- 仔猫は一途に、わがままを貫く(5) -



「どうして他の男と二人っきりになるかな?しかも男の部屋で」
呼吸と前髪を乱した義之が淳史の部屋を訪れたのは、里桜が来た午後過ぎから2時間余り経ってからだった。
玄関先で出迎えた里桜の体が、答える間もなく長い腕に抱き取られる。まるで遠距離恋愛の恋人同士が何ヶ月ぶりかに会った時のような強い抱擁に、つい弱気になってしまう。
「どうしてって……そんなに心配しなくても、あっくんでしょ」
「淳史だからって信用しちゃダメだよ。里桜は自分が可愛いことを知らな過ぎるよ」
リビングに向かいながらの会話は筒抜けで、里桜の腰を抱いて近付く義之に、淳史はウンザリしたように首を振って見せた。
「俺がこんな色気の欠片もない乳臭いガキに血迷うわけがないだろう」
「あっくんこそ、本人を目の前にして、そういうこと言う?ひどいよ」
いつものように、里桜は義之の膝に乗せられてソファに腰掛けた迫力の無い格好で、上目遣いに淳史を睨んだ。淳史は二人の傍に座る気はないらしく、カウンターに背を凭れかけさせるようにして佇んだままだ。
「里桜?誰が何と言おうと、他所の男と二人きりになったりしちゃダメだからね。特に淳史には同居家族がいるわけでもないし、何かのはずみでおかしな雰囲気になったらどうするの?」
三人三様の言い分はかみ合わないばかりか、義之のただならぬ気配に淳史がため息を吐く。もう反論するより呆れてしまっているのかもしれない。
「義くん、他の人はともかく、あっくんは心配ないんじゃないの?俺みたいなのには興味ないって言ってるし、義くんとは友達なんだし」
「……淳史には前科があるからね」
意味有りげな言い方がどういうことを指すのか、鈍い里桜にも察しがついてしまった。
「だから、あれは俺の方が先だったと言ってるだろうが」
「でも、それを黙ったままでつき合い続けるのは、俊明を裏切っていたのと同じことだよ?」
「しょうがないだろう、彩華が黙っていて欲しいと言ったんだ」
「淳史の趣味の悪さには本当に呆れるよ。どうして、あんな人に弱いんだか」
「いい女だぞ。まあ、性格には多少の問題があるかもしれないが」
「多少なんてレベルじゃないだろう?僕は寛容な方だと思うけど、あの人だけは論外だからね」
「そこまで言うか」
発端は里桜との痴話喧嘩だったはずが、いつの間にか相手と話がすり替わってしまったようだ。かといって、二人にしかわからない会話に口を挟んでもいいものかどうか迷ってしまう。
里桜の戸惑いに気付いた義之が、淳史と言い合うのを中断して説明を始めた。
「俊明というのは淳史の古くからの友人で、父の正式な息子だよ。僕の義兄に当たるわけだけど、誕生日が3ヶ月ほど違うだけの同級生で、学生時代は三人で親しくしていたんだ」
新たな事実の発覚に、里桜はすぐには反応できなかった。少し考えれば、父親だけでなく兄弟姉妹のいる可能性にも気が付いたのだろうが、初めて父親がいると聞いた時のショックが大き過ぎて、そこまで頭が回っていなかった。
「俊明はその人と結婚したから、彩華さんは僕の義姉になったというべきなのかな?」
「じゃ、義くんにはお兄さんとお姉さんもいるんだ……」
「何度も言うけど、法的には他人だよ?しかも、お義姉さんには何度もアプローチされるくらい、身内扱いされてないしね」
義之の目線は里桜にはなく、どうやら喧嘩を売っている相手は淳史らしかった。
「それは初耳だな?」
「わざわざ報告して揉めさせることもないだろう?それに、結婚前のことだから自由だと言えなくもないしね」
「……なんか、俺の神経がまともなのかどうか自信なくなってきちゃった……」
つき合っている相手がいるのに義之と会っていた里桜は、相手にも人としても大変なことをしてしまったと思っていたのに、この大人たちの会話を聞いていると、たいしたことではなかったような気がしてきてしまう。
「義之よりは、おまえの方がよっぽどまともだから心配するな」
淳史の言葉も、里桜を擁護しているというよりは、義之に対する嫌味のようにしか聞こえない。
「僕と比べるまでもなく里桜は普通だよ。少し晩熟なくらいで」
義之とつき合うようになって、一足飛びにいろいろな経験をしてきた里桜は、もう晩熟とは言えないような気がしていたが、それでもこの大人たちから見れば、まだまだ子供だということなのだろう。
「その晩熟な子供に現を抜かしてるおまえの方が、俺にはよっぽど危険人物に見えるんだが」
「僕は大切な人を誰にも取られたくないと思っているだけだよ。大人だと思っていた美咲にさえ誤解されたんだ。くどいくらいに伝えていても、若い里桜を繋ぎとめておくことは難しいとわかっているよ」
「誤解って、どういうこと?」
「初めて会った日に話しただろう?僕が仕事に一生懸命になり過ぎて、美咲のことをないがしろにしていたと思われてしまったことだよ。里桜には同じ思いをさせたくないし、誰かに付け入る隙を与えたくないんだ。だから、僕は仕事より里桜を優先するし、出来る限り一緒にいるよ」
つき合い始めてからずっと、まるで仕事をサボっているかのような義之の行動に呆れたり心配したりしていたが、まさかそんなにも大事にされていたとは想像もしなかった。
「これだけ思われてて、まだ疑うか?」
ぼそりと呟く淳史の、それみたことかとでも言いたげな口調に、小さく首を振る。
隠し事をされていたという事実は消えていないのに、里桜の悩みは殆ど解決したも同然らしかった。



「なんか、義くんのお父さんの話から脱線しちゃったよね」
辿り着いた義之のマンションで、里桜は迷いながらもその話を振ってみた。途端に、義之は一度は納まっていたかに思えた機嫌を悪くしてしまう。
「まだ父のことが気になるの?」
並んで腰掛けていたはずの体は、答える間もなく向かい合うような格好に引き寄せられた。場所は変わっても、やっぱり義之の膝に乗せられてしまう里桜の立場に何の違いもない。
「気にするのが普通でしょ?義くんはお父さんの話をするのは嫌なの?」
「父に限らず、きみが他の男の話をするのは聞きたくないよ」
子供じみた言い方に、淳史の言葉を思い出す。まさかと思うが、義之は本当に里桜が誘惑されるのではないかと心配しているのかもしれない。
「お父さんだけじゃなくて……義くん、お母さんのことも話したくないの?」
「ああ、そういえば、あのままになっていたんだったね」
里桜が悩んでいたことなど知らないらしい義之は、事も無げに話し始めた。
「母は看護師になってすぐに勤めた病院で、勤務医だった父と知り合ってつき合い始めたんだよ。結婚の約束をしていたそうだけど、父はそこの院長の娘だった俊明の母親に気に入られて縁談を持ち掛けられたらしくてね。母はその噂を聞いて黙って姿を消したんだよ。父が結婚してからはまた会っていたそうだけど、暫くして今度こそ消えたんだよ。僕を授かったことを黙ったままで」
義之の話は淡々とし過ぎていて、逆に意味を理解するのに時間がかかってしまった。
「よくわかんないけど……義くんの言い方だと、お父さんは悪くないみたいに聞こえるんだけど?」
「そうだね。母は何も言わずに突然消えてしまったそうだから、むしろ恨んでいるのは父の方かもしれないね」
「じゃ、どうして……」
義之がこんなにも父親を毛嫌いする意味がわからない。
「僕が高校に上がる少し前に、母が末期ガンだとわかってね。元から生活には困ってなかったし、大きな保険に入っていたから経済的な問題はなかったんだけど、母は未成年の僕には後見人が必要だと思ったんだろうね。僕に黙って、別れてから一度も連絡を取ってなかった父に相談したんだよ。寝耳に水だったろうに、父も、横恋慕で別れさせたと気に病んでいたらしい俊明の母親も諸手を挙げて歓迎してくれて、こっちが戸惑うほどだったよ」
「それなのに、お父さんと仲が悪いの?」
「父に連絡した時点で余命3ヶ月と言われていたからね。延命するより痛みを和らげるしかないような状態だったから、父はすぐに自分の病院に入院させて最期まで付きっきりで面倒を見ていたよ。それこそ、人目も憚らずに」
やっぱり、理由がわからない。
首を傾げる里桜に、義之は今までに一度として見た事のない、拗ねたような顔で答えた。
「それまで、ずっと母と二人で生きてきたのに、よりによって最期に取られたんだよ」
「……義くん、もしかして、お父さんにヤキモチ妬いてるの?」
「まあ、そういうことになるのかな」
里桜の肩へ顔を伏せるように凭れ掛かってくるのは、もしかしたら義之は子供っぽい表情を見られたくないと思っているのかもしれない。
こんな義之を見るのは初めてで、里桜は少しくすぐったいような気持ちで広い背中を抱きしめた。これで頭を撫でたりしたら、形勢逆転も可能かもしれない。
迷いながら、もうひとつの疑問を口にする。
「義くんのお父さんって、最初から女グセの悪い人だったの?」
言い終わらないうちに顔を上げた義之が、不機嫌そうに眉を顰める。
「まだ父の話をしたいの?」
「そういうわけじゃないけど……なんか、イメージが上手く繋がらなくて。お母さんの最期だけいい人になったの?」
「いい人になったわけじゃなくて、離れていた15年余りを埋めるのに必死だったんじゃないかな。もし母が病気じゃなかったら恨み言も言いたかったんだろうけど、最期まで言わないままだったようだから」
「義くんのお父さんは、ずっとお母さんのことが好きだったんだね」
たぶん、里桜の想像は間違っていないはずだった。義之は、まるでそれが悪いことのように表情を歪ませる。
「父はずっと母に裏切られたと思い込んでいたようだったから、女グセを悪くさせた原因は母なんだろうね。何があっても僕は母の味方だけど、残された者のことを思うと複雑だよ。父の結婚相手も、俊明ももう少し嫌な奴だと良かったんだけどね」
そういう意味でも苦労をしたことのない里桜には、義之の複雑さを本当に理解するのは難しかった。嫌な奴で苦労したというのならともかく、いい人だったから敬遠したくなるというような言い方には同意しにくい。掛ける言葉は見つからず、ただ身を預けたままで義之の気の納まるのを待つ。
「里桜」
きつく抱きしめられると泣きたいような気持ちになる。せつなげに名前を呼ばれる度に、胸が痛くて。
求められているとわかっていても、確かめ合うような時間はなかった。もう夕方近い時間で、なるべく義之を刺激しないように腕を解く。家を出る前から、休日出勤の父が定時で帰宅する前には帰って食事の用意をしておきたいと思っていた。
「義くん、そろそろ帰らないと……ご飯の用意しないで来ちゃったから」
「里桜は僕よりお義父さんの方が大事なの?」
答えられない里桜を抱く腕に、真綿のように締め付けられていくような錯覚を起こしそうになる。
「僕は君を誰かに取られそうで不安だよ」
囁くような声が切迫して聞こえて、里桜ははっきりと首を振った。誰にも、揺れるはずがないのに。
「里桜は若いから、そのうち僕より好きな相手が出来て、もう終わりだと言われそうな気がするよ」
そんな心配げな顔を見せる義之より、里桜の方が何倍も好きだと思う。優しい人を傷付けることを厭わないほど、好きになってしまったから義之の所へ来たのに。
「そんな心配するくらなら、ちゃんと捕まえておけばいいのに」
「どうすれば捕まえておけるのかな……」
「俺は子供かもしれないけど、義くんが思ってるほど鈍感じゃないよ」
「……里桜?」
もしかしたら、鈍感なのは義之の方なのかもしれない。里桜を独占することが難しいわけがないのに。
「頼りないかもしれないけど、大事なことはちゃんと話して?そうじゃないと、義くんは俺のことはどうでもいいんだなって思ってしまうから」
「里桜を失くしたくないから話すのを躊躇ってたんだよ。里桜は優しくて秀麗な人がタイプだし、父は人当たりがいいし、仲良くなっても不思議じゃない」
「そりゃお父さんのことは嫌いじゃないけど、だからって浮気するわけがないでしょ?俺が好きなのは義くんだよ。他の誰に会っても、変わるわけないのに」
「本当に?」
「うん」
疑うような言い方をする義之を少し悲しく思いながら、信用されない理由のひとつは自分にあることを再認識する。
慎哉とつき合っていた頃は、里桜にはまだ“好き”がよくわかっていなくて、抗いようのない感情の赴くままに義之と会い続けてしまっていた。いざ自覚して、恋人がいる自分は義之と会っていてはいけないと思った矢先に斎藤とのことが起こり、うやむやのうちに一緒に過ごし始めてしまった。
何も起こらないうちにもう少し時間があれば、義之と会うのをやめるか、慎哉に話すか出来ていたかもしれないと思うのは結果論なのだろうか。もし、そう出来ていたら、疚しさを覚えることもなかったかもしれないのに。



- 仔猫は一途に、わがままを貫く(5) - Fin

【 (4) 】     Novel     【 (6) 】


ほぼ、義之の過去は蔵出し出来たでしょうか。
あとは修羅場を残すのみですー。
どのキャラにも、それぞれ理由があるということで……。