんて、ふざけんじゃないわよ、って感じだしね」
今まで里桜や義之には言わずにいた母親の本音を聞いて、引け目を感じているのはお互いさまなのかもしれないと思うことができた。



- Defference In Time(2) - Fin

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