- 純粋培養 -



「手をどうかしたのか?」
夕食の洗い物を終えてリビングに移る優生が、ついつい手を擦ってしまうことを変だと思ったらしく、淳史がソファから手招きする。
とりあえず傍に近付きながら、たいしたことはないとアピールするために手の平を開いて淳史に見せた。
「何か、まけたみたいで……」
優生は弱いアレルギー体質で、小さい頃は喘息が出たりしたこともある。大きくなるにつれて改善されていったが、疲れた時や、こうして油断した時に不意に出てしまうことがあった。
淳史に腕を引かれて、隣に腰を下ろす。
「アレルギーでもあるのか?」
「小さい時はアトピーだって言われたことあるけど、今はそんなには」
「アレルゲンはわかってるのか?」
「うん。生卵がダメで、乾燥肌らしいけど」
もう何年も病院には行っていないから、今の正確な状態はわからないが。
「洗剤が悪いってことはないのか?」
「そういえば、ずっと無添加のを使ってたかも」
「そういうことは早く言えよ。すぐに全部変えろ」
「じゃ、今使ってるのが終わったら……」
「駄目だ。行くぞ」
「え」
優生の腕を取って淳史が立ち上がる。必然的に優生の体も立つことになった。


「早く用意してこい」
どうやら、すぐというのは今すぐということらしい。何もこんな時間でなくてもと思ったが、淳史には言うだけムダだとわかっている。
上着を羽織って玄関に行くと、車のキーを手にする淳史に気付いた。
「すぐ近くだからいいよ?」
そもそも、わざわざついてきてもらうほどのことではなく、徒歩15分ほどの所にあるドラッグストアで事足りるのだった。
優生の言いたいことは少し曲解されて淳史に伝わったらしく、腕を引かれるようにして外へ出ることになった。手を離されないまま隣に並ぶ。
「どこで扱ってるんだ?まさか病院にしか置いてないってことはないな?」
「うん。いつも薬局で買ってるから……病院のアトピー用もダメなんだ。添加物がいっぱい入ってるから」
「そうなのか?」
淳史がまさか、という顔をする。たいていの人の反応と同じだ。
「うん。何も入ってないのが一番いいんだ。市販のもそうだけど、アトピー用っていう石鹸やシャンプーにもいろんな添加物が入ってて。台所や洗濯の洗剤に入ってる界面活性剤なんか最悪みたいだよ」
「そこまでわかってるんなら、自分に合うものを使えよ」
「ごめんなさい、もらったのがあったからつい」
以前スーパーでもらった洗剤を捨てるわけにもいかず、いつも使っている洗剤が切れた時に使い始めていた。俊明と一緒に生活をするようになるまで台所仕事などしたことのなかった優生には、体に悪い物質が入っているとわかっていても、それほどシビアに響くことになるとは思っていなかったからだ。


「帰ったらすぐ捨てとけよ」
「うん」
並んで立つと、優生は淳史の肩まで届かないほどしかない。目線を合わせようと思うと随分上を向かないといけなくなる。
「デリケートだろうとは思ってたが、おまえは本当に受け付けないものが多いな。シャンプーとか洗濯の洗剤とかは大丈夫なのか?」
「うん。俺、風呂場に自分用の置いてるでしょ。洗濯洗剤は今の所は大丈夫みたいだし」
「そうか。おまえ、アレルギーがあるから食が細いってことはないのか?」
「ううん、それは胃が弱いからだと思う。俺がダメなのは生の卵と牛乳だけだし」
それも小学生くらいまでの話で、今は体調の悪い時以外は大丈夫になっている。
「半熟は大丈夫なのか?牛乳もカフェオレにする時に温めてないだろう?」
見ていないようで、淳史は意外と観察していたらしい。
「うん。年齢が上がってくるとだんだん大丈夫になってきたみたいなんだ。それに、食べ物はあまり問題ないらしいよ。経皮吸収の方が怖いんだって。口から入ったものは腎臓で解毒できるけど、分子量の細かい化学物質は皮膚を通って細胞や血流に入ってしまうらしいよ」
「だから、それだけわかってるんなら何でもっと気を付けないんだ」
言えば言うほど、淳史を怒らせてしまうようだ。優生は視線を舗道に落として言葉を探した。


気まずいと感じたのは優生だけではなかったらしい。
「まだ開いてるんだろうな?」
今更のような淳史の問いに、携帯で時間を確認する。
「うん。10時までだからまだ大丈夫」
「よく来るのか?」
「そうかも。コンビニより揃ってるし」
店舗も大きめで、薬品や日用品だけでなく、雑誌や食料品なども揃っている。日常の買い出しはともかく、ちょっとペットボトルやサプリを買うのには便利だった。
ただ、これほど近くても、頑健な淳史にはあまり縁のない場所らしかった。もしかしたら、来るのは初めてなのかもしれない。
「しょっちゅう来るんなら早めに買って切らさないようにしておけよ」
「うん」
いつもは店内をぐるっと一回りすることが多かったが、今日は淳史と一緒だったせいで、目当ての洗剤だけを買ってすぐに店を出た。
差し出された手に、一瞬わけがわからずに淳史を見上げた。今買ったものを持ってくれる気なのだと気付いて驚く。遠慮しようと思ったがもう手を取られていた。
「冷たいな」
優生の戸惑いよりも、淳史は触れた指先の体温の違いの方が気になるらしい。
「そうでもないよ」
引こうとした手を掴み直されて、小さなビニール袋ごとコートのポケットに入れられてしまった。
平然としている淳史に、騒ぎ立てようとする自分がひどく幼い気がして手を抜けなくなる。そのまま、指をつないで家まで帰ることになった。



- 純粋培養 - Fin

Novel  


甘いというのは難しいです。
いえ、いつも甘いのばっかり書いていると思うのですが、
淳史&優生に似合う甘々というのが……。
大人の甘々というのをいつか書いてみたいです。