- CHINA ROSE(7) -



優生の思惑通り、出迎えにもいかずにソファで抱き合ったままの二人に目を止めた途端、義之は眉を顰めた。
「……そういう所はあまり見たくないんだけど?」
非難するような義之の口調に、優生は当てつけるように密着度を増してきた。
優生は義之を挑発するために度を越した態度を取っているらしく、片割れとしてはどうにも居心地が悪い。義之の少し後ろに立つ淳史が何も言わなくても、優生と里桜が必要以上に接触することを嫌うとわかっているのに。
「義之さんに抱きついているわけじゃないし、関係ないでしょ」
「僕はその子の保護者代わりだよ?害になるようなことはしてもらいたくないな」
尤もらしい言い分にも、優生は耳を貸す気はなさそうだった。
「ヤりたい盛りなの、わからないの?」
「こんなことをしなくても、きみには淳史がいるだろう?」
「俺じゃなくて里桜だよ。義之さんが放っとくから、それなら俺が、って気になるんでしょ」
際どい会話に口を挟むこともできず、ハラハラするだけの里桜を庇うように、淳史が割って入る。
「優生、いい加減にしないか」
「わかってるから、ちょっと待って。義之さんはそんなモラリストじゃないってことを思い出して欲しいだけなんだ」
「そう急かすな。一番焦ってるのは本人に決まってるだろうが」
「とてもそうは見えないけど。このままじゃ、里桜は生殺しだよ?」
「里桜をおまえと一緒にするな」
淳史の言葉にうろたえたのは里桜だけで、当の優生は自覚があるのか、特に気にした風ではない。義之に対しては強気な優生も、淳史に対しては素直で、腕を引かれるままに立ち上がり、身を預けた。
「悪い、ちょっと外す」
寝室へと場所を移す二人を見送りながら、里桜のせいで喧嘩にならないことを祈った。
「仲が良すぎるのも考えものだよ?」
義之の声は里桜を責めているようで、不機嫌な表情を見る勇気が持てずに、俯いたまま言葉を返す。
「……ゆいさんは、少しスキンシップが大げさなだけだから・・・俺とどうかなるってことは絶対ないし、あの二人がおかしくなることもないから」
幾度かの危機を乗り越えて元の鞘に納まった二人は、もう少々のことで壊れるような関係ではなくなっているはずだった。
「そうだとしても、見ていて気持ちいいものじゃないよ?彼が羽目を外すのは、きみの格好にも問題があるんじゃないのかな?」
里桜の肌の露出が多いと気に障るようだと気付いて以来、義之の前では服装に気を付けていたが、こんなに早く帰ってくるとは知らず、今日はタンクトップにハーフパンツ姿で来ていた。これまでに、淳史から里桜の服にクレームを付けられたことはなく、だから里桜も特に気にしたことはなかった。
「……ごめんなさい、俺、着替えてくるね」
本心では、義之がそこまで怒る方が不思議だと思いながら、これ以上気まずくならないうちにその場を離れることにした。




義之のいる空間から抜け出すと、ホッとしている自分に気付く。傍にいたいと思いながら、それを妨げているのは実は里桜自身なのかもしれなかった。
着替えるついでに風呂に入っておこうと思い、今では里桜の部屋と化している和室に寄る。義之と別々に眠るようになってから一週間も経てば、衣服を取りに寝室に行く必要もなくなってしまった。
洗面所に入る度、見ないようにしようと思っているのに、洗面台の棚に無造作に置かれたままの指輪に目がいってしまう。義之が指に嵌めようとしないのは、まだ里桜と向き合う気がないという意思表示なのだとわかっていた。
或いは、それが義之の指に納まる日はもう来ないのかもしれないが。
まだ結論を出すのは早いのに、かつての義之に甘やかされ過ぎていた里桜はギャップを受け止め切れずにいる。それとも、周りから呆れられるほど猫可愛がりされていたのも、異常なほどに執着されていたのも、実は里桜の妄想だったのだろうか。片思いのあまり、都合の良い夢を見ているうちにそれが現実だと錯覚してしまい、夢から覚めて、途方に暮れているのが本当なのかもしれない。
考え込み過ぎて、シャワーを済ませる頃には、里桜はもう一度義之のいる所へ戻る気を失くしていた。我ながら意気地がないと思いつつ、また義之の気に入らないことをしてしまうかもしれないなら、行かない方がマシだと思い直す。
今日はもう義之に会うことはないだろうが、念のため露出度の低いTシャツに7分丈のパジャマズボンを身に纏って、寝室代わりの和室に場所を移した。
畳んだままのふとんに凭れかかり、眠くなったからこのまま寝ることにしたと優生にメールを送る。里桜が義之といると緊張することを知っている優生なら、今日のように不機嫌な義之と過ごすのは耐えられないとわかってくれるだろう。
ほどなく返ってきた優生からのメールには詮索するような言葉はなく、明日も優生の所へ来るように誘う言葉と、“おやすみ”にキスマークが添えられていた。里桜も、“おやすみなさい”にハートマークを付けて返した。




翌日も、里桜はいつものように夕方から優生と過ごし、一緒に夕飯の用意をしたり、誘われるままに肩を借りて寛いだりしながら過ごした。ゆったりと淳史の帰宅を待つ平和さは、里桜も工藤家の一員になってしまったのかと勘違いしてしまいそうなほど。
それでも、里桜が淳史を出迎えに行く立場にないことくらいは弁えている。優生と連れ立ってリビングへ入ってくる淳史に、“おかえりなさい”と声を掛けるに留めた。
「おまえが居ることに違和感を感じなくなってきたな」
慣れとは凄いもので、この頃の淳史は、優生と里桜がベタベタとくっついていても目くじらを立てて怒ることは無くなっている。淳史と優生の間に信頼関係が築かれたのか、単に里桜では役者不足だと思われているのかはわからないが、優生と仲良くし過ぎることに文句はないようだった。
こうやって淳史と二人して里桜を甘やかすから、ますます居つくことになってしまうのに。
「先に義之のことを話してもいいか?」
「うん?」
里桜の隣へと腰掛ける淳史が、そんな風に前置きをするのは、あまり喜ばしくない話だということなのだろう。
ネクタイを緩める手元に視線を止めて、淳史から何を聞かされても取り乱さないようにしようと身構えた。
「昨夜おまえが帰ったあとで義之と話したんだが、おまえとどういう風につき合っていくべきなのか、まだ迷っているようだな」
「うん、そんな感じだよね」
そのくらいは里桜にもわかっているつもりで、軽く頷いた。未だに義之が里桜とまともに過ごしたことがないのは、意図的に二人になることを回避しているからなのだろうと思っている。
「おまえが卒業するまで、まだ一年近くあるだろう?それまで待たせるということは、その間、義之に禁欲しろという意味だっていうのはわかってるか?」
「え……だって、待つって決めたのは義くんだよ?ケジメだから俺とはそういう類のことは一切ダメって言ってハグもさせないのに……」
そのうえ、一緒に寝たところで間違いも起きないとまで言われていたのに。
里桜の覚悟は全くの見当違いだったようだが、驚きと衝撃は想像以上に大きかった。



「おまえ、裸同然でウロウロしたり、義之のベッドに忍び込んだりしたんだろう?だから、義之はおまえに誘われてるんじゃないかと警戒してるようだな」
「裸同然って……俺、風呂上りでも上も下も着てるし、寝室も義くんに譲ってるから、着替え取りに行くのにも気を遣ってるのに……」
「義之さん、自意識過剰なんじゃないの?」
心底呆れた、と言わんばかりに優生が辛辣な言葉を挟む。
「仮にセマられたとしても、嫌なら応じなきゃいいだけでしょ。里桜みたいな非力で可愛いの相手に、何を怖れることがあるって言うんだよ?」
容赦のないきつい口調は、日頃の優生の優しそうな面差しからは想像もつかないほどだった。
「義之は相手に困ったこともなければ、ストイックに生きようなんて思ったこともないだろうからな。そうでなくても、あの家系は精力が有り余ってるってのに、恋人だという相手は子供で、浮気もできないとなれば、自分の忍耐力を疑うのも仕方がないだろう?」
「口では尤もらしいことを言ってるくせに、里桜に欲情しそうってこと?それなら、さっさと襲っちゃえばいいのに。里桜が幼すぎて出来ないってこともないんでしょ?」
「出来ないと思ってないから苛ついてるんだろう?義之は守備範囲が広いし、里桜の容姿が好みから外れてるとは思えないしな」
「じゃ、問題ないんじゃないの?」
優生は、何を悩むことがあるのかと不思議そうだ。里桜も、まさか義之にそんな風に思われているとは考えてもみなかっただけに戸惑ってしまった。
「……だから、里桜が義之に誤解させているから手が出せないんだろうが。どうあっても、里桜に対してはプラトニックでいなければいけないと思い込んでいるようだからな。それでも、一緒に暮らしていれば、また同じことをくり返してしまうんじゃないかと危惧してるんだ」
それなら、そんなに頑なにならなくても歩み寄ってくれればいいのにと思う。“待つ”の意味を誤解させたのは里桜かもしれないが、記憶を失くした義之までそれに倣う必要はないはずだった。
「そんな常識的でヘタレな義之さん、ニセモノだよ?そんな悠長なことを言ってる間に、里桜を誰かに取られるかもって思わないのかな?」
優生の言葉は、ずっとモヤモヤとしていた里桜の胸の内を言い当てていた。
「……ねえ、あっくん?俺は義くんのそっくりさんと浮気しようとしてるんじゃないよね?」
「おまえも意外と疑り深いんだな。俺には、中も外も義之にしか見えないが」
それは淳史が何年も前から義之を知っているからで、里桜の二年分の認識とは違っているのだと思う。でも、それを上手く説明することはできなくて、反論するのはやめておいた。





植え込みのブロック塀に浅く腰掛けて、ぼんやりと人の流れを追う。
普段の里桜は夜出歩くということは滅多にないが、今日は相手の都合で20時半に駅の傍で待ち合わせていた。着いて間もなく、仕事が終わらず少し遅れるというメールを受け取ったが、他に行きたい所もない里桜はその場に居座ったままで時間を潰すことにした。半時間ほどのためにウロつくより、明るく人通りの多い所でいる方が安全に思えたのと、単に面倒くさかったからだ。
手持ち無沙汰に行き交う人を眺める里桜が、傍目には物欲しげに見えるのか、いつにないほど何度も声を掛けられた。中には義之よりずっと年配の相手もいて、もちろん、それは里桜が女の子に見えているからなのだろうが、世間には里桜のような幼さを好む男もいるのだと思うと複雑な気持ちになってしまう。
いい加減、ナンパを断るのにも疲れてきた頃、待ち人が現れた。今の義之が一番必要としているらしい、元妻の美咲。
「ごめんなさい、遅くなってしまって。どこかに入ってもらっていればよかったわね」
里桜がナンパ相手を刺激しないよう手こずっている所を見ていたらしく、美咲は申し訳なさそうな顔をしていた。
「ううん。連絡もらってたんだし、気にしないで」
仕事の後に直行して来ているからなのだろうが、美咲はいつもの素顔に近い雰囲気ではなく、華やかな顔立ちを際立たせる少し濃い目のメイクだった。重ねたキャミソールから覗く胸元は大きく開いていて、フレアのスカートの裾は短く、長い脚を惜しげもなく晒している。美咲のように長身で美人だったら、せめて童顔でなくもう少し大人びた外見をしていたら、里桜も義之に認められたのだろうか。
「遅くなっちゃったけど、お腹すいてない?」
「うん、俺は食べてきたから。美咲さんは?」
「私も差し入れをいただいたから食事はいいわ。何か冷たいものでも食べましょうか?」
「うん」
仕事帰りで疲れている美咲のためにも、まずは落ち着いて話せる所へ移動することにした。



シャリシャリと青い山を崩しながら、里桜はかき氷に集中しているような振りをしてしまう。
いろいろと聞きたいことがあったから美咲と会うことになったのに、いざ面と向かうと、なかなか切り出せないでいた。
里桜が言いあぐねているのを察してか、美咲は食べることよりも話すことを優先させようとする。
「義之さん、まだ何も思い出してないんだそうね?」
「うん……美咲さん、何か聞いてる?」
本当は、そうと知っていたから美咲に連絡を取って、会いたいと言ったのだったが。
知識を入れることに余念のない義之は、必要に応じて夜分でも電話をしていることがよくあり、特に潜めているわけではない声は、和室まで洩れ聞こえてくることもあった。決して煩いというのではなかったが、静かな時間帯だけに話の内容までわかってしまうことも珍しくない。
昨夜も、里桜がふとんに入ってほどなく義之からかけたらしい電話の相手が、美咲だということは耳に入ってくる言葉でわかった。
“切実に、今きみに傍にいてほしいと思うよ”
心なしか弱気な声が、通話を終える間際に告げた一言は今も里桜の耳に残っている。
「電話で話した時には、覚えることが多過ぎて頭がおかしくなりそうだって言ってたわね。受験の時でもこんなに勉強しなかったそうよ。そんなんじゃ里桜くんと仲良くなる暇もないでしょって言ったら、ずっとすれ違い生活なんですって?」
「うん。なんか、なるべく俺と一緒にならないようにしてるみたいな感じ?」
現状では、義之が出勤するまでの朝の一時間余りが、一緒に過ごす殆ど全てのようになっていた。仕事に行くと夜遅くまで戻らず、挨拶を交わすと直に里桜の就寝時間になってしまう。尤も、それは里桜が睡魔に負けて和室に引き上げているというのではなく、義之が早く一人になりたがっているのではないかと気を回しているからなのだったが。
「たぶん、里桜くんと出逢ってからの義之さんは、“愛がすべて”みたいな甘い人で、いつも優しかったんだと思うけど……元からそうだったわけじゃないのよ?前にも話したけど、私が慎哉くんに気持ちを移すことになったのは、義之さんが仕事に熱中し過ぎていたからよ。家に帰るのは深夜になってからで、土日も学会とか接待とか言って殆どいないし、仕事のこと以外は眼中になかったもの」
「……じゃ、今の義くんの方が本当だってこと?」
「本当っていうんじゃなくて……大切にしないと失くしてしまうっていうことをまだ知らないのよ。離婚した理由だって全部忘れてるんだから。一応言っておくけど、私は里桜くんみたいにベタベタに甘やかされたことは一度もなかったわよ?」
美咲からすれば、里桜がいじけている理由など些細なことだと言いたげだ。もちろん、それは里桜を元気付けようと、わざと大げさに言っているのだとわかっている。
「ともかく、今の義之さんは三年分の知識とか人間関係とかを頭に入れようと躍起になってて、その間にも新しく覚えなきゃならないことはどんどん増えていくし、まだ里桜くんに向き合う余裕がないんだと思うわ」
「俺がいると負担になってるんだよね?」
「そんなことないわよ。でも、一緒に住んでいることで里桜くんの方が辛くなってるってことはない?」
「っていうか、このまま記憶が戻らないんなら、一緒にいても仕方ないのかなって思ったりするけど……」
「もし記憶が戻らなくても、別人になったわけじゃないんだから、もう一度里桜くんを好きになる可能性は充分にあると思うけど……確証はないものね」
美咲の心配は里桜のものとは少し違うような気がしたが、何となく頷いてしまっていた。漠然とした違和感はまだ自分でも把握しきれず、言葉にするのは難しかった。



- CHINA ROSE(7) - Fin

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