- 子猫を室内飼いで育てる方法 -



「里桜」
義之の甘い声が里桜の動きを止めさせる。
近すぎる義之との距離を少し離そうと思っていたのに、見つめられると思考も飛んでしまう。包み込むように抱かれた肩が心地よくて、離れたいと思っていた体を自分から擦り寄せた。頬を撫でる手に上向かされて、義之の唇を受け止める。
こんな風に抱きしめられて、やさしいキスをしてくれるだけで目が眩むほど幸せなのに、義之はその先まで求めてくる。
「里桜」
名前を呼ばれるだけでドキドキする。瞳が合うたびに気恥ずかしさで伏せがちになる視線の先に回り込むように義之が追ってくる。
「いや」
思わず口をつく言葉の真意など、義之には見透かされているに違いないのに。
「里桜が嫌ならやめようか」
少し悲しげな表情を見せるのも、ただのポーズだとわかっているのに、どうしても逆らうことができない。里桜の両親さえ軽く説得してみせた義之には到底敵いそうになかった。
小さく首を振る里桜に、満足そうに笑う。義之は、里桜が思っていたよりずいぶん強引な性格だったらしい。
くり返されるキスにうっとりしている間に体が倒されて、着ているものは半ば脱がされている。
「や」
小さく声をあげてしまうのは、触れられる毎に敏感になる胸元に口付けられたせいだった。義之の髪に差し入れた指で離そうと試みるのに、いつの間にか引き寄せてしまっている。
体の芯が疼く度に、膝が緩んでいく。
ついこの間まで何も知らなかった体が、義之に染められていくのに時間はかからなかった。それとも、本当はもうとっくに染められてしまっていたのだろうか。
「里桜、息を止めないで」
囁かれる言葉に従っているつもりなのに、裏腹に身構えてしまう。
やさしいキスが里桜の緊張を解そうとしているのだとわかっていても、その予感に体が竦む。最初の暴力的な経験が、無意識に受け入れるのをためらわせてしまう。
「息、吐いて」
里桜が息を吐くと、濡れた指が探ってくる。
「んっ……」
思わず息を詰まらせると、義之のキスが深くなる。そちらに神経が行くと、指が更に奥を探ってくる。
「や、ぁん」
異物感と同時に起こる感覚が体の芯を熱くする。義之は焦れるということはないようで、傷つけないように繊細な動きで里桜を昂ぶらせることに熱心だった。
「里桜?まだ怖い?」
義之には何もかも見透かされているようで、小さく頷く里桜に何度もキスをくり返し、時間をかけて気持ちが落ち着くのを待ってくれる。
「もう」
大丈夫、と言いかけて、その意味に気付いて言葉を続けられなくなった。それさえも、義之には伝わっているらしい。
立てられた膝が抱きあげられて、義之がゆっくりと里桜の中に入ってくる。すっかり解されていても、義之は細心の注意を払ってくれているようで、動きはいつも慎重だった。
里桜が怖がるようなことは一切しないとわかっていても、義之の首へしがみつきたい衝動は我慢できない。
「いや」
「里桜?」
驚いたように里桜の顔を覗き込む義之に、体勢を変えて欲しいと言うのは思った以上に勇気が要った。
「腕……回していい?」
「ちょっと待って」
里桜の腰の下に枕を挟むと、抱え上げられていた下肢が放される。開いた内腿にかかる義之の重さが少し辛い。
遠慮がちに伸ばした腕が届くように、義之が頭を下げてくれる。ギュッとしがみついていれば不安が和らぐ気がして、抱きつかずにはいられない。
「体勢、つらくない?」
「うん」
「動いても大丈夫?」
「うん」
きっと、もう何を言われても頷くことしかできないだろう。
今は、少なくとも義之だけは里桜の怖がるようなことはしないと信じられる。そのくらい、義之は里桜の行為に対する暴力的な記憶を上書きするかのように優しく接してくれていた。
「里桜?」
頭では返事をしているつもりだったが、もう声にはなっていないようだった。充足感と心地よい疲労感が里桜の意識を鈍らせていく。
瞳の端に、困ったように笑う義之を捕らえたのを最後にもう瞼は上がらなくなってしまった。 そのやさしい腕の中にいると、里桜がどれほど幸せな気持ちになるか義之は知っているのだろうか。甘い声で名前を呼ばれるのも、慈しむように肌に触れる唇も、何もかもが里桜を安心させる。
依存し過ぎていると気付くまでにはもう少し時間が要りそうだった。



頬を掠める掌が、浅くなった眠りを破る。
「慎……?」
よく似たやさしい腕の感触に、まどろみから抜け切らない思考が、つい唇に馴染んだ名前を呼んでいた。
腕に抱き直すように強く引き寄せられて、耳に馴染んだ声が囁く。
「僕の名前を知っている?」
寝惚けた頭では、その遠回しな嫌味のような言葉の意味は理解できずにいた。
「うん?」
「僕は慎じゃないよ?」
そう言われてようやく、前の恋人の名前を呼んでしまっていたことに気付いた。
「ごめんなさい」
「僕の名前を知ってる?」
声も表情もやさしいのに、怒っているように感じるのは気のせいだろうか。
「義之さん」
「もう間違えちゃダメだよ」
それはつまり、そう呼べということだろうか。
「まだ眠い?」
「ううん、大丈夫。もう起きるの?何時?」
「7時前かな。君の荷物の整理もしないといけないし、そろそろ起きようか?」
「うん」
義之の所にいるのだと改めて実感させられる言葉だった。着替えようと体を起こしかけて、ふと目についた自分の姿に声をあげてしまう。
「え……」
「里桜?」
「俺、パジャマ、どうしたのかな」
いつもきちんとパジャマを着て寝る主義の里桜にとって、まっぱで目覚めるなんてありえないことだった。昨夜も、確か風呂上りに着たはずだったのに。
「ああ、たぶんそのへんに」
義之の指す方を見ると、無造作にベッドの下へ投げ出されたパジャマ&その他一式が落ちていた。理由を考えると自然と頬が熱くなってしまう。
なんとか体を伸ばして、キルトケットを纏ったままパジャマを拾おうとした。
「うわ」
不意に腕を引かれてバランスを崩した。ベッドから落ちるかに思えた体が義之の胸元へ引きよせられる。
「落ちるよ、何してるの?」
「だって、俺、まっぱなんだもん」
ややあって、義之がさも可笑しそうに笑った。
「着せておいてあげればよかったかな」
余計に羞恥を煽られて、里桜は義之の腕から逃れようと暴れた。
「ごめん、里桜は本当に可愛いな」
逃れきれずにギュッと抱きしめられた腕の中で、頭を撫でられてキスを受ける里桜は、もはや人間扱いさえされていないような気がする。義之の言う“可愛い”は、子供扱いどころか、小動物に向けられるそれに似ていた。
「あまりじゃれ合っていると起きるのが嫌になってしまうね」
その言葉に敏感に反応したのは、ほんの短い間に義之に慣らされたせいかもしれない。
「起きるから、ちょっと向こう向いてて」
「まだ気にするかな?」
義之の声音の意味はわかっていたが、敢えて無視した。
「着替えるからちょっと待っててくれるか、先に行ってて?」
「わかったよ、先に行ってコーヒーを淹れてるよ」
名残惜しげに里桜の鼻先にキスをして、義之が先に部屋を出た。
ふっと湧き起こる疑問が口を付く。
「なんで、自分はパジャマ着てるわけ?」


「おはよ」
なんとなく気恥ずかしくて、改めて挨拶をしながらリビングに入った。
「おはよう」
カウンターの向こうにいた義之が、わざわざ里桜の傍まで迎えに来る。近付く義之を首を傾げて見上げると、唇にキスをされた。驚く里桜を席へと促して、またカウンターの向こうに消える。
“おはよう”のキスを催促してしまったのだと気付くまでに、しばらくかかってしまった。
「サンドウィッチにする?」
まだ頬の赤い里桜に、義之は至って平静に声をかけてくる。
「うん、手伝うね」
待っている方が手持ち無沙汰で、キッチンに移った。
「里桜がこういうことが得意なんて、ちょっと意外な気がするね」
オープンサンドにヨーグルトという朝食は、簡単な材料を大皿に盛った程度の、料理というほどのものではなかったが、義之が嬉しそうに見えたから、素直に褒め言葉だと受け取ることにした。
「お母さんがね、男の子だって料理くらいできなきゃもてないって言って小さな頃からいろいろ教えてくれたんだ」
正しくは教えられた、なのだったが。
「いいお母さんだと思うよ。おかげで僕も助かったしね」
昨日、里桜の両親に義之と二人で挨拶に行った時のことを思い出す。
義之は、まだ高校一年生の一人息子を、一回り以上も年上の男に突然くれと言われて、まともな話し合いをしてくれただけでも感謝していると言っていた。
驚いたことに、母は義之に初めて会った時から遠からずこんな日が来るかもしれないと思っていたらしかった。里桜には慎哉をしっかり捕まえておくように言っていたくせに、里桜がなかなか認めようとしなかった本心を、いつの間にか見抜いてしまっていたらしい。父も、母からそれとなく聞いていたらしく、里桜の方が驚くくらい平静だったように見えた。実は、その時そう見えただけで、もっと後になってから、本当はそうではなかったことを知ることになるのだったが。
とはいえ、さすがに一緒に住むのは里桜が高校を卒業してからにするように諭された。義務教育を終えているとはいえ、里桜はまだ16歳になったばかりで親元から離れるには早過ぎるし、義之の負担になることも容易に想像できる。出逢ってからの時間を考えても同棲など気が早く、もっとお互いを知ってからにするべきだということだった。
そんな両親の尤もすぎる意見にも、義之は里桜を誰にも取られたくないから傍に置いておきたいと言い切ってしまった。
前日に何があったかなど知らない両親は、てっきり慎哉の動向を心配しているのだと思ったらしく、義之の言い分にも理解を示した。慎哉がどれほど里桜を大切にしてきたか知っているだけに、義之が慎哉を脅威だと思うことに納得したらしい。敢えて誤解させたまま、話は進められていった。
それでも、ただでさえ賢いとはいえない里桜の学業がこれ以上疎かになることを心配する両親は、折衷案として夏休み中のお試し同棲を提案した。家のことや学業がきちんとできれば認めてもいいという、相当に譲歩した条件だった。
幼い頃から料理だけでなく家事全般を仕込まれている里桜にとっては、楽勝に思えた。勉強は元々できる方ではなかっただけに、現状維持以上という低いハードルだった。
そんなこんなで急遽、当面の着替えや勉強に必要な物や身の周りのちょっとしたものを持ってきただけで、義之との同棲生活は始まっていた。
「里桜はいつも朝はきちんと摂る方だったんだね」
「うん。うちのお母さん、食事に厳しくて、ちゃんと食べないと大きくならないって言って、野菜と牛乳が必ずテーブルに乗ってて。でも、ちゃんと食べてるのにちっとも大きくなってないんだけど」
「まあ、体質や遺伝的な要素の方が大きいからね。最初はあんまり小さくて華奢だから壊してしまうんじゃないかって心配だったけど、そんなことないみたいだしね?」
深い意味があるとすぐには気が付かなくて、何気なく頷いてしまった。意味ありげな眼差しに、顔から火が出そうなくらい熱くなる。
「食事が終わったら出かけようか?いろいろ買い足さないと不便だろう?」
里桜の洋服類は寝室に続いたウォークインクローゼットで充分だったが、勉強するためのデスクや、教科書やゲームやCDなどを整理するものが必要だった。
正直なところ、軽い不安障害気味の今は出掛けるのは億劫だったが、いつまでも閉じこもっているわけにもいかなかった。少しずつでも慣らしていかないと、2学期から学校に戻ることができなくなってしまう。それに、義之と一緒なら安心して出掛けられる。少しずつリハビリをして、新学期には今まで通り学校に通えるようになっていたいと思った。



順風満帆に同棲生活はスタートしたかに思えたが、意外な障害は義之だった。里桜の予想を遥かに越えて、義之は過保護だったらしい。
急遽、有休を2日取って里桜が勉強するための部屋を空けて、当面のものとは思えないほどの日用品を買い揃え、里桜が過ごしやすいように模様替えまでしてくれた。試験的な同棲のはずが、本格的に里桜と一緒に住む仕様にしてしまった。
家事にしても、義之は最初から里桜にさせるつもりではなかったらしく、両親をがっかりさせない程度に勉強する以外は何もしなくても構わないとまで言い切った。ただ、里桜が家事が好きで退屈しのぎになるのならすればいいが、頑張る必要はないと考えているらしい。もちろん、当初は里桜が何もできないと思われていたからだったが、義之だけに任せたとしても特に負担には感じなさそうだった。
不安障害気味の里桜にとっては、義之と触れ合うのは手近なリハビリの手段だったが、両親の出した条件をクリアできるかやや不安でもある。
しかも、思っていた以上に心配性らしい義之は、自分が仕事に行っている間は実家に帰っていてはどうかと提案した。里桜が家に帰りたくないからここに置いてほしいと言ったことをすっかり忘れているらしい。
ともかく、今日初めての留守番をする里桜が心配で心配で仕方がないことだけは充分にわかったが、さすがの里桜も少し呆れた。7時半に家を出た義之が、10時過ぎに帰ってきたことには。
「どうしたの?忘れ物?」
「いや、里桜が一人でどうしてるかと思って」
「どうって、まだ掃除して布団を干して、さっき座ったところだよ?」
母親から習った主婦業を、とりあえず一通り終えたところだ。
「そんなに家のことは気にしなくていいんだよ?約束通り、勉強だけはちゃんとしてもらわないと困るけど」
「大丈夫、この後ちゃんとするから。それに普段通りでいいんだからそんなに心配しなくていいよ?俺、元々できる方じゃないから」
「その基準が今ひとつわからないけど、やっぱり僕の所には置いておけないって言われない程度には頑張ってくれる?」
「大丈夫、心配しないで。それより、お仕事大丈夫なの?サボっちゃダメだよ?」
「ちょっと早めの休憩だよ」
里桜と外で会っていた頃から、休憩は自由になるような言い方をしていたが、義之が本当にきちんと仕事をしているのかは甚だ疑問だ。
「ほんとにちゃんとお仕事してる?」
「してるよ。営業みたいなものだと言っても、訪問先は決まっているし、時間は約束しているからね。いっそ直行直帰にしようかと思っているくらいだから、連絡がつくようにさえしておけば大丈夫」
「それなら、いいけど……」
「少し早いけどお昼の用意しようか?」
ようやく、義之が帰ってきた本当の理由に気がついた。
「そんなに心配しなくても、一人でごはんくらい食べれるよ?」
「でも、僕もいつも帰れるわけじゃないからね、帰れる日くらいは一緒に食べよう」
「それならいいけど……ほんと、お仕事はマジメにね」
「じゃ、早めに用意しようか」
軽く流してしまう義之は、もしかしたら見た目ほど真面目ではないのかもしれない。知り合ってからというもの、頻繁に里桜に会いに来てくれていたことを考えれば、おそらくこの推測は外れていない。
「何を作る予定?」
「無難なところでスパゲティとか?」
「うん」
「ソースは何にしようか?」
「昨日、きのこをたくさん買ってたから使う?」
献立をあまり考えないままに買出しをしてしまっていたから、賞味期限の早いものから順に使っていこうと思っていたところだ。
「もしかして何か予定してた?」
「そうでもないけど、献立とかちゃんと考えないとムダになっちゃうかなあと思ってるんだ」
「じゃ、里桜に任せた方がいいのかな?」
「うん。でも口に合わなかったらごめんね」
里桜の心配をよそに、ごく普通の出来のきのこのスパゲティと野菜サラダとスープのランチに、義之はいたく感動したらしかった。見た目が幼いと、何もできなくて当たり前みたいに思われているぶん得らしい。
「本気で専業主婦にならないかい?」
そう言う目元はやはり笑っていて、とても本気には見えなかった。
「まだ1年だもん、高校くらいは卒業しないと」
「それも条件だったね、待ち遠しいな」
本気とも冗談ともつかない表情に、返事を迷う。
「義之さん、もう結婚しないの?」
「里桜がもう少し大きくなったらしようか」
「えっ」
その言い方だと、里桜と、という風に聞こえる。
「それまでに君を誰かに取られないようにしないとね」
どこまで本気に取ればいいのかわからなくて返事ができない。
ただ、思いがけなく始まったこの関係が、少しでも長く続けばいいと思っていた。





何度目かの友人からのメールに、やっと連絡をする勇気が出た。
放課後を待って電話を入れる。
『生きてた?』
秀明の声のトーンはいつもと変わらなかったが、相当に怒っていることが窺えた。
「ごめん、連絡するのが遅くなって。俺、2学期まで学校行かないことにしたんだ」
『聞いたよ、おまえの元カレに。別れてるなんて知らなかったから何気に聞いて、めっちゃ落ち込ませちまったんだからな』
想像すると胸が痛くなる。大事にしてくれていただけに罪悪感も大きかった。決して嫌いになって離れたわけではなかったのだから。
「慎、まだ元気ない?」
『元気ないどころか、死にそうな顔してるぜ?おまえ、まさかあの浮気相手と一緒なんてことないよな?』
電話でさえ動揺が伝わってしまうくらい、里桜は嘘を吐くのが苦手だった。
『高橋は自分が悪いみたいに言ってたけど、おまえが嬉しそうに他の男に会いに行くのを見てただけに俺にはそうは思えないんだよな』
誤解だと弁解するべきなのか、結果的に裏切ってしまった以上、素直に認めるべきなのか迷った。
『俺にも言い訳する気にならないか?』
そこまで言われてやっと、里桜は自分の思いだけでいっぱいいっぱいで、心配してくれている友人を気遣うことさえ出来ていなかったことに気がついた。
「今、誰か傍にいる?話してて大丈夫?」
『大丈夫だよ、もうすぐ家』
「俺、前に呼び出された2年の人に襲われた」
口に出した途端に体が震え出した。バクバクと打つ鼓動の荒さと息苦しさに挫けそうになる。何度上書きされても、記憶を消してしまうことはできないのだと知った。
『里桜?』
何度も、もう大丈夫だと自分に言い聞かせながら気を落ち着かせる。
「その人が前につき合ってた人を慎が取ったんだって。だから、慎とつき合ってた俺に同じことをしなきゃ気がすまないって言ってた」
『それって、犯罪じゃないか』
「どうかな?俺が女の子ならそうかもしれないけど」
『男も女もないだろ、ケガとか大丈夫なのか?』
「うん、体は大丈夫みたい」
『それで学校に来れなくなってるのか?』
「正直、今は男の人が近くに来ただけでダメなんだ。ちょうど夏休みになるし、リハビリしようと思って」
『浮気相手と?』
どうにも、浮気疑惑だけは晴れないらしい。限りなくグレーに近かったとしても、ギリギリ未遂だったと思うのだが。あの日、もう会わないと言うつもりでいた里桜は、斉藤の件がなければ義之と進展することはないまま終わっていたはずだった。
「慎の名誉のために言っとくけど、浮気なんてしてないから」
『でも、ランエボの彼氏の所にいるんだろ?』
「何で知ってんの?!」
『おまえのおふくろが言うところの城北の先輩って他にいるか?』
「じゃなくて、車まで」
『なんだ、バレてないと思ってたのか?』
「っていうか、どこまで知ってんの?」
『……“慎哉くんを大人にしたみたいなすっごい男前なのよ、ランサーエボルーションに乗っててね、すっごくやさしくて素敵な人なのよ、世間知らずな里桜が落ちるのも仕方ないわね”って、おまえのおふくろが』
よもや身内の裏切りに合っていたとは思わなかった。確かに、慎哉とつき合うようになるまでしょっちゅう里桜の家に来ていた秀明になら言ってしまってもおかしくはないかもしれない。義之とつき合うようになった事情を、母は知らないのだから。
「でも、お母さんも俺が家に帰らない本当の理由は知らないから」
『親にも言ってないのか?』
「俺、その時はそんな余裕なかったんだ。言っても心配させるだけだし、これからも言わないと思う」
せっかく両親が義之に好印象を持ってくれているのに、その評価を覆されたくないというのもある。
『そうか、じゃ俺も気をつけないといけないな』
「うん、迂闊なこと言わないでね」
『ま、おまえが元気そうだってわかってホッとしたよ』
「うん、また2学期には学校に行けるように頑張るよ」
『今度は俺にもちゃんと紹介しろよ?』
「うん」
何気なく頷いて通話を終えたが、落ち着いて考えてみるとそれはかなりデリケートな問題だった。義之は里桜のことを周囲に何と言うのだろうか。慎哉は里桜とつき合う前から良くも悪くも有名人で噂など気にしなかったし、学生という立場では本人が気にしなければそれですんだが、社会人の義之では立場が違う。それに義之個人がどう思っているのかも聞いていなかった。もしかしたら、親しい友人に対してもあまり告げてほしくないと思っているかもしれない。
どうやら、里桜の心配事はまたひとつ増えてしまったようだった。



玄関のドアを開錠する音に気付いてダッシュした。
義之には、むやみにインターフォンに出ないことと、常に玄関をロックしておくように言われている。いくらセキュリティの整ったマンションに住んでいても、物騒な世情を心配してのことだった。だから、インターフォンを鳴らさずに帰ってくる義之をタイミングよく出迎えるのは結構難しい。
「ただいま」
里桜がリビングのドアを開けるのと、義之が玄関を上がってくるのはほぼ同時だった。義之はほんの何歩かで距離を詰めると、里桜をギュッと抱きしめた。まるで遠距離恋愛で何週間振りかに会う恋人にするみたいに濃いハグだ。
「おかえり」
なさい、と言う前にもう唇を塞がれていた。玄関先でするキスにしては濃くなりそうな気配に、窮屈な胸元をそっと押して控えめに抗議した。こんなところでその気になられたら困ってしまう。
「ずっと一緒にいたから、離れている間は心配だったよ」
休憩だと言って帰ってきた義之は、昼過ぎまで家にいたのだから、ほんの半日ほどの留守番にすぎなかったのだったが。
「小学生じゃないんだから」
「小学生なら一人で置いておかないよ」
どうやら筋金入りの過保護のようだ。
肩を抱かれて促されるままリビングへ移動する。そのままソファへと誘導されて義之の膝に乗せられた。里桜からすれば何とも恥ずかしい位置関係なのだったが、義之は気に入っているらしい。
「いい子にしてたかい?」
からかうような口調に反論するともっと子供だと思われてしまうだけだと思い、素直に頷いた。
「うん、今日はエビチリと春巻きだよ。杏仁豆腐も作ったから、ご飯終わったら食べようね」
「なんだか僕の食事を作るために一緒に住んでいるみたいだね。そんなに気にしなくていいんだよ?」
「だって暇なんだもん」
「ちゃんと勉強してるかい?」
「うん、特別課題はもう全部終わったよ。後は夏休み明けのテスト勉強をちょこっとするだけだから余裕」
出席日数が少し足りないところは母が上手く学校側にかけあってくれて、夏休み明けに課題を提出することで免除してもらえることになっていた。
「ちょこっとじゃダメだよ?」
「はぁい」
口先だけだとバレているに違いなかったが、義之は困ったように笑うだけだ。
「ごはんにする?」
離れようとする里桜を引きとめて、またキスの雨を降らせようとする。
「ダメだよ、ごはん食べてから」
何気なく言った言葉の意味などいちいち考えてはいなかったが、義之が額面どおりに受け取ったことは食後に知ることになった。
「じゃ、先に汗を流してこようかな」
「その間に用意してるね」
そのままバスルームへ行く義之を、着替えを持って追いかける。
「一緒に入る?」
「ううん。俺、先に入ったから」
連れ込まれそうな気配に、慌てて洗面所を後にする。
里桜が世間知らずなだけで、世の恋人たちというのはこんなにも濃い時間を過ごしているものなのだろうか。
始終一緒にいるのは嬉しく幸せだったが、まだまだ照れくささに負けて素直になりきれない里桜は、やはり幼すぎるのかもしれなかった。



「里桜」
その声のトーンが意味することに気付いて、自然と頬が熱くなる。
ソファに座った義之の膝へと抱き上げられると緊張してしまうのは、この後に起こることがわかっているからだ。行為が始まってしまえば夢中になってしまうのに、始まる前の抵抗感はまだ拭いきれなかった。
「里桜」
やや高めの甘い声に名前を呼ばれると、それだけで幸せな気持ちになる。義之の声も指先も、何もかもが里桜を自由にできるのだと気付かれているようだった。
啄むように何度もくり返されるキスに鼓動が上がっていく。義之の首へと回した両腕に力を籠めて、そのせつなさから逃れようとした。
里桜の髪をかきあげる手に上向かされて、逃れられずに義之の唇に捕まる。舌先で唇をなぞられると、その気持ちの良い舌と触れ合いたくて緩く開いた。ゆっくり絡んでくるのを待ちきれずにそっと吸う。すぐにもっと深く絡み合って、他には何も考えられないくらい夢中になってしまう。
「あ、ん」
キスのジャマをする刺激に思わず喘いだ。
いつの間にかはだけられたシャツの中を義之の手が這う。指に挟まれて撫でられる突起から広がる感覚に思わず腰が浮いた。
「いや」
義之に抱かれる度にその思いが強くなる。自分では制御しようのないその感覚に溺れてしまいそうで、一層怖くなる。
宥めるように髪をかきあげて、額から頬を伝って首筋に下り、そのまま胸へと続いていくキスにどうしようもなく体が震えた。
「怖い?」
今までにも何度も、聞かれるたびに頷いてきた理由を、きっと義之は思い違えている。最初に怖い思いをしたせいで、行為に対する恐怖心がついてしまったことをとても気にしてくれている。
でも、それを誤解だと言う勇気が、まだ里桜にはなかった。
「里桜?」
やさしい声にそっと目を上げる。
「そんなに身構えないで。きみがいやなことはしないよ?」
それが真実だと、これまでの義之の行為でわかっている。
小さく頷いて、義之の首へとしがみついた。
「あっ、んっ」
濡れた指で中をかき回されると、たまらず膝で立ってその刺激から逃れようとしてしまう。なのに、気持ち良い場所を確かめるように何度も擦られると、力が抜けて崩れ落ちそうになる。里桜の自我まで奪うようなその感覚が怖くて仕方ないのだと、まだ義之には気付かれていないようだった。
「里桜?痛い?」
首を振って、決して義之が悪いわけではないことを告げる。
「気持ちいい?」
予期せぬ言葉にもろにうろたえてしまった。
否定することはできなかったが、かといって肯定するのも勇気がいった。
「里桜?」
促すように名前を呼ばれると、魅入られたように小さく頷いてしまった。その甘い声までが、里桜の奥深いところに沁み入るようだ。
ゆっくりと腰を下ろさせる腕に逆らうことはできず、向かい合った姿勢のままで義之を受け入れた。
「は、ぁんっ」
ゆっくりと里桜の中へと入ってくるだけで体の芯まで蕩けさせられるような気がする。
「里桜?」
時間をかけて里桜の中に納まりきると、確かめるように名前を呼ぶ。
顔をあげられないまま小さく頷くと、覗き込むようにキスをして、ゆっくりと腰を揺すり上げられる。もどかしいほどにやさしい、穏やかな繋がりだ。
「痛まない?大丈夫?」
「う、ん」
そんな短い返事を返すのさえ、声が上ずってしまう。
「もう少し大丈夫かな」
何が?と問う間もなかった。今度は尋ねられたわけではなかったらしい。
「やっ、んっ」
腰をぐいと引き寄せられて、更に奥まで突き上げられて悲鳴のような声がこぼれた。それが感じ入ったからだと見抜かれたのか、ピッチが上がる。こんな風に強くグラインドされるのは初めてで、とてもついていけそうになかった。
「そんなにきつく締め付けないで、すぐに達ってしまいそうだ」
囁かれても、意識して調節するような余裕はとてもなかった。今まで穏やかな義之しか知らなかったせいで、軽いパニックに陥ってしまっていた。
生理的な涙が零れ、揺さぶられるままに散る。
「里桜」
囁かれる声に、少しだけ緊張が緩む。
「愛してるよ」
耳朶へと甘く響く声は、里桜の都合の良い聞き間違いだと思った。そのくせ、胸の奥深くへ沁み込む言葉はよりいっそう里桜を熱くさせた。
「義之さん……」
小さな声で名前を呼ぶと、答える代わりに唇へとキスが降ってきた。
もしかしたら、一番好きなのはその唇かもしれない。いつも気持ちの良いキスをくれて、やさしい言葉を紡ぐ、麻薬のような唇。
その常習性に容易く負けて、里桜は義之のくれるキスに溺れた。





何日か経って新生活のペースが掴めてくると、里桜は暇を持て余すようになっていた。
退屈から外へと気持ちが向かうのに、そのたび言いようのない不安に駆られて外出を避けてしまう。義之が一緒なら平気になっていたが、まだ自分だけで出歩く勇気は出なかった。
すっかり義之に依存してしまっていると気付いていたが、まだ不安は克服できていない。
ぼんやり過ごしていると、不意に家の電話が鳴った。
ディスプレイに表示された美咲という名前に指が震えた。取った方がいいのか、取らない方がいいのかわからない。きっと、こんな時間に義之がいるはずがないことは知っているだろうから、かかってくるということは緊急の用事なのかもしれない。
迷ったが、長くコールが続くと無視できなくて出てしまった。
「はい」
『美咲ですけど、義之さんは戻ってます?』
声を聞くと、不意に初めて会った日の記憶が甦ってきた。自信に満ちた、華やかな笑顔が印象的な大人の女性。
「いえ、あの、お仕事に行ってるんですけど」
『あなた、もしかして義之さんの恋人?』
「え、いえ」
思わず否定してしまったのは、迂闊に肯定して迷惑をかけたくなかったからだ。義之がカミングアウトする気があるかどうかもまだ確認していなかったし、ましてや前妻には知られたくないかもしれない。
『こんな時間にお留守番ってことは親しいんでしょう?心配しないで、私は偏見もないし、言いふらしたりしないわ。携帯が繋がらなかったから、そっちに掛けてみただけなの。また掛け直すわね』
返事に迷う里桜を気遣ってか、美咲は早々に電話を切ってくれた。
義之と美咲が一緒にいる所を見たことはないが、想像してみればビジュアル的には何とも似合いの二人だ。逆に、大人の義之と子供っぽい里桜が一緒にいるのを見ても恋人だと疑う人などいないだろう。急に、里桜の気遣いが余計な心配に思えてきた。
自分が子供だという自覚は充分にあったが、今まではあまり気にしたことはなかった。いきなり大人になれるわけもないし、少しずつ義之との距離を縮めていければいいと思っていた。
今まで、13歳も年上の義之の過去など気にしたこともなかったが、リアルに見せつけられたようで落ち込んだ。過剰なほどの義之のやさしさに目が眩んでしまっていたのかもしれない。本当に、里桜は義之に恋人として見られているのだろうか。もしかしたら、ただの責任感で恋人ごっこにつき合ってくれているだけなのではないのだろうか。
突然湧き起こった不安に、先までの退屈な気分が吹き飛んでしまった。どうやったら早く大人になれるのか、考えても仕方のないことが頭から離れなくなってしまう。
ふと、カウンターの上で震えている携帯に気付いた。里桜は携帯を鳴らすことはまずない。学校に持っていくようになってからは常にサイレントモードにしたままだ。
突然のメールは義之からで、今日は昼には帰れないという内容だった。すぐに美咲の顔が浮かんだ。かけ直すというのは、義之の携帯にという意味だったのだろう。今日の休憩時間は美咲のために使うのかもしれない。そう思っただけで瞳が潤んできた。
初対面の時に離婚したばかりだと聞いたせいで、義之はフリーなのだという思い込みがあった。もちろん、最初はつき合うようになるなんて思いもしなかったが、義之が他の誰かと親しくしているかもしれないとは思ったこともなかった。いくら里桜と頻繁に会っていたからといって、どうして義之の胸の中には誰もいないと思いこんでいたのだろう。
嫌だと思うのは、里桜が子供だからなのだろうか。一緒に昼食を取れないことより、義之が里桜以外の誰かと過ごすかもしれないことの方がよほどつらく感じた。



ぼんやりしていたせいで、いつものようにインターフォンを鳴らさずに自分で玄関の鍵を開けて入ってくる義之に気付くのが遅れた。慌てて出迎えに走った時には、もうリビングのドアを開けて入ってくるところだった。
「ただいま」
「おかえりなさい」
すぐに両腕できつく抱きしめようとする義之は、いつもと変わらないように見えた。少し強引にキスをしかけてくるのも、長引かせようとするのも。
「里桜?」
いつもは軽く嫌がるからか、されるがままの里桜を変だと思ったのかもしれない。
「なんだか元気がないね?」
「ううん、そんなことない」
いつものように肩を抱かれてソファへと誘われる。膝に、向かい合わせになるように座らせられても、見つめ合うのは怖かった。きっと、里桜のモヤモヤした気持ちは見抜かれてしまうだろうから。
目を閉じた里桜に軽いキスをくり返す気持ちの良い唇に、後でと言う気にはなれなかった。
「今日は昼に帰れなかったから、すごく久しぶりな気がするね」
同意を求めるような言葉にもただ頷くだけで、会話は続かない。
軽く触れては離れるキスに焦れて、義之の首へ腕を回した。薄く開いた唇を撫でる舌に触れたくて。
未成熟な体を酷使しすぎだと思うのに、義之に触れられると我慢ができなくなる。一回り以上も年下の幼い自分ではなくて、義之に似合うようになりたい。せめて、義之の恋人に見えるくらいに。
焦る思いを宥めるように、義之は時間をかけて里桜に触れてゆく。体中に降るキスも、文字通り愛でるように撫でてゆく指も。
義之は焦れたりしないのかと思うと、少しつらくなる。前から自覚はあったが、好きになってしまったのは里桜の方だ。自分の方を向いてほしいという思いが叶っただけでも満足しなければならないのかもしれない。たとえ、それが義之の言った償いに過ぎなかったとしても。
「里桜?」
心配げな声に顔をあげる。目元に口付けられて初めて、自分が泣いていたことを知った。
「ごめんなさい」
思わず謝ってしまったが、義之には誤解されてしまったようだった。
「嫌なら我慢しなくていいよ?ムリをさせてしまったかな」
「ううん、そんなことない」
抱きしめられて髪を撫でられると、また目元が滲んでくる。子供扱いされたくないと思うのに、自分がまだまだ子供なのはどうしようもない事実で。
「もしかしてホームシックにかかったのかな」
「ううん」
かかっているとしたらラブシックだと思う。それも日毎に悪化する一方で治る見込みもない。
宥めるように背中を撫でる掌がもどかしさを加速させる。首筋へギュッとしがみついて、自分でも意識しない言葉が口をつく。
「して」
「里桜?」
表情を窺おうとする義之から庇うように顔を埋めた。
「僕がいない時に何かあった?」
一瞬で緊迫した空気になるのは、義之があらぬ心配をしたかららしい。
「ううん」
否定するとますます心配させるのだとは思いもしなかったから、ただ首を振り続けた。
「誰か来た?」
「ううん」
「君が出かけた?」
「ううん」
「じゃ、電話?」
何故、こうも義之は鋭いのだろう。
それとも、里桜が隠し事が下手過ぎるのだろうか。
「誰から?」
迷う里桜に、やさしい声が問い詰める。
「里桜?」
きっと、隠し通すことなどできないのだろうと思って答えることにした。
「……美咲さんって、言ってた」
敢えて、義之の別れた奥さんなどという表現は避けた。
里桜の思いなど全く意にも介さないように、義之は心底ホッとしたようだった。
「僕の携帯にも連絡があったよ。どうやら真剣に高橋を口説いているらしいよ」
「え?」
義之の答えは、里桜にとっては意外過ぎた。
「離婚してすぐに会いに行った時にも断られてるらしいけどね、経過報告というか愚痴かな?聞かされたよ。きみと話したということは、僕の所にいることがバレてしまったということだね」
「ごめんなさい、義之さんの恋人?って聞かれたんだけど」
「僕は構わないよ。でも、高橋には僕の所にいるって言ってないんだろう?美咲から伝わってしまうかもしれないよ?」
「慎に、義之さんの所にいるって言った方がいいのかな?」
「できればね。ただ、僕がきみを騙してるんじゃないかと誤解されそうな気がするけど」
義之に言われるまで、里桜はその可能性を思いつきもしなかった。
「俺、騙されてるの?」
「ひどいな、騙されてると思ってた?」
「思ってたらここにいないでしょ」
もし、今騙していたと告白されたなら、里桜の心臓は止まってしまうかもしれない。そうでなければ、精神が壊れてしまうだろうと思った。
「で、美咲には何て答えたの?」
「何てって何を?」
「僕の恋人か聞かれたんだろう?」
「あ、うん。一応否定しといたんだけど」
元々嘘を吐くのが下手な里桜の返事など、ちっとも信用してくれなかったが。
「ひどいな、騙されてるのは僕の方かな?」
芝居がかった悲しげな表情に慌てた。
「だって、人に知られたら困るでしょう?」
「里桜は困るの?高橋の時にも隠していたようには思えなかったけど」
「俺じゃなくて、義之さんが」
「僕が?どうして?」
不思議そうな顔をする義之の方がよほど不思議だった。
「だって、お仕事とか差し支えるでしょ?」
「まあ、確かに状況によってはあまり堂々と言えないかもしれないけど、僕は否定するつもりはないよ。隠してると縁談でも持ってこられかねないしね」
今まで気が付かなかったが、義之が里桜のことを隠すなら、世間的にはフリーということになってしまう。もちろん、相手が里桜だと言う必要はないが、少なくとも恋人がいるという宣言だけはしておいてもらわないと困るようだ。フリーと知れれば、いくらバツイチとはいえ、まだ20代のこんな男前を放っておいてくれるわけがない。
「じゃ、今度聞かれたらそうだって言うよ?」
「そうしてほしいな。それに、美咲にはたぶんもうバレているよ。意味ありげな言い方をしていたからね」
「俺にも、偏見もないし言いふらしたりしないから心配しないでって言ってた」
「納得したところで続きをしてもいいかな?」
改まって尋ねられると答えられなくなってしまうのに、義之はわかっていてわざと言っているような気がする。
「里桜?」
重ねて問われると負けてしまう。小さく頷いて、義之の首筋へと顔を埋めた。やさしい指が髪を梳いて、ゆっくりと顔を上げさせる。
「もうそろそろ聞かせてくれないかな?里桜は僕をどう思ってるの?」
「えっ……」
聞くまでもない、もろバレだと思うのに。
「里桜?」
そういう風に問い詰められると弱いと、知っているくせに。
じっと見つめられると、何を言おうとしているのか自分でもわからなくなる。
「こうやってくっついてるとドキドキするけど、すごく安心する。いつも、ずっと一緒にいたいなあって思う」
「そういうのを愛してるって言うんだよ」
義之の言葉に納得しないでもない。まだ愛なんてわからないけれど、きっとこんな風にすごく大切で、安心できて、気持ちの良いものなんだと思う。
「言ってみて」
「ええっ」
いつになく、義之が意地悪に見えた。
「里桜?」
見つめられると、魅入られたように戸惑う気持ちが萎えてしまう。
「愛してる?」
「かな」
「心許ないな、早く言ってくれるようになってもらいたいね?」
同意を求められても、この要望にはまだまだ応えられそうにない。
「大人になるまで待ってね」
「ずいぶん気の長い話だね?」
「だって、そんなにすぐには大人になれないもん」
「そんなことないよ、ホントに子供ならこんなことしないしね」
里桜のシャツの中を探りながら、義之が意地悪く笑う。
「や、ん」
確かに、体の方はいつまでも何も知らない子供のままではなくなっているのかもしれないが。中身の方はそんなにすぐには成長してくれない。
焦ったり、開き直ったり、里桜が大人になるにはまだまだ時間がかかりそうだった。



- 仔猫を室内飼いで育てる方法 - Fin

【 子猫を手懐ける方法 】     Novel        【 子猫に鈴が必要な理由 】



室内飼いの極意は、我が家が一番と思い込ませることだと思います。
テリトリーを広げさせてはいけません。
……我が家の猫の場合、ですが(もちろん本物の猫ですー)。