- 仔猫の行方(1) -


〔お断り〕優生不在の間のお話を淳史の視点で書いています。
時系列は11話に当たりますので、
淳史贔屓の方はこちら(だけ)を見ていただいた方がいいかもしれません。



「え、あっくん、振られちゃったの!?」
驚きのあまりだったのだろうが、里桜の上げた高い声がひどく神経に障った。
一方的な別れの言葉を残して優生が姿を消してから数日。誰からも居場所に繋がる情報を得られていない現状を打破するために、或いはただ焦るばかりでやり場のない感情の矛先として義之に連絡を取ったのだったが、思いがけず里桜を伴って現れたことにストレスが増したような気がする。
「……振られたというか、いなくなった」
「ゆいさん、また黙っていなくなっちゃったの?」
「いや、もう戻らないと言われた」
「やっぱ振られちゃったんだ……」
痛々しげな顔をされると、認めたくない事実を突き付けられたようで腹が立つ。隣で困惑顔を見せる義之に、嫌味のひとつも言わずにはいられなかった。
「……義之、こいつを置いてくるくらいの気遣いは出来なかったのか?」
「無理を言うなよ、里桜に黙って来れるわけないだろう?」
他の何よりも里桜を優先している義之には、行き先や理由を告げずに時間を取ることは出来ないとわかっていても、苛々を抑えずにはいられなかった。
いつもは甘過ぎる二人を微笑ましいとさえ思っていたのに、ただ淳史の傍に優生がいないというだけで、ひどく狭量になってしまうものらしい。
「あっくん、ゆいさんがどこにいるかわからないの?」
「そういうことだ」
もちろん親元には帰っておらず、一番仲の良い勇士にも連絡ひとつ入れてはいなかった。
優生の行方を捜して尋ねる相手の反応は悉く同じで、最初に驚き、二言めには淳史を責める。事情を詳らかにする前から、悪いのは淳史の方だと決め付けているようなところがあった。
他の誰でもなく、優生は淳史のものだったはずなのに、そんなことさえ曖昧になってしまうようだった。


「知り合いの所にいないとなると、捜し出すのは難しいね」
小さな子供のお守りでもするように、義之は膝に里桜を乗せて話を続けた。里桜は義之の胸へ背を預けるようにして、淳史の答えるのを待っている。
「正直なところ、見当もつかないんだ。不動産屋にも当たってるんだが、ともかく数が多くてな」
周辺の市だけでも賃貸の部屋はウンザリするほどあった。捜索範囲を広げるほどに、細かく調べるのは困難になってゆく。
「住む所を確保してから出て行くほど計画的だったのかな?」
「いや、そんなに思い詰めているようには見えなかったんだが」
単に、淳史が鈍かっただけなのかもしれなかったが、別れの準備をしているような素振りは感じなかった。殆ど全ての荷物を置いて行ったことからも、突然思い立ったことが窺える。
「それなら、友達とか親戚とか、淳史の知らない誰かの所にいるんじゃないのかな? ほとぼりが冷めてから、住む所を探すとか就職するとか、身の振り方を考えるつもりかもしれないよ?」
淳史の知らない相手と言っても、交友関係は前回の失踪騒ぎの時に粗方調べてあり、ほぼ把握できているはずだった。行動を制限していたような状態で、新たに親睦を深めた誰かがいるとも思えない。
「……おまえなら何処を捜す?」
「僕には、ゆいが一人で生きていけるようには思えないけど?」
義之の言葉の、深い意味は考えたくなかった。
「それなら実家に戻ってくれれば良いんだが」
たとえ優生の両親や弟に顰蹙を買うことになっても、所在が明らかなら手の施しようがあるだろう。
「ゆいさんて、ずっと我慢してて、突然キレるタイプなのかな?」
「そうかもしれないね。里桜が淳史にベタベタしてる時にも、そういう感じだったから」
そう言われてみれば、そうなのかもしれない。普段から、優生は感情をあまり素直に話す方ではなかった。少なくとも、淳史に対しては。
「……何を我慢してたんだ?」
「それはこっちが聞きたいよ、淳史には心当たりがないのか?」
ないと言えば嘘になるかもしれないが、一方的に別れを告げられるほどの重大事だったとは思っていなかった。


「なくもないんだが……短期間にいろいろあったからな。でも、少し神経質になっていただけだと思っていたんだ」
「いろいろっていうのは?」
里桜の前で細かく話すことに迷いはあったが、黙っていては話が進んでいかない。おそらく、事の発端は淳史の親に会わせたことだった。
「優生を親に会わせないままだったからな、嫌がっていたのはわかってたんだが食事につき合わせたんだ。一時間ほど一緒に過ごしただけなんだが、優生はひどく緊張して、ちっとも食わないし、殆ど喋りもしなかった。当然、心象も悪くてな。まあ、元から賛成は出来ないと言われていたし、滅多に会うこともないから構わないようなものなんだが、もう少し上手くやってくれるだろうと思っていたんだ」
優等生タイプで人当たりの良い優生なら、特に身構えなくても、差し障りなく引き合わせられると踏んでいた。よもや、あんな風に固まってしまうとは思いもしなかったのだった。
それでも、淳史の母親のやや厳しい評価については優生には話さなかった。無理に会わせたような状態では、もう少し上手く対応できなかったのかとは言えなかった。
「ゆいは得手不得手がハッキリしているようだからね。僕の父にもそうだったようだし」
あの時は義貴だけが特別なのだと思っていたが、義之の言う通り、苦手なタイプがあるらしかった。淳史の母親も義貴も、優生にとっては天敵のようなものなのかもしれない。
「でも、先生はともかく、俺の親に気に入られようとは思わないのか?」
「そう思うほど、プレッシャーを感じて上手く出来なかったのかもしれないよ?」
「その場をやり過ごすだけだぞ? あとは滅多に会うこともないと言ってあったんだからな」
「淳史が思うより、ゆいは繊細なんだと思うよ。それからずっと元気がなかったのか?」
「いや、それだけじゃないんだが……後藤がちょっかいかけたり、美波が来たり、平穏とは言えなかったからな」
「後藤って淳史と同期のチャラい感じの奴だろう? よく放っておけるね」
呆れているというより、義之の表情は怒っているように見える。
「後藤が何かするとは思ってないからな。ただ気に障るというだけだ」
けれども、その母親と仲良くなったと聞かされた時、抑えていたものが噴き出してしまった。淳史の親とは歩み寄ろうとはしないのに、なぜ他の男の親と親しくするのかと納得がいかなかったのだった。


「じゃ、ゆいの家出の原因は元カノということになるのかな?」
「……やっぱりそう思うか?」
「やっぱり、と思うようなことがあったんなら、そうなんじゃないのか? 来たっていうのは、この部屋に?」
「ああ。下で待ってたんだが、優生が構わないと言ったからな、ここへ通して少し話した」
「まさか、ゆいも一緒に?」
眉を顰めて、ますます不機嫌そうになる義之に、あの日思ったことを話す。
「二人きりで話せば、優生はいろいろ考え過ぎるだろう? 隠す必要はない相手だというつもりだったんだ」
「彼女の方はどうだった?」
「どうもこうも、会うのも久しぶりだというのに、いきなり結婚しないかと言われて、正直うろたえたな」
よもや、そんな言葉が出るとは夢にも思わず、動揺を面に出さないようにするのに苦労した。できれば、17歳も年下の若い優生の前で恥をかかせるようなことはしたくなかった。
「それをゆいに聞かれたのか?」
「近くにいたから聞こえていただろうな。でも、美波にはすぐに断ったし、俺が結婚したことも、相手が優生だということも言ったからな」
決して優柔不断な対応をした覚えはなく、大事な方を明確に優先したつもりだった。
黙って聞いていた里桜が、義之と同じように呆れ顔を向ける。
「あっくんて、デリカシーのカケラもないよね」
「おまえにだけは言われたくないが」
さんざん優生の気を悪くさせてきた里桜にそんなことを言われるということは、本当に淳史の態度か言葉に問題があったということなのだろうか。
「俺なら、そんな話は知らないところでしてて欲しいけど……義くんが誰かに結婚セマられてるところなんて見たくないし、いくら断ってたって、やっぱヘコむよ」
「……そうなのか?」
「たぶん、里桜の感覚の方がゆいに近いんじゃないかな?」
優生の肩を持つような二人の言葉に、淳史は自分に非があったようだと認めないわけにはいかなかった。


「あっくん、その戻らないっていう話の後どうしたの? お仕事行ってる間に、ゆいさんいなくなっちゃったの?」
「いや、電話だったからな」
「え、そんな大事な話が電話なの?」
「面と向かって言ったら、監禁されかねないとでも思ったんじゃないかな?」
「……そうかもしれないな」
改めて、最後の電話を思い返す。妙に淡々とした、まるで他人事のように感情の籠もらない声だった。
「勤務中に公衆電話からかけてきたから何かあったんだろうとは思ったんだが」
優生の方から電話をかけてくること自体殆どなく、ましてや勤務中になど以ての外で、些細な用でないことはすぐに察しが付いた。だから、優生の口調が穏やかでも油断はしていなかったはずだった。
「不意打ちだった?」
「そうだな、まさか別れ話をされるとは想像もしなかったからな」
「ゆいの言い分は? 少しは話したんだろう?」
話したというほどの時間を引き伸ばすことは出来なかったが、上っ面の言い訳のどこかに本音を潜ませていたのだろうか。
「疲れたとか、学校に行かせてくれないとか言われたが」
「まさか、そんな理由で?」
「たぶん尤もらしい理由を言ってみただけだろうと思うが」
「説得しなかったのか?」
「ヘタに説得すれば切られそうだったんだ。公衆電話じゃかけ直すことも出来ないからな」
「他には? ゆいは素直じゃないから、本音をストレートに言うとは思えないけど」
「捜すなとか、仕事を休んだり辞めたりするなとか、責任を感じさせるなとか、出来そうもないことばかり言われたが」
「責任っていうのは何の?」
「俺が仕事を二の次にすることだろう? 前の時には休暇願いが通らないと言われて辞表も書いたからな」
周囲に迷惑をかけて評価を落としたものの退職するには至らなかったが、優生はひどく責任を感じていたようだった。
「ゆいはそれを気にしてたのか?」
「仕事をサボるなっていうのが口癖になるくらいにな」
性格の真面目さのせいか、優生は人に迷惑がかかることを嫌う。そのくせ、淳史の都合など軽く無視して勝手に姿を消してしまった。


「……あっくん、ゆいさんて本当にあっくんのことを好きだと思う?」
核心をついた問いに、答えに詰まってしまう。優生は、淳史の言葉に同意したり、“好きかも”と言ったことはあっても、明言したことはなかった。
「俺は、ゆいさんはあっくんのこと、すごく好きなんだと思う。俺に腹立てるのも、義くんにあてつけるみたいなことするのも、あっくんのことが好きだからだよ?」
「だと思っていたんだが」
それなら、こんなに簡単に淳史を切り捨ててしまえる心理をどう説明すればいいのか。
「俺は義くんの一生に責任は持てないかもしれないけど、誰にも取られたくないし譲りたくない。もし周りにいろいろ言われても、俺から手を離すのは絶対やだ。でも、ゆいさんは違うんだよね。あっくんに迷惑かけたくないとか、お母さんに気に入られてないとか、いろいろ気を遣い過ぎちゃったんだよ」
「……おまえは、わかりやすくていいな」
きっと、里桜が相手なら多少の難問も軽く越えてしまえるのだろう。
「だって、俺は究極の選択を迫られたら、義くんの他は全部捨てられるもん」
「えらく極端な話だな」
「俺は義くんの評価以外は気にしないって話だよ? 周りがみんな俺を子供過ぎるって言っても、義くんがそれでいいって言ってくれたら、傍にいてもいいって思えるから。でも、ゆいさんは、あっくんの周りの人にもすごく気を遣うでしょ? あっくんが悪く言われないように、全部我慢しなきゃいけないみたいに思ってるんじゃないのかな」
「……俺はそんなに優生に無理をさせていたのか?」
「させてたわけじゃなくて、ゆいさんはそういうの全部我慢できちゃうくらい、あっくんのこと好きなんじゃないのって俺は言ってるんだけど?」
“よくできました”といわんばかりに、義之が里桜の頭を撫でた。まるで喉を鳴らしそうな表情で、里桜は義之に身を擦り寄せる。
人目も憚らず甘い雰囲気に浸ってしまう二人を、時として目を覆いたくなるほど呆れるというのに、今はひどく羨ましく感じた。



- 仔猫の行方(1) - Fin

Novel      【 仔猫の行方(2) 】  


もう仔猫とはいえないなんてツッコミは、この際おいておきます。
それにしても、里桜に慰められるようではヤバいかなーと思いつつ。
もう暫くヘタレから脱却できないかもしれません。