- 仔猫は一途に、わがままを貫く(2) -



「あ……」
すれ違いざまに何気なく見上げた人影と目が合った瞬間、里桜は声を上げてしまった。
軽く首を傾げる背の高い相手の、整い過ぎた顔は恋人のそれに似ているような気がして目が逸らせなくなる。
困ったように笑いかけられて、ハッと我に返った。
「ご、ごめんなさい」
「誰かに似てると思ったかな?」
「え、ええ……」
よくわかりやすいと言われる里桜の表情に、恋人に似ていると書いてあったのだろうか。
「もしかして義之かな?」
「あ、それじゃ義くんの親戚とか……って、でも」
面影が被るということは義之の血縁の人なのだろうかと思いかけて、けれども身よりはいないと言っていた義之の言葉を思い出してパニックを起こしそうになる。それでも、赤の他人にしては似過ぎているように思えた。
「義之の母親と結婚していなかったから、どうしても認知させてくれなくてね」
認知させてくれなかったということは、この秀麗な男が義之の父親だということだろうか。シングルマザーだったと聞いているが、父親がいないはずはないのだから、現れてもおかしくはないのかもしれない。今まで義之の生い立ちについて、あまり突っ込んで尋ねたことがなかったから、俄かには真実だとも嘘だとも判断し難かった。
「あ、あの、じゃ、義くんのお父さんなんですか?」
「間違いないと思ってるよ」
「でも、義くんは父親はいないって……」
「私が他の人と結婚したものだから、どうしても許してくれなくてね。いまだに職場以外では父親だと言ってくれないんだよ」
「すみません、あの、職場って……?」
「清水外科って知らないかな?そこの医者なんだけど」
「お医者さんってことは、義くんのお得意さん?」
「まあ、そういう一面もあるね。もう少しゆっくり話したいけど、時間はある?」
「え、と、知らない人について行っちゃダメって言われてるので……」
「確か高校生だと聞いていたように思ったけど、小学生なんてことはないだろうね?」
中学生と言われたことは何度もあるが、さすがに小学生に間違われたことはない。
「一応、高校生ですけど」
いつになくムキになって返した里桜は、可笑しそうに見つめられて、それが冗談だったことに気付いてますます顔を赤くした。
「義之が紹介してくれるのを待っていることにするよ」
あっさりと引こうとする相手を思わず引き止めた。
「あの、義くんから、俺のことを聞いてるんですか?」
「結婚したい相手がいて、そちらでお世話になっていると聞いているよ」
「そうなんですか……」
確かに、義之ならそのくらい言いそうな気がする。容姿も、話の内容も、おそらく嘘ではないのだろう。それでも、義之の了承を得ずについてゆくのはためらわれた。
「義之に、私が会いたがっていたと伝えてくれるかな?」
「はい……あ、でも何て言えば」
「清水義貴(しみず よしたか)、連絡先も知らせておこうか?」
「あ、じゃ、俺も」
渡された名刺と交換する代わりに何気なく携帯を開いた里桜に、義貴は苦笑した。
「知らない人についていっちゃダメだと言われるはずだね。初対面の相手に、そんなに簡単に携帯を見せちゃダメとは言われなかったの?」
「あ……」
ついこの間怖い思いをしたばかりだというのに、また同じようなことをくり返しそうになった自分が情けない。でも、どうしても悪い人には思えなかった。確かめるように義貴を見上げる。
「8時以降なら空けておくよ、連絡先は義之も知っているからね」
「はい、じゃ、そういう風に言っておきます」
里桜の無防備さにつけ込んだりしない義貴は、それだけで信用できるいい人に見えた。



「義くん、今日ねえ、すごい男前に会ったんだよ。あんまり綺麗だから思わず見惚れちゃって、なんか義くんと……」
義之を出迎えた玄関先で、里桜は興奮のあまり、“おかえり”を言うのも忘れてまくし立てた。いつになく乱暴な腕に抱き寄せられて、最後まで言い終えないうちに言葉を止められる。
「聞き捨てならないことを嬉しそうに言うね?」
日頃は穏やかな目元に剣呑な色を浮かべていることも気にならないくらい、里桜は自分の感情でいっぱいだった。肩を抱くように回されていた手が下がり、腰を引き寄せられるのに任せて、間近から見上げる。
「義くんのお父さん、お医者さんなんだねー。学校の帰りに偶然会ったんだけど、ビックリしちゃった」
「会ったって……どこで?」
「初めて義くんに会った辺りかな?そうそう、初めて会う場所が一緒なんてすごくない?」
「待ち伏せしてたの?」
「ううん。すれ違う時、何となく見たら目が合って、そしたら義くんに似てたからじーっと見ちゃった」
里桜の腰を抱く腕が、痛いほどに強くなる。
「そういえば、君はこういう顔に弱いんだったね」
独り言のように義之が呟くのを聞いて、慌てて訂正する。
「義くんに似てたから見たんだよ?義くんて、お父さん似だよね」
「どちらかと言うと母親似だよ、年齢と共に父に似てきたかもしれないけどね」
はっきり、父という言葉を使った義之に、深く考えずに尋ねる。
「あんなカッコイイお父さんがいるって、どうして教えてくれなかったの?」
「認知されていないからね、戸籍上では赤の他人だよ」
「でも、お父さんは義くんが認知させてくれないって言ってたけど」
「他に家族のいる人だからね。籍を入れると相続問題とか、ややこしいことが起きるだろうと思って遠慮したんだよ。余計な心配のタネは増やさない方がお互いのためだからね」
「ふーん……でも、お父さんがいることくらいは言ってくれても良かったんじゃない?俺、結婚申し込まれたよね?」
珍しく、言い淀む義之をつい追及してしまう。
「ずっと隠しておくつもりだったの?」
「できることなら、そうしたかったよ」
「……そうなんだ」
書類上はどうであれ、お互い親子だと認めているのに、里桜には隠し通したいと思っていたらしい。里桜と結婚したいと言った言葉は嘘でなくとも、いつまで続くとも知れないような相手に、そこまで明かす必要はないと考えていたのだろうか。里桜にはひどく重要なことに思えたが、義之にとっては誰も入れたくないテリトリーなのかもしれない。
“愛している”とか“離さない”という言葉の効力は、その場限りのものだと思う。真実はその一瞬だけのもので、時間の経過とともに移り変わってゆき、少なくとも一生添い遂げようと思っていた相手とさえ僅か二年で別れてしまうような義之とは、もしかしたら籍を入れる以前に終わってしまうくらい儚い関係なのかもしれない。疑うわけではなく、気持ちが移ろうことを身を持って知っているだけに、それはどうしようもないことなのだと思った。
「それで、何の話をしたの?」
「話っていうほどは……もしかして悪い人だったらいけないと思ったし」
「偉いな、里桜も進歩したね。本当に悪い人だから近付いちゃダメだよ?」
どんな事情があるにしても、自分の父親をそんな風に言う義之に驚いた。それに、これまで身内はいないと言っていたことで里桜に嘘を吐いていたと思っている風でもないようだ。不意に、自分がとんでもなく薄っぺらな価値しかない存在に思えてきてしまった。
何度否定されても、やはり好きになったのは里桜の方で、こんなにも好きなのは自分だけなのかもしれないと、卑下してしまいそうになる。
「……そういえば、義くんに会いたがってたよ。8時以降なら空けとくって」
「僕に、じゃなくて、里桜に、だろう?」
「え?でも、俺とはもう会ったし……」
「うっかり紹介すると言ってしまったからね、待ちくたびれたんじゃないかな」
うっかり、ということは本当は紹介したくなかったのだろうか。考え始めると、際限なくネガティブに受け取ってしまう。
携帯を開いて操作し始めた義之が、電話をかける相手が義貴なら止めた方がいいのかもしれないと思ったが、確認する間もなく相手が出てしまったらしかった。
「すみません、診察中でしたか?8時以降が都合がいいと聞いてますけど?あまり遅くなると困りますので……ええ、では8時に」
義之の言葉は簡潔過ぎて用件はわからなかったが、相手が義貴なのは間違いなさそうだった。
義之は携帯を閉じて里桜に向き直ると、思いがけないことを言った。
「もうちょっとしたら出掛けるから着替えておいで」
「出掛けるって、どこに?」
「食事くらいつき合ってくれないかな?元はといえば君が約束してきたんだからね」
「でも、会わせたくないんじゃなかったの?」
「また僕に黙って会われるくらいなら、ちゃんと紹介しておくよ」
“また”が何を指すのかすぐにはわからなかったが、里桜を非難されていることは何となく察してしまった。
「義くん、こんな急にはムリだよ。お母さんに何も言ってないし、ご飯も作らないといけないんだから」
安静を強いられている母の代わりに食事の用意をしている里桜は、急な外出や外食につき合うことは出来ない。それは義之も承知していることのはずだった。
「今日だけだよ、なるべく早く切り上げてくるしね」
「お父さんが帰るまでに戻れる?今日は9時くらいになるって言ってたけど」
「いくらなんでも、それはちょっと厳しいよ。お義父さんに無理を言えないかな?10時には戻れるようにするから」
「じゃ、メールしとくね。でも、ホント早く終わらせてね?」
「僕だって長居はしたくないよ」
義之が何か言う度に里桜は気が進まなくなってしまう。紹介したくないのなら、しなければいいし、して欲しくもないと思った。



- 仔猫は一途に、わがままを貫く(2) - Fin

【 (1) 】     Novel       【 (3) 】


やっと、こちらにも義貴が出てきましたv
といっても顔見せだけという感じなのですが。
義之を怒らせるのが怖いので、
別人のように、おとなしくしていることでしょう。