- 仔猫が仔猫と出逢ったら -



インターフォンに応対する淳史の声が心なしか楽しげに聞こえた。
「こんにちは、おじゃまします」
丁寧に頭を下げてリビングへと入ってきた、中学生くらいの女の子に思わずかしこまる。さらさらの髪の毛と大きな瞳が印象的な、ずいぶん可愛らしい子だった。
「こんにちは」
優生よりずっと小柄な体も、微笑んだ口元もひどく幼く見えて、どうしても淳史との接点を見つけられなかった。
「あっくんが自慢するのがわかったよ」
見た目の可愛らしさから想像していたよりもしっかりとした、ボーイソプラノのような耳障りの良い声だった。
ただ、発せられた言葉は優生の理解の範疇を越えていて、尋ね返したくなる。
「だからその呼びかたをやめろと言ってるだろうが」
「じゃ、あっちゃん?」
「本気で殴るぞ」
思えば、淳史が女の子に接するところを見るのは初めてだった。優生に向けるのとは明らかに違う気のおけない感じは、かなり親しそうだ。
子供には興味がないって言ってたくせに。
優生は小さく、胸の中で毒づいた。


「紹介してくれないの?」
一頻りじゃれ合った後で、思い出したように淳史の肘をつつく仕草までが可愛らしく見えた。こんなかわいい子なら、淳史だって悪い気はしないのだろう。
「優生、俊明の義弟の……何て言ったらいいんだ?恋人か?婚約者か?」
「恋人くらいにしといて?」
「恋人の、里桜だ」
「……おとうと?」
優生が気になったのは二人のやりとりよりも、淳史が最初に言った俊明の義弟という言葉だった。
「俊明には腹違いの義弟がいるんだ。緒方義之って言うんだが、認知されてないから苗字も違うし、法的には他人だな」
「ふうん」
以前、俊明に聞いて知っていたが、そう言うわけにもいかずに興味のない素振りで流した。
「ゆいさん、義くんのお義兄さんを知ってるの?」
突然、名前を呼ばれて驚いた。
「え、と、俺のこと、知ってるの?」
「知ってるっていうか、噂はかねがねっていうか」
責めるように淳史を見上げる。優生の視線に怯む気配もなく、淳史はとんでもないことを言った。
「おまえを口説くのに、義之にずいぶん世話になったからな」
その意味を追求しようとした時、里桜に遮られた。


「でね、ゆいさん頭良いって聞いたから家庭教師になってもらえないかなあと思って。一応あっくんには言ってあったんだけど?」
「その呼び方はやめろって言ってるだろうが」
「じゃ、淳史」
「おまえに呼び捨てにされる筋合いはないぞ」
「自分だって呼び捨てにするくせに」
些細なことに拘る淳史のせいで、話がなかなか前に進まない。
「俺、家庭教師なんてしたことないけどいいのかな?中学生程度なら見れないこともないとは思うけど」
どの程度の学校を狙っているのかわからないが、家庭教師を付けたいということはそれなりのレベルなのだろう。
「……やっぱそれくらいに見える?今、高二なんだけど」
「ごめん、俺と2年違いなんだ?俺には高校生の家庭教師なんて無理じゃないかな」
「優生、そいつはかなり頭が弱いぞ。おまえじゃ勿体無いくらいだ」
反論するかに思えた里桜が、黙って項垂れた。どうやらかなり深刻な事実らしい。
「何が苦手なの?数学とか英語なら多少は見れると思うけど」
「特にその2教科が苦手なんだ」
「じゃ、家庭教師とかいうんじゃなくて、俺で教えられる範囲でよかったら見るけど」
「よかった……も、絶対引き受けてもらうつもりだったから」
ホッとしたように里桜が大きく息を吐く。淳史の了承を得ていたのだろうが、ずいぶんと思い込みが激しいようだ。


「役に立てるかどうかわからないよ?相性とかもあるだろうし」
「義くんが反対しない人っていうのがこっちの条件だから……他のことは合わせるし」
「時間が合う範囲でいいのかな?俺が行くの?」
外出禁止令はまだ解けていなかったが、普通、家庭教師の方が出向いていくものだと思った。
「週に2日、そっちから来るんだったな?」
淳史は条件まで聞いてあったらしい。ずいぶん忙しかったとはいえ、少しくらい優生に話しておいてくれてもよかったのではないかと思う。里桜の方の都合を聞く時間があったのなら。
「うん、できたら土日のどっちか1日入れてくれると嬉しいんだけど」
「土曜の午前にしろ」
なぜか、淳史は休出のかかることが多い土曜の方が都合がいいらしい。
「もう一日はどうしたらいい?」
「水曜がいいって言ってなかったか?」
「いいの?」
「都合が悪くなったら義之に連絡するよ」
優生を無視して話が決まっていく。
迷ったが、気になることは早めに聞いておくことにした。
「淳史さん、その時一緒にいる?できたら女の子と二人きりっていうのは避けたいんだけど?」
良かれと思って言った優生の一言に、一瞬の沈黙が落ちた。


「女だと思ってたのか?」
それを先に破ったのは淳史で、里桜は微妙な顔をしていた。
「だって、俊明さんの義弟の恋人って言ったから……」
本当は、一目見た時から女の子だと思い込んでいたのだったが。
「それをおまえが言うのか?」
「ごめん、悪気はなかったんだけど」
謝ると、里桜は軽く首を振って、ふんわりと笑った。
「慣れてるから気にしないで。それより、あっくん、俺のこと何も言ってくれてなかったの?」
「それどころじゃなかったんだ」
「それどころって何?俺が進級していけるかどうかの重大なお願いだっていうのに」
「そうじゃない、話す余裕がなかったんだ。おまえらのように単純じゃないからな」
「単純って何だよ?俺だっていろいろ大変なんだよ。義くんは横暴だし」
また、里桜が淳史と掛け合いを始める。その素直さを少し羨ましく思いながら、二人から距離を取った。
「あ、義くんだ」
インターフォンの音に、里桜が玄関へ駆けていく。優生が知らなかっただけで、里桜が淳史の所に来るのは初めてではないのかもしれない。ずっと以前には、淳史は他人を家に呼ばないと言っていたが、里桜はその限りではなかったのだろう。
「こんにちは」
優生の前に現れた俊明の義弟だという男は、見惚れそうに綺麗に笑った。


思っていたほど、義之は俊明には似ていなかった。
細身で長身という背格好や、穏やかで人好きのする笑みは通じるものがあるが、義之はちょっと気後れしてしまうほどに整った端正な顔立ちをしていた。
「噂はかねがね淳史から聞いていたよ。本当、淳史にはもったいないくらいの美人だな」
なんとも、答えに窮するコメントだ。しかも、自分より綺麗な男に容姿を褒められても、礼は言い難い。
「もっと派手で大人っぽい人が好みらしくて、俺なんかとても」
そんな言い方をするべきではなかったのだろうが、上手く受け応えすることはできそうになかった。
「そんなに気にしなくても、昔のことだよ」
「……そうですね」
いつの間にか、淳史の肩揉みなどしている里桜を目の端に捕らえて頷いた。そうでなければ、この状況の説明はつかないかもしれない。もし、里桜だけが特別なのでなければ。
「何か淹れてきます。コーヒーでいいですか?」
「ありがとう。でも、里桜はコーヒーは苦手なんだ。カフェオレにしてやってくれないかな?」
「はい」
カウンターの中へ入ると少しだけホッとした。しばらく人に会う機会がなかったせいで緊張しているのかもしれない。
湯を沸かしてミルクを温めている間にも、里桜と淳史のふざけるような声が聞こえてきた。淳史が他の人と接しているところをあまり見たことがなかったが、優生が思っていたよりずっと親しげに見えた。初対面の時の淳史を攻撃的に感じたせいで、そんな風にくだけたつき合いをするタイプだとは思っていなかったが、案外親しみやすいタイプだったのかもしれない。優生の前では、そんな風にしてくれなかっただけで。


「ため息を吐くと幸せが逃げるというよ?」
不意に背後から掛けられた声に、びくりと身を竦ませた。IHヒーターの前で一息ついていた優生の方に義之が近付いてくる。
「ごめん、驚かせたかな?何か手伝うよ」
「すみません、すぐにお湯が沸くと思うので」
距離を詰められると、知らずに体が震えてくる。もう治ったと思っていたのに、男が傍に来ただけで警戒するような体質に戻ってしまったようだ。
「里桜が淳史にベタベタしてるのを見るのはいい気がしないだろうけど、ちょっと訳ありなんだ。淳史が里桜に惑わされるなんて心配はないから我慢してやってくれないかな」
「別に、そんな風には……」
それほども、優生は悲壮な顔をしていたのだろうか。表に出さないよう、気を付けていたつもりだったのだが。
「仕返ししようか?」
「え……?」
背後から回された腕が、優生の腹の辺りで交差する。
「里桜も細いけど、君はもっと細いね」
義之の吐息が触れそうに耳元へ近付く。
「やっ……」
思わず声を上げかけた優生の口元を、長い指が押さえた。
「僕も里桜を泣かせるつもりはないから心配しないで。二人をちょっと驚かせたいだけだよ」


コーヒーが冷めないうちに、と言い訳して義之の腕を外させる。
リビングに戻ると、 ソファに腰掛ける淳史の背中から里桜が抱きつくような格好で凭れかかっていた。まるで何かをねだるように、頻りに淳史に何かを訴えている。
黙ったまま、コーヒーの入ったトレーをテーブルに置く。静かに立ち上がって、そのまま義之の佇むカウンターの方へ下がろうと思った。
まともに二人を見れない優生よりも、あまり表情に出さない義之の方がよほど気に障っているらしい。痛いほどに、纏うオーラが熱を帯びていくのが伝わってきた。
「ゆい」
え、と思う間もなく後ろから抱きしめられていた。
「あ、あの?」
優生が抗議するよりも早く、いつの間に傍に来たのか、淳史が義之の腕を掴んで引き離した。凄い勢いで義之の襟元を締め上げる。
「優生に触るな」
「淳史だって里桜と同じようなことをしてただろう?」
「俺がやってるんじゃない、そいつが勝手に」
「じゃ、僕も彼にしてもらおうかな」
義之の顔だけを見ていれば、とてもではないが襟元を締め上げられているとは思えないくらい涼しげな顔をしていた。おそらく、息をするのも苦しいほどの状態のはずだったが。
「だめだ」
「ずるいな、淳史は」
「おまえは守備範囲が広いからな」
「そんなことないよ」
「でも、その気になれば優生とできるだろう?俺はたとえ頼まれたって、そいつ相手にできるわけがないんだからな」
“できる”の目的語を考えると顔が赤くなってきそうだ。


「うわ、ひどっ!何で俺があっくんにそんなこと頼むんだよ?」
「そういうことを言ってるんじゃない、危険度の高さを比較しただけだ」
漸く義之の襟元から手を離すと、淳史はまた里桜とじゃれ合いを始めた。
「いつもこんな状態でね、いつか仕返ししたいと思ってたんだよ。協力してくれる気にならないかな?」
義之の提案に、優生は頑なに首を振った。
「ごめんなさい、俺、他の人に触らせちゃダメって言われてるんです」
「健気だね。ほんと、淳史には勿体無いよ」
本気で感心したような義之に慌てて言い足す。
「いえ、約束破ったら拘束するって言われてて……今も軽く軟禁状態なんです」
「優生」
慌てて振り向く淳史は優生の口を塞ごうと思ったらしかったが、もう遅かった。
「ふうん……淳史は僕にさんざん独占欲が強いとか束縛し過ぎるとか言ってたくせに、自分はもっと凄いことしてるみたいだけど?」
「おまえらと違って深刻なんだ。籍を入れたからって安心できないんだからな」
「え、あっくん、籍入れたんだ?ゆいさん、嫌じゃなかったの?」
濃い黒の瞳が、真っ直ぐに優生を見る。確かに、見つめられて悪い気はしない綺麗な瞳だった。
「否も応も無しだよ」
「優生、誤解を招くような言い方をするな」
どうして、淳史は大人のくせにすぐムキになるのだろう。しかも優生の言ってることの方が事実のはずなのに。
とはいえ、突っ込まれて聞かれたくないのは優生も同様で、ここはおとなしくしておくことにした。


「僕と里桜はあと2年は先のことだからね、羨ましいよ」
ここにも結婚したがる男がいるらしい。そんなにも一人に固執しなくても、名乗りを上げる女性はいくらでもいそうに見えるのに。
「籍を入れる予定なんですか?」
「僕は独占欲が強くてね、相手の何もかもを自分のものにしないと気がすまないんだ」
意味有りげに淳史を見るのは、釘を刺しているということなのだろうか。優生よりも義之の方がよほどシビアなのかもしれない。
「籍を入れたからって独占はできないぞ?」
義之に向けられているはずの淳史の言葉が耳に痛い。
「それで遅ればせながら、“室内飼い”?」
「……否定はしないが」
「里桜なら害がないと思って家庭教師の話を受けてくれたのかな」
淳史が忌々しげに義之を睨む。
「さすがに閉じ込めたまま誰にも会わせない、というわけにもいかないだろうが。年も近いしな、少しは気が紛れるんじゃないかと思ったんだ」
淳史の台詞を聞いて眩暈がした。横暴だとは知っていたが、ここまでとは思わなかった。もし、優生と里桜の気が会わなければ、最悪のことになりかねないというのに。
尤も、人懐っこそうな里桜に、劣等感ならともかく嫌悪感を覚える心配はなさそうだったが。
「あの人らの勝手な事情はともかく、俺、ホントにせっぱつまってるから、お願いします」
ぺこりと頭を下げる里桜は、嫌味なく可愛らしかった。大人げなく突っぱねるより、もしかしたら淳史以外に会える唯一の人物になるかもしれない里桜と、なるべく仲良くしようと思った。



- 仔猫が仔猫と出逢ったら - Fin

Novel  


チャレンジしてみました、受×受。(え、違う?)
この二人(プラス二人)のお話もいろいろあるので、
ぼちぼち書いていきたいと思います。