- 仔猫は一途に、わがままを貫く(1) -



「こんな時間に子供連れで大丈夫なのか?」
急な電話で淳史の家を訪れた里桜は、玄関先での一言にカチンときた。
義之に向けられた言葉だったのだろうが、思わず言い返してしまう。
「あっくん、俺は子供っぽいけど、本当に子供じゃないんだからね」
「おまえは“子供っぽい”んじゃなくて“子供”なんだろうが」
「違うの、俺はまだ大人じゃないかもしれないけど、もう子供でもないの。意地悪言うと、お土産あげないよ?」
「くれと言った覚えもないが?」
里桜の抱えてきた地酒の一升瓶にも、淳史は興味を引かれた風でもなかった。義之からの情報では、淳史の一番好きな酒のはずだったのだが。
「淳史、少しは嬉しそうにしてやってくれないかな?いつももらうばっかりだからって、里桜も気を遣っているのに」
「酒一本じゃ割に合わないような気がするが」
それほども、押しかけられたことが気に入らなかったのか、淳史は厳しい顔を崩さなかった。
それでも、どうしても淳史にお願いのある里桜は、ヘコんだ顔を見せず明るく返す。
「あっくんと義くんはコーヒーでいいんだよね?淹れてくるねー」
淳史の返事を待たずに、勝手にキッチンの方へ向かう。さすがに掃除のプロが入っているというだけあって、水回りもIHも新居のようにキレイだった。といっても、実際の所は、単に使っていないだけなのかもしれなかったが。
コーヒーメーカーは普段使いしているらしく、シンクの水切り棚に伏せられていた。見回すと、すぐに豆も見つかった。
淳史の所にはないだろうと持参した小さなパックの牛乳を、数少ない調理器具の一つのミルクパンに移す。
コーヒーが入るまでの間に、こっそりキッチンの物色などもしてみた。冷蔵庫やシンクの下やパントリーの中を、手を触れるのは我慢して覗く。義之に聞いていた通り、淳史の家には食料品は殆どなさそうだった。シンク下に積み上げられた、包装されたままの進物品らしい箱の中には、食品も入っているのかもしれないが、もしあったとしても賞味期限は怪しいだろう。
そうこうしているうちに出来上がったコーヒーを、かろうじて3つあったマグカップに注ぎ、一つだけに砂糖と温めたミルクを入れた。
トレーが見つからず、先に二人分のカップを運ぶ。
「二人は何も入れなくていいんだよね?」
ほぼ同時に顔を上げる義之と淳史は、詰めてソファに並んでいて、いかにも密談でもしていたといった風だった。
「悪いな、押し掛けてきたとはいえ、一応は客にやらせて」
「あっくん、今日は意地悪言わないでくれない?聞いたんでしょ、俺がヘコんでるの」
「俺には、いつもと変わらないように見えるんだが?」
意識してテンションを高めに保っている里桜の苦労は、淳史には見抜いてもらえないらしい。
「あっくん、ちょっとじっとしてて」
「なんだ?」
不審げな視線は向けられたが、里桜の願い通り動かずに座ったままの淳史の隣に、ちょこんと腰掛ける。そっと、肩の辺りへ抱きついてみた。
「……おい」
傍らの義之に気を遣ってか、淳史は非難するような口調だったが、引き離されることはなかった。
「よかった、大丈夫みたい」
「何だ?」
「聞いたんでしょ?ちょっと怖い思いをしたから、あっくんのこともダメになっちゃったかもと思ってたんだ」
「俺の週末を、またリハビリに使うつもりだったのか?」
「ごめんね、もしダメになってたら、そうしてもらおうかなって思ってた」
やれやれ、と言いたそうに首を振る淳史から、そっと離れて、義之の隣に回る。
招かれたわけでなく押しかけた形となったが、初めて淳史のマンションに訪れることが出来たことに違いはなかった。以前の義之の口ぶりから考えると、里桜にどんな事情があったとしても、淳史の気が向かなければ入れてもらえないはずだったのだから。
「難儀だな。男に触られる度にそれじゃ、おちおち学校にも通えないだろう?」
「そんなことないよ。一時的なものだったし、もう大丈夫みたい。それに、慣れるために、あっくんに通ってもらってたんだし」
「俺にはよくわからないが、パニック起こしたりするんじゃないのか?」
「うーん……そうかもしれないけど、その時はすぐ納まった」
義之には見抜かれていたようだったが、里桜は慎哉に甘えることでパニックに陥ってしまわずに済んでいた。もし、慎哉がいなかったらどうなっていたのかを考えるのは怖いのでやめている。
「それにしたって、よくまあ、こんな発育不良のガキをどうかしようなんて気になるもんだな」
「淳史の好みに合っていないというだけで、里桜は意外と色っぽかったりするんだよ」
「俺には理解できないが。まあ、現に被害に遭っているということは、そういう風に思う奴がいるということなんだろうな」
この状況で口を挟むのはひどく勇気が入ったが、里桜はずっと訂正しそびれていたことを話すことにした。
「あ、あの、ね、もしかして勘違いかもしれないんだ。俺、抱きしめられたからパニクっちゃって……相手も凄い緊張してたし、こう勢い余ってギュッとされただけかも」
時間が経って落ち着くと、襲われると思い込んでしまったのは里桜の被害妄想に過ぎないかもしれず、阿部は告白することに力が入り過ぎてしまっただけだったのかもしれないと思うようになった。阿部は、極度に緊張する余り少し強引になってしまっただけで、決して乱暴なことをしようとしていたわけではなかったような気がする。思い返してみれば、阿部の眼差しは切羽詰っていたが、決して情欲の色など浮かべてはいなかった。もし、里桜に襲われた経験などなければ、もっと穏便に解決できたことだったのかもしれない。
「大騒ぎしておいて、勘違いだと?」
声を荒げる淳史に、里桜は子供じみた言い訳に逃げることにした。
「俺、襲われそうになったとか言ってないもん。おっきな奴に強引にギュッとされたって言っただけだもん」
「でも、キスされたんだろう?」
忌々しげに反論する義之に慌てた。思い出させてしまうと、また機嫌が悪くなってしまいそうで怖い。
「だから、それも俺の勘違いかもって言ったでしょ。髪の毛にそこまで神経通ってないし」
「髪の毛?」
呆れたような淳史の問いに、自棄気味に答える。
「そうだよ。それも、髪の毛に触ったのが唇かもって言っただけだし」
「それだけのことで、そこまで怒ってるのか?」
里桜のショックよりも、義之の不機嫌の方が、淳史には信じられないらしかった。
「それだけ?髪の毛一本たりとも、僕の里桜に勝手に触るなんて許せるわけがないだろう?」
大きな手で額を押さえる淳史が、ひどく疲れた声を出す。
「痴話喧嘩は帰ってからやってくれ」
そのまま帰れと言われそうな気がして、話を変えるきっかけを探した。
「そうだ、俺もコーヒー取って来なきゃ。せっかくカフェオレにしたのに」
急いでキッチンに戻ってカップに触ると、もう冷めてしまっていた。かといって、自分の分だけ温め直すわけにもいかず、そのまま手にしてリビングに戻る。
「なに?」
差し出された薄い箱に、我知らず目が輝いてしまう。
「京都土産だと言ってもらったんだが。俺は食わないし丁度良かったな」
「ありがとー。あっくん大好き」
軽く“好き”と口にした里桜に、義之が露骨に嫌そうな顔をする。
「里桜、他の男に軽々しくそういうことを言っちゃ駄目だよ」
「そう目くじら立てて怒らなくても、八つ橋のことだろうが」
「八つ橋だろうが何だろうが、里桜が他の男に向かって“好き”だと言うなんて有り得ないよ。僕にも滅多に言ってくれないのに」
「……そう思うんなら、さっさと帰れ。もう用は済んだんだろうが」
度重なる淳史を疲れさせる発言に、本気で嫌気がさしてしまったらしい。
「まだ食べてないもん」
「持って帰って食え」
「やだ。まだコーヒーも飲んでないし」
「さっさと飲んで早く帰れ」
「ゆっくり飲むもん」
ムキになる里桜に、淳史も冷めたコーヒーに手を伸ばした。
「そういや、そろそろ眠くなる時間じゃないのか?」
言われた途端に時間を意識してしまい、今にも眠気がやってくるような気がして不安になってしまう。11時前から睡魔と闘わなくてはいけないような里桜の体質は、確かに子供だと言われても仕方ないのかもしれない。
「明日はお休みだから、少し遅くなっても大丈夫だもん。朝ゆっくりするし」
「ここで寝るなよ?」
迷惑そうに眉を顰められると、ちょっと傷付いた。
「心配しなくても、里桜が寝てしまっても、ちゃんと連れて帰るから大丈夫だよ」
「明日は土曜なんだし、泊めてくれるでしょ?」
「悪いな、俺は出勤だ」
「えー、あっくん明日お仕事なの?せっかく遊べると思ってたのに」
「仮に休みだったとしても、子守をする気はないからな」
里桜にではなく義之に返すのは、本気で断るつもりなのだろう。リハビリという名目で通って来てくれていた頃は、里桜に優しくしてくれていたような気がするのに、淳史はだんだん素っ気無くなってしまったような気がする。
「お仕事終わったらカラオケ行こうよ?」
「俺はそういうのには疎いんだ」
「そんな年寄りくさいこと言わないで行こ?」
「悪かったな、年寄りくさくて」
軽く流せばいいのに、淳史はいつも年齢のことになると本気で気を悪くしてしまうような所がある。それとも、断るためにわざと怒った振りをしているのだろうか。
「里桜、あまり我儘を言ってると本当に出禁になってしまうよ?」
もう少し食い下がろうと思っていたのに、義之に止められてしまった。まだまだ、里桜は淳史の特別にはなれそうにないらしい。
初めて来たばかりなのに早々に出入り禁止にされないよう、今回はおとなしく引くことにした。



- 仔猫は一途に、わがままを貫く(1) - Fin

Novel       【 (2) 】


一話完結と言いながら、8話から続いています、ごめんなさい。
とりあえず、今回の目標は阿部くん救済計画でした。
(どうでもいいことだと思うのですが、ホントは良いヤツなんです。)