- CHINA ROSE(2) -



「病人に凭れて眠るなんて大物だね」
笑いを含んだ声に、ぼんやりと目を開ける。どうやら、里桜は義之の胸の辺りへ覆い被さるようにして、二時間ほど眠ってしまっていたらしかった。
「ご、ごめんなさい」
日頃から人一倍睡眠時間を必要とする体質の里桜が、昨夜から一睡もしていないような状態で、朝まで起きていられた方が不思議なくらいだ。
「きみに連絡をするのが遅くなったようだから、あまり眠ってないんだろう?心配をかけて悪かったね」
「ううん……打ったとこ、痛いんでしょ?乗っかっちゃってごめんなさい」
「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。肩とか背中は動かすと痛むけど、じっとしているぶんには何ともないからね」
「よかった……」
睡眠はまだまだ足りていなかったが、もう一度寝直すわけにはいかなさそうだった。


「そういえば、あっくんが、お仕事を早めに切り上げて来てくれるって言ってたよ」
優生に電話をした暫く後に淳史から連絡があり、なるべく早く仕事の都合をつけて病院に寄ると言われていた。優生から事情を聞いた淳史は、里桜のことを随分心配してくれているようだった。
「あっくんていうのは誰?」
「えっと……義くん、工藤淳史さんと仲いいでしょ?今お隣に住んでるんだよ」
「じゃ、“あっくん”ていうのは淳史のこと?」
「うん」
義之の記憶にある頃の淳史は、相手が誰であれ“あっくん”なんて呼ばせるはずがなかったのだろう。他人に干渉されることを極端に嫌う淳史と、今では里桜が勝手に家に上がることも許されるほど親密になっていると知ったら、卒倒ものかもしれない。
「隣に住んでいるのは偶然、なんてわけじゃないんだろうね」
「うん。義くんがマンション買わないかって、あっくんを誘ったんだよ。傍にいた方が何かと心強いからって」
「マンション買うって……まさか淳史も結婚してるの?」
厳密に言えば違うのだが、当人が結婚していると言い切っている以上、肯定しておくべきなのだろう。
「うん、ゆいさんていうキレイな人だよ。今度20歳で俺と年も近いし、勉強見てもらったり一緒に留守番したり、仲良くしてもらってるんだ」
「淳史が結婚してるというだけでも信じられないのに、そんな若い子が相手だなんて驚いたよ。年齢より大人びた感じなのかな?」
「ううん。年相応だと思うけど。それにね、あっくんの方が“ベタ惚れ”なんだよ」
「淳史はむしろ年上好みで若い子は好きじゃなかったのに・・・三年の間に何があったのかな」
もう一言、優生は男の人だと教えておくべきなのかもしれなかったが、これ以上驚かせないよう、やめておいた。


「はーい」
ノックの音に立ち上がる。噂をすれば早速、渦中の二人が面会に訪れたらしかった。
「思ったより元気そうだな?」
里桜の顔を覗き込む眼差しは、いつもの淳史よりずっと優しい。病人より先に里桜を心配してくれたことが嬉しかった。
「うん、ありがとう。お仕事、もういいの?」
「休出だったからな、気にしなくていい」
「俺、イス借りてくるから中に入ってて?」
淳史と一緒に優生を部屋に通してからナースステーションに行くつもりだったが、優生は荷物を置いて里桜についてきた。
「ひとりでも大丈夫だよ?」
「俺が残ったら、誰?ってことになるだろ?俺、そういうの苦手だから」
「一応、ゆいさんのことも話してあるんだけど……あっくんが結婚してるか聞かれたから」
「ふうん……あ」
タイミングよく通りかかった職員を優生が呼びとめて、ナースステーションに行くまでもなく面会用の椅子を借りることが出来た。
「義之さん、俺のことを女だと思ってたりする?」
微妙な顔をする優生に、正直に答える。
「俺は性別の話はしてないよ。あっくんが話すんじゃない?」
個室に戻ると、話し込んでいる義之と淳史から少し離れて、里桜は自分のための椅子を置いた。すぐ隣に、優生が椅子を並べる。里桜と同じく忘れられているはずの優生も、二人に遠慮しているらしかった。
「あ、これ里桜に」
優生から渡された紙袋の中味はお見舞いではなさそうだった。お弁当と思しきパックにペットボトルのお茶、おそらくデザートのフルーツミックス。どう見ても差し入れに違いなかった。
「全然食べてないんだろ?」
「うん。ありがとう、ゆいさん」
大食漢の里桜にすれば有り得ないほど長く何も口にしていなかったが、そんなことにも気が付かないくらい、緊張していたのだと思う。


「遠慮しないで食べてて?義之さんには勝手にあげられないだろ?淳史さんも俺も昼はとっくに済ませてるし」
「ありがとう。それじゃ、いただきます」
会話中の淳史と義之に声をかけるかどうか迷ったが、水を差すことになりそうでやめておいた。なるべく静かに、優生が用意してくれた弁当に箸をつける。
本当は二人のやり取りが気になって仕方なかったが、努めて視線を向けないよう、耳に神経を傾けた。
「とても病人にも怪我人にも見えないな」
「そうだろう?僕だけが三年前に遡ってしまったなんて言われても信じられなくてね、最初は美咲に担がれてるのかと思ったよ。まさか離婚してるなんて思いもしなかったし、なのにマンションまで買ったそうだし驚くことばかりだよ。でも、一番驚いたのは僕がショタになっていたらしいことだけどね」
すぐ傍にいる里桜が気にするかもしれないとは思わないのか、義之は軽い口調でさらりと言い切った。
「……里桜を見て何か思うところはないのか?」
「僕が常識外れのことをしていたという話なら聞いたよ。今の僕なりに考えて、彼の納得のいくように責任を取るつもりだよ」
「そうじゃない。おまえはストーカー並に里桜に思い入れていたんだ。いくら記憶が飛んでるといっても、少しくらいはそういうのが残ってるんじゃないのか?」
「そう言われても……可愛い子だとは思うけど、今の僕は罪悪感と背徳感でいっぱいで、邪な気持ちはないよ」
軽く首を振って、淳史が小さくため息を吐くのが聞こえた。昨日までの義之を、本当の意味で知っているだけに複雑な心境になってしまうのだろう。
「それより、淳史こそ若い子と結婚したんだろう?残念ながら全く覚えていなくてね、改めて紹介してくれないか?」
「……そうだな」
一瞬の逡巡のあと、淳史が優生を呼んだ。優生はあまり気乗りしない風に立ち上がると、殊更ゆっくりと淳史の傍へ近付いていった。


「結婚したというより、既婚者になった気でいる、と言った方が正しいんだろうが……見ての通り優生は男だからな。籍は入れたが、婚姻届というわけにはいかなかったんだ」
座ったままの淳史に掴まれない距離を保って、優生が義之に軽く頭を下げる。それまでの義之の言動を聞いていたせいか、優生の態度はいつになく反抗的な感じがした。
暫し絶句してしまう義之の胸中を思うと、遣る瀬無い気持ちになる。淳史は“見ての通り”と言ったが、優生はかなり中性的なルックスをしていると思う。
「……まさか、淳史もそうなっているとは想像もしなかったよ」
義之が目を覚ましてからというもの、次から次へと衝撃を受けるようなことばかりが続いていて、精神的な疲労は相当なものに違いない。
「覚えていない奴に言っても仕方がないんだろうが、優生が前の相手とおかしくなっている隙に奪ってしまえばいいと言ったのはおまえなんだぞ?」
「僕が淳史をけしかけるようなことを言ったのか?……男の子でも、あの人よりはいいと思ったのかな?」
「それもあるのかもしれないが、どっちかと言えば、自分が“可愛い仔猫”を囲ったから共感して貰いたくなったんじゃないのか?理由はどうあれ、俺を焚きつけるようなことを言ってくれたことには感謝してるよ、もし黙って見ていたら俺のものにはなってなかったからな」
ふと、義之は考え込むような表情を見せた。
「……僕も、彼を強引に自分のものにしたようだけど、誰かに取られそうになっていたんだろうか?淳史はその辺りの事情を知っているんだろう?」
「そうだな……取られるというより、せっかく懐いてきていたものをみすみす逃すのが惜しくなったんじゃないのか?前の男は相当里桜に惚れていたそうだからな」
淳史がそんなことまで把握していたとは、里桜は知らなかった。平然と答えているように見えても、淳史の頭の中では微妙な計算がなされているのだろう。
「ということは、僕も少しはその子のことを好きになっていたということなのかな?」
義之の言葉は、寧ろそうは思えないと言いたげに聞こえた。


「思い違いがあるようだから言っておくが、おまえは責任を取るために里桜を愛そうとしていたわけじゃないぞ?強いて言えば、とっくに好きになっていたから、責任を取るという名目で里桜を縛りつけておくために“強引”なことをしたんだと思うが」
敢えて誤解させるような表現を選んだ淳史に、義之は神妙な顔をする。
「美咲にも同じことを言われたよ。淳史も、僕が責任を取るには傍にいて彼を愛するよう努力するべきだと思うのか?」
「そういう言い方は気に入らないが、結論から言えばそうなんじゃないのか?いくら覚えてないと言っても、おまえが里桜の人生を曲げたのは変えようのない事実だからな。愛せるかどうかは別にしても、試してみるくらいのことはして当然だろう?」
淳史の不遜な態度に、義之は逆らうことを諦めたようだった。記憶を失くして分が悪いからか、里桜の知る、穏やかなようでいて決して自分を曲げることのない義之とは別人のようだ。
「彼とは一緒に住んでいるようだけど、退院してからもそうした方がいいんだろうか?」
「いいも悪いも、おまえには他に帰る所がないだろうが。里桜だって今更実家に戻るわけにはいかないだろうしな。それに、一緒にいるうちに少しずつ思い出すかもしれないだろう?」
「わかったよ、美咲にも親睦を深めるよう言われてるんだ。淳史とは隣らしいし、面倒をかけることになると思うけど」
「元から里桜はうちに入り浸ってるんだ。何かあったら、いつでも頼ってくれていい。うちのは“専業主婦”だからな」
「助かるよ。正直、一回りも年齢が開いていると何を話したらいいのかもわからなくてね。暫く一緒させてもらっていいかな?」
「構わないが、優生とは2歳違うだけだぞ?」
「でも、今度20歳になるんだろう?しっかりしてそうだし、やっぱり高校生とは違うよ」
義之に次々と信じ難い事実が降りかかってきたのと同じように、里桜の存在を悉く否定するようなことばかり言われているような気がする。里桜の年齢もルックスも今の義之の気には召さず、出来るなら一緒に暮らすことも避けたいと思っているのだろう。


「で、どのぐらいで退院できそうなんだ?」
「そうだね、すぐに退院の手続きをしてこようかな?検査の結果は何も異常がなかったようだし、入院していたからといって記憶が戻ってくる可能性は低そうだしね」
ずっと病人然としていた義之が不意にベッドから降りる。一旦思い立つと、行動が早いのは元かららしかった。
「大丈夫なのか?」
「覚えていないということを除けば、軽い打撲だけだからね、入院している必要はないはずだよ。必要なら通院すればいいだろうし。とりあえず仕事に必要なことだけでも頭に入れないといけないし、ゆっくりしてる時間が勿体無いよ」
「仕事のことも覚えてないのか?」
「そのようだよ。ここ三年分ごっそり、切り落としたように皆無なんだ。何から手を付ければいいのか、考えただけで眩暈がしてきそうだよ」
病衣を脱いだ義之が、ふとその手を止める。
「今更かもしれないけど、このまま着替えて構わないかな?」
尋ねられた意味がわからず、里桜は首を傾げてしまった。代わりに答える優生が、わざとらしいくらい真面目な顔をする。
「俺、義之さんが脱いだくらいじゃ欲情しないから、お気遣いなく」
「淳史の恋人はおもしろい子だね」
「……聞き流せよ、ただの嫌味だ」
その真意が気に掛かったのは里桜の方だったが、考え事をしている場合ではなさそうだった。慌てて弁当の残りを食べてしまおうと焦る里桜に、義之は幼い子供を見るような優しげな顔を向けた。
「そんなに急がなくても大丈夫だよ?手続きには少し時間がかかるだろうし、ゆっくりしてて」
「俺も義之と一緒に行ってくるから、優生、片付けを手伝ってやってくれ。許可が出たら皆で帰ろう」
連れ立って出て行った二人は、義之の宣言通り、退院の許可を貰って戻ってきた。



- CHINA ROSE(2) - Fin

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補足というか蛇足というか……。
義之が着替えの途中で優生と里桜の了承を得ようとしたのは、人前で着替えるというだけでなく、
その二人を男として扱っていいのかどうかを迷ったからです。
同じく、“このまま”というのは“カーテンも引かずに”という意味で言いました。