- ドメスティック.Z(6) -




「ゆうちゃん、彼氏来たわよー」
階下から紫を呼ぶ母親の声に、一瞬固まってしまった。
雛瀬のことは“ヒナちゃん”と呼ぶ母親のことだから、彼氏といえば黒田のことに違いなく、日曜の夜の寛いだ気分は一気に吹き飛び、言いようのない緊張感で体が強張ってゆく。
それでも、待たせれば相手の機嫌に関わると思い、勢いよく自室のドアを開けたところで黒田と鉢合わせた。
危うくぶつけそうになったドアを寸でのところで避けた黒田は、紫の慌てぶりを笑っている。
「ごめん、来ると思ってなかったからびっくりして……メールでも入れといてくれればよかったのに」
黒田を先に中に通して、きっちりとドアを閉める。聞き耳を立てるような品の悪い家族はいないと思いつつ、疾しい気持ちには勝てなかった。
「もし紫さんに会えなかったら、家族の方と親睦を深めておこうと思っていましたので」
寧ろ、そのつもりで来たと言っているように聞こえるのは考え過ぎだろうか。
とりあえず、ベッドからウサギの刺繍の入った淡いピンクのクッションを取って、一枚を黒田に渡す。さすがに、この男にベッドに座るようには言いたくなかった。
念のため、ベッドからなるべく離れた壁際に、先に腰を下ろす。少し遅れて、黒田も肩が触れ合いそうなほど近くに並んだ。
「覚悟はしていたつもりですが、想像以上ですね」
やや間を置いた後の黒田の感想に、部屋が散らかったままだということに気付いた。
テレビの前で雪崩を起こしたDVD、テーブルの上に無造作に並べたネクタイ、その脇には吸殻の溢れそうな灰皿と転がしたビールの缶。
いくら突然の訪問とはいえ、人を迎え入れるには些か無頓着すぎたかもしれない。実家住まいの気やすさで、放っておいても母親が片付けてくれるという甘えもあって、つい気を抜いてしまいがちになっている。
そのうえ、紫は今日は疲れ切っていてどこにも出掛ける気にはなれず、一日中ゴロゴロして過ごしていたから、いつも以上に荒れているというのは言い訳ではなかった。
「悪かったな、散らかってて」
「いえ、このくらいは普通でしょう?それより、女性の部屋かと見紛うようで、少し驚きました」
「ああ、うち、母親が少女趣味っていうか、可愛いのが好きで、油断すると俺の部屋まで花柄にされそうになるんだよな。まあ、居させてもらってるわけだし、よっぽどでなけりゃ我慢してるよ」
「そうですか」
黒田が複雑な面持ちをする理由はわからないまま、話を元に戻す。
「で、わざわざうちに来たのは何かあんの? 本当に親に顔売りに来ただけ?」
「いえ、紫さん一人では、うちに来られないだろうと思いましたので」
「何で……?」
すぐには黒田の言いたいことがわからず、まじまじと見つめ合ってから、何を心配しているのかを理解した。
「一応、脅したり宥めたり対策は講じてあるんですが、紫さんのことですから、きっと警戒して来ないつもりではないかと」
黒田に言われるまでそんなことはすっかり忘れてしまっていて、雛瀬と今後どうつき合ってゆくかとか、家族に黒田のことでからかわれるのをどうしたものかとか、そんなことで頭はいっぱいになっていたのだった。


「あんま考えてなかったけど……やっぱ、ちょっと抵抗あるかも」
想像してみれば、確かにあの部屋で一人で黒田の帰りを待つのは、もう無理かもしれない。
「引っ越すことも考えているんですが、すぐには難しいですし、暫く通いますよ」
「ウソ……」
事も無げに言うが、紫の実家には黒田の苦手とするところの女性が二人もいて、そのうちの一人、妹の碧は黒田に対して好戦的で取りつく島もないだろうし、逆に母親は友好的過ぎて鬱陶しいのではないかと思う。
「選択の余地はありませんし、この機会に認めていただけるよう精々努力しますよ。紫さんと会えなくなるくらいなら、“好青年”を演じるくらい苦にはなりませんので。それより、今は雛瀬さんの方がよほど脅威です。意外とああいう人がストーカーになったりするものですから、紫さんも気を付けていてください」
自分の所業は棚に上げて雛瀬を非難する黒田に、素直に頷く気にはなれない。しかも、それが当たっているだけに否定することもできず、曖昧に流すしかなかった。
「そうかもな」
「もしかして、もう会ったんですか?」
「まあ」
嘘を吐いたところでバレる可能性が高く、素直に認めておいた方が得策だという打算が働く。いくら紫の実家だといっても、この男の気に入らなければ何が起こっても不思議ではなかった。
「日曜ですし、誘いがかかるだろうとは思っていましたが……本当に懲りない人ですね」
案の定、黒田の纏うオーラが険しいものに変わっていく。
「会ったのは昨夜だよ、あんたが帰ったあと。その前の日にあんたに拉致られて連絡つかなくなったから、凄く心配してくれてて……」
紫が言い終えるのを待たずに、ことを起こそうとする黒田を思い止まらせなければと、慌てて言葉を継いだ。
「ちゃんと断ったから。俺はあんたがいいから、ヒナとはつき合えないって」
きっぱりと言い切った紫に、黒田は拍子抜けしたような顔をする。
安心したのかと思いきや、その表情はだんだん厳しいものになっていった。
「……それで納得するとは思えませんが」
「納得するもしないも、決めるのは俺だろ? ヒナが何て言っても、俺の“彼氏”はあんたなんだからな」
これまで紫は何とか黒田から逃がれようと足掻いてきたが、これほど執念深く追い続けられては、観念するほかないと腹を括った。いつか来るとも限らない別れを憂いて距離を保つより、その時を少しでも先延ばしにする努力をする方がよほど有意義だろう。
「紫さん」
呼びかけられたのと同時に覆い被さるように抱きしめられ、その腕の強さに一瞬、息が止まる。
「も……ちょっとはウェイトの違いとか気にしろよな? 俺を絞め殺す気か」
大げさに声を荒げてみても、黒田は気にも留めず、尚も紫の背を抱きよせようとする。
「緩めませんし、離す気もありませんから、諦めてください。私も、養子でも何でも、紫さんや家族の方の望むようにしますから」
低く、抑えた声音が真摯に響いて、それが余計に恐ろしい。
「や、俺、そんなの望んでないし」
遠慮でもテレでもなく、そんなことは考えたこともなかった。ただ、先の見えたつき合いなら、さっさと見切りを付けてしまいたいと思っていただけで。
「ほかに、紫さんを私のものにする方法がありますか?」
ふと覗く弱気が、紫を束縛したがる所以なのかもしれない。もうとっくに黒田のものになっていると、知らないはずがないのに。
「逃げられたくないなら、もっと俺を大事にすれば?」
「ええ、もう紫さんから“お願い”されるまで、ムリに挿れたりしません」
「ばっ……そういうことを言ってるんじゃない」
思わず黒田を振り解こうと暴れた紫の体が、一層きつく抱きしめられる。
「わかってますよ、ちゃんと大事にします」
真面目な声で囁かれれば、つられて頷いてしまいそうになる。
「……じゃ、食事当番はあんたでいいよな?」
「しょうがないですね」
思いのほか簡単に交渉は纏まり、紫の杞憂のひとつは解消されたようだった。



- ドメスティック.Z(6) - Fin

【 Z(5) 】     Novel


2010.5.10.update

ひとまず『ドメ』はこれで打ち止めとします。
もちろん、番外とか突発はまた書くと思いますー。