- CHINA ROSE(5) -



義之と淳史が出掛けている間、里桜と優生は淳史の家で留守番することになった。午後からは会社の人と約束があるという義之が夜まで帰らないことを心配して、里桜を一人にしないようにという配慮らしい。
午後まで淳史と優生の邪魔はしたくなかったが、今の里桜は放っておけないと思われているらしく、半ば強引に連れて来られてしまった。
それでも、厳しい保護者たちがいなくなると気が緩んで、今度は里桜が優生の肩を借りている。
「なあ、里桜って、何でそんなに義之さんに気を遣ってんの?ちょっとくらい怒ってもいいと思うけど」
自分のことのように腹を立ててくれる優生に、里桜が気後れしている理由を話しておくべきなのだろう。
「ゆいさんは俺と義くんが何でつき合うことになったのか、聞いたことない?」
「何でって……馴初めとかってこと?そういうのは聞いたことないけど」
「前に、俺があっくんみたいな体格の人に襲われたことがあるって話、したでしょ?そのとき、義くんも一緒にいたんだ」
「一緒って……助けられない状況だったってこと?」
真っ当な理由を探す優生に、義之は最初から助ける気はなかったのだと、言ってしまえず代替の言葉を返す。
「……うまく言えないけど、そうなったのは俺の不注意で、俺が悪いんだ。でも、義くん、責任を感じて俺とつき合ってくれることになって……本当は義くんが責任を取る必要なんてなかったんだけど」
「でも、その前から義之さんも里桜のことを好きだったんだろ?助けられなかったんなら、責任を感じるのは当然のような気がするけど。そうでなくても独占欲の強い人だし、もう二度とそんなことにならないよう里桜を傍に置いておこうって思ったんじゃないのかな?」
確かに、あの日義之はもう二度と触れさせないと言ってくれた。それからは独占欲の塊のようになって、他の誰かと接することにも極端に神経質になっていた。もしかしたら、実はそれは執着ではなく、里桜がまた危険なことに巻き込まれないようにという配慮だったのだろうか。



「義くんは俺を好きだったわけじゃなくて、好きになろうとしてくれてたんだよ。俺が義くんのこと好きなの知ってて、あんなトコ見ちゃったら、放っておけないよね」
つい自嘲気味になってしまう里桜に、優生は驚くほど厳しい顔をする。
「義之さんて、そんな甘い人かな?」
「え」
どこか冷たさを孕んでいるように聞こえるのは、優生が冷静でいるからだろうか。
「俺は里桜ほどは義之さんのこと知らないけど、もっと利己的っていうか、その気もないのにそこまでしてくれるような人じゃないと思うよ?場合によっては、お金で解決したりとかしちゃいそうだし」
思いもかけない優生の分析に、里桜はしばらく呆然としてしまった。
まだつき合い始めの頃、責任感でつき合ってくれているのだろうというようなことを言った里桜に、相手が里桜じゃなかったら治療費と慰謝料を払ってお仕舞いにしていると返されたことを思い出す。里桜にはいつも優しくて、過剰に甘やかしてくれていたから、それが義之の本質なのだと思い込んでいたかもしれない。里桜を巻き込んだ手管を思えば、義之がただのいい人なわけがないと知っていたはずなのに。
「……ゆいさんの言う通りかも」
「わかったら、今確認しようのない相手まで疑うのはやめとこう?たぶん、睡眠が足りてないから余計に悪く考えちゃうんだよ。肩でも胸でも貸すし、少しでも寝て?」
「うん、ありがと」
意外な力強さで優生の胸元へと引き寄せられて、里桜はおとなしく目を閉じた。
少なくとも里桜に対しては、義之は別人になってしまったのだと割り切った方が上手くつき合っていけるのかもしれない。最初の関係に戻そうと思うから無理が生じてしまい、悪い方にばかり気持ちが向いてしまうのだろう。それよりは、今の義之と新しい関係を構築していくことを考えた方がよほど建設的だった。
そう思うと少し気分が軽くなったようで、あやすように髪を撫でる手の心地良さに任せて眠ることにした。




「……よっぽど寝不足だったんだろうね」
「こいつが寝てないとか食ってないとかいうのは見るに耐えないな」
「俺も」
頭上で交わされる会話に、だんだんと意識が覚醒してゆく。薄く開けた視界に、覗き込んでくる色素の薄い瞳が映る。
「ごめん、うるさかった?」
目を凝らさなくても少しも似ていないのに、一瞬、優生のことを義之かと思ってしまった。それがただの願望に過ぎないと、自分でもわかっているのに。
優生の膝を借りて横になっている里桜の、反対側の隣には淳史が座っていた。時間の感覚はあまりなかったが、昼寝にしては長く眠ってしまっていたのだろう。
「ごめんなさい、今何時?俺、寝過ぎちゃったんでしょ?」
体を起こそうとした里桜を、優生は膝へと戻すようにして引き止めた。
「そんなことないよ。気にしないでゆっくりしてて?」
「でも、腹へってるんじゃないのか?昼も食ってないんだろう?」
おとなしく横になっていようかと思ったところで、淳史に逆の心配をされる。
「えっと……」
起き抜けでも、今は食べられそうな感じがしていた。
「食べれそうならクレープ焼いてあるよ?無理ならアイスかヨーグルトでもどう?」
“食べない”心配は優生の方がよほど深刻だったはずなのに、今では里桜の方が心配されている状況なのが少し可笑しい。
「俺、クレープが食べたい」
「よかった、食欲が出て来たんだ?里桜は生クリームとカスタード、どっちが好き?両方?」
「うん、どっちも好き」
「すぐ持ってくるから待ってて。あ、飲み物はアイスティーでいいんだよな?」
「うん、ありがと」
用意は万端だったらしく、ほどなくクレープ生地やコランダーがテーブルに並べられてゆく。
生クリームにカスタード、チョコレートのシロップ。スライスした苺にバナナ、パインに剥いた甘夏、水気を切ったフルーツ缶。普段の里桜でも、とても食べ切れないほどの量だった。
「何からいく?やっぱ、いちご?」
「うん」
器用な指が、手際良く苺を並べて生クリームを絞り、食べやすそうなサイズに巻いて里桜に差し出す。
「いただきます」
何気なくかぶりついた里桜は、じっと見つめる二人に気付いて手を止めた。
「ごめんなさい、俺だけ食べて」
「俺が甘いものを食うわけがないだろうが。俺も優生も昼は疾うに済ませてるから気にするな」
「じゃ、俺のためにわざわざ?」
「そんな大した手間じゃないだろ?里桜が気にするんなら、俺もちょっとだけつき合おうか?」
そう言って、あまり甘いものは好まない優生も、自分のためにクレープを巻く。気遣われていることを、素直に嬉しいと思った。




「少しは元気が出たか?」
思う存分甘い物を補給して満足した里桜に、淳史の表情も和らいだようだった。
「うん。心配かけてごめんなさい。やっぱ甘いの摂らないと元気が出ないみたい」
何気ないその一言が、また淳史の差し入れを再開させてしまうことになるとか、甘いものなら食べると確信した優生がお菓子作りに励むことになるとは想像もせず。
ただ、今なら気後れしないで義之のことを尋ねられそうに思えた。
「あっくんは三年前の義くんも知ってるでしょう?その頃は今みたいに素っ気無い感じだったの?」
「素っ気無いというか、人好きのする印象は営業用みたいなところがあって、見た目ほど甘い男ではなかったな。家庭より仕事を優先させていたし、あからさまに執着を見せるようなこともなかったし、おまえとつき合うようになって義之は随分変わったんじゃないか?」
離婚する原因になった相手に復讐するために意図的に里桜を巻き込んだことからも、義之の執着心が半端でないということは身に沁みてわかっている。けれども、義之が変わったのは里桜の影響ではないはずだった。
「ううん。義くんが変わったんだとしたら、美咲さんに振られたからだよ。仕事に熱中し過ぎて、美咲さんが他の人を好きになったことにも気が付かなかったって、すごく後悔してたみたいだったから」
「そういや、義之はそれで仕事をセーブするようになったんだったな。でも、きっかけはどうでも、おまえを大事にしてたのは間違いないだろうが」
「それって、義くんが俺に合わせてくれてたってことだよね?」
「おまえと義之じゃ年も違うし、今度は逃がすつもりはなかっただろうし、そのくらいするのは当然なんじゃないか?」
里桜を一番優先すると言っていた義之は、本当にそういう風に思ってくれていたかもしれない。けれども、罪悪感の向きの違う今の義之が、里桜の気を引こうとか、合わせようとか思うわけがなかった。
「今の義くんはそんなこと、思ったこともないんだろうね」
「おまえが隠すからな」
遠回しな肯定は、里桜を責めているように聞こえた。



「もし、あっくんが義くんの立場になったら、やっぱり知りたいと思う?」
万が一にも、そんな報復をしようなどと考えるはずもない淳史に聞くこと自体が間違っているのかもしれないが。
「どうだろうな……覚えのない相手と一緒に住むことになったり、わけもわからず周りから責められたりするくらいなら、理由を知りたいと思うかもしれないな」
病院で目を覚ましてから、今の義之にとっては身に覚えのないことを美咲や淳史にいろいろ言われて酷く困惑したようだったのに、里桜と暮らすことは断らなかった。内心では面倒なことになったと思っていたのかもしれないが、一応は里桜と恋愛してみる気になってくれただけでも、感謝するべきなのだと思う。
とはいえ、このまま義之の記憶が戻らず、里桜を好きになることもなければ、終わらせなければならなくなる日が来るのだろうが。
「でも、知っちゃったら、俺とじゃ無理って思ったとき困るでしょう?」
一緒に生活するうちに里桜のことを恋愛の対象としては見れないと思っても、罪悪感で言い出せなくなってしまいかねない。
「そうだな。今の義之なら、終わらせたくなったら手切れ金とか慰謝料とか言い出しかねないな」
「やっぱり?」
黙って聞いていた優生が、納得したように言葉を挟む。
「その方が嫌だよな?」
同意を求められるまま、里桜は頷いた。
本当は、過去を消したいと思っていたのは里桜の方だったような気がする。他の男に犯されたことも、その負い目で一緒に居てくれていることも忘れて貰えるなら、全て引き換えにしてもいいと思ったことはなかっただろうか。
「義之が別れたいと言えば、そうするつもりなのか?」
自分からその話題を振ったようなものなのに、里桜はすぐには答えられなかった。



「……そこまで考えてないけど……っていうか、まだ義くんと殆ど話してないし、ほんとに俺とつき合ってくれるのかどうかもハッキリしないし」
里桜を愛せるようになると思う、とは言われたが、そのわりに親しくなろうと歩み寄ってくれる気配は感じられなかった。そのうえ、里桜が卒業するまでスキンシップは禁止と言われている。
「一回り以上も年下の高校生が相手だと聞けば、引くのが普通だろう?そうでなくても、おまえは童顔だからな。躊躇う気持ちもわからないでもないが」
「義くんて、元は俺みたいに子供っぽいのは“対象外”だったの?」
子供っぽい以前に、性別が男という時点で既に外れているのかもしれないが。
「おまえは子供っぽいだけじゃなく、実際に子供だろうが。義之はモラリストってわけじゃないが、未成年は相手にしないっていうポリシーだけは曲げたことがなかったからな」
「じゃ、俺が高校生だからダメなの?」
「未成年者との恋愛は犯罪になりかねないということは知ってるか?ヘタすれば、こっちは社会的に抹殺されるんだからな。相応の覚悟がないとつき合えないだろうが」
里桜と知り合った頃の義之からは、そういう感じは全く受けなかったが、それほどの覚悟で里桜に接触してきたということだったのだろうか。
「だから、あっくんも俺のこと、子供過ぎるって言ってたの?」
「そうだな。モラルがどうという以前に、保身のために避けた方がいいと思うからな。それに、俺は義之と違って幼いのは好みじゃないんだ」
出逢って以来さんざん言われてきた言葉の、矛盾に本当は今も納得はしていない。もちろん、優生が特別だというのはわかっているが、11歳も年下の未成年という事実は変えようのないことだった。
里桜の疑問に加担するように、優生が参戦する。
「淳史さんと出逢ったとき、俺は17歳だったよね。ずっと色気がないとか、発育不良だとか言われてたから、まさかこんな関係になるとは思いもしなかったよ?」
「見た目はともかく、俺と知り合った時には卒業間際だっただろうが。同じ未成年でも、在学中と卒業後じゃ全然違うからな」
それが聞き苦しい言い逃れだと、淳史は思っていないらしい。この話題になると、必ず淳史の分が悪くなってしまう。唯一、淳史の肩を持つはずの義之がいないせいで。



- CHINA ROSE(5) - Fin

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