- Someone else like me (1) -



自分には無理だと、気付くのが少し遅過ぎたのかもしれない。
振り解くことができないほど強い力で掴まれた二の腕を引かれ、強引に連れていかれそうな体を何とか踏み留まろうと、南央(ななか)は懸命に足掻いた。
「ごめんなさい、やっぱり俺……」
力では到底敵いそうにない相手に、前言を撤回するべく優柔不断さをアピールしてみても、南央の腕を掴む手の力は強まるばかりだ。
終電も近い人の疎らな駅前では、あまり騒げば目立ってしまいそうで、警察を呼ばれるような事態だけは避けたいと思っている南央としては強く抵抗することもできなかった。
「今更そういうことを言うなよ、金が要るんだろ?」
「でも」
痛いほどに掴まれていた腕が、不意に楽になる。頭上にかかった影を南央が見上げたのと、涼しげな声が降ってきたのはほぼ同時だった。
「悪いけど、僕が先約なんだ」
夜更けだというのに、淡い色のスーツをきちんと着こなした若い男が、南央を庇うように諍いの間に身を挟む。成長期真っ只中の南央が軽く隠れてしまうくらい、高さも広さもある背中だ。
「なっ……後から来て何言って……」
南央を横取りされそうになって激高する男は、体格はそう大きくはないが見るからに短気そうで、その風貌に見合った荒い声を上げた。
「僕が来るのを待ちきれなかったらしくてね、勘弁してくれないか?」
穏やかでいて有無を言わせない雰囲気に圧倒されたように、最初に南央に声をかけた男は何言か悪態を吐き捨てて、悔しげに去ってゆく。それを見送ってから振り向く救世主は、後姿から想像していた以上に整った顔をしていた。
「余計なことをしてしまったかな?」
心なしか咎めるような響きの籠められた声が、南央に向けられる。
自分の置かれた状況も忘れて見惚れていた南央は、その意味を把握するのに随分かかってしまった。
「あ……いえ。すみません、助かりました」
どの辺りから見られていたのか定かではないが、南央が通りすがりの男に金銭目的でついてゆこうとしていた(少なくとも一度は了承した)ことを見抜かれているのは間違いなく、そう気付くと不意に恥ずかしさが込み上げてきた。



「まだ近くにいるといけないから送るよ。もう遅いしね」
「え、と……」
このまま帰るわけにはいかない南央の事情を話すべきか迷っているうちに、親切な相手は誤解してしまったようだった。
「僕が一緒だと心配なら、タクシーを呼ぼうか?」
「そうじゃなくて……俺、今日は友達の所に泊まることになってて……」
「泊まる場所を探していたということ?」
訝るような口ぶりは、助けに入ったことを後悔されているからのようで、だからといって否定するわけにもいかず、南央は正直に答えるしかなかった。
「それもだけど、お金が要るのも本当なんです」
「まさか、家出じゃないだろうね?」
「違います。一度帰らないと言ったのを、やっぱり帰るとは言いにくい家なんです」
決して嘘を吐いているわけではなく、家庭での南央の立場はかなり微妙なのだった。たぶん、今日初めて会ったこの男に対してより、家に居る時の方がよほど神経を使っていると思う。
その切実さを感じ取ってくれたのか、男は仕方なさそうにではあったが、南央の話を聞いてくれる気になったようだった。
「あまり簡単に済ませられる話ではなさそうだし、場所を変えようか?きみ、食事もまだってことはないかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
「じゃ、どこがいいかな……僕が一緒なら補導されるということもないとは思うけど……」
南央に意見を求めているというよりは思案しているような素振りに、自分でも驚くような言葉が口をつく。
「あの、あなたの家とか、行っちゃダメですか?」
いくら親身になってくれているとはいえ、さすがに南央の思いつきは顰蹙を買ってしまったようで、暫く絶句されてしまった。
「知らない男の家に、そんな簡単に行かない方がいいと思うよ?」
断り文句なのか、本気で心配してくれているのか、判断に苦しむ表情を南央に向ける。それを自分の都合の良い方に取って、南央は“知らない”と言われないようにすることにした。



「俺、芝 南央(しば ななか)って言います。晴嵐(せいらん)の2年で……えっと、プロフ見てもらった方が早いかな」
ポケットから携帯電話を取り出して操作する南央の手元を、指の長い大きな手のひらが遮る。
「会ったばかりの相手に個人情報を晒すのは良くないよ。僕がいい人とは限らないんだから」
「でも」
少なくとも最初に声をかけてきた男とは違い、喜んでついて行きたいと思う。きちんとした外見もそうだが、優しげで良識的な雰囲気は南央に警戒心を抱かせず、寧ろこれ以上理想的な相手はいないのではないかという気にさせられた。それに、今から場所を変えて別の相手を探すのは、未成年の南央には極めて困難だという切羽詰った事情もある。
だから、何とか近しくなりたいと思うあまり自分の都合でしか考えられなくなってしまっていて、苦笑する相手がこのとき南央に誰かを重ねて見ていたことなど気付くはずもなかったのだった。
「……時間も時間だし、今日は泊めてあげるよ。でも、一応断っておくけど、僕はさっきの男のような下心があって声をかけたわけじゃないから」
縋るように見つめる南央に根負けしたのか、ついに相手が折れる。それでも、余計な期待をさせないよう、南央は対象外だと念を押すことを忘れていなかった。
「泊めて貰えるだけでも助かります。ほんと、ありがとうございます」
「今更放り出すわけにもいかないからね」
不本意、言わんばかりの口調でも、今夜の居場所と付け入る隙を与えられたのは確かで、それだけでも今の南央には満足だった。
「僕は身分証明をしておいた方がいいだろうね。写真が入ってる方が信憑性があるかな?」
スーツの上着から取り出されたカードは社員証で、南央の方へと差し出された。何となく、手に取るのはいけないような気がして、小さな文字を覗き込む。
「清水俊明(しみず としあき)さん?」
「そうだよ。勤務先を知られている相手に悪いことはできないから安心していいよ」
「そんな、俺、別に……」
寧ろ、してくれなくては困ると思っているのに。
勤務先と名前を教えた理由が潔白の証明のつもりだとしても、逆手に取れば、万が一の場合にも責任を取るという意思表示だと取れなくもない。
不埒な考えを遮るように声がかけられる。
「いつまでもここにいても仕方がないし、とりあえず行こうか?僕もあまり遅くなると明日に差し支えるからね」
それほどの距離はないのか、タクシーを使うと南央が不安がると思ったのか、歩いて行くことになったらしかった。



隣に並ぶと、まだ160センチに届き切らない南央がかなり見上げなければならないくらい、相手の背は高かった。
「歩きながらする話じゃないかもしれないけど、何か事情があったの?」
嫌なら答えなくても構わないというような柔らかな問いかけは南央を安心させ、逆に話してしまたい気持ちにさせた。
「授業料を失くしてしまって」
「授業料って引き落としになってるんじゃないの?」
疑っているという風ではなかったが、言い訳がましく聞こえてしまうのは当然で、南央は簡単に経緯を説明する。
「口座に振り込むようにって現金で預かってたんです。今週中に入れておかないといけなかったから帰りに寄ろうと思って学校に持って行ってたんだけど、ATMに行った時には無くなってて……」
親から預かった授業料は放課後に振込みに行くつもりで学校に持って行っていたのだったが、いざATMに並んで鞄を開けた時には、現金を入れてあった封筒の中身だけが失くなっていた。
無駄と思いながらも、鞄も家も隈なく探し、学校に戻って落し物も調べて貰ったが、南央の授業料は見つからなかった。期限まではあと2日しかなく、いっそ援交でもしようかと思い詰めてあちこちウロウロした挙句、適当に乗った電車を何となく降りたところで、最初の男に声をかけられたのだった。
「家の人には話してないの?」
当然の問いに、南央はこんなことになっている一番の原因を明かす。
「うちの親、再婚したばっかだから、こんな話はしたくないんです」
義母とはまだ、お互いに気を遣い過ぎてギクシャクしているような状態で、金銭的な迷惑をかけることには抵抗があった。そうでなくても、若く初婚の義母は南央との関わり方に戸惑っているようなところがあり、ヘタに相談すれば、失くしたのが本当かどうかということから悩ませてしまうに決まっている。こんな時に限って血の繋がった父も海外出張で、相談することも出来ずにいた。
「まさか、それで援交しようと思ったとか言うんじゃないだろうね?」
「その通りなんですけど」
驚いたのか、或いは呆れたのか、少し大げさなリアクションが返る。
「どうしてそう短絡的なのかな……相手は大人の男だよ、何をされるかわかってるの?」
「まあ、大体は……俺、女子には興味ないし」
無鉄砲なりに、あわよくば自覚して間もない自分の性癖の確認もしたいという好奇心も、若干ながら存在していた。



「だからって、見ず知らずの男といきなり二人になるのは危ないよ。相手が悪ければ命に関わるかもしれないし、もし写真やビデオでも撮られたら脅迫される可能性だってあるんだよ?」
優しげだった男の突然のきつい口調は、浮かれ気味だった南央を現実に戻させる。
「そこまで考えてなかったけど……興味もあったし、お金になったら一石二鳥かなって……」
できれば、隣を歩く男がその相手になってくれたらと、今も思っている。
「いくら必要なの?」
「え……と、授業料は5万だけど……」
もちろん、それを一晩で貰えるとは思っていない。回数か人数をこなさなければ到達しないことはわかっているつもりだった。だからこそ、焦って苦手なタイプについて行きそうになってしまっていたのだから。
「それは、“ジャマをした責任”を取って僕が払うよ」
「でも……」
気が変わって南央を買う気になったのなら大歓迎だが、そうでないことは尋ねなくてもわかりきっている。
「きみがまた怪しげな男に引っ掛かるかもしれないと思うと、僕も寝覚めが悪いしね」
「それなら、清水さんが俺のこと買ってください」
いちかばちかで言い切った。
ちょうどマンションのエントランスを入ったところで、ここで帰れと言われたら南央は途方に暮れてしまうが、相手にとっては断る最後のチャンスかもしれないとも思った。
案の定、その場で足を止めた相手は、困惑しきった顔を南央に向けた。
「そういうつもりじゃないと言ったはずだけど」
「でも、お金だけ貰うっていうのもおかしいでしょう?」
施しを受けるのはプライドがどうとかいったような殊勝な気持ちはない。ウリをしようと思った時点で、自分が最低の部類の人間の仲間入りをしたも同然だという自覚はあった。
返事をくれるまでの間はひどく長く感じられて、かなり苦痛だったが、急かすことはできずにじっと待つ。
「……わかったよ。それなら、食事とか買い物に付き合ってもらうというのにしようか?」
それが最大の譲歩なのだろうということは伝わってきたが、それではますます相手の負担になるような気がする。
「それじゃ、清水さんには何もメリットないでしょう?」
「そんなことはないよ。ただ会って話すだけっていうようなパターンもあるって聞いたことあるし、僕はそれにしておくよ」
どう考えても南央に花を持たせる形を取ってくれただけに違いなかったが、これ以上難癖をつけるようなことは言えなかった。



- Someone else like me (1) - Fin

Novel     【 Someone else like me (2) 】  


☆晴嵐・・・中高一貫の私立校という設定です。
地名を借りていますが、もちろん架空の学校です。