- 仔猫というよりも -



「こ、こんにちは」
義之に、里桜だと紹介された通称“仔猫”は、完全室内飼いらしく緊張した面持ちで淳史に頭を下げた。
小さな顔に印象的な黒目がちの大きな瞳、サラサラの長めの髪に華奢な体つき。不安げに義之の腕を掴む細い指も、変声期などなかったのではないかと思わせるメゾソプラノも、どこをとっても予め性別を聞いていなければ男とは思えなかった。
「どうも」
警戒心丸出しの里桜に、淳史も興味のなさを前面に出して答えた。
すぐに義之の後ろに下がろうとする里桜からは、早くこの場を逃れたがっているのが露骨なくらいに伝わってくる。偶然会った恋人の知り合いに、心の準備も何もなく紹介されて戸惑っているのだろう。高校生だと言っていたが、とてもそうは見えない外見と同じく、中身も中学生程度なのかもしれない。
「そんなに怖がらなくても、見た目ほどは怖くないから大丈夫だよ?」
義之のフォローに里桜が小さく頷く。それでも、淳史と目を合わせようとはしなかった。視線を舗道に落とし、淳史と別れの挨拶をするのを待っているのかもしれない。
確かに、淳史の第一印象はあまり良いとは言えなかった。190センチあまりの長身に、いかにも格闘技でもやっていたと思わせる筋肉質な体格に厳つい面差しは、軽く引かれても仕方ないと思う。ましてや、相手が被捕食者の側なら当然のことだった。
とはいえ、そのあからさまな態度が気に障らなかったわけではない。加えて、それが気心の知れた友人の恋人ともなれば、軽く苛めたくなるのは淳史からすればごく当たり前のことだった。


「ひゃっ……」
大きな手の平でその艶やかな前髪をくしゃりと掴むと、仔猫が悲鳴を上げて、人目も憚らず義之の腕にしがみついた。もしも本物の猫なら、全身総毛立てて飛び退り、フーとかシャーとか威嚇しているに違いない。
過保護な保護者が、まだ何かしでかそうとしている淳史の手を払いのけた。
「淳史、いきなり触っちゃダメだよ。そうでなくても箱入りで人見知りなのに」
「もうちょっと躾けるまで外に出すな」
「わけありなんだって言ってなかったかな?里桜は淳史みたいなタイプが特に苦手なんだよ。一度痛い目に遭ってるからね」
そんなに恋愛経験があるようには見えなかったが、里桜も今時の高校生らしく、見た目ほど世間知らずではないのかもしれない。
話の成り行きを心配しているのか、里桜は心細げな瞳で義之を見つめていた。あまり触れられたくないことなのだろう。
「心配しなくても俺は仔猫には興味ないからな」
里桜の目線の近くまで屈み込んで顔を覗き込む。目が合うのを嫌って伏せる長い睫が作る影が、少しだけ表情を大人びて見せた。義之がベタ褒めするだけあって、確かに綺麗な顔をしている。
「……ごめんなさい」
一応、自分が淳史の気を悪くさせてしまっているという自覚はあるらしい。


「仔猫というよりは仔犬だな」
一途に主人だけを思っている所も、主人と友好関係にある相手に尻尾を振らなければと努力している所も。
「ところが意外と気まぐれなんだよ。甘えん坊かと思うと突然実家に帰ったり、寝言で前の彼氏の名前を呼んだり、手をやいているよ」
「義之さん」
遠慮がちに、里桜が義之の上着の裾を掴む。耳まで赤く染めて、何とか言葉を止めさせようとする仕草までが中性的に見えた。全くと言っていいほど男っぽさを感じさせない里桜が相手なら、或いは恋愛は可能なのかもしれない。幼くても構わないという嗜好を併せ持つ人物に限定されるだろうが。
「俺に痴話喧嘩のジャッジをさせるなよ。どうせ、そんな所だけは厳しく躾けてるんだろうが」
「そんなことないよ。まだ子供なんだから厳しくするわけないだろう?」
本当か、と里桜に聞くのはかわいそうなのでやめておいた。
「悪いがこれから会社に戻る所なんだ。惚気話はまた機会があったらな」
里桜の様子では、まずないだろうと考えて言ったのだったが。
「じゃ、淳史がうちに来るといいよ。こう見えて里桜は料理が得意なんだよ」
「それはすごいな」
もしも本当なら、と口にするのはやめておく。
「信用してないんだろう?でも本当に家事が得意なんだよ。掃除も洗濯も食事の用意も全部里桜がやってるんだ」
「そういや結婚したいって言っていたな」


「な……義之さん、何でそんなこと、人に言っちゃうの」
淳史の存在を忘れたかのように、里桜が初めて高い声を上げた。
「何で言ったらいけないのかな?淳史とは親しいし、報告するのは当たり前だよ」
淳史の方は特に聞きたくはなかったが。
何か言いたげな唇が、上手く言葉を見つけられないのか、もどかしげに結ばれる。余計なお世話だと思ったが、義之を弁護しておくことにした。
「聞いたからって害はないんじゃないのか?親にも許してもらってるんだろう?」
驚いたように淳史を見る里桜の大きな瞳に一瞬引き込まれそうになる。小動物特有の庇護欲をそそる瞳だった。先までの警戒を忘れたように真っ直ぐに見上げてきたのは、初対面の淳史に知られていたことが余程ショックだったのかもしれない。
「淳史は変に吹聴するような奴じゃないし、むしろ理解者だから心配しないで」
理解者になった覚えはないと言えば、話がこじれて火の粉が飛んでこないとも限らない。面倒を回避するために、敢えて黙認することにした。
黙り込んだままの里桜に義之が追い討ちをかける。
「それに、僕は隠す気はないからね。里桜にもオープンにしろとは言わないけど、僕に黙ってろって言うのは無理だよ」
メンタルな問題に口出しする主義ではなかったが、里桜のためにも義之に加担しておくことにした。


「知らないのかもしれないが、義之には誘惑が多いんだ。マリッジリングくらいはさせておいた方がいいぞ?」
泣きそうな瞳が淳史を見上げた。決して脅かし過ぎたわけではないのだが、胸が痛まないでもない。
「それとも、おまえがもっと他の男に目を向けたいのか?」
「そんなこと」
里桜の言葉に被せるように、義之が強い口調で割って入る。
「ダメだよ、浮気も本気も絶対禁止」
淳史の前でもこの調子では、日頃の躾け具合も想像がつくというものだ。これ以上、痴話喧嘩を傍聴する気が失せた。
「後は帰って話し合えよ?舗道の真ん中でやることじゃないぜ。俺もいい加減戻らないと差し支えるからな」
「引き止めて悪かったよ。時間が取れたら寄ってくれないか?」
義之の言葉が妙に切実さを孕んでいることに気付かず、淳史はその場凌ぎの言葉を返す。
「そいつの人見知りが治ったら呼んでくれ」
内心では、わざわざあてられに行く気はなかった。不安げに睫を震わせる仔猫を脅かす気も。
軽く手を上げて二人と別れ、足早に会社へと向かう淳史は、間もなく義之の思惑で仔猫のリハビリにつきあうことになるなどとは思いもしなかった。



- 仔猫というよりも - Fin

Novel    


で、少しずつ感化されていく、というお話でした。