- 仔猫が寝た後で -



義之の胸元に凭れたままで気持ち良さそうに寝息を立てる里桜は、幼い子供のように見えた。
目を閉じると、長い睫毛のせいで余計に女の子っぽい印象になる。
「……よくまあ、こんな小さな子供に手を出そうなんて気になるもんだな」
淳史はつい、何度目かの嫌味を口にしてしまった。
「子供って言っても高校生だよ。小児性愛者みたいな言い方をしないでくれないか」
「俺には大差ないように見えるんだが」
「ひどいな。淳史には里桜が小学生に見えるのか?」
さすがに小学生には見えないが、かといって高校生にも見えなかった。せいぜい、中学生がいいところだ。
「高校生でも充分子供だろうが。それに中身もずいぶん幼そうじゃないか?」
「確かに幼く感じることが多いかな。普段でも10時過ぎには眠そうにしてるからね」
「ずいぶん健全な15歳だな」
それが真実なら、今時の小学生以下かもしれない。
「一度寝入ったら少々のことじゃ起きないしね」
「そうなのか?」
「おかげで変なクセがついてしまったよ」
いたずらっぽく笑った義之が、里桜の頬に手の平を滑らせる。顔にかかった長めの髪をかきあげて、あどけない口元へ唇を近付ける。
今更、キスシーンくらいで動じたりはしないと思っていたが。
「……ん」
鼻に抜けるような甘い吐息が耳につく。
里桜の肩からハーフケットが滑り落ちる。義之の首へと回される細い腕が、ギュッと力を籠めるのが見てとれた。


あやすように髪を梳く義之の肩へと、里桜が顔を伏せるように凭れかかる。
「本当に寝てるのか?」
「試してみようか?」
義之がこれほど執着している相手の肌を晒したり、乱れる姿を見せたりするわけがないとわかっていても、否定せずにはいられなかった。
「俺にキディポルノなんか見せるなよ」
「頼まれても見せないよ、もったいない」
予想通りの答えに苦笑する。本気で入れ上げていることはよくわかった。
「そこの引き出しに輪ゴムが入ってるから2本くらい取ってくれないか」
「輪ゴムなんて何に使うんだ?」
意図が全く掴めないまま、指差された引き出しから輪ゴムを取ってテーブルに置いた。
「最初はすぐに寝てしまう里桜を何とか起こそうと思っていろいろ試したんだよ。でも、意外と手強くてね」
長い指が、里桜の耳の上の髪を梳いて一筋掴む。義之の指をサラサラと流れていってしまいそうな艶のある髪を、器用な仕草でゴムを何度か通してまとめた。横の髪を高い位置で結ぶと、ますます女の子にしか見えなくなる。
義之は里桜の顔を反対側に向けると、慣れた手付きでもう一方の髪も結んでしまった。里桜はくうくうと小さな寝息を立てたままだ。
「本当に起きないんだな」
「おかげでこういう悪戯をいろいろやってしまったよ。ついでに記念撮影もね」
里桜のごく間近で携帯を向けても、もう身動ぎもしなかった。


「病んでるな」
真剣に、義之が気の毒になってきた。意外と思い入れが深いタイプだということは知っていたが、こんな変な趣味はなかったはずだった。
淳史の罵倒など意にも介さず、義之は携帯のデータフォルダを開いて夥しい量の里桜の写真を表示してみせた。カメラを認識している写真より、視線が他に向いているものや寝顔の方が多いようだ。もう、呆れるのを通り越して微笑ましいような気さえしてくる。
為すがままの里桜に満足したのか、義之はさっき結んだ髪をほどいて、指で梳いて直してやっていた。いとおしげに寝顔を見つめる姿は保護者のようにも見える。
「いつもそうやって寝かしつけてるのか?」
「寝かしつけてるわけじゃないよ。僕は父親じゃないんだから・・・なんだ、そういうことか」
一人で納得している義之に理由を尋ねる気にはならなかった。
「もしかして、僕と里桜は親子のように見えるのかな?」
「その方がまだマシだな」
「恋人には見えないかな?」
「見えないということはないだろう?そいつは幼くても女に見えるからな」
問いを重ねた義之に、見たままを答えた。おそらく、淳史があまり認めたくないだけで、周囲からは年の離れたカップルに見えていることだろう。
「時々、里桜は僕のことを父親みたいに思ってるんじゃないかと疑ってしまうことがあるよ」
「一回り以上も年が離れていれば仕方ないんじゃないか?しかもこれだけ甘やかしてれば当然かもな」
「そうかと思うと、小悪魔みたいな所があるから目が離せないんだ」
義之が足元に落ちたハーフケットを拾い、里桜の肩に羽織らせた。大事そうに腕の中に抱き直して、幼い頬を見つめる。
里桜のような純朴な子供が、義之の手に負えないなどということはまずあり得ないだろう。


「小悪魔って感じはしないな」
おそらく、義之の心配は惚れた弱味なのだろう。淳史が見た限り、里桜は少し人見知りのある素直で純真な仔猫でしかない。
「前の恋人がずいぶん甘やかしていたらしくてね」
「おまえに甘やかしていたなんて言われるとは心外だろうな」
もしかしたら、義之には自分がどれほど里桜を甘やかしているのか自覚がないのだろうか。
「僕以上かもしれないな。しかも里桜があまりにも子供だから成長するのを待っていたそうだよ」
「おまえよりは良識のある奴だったんだな」
「だから里桜を手に入れ損ねたんだよ。欲しいものは早く自分のものにしておかないとね」
里桜を見つめる双眸に、不意に険しいものが混じる。
「取ったのか?」
「腕の中に飛び込んできた仔猫を連れて帰っただけだよ」
「飼い猫だと知ってたんだろう?」
それには答えずに、唐突に義之が話題を変える。
「美咲の弟が里桜の一学年上なんだよ。学校も同じなんだ」
「そういや年の離れた弟がいるって言ってたな」
「剛紀って言うんだけどね、つき合っていた相手を里桜の元彼に取られたらしいよ。もちろん、里桜とつき合う前のことだけどね」
「ややこしいな」
「もっとややこしいことに、里桜の元彼が美咲の浮気相手だったんだよ」
それだけ聞けば、何が起こったのか想像がついてしまう。


「確信犯ってことか?」
「美咲の弟は物凄く思い込みが激しいんだ。報復するなら里桜を狙った方がダメージが大きいと思ったようだよ。その元彼が里桜にずいぶん入れ込んでいるというのは学校で有名だったそうだからね」
「何でそこにおまえが絡んでるんだ?」
「僕も、美咲を振ってまでつき合いたいと思うような相手がどんな人なのか興味があったんだよ。いざ会ってみたらずいぶん幼いから驚いたけど、僕の方に向かせられないこともないかなと思ってね」
「おまえも報復したかったのか?」
問いながら、淳史はその違和感に困惑していた。義之は相当に思い入れの深いタイプだが、淳史の知る限り、それは人に対してではなく所有物に対してだったからだ。
「その時は単なる好奇心だったかな。会う前に写真を見ていたけど、男だと聞いていたから気を引こうなんて思ってもみなかったよ」
「会って気が変わったのか?」
「さすがに恋愛したいとまでは思わなかったけど、剛紀が拘る理由がわかったよ。それに、僕は里桜の好みから外れていないようだったしね」
一般論でも、義之が好みから外れるという方が稀少なのだと思うが。
「結局、おまえの方が報復したってことか」
勝手に結論づけた淳史の言葉があっさり覆される。
「そういうことじゃないよ。剛紀は最初から体が目的だったし、僕は里桜の気を引くのが楽しかったからね」
とんでもなく物騒な話をしているというのに、里桜はその張本人の腕の中で安心しきったように眠っていた。


「……義之、おまえ、自分が何を言ってるかわかってるのか?」
「細かな言い訳はしないよ。でも、そうしなければ剛紀の気がすまないって分かっていたし、僕もその時はまだ自分がこんなに里桜にハマってるとは思ってなかったんだ」
「よくまあ、おまえみたいな鬼畜な男とつき合う気になったな」
全てわかっていて義之とつき合っているのなら、里桜は真性の馬鹿としか言いようがない。
「里桜は、初めてはその彼とって約束していたそうだよ。でも、それを破ることになってしまったし、ずいぶん晩熟だったようだからショックが大き過ぎたんだろうね。傍にいた僕に縋ったのも当然かもしれないと思うよ」
「そんな軽そうな男がよくまあ我慢してたもんだな」
「里桜に対しては誠実だったようだよ。本当に好きで大事にしていたんじゃないかな」
そこまでわかっていて取るのを報復と言わずして何と言うのだろうか。
「だから甘やかしてるのか?」
「まさか。かわいそうなことをしてしまったとは思うけど、罪悪感や責任感で愛せるほど器用じゃないよ」
友人として義之に説教するべきなのかもしれないが、言うべき言葉が思いつかなかった。
仕方なく、話を本来の目的に戻す。
「俺が苦手だということは似たようなタイプだったってことか?」
「体格だけだよ。剛紀も格闘系だからね。それで淳史に協力してくれないかって言ったんだ」
「嫌なことを思い出させるだけじゃないのか?」
淳史には関わりのないことでも、ストレスを悪化させるようなことをするのは気が進まなかった。


「もうすぐ2学期が始まるから少しでも慣れさせておきたいんだよ。里桜の両親にもちゃんと卒業させるように言われてるからね。そうでなければ、一生引き籠ってくれていても僕は全然構わないんだけど」
執着を極めれば監禁も厭わなくなるのだろう。それを止めるためにも協力するべきなのかもしれないが、淳史にはカウンセリングなどできそうにない。
「そういうことは専門家にかかった方がいいんじゃないのか?おまえの親父は医者だろうが」
「それこそ専門外だよ。あの人にそんなデリケートなことが理解できるとは思えないしね」
あからさまに義之の顔色が変わる。相変わらず、父親の話を振られるのは我慢ならないようだった。俊明とは本心からかどうかはともかくとして親しくしているようだが、父親に対してだけは頑なに他人行儀を貫いている。
「俊明には話したのか?」
矛先を変えさせるために、義之が振られたくないことを重ねて尋ねた。
「言ってないよ。ついこの間、離婚したことを報告したばかりだしね」
「少なくとも、俺に惚気るよりは俊明に言った方が理解があると思うが」
それはおそらく真実だったが。
「俊明に共感してもらいたいわけじゃないよ」
「でも解決策を持ってるかもしれないぞ。そいつの心的外傷後障害だか社会不安障害だかを治してやりたいんだろう?」
「僕は行動療法をと思ってるんだよ。だから淳史に頼んでるんだ」
「俺はカウンセラーでも心理療法士でもないんだからな。いっそ薬物療法の方が確実なんじゃないか?」
「薬は使いたくないんだ」


「自分の扱ってるものが信用できないのか?」
「マイナートランキライザーにだって副作用がないわけじゃないんだよ。それに処方箋を出してもらうなら受診させないわけにはいかないしね」
義之の心配もわからないでもないが、素人にどうにかできる問題とは思えない。
「ともかく、俺には無理だ」
「難しいことを頼んでるつもりはないよ?時間のある時に一緒に過ごしてやってくれないかと言ってるだけだからね」
通常、行動療法では原因となる状況や物に少しずつ慣れさせていき、だんだんと刺激を強めていく。段階が進めば、最終的には同様の状況を体験させることになるだろう。
「俺に同じようなことをしろということだろうが」
そもそも、いくら治療だとしても義之がそんなことを許すはずがない。淳史も、仮にそれが慈善行為だとしても、いたいけな仔猫を脅かすような真似はできそうになかった。
「そこまで面倒見てもらわなくていいよ。男はみんな怖いんだと思っててくれた方がいいしね。普通に接することができるようになれば充分だよ」
何とも義之にだけ都合の良い中途半端な治療が望みのようだ。
「おまえにそれだけベッタリくっつてるということは、行為自体に恐怖心があるというわけじゃないんだろうな」
「最初はあったかもしれないけどね。気持ち良いことだって教えたからそれは心配ないよ」
臆面もなく言い切る義之がそら恐ろしく思える。思い入れが深いのは間違いなくても、それが里桜にとって幸いなのかどうかは甚だ疑問だった。


「過ぎるとおまえだけじゃ足りなくなるんじゃないのか?」
淳史の嫌味にも、義之は余裕の表情を崩さなかった。
「僕なしではいられないように躾けたつもりだけどね」
「真性の鬼畜だとは思ってなかったんだが」
「愛情が深いと言ってくれないか?」
淳史が思っていた以上に、義之の人格には問題があったようだ。
「こいつに同情するよ」
「協力する気になっただろう?」
「上手くいくと思ってるのか?」
「大丈夫だよ。日常生活に差し支えない程度になればいいんだからね。里桜は元々少し人見知りで警戒心が強かったし、不自然に見えなければいいと思うよ」
「本人には言ってあるのか?」
「だから必要以上に淳史を意識してるんだよ」
何もかも、義之の思惑通りに運んでいるらしい。
「しょうがないな」
「恩に着るよ。淳史の時にも協力するから何でも言ってくれていいよ」
「おまえに協力を仰ぐようなことはないと思うが」
気は進まなかったが、仔猫と仲良くせざるをえなくなってしまったようだった。子守は得意ではないが、そこまでは淳史の知ったことではない。
ただ、不本意ながら淳史が義之に言った言葉は、後に撤回することになるのだった。



- 仔猫が寝た後で - Fin

Novel  


あまり耳慣れないのでは?と思われる言葉だけ簡単に。

心的外傷後障害/いわゆるPTSD。
心理療法士/カウンセリングや心理検査を行う人。(精神科や心療内科には大抵おられます。)
マイナートランキライザー/抗不安薬。副作用も弱めで、安定剤としても用いられる。