- 子猫に鈴が必要な理由 -



「代わってほしいって、美咲が」
差し出された義之の携帯に伸ばしかけた里桜の手が止まる。
「……俺?」
「そう」
殆ど面識のない相手からの電話に、何の用件かも聞かされないまま出るのは勇気が要る。休日の朝ののんびりとしていた気持ちが俄かに張り詰めた。
「里桜?」
ソファの上で畏まったまま固まっている里桜を気遣うように、義之が肩へと腕を回してくる。どうやら出ないというわけにはいかないらしい。
「……もしもし?」
怖々、声を出した里桜に、美咲の口調は友好的だった。
『あのね、里桜くんに相談があるんだけど、会ってくれないかしら?』
「え……」
『慎哉くんのことなんだけど』
その名前を聞いただけで里桜の緊張が高まる。里桜はもちろん、おそらく慎哉もまだ乗り越えてはいないはずだった。
「俺、もう慎とは会ってないんです」
『別に慎哉くんに何か言ってもらいたいとかじゃないのよ。聞きたいこととか、いろいろあるんだけど、電話で話すのはちょっと難しいかなと思って』
「……聞いてみます」
返事に困って義之の顔を窺う。内容を伝え直さなくても、義之には把握できていたようだった。
「いいよ、僕も一緒で良かったらだけど」
「代わってもらっていい?」
気後れする里桜の心情を察してか、義之は笑って携帯を受け取った。里桜を胸元に抱くように腕を回して話を続ける。
「長くかかりそうかな?」
『そんなには』
里桜の耳元で交わされる会話を拾いながら、迷惑そうな顔をしないよう意識した。
「それなら早い方がいいね」
『急いで伺うわ』
「じゃ、後で」
通話を終えた携帯をテーブルに置いて、里桜の方に向き直る。
「どうやら美咲は本気できみの元カレを口説いているようだね」
「そうなんだ」
なんともデリケートな話題で、返事をするのにも慎重に言葉を選ばないといけない気がした。
「彼女は思い立ったらすぐ行動を起こさないと気がすまないタイプなんだよ。はっきりものを言う人だけど悪気はないから、もしきついことを言われても気にしないで」
「うん……」
一応頷いたが、ますますユウウツになった。今の里桜に太刀打ちできるか不安だったが、今更会わないというわけにもいかない。
「もし美咲が高橋とつき合うことになっても大丈夫?」
「うん?」
意味ありげに見つめられても、里桜には何のことだかわからなかった。
「高橋に同情したくなるよ」
「なんで?」
「前から思ってたんだけど、君はちょっと天然なのかな」
“天然”の意味がよくわからなくて首を傾げた里桜の髪を撫でて、義之が困ったように笑う。少なくとも褒められていないことだけは確かなようだった。


急いで、と言っていた通り、美咲は1時間と経たないうちに義之のマンションを訪れた。義之と一緒に迎えに出た里桜に、丁寧に頭を下げる。
「ごめんなさい、日曜の朝から押しかけてしまって」
初めて会った時の印象と変わらず、美咲は華やかで自信に満ち溢れているように見えた。美人だというだけでなく、存在感のある女性だと思う。義之と並ぶと、うっとりと眺めたくなるくらい絵になる二人だ。その間に入るのは、居心地が悪いというほどではなかったが、やはり気後れしてしまう。
リビングへと通しながら、美咲も義之と結婚していた時にはここに住んでいたのだと思うと、今更ながら複雑な気持ちになる。
ドアを入るとすぐ、義之はキッチンの方に行ってしまった。美咲は里桜に用があってきたのだから仕方のないことだったかもしれないが、何とも心許ない。
とりあえずソファを勧めて向かい合わせに腰掛けた。里桜だけでは間が持たず、すぐに本題を切り出すことになってしまう。
「あの、慎のことって俺で役に立つようなことですか?」
「ええ。教えてほしいことがあって。でも、もし答えるのが嫌なことなら気にしないで?」
「はい」
ほどなく、義之が紅茶を用意して戻ってきた。トレーごとテーブルに置いて、里桜の側でどちらにともなく尋ねる。
「僕も一緒してていいかな?」
答える代わりに、里桜は急いで座り位置を奥に詰めた。そうすることで美咲の正面から逸れ、また傍に義之がついているという安心感から少し気が楽になった。
義之が氷を詰めたグラスにアールグレイを注ぐのに目をやり、話の間を引き伸ばす。微かな緊張感を煽るように、氷を鳴らす派手な音が響いた。
「あなたも共犯でしょうから、一緒にいてもらった方がいいでしょうね」
“共犯”という言葉にビクリとした。あまりにも雰囲気が違うのですっかり失念していたが、美咲は斉藤の姉だった。
「里桜?」
見てわかるくらい、里桜は動揺していたらしかった。義之に抱かれた肩が震えないよう、抑えることさえままならない。
「慎哉くん、ずいぶん落ち込んでいるのよ。里桜くんのこと、すごく好きだったんだなあって見ててわかるの。差し支えなければ、何で別れることになったのか聞かせてもらえないかしら?できれば義之さんとおつき合いするようになったいきさつなんかも」
美咲は事情を全く知らないらしく、答えるのが難しい問いばかりを投げかけてくる。
「それは里桜には答えられないよ。そんなことなら僕に聞いてくれればよかったのに」
「義之さんと浮気してたとか、そういうこと?」
「そうじゃない。少なくとも里桜の合意はなかったからね。初めて里桜に会ったのは君を高橋の所へ送った後だよ。正直に言えば、里桜に知り合うきっかけになると思ったから君を送って行ったんだ。里桜は純粋というかずいぶん子供だったから、僕が下心があって近付いたなんて疑いもしなかったよ。少し時間をかけて油断させて、力ずくで僕のものにしたんだ」
義之の口調は淀みなく、まるで用意していたように言葉を紡いだ。里桜にはその言葉の中の嘘を訂正する勇気はなくて、ただ顔を伏せたまま沈黙していた。その心情を悟ってか、義之は里桜の肩を抱いて胸元に引き寄せる。
「何だか、あなたらしくないわね?そんなことをする意味があったの?」
「高橋は里桜にずいぶん入れ込んでるって聞いてたからね。もし僕に取られたら少しは堪えるんじゃないかと思ったんだよ」
「そんな理由で?ひどいことをするのね。里桜くん、まさか脅されてここにいるんじゃないでしょうね?」
「いえ、そんなんじゃないです」
「きっかけは不純だったかもしれないけど、里桜を奪ったのは好きになったからだよ」
「それは見てればわかるわよ?義之さん、すっかり緩んだ顔をしちゃってるもの」
義之の端正な顔を、緩んでいるなんて形容をする人がいるとは思わなかったので驚いた。緊張感も忘れて、さすがは元妻だと感心してしまう。
「じゃ、慎哉くんはあなたに里桜くんを取られちゃったから落ち込んでるのね?」
「相手が僕だとは知らないようだけれどね」
勇気を振り絞って、なんとか二人の会話に口を挟む。
「俺、慎の所には戻れないって言ったけど、他の人の所にいるとか言ってないんです」
「どうして戻れないなんて?」
「里桜は今時珍しいくらい晩熟な子だったからね、高橋は里桜が大人になるのを待っていたらしいよ。時間をかけて進展させていこうと思っていたのに、僕が横から攫ってしまったからね」
里桜が迷っている間に、さっさと義之が答えてしまう。嘘の苦手な里桜は、なるべく話さない方がいいということなのかもしれない。
「里桜くん、本当にこの人に脅されたりしてないの?」
心配そうな表情を向けられて、実は自分も共犯ですと懺悔したくなる思いを必死に抑えた。そんなことをしたら、もっと慎哉を裏切ることになってしまう気がした。
「そんなんじゃないんです。ただ、もう慎の所には戻れないって思っただけで」
「里桜は子供だから真面目なんだよ。僕はそこにつけこんだんだ」
「里桜くん、本当は慎哉くんの所に戻りたいんじゃないの?」
「いえ、それはもうないです」
「すぐに慎哉くんに相談すればよかったのに……慎哉くんはそんなに心の狭い人間じゃないわよ?」
そうなのかもしれない。でも、あの時には精神的にそんな余裕がなくて、そんな選択肢を思いつきもしなかった。
「だから、僕はそこにつけこんだんだよ。里桜は高橋の所へ帰れないと思い込んでいたから、僕の所へ来るように仕向けたんだ」
「里桜くん、本当にこんな人でいいの?」
「はい」
ここで告白するわけにはいかなかったが、気持ちはとっくに裏切ってしまっていたのだから、この環境に不満があるはずがなかった。
「で、慎哉くんは何で振られたのかわかっているの?」
「大体は……でも、慎は自分のせいで俺が被害に遭ったと思ってるんじゃないかな。俺、帰れないって言ってから全然連絡してないんです」
「話すのは無理なの?」
「いえ、今は話した方がいいかなって気がしてます」
「一度ちゃんと話してくれる?」
「はい」
「よかったわ。里桜くんが話してくれて。携帯、聞いておいていい?」
「あ、はい」
携帯を取りに行こうとした里桜の体が、ギュッと抱き止められる。
「ダメだよ、美咲は綺麗な人が好きだからね」
「失礼ね。いくらなんでも年下過ぎるでしょう」
どうやら美咲は、里桜が慎哉と同じ学年だということを知らないらしい。それとも、年齢的なことではなく里桜が子供過ぎると言っているのだろうか。
「じゃ、私の番号とアドレスを書いておくから、何かあったら連絡くれる?」
「はい」
美咲は綺麗な字で番号とメールアドレスをメモして帰っていった。里桜に、“義之さんに脅されたら相談してね”と言い残して。
「美咲とは大丈夫そう?」
美咲を見送った玄関先で、義之の問いに何気なく頷いた。後遺症のことを言っているのだと思ったからだ。
「うん。めっちゃ緊張したけど、思ってたより全然やさしそうだし」
まだ義之に抱かれたままの肩を包む手に力がこもる。
「美咲にきみを取られたらどうしようか」
「まさか。そういう意味じゃないよ、今はそんな気ないもん」
「今は、じゃなくてこれからもずっとダメだよ?」
「うん」
弁解するのが面倒になって頷いた。
「高橋とは会って話すの?」
「うん……一回ちゃんと会った方がいいんだろうなあって、さっき思った」
「高橋も男だよ、大丈夫?」
あれ以来、義之以外の男性に対しては恐怖心が湧くようになっていたが、想像する限りでは慎哉に対してはそんな気がしなかった。
「慎なら大丈夫な気がするけど」
「どうして?」
「慎は俺が嫌がることはしないから」
美咲の言う通り、すぐに慎哉に話していたら里桜を許してくれていたかもしれない。でも、元に戻ることも進展させていくこともできなかっただろう。慎哉なら、あんな風に壊れてしまった里桜を抱くことなどできなかったに違いない。里桜の気持ちを大事にし過ぎるからこそ、余計にぎこちなくなってしまっていたような気がする。
「なんだか含みのある言い方だね?」
むしろ含みがあるのは義之の言葉の方だったが、理解できずにスルーした。
「でもね、慎に会いに行くまでが怖いかも」
そもそも外に出ること自体が怖いのに、電車に乗ったりできるわけがないと思う。
「送って行った方がいいかな?」
「ううん、会うのはもう少し後にする。2学期が始まったら顔を合わすんだし、とりあえず電話しておけばいいよね」
「いつ電話するの?」
「もう少し落ち着いてから」
なんとなく感じる不穏な空気に気を遣って曖昧に答えた。
「じゃ、そろそろ今日の予定を決めてもいいかな?」
「うん。出かけるの?」
義之は休日に家に籠っているのはあまり好きではない。里桜が人慣れするためにも外に出た方がいいと考えているようだった。
「水族館とかどうかな?」
「うん!俺、ペンギンとかイルカとか大好きなんだ」
「もう遅いからすぐ出ようか?ちょっと遠いからね」
「鳥羽?」
「そうだよ。行ったことある?」
「うん。小学生の時だから5年くらい前かな?」
「5年前だと小学生なんだ……きみの年齢を意識すると犯罪者の気分になるよ」
里桜も、年齢のことに触れられるたびに義之との距離を感じて不安になる。本来ならきっと、里桜は義之にとっては対象外だろうから。
戸締りを確認してエアコンを切ると、すぐに部屋を後にした。屋外ではないから帽子も何も要らないだろうと思い、持ち物は携帯と財布だけだ。その両方とも、迷子にでもならない限りきっと必要ない。
駐車場に下りると、義之はナビの設定もしないでそのまま車を出した。何度か行って把握しているのかもしれない。
心配していたほど高速は混雑していなかった。途中で昼食を摂ったが、3時間足らずで目的地に着いた。


水族館のエントランスは混雑していた。夏休み中で日曜だからか、家族連れが多いようだ。カップルも多かったが、男二人なんて組み合わせはあまり見当たらない。義之と自分が周囲にどういう風に見えているのかが気になった。
「里桜?」
「はぁい」
義之に腕を引かれてカップルたちに紛れていく。なるべく他の人たちから距離を取ろうと思うが、混んでいて難しい。義之が庇うように肩を抱いたりするせいで、過剰なくらい人目を意識してしまう。
そうでなくても、義之との見た目の差を気にしているのに。親子ほど年齢が離れているわけではないが、兄弟というにも少し無理がある。あまり接点を感じられない二人は、ただ一緒にいるだけなら、よもや恋愛中だとは誰も思わないに違いない。
こんな風に、義之が過剰なスキンシップを仕掛けてきさえしなければ。
「先にペンギンを見に行く?」
「ううん。手前から順でいいよ。ここからペンギンのいる所って遠いし」
義之の腕を離れようとした里桜を牽制するように声がかけられる。
「里桜、はぐれるよ?」
人目は気になるが、もしこんな人混みではぐれてしまったらと思うと、掴まれた腕を解くことはできなかった。
ふと、自分でも不安げな顔をしている自覚のある里桜と心配げに腕を引く義之は、叔父と甥とか、引率者と部員とかいったような、保護者と被保護者のような関係に見えているのかもしれないと思いついた。
恋人同士に見えるのは困るが、もう少し対等な関係に見えるようになりたい。せめて、対象外と思われないくらいには。
「里桜」
水槽の方へ行くものだとばかり思って、進みかけていた里桜の体が後方に引かれて、義之の胸元に抱きとられる。
「ご、ごめんなさい」
たぶん、悪いのは里桜ではなかっただろうが、一応謝っておいた。
「里桜が緊張しているのは違う理由のような気がするんだけど?」
言われて気が付いたが、確かに人混みを気にする理由がいつの間にかすり替わってしまっていたようだ。
「僕とカップルだと思われたくないの?」
核心をつく問いに慌てて首を振る。人目が気になるというだけで、決して義之を否定する気持ちではなかった。
「じゃ、はぐれないように手をつないでおこうか。そんなに心配しなくても、たいていの人はきみの性別を疑いもしないと思うよ?」
その意味が理解できなくて、里桜はしばらく悩んだ。
里桜の洋服はたいてい母親の見立てで、やや中性的なものが多い。周囲からも似合っていると言われていたのであまり気にしていなかったが、私服になるとナンパされるのはそのせいもあると思う。今日も、グレイッシュピンクのノースリーブのパーカーにカーゴパンツという微妙な格好だった。
「それって、俺が女の子に見えるってこと?」
「というより、すれ違ったカップルの性別をいちいち気にしないと思うよ」
「どういうこと?」
「前から来るカップルの女の子が化粧っ気がなかったり言葉遣いが男っぽかったりしたら、男の子なのかなって思う?」
「ううん」
「まして、きみは化粧するような年齢でもないし、声も中性的だからね」
まだ理解できない里桜の頭を撫でて、義之が顔を覗き込んでくる。
「きみが一人でいたら声をかけるかどうか迷うだろうとは思うけどね」
「……何で?」
「ナンパするんなら性別は重要だからね。でも、男連れのきみの性別なんてどうでもいいだろう?」
やっぱり、わからない。
「要するに、きみが気にするほど周りは気にしてないってことだよ」
「そうなのかな」
「たぶんね」
里桜なら、義之のような男前が連れている相手には目がいってしまうだろうと思う。どんな子を連れているのか気になるし、ましてカップルに見えたら、何でこんな子供っぽいのを連れているのだろうとか思いかねない。たぶんそれは里桜だけでなく、ごく普通の感覚だと思う。
「でも、カップルには見えないよね?」
「僕がおじさんだから?」
「ちがっ……そういう意味じゃなくて、何ていうか、もっと大人の人とつき合ってそうな感じがするでしょ?」
たとえば、美咲のような綺麗な女性と。
さっき、二人が一緒にいるところを見たとき、非の打ち所がない似合いのカップルだと思った。幼い里桜には、妬く気にもなれないほども。
「こんなにベタベタしてるのにカップルに見えないのかな」
どうやら、義之はカップルに見られたいらしい。
「っていうか、くっつかなきゃいいんだよ」
「手を離してもはぐれないかな?なんだか迷子になりそうで怖いんだけど」
「館内は大体わかってるし、携帯も持ってるし、はぐれても大丈夫だよ」
「他の男にナンパされても大丈夫?」
「え……」
そんなことは起こらない、とは言えなかった。15年余りの人生でも、同年代の女の子に負けず劣らずナンパされてきていると思う。
「暗がりに連れ込まれたらどうする?」
どうして、こうも義之は想像力が豊かなのだろう。ないとは言い切れないが、それほど高い確率だとは思えないのに。
「僕と手をつないでいた方が安全だと思わないかな?」
「そう、かも」
結局、言いくるめられる自分を情けないと思いながらも、あながち的外れな言い分でもないのだから従わざるを得なかった。ただ、カップルのように手をつなぐことで、余計に緊張感を伴うことに義之は気付いていないのだろうか。
人波に沿って、中央にあるエントランスの隣のゾーンから順に館内を回る。周囲と少し距離を取りながら、人目が気になる里桜はいつもより言葉を控えめに水槽を眺めた。他に気を取られなければ、もっと熱帯魚に目を輝かせたりクラゲに見惚れたりしていただろう。里桜の近くで、素直に歓声を上げてはしゃぐ子供たちを見て少し羨ましく思った。
それでも、アザラシやオットセイを携帯のカメラに収めたり、それ以上に義之に撮られたりしながら、ゆっくりとしたペースで進んでいった。
パフォーマンススタジアムでは1時間に1回、アシカやオットセイのショーが行われている。それが一番の楽しみだと言っても過言ではない里桜のために、始まるまでにはまだかなり時間があったが、混んでくる前に席をキープしておくことになった。
前から7、8列目の真ん中あたりに並んで腰掛ける。もっと前も空いていたが、あまり近すぎると水飛沫を浴びる危険があり、この辺りの方が無難だった。
「疲れた?」
「ちょっと」
本当は、かなり。
以前の里桜なら気にも留めなかったような子供の騒ぎ声を煩く感じたり、少し大きな声を上げる人がいれば過剰なくらい驚いたりしていた。やはり、外に出たことで神経が張り詰めているようだった。
「凭れてるといいよ」
「わ」
義之の腕に頭を抱かれるように引きよせられて慌てた。離れようともがいたが、義之は里桜を抱く腕を緩めてくれそうになかった。
「誰も見てないよ」
「見てなくてもダメ」
「あまり騒ぐと唇を塞ぐよ?」
「!」
鈍い里桜にもその意味がわかって閉口した。
義之の傍にいるようになってまだほんの短い期間しか経っていないが、それでもわかる。きっと、義之は平然と実行するのだろう。
「里桜は何にそんなに気を取られてるのかな」
義之にはどう見えているのだろう。里桜が落ち着かないのは不特定多数の人間に対する警戒心なのか、単に人目を気にし過ぎていると思われているのか。
「僕は自分のだってアピールしておかないと心配なのに」
ということは、人目の方らしい。
「……喋っていい?」
一応、上げ足を取られないよう確認してみる。
「もちろん」
「誰に?」
「みんなに、だよ?将来、誰が里桜を奪いに来るかわからないからね」
「そんな心配、必要ないって」
「僕だって、きみを奪ったのに?今度は僕が取られる方になるかもしれないよ」
「だから、それは結果論でしょ。俺が変になっちゃったから責任感じてるんだよね」
「どうして里桜は僕の言うことを信じてくれないのかな」
義之の声が悲しげに響いて、思わず顔を上げた。目が合うのと、引き寄せられたのはほぼ同時だった。
「な……」
騒いだ覚えはないのに、唇を塞がれていた。
まるでヘッドロックをかけられたような状態ではとても抵抗することはできなかった。
ダメ、と言いかけた言葉ごと吸い取られて、義之の胸元を掴む手に力が入らなくなる。抵抗すると逆効果だとわかっているが、受け入れるのは難しい。そんな長い時間ではなかったのだろうが、里桜にはひどく長く感じた。
ギャラリーがどのくらいいるのかわからないが、もう絶対に顔を上げるのはムリだ。
「里桜?」
涼しげな声が腹立たしい。
「……俺、騒いだ?」
「ひどいことをを言うからだよ」
「言ってない」
「僕は責任を感じてきみといるわけじゃない。相手が里桜じゃなかったら治療費と慰謝料を支払ってお仕舞いにしてるよ」
「だって……」
少なくとも、あの日まで里桜に恋愛感情を抱いているようには見えなかった。下心なんてカケラも持っていなかったと思う。
「こんな所でする話じゃなかったね」
人前でも平気でキスするくせに、話はダメらしい。
胸の中で思っただけなのに、まるで里桜が口に出して言ったかのように義之が言葉を返す。
「ここで赤裸々な話をしたいの?」
「それはダメ」
日頃から、義之には里桜の思っていることを見透かしたようなことを言われることがよくあった。よほど里桜がわかりやすいのか、義之が敏いのかはわからないが、隠し事をするのはまずムリだろう。
結局、義之に凭れかかったままショーが始まるのを待った。空席が埋まっていき、だんだん騒がしくなっていくうちに、くっついていることも恥ずかしくなってくる。
「でも、このままだと見にくいかも」
里桜にしては珍しく、尤もらしい言い訳を思いついた。
「じゃ、始まるまでこうしていようか」
「うん」
今度は素直に頷いた。ヘタに反論しても痛い目に遭うだけだとさっき学んだばかりだ。
ショーが始まり、アシカの方に気持ちが向くと、少し緊張が緩んできた。里桜もそうだったが、他のギャラリーもきっとショーに夢中で他人の方など見ていないに違いない。
アシカが樽乗りをする姿に思わず身を乗り出す。海獣といえどもさすがにエンターティメントのプロだ。気を引く術に長けている。
「かわいいなあ」
純粋な感想に、義之が水を差す。
「里桜の方が可愛いよ」
呆れて返す言葉も見つからない。黙っていると、義之が耳元へ唇を寄せてきた。
「里桜も調教してあげようか?」
「絶対やだ」
何となく不穏な空気を感じて、力強く否定しておいた。今までにも、里桜が何気なく相槌を打ったり答えたりことを後から要求されたことが何度もあるからだ。深い意味ではなかったとしても、否定しておくにこしたことはない。
「似合いそうなのに」
“何が”と聞くのは恐ろしいのでやめた。残念そうな顔を見せる義之は、もしかしたら本気だったのかもしれない。
ショーが終わっても、スタジアムが空くまでは席を立たずに待った。
殆ど人がいなくなると、当然のように義之が手を取って立ち上がる。やはりずっと手をつないでおくつもりのようだ。
まだ館内の半分ほどしか回っていなかったが、疲労が激しく、本音はもう帰りたくなっていた。楽しみにしていたイルカやペンギンが遠く感じる。
「少し休もうか?」
「ううん」
人のいる所に長くいるより、早く進んでしまいたかった。
「じゃ、先にペンギンを見に行こうか?」
「いいの?」
「早く行かないと閉館してしまいそうだからね」
「5時までだよね。じゃ、ペンギンの所から行っていい?」
「いいよ」
ペンギンのいる所はスタジアムの反対側になる。長いメインストリートを端まで行き、一番奥の水の回廊まで歩いた。奥から行けば、時間の許す範囲で他のゾーンを見ながら帰ることができる。
屋外から観覧するようになっているため、空調の効いていた館内から出てきた身にはひどく暑く感じる。
「ここはペンギンは1種類だけのようだね」
「うん。イワトビペンギンとかコガタペンギンとかもいればいいのになあ」
「そんなにペンギンが好きなら長崎はどう?」
「長崎ってペンギンがたくさんいるの?」
「ペンギンの水族館があるんだよ。ちょっと遠いけど夏休み中に旅行も兼ねて行こうか?」
「ん、と、あんまり遠くには行きたくないかも」
ペンギンは好きだが、旅行となると気が乗らない。たった一日水族館にいただけでこんなにも消耗しているのだから。
「じゃ、海遊館か須磨くらい?」
「当分いいかな……も、いっぱい見たし」
正直、思っていた以上に疲労してしまい、しばらく家に籠っていたい気分だった。
「あまり出掛けたくないようだね」
「できたら」
「じゃ、時々友達に来てもらう?」
里桜の気分転換ができるよう考えてくれているのだろうが、家で会うのなら、里桜が義之と一緒に住んでいること知っている相手に限定されてしまう。里桜はまだ秀明にしか話しておらず、できれば里桜の気持ちが落ち着くまでは、あまり広めたくないと思っていた。
「やっぱ、ずっと籠ってたらダメだよね」
「少しずつ慣らした方がいいんじゃないかな?」
「そう、だよね」
頭ではわかっていても、いざ人に会うことを思うと億劫になる。
「きみがこのまま僕以外の誰にも会わなくてもいいんなら、引き籠っていても構わないよ?」
それでは高校にも行けなくなってしまうし、両親に約束した一番目のことが守れないことになってしまう。
「そうしたら、きみを誰にも取られずにすむしね」
義之は本気でそうなってもいいと思っているかのような顔をする。
「でも、約束を守れないと俺は家に帰されちゃうんだよね」
「それは困るな」
「やっぱ頑張らなきゃ」
「あまりムリしないで、少しずつでいいと思うよ」
「うん」
手をつないだまま、帰る方向に足を進めていく。
アシカもラッコもペンギンもかわいかったが、やはり家が一番いいと思った。
  

「ずいぶん疲れたようだね?」
車に乗った途端に大きな欠伸と伸びをしてしまった里桜に、義之がからかうような言い方をする。
「ううん、そんなには」
やっと人混みから離れて、気が抜けてしまったのだから仕方がないと思う。ほぼずっと緊張し続けていた神経は休息を欲しがって、油断したらすぐにでも眠ってしまいそうだった。けれども、義之がこれからまた長距離の運転をしてくれるのだと思うと、自分ばかりが疲れていると言うのは気が引けた。
「寝ていてもいいよ?ちょっと狭いけど後ろで横になる?」
「ううん、大丈夫」
「里桜は嘘を吐くのが下手だね」
里桜なりに気を遣っているのに、さも可笑しそうに笑うのは、また子供扱いされているからなのだろう。実際、子供なのだから仕方がないのかもしれないが、悲しくなった。
「じゃ、帰るまで寝てる」
義之に背を向けるように体を少し丸めて、ウィンドウに頭を傾ける。否定すればするほど、子供だと思われるだけなのだろうから。
「里桜?」
「おやすみなさい」
「怒らせてしまったかな?」
そうだと言うのは癪に障るし、違うと言ったら意地を張ってると思われるだろうし、答えるのはやめた。里桜は“おやすみ”を言ったのだから返事をする必要はないと自分に言い訳する。
「里桜?返事しないと連れ込むよ?」
“どこに?”と胸の中で突っ込む。
「いいの?」
「……どこに?」
義之の声の響きに危ういものを感じて、早速喋ってしまった。
「帰るまでにはホテルがたくさんあるから、きみが返事をしなくなったら入ろうかな」
「寝ててもいいって言ったのに」
「きみだって大丈夫って言ったよ?」
子供はどっちだよ、と思ったが、逆らうと後が怖いのでやめておく。
欠伸をするたびに義之に笑われそうな気がして、何とか噛み殺そうと努力した。気を抜くと引き込まれてしまいそうな睡魔と必死に戦う。帰りの方が道路は空いていたが、里桜には長くなりそうだった。
「黙っていると眠くなるだろうし、あの話の続きをしようか」
「うん?」
“あの話”がどの話なのか、里桜にはすぐにはわからなかった。
「僕が責任感できみと一緒にいるわけじゃないって話だよ」
「あ、それはもう」
「ダメだよ。きみはちっとも僕の言うことを信用してくれないからね」
「そんなこと、ないよ」
ただ、むやみに自惚れたりしないだけで。
「じゃ、僕が責任を取りたいと思ったのは、きみを好きだからだってことはわかってる?」
否定しても、運転している今なら怖い目に遭わずにすむだろうか。
「でも、二人で会ってる時には全然そんな感じじゃなかったよね。後からそんな風に言われても、とてもそうだとは思えないよ」
「確かに、あの時までは自分でもただの好意だと思っていたよ」
やっぱり、と思ったのを見透かしたように義之が言葉を続ける。
「自覚したのは、きみが剛紀に襲われてる時なんだ。最初は、剛紀がきみを乱暴に扱ったから腹が立ったんだと思ったよ。でも、剛紀がきみに触れるのが我慢ならなくなって気付いたんだ。きみが好きだから、指1本だって触れさせるのは嫌だったんだ。あの時までずっと、きみを好きになってるわけじゃないと思い込んでいただけだったんだよ」
とんでもないことを言っているのに義之の目つきはひどく真摯で。
「でも……」
結局、最後まで剛紀を止めようとはしなかった。おぼろげな記憶しかないが、介抱してくれた時にも平然としていたような気がする。
「責任感で男の子を抱いたりできないよ」
他のどの言葉より、真実味を帯びて胸に沁みた。確かに、それまで女性としか恋愛してこなかったらしい義之には、里桜の願いを聞き入れるのは容易なことではなかったはずだ。いくら責任感が強くても、メンタル面で受け入れられないことはできないと思う。少なくとも、能動的な行動は取れなかったに違いない。
「……ごめんなさい」
「疑いは晴れたかな?」
「うん」
ずっと、“つけこんだ”のは自分の方だと思っていた。
義之の想定以上に、里桜がダメージを受けたことに責任を感じているらしいことは察していた。だから里桜に合わせてくれているのだろうということもわかっていながら、差し出される手に甘えてしまった。里桜を傷つけた代償にしては義之の負担が大き過ぎると思っても、溺れそうな気持ちを抑えることはどうしても出来なかった。
「里桜がそんなに疑り深いとは思わなかったよ」
「そういうわけじゃないけど……」
「こんなに愛おしいってアピールしてるのに」
綺麗な横顔が少しのテレもなく、さらりと言い切る。その辺りが信用できなくさせる原因だったが、きっと義之は気付いていないのだろう。まるで恋愛ドラマのように臆面もなく甘い言葉をくれたり過剰なスキンシップを求められるのは決して嫌ではなかったが、里桜には何ともくすぐったくて気恥ずかしいことだった。



食事を済ませて家に帰ると9時近くなっていた。疲れの上に満腹感まで上乗せされて、どうにも睡魔に逆らえそうになくなっていた。
「俺、先にお風呂使っていい?」
「いいよ。今にも眠ってしまいそうな顔をしているね」
「うん。油断したらすぐに寝ちゃいそう」
「浴槽で寝たらダメだよ?」
「うん」
義之の了承が得られたことにホッとして、浴室に急いだ。湯を張ると寝てしまいそうで、シャワーで簡単に済ませた。
家に戻ってすぐ風呂場に直行したために、パジャマを用意していなかったことに風呂を上がってから気が付いた。
「下着の替えはあるし、まあいいか」
髪を乾かして、歯磨きをすると、ちょっと自分に気合を入れる。普段はきちんとパジャマを着込んでから義之の所に行くが、今日はTシャツとパンツでリビングに出た。
「ごめんなさい。俺、もう限界みたいだから先に寝るね。おやすみなさい」
義之が断れなくなるよう、いつもより丁寧に挨拶をする。
「おやすみ」
すぐにも部屋を出ようとする里桜を、やさしい腕が抱き止めた。儀式のような短いキスをされて、腕がそっと解かれる。それ以上引きとめられなかったことに安堵しながら寝室に移った。
義之がクーラーを入れておいてくれたらしく、火照った体に当たる冷気が気持ち良い。ふわふわの布団に倒れるように体を投げ出すと、抑えていた睡魔が急速に襲ってきた。
もちろん、里桜は自分がいつ眠ってしまったのかなど知る由もない。
「……里桜?」
何度か呼ばれていたようだったが、どうにも体は起きてくれそうになかった。
「この状況でよく寝ていられるね」
耳を掠める不機嫌そうな声音に、眠りの深い所に落ちかけていた里桜の意識が無理に引き上げられる。
「や」
背後から抱きこまれるように重ねられた体から伝わる体温が気持ちいい。少し熱っぽく感じるのは、義之も入浴をすませてきたからなのだろう。首筋に触れる髪も少し湿っぽい気がする。
胸元を探る指先に小さな尖りを煽られると痛いほどに張り詰めていく。体の芯を走る感応に思わず背を反らした。
「あ、ん……」
腰から足へと滑る手が膝裏にかかる。押し上げられて開かれてゆくうちに、何も身につけていないことを知って慌てた。確かに下着は着たはずだったのに。
「だ、め」
閉ざそうとする足の間に義之の膝が挟まれる。
「あっ」
腿の間を撫で上がった指が窪みをたどる。濡れた指を受け入れるのにそう時間はかからなかった。内側を擦る指先が何処を探しているのかわかっている。軽く曲げられた指が探り当てる里桜の一番感じる場所。
「やっ、ぁんっ」
「まだ目が覚めない?」
耳元で囁かれて、肩越しに義之を見る。
「ちゃんと尋ねたよ?いいって言ったね?」
もちろん、里桜には尋ねられた覚えもなければ答えた覚えもない。もしかしたら、夢の中か寝言で返事をしたのかもしれない。
義之の指が中で動くたびにビクンと体が跳ねる。
「だめ……」
別の手に、勃ち上がりかけたところを包まれて身を捩った。やさしく擦られただけで体中に痺れが走る。
「触んない、で……お願い」
「どうして?」
本当は、里桜の理性を奪ってしまう行為の全てにまだ抵抗があった。心を置いて体だけがどんどん先に進んで行ってしまっているようで、気持ちも追いつこうと必死になっている。
もし、斉藤のことがなくても義之がつき合ってくれていたとしたら、もっとゆっくり時間をかけて、里桜が少しずつ慣れていくのに合わせてくれただろうか。それとも、こうやって強引に義之を教え込まれていたのだろうか。
「あ、んっ、ああっ」
体の中からと外からの刺激にまた意識が飛びそうになる。懸命に身を捩って義之の首筋にしがみついた。
「里桜、そんなにしがみついたらできないよ?」
「しないで、もっ……ぁんっ」
「やめていいの?」
耳を噛むように囁かれると、また体温が上がっていくようで、知らずに首を振っていた。
「いや」
自分でも何を否定したのかわかっていなかったが、義之の満足そうな顔で、それが正解だったのだとわかった。



「いってくるよ」
囁くような声に、ハッとした。一気に覚醒する意識が、月曜の朝だったことに気付く。
「ごめんなさい、何時?」
「もうすぐ7時半だよ」
もう義之が出勤していく時間になっていたらしかった。慌てて起こしかけた体が、優しく押し留められる。
「黙って行くと心配すると思って声をかけただけだから気にしないでいいよ。疲れてるだろう?」
大丈夫、と言いかけた唇が、“いってきます”のキスに塞がれる。うっとりと目を閉じているとまた眠くなってしまいそうだ。
「今日は午後になりそうかな?連絡をしてから帰るよ」
「うん、いってらっしゃい」
甘やかされるまま、ベッドから出ることさえしないで義之を見送る。
腕を頭上へと伸ばして、つま先まで大きく伸びをする。このまま目を閉じるとまた眠ってしまいそうな気がして、跳ねるように起き上がった。
両親との約束の、家事と勉強をこなすために。





仕事に行っていても、休憩だとか昼休みだとか理由をつけては家に立ち寄る義之に、里桜はある意味気を抜くことができずにいた。
美咲と話して以来、慎哉のことが気に掛かっていたが、いつ家に帰るかわからない義之に気を遣ってしまい、なかなか連絡ができずにいた。おそらく、義之が美咲に言った言葉は、いろんな意味で殆どが嘘ではなかったのだと思う。斉藤に協力したのも、里桜が義之を好きになるよう仕向けたのも、慎哉に復讐する気持ちが根底にあったからなのだろう。そうでなくても、かなり独占欲の強いタイプだったことを知った。
だから、慎哉の夏休みの予定もアルバイトのシフトも何もわからない状態では、ある程度の時間、義之が確実にいないとわかっていなければ電話をかけるのもメールを打つのもためらわれた。
やっとタイミングを掴めたのは、義之が家での長い休憩を終えて再出社した午後遅くだった。ドキドキしながら、まずは慎哉に都合を尋ねる短いメールを打つ。
驚くほどすぐに、慎哉から電話がかかってきた。表示される名前でわかっているのに、つい確認してしまう。
「慎?」
『里桜?何かあった?』
心配げな声は少し切羽詰っていて、里桜の胸を窮屈にさせる。
「ううん。突然ごめん。慎、バイトとかじゃないの?」
『夕方からだからまだ大丈夫だよ。それより、里桜、何か話があるんだろう?』
「話っていうか、この前ちゃんと話せなかったから……。俺、自分のことでいっぱいいっぱいで、一方的に言いたいことだけ言って切っちゃったから気になってて。だいぶ落ち着いてきたし、ちゃんと話したいなあと思って」
『話せるくらい元気出た?』
「うん、家にいると全然平気みたい。まだ一人では外に出てないんだけど」
『会って話すのは無理かな?』
電話で話すかぎり、慎哉に対して恐怖心は湧かなかった。会うことを想像しても怖いとは思わない。ただ、慎哉に会いに行くために、一人で外に出ることに抵抗があった。
だからといって、義之の家に会いに来てもらうわけにはいかなかった。もし義之に知れたら気を悪くさせてしまうだろうし、万が一鉢合わせでもしたら大変なことになってしまう。
「うちにいるわけじゃないから、来てもらうわけにも……」
『近くまで行くのもダメかな?』
「ううん、そんなことはないんだけど……慎、場所わかるかな?」
もしかしたら、美咲とつき合っていた頃に聞いたことがあるかもしれないと思ったが、そういう言い方をするわけにもいかなかった。
『住所を教えてくれる?それから、マンションかな?その名前も言って。すぐに調べるから』
恐る恐る住所とマンションの名前を言うと、調べるまでもなく慎哉は知っていたようだった。慎哉が近くまで来たら里桜に連絡を入れてもらい、前で会うことにして一旦通話を終えた。
あんな風に一方的に別れを告げて傷つけたのに、慎哉は以前と変わらず優しかった。わざわざ呼び出してまで、もう里桜に囚われないでいいと言うのは傲慢だと思う。でも、それで少しでも慎哉の気が軽くなるのなら、言わないわけにはいかなかった。
連絡を待つ間に、玄関先の姿見で全身をチェックしてみる。特に疲れた顔はしていないし、痩せたりもしていないようだった。できれば、久しぶりに会う慎哉にこれ以上心配をかけたくなかった。
髪と服を整えると、リビングに戻ってソファで待機しておく。
しばらくすると慎哉から電話があり、短い応答で覚悟を決め、財布と携帯をポケットに入れて家を出た。一人で通路に出てエレベーターに乗るという、ごく当たり前のことにひどく緊張してしまう。あの日から、どこへ行くにもいつも義之と一緒だった。
それでも、何とかマンションの外の待ち合わせ場所に辿り付いた。
「里桜」
会わずにいた日数以上に久しぶりに思えるのは、慎哉が憔悴して見えたからかもしれない。
「そこに公園があるんだけど、行っていい?」
すぐ近くに見える公園を指で示しながら尋ねる。それなりに人通りのある道路は長話をするのに適当な場所とは思えず、万が一誰かに見咎められて、歪曲されて義之の耳に入らないとも限らなかった。
「里桜が大丈夫ならどこでも」
遠慮がちな慎哉の隣に並んで歩いてみたが、特に不安を感じることはなかった。触れていないからかもしれないが、義之と同じように怖いとは思わなかった。
公園の門をくぐり、ベンチに向かって歩きながら、さりげない素振りで本題に近付く。
「慎、痩せたんじゃない?疲れて見えるし」
「里桜はどうしてる?家に帰りたくないって言っていたから、もっと遠くにいるのかと思っていたよ」
「うん。あの時はケガしてたし、家に帰りたくないなあと思ってたから」
「ごめん、俺のせいでケガまでさせてしまって」
つらそうな慎哉を見ると胸が痛くなる。どちらが残酷なのだろう。誤解させたままにしておくのと、裏切っていたのだと告白するのと。
「そうじゃないんだ。俺、慎に言わなきゃいけないことがある」
歩きながらする話ではないかもしれない。
立ち止まった里桜を振り向く慎哉の表情がますます硬くなる。
「俺、好きな人がいる」
「里桜?」
慎哉の目を真っ直ぐに見つめるのは勇気がいった。
「今、その人の所にいるんだ。他の人はダメだけど、その人だけは怖くなくて。これからもずっと一緒にいたいなって思ってる」
慎哉の肩が微かに震えているのが見てとれた。正直な告白は、より深く傷付けてしまっただけなのだろう。
「相手を、聞いてもいいかな?」
「緒方さんって知ってるよね?前に慎に会いに来た女の人の元旦那さん」
慎哉は瞳を見開き、今まで見たこともなかったような怖い表情を里桜に向けた。
「……里桜、その人とはどうやって知り合った?」
「あんまり言いたくない。慎、きっと心配するから」
「まさかと思うけど、里桜、脅迫されたりとかしてないか?」
「ううん、俺が頼んで一緒にいてもらってるんだ。すごく大事にしてくれてるから心配しないで」
「あの人、里桜より一回りくらい年上だろう?向こうも里桜のことを好きなのか?」
「うん、子供扱いされてるけど、ちゃんとつき合うって言ってくれた」
「……やっぱり、里桜が大人になるのを待ってくれてるのか?」
慎哉の言いたいことはすぐにわかった。何とか慎哉を傷つけないように答えたいと思うのに、言葉を選ぶのはとても難しい。
「俺、最初があいつだったって思いたくなくて……慎だったらよかったのにって思った。それから、どうしてもあいつの記憶を消したくなって、義之さんに頼んだんだ。俺の気持ちを受け入れてくれたから、そのまま傍にいさせてもらってる」
「本当に、俺なら良かったって思った?」
「うん、ずっと慎がそうなんだって思ってたから」
慎哉の手が里桜の頬へと伸びてくる。やはり、怖いとは思わなかった。
「ごめん、俺がいい加減だったから里桜につらい思いをさせて」
慎哉が泣き出しそうに見えて、思わず抱きしめずにはいられなかった。
「慎は俺のこと、すごく大事にしてくれてたよ。真面目につき合ってくれてたのも知ってる。こうなったのは俺が不注意だったせいだから、もう気にしないで」
「里桜……」
里桜の肩に顔を埋めるように慎哉が凭れかかってくる。今は何も考えないで、ただ慎哉をギュッと抱きしめていようと思った。
「里桜、触ってても大丈夫なのか?」
ハッとしたように、慎哉が顔を上げて里桜から少し距離を取る。
「うん、慎のことも大丈夫みたいだよ」
「他の人はダメなのか?」
「うん。少し慣れてきたけど、こんなに近くには行けないよ」
「何か俺にできることがあるかな?」
「もう俺のことで悩まないで。俺も2学期には学校に行けるように頑張るから、慎ももう気にしないで」
「難しいことを言うね」
泣きそうに笑う慎哉を見ていられなくなって、視線を足元へ落とした。自分の狡さに眩暈がする。もしかしたら、ラクになりたいのは里桜の方なのかもしれなかった。
「里桜はその人じゃないと幸せになれないと思う?」
「うん」
「もう俺とはやり直せない?」
「もし、義之さんと離れたら死んじゃう」
「里桜にそんな風に思われる相手が羨ましいよ」
悲しそうな顔は見たくないのに、話すほどに慎哉を傷付けてしまう。
「俺のぶんまで幸せにしてくれるよう祈ってるよ」
ありがとう、と言いたかったのに、どうしても言葉にならなくて、思わず慎哉の胸元にしがみついた。
「里桜、もう他の男にそんな風にしたらダメだよ?」
頷いたものの、しばらく離れることができずに、周囲に子供がいることもすっかり忘れて慎哉を抱きしめていた。
それからベンチに移って、空気を変えるようにとりとめのない話をして、慎哉と別れる頃には里桜の罪悪感も少しだけ薄れていた。
寧ろ慎哉に慰められるような結果になってしまったが、一番気に掛かっていたことは何とかクリアできたようだった。



「里桜、僕に何か言うことがあるだろう?」
帰る早々、義之は“ただいま”のキスもそこそこに、怖い顔で里桜を見下ろした。
「え?」
考えてみても、何のことだかさっぱりわからずに首を傾げた。
「僕と会っていた頃もこういう感じだったのかな」
「わ」
不意に抱き上げられて、尋ねる間もなく寝室へと連れて行かれる。
そのままベッドへと倒れ込んでいくのを少し乱暴に感じるのは、普段があまりにも大切に扱われているからだろう。
「義之さん?」
おそるおそる尋ねてみると、ため息混じりに答えが返る。けれども、それは里桜に向けられたものではなかったのかもしれない。
「きみはおとなしそうに見えて、意外と強かな一面があることを忘れていたよ」
押え込まれた四肢が動かせないことに恐怖を感じ始めた頃、義之がとんでもないことを言った。
「お仕置きしようか」
「何で?俺、何か悪いことしたの?」
「自覚がないのは一番性質が悪いね?」
義之の掌が、逃がさないように里桜の後頭部を抱く。塞がれた唇が震え出しそうなくらい、不安が胸いっぱいに広がる。
長いキスの途中で怖くなって、息を継ごうとした里桜を義之は放さず、強引に舌を貪り続けた。涙目の里桜に気付かないかのように、一方的なキスは終わりそうになかった。
身動ぎも許さないような緊迫感が怖くて、そっと胸元を押し返してみても、義之の体はビクともしない。
「あっ、んっ」
Tシャツの裾を捲り上げられて、体に直に触れてくる手に体が跳ねた。敏感な所を擦られると、たまらず腰が浮く。
「高橋にも触らせたの?」
「えっ?」
一瞬、聞き間違いかと思った。それから、過去の話をしているのかと考えた。
里桜の疑問を見透かしたように義之が答える。
「電話があったよ。会うのは二学期になってからにするんじゃなかったの?」
ようやく、義之が不機嫌だった理由の一端が見えた気がした。とはいえ、怒らせるようなことをしたという自覚はなかった。
「電話じゃうまく話せなくて、近くまで来てくれることになったから、前の公園で少し話したんだ」
「きみのことを、“もう大丈夫になってるみたいで安心した”って言っていたよ。何をさせたの?」
「何って、何にも……」
「高橋にも、“して”って言ったの?」
「言ってない」
義之の言いたいことがよくわからない。なぜ、里桜が慎哉を誘ったかのような言い方をするのかも。
「僕だけじゃ足りない?」
「そんなわけないでしょ」
「きみがきついんじゃないかと思って、ずいぶん抑えていたんだけど」
「待って、俺、慎が気にしてたからもう大丈夫だって言っただけだよ?別に何かしたわけじゃないからね?」
里桜なりに必死に、決して義之が懸念しているようなことはないとアピールしたつもりだった。
「もしかして、高橋の所に戻りたくなったの?」
「そんなことないから」
頭に血が上ったような状態の相手に、何を言っても説得できそうにないことだけはわかる。
「まだわかっていないようだから言っておくけど、僕は独占欲が強いんだ。2度も僕から取るつもりなら今度は何をするかわからないよ?」
義之がそれほども怒る理由にようやく思い当たった。義之は、まだ慎哉を許す気にはなっていないらしい。慎哉から里桜を取ったくらいでは復讐には足りず、義之にとって里桜の価値は、慎哉が思うほどではないということなのだろう。
「ごめんなさい。でも、本当に少し話しただけなんだ」
「もう僕に無断で会わないって約束できる?」
できないと思ったが、そう言えばまた怒らせるだけなのだろう。
「うん」
けれども、素直に頷いたのは逆効果だったらしかった。
「きみの約束は口先だけだね。僕が本気だってわかってる?」
落ち着いた声で囁かれるのは、怒りを向けられる以上に怖い気がした。涙目で頷く里桜に、困ったように笑いかける。
啄むようなキスをくり返されて、少しは義之の気が治まったのかと思ったのに、それは嵐の前の静けさにも似て、義之の怒りはちっとも納まっていなかったのだった。
デニムのボタンを外す器用な指が、隙間から里桜に直接触れてくる。腰を捩って逃れようとする里桜の、ウェストラインをたどる手が背中まで回ってデニムをずらす。浮いた腰を落とすより早く、太腿の下まで露になった。
「いや」
抗っても敵わないことは元よりわかっていて、他には術もなく弱々しく訴えた。
「ダメだよ、浮気できないようにしておかないとね?」
窮屈なデニムがすっかり抜かれて、膝を抱き上げられる。もう止めることは不可能だった。
いつものように、義之が冷たいローションを手の平で温めるように馴染ませてから、濡れた指先で里桜の中を探るようにゆっくり奥へと進んでくる。確かめるように擦られるたびに体が跳ねた。長い指を根元まで受け入れさせられ、ゆっくりかき回されて緩く出し入れされる。
「……や……んっ」
充分馴染んだ頃、指が1本増やされ、また時間をかけて同じ行為をくり返される。焦れったいほど充分に解されるまで、義之は里桜と体を繋げようとはしなかった。
すっかり蕩かされ、義之自身を宛がわれる頃には里桜の方がつらくなっていた。
「入れていい?」
少し意地悪く問われても、どうしても止める言葉は出てこない。寧ろ早く入れて欲しくて、目を伏せたままで小さく頷いた。
抱き上げられた膝が胸元まで届くほど押し上げられて、深く穿たれるともう何も考えられなくなる。
「あっ……ん、ひぁっ」
腰を入れられるたびに、体の奥まで義之を感じて気が遠くなる。いつもと微妙に違う気がするのはゴムを使っていないせいらしかった。そのせいか、ひどく感覚が鋭くなっているような気がする。
体を重ねる毎に行為が激しくなっていくようだと思ってはいたが、一体どこまでアップデートしていくのだろう。
「義之さ、ん……待っ、て、ついてけな、い……」
かろうじて紡ぐ言葉も途切れるくらいなのに、義之は聞いてくれそうになかった。
「抑えがきかないんだ」
「やっ、ん……も、だめ……っ」
気持ち良すぎてどうにかなってしまいそうなベクトルは出口を求めて駆け抜けていった。
ずいぶん頻回に抱かれているのに、一向にもたない自分が情けない。なんとか 宥めようとする思いを、義之の指が逆撫でする。
「いや、さわんない、で」
泣きそうな声に、義之が絡めた指を解く。
ホッとしたのも束の間、更に激しく突き上げられて、またすぐに昇り詰めそうになる。なんとか気を逸らそうと、必死に身を捩った。
「後ろがいいの?」
答えを待たない腕が、里桜の体を反転させる。
腰を高く掲げられて引き寄せられると、もっと深い処まで抉られた。最奥まで潜り込んでくる快感に身も世もなく泣き声を上げてしまう。こんな風に里桜の気持ちを無視するようなやり方は初めてだった。
軽いパニックに陥った里桜に気付かないかのように、義之の動きが一層激しくなる。
言い知れぬ不安に、里桜はシーツを握り締めて波が去るのを待った。体の反応と裏腹に、気持ちの方はすっかり萎縮してしまう。斉藤と共犯だと知った時でさえ感じなかった、義之に対する恐怖感が、初めて里桜の心に芽生えた。
深く穿たれたまま義之の動きが止まる。ため息のような声が耳の傍で洩れた。
ゆっくりと、義之の体重が背中にかかってくる。長いお仕置きが終わったことを知って、ようやく里桜も詰めていた息を吐いた。こみあげてくる嗚咽を逃がそうと短い呼吸をくり返す。
義之は繋げたままの里桜の体を器用に返した。何で、と尋ねる瞳に、義之の心配げな表情が映る。いつもの穏やかな義之に戻ったように見えて気が緩んだ。
「ちょっと乱暴だったかな」
答える言葉を見つけられなくて黙っていたのを、機嫌を損ねたと思われたらしい。
「里桜?ごめん」
抱きしめられた腕の中で、まだ涙の止まらない目元や首筋にキスを受けながら、義之の首に抱きついた。許す、という意思表示のつもりだった。
唇を舐められて侵入を許した口内で絡め取られた舌が戸惑う。また、煽り立てるような熱っぽいキスに。
膝裏を掬うように押し上げられると不安が甦ってくる。
「義之さん?」
里桜の中に入ったままの義之がまた存在感を主張し始めていた。里桜の膝が引き寄せられて、更に奥まで穿とうとする。
「いや」
「ダメだよ、お仕置きだって言っただろう?」
いつもと変わらない笑顔を向けられているのに、なぜか今日の義之は怖い気がして仕方がない。笑っているのは上辺だけで、本心ではかなり怒っていたのだろう。
膝をシーツに押し付けられて、内腿が痛いほどに開かれる。
「ああっ……」
押し出されるように声が零れる。義之の視線に晒されて、今更のように恥ずかしさが込み上げてきた。膝を閉じようとして、ますます強く押え込まれる。
今日のピッチの速さにはついていけない。まだ先に乱れた息も整ってはいないのに。
「お願い、も、ちょっと、ゆっくり、して」
「聞けないよ?」
意地悪な声が耳朶を打つ。終わったと思っていたお仕置きが再開されたことに、更に不安が募る。
それでも、体の反応は思いと裏腹に義之に忠実だった。心と体は必ずしも一致しないことを身を持って知った。


「まだ足りない?」
すっかり息が上がって答えることができずに、里桜は動かすのも億劫な首を小さく振って否定した。もう勘弁して、という思いをこめて。
「君が女の子なら、すぐに妊娠させられる自信があるんだけど」
潤む瞳で捉える義之の表情は、不自然なくらい穏やかに笑っていた。
「君なら堕ろしたりできないだろうしね」
含みのある言い方に、すぐに美咲の顔が浮かんだ。もしかしたら、美咲がそうしたということなのだろうか。
「君は本気にとってないようだけど、一生かけるって言っただろう?そろそろ覚悟を決めてくれないか?」
答えられない里桜に、やさしい声が囁く。
「まだお仕置きが足りないみたいだね」
「そんなこと、ないから!」
本気で怯える里桜を見つめる瞳は真摯に見えるのに。なぜ、こんな笑顔のままで脅迫したりなどできるのだろう。
「でも、このままだと大変なことになるらしいよ?」
「えっ……?」
「風呂場の方がいいかな。早く出さないとね」
どうにも、義之の言っている意味がわからない。
不意に抱き上げられた体が、あっと言う間に浴室へ運ばれていく。
「な、何なの?」
「中に出したからね」
言葉にされると改めて恥ずかしくなる。
里桜の体を抱いたまま義之がそっと浴室の床に膝をつく。ゆっくりと下ろされても、密着させた体を離そうとはしない。
「そのままにしておくとお腹痛くなるんだって」
「……は?」
わかったような、わかりたくないような。
「だから早く出した方がいいよ」
――どうやって?
言葉にしなかったのに、義之は答えをくれた。
「責任取って後始末は手伝うから」
「え、ええっ?ちょっ、やだ」
「ほら、腹筋使って?」
ありえない。
さっきのお仕置き以上にありえない。
義之の胸元に凭れかけさせるように里桜の体を引きよせて、腰だけを上げさせる。
「やだってば」
身を捩る里桜の抵抗などものともしないで、義之の指がそこを開かせようとした。
「いやっ、あ、んっ」
かき出すように奥を探る指がひどく不快に感じる。
「協力してくれないかな?」
いやいやをするように何度も首を振る。どんなに甘い声で囁かれようとも、その抵抗感だけは拭いようがなかった。
風呂場での格闘も、もちろん里桜の負けだった。本当のお仕置きはこのことだったのかもしれない。
もう二度と、中で出されないようにしようと固く胸に誓った夜だった。



「はい」
差し出された携帯に首を傾げる。
「里桜が今まで使ってた分は解約しよう」
「え?」
「GPSナビのついた機種だから、迷子になることもないよ?」
少し考えて、義之の意図に気が付いた。里桜に無断であんしんナビ機能のついた携帯を買ってきたのは、居場所を確認できるだけでなく、番号やアドレスを変えられるからなのだろう。
「俺、そこまで子供扱いなの?」
「これでダメなら監禁するよ?」
笑顔で囁かれても、それが冗談ではないことが今ならわかる。
「俺、そんなに信用ないの?」
或いは、慎哉のことが。
「僕の経験からも、君を口説くのはそれほど難しくないってわかっているからね。とても安心はできないよ」
それは、相手が義之だから成立したことで、誰が相手でもそうなるわけではない。でも、今はそう告白するのは悔しくてやめておいた。



- 仔猫に鈴が必要な理由 - Fin

【 子猫を室内飼いで育てる方法 】     Novel        【 子猫にカラーを嵌める理由 】



一応、お仕置きということで……。
どんなにソフトに書いたつもりでも、お下品ですみません……。
私的には義之はりっぱな鬼畜だと思うのですが。どうでしょうか?

水族館についてですが、記憶や資料に間違があったらごめんなさい。