- Love or Lust(1) -

〔ご注意〕
微妙に妊娠ネタを含みます。苦手な方はご注意ください。
☆『CHINA ROSE』を読んでくださっている方へ
時系列ではこちらが半年ほど古いお話になっています。



「優生」
呼ばれて、水仕事で濡れた手を急いで拭う。
食事の後片付けを済ませたら何をしようかと迷っていたくらいだったのに、淳史の傍に侍るよう言いつかると、自分でも理解できないほどの緊張で体が強張った。
待ちかねたように見上げる目が、淳史の膝へ座るよう促しているとわかっていても、自分からそうするのは未だに抵抗感があった。義之の言うように、もっと優生が素直になればいいのだろうと思う反面、物欲しげに映らないかと心配になってしまう。
結局、焦れたように腕を引かれて少し強引に膝へ乗せられるまで、優生からは行動を起こせなかった。“お姫さま抱っこ”に近い体勢の不安定さに、淳史の首へと腕を回す。今更だと言われようとも、こんな至近距離で見つめ合うのは恥ずかしくて、淳史の肩へと顔を埋めた。
頭上で、微かに笑いが洩れるのを感じる。決して不快ではなかったが、いつまで経っても慣れられない自分がもどかしい。
体勢に納得したのか、淳史はそれ以上優生を追い詰めようとはせず、テーブルに置いた厚い書類を再び手に取った。
淳史の目は表に記された数字に戻り、斜め読みをするような速さで追っている。その視線の間に優生がいる意味がわからず、視界の妨げにならないようにそっと体を抜こうと思った。
「動くな」
「でも……俺がいるとジャマでしょ?」
「いいから、じっとしていろ」
気を遣うほど邪魔になるだけだと気付いて、淳史の膝から下りることは諦めた。
持ち帰った仕事をしている淳史と違って、ただ膝に乗っているだけの優生は間が持たないのだとは察してくれないらしい。優生の目の前で広げているのだから見えても問題のない内容なのだろうが、何となく気が引けて、顔は背けておいた。
こんな風に胸に凭れていると、肩を貸してくれる隣人を思い出す。優生を人肌の枕がないと眠れない性質だとか依存症だとか言ったり、自分の母親に似ているからという理由で過剰なくらいに甘やかしてみたり、知らぬ間に危なげな雰囲気に陥れる美貌の看護師。
心配性なのか、単に病人を放っておけない性分なのか、義之はかいがいしいほど優生の面倒をみてくれていた。
そんな甘い人ではないと気付いていながら、居心地の良さについ寄りかかり過ぎてしまったと思う。優生の気のせいでなければ、いつからか義之の眼差しや指先には、余計なものが含まれるようになっていた。
「……優生? 寝たのか?」
低められた声に、かろうじて目を開ける。あと5分放っておかれていたら眠っていたかもしれないが、まだ意識は確りとしていた。
「どうかしたの?」
「もう少し待てないか?」
「うん?」
「確認だけだからな、すぐに済む」
だから眠らずに待っていろと告げる瞳に頷く。
優生が黒田の所から戻って一悶着あったあと、淳史はあまり煩いことを言わなくなった。それまでは優生の交友関係や行動範囲を制限するような横暴な言い方をすることがよくあったのに、今はほぼ無くなっている。“なかったことにする”と言った言葉を守り、淳史はもう優生が他の男の所に居たことを忘れたかのように接してくれているようだった。
対照的に、優生は淳史ときちんと向かい合おうと思えば思うほど緊張してしまい、失笑されるような事態をしばしば発生させてしまっている。叶うことなら、優生も全てなかったことにして真っ白になって淳史とやり直したかった。人間も初期化できればいいのにと、真剣に思ってしまうほどに。


息を吐く音に、淳史の仕事が終わったようだと知る。
揃えた書類をテーブルに置くと、淳史は優生の肩を抱きよせるようにして顔を近付けてきた。それに応えるために、軽く上向いて目を閉じる。
離れていた二ヶ月足らずを取り返そうとするように無理をして優生を連日抱いていた時期は過ぎても、淳史の気遣いは変わっていない。常に主導権は淳史にあるのに、優生が足りないと感じていないか注意深く観察されているような気がした。
優生のTシャツの上から胸元を辿る手が、生地の上からではわからないほど小さな突起を探り当てる。
「あっ……」
待ち詫びていたわけではないのに、淳史に触れられたところから火種が燻り出す。
「優生?」
囁くような声は優生の意向を尋ねているというよりは確認をしただけのようで、淳史の指は敏感な場所への刺激を止めようとはしなかった。
「ん」
やがてTシャツを捲って直に肌に触れた掌は下肢へと伸びてゆき、辛抱の足りない体を容易く昂らせてゆく。
「ん、ぁん……」
「おまえは本当に弱いな」
しょうがない奴だと言いたげでいて、愛おしげに細められた目元はひどく優しかった。
堪らず浮かせる腰から身を包むものが下ろされて、踝の辺りで留まった生地が全て抜き取られる。
触れて欲しくて緩む膝が、待ちきれずに開いてゆく。もう足りないとは思わないのに、触れられるほどに、もっと深く繋がりたいという思いが募るようだった。
催促するような仕草は控えようと思うのに、すぐに焦れて先をねだってしまう。他の誰の名残りも全て消し去ってしまえるくらい、何度でも淳史に塗り変えて欲しい。
ふと、包材の立てる微かな音が耳に付いて、確かめるように目で追った。
「いや」
淳史がコンドームを使おうとしていると知って、開封される前に止める。たとえどんなに薄いものであっても、淳史との繋がりを隔てられたくなかった。
「あとが面倒だろう?」
「ううん、そんなことないから、つけないで?」
和解してからというもの、毎回のようにこういうやり取りをくり返している。もう納得しているのか先の言葉のせいかはわからなかったが、淳史は中で出すことを躊躇うようになった。
優生は体の芯から淳史に染め直されたいと、切実に願っているのに。






「ゆいは元から体温も血圧も低い方なの?」
少し固い膝を枕にすると、条件反射で眠気に襲われそうになる。安眠してしまうには、その看護師は些か危険かもしれないと気付いていながら。
「うん。朝弱いし、ちゃんと目が覚めるまで小一時間かかるかも」
「里桜と逆だね。里桜は体温も血圧も高くて、寝起きもいい方だよ」
「そういえば、里桜って10時間くらい寝るって、ほんと?」
「そんなには寝させないよ、長い時でも9時間くらいかな? 平日で8時間に少し足りないくらいだね」
「俺もこの頃はそのくらい寝てるのに、まだ足りないみたいで欠伸ばっかしてるよ。元々6時間くらい寝れば足りてたのに、この頃は昼寝までしてるのに、まだ眠くて」
そもそも義之が週に3日も4日も訪れるようになったのは、体調管理のためだけではなく、人肌がないと安眠できない優生の睡眠を確保するためでもあった。日によって訪れる時間は違うが、大体、午後から里桜が戻る夕方までの1〜2時間を提供してくれている。


「……っ」
微睡みかけた意識が、不意にこみあげてきた吐き気に引き戻された。咄嗟に口元を押さえ、上体を起こす。
「ゆい?」
訝しげに名を呼ぶ義之を残して、洗面所に走った。胃がせり上がってくるような感覚に、身を折って洗面台へ凭れかかる。
「調子が悪かったの? 今日は少し熱が高めだとは思ってたけど」
背中をさする手の優しさに、急速に苦しさが和らいでゆく。義之の手にはヒーリング効果でもあるみたいだ。
「ごめんなさい、なんか、ご飯の炊ける匂いがしてきたら急に気持ち悪くなって」
「まるで悪阻(つわり)みたいだね」
義之が笑いながら言った一言が胸に刺さる。そんなわけがないのに、血の気が引いてゆくのを感じた。
「中りそうな心当たりはない?」
「え……あ、ううん。変なものは食べてないと思う」
義之の心配の方が尤もなのに、全然違ったことを考えていた優生は、意味を理解するのに少し時間がかかってしまった。

「顔色も悪いし、きちんとベッドに入って眠った方がいいよ?」
「でも、もう夕方だし、ご飯の用意しないと」
「それなら、里桜に夕飯は4人分作ってくれるように頼んでおくよ。僕も一度会社に戻らないといけないし、また夜に里桜と一緒に来るから、ゆっくり休んでおいで」
そこまで甘えるのはどうかと思ったが、気力だけでは勝てそうにない体のだるさに、意地を通すのは諦めた。
「……ありがとう。じゃ、そうさせてもらっていい?」
「もちろんだよ。遠慮しないで、僕にも里桜にも甘えればいい」
優生の腰を抱くようにして支える義之は、当然のように寝室まで付き添ってきた。もういいと言うのも憚られ、促されるままベッドに腰掛けたところで、ゆっくり腕が解かれる。
「さすがに、ここで添い寝というわけにはいかないね」
優生の髪を撫でて、名残り惜しげに離れてゆく指を危うく引き止めてしまいそうで、慌てて視線を逸らせた。愛している男は一人だけのはずなのに、不埒な誘惑を期待しているかのような自分に戸惑う。
「そんな顔をしなくても、きみが眠るまで傍について居るよ。手くらい繋いでいようか?」
義之は時として、優生自身も気付いていなかった胸の内を見透かすようなことを言う。
そうして欲しいと言うことはできなかったが、義之は優生が眠りに落ちるまで手を包んでくれていた。


優生が目を覚ました時には義之の姿はなかったが、眠る前の優しさの名残りか、不安は和らいでいた。
少し体の揺れるような感覚に逆らって、ゆっくりと上体を起こす。立ち上がろうとすると軽い眩暈に襲われて、ベッドへ戻りたくなってしまう。
それでも、少しでも気がかりを解消させたくて、パソコンを起動させるためにベッドを抜け出した。



- Love or Lust(1) - Fin

Novel       【 Love or Lust(2) 】  


タイトルは平井堅さんの曲からお借りしています。
今回も、部分的な歌詞に惹かれたというか、雰囲気に流されてしまいました。