- 「君のことなら何でも」 -



「なんだか熱いよ?」
“ただいま”のキスを早々に切り上げて、義之(よしゆき)の掌が里桜(りおう)の頬を包む。そのまま額へと伸びてくるのを感じて軽く視線を落とした。少し骨ばった長い指が、里桜の前髪をさらりとかき上げて、端正な顔を近付ける。
おでこを合わせて、里桜の瞳を覗き込んできた。ほんの数センチの距離から見つめられたら、ますます熱が上がってしまいそうになるとは気が付かないらしい。
「だいぶ熱がありそうだけど」
やや高めの声が心配げに響いて、見つめ合えるほどの距離を取る。間近で見ても綺麗な顔だと、一緒に住み始めて随分経つのに、いまだにドキドキしている自分はかなり重症だと思う。
「風邪ひいたみたいで、ちょっと熱っぽいんだ」
「それは大変だ、少し鼻声のようだと思ってたら熱があったんだね」
言うや否や、義之は里桜の体をあっという間に抱き上げてしまった。
「ちょ、たいしたことないし、自分で歩けるから!」
暴れる里桜の抵抗など軽く無視して、その長い手足で簡単に寝室へと運んでしまう。
ベッドへ里桜を寝かせると、その傍らに腰掛けて手を握る、13歳も年上の、見惚れるほどに綺麗な男の過剰な心配にちょっと困ってしまった。
「熱を測っておこうか」
器用な指が、パジャマの衿の合わせ目を開いて脇へと体温計を挟ませる。
「学校は早退したの?」
「ううん。そんなたいしたことなかったから、いつも通り帰ってきたけど」
「無理しちゃダメだよ?」
「だから、ちょっと風邪っぽいだけなんだって」
義之の言うままに早退したり休んだりしていたら、あっという間に単位が足りなくなってしまうだろう。
「ご飯はちゃんと食べてる?」
「うん。お昼も普通に食べたし、帰ってから、おにぎりとたまごスープ食べたし」
華奢な外見に似合わず、里桜は大食漢で胃が丈夫だった。たかが熱や風邪くらいで食欲を止めることはできない。
電子音が鳴ると、義之は真剣な顔をして体温計を抜いた。
「37度8分だよ、ちょっと高いな。これからもっと上がってくるかもしれないから、安静にしておかないとね。傍に付いているから少し休むといいよ」
「義くん……俺、ちょっと風邪気味なだけだと思うんだけど?」
やんわりと、超過保護で心配性の恋人の診断にクレームを付けてみた。このままでは、おちおち鼻もかめないし、くしゃみもできない。
「初期症状じゃ何とも言えないからね。ちょっと待ってて」
立ち上がった義之がクローゼットに向かい、しばらくすると聴診器と細長い金属の箱のようなものを持って戻ってきた。
「なに?義くん、お医者さんごっこでもするつもりなの?」
不安に駆られて起こしかけた体をそっとベッドへ戻される。
「“ごっこ”じゃないよ?バイタルを取るからおとなしくしてて」
蓋を開けられても、その金属の箱が血圧計なのだとすぐにはわからなかった。里桜は、病院によくある大型のものしか知らなかった。
里桜の肘を包むように、袋状のベルトのようなものが巻かれる。聴診器を挟まれて加圧されると、腕が締め付けられるようで少し苦しくなる。目を閉じて、病院にいるつもりになろうと思った。
実際、義之の手付きも顔つきもなかなかサマになっていた。想像してみても、義之には白衣がひどく似合いそうだ。ただ、どうしても不謹慎なイメージも付き纏うのだったが。
「135−90、ちょっと高めだね」
バリバリという音を立ててベルトが外される。終わったのかと思ったら、今度は手首に指を当てて脈を取り始めた。もしかしたら、この次には胸の音を聞くつもりなのかもしれない。
「体がだるいとか、痛むとかってことはない?」
「特には」
「インフルエンザってことはなさそうだけど……予防接種は受けてなかったね?」
「注射はキライだもん」
予防接種で痛い思いをするくらいなら、インフルエンザに罹る方がマシだと思う。
「今からでも受けておいた方がいいよ。なんなら僕がしてあげようか?」
「何言ってるの、ああいうのってお医者さんとか看護師さんしかしちゃいけないんでしょ」
「看護師の資格なら持ってるよ」
「うそ!?」
てっきり、里桜を驚かせようとして言ったのだと思ったが、義之の表情は至って真面目だった。
「本当だよ。資格を取っただけで勤めたことはないから、実習の経験しかないけどね」
「ペーパー看護師さん、ってこと?」
「そういう言い方は聞いたことないけど、まあ、そういうことかな」
「……なんか、俺は義くんのこと、知らな過ぎるよね」
同棲までしているというのに、義之は自分のことをあまり里桜に話してくれていない。里桜が幼いからなのかもしれないが、何かのはずみで思いもかけない真実を知るたびにショックを受けた。
「そんなことないよ、今まで話す機会がなかっただけだからね」
落ち込みかけた里桜の頭を撫でる手はやさしくて、うっかり騙されてしまいそうになる。
「……俺のことは、とことん突っ込んで聞くくせに」
「君のことなら何でも知っておきたいからね」
「殆ど知ってるでしょ」
「殆どじゃなくて、全部知っていたいんだよ」
瞳を見つめたままで臆面もなくそんなことを言えてしまう、大人なはずの恋人に負けてしまいそうだ。
「熱上がってきそう……」
「もし悪化したら点滴は僕が入れてあげるからね」
「だから、注射系はキライなんだってば。何で義くんに点滴の練習させてあげなきゃなんないの」
「練習なんて必要ないよ。子供や老人の細い血管ならともかく、君に入れられないほど下手じゃなかったからね」
どうあっても里桜に針を刺さないと気がすまないのかと思って焦った。
「もし悪くなったら、病院で診てもらうからいい」
「たとえ相手が医師でも、他の人に触らせたくないな。こんなことなら医者になっておけばよかったよ」
穏やかな顔をしているくせに、義之の独占欲の強さは筋金入りだ。迂闊なことを言うと、本気で今から医者を目指しかねない気がする。
一方的な攻防に少し疲れて、ムダと思いつつ義之に伺いを立ててみることにした。できれば、非の打ち所のない彼の前で、豪快なくしゃみで鼻水を飛ばすような事態は避けたい。
「なんだか眠くなってきたし、ちょっと一人にしてもらっていい?」
「急に容態が悪くなるといけないから傍にいるよ」
「ホントに、たいしたことないんだってば。一緒だと気が散って寝つかなくなっちゃうし」
「添い寝してあげようか?」
どこまでも心配性な恋人に、首を横に振って辞退する。
「ううん、うつしちゃうと困るし」
「僕は頑健だから大丈夫だよ。いつも一緒に寝てるんだし気にしないでいいよ」
「だって……鼻水垂れてきたら嫌だし」
控えめに告げた本音に、義之は意味ありげに笑った。
するりと、里桜の頭の下へと右腕が滑り込んでくる。体ごと近付く義之に、今にも添い寝をされてしまいそうだ。
「そのくらいのことで驚かないよ、気にしないで遠慮無く鼻かんでいいからね」
ふと、恐ろしい事実に行き当たった。すっかり腕の中に包み込まれた顔を何とか上げて義之を見る。
「……もしかして、俺、もっと凄いことやってるとか?」
「まあ、寝てる時は無防備だしね」
含みのある言い方に、意識のない自分の行動がたまらなく不安になった。
「なに?俺、どんなことしちゃったの?」
「内緒だよ。君のことなら何でも知っているけど、もったいなくて言えないな」
「義くん!」
見た目を裏切る頑固な恋人は、どうしても里桜の真実を教えてくれそうになかった。


- 「君のことなら何でも」 - Fin

Novel  


お題リレーに参加させていただきたく、書かせていただきました。
バカップルぶりを書きたかったのですが、ただのバカになってしまったような気が……。

☆バイタルサインは、体温、血圧、脈拍、呼吸を見ます。
☆もちろん、ワクチンを持ち帰って接種したりなんてことはできません。
(義之の父親が医師ゆえの発言だと解釈してくださいませ。)