- 子猫のススメ -



「義之、ずいぶん久しぶりだな。そんなに忙しいのか?」
淳史の通うスポーツジムに久しぶりに現れた綺麗な男に、少し嫌味な声をかけた。
義之は名目上は俊明の義弟だが、生まれ月が少し遅いというだけで年齢も学年も同じだ。高校は違ったが、しょっちゅう俊明の家に入り浸っていた淳史とも親しくしていた。
「忙しいというか……うちに仔猫が来たから気になって離れられないんだ」
「ずいぶん過保護にしてるんだな。何ていう猫種だ?」
「うーん……強いて言えばチンチラ系って感じかな。見る?」
嬉々として携帯を取り出す義之に困惑する。少なくとも今まで義之に持っていた印象では、飼い猫の写メを待ち受けにするようなタイプではなかった。
「すごくかわいいんだよ」
誇らしげな義之の態度を咎めるように、わざと大きなため息をつく。
「……義之、俺にはずいぶん幼く見えるんだが?」
「だから仔猫だって言っただろう?」
「余計なお世話だろうが、ヘタすれば犯罪だぞ?」
猫じゃないだろう、というツッコミは敢えてやめておく。
「責任は取ろうと思ってるよ。ご両親の了承ももらってるしね」
「離婚したばかりのくせに、もう結婚するつもりなのか?」
「できればそうしたい所なんだけど、どうなのかな」
「まずは相手が結婚できる年になるまで待つしかないだろう?」
「男の子なんだ」
「……え?」


聞き間違いだと思った。それとも、質の悪い冗談か。
「女の子だと思っただろう?実物はもっとかわいいんだよ」
「もし女でも、ここまで幼いと子供にしか見えないな」
ツッコミ所が満載過ぎて、何から指摘するべきなのか迷ってしまう。
「童顔だから幼く見えるけど高校生だよ。こう見えて意外と色っぽい面もあったりして、満更子供ってこともないかな」
「俺はむしろ年上の方に色気を感じるから何とも言えないが」
「じゃ、淳史には紹介しても大丈夫かな?あんまりにもかわいいから、他の男には見せたくないんだ」
「……重症だな」
心配する対象を男と断定する辺りが終わっているような気がする。
もしかしたら、離婚したのもその仔猫のせいなのかもしれない。
「こんなにハマってしまうなんて、自分でも驚いているよ」
「離婚したのもそのせいか?」
「この子に出逢ったのは離婚した後だよ。おかげで淋しい思いをせずにすんだのかもしれないな」
「おまえがこんな子供みたいなのが好きだとは知らなかったよ」
「淳史も仔猫と過ごしてみればわかるよ。絶対ハマると思うな」
悪びれもしない義之に本気で呆れた。


「仮にかわいいと思ったとしても、恋愛するのは無理だ」
「食わず嫌いなんだな。もったいない」
「生憎、もっと落ち着いた大人にしか興味がないんだ」
「僕も最初はそう思ってたよ?」
妙に意味深な言い方が何となく引っかかる。小さな写メではわからないような何かが、この仔猫にはあるのかもしれない。
「子供なのは見た目だけだったのか?」
「いや、見た目以上に子供だったよ」
「そう思うんならあと何年か待ってやれよ」
「とんでもない。何も知らない仔猫を思い通りに育てる所にハマってるのに」
今まで知らずにいたが、どうやら義之には源氏の君のような趣味があったらしい。
「おまえ、そんな危ない性格だったか?」
「何だ、淳史も僕を“いい人”だと思ってたのか?」
「まさか。おまえが温厚でも寛容でもないことなら知ってるぞ。そのうえ鬼畜だったとまでは思ってなかったが」
「ひどいな。やさしいオーナーでいようと努力してるよ」
人好きのするその笑顔がくせ者だとわかっている。この執着ぶりなら、やさしげな風貌に騙されて懐いてきた仔猫を監禁しかねない。
「そういや、“来た”って言ってたな?まさか一緒に住んでるのか?」
「そうだよ。抱き枕にちょうど良くて手放せなくなってしまってね」
「あまり悪いことを教えるなよ?」
「もう手遅れかな」
義之は穏やかそうに見えて、実はかなり思い入れが強い。もし軽い気持ちで懐いてきたのなら、きっと痛い目に遭うだろう。


「おまえにそこまで思い入れられている仔猫に同情するよ」
相手も同じように義之に惚れているのなら問題はないだろうが。
「こんなに大切にしてるのに?」
「おまえは一歩間違えるとストーカーになるタイプだからな」
「淳史にそういうことを言われるなんてショックだな。淳史こそ、いつまでも一人の女性を引き摺ってないで早く新しい相手を見つけた方がいいと思うよ?」
「引き摺ってるわけじゃない。彩華よりいいと思う女に出逢ってないだけだ」
「僕は義姉さんよりいい女なんていくらでもいると思うけどね」
義之は、自分が並外れて綺麗な顔をしているせいか、他人のルックスにはあまり頓着しない。その代わり、希少価値的なタイプに弱いようだった。
「俺には仔猫趣味はないからな」
「案外、淳史には年下の方が合うような気がするけどね?」
「俺は煩いのも未成熟なのも嫌いなんだ」
「淳史だってかわいい仔猫に出逢ったらわかるよ」
「わかりたくもない」
世間知らずで頭の弱い小娘の機嫌を取る煩わしさや、相手の全てを把握しようとする傲慢さを想像しただけでぞっとする。それが、どんなに性格が悪いとわかっていても惚れている相手なら別なのかもしれないが。生憎、淳史は彩華以外の人間にそこまで思い入れたことがない。他の誰かにそんな我慢を強いられるくらいなら、一生一人でもいいとさえ思っている。


「淳史の理想を壊して悪いけど、あの人は他にもいるよ」
「俊明の親父だろう?」
つまりは義之の父親が相手だと、淳史は今まで誰にも語らなかった事実をさらっと告げた。おそらく義之も知らないだろうと思っていたが、特に隠し通す必要もない。
「なんだ、淳史も気が付いてたのか。じゃ、俊明もかな?」
「いや、たぶん気が付いてないだろうな。いくら彩華が強かな女だと知っていても、まさか親父の代わりに俊明と結婚したとは思ってないだろう」
「そこまでわかってるんなら、やんわり諭してやってくれればよかったのに」
「おまえこそ、知ってたんなら何で教えてやらなかったんだ?」
「身内なだけに僕からは言えないよ」
もっともらしい理由をつける事自体が、義之の底意地の悪さを物語っているようで可笑しくなる。
「偽善者なだけだろう?」
「そんな風に思われてたとはね」
わざとらしく非難するような視線を向けられても、淳史には確信のようなものがあった。義之ほどではないが、母親の相手とその家族に気を遣ってきた淳史には、反発するわけではなくとも受け入れることもできない冷めた感情が理解できると思う。
「まあ、否定はしないけど。でも、僕にそこまで言うんなら、淳史は友達なんだから義姉さんの人間性に問題があることを教えてやればいいのに」
「俺はおまえ以上に親切じゃないからな」
「義姉さんが淳史を選ばなかったのは賢明だったと思うよ。淳史が旦那だったら浮気なんてできないだろうからね」


「浮気じゃない、あっちが本命だ」
それに気付いたからこそ、彩華に俊明と結婚すると告げられた時、黙って引く気になったのだと思う。
「そこまでわかってるんなら、いい加減諦めればいいのに」
「もう欲しいとも思ってないぜ。あれはどうやったって俺のものにはならないからな」
「そのわりに、ことある毎に義姉さんのことで俊明に喧嘩を売ってるようだけど?」
「単なる嫌がらせだ」
「淳史の方がよっぽど性格悪いよ?」
義之のように善人面をしていないだけでも、淳史の方がいくらかマシだと思うのだが。
「俊明もそのくらいの覚悟はしていたんじゃないか?俺が彩華に惚れていたのを知ってて結婚したんだからな」
「俊明は僕と違って本当にやさしいからね。淳史がこんな友達甲斐のない奴だとは知らないで、おまえの分まで義姉さんを幸せにしようと頑張ってるよ」
「知らないままの方が幸せかもしれないな」
義之はそれには答えず、腕時計に視線を落とした。
「ゆっくり話してる時間はないんだったよ、早く帰らなきゃいけないのに」
「“お留守番”させてるのか?」
「そうだよ、淋しがってるといけないからね。積もる話もないわけじゃないんだけど、当分時間は取れそうにないかな」
「……本当に、本気なんだな」
本来、義之は執着をあからさまに表に出すタイプではなかっただけに、相好を崩して甘い表情を見せたことにも驚いた。
「そうだよ。淳史も早くかわいい仔猫に出逢えるといいね」
「だから、俺は子供には興味がないって言ってるだろうが」
もう義之は反論しなかったが、まるでそうなることがわかっているかのように含み笑いを洩らして帰って行った。
淳史の言葉が覆されることになるのは、それから半年ほど後のことだった。


- 仔猫のススメ - Fin

Novel    


色気のない話でごめんなさい……って、あったら困るんですけど。
もうちょっと惚気っぽい話になる予定だったんですが。